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前編

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 エルネスティーネ・バルツァー様。
 私、カルラがお仕えする公爵家のご令嬢。
 背中に流したワインレッドの髪に、琥珀色の瞳。少しばかりきつい印象を与えるのは、お顔が派手な家系だからでしょう。
 冷たい印象を与えがちですが、お嬢様はとてもお優しい。公爵令嬢として澄ました振る舞いはするけれど、実際は年相応の感受性を持ち合わせた可愛らしい方なのです。
 私がお嬢様に拾われたのは、私もお嬢様も、まだ五歳のときでした。
 平民の生まれの私の両親は、流行病で亡くなりました。親戚もいなかった私は一人、あてもなく街をふらふらしていました。教会に辿り着けたら、パンのひとつも貰えるかも知れないと思いながら。そんなとき、馬車に乗っていたお嬢様が通りかかったのです。
「あなた、ひとりでどうしたの? お父様とお母様は?」
 心細かった私は、その問いかけに大泣きしてしまった。五歳のお嬢様は慌てて、従者に私を馬車に乗せるように言ってくれました。そのままお嬢様の住むお邸……この家に連れて来られた私はそのまま、お嬢様の侍女見習いとなったのです。
 お嬢様のお母様、公爵夫人様についている侍女たちは厳しくも優しく、何もわからなかった私に様々なことを教えてくれました。年の離れた彼女たちは私を年の離れた妹か、あるいは娘のように面倒を見てくれて。お嬢様も私を、「同い年の友だちが出来たみたいで嬉しいわ」と言ってくださいました。
 そうして、私が正式のお嬢様の侍女として傍につくようになった頃。
 お嬢様と第一王子の婚約が決まりました。
 この国ーークライネ国には、王位継承権を持つ王子が三人います。その中の一人が第一王子であるクルト・フォルヒャート王子殿下。
 ヘーゼルブラウンの髪にキャラメル色の目をした、とても優しげな印象を持つ方です。二人は顔合わせの時点で互いに一目惚れをしたらしく、王子が邸を訪ねてくることも何度もありました。花束や贈り物を持って、お嬢様のもとへやってくるのです。そのときのお嬢様の、嬉しそうなお顔と言ったら……! 私も思わずときめいてしまうくらい、可愛らしいのです。
 お二人の中は良好で、貴族と平民が通う学園へ入学してからも、その仲の良さは続いているように思われました。
 ですがある日から徐々に、王子のお嬢様に対する態度が変わってきたのです。
 
 私はお嬢様と同い年ということと、お嬢様たってのお願いで、お嬢様と一緒に学園に通っていました。
 王子の態度が変わったのは、時期外れの転校生であるベッティーナ・ローマン男爵令嬢が入学してきてからです。
「あたしぃ、何もわからなくてぇ」
……平民である私から見ても彼女は基本的なマナーすらなっておらず、また間延びした喋り方がなんとも癇に障る……鬱陶しい……いえ、とにかくまぁ、アレな感じだと思っておりましたが、彼女はあろうことか婚約者がいる貴族、そして王子にまで接触しだしたのです。
「ローマン様。婚約者のいる殿方に接触することはよろしくありません」
「えぇ~? でもぉ、学園は平等じゃないですかぁ~」
「平等とは基本的なマナーを破っていいという意味ではありません」
 お嬢様が注意を……ただ誰にでもわかる、極当たり前のことを言っても彼女は、そのチェリーピンクの瞳を潤ませて「ひどぉい……」などと言って、近くにいる男性にしなだれかかって甘える始末。
「お嬢様、あの方には関わらないほうが良いと思います。なぜか嫌な予感がするのです」
「カルラ。……そうね、私もそう思うわ。でも流石に王子殿下に接触するのだけは見過ごせないの」
 婚約者として、よりは恐らく、その恋心のために。
 お嬢様はずっと、王子殿下へ想いを寄せています。王子殿下もそうであったはずなのに、最近のあの方ときたら。
「エルネ、ベッティーナ嬢にきつく当たるのはやめないか。彼女は男爵家に養子に入ったばかりで、貴族社会のことはよくわかっていない」
「殿下。貴族社会でなくても、婚約者のいる殿方に触れたり、ましてや腕を絡ませたりする行為は褒められたものではございません。殿下からもどうか、控えるようにお伝えください」
 お嬢様の言葉に殿下は、ため息をつきました。それはもう、わざとらしく。煩わしいとでも言いたげに。
「きみは、きみがそうできないから、そんなことを言うんだろう? 誰にでも気安く接することのできる彼女に対する嫉妬だ。違うかい?」
「私はそのような……」
「いや、いい。きみのことだ、何を言っても認めはしないだろう。とにかく、ベッティーナ嬢に当たるのはやめてくれ」
 私はこのとき、腹の奥から心底の憎しみが生まれるのを感じました。婚約をしてからもう何年も経っていて、王子殿下はお嬢様の性格を良くご存知のはず。だというのにまるでお嬢様を悪ものみたいに……!
