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お兄様がお義姉様との婚約を破棄しようとしたのでぶっ飛ばそうとしたらそもそもお兄様はお義姉様にべた惚れでした。
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わたくしの名前はフェリシア・アディエルソン。
シェーナ国の第一王女ですわ。
今日は待ちに待ったソーリグ学園の卒業パーティ。……と言っても、わたくしが卒業するわけではないのですけれど。
自慢のホワイトゴールドの髪を緩やかに巻いて、派手すぎないドレスに、アクセサリーはシンプルでいて気品高く。
お義姉様のようになるまでの道のりは険しいけれど、少しでも近づきたくてつい真似してしまいますの。
――そう、今日はわたくしの自慢のお義姉様、エルヴィーラ・バリエンフォルム様の卒業パーティ。わたくしは王女という立場のため、貴賓としての参加。
わたくしは本当に、今日と言う日を待ちわびていました。お義姉様は卒業後、わたくしの兄であるクリストフェル・アディエルソンと正式に結婚。つまりそれは正式に、わたくしのお義姉様になると言うこと!
正直なところ、わたくしのお兄様は第一王位継承者でありながら大変、とても、とんでもなく頼りないのです。良い方に取れば穏和であるとか優しいだとか、平和主義であるとか言うのでしょうけど。実の妹に言わせてみれば優柔不断で流されやすい、情けなーい男です。
その点お義姉様であるエルヴィーラ様はまさに淑女の鑑と言った雰囲気で、その綺麗なお顔から冷たい印象こそ受けますけれど、その心はとても優しく、そして気高く。少々高慢に見える態度すら、思わず魅入ってしまうほどの印象。
だからまぁ、なんと言うか……ある意味、お兄様の伴侶としてぴったりなのです。
「お義姉様!」
すでにパーティ会場にいらしたお義姉様にお声掛けすると、お義姉様は美しい笑顔でわたくしに顔を向けてくださいました。
あぁ、なんて麗しい……もうすぐこの方と本当の意味で家族になれるなんて、わたくしはしあわせものですわ!
「ごきげんよう、フェリー。卒業するまでは王女殿下、とお呼びした方がよろしいかしら」
「そんな! お義姉様はわたくしのお義姉様ですもの、いつでもどこでも気安く呼んでくださいまし」
「ふふ。ありがとう、フェリー。今日のドレス、とても似合っているわ」
「お義姉様も素敵です!」
本当に、目眩がしそうなくらい!
緩く巻かれたシルバーゴールドの髪を美しく背中へ流し、身に纏うドレスはワインレッドのマーメイドライン。アクセサリーも下品な派手さはなく、けれどどれもが一級品であることが見てとれる。
きっとお兄様もこの姿を見て、言葉を失ったことでしょう。わかりましてよ、その気持ち。
「……そういえばお義姉様、お兄様はどちらへ? 一緒にいらしたのでしょう?」
そう尋ねるとお義姉様は、少しだけ瞳を揺らしました。
お義姉様がお兄様の婚約者であることは、国中の誰もが知っています。お兄様もこの学園の卒業生、当然お義姉様をエスコートして来られたはず。
わたくしが疑問符を浮かべていると、どなたかがパンパン、と大きく手を叩きました。音のした方へ顔を向ければ、そこにはお兄様ととんでもなく派手なピンク色のドレスを来たご令嬢、それから何名かのご令息。
何度かお見かけしたことのあるご令息方ですわね。
ビョルク伯爵家のアントン様、マットソン侯爵家のニコライ様、フェーホルム子爵家のパトリック様。どの方も見目麗しく、学園でも人気のある方々だとか。まぁ、わたくしのお義姉様には及ばないのですけれどね。それにしてもあの場違いなご令嬢はどなたなのかしら。若干、というかかなり、お兄様と位置が近くなくて?
それにあの方々、どうして壇上におられるのかしら。お兄様ならともかく、わたくしや公爵令嬢であるお義姉様に対して、頭が高くてよ。
お兄様が隣の下品なご令嬢に促されるようにして、口を開きました。
「エルヴィーラ・バリエンフォルム。きみは僕の婚約者でありながら、下位のものたちに貴族らしかならぬ行為を働いた――と、言われている」
「クリス様ぁ、言われているんじゃないです! あのひと、あたしにヒドイことをたくさんしたんですよぉ!」
見た目通り、……それ以上ですわね。間延びして鼻にかかった声、口許に握った両手を添えたわかりやすい「ぶりっ子」のポーズ……いえその前にこの女今、お兄様のこと愛称で呼びました? 王子であるお兄様を愛称で呼んでいいのはお義姉様だけですわ!
「そうですとも、王子殿下。エルヴィーラ嬢はこの愛らしいバーバラ・リンデル男爵令嬢にみっともなく嫉妬したのです」
愛らしい? 愛らしいと言いましたか、ニコライ様。ピンク色の髪を頭の高い位置で結び、まるで社交パーティに赴くかのような派手なまっピンクのドレスを纏ってくねくねしているこの方が、愛らしいと?
隣にいるお義姉様は、持っていらした扇子で口許を隠してらっしゃいます。そしてそれを一度閉じて、お兄様に向かって言いました。
「……王子殿下? お話が見えませんけれど」
「いや、あの……バーバラ嬢が……」
何か答えようとしたお兄様を制したのはパトリック様。眼鏡をくい、と上げて、冷たくお義姉様を見据えました。
「あなたがこれまでバーバラ嬢にした仕打ち、王子殿下にかわり僕が公表しましょう。まずはまず一つ目。王子殿下にご挨拶をしたバーバラ嬢に対しあなたは、『下賤なものが容易に近づくな』と仰いました。この学園において身分差は関係ございません。全ての人間が平等に過ごすこと、それがこの学園の理念です」
多分、ですけれど。お義姉様は「わきまえなさい」という意味合いの言葉を伝えたのではないでしょうか。すべての人間が平等に、とは言いますけれど、それでもやはり王族に対して無礼なふるまいをすることが許されているわけではありません。あの下品な……バーバラ言ったかしら。あのご令嬢がどうやってお兄様に近づいたのか、想像に容易いですもの。
「二つ目。あなたはお茶会に参加したいと……あなた方と仲良くしたいと願うバーバラ嬢の言葉を拒絶しました。そして彼女をつまはじきにして、孤立させた。彼女が何度も校舎の裏で泣いていたことなど、あなたは知らないだろう」
お義姉様はまた扇で口許をお隠しになられました。その瞳はずっとお兄様に向けられています。お兄様と言えば視線を動かし、なんとも落ち着かない様子。明らかにこの状況を望んでいない。
不意に後ろでこそこそと、話し声が聞こえてきました。
「……バーバラ嬢って誰かと思ったけど、前に一度エルヴィーラ様主催のお茶会に参加していたことがありましたわ」
「えぇ、酷く無作法で、それからお茶会の参加者に男性がいらっしゃらないことにずっと不満を漏らしていましたの」
「あ~、あの最悪な雰囲気になったお茶会ですわね。あのあとエルヴィーラ様がわざわざお手紙をくださったのよ。不快な思いをさせてしまって申し訳ございません、って」
「ご存じ? バーバラ嬢、あのあと『今度は男の人も呼んでやりましょ~? その方が絶対楽しいもん!』などと言っておりましたわ。一回のお茶会にかける労力がどんなものか、ご存じないのでしょうね……」
ご令嬢たちの声は、哀れみに満ちていました。
もちろん当のバーバラ嬢は、そんなことに気づいておりません。パトリック様が「エルヴィーラ様がバーバラ嬢にした仕打ち」を読み上げる度に嬉しそうに目を輝かせてますわ。
「三つ目はもっと酷い。あなたに話しかけようとしたバーバラ嬢を、あろうことか突き飛ばした。彼女はそれで怪我をして保健室に運ばれたのだ」
お義姉様がそんなことをするはずありませんわ!