 それからでした。
 お嬢様の表情から、笑顔が消えてしまったのは。
 もちろん、貴族として公爵令嬢としての笑顔は作ります。だけどそれだけなのです。心からの、楽しいや嬉しい、そう言った笑顔がなくなってしまったのです。
「きっと殿下も、少し羽目を外しているだけなのよ。……だから大丈夫、そのうちわかってくださるわ」
 お嬢様は気丈に笑ってそう言っていたけど、きっとその心は酷く傷ついているでしょう。慕う人にあんな言い方をされて、傷つかないはずがありません。
 憂う顔は、それはとても美しいお顔ですが……お嬢様にはいつでも笑っていていただきたいのです。いつか殿下からお花をいただいたときのように、心からの笑顔を見せてほしいのです。
 そんなときでした。
 隣国との交流パーティーがあると、公爵家へ手紙が届きました。隣国ミュスティカァ国はとても大きな国ですが、最近になって国王が代替わりしたそうなのです。聞いたところによると、「早く隠居生活がしたい」と前国王が言ったそうで。本当かどうかは定かではないですが、現国王はとても若い方なのだとか。
 その国王主催で開かれるパーティーは、三日間行われるとのこと。
「まさかミュスティカァ国に行く日に、ミュスティカァ国との交流パーティーがあるだなんて」
 公爵夫人は頬に手を当ててため息を付きます。
 公爵夫妻は事業のため、隣国と自国とを行き来する生活をしています。行く頻度は月に一度ですが、今回のパーティーと被ってしまったようです。ちなみに二つほど歳の離れたお嬢様の弟はミュスティカァ国に留学中。次期公爵として勉強に社交に励んでいるそうです。
「エルネちゃん、悪いのだけどパーティーの方はお任せしても大丈夫かしら?」
「はい、お母様。お父様とお母様に変わって、私が国王陛下にご挨拶いたします」
「王子殿下もいらっしゃるし、大丈夫だろう」
 旦那様の言葉に、お嬢様の眉が少しだけ動きました。けれどもお嬢様はすぐに笑顔を作って、えぇ、と頷きました。
 旦那様と奥様は、今もお嬢様と殿下の仲は良いものと思っています。殿下のことを一度お伝えしたほうがいいんじゃないかと進言しましたが、お嬢様は首を横に振りました。
 ご両親に余計な負担をかけたくないと思ったのでしょう。
「さすがに交流パーティーですもの、殿下もエスコートしてくださるわ」
 あの男爵令嬢が現れてから、何度か行われた学園内でのパーティー。殿下はいずれもお嬢様をエスコートせず、ローマン男爵令嬢をエスコートしていました。そのせいでお嬢様がどんな目で見られるのかわかっているはずなのに。それでもお嬢様は何も気にしていないふうを装って、澄ました笑顔で立っていました。私を含め、ローマン男爵令嬢の言動を良く思わないご令嬢や平民の方々は皆、お嬢様の味方です。けれどやはり、くすくす笑って蔑むような眼差しを向けるものも少なくはありませんでした。
 
 平民上がりの男爵令嬢に婚約者を奪われた公爵令嬢。
 嫉妬から目下のものに嫌がらせをしている。
 エスコートされないもの当然だ、あんな冷たい女。
 
 ヒソヒソと紡がれる陰口という刃は、お嬢様の心を傷つけていきました。
 パーティーがあった日、お嬢様はいつも部屋で一人、声を殺して泣いていたのです。
「お嬢様。侍女ではなく、友人の一人としての言葉をお聞きください。……王子殿下に期待なさるのは、もう止めませんか。最近は側近候補もローマン男爵令嬢に侍っているじゃないですか。私はもう、お嬢様が傷つく姿を見たくありません……!」
 誰よりも美しく、誰よりも優しい人。そんな人がどうして、傷つかなければならないのか。
「カルラ……ありがとう。あなたの気持ち、とても嬉しいわ。……私も何度もそう考えたの、でもね、どうしても……どうしても、いつか私に優しくしてくれていた殿下を思い出してしまって……諦めたくないの……」
 こんなに愛されているのに、あの御方は。
 王子だろうが何だろうが関係ない。私はどうしたって、あの男を許せない。
 だって今日も、あの男は迎えには来ない。お嬢様がせっかく彼の瞳の色に合わせたドレスを来て、お化粧をして、乙女の表情で彼の到着を待っていたとしても。ローマン男爵令嬢に堕ちたあの男が迎えに来ることは、絶対にないでしょう。
「お嬢様、これ以上は……」
「……えぇ、そうね。もしかしたら何か……体調が悪いとか、そういう理由で迎えに来られないのかもしれないわ。行きましょう、カルラ。これ以上遅れてしまっては国王陛下に失礼だわ」