……けれどお義姉様は黙ったまま、ひとつの反論もしないでいる。
「あなたの悪行はこれだけではない。あなたは僕やニコライ、アントンの婚約者たちも仲間にしてバーバラ嬢を苛めた。ノートを破ったり制服を切り裂いたりと……僕らが彼女に惹かれているのを知ってのことだろう。全く、卑しいひとだ」
ふぅ、とお義姉様が息をつきます。お兄様に注いでいた視線をぎろりとパトリック様へ向けて言いました。
「何が仰りたいのです?」
その言葉を待ってましたとばかりに、バーバラ嬢がお兄様の腕に手を絡め、ハレンチなほど身体を寄り添わせました。
何を。何をさせているのですお兄様。
「だからぁ~! クリス様にパトリック様、ニコライ様とアントン様、み~んな『婚約破棄』するって言ってるのぉ~!」
「……は?」
あらいけない、思わず声が漏れましたわ。心底の「は?」が漏れてしまいました。
お兄様と言えばえっ、と言う焦った顔で、バーバラ嬢の腕を離そうとしている。だけれどバーバラ嬢がしっかりとしがみついているため中々振りほどけないらしい。何を躊躇していますのお兄様! 今の言葉はすぐに撤回すべきでしょう!
じたばたとしているだけのお兄様に、わたくしの我慢の限界が来ました。勢い良く挙手をして、お兄様含む「アホども」を睨み付けます。
「よろしいでしょうか!」
お兄様が初めてわたくしの方を見ました。なんですのその「いたのか」って反応は! ずっとお義姉様のそばにおりましてよっ!
「お兄様はもちろん、パトリック様ニコライ様、アントン様もご婚約は家の決定であったことと存じます。此度のこと、ご両親はご存じなのでしょうか」
「まだ伝えていないが……バーバラ嬢の愛らしさをみれば、両親もすぐに納得してくれることだろう」
本気で言ってるんですの? していること仰っていること、全て幼稚ではありません?
バカ丸出しというか。アホ全開というか。
いやだわたくしったら、怒りのあまりよろしくないお言葉ばかりが出てきてしまいますわ。
「……婚約破棄のことは一度おいておきますわ。それで、どなたが? 四人のうちのどなたが、バーバラ嬢とご婚約なさるの?」
瞬間、お兄様を除く三人が一斉に顔を見合わせました。
「ご承知の通り、我が国は一夫一妻制。わたくしのお父様お母様はそれはもう仲睦まじく、お母様が輿入れする際にお父様自身が側室制度を廃止されました。もちろんハーレムなどもっての他。わかっておりますわよね?」
三人の顔に戸惑いが浮かびます。……何を考えてらっしゃるのかしら、本当に。
「どなたか一人、バーバラ嬢とご婚約なさるのならそれでいいでしょう。ですが残りの方は? 婚約者がありながら他の女性に目移りするような男性との婚約を、今後どなたかが望んでくれますの?」
「もう~! あんたうるさ~い! いいのよあたしたちは、五人で別の国に行ってみんなで幸せに暮らすんだからっ!」
不敬。不敬ですわ。五人って、お兄様のことも含めてますわね?
「フェリー。私も発言して構わないかしら」
「!」
それまで黙っていたお義姉様が漏らした声は、とても静かでした。けれどその声ひとつでその場が静かになり、わたくしはこくこくと何度も頷きます。
「王子殿下。今パトリック様が仰ったこと、あなたは信じておりますの?」
「え、」
「私がそちらの方をいじめたと、そう思っていらっしゃるの?」
「そ、れは……パトリックたちも、そう言って……」
「私はあなたの意見を聞いているのです、王子殿下」
びく、と、お兄様の身体が震えました。お義姉様の声は静かでしたが、明らかな憤りを感じました。
お兄様、早く否定してくださいまし! 婚約破棄なんて、冗談じゃありませんわ!
少しの間を持って、お義姉様はまたひとつため息を溢しました。伏せた目は悲しそうに見えて、わたくしは思わず息を飲みます。
「……国王陛下から、私に隣国から婚約の打診があったと伺いました」
「――えっ?」
「王子殿下の婚約者であるからとお断りする予定でしたが……その必要はなくなりましたわね。どうぞ、国王陛下に婚約破棄の旨ご相談なさって。決して短くはない時間でしたが、王子殿下と過ごした日々はとても有意義でございました」
そう言うとお義姉様は、うっとりするほど綺麗なカーテシーを決めてその場を去ろうとしました。
「ま……待って、エル!」
そこでようやくお兄様は、力任せにバーバラ嬢を引き剥がしました。ぎゃっというはしたない声が聞こえましたが、それどころではありません。
お兄様が走ってお義姉様を追いかけます。けれどお義姉様は振り返りもしませんでした。
「ごめん、待ってエル、お願いだ、エルっ……違うんだ、婚約破棄なんてするつもりなくて、僕は……!」
「彼女への仕打ちを信じているのでしょう? よほど彼女を想っていますのね、愛称まで呼ばせて」
「あれは彼女が勝手に! 僕は何度も注意したんだ、でも直してくれなくて……パトリックたちにも諌められるし、……エル!」
お兄様がやっと、お義姉様の手を掴みました。
「お、お願いだ、エル、謝る、謝るから、……ぼ、僕を、……僕を捨てないで、エル……」
この世の終わりのような顔をして、お兄様は泣いていました。人目も憚らず、泣き顔を隠しもせず何度もしゃくり上げて。お義姉様はしばらく立ち止まったままでした。ゆっくりと振り返り、お兄様と向き合います。
お兄様、酷い顔。鼻水も出てらして、まるで子どものようですわ。
「最初に私を捨てようとしたのは王子殿下では?」
「え、エルを捨てるだなんて! 僕は、ただ……他の女性といたら、きみが……嫉妬してくれるかもしれないって、思って……僕はきみのことが愛しくて仕方ない、大好きで大好きで堪らないけど、エルはいつも涼しい顔をしているから……でもっ、こんなことするべきじゃなかった! 記念すべきこの日にありもしない罪できみを告発するなんて、絶対止めるべきだった……! ごめん、エル、……ごめん……婚約破棄、なんて、しないで……!」
お義姉様の、何度目かのため息。
ぐしゅぐしゅとみっともなく泣いているお兄様の頭を、お義姉様の手が優しく撫でました。
「王子殿下ともあろう方が、すぐに泣いてはいけないと言ったはずよ?」
「え、えるぅ……」
「今回のことは必ずお父上にご報告なさい。きっとお叱りを受けるでしょうから、しっかり反省なさって」
「うん、っ……うん、」
「そのあとにもう一度、私に謝りにいらして。……あのときと同じように、たくさんの薔薇を持って」
「……エル……!」
「えぇ、クリス。そうしたら許して差し上げます」
――あぁ、やっぱり。
お義姉様はどこまでも優しくて、寛大で……素晴らしい方だわ。未来の国母は、お義姉さま以外にあり得ない。
だけどそのお義姉様を嫉妬させたいがために傷つけたお兄様のことは許しません。お義姉様が許してもわたくしが許しません。
「お・にい・さま?」
「うわっ! フェリー、いたの!?」
「ずぅっっっといましたわよ、このすかぽんたんっ! この祝いの場で! 何を考えてますの!」
ばしばしと何度もお兄様を叩いてやります。本当はグーでいきたいところですけれど、お義姉様の手前遠慮してますわ!