 お嬢様の言葉に、胸が痛くなりました。
 そんなことありえないのに。だったら手紙のひとつも寄越すのが筋というもの。なのにあの男は、王子という立場でありながら、婚約者に対する礼儀を弁えていない。
 お嬢様は馬車の中でも、ぼんやりと外を見ておりました。
 美しいお嬢様。優しく聡明なお嬢様。あなたが不幸な未来なんて、あってはならないのに。
 
 パーティー会場ではすでに、ダンスタイムが始まっていました。隣国の王様もこの国の王様もまだ入場されてはいないようで、このダンスタイムは場をつなぐための余興のようなものなのでしょう。私を伴って入場したお嬢様は、フロアの中央で踊る二人の姿に足を止めました。
 あろうことか王子殿下は、国と国との交流パーティーにすらローマン男爵令嬢を伴い、楽しそうに踊っていたのです。
 お嬢様が息を詰めたのがわかります。扇子を持つ手は震えていました。
「お嬢様、……」
 思わず声をかけた刹那、フロアでくるくる回っていた王子殿下がお嬢様の姿に気付きました。その表情は嫌悪に歪んで、ローマン男爵令嬢の手を握ってお嬢様に歩み寄ります。
「まさか一人で来たのか? なぜ?」
 お嬢様の顔がすぐ、公爵令嬢のものに変わりました。
「公爵家の代表として……王子殿下の婚約者として、参加する必要があるためです」
「……あぁそうか。すっかり忘れていたな。お前が僕の婚約者だった、なんて」
 は? と声が出そうになりました。何を言っているのでしょう、この男は。王家との結婚は政略的なものがほとんどで、お嬢様と王子の結婚も、どちらにもメリットがあるために結ばれたものだと公爵夫人の侍女に聞いています。
「殿下。本来でしたらあなたは、私をエスコートしなければならないはずです。学園内のことならまだしも、今日は隣国との交流パーティー。それをどうして、」
「うるさいな!」
 バシャン、と。
 水音と共に、お嬢様の服が赤紫に染まりました。殿下がお嬢様に向かって、ワインをぶちまけたのです。
「……っ!」
 怒りに思わず飛び出して行きそうになりました。それを制したのはお嬢様です。なぜですかお嬢様! 一発殴ってもいいのではないですか!
「もううんざりなんだよ、お前のような悪女と婚約関係にあるのは。お前はことあるごとにベティに冷たく当たっていたそうじゃないか。僕はやめろといったよな? 第一王位継承者である僕の言うことを、お前は無視したんだ」
「殿下、そのようなお話はこの場ですることではございません。場所を改めて」
「いいや、この場で言わせてもらう! クルト・フォルヒャートは今日を持って、悪女エルネスティーネ・バルツァーとの婚約を破棄する!!」
 隣国との、交流パーティーで。たくさんの貴族が集まるこの場所で。
 お嬢様を辱めるかのごとく叫ばれた言葉に、過去の優しい王子殿下の影はなかった。
「……それで? どうなさるのです?」
 お嬢様は怯むこと無く、言葉を紡ぎました。けれど私は、お嬢様のその指先が震えているのを知っている。扇子で隠した口元が、歪みそうになるのを堪えているのを知っている。
「何?」
「私との婚約を破棄して、そのあとは? まさかローマン様を婚約者に、などとお考えですか?」
 自分の名前に待ってましたとばかりに、ふわふわのシェルピンクの髪を揺らしながらローマン男爵令嬢が殿下の腕に絡みつく。身に纏ったドレスは彼女のカラーである淡いピンク色をしていたが、ところどころにあるキャラメル色が、殿下の贈り物であることを表していた。
「あたしならぁ、お忙しいクルト様を癒やして上げることができるんですよぉ。夫婦ってそういうものですよねぇ。妻ってぇ、夫の癒やしになれなきゃ意味ないですよねぇ~」
「私と殿下の婚約は、国のためのものです」
「でもでもぉ、婚約、破棄されちゃったじゃないですか~。あたしのこといじめるからですよぉ」
「いじめてなどおりません。当たり前のことを申し上げたまでです」
「アハハ! その台詞、悪役令嬢が良く言うやつだぁ~! やっぱりバルツァー様ってぇ、悪女だったんですねぇ~」
 私は平民です。平民だけれど、正直言ってこの男爵令嬢よりは品があるとはっきり言い切れます。
 悪役令嬢ってなんですか。そんな平民に人気の小説の言葉を並べて……お嬢様が悪役なわけないじゃないですか! ましてや悪女などと!