「ごめん、ごめんって! ほんとに悪かったと思ってる!」
「当たり前ですわっ! お兄様のせいでお義姉様がお義姉様でなくなったらどうしてくれますの! 極刑ですわ!」
「ふふ。落ち着いて、フェリー。王子殿下、それよりも……」
お義姉様がお兄様を見て目配せをする。するとお兄様はすぐに広間へ向き直り、卒業生たちに深く頭を下げた。
「みんな、申し訳ない。祝いの席で僕は、とんでもないことをしでかしてしまった。これよりすぐに僕は陛下のもとへ向かうが、どうかみんなは残りの時間、楽しんでほしい。卒業おめでとう。きみたちと共に過ごした時間は、一生の宝だ」
目は泣きはらしたままでしたけど、お兄様は穏やかな笑顔を浮かべてもう一度頭を下げました。王族がやたらと頭を下げるものではないですけれど、ここは学校ですものね。傍観していた生徒たちも表情を緩ませ、お兄様とお義姉様に向かって拍手を贈っている。
「ちょっとぉ! なに丸く収まったみたいな雰囲気にしてるのよぉ!」
和やかになりつつあった空気をぶち壊したのは、言わずもがなバーバラ嬢。パトリック様含め、三人の殿方たちは顔を見合わせて戸惑った表情を浮かべている。こんなはずじゃなかった、とでも思っていらっしゃるのでしょう。
「クリス様ぁ! あたし本当にエルヴィーラ様にいじめられてぇ!」
「ねぇ、何度も言ってるんだけど、愛称で呼ぶの止めてもらえる? それはエルだけが呼んで良いものなんだ。……それに、あの。僕は自分の欲に負けて彼らの言葉に流されエルを疑ってしまったけど……よく考えたらエルが誰かをいじめるような真似はしないって、僕が一番知ってる」
お兄様は普段ヘタレで優柔不断で情けないですけれど、開き直ったら強い。それは昔からだと、お義姉様が言っていました。迷う時間が長いだけで、信念はしっかり持っているのだと。
「……あぁ、そうでしたわ。パトリック様にニコライ様、アントン様。あなた方の婚約者であるベアトリス様、カロリーナ様、ヒルダ様。お三方はあなた方のエスコートがないと知って酷くショックを受けておられました。彼女たちには私が責任を持って、彼女たちに相応しい素敵なお相手をご紹介しますので、どうぞ心配なさらずお帰りください。きっとその頃には彼女たちのご両親から、婚約破棄の申し入れが届いていることでしょう」
お義姉様ってば、もう先に手は打ってありましたのね。流石ですわ!
「それから、バーバラ・リンデル男爵令嬢。あなたの自作自演はしっかり見られていましてよ」
「えぇ~? 絶対見られるはずないもん、ノート破くのとか制服を切るのは自分の部屋でやったしぃ!」
パトリック様たちが「えっ」という顔をしてますけれど、わたくしたちの方が「えっ」ですわよ。人を見かけで判断すのはよろしくありませんが、彼女の場合は言動にも相当の問題がありますわ。ぶりっ子は抜きにしても、相当……ですわね。
「王子殿下、彼女たちのことは教師たちにお任せしましょう。どのタイミングで入り込むか迷っているようですし」
「あぁそうだな。彼女話が通じなくて、僕じゃ手に負えないんだ」
お兄様が手を上げると、それまでやきもきしていた教師の何人かが慌ててやってきた。どうやら彼らも、彼女……この場合は「彼女たち」、なのかしら――に、手を焼いていたようで。大勢の目撃者に、パトリック様たちに関しては婚約者による証言。やっと何らかの罰が与えられる、と教師の一人が心底ほっとした様子で呟いておりました。バーバラ嬢は最後まで何か喚いておりましたけど、もう誰も彼女の言葉を真に受けることはないでしょう。
突然の断罪未遂事件から、広間はようやくお祝いムードを取り戻して。音楽も流れ始め、ダンスを踊る方々もちらほら見えました。お兄様は深く息を吐いて、わたくしに言いました。
「それじゃあ、先に父上に会ってくる。フェリーは楽しんでいってくれ」
「えぇ、そうさせていただくわ。お義姉様は」
「私もクリス様と一緒に行くわ。フェリー、今度またゆっくりお茶でもしましょう」
「はい! お義姉様!」
お前、僕のときよりいい返事じゃないか……とお兄様が呟いてらしたけど、当たり前ですわ。お兄様はお兄様ですけれど、お義姉様は憧れの方なのですから!
お二人はそのまま寄り添って、広間を出て行かれました。お兄様にエスコートされているお義姉様はとても嬉しそうで、とても綺麗でした。
以前お義姉様に、お兄様のどこが良いのか聞いたことがあります。だって、妹から見てとても素敵な殿方、とは言えないんですもの。
そうしたらお義姉様は懐かしむように遠くを見て、仰いました。
『私は外見がこうだから、昔から勘違いされやすくて。子どもの頃はとくに、同い年の子たちに嫌われていたわ。あるときの子息令嬢の集まりで、私はやっぱり一人だった。周りが楽しそうに話す声を聞いて、悲しくて寂しくて……泣いてしまいそうだった。そんなときにクリス様が私に声をかけてくださったの。両手に持てるだけの薔薇の花束を持って、顔を赤くして……あなたがとてもきれいだから、花を贈りたくなった、なんて言うの。とても嬉しかった。嬉しくて泣きながら笑ってしまったわ。そのときからずっとクリス様は、私の特別なの。たったそれだけ、と思うでしょう? でもね、そんな些細なことが一生の宝物になるのよ』
わたくしにもいつか、お義姉様にとってのお兄様のような存在が出来るのかしら。どんな姿を見ても愛おしいと思える相手に、出会えるのかしら……。
「あの、……レディ」
「はい?」
声をかけられて振り向くと、そこには猫背だけれどはっきりと背が高いことがわかる殿方が立っていました。黒髪でそのお顔は、いわゆる強面、というのでしょうか。ちょっと目つきが悪く、睨まれたら怯んでしまいそうな雰囲気でした。
「初めまして、レディ……フェリシア王女殿下。私はマクシミリアン・カールグレーンと申します」
「カールグレーン……あぁ、辺境伯の! お父様がいつもお世話になっております」
「あぁ、いえ、そんな」
「この場所にいるということは、マクシミリアン様も卒業生なのですわね。おめでとうございます!」
マクシミリアン様は恥ずかしそうに頬を染めて、ありがとうございます、と小さな声で呟いた。大きな体をしているわりに、態度はとても控えめですのね。
「その、……王女殿下。不躾なお願いなのですが……私と一曲、踊ってくださいませんか?」
「――わたくしと?」
はい、と漏らす返事はやっぱりとても小さくて。マクシミリアン様はいっぱい汗をかきながら、わたくしを見つめていました。
「先程の、一件。兄上のために前に出たあなたの姿に見惚れました。とても強く、美しいひとだと」
「……ええと、人違いではなくって? 強く美しいと言えばおね……エルヴィーラ様ですもの」
彼は一度目を丸くして、それから目尻を下げて笑いました。確かに、と小さく漏らして、それからまた小さな声で「でも」と続けます。
「あの方も確かに美しいひとです。ですが私は、フェリシア王女殿下に惹かれました」
――あ。
あらあら。まぁまぁ。どうしましょう、どうしましょう。こんなこと初めてですわ。そういえばどこのパーティでもお義姉様にくっついてばかりで、未来の旦那様になるような殿方を意識したことがありませんでした。……まぁ、お義姉様より素敵な殿方がいるとは思ってないのですけれど。
マクシミリアン様は手のひらをマントでごしごしと拭って、「どうか、」と手を差し出しました。
ほんの、些細なこと。毎日どこかで、必ず誰かの身に起こっているような、そんなとても些細な。
お義姉様、わたくし。
宝物を見つけたかもしれません。
シェーナ国の第一王女ですわ。
今日は待ちに待ったソーリグ学園の卒業パーティ。……と言っても、わたくしが卒業するわけではないのですけれど。
自慢のホワイトゴールドの髪を緩やかに巻いて、派手すぎないドレスに、アクセサリーはシンプルでいて気品高く。
お義姉様のようになるまでの道のりは険しいけれど、少しでも近づきたくてつい真似してしまいますの。
――そう、今日はわたくしの自慢のお義姉様、エルヴィーラ・バリエンフォルム様の卒業パーティ。わたくしは王女という立場のため、貴賓としての参加。
わたくしは本当に、今日と言う日を待ちわびていました。お義姉様は卒業後、わたくしの兄であるクリストフェル・アディエルソンと正式に結婚。つまりそれは正式に、わたくしのお義姉様になると言うこと!
正直なところ、わたくしのお兄様は第一王位継承者でありながら大変、とても、とんでもなく頼りないのです。良い方に取れば穏和であるとか優しいだとか、平和主義であるとか言うのでしょうけど。実の妹に言わせてみれば優柔不断で流されやすい、情けなーい男です。
その点お義姉様であるエルヴィーラ様はまさに淑女の鑑と言った雰囲気で、その綺麗なお顔から冷たい印象こそ受けますけれど、その心はとても優しく、そして気高く。少々高慢に見える態度すら、思わず魅入ってしまうほどの印象。
だからまぁ、なんと言うか……ある意味、お兄様の伴侶としてぴったりなのです。
「お義姉様!」
すでにパーティ会場にいらしたお義姉様にお声掛けすると、お義姉様は美しい笑顔でわたくしに顔を向けてくださいました。
あぁ、なんて麗しい……もうすぐこの方と本当の意味で家族になれるなんて、わたくしはしあわせものですわ!