「もういい、ベティ。こんな女と話をすればきみまで汚れる」
 お嬢様の身体が、ふらりとよろめきました。私は慌てて後ろから、その身体を支えます。もう限界なのです。お嬢様の心は傷つきすぎて、「公爵令嬢」の仮面すら、砕けてしまいそうになっているのです。
「お嬢様、今日はもう……」
「――なんの騒ぎだ?」
 唐突に聞こえてきた声に、ざわついていた場内が一気に静まり返りました。
 声のした方へ顔を向けると、プラチナブロンドの短い髪に、サファイアブルーの瞳を持ったそれは素敵な男性がいました。その美しさは目の前にいる殿下が霞んでしまうほど。
「クラウゼヴィッツ王!」
 焦った様子で殿下が、美しい男性に礼をします。隣りにいるローマン男爵令嬢は頬を赤くして見惚れていました。
「予定より早く到着してみれば、何やら面白い余興をしているようだが?」
 ちらりと視線を動かした、隣国の国王バルトロメウス・フォン・クラウゼヴィッツ様。お嬢様はすぐに体勢を立て直し、美しいカーテシーを披露しました。
「ほう……」
「ミュスティカァ国、バルトロメウス・フォン・クラウゼヴィッツ王にご挨拶申し上げます。バルツァー公爵家が長女、エルネスティーネ・バルツァーでございます」
「なるほど、バルツァー家のものか。道理で……ふむ、なるほどな……」
 陛下は口元に手を当てて、じろじろとお嬢様を眺めます。お嬢様は公爵令嬢の笑みを貼り付けて、気力で立っておりました。
「美しいが、そのドレスの色が合っておらぬな。――良い、余の色を纏うことを許す!」
「……え?」
「そこな女。お前はこの令嬢の侍女か?」
「は、はい! 間違いございません」
 急に話を振られた私は、めいっぱい慌てふためいて頭を下げました。
「よい。ドミニクよ、エルネスティーネ嬢にドレスを誂えるよう指示を出せ。サイズはその侍女に確認を取るのだ」
「かしこまりました、陛下」
 ドミニクと呼ばれた男性は、陛下の後ろにいた従者の方のようでした。
 一体何が置きているのか……混乱しているのは私だけではなく、お嬢様も同じでした。
「あ、あの、陛下……」
「あぁ良い、今日は一度家に帰るが良かろう。明日朝にはドレスを届ける。喜べ、余の瞳の色だ」
「クラウゼヴィッツ王! そのものは悪女です、ここにいるベティに対し酷いことを……」
 お嬢様には悪いですが、私はもうあの男を殴りたくて仕方がありません。その私の気持ちを察したのかどうかはわかりませんが、陛下はにたりと笑って私を一瞥し、それから王子殿下へ顔を向けました。
「ほう。酷いこととは?」
「王様ぁ。そのひと、あたしにクルト様と仲良くするなって言ったんですよぉ。クルト様は学園に馴染めないあたしに、優しくしてくれただけなのにぃ」
「ははは。異なことを。それの何が酷いことなのだ? 婚約者のあるものに必要以上に近づく行為は、余の国でも推奨されぬ」
 正論。至極まっとうな正論。……同じことをお嬢様も、訴えていたのですけど。
「そ、それに、マナーがなってないとか、そういうことも」
「だろうな。貴様の振る舞いは先程から非常に不愉快だ」
「陛下! ベティはまだ未熟ゆえ、仕方のないことなのです! それに今後は、僕の婚約者として相応しい教育を……」
 あぁやはり殿下は、ローマン男爵令嬢をお嬢様の後釜に据える気なのですね。
 お嬢様の今までの努力を何だと思っているのか。本格的な王妃教育こそまだでしたが、お嬢様はいずれ王妃になる可能性を考えて時間を費やしてきました。学園に通いながらの稽古や勉強は、お嬢様に自分の時間というものを与えませんでした。
 私は貴族令嬢ではないので、表情を繕うことは出来ません。きっと私の顔は今、鬼のようになっていることでしょう。
「その未熟なものを余との交流パーティーに連れてきたというのか。貴様、それでも国の王子か? 自らの欲を優先し、婚約者である令嬢を放ったらかしお気に入りの令嬢をエスコートするなど王子として、否男として愚かの極み。この国の未来を憂いてしまうわ」
 鼻で笑った陛下を、お嬢様は驚いた表情で見つめていました。
「正論を告げた婚約者を悪女扱い、あまつさえこのような場所で婚約破棄などと大きな声を上げるとは。貴様の意思であれそこな女の入れ知恵であれ、どちらにしろたちが悪い。わからないのか? お前たちが今、周囲からどのような目で見られているのか」
 陛下の言葉に、王子殿下と男爵令嬢は周囲を見渡した。冷ややかな眼差しはお嬢様にではなく、二人に注がれている。
 当然のことです。隣国との交流パーティー……自国よりも強大な力を持ったミュスティカァ国の王を前に、珍言動を繰り返しているのだから。
「貴様はバルツァー公爵家の娘を捨てたが、この令嬢がどれほど素晴らしいものかもわかっておらぬのだろうな」
「……冷たい女です。いつも澄ました顔をして、僕が何をしても、何を言っても変わらない。そんな女よりも感情豊かなベティの方が素晴らしい。国民も、ベティに親しみやすさを覚えるはずだ」
「いつも澄ました顔をして? 変わらない? 馬鹿め、それが王子と婚姻関係となった公爵令嬢であるとなぜわからぬ。王となる男の弱点になってはならないとしているのが、貴様には理解できぬのか」
 隣国が栄え、そして強大な力を有しているのを理解した。王子殿下とは器が違う。あまりにも、違いすぎる。
 自然と頭を下げたくなった。お嬢様を理解してくれてありがとうございます、と、全身全霊のお礼をしたかった。
「クラウゼヴィッツ王」
 お嬢様が一歩前へ出ます。もう扇子で口元を隠してはおらず、しっかりと穏やかな笑みを携えていました。
「ご覧の通りドレスが汚れてしまいましたので、本日はお言葉に甘えて退場させていただきます。また明日、ご挨拶にお伺いしますわ」
「よい。明日は余の贈ったドレスで来るが良い。エスコート役も用意しよう。婚約を破棄したとのことなのでな」
「何から何まで、お気遣い感謝いたします。カルラ、行きましょう」
「はい、お嬢様」
 陛下に頭を下げて、お嬢様と一緒に退場します。途中で先程のドミニク様に声をかけられ、お嬢様のドレスのサイズをお伝えしました。
 私はこれが、お嬢様の幸せのきっかけになるような気がしたのです。
 馬車の中でお嬢様は、不意にぽつりと言葉を漏らしました。
「……もう、いいかしら……」
「お嬢様?」
「……もう、……泣いても、いい……?」
 言いながらお嬢様は、ぽろぽろと涙を零し始めました。私はお嬢様の手を握って、深く頷きます。
「はい、いくらでも。カルラがお傍にいます。必要なら胸もお貸しします。お嬢様のよりは平たいですけど……」
「カルラったら」
 ふふ、と小さく笑って、お嬢様はまた泣き始めました。
 あの場所でずっと我慢していたんです。公爵令嬢として、泣くまいと、醜い姿は見せられないと。
 クラウゼヴィッツ王はそれをわかっていて、お嬢様に帰るように促したのだと思います。
 なんて素晴らしい方でしょうか。いや、王族なら誰もがわかっていることを、あの男……王子殿下が、わかっていなかっただけ。どうしてあのようになってしまったのでしょうか。昔はあそこまで酷いひとではなかったのに。 
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