「ごきげんよう、フェリー。卒業するまでは王女殿下、とお呼びした方がよろしいかしら」
「そんな! お義姉様はわたくしのお義姉様ですもの、いつでもどこでも気安く呼んでくださいまし」
「ふふ。ありがとう、フェリー。今日のドレス、とても似合っているわ」
「お義姉様も素敵です!」
本当に、目眩がしそうなくらい!
緩く巻かれたシルバーゴールドの髪を美しく背中へ流し、身に纏うドレスはワインレッドのマーメイドライン。アクセサリーも下品な派手さはなく、けれどどれもが一級品であることが見てとれる。
きっとお兄様もこの姿を見て、言葉を失ったことでしょう。わかりましてよ、その気持ち。
「……そういえばお義姉様、お兄様はどちらへ? 一緒にいらしたのでしょう?」
そう尋ねるとお義姉様は、少しだけ瞳を揺らしました。
お義姉様がお兄様の婚約者であることは、国中の誰もが知っています。お兄様もこの学園の卒業生、当然お義姉様をエスコートして来られたはず。
わたくしが疑問符を浮かべていると、どなたかがパンパン、と大きく手を叩きました。音のした方へ顔を向ければ、そこにはお兄様ととんでもなく派手なピンク色のドレスを来たご令嬢、それから何名かのご令息。
何度かお見かけしたことのあるご令息方ですわね。
ビョルク伯爵家のアントン様、マットソン侯爵家のニコライ様、フェーホルム子爵家のパトリック様。どの方も見目麗しく、学園でも人気のある方々だとか。まぁ、わたくしのお義姉様には及ばないのですけれどね。それにしてもあの場違いなご令嬢はどなたなのかしら。若干、というかかなり、お兄様と位置が近くなくて?
それにあの方々、どうして壇上におられるのかしら。お兄様ならともかく、わたくしや公爵令嬢であるお義姉様に対して、頭が高くてよ。
お兄様が隣の下品なご令嬢に促されるようにして、口を開きました。
「エルヴィーラ・バリエンフォルム。きみは僕の婚約者でありながら、下位のものたちに貴族らしかならぬ行為を働いた――と、言われている」
「クリス様ぁ、言われているんじゃないです! あのひと、あたしにヒドイことをたくさんしたんですよぉ!」
見た目通り、……それ以上ですわね。間延びして鼻にかかった声、口許に握った両手を添えたわかりやすい「ぶりっ子」のポーズ……いえその前にこの女今、お兄様のこと愛称で呼びました? 王子であるお兄様を愛称で呼んでいいのはお義姉様だけですわ!
「そうですとも、王子殿下。エルヴィーラ嬢はこの愛らしいバーバラ・リンデル男爵令嬢にみっともなく嫉妬したのです」
愛らしい? 愛らしいと言いましたか、ニコライ様。ピンク色の髪を頭の高い位置で結び、まるで社交パーティに赴くかのような派手なまっピンクのドレスを纏ってくねくねしているこの方が、愛らしいと?
隣にいるお義姉様は、持っていらした扇子で口許を隠してらっしゃいます。そしてそれを一度閉じて、お兄様に向かって言いました。
「……王子殿下? お話が見えませんけれど」
「いや、あの……バーバラ嬢が……」
何か答えようとしたお兄様を制したのはパトリック様。眼鏡をくい、と上げて、冷たくお義姉様を見据えました。
「あなたがこれまでバーバラ嬢にした仕打ち、王子殿下にかわり僕が公表しましょう。まずはまず一つ目。王子殿下にご挨拶をしたバーバラ嬢に対しあなたは、『下賤なものが容易に近づくな』と仰いました。この学園において身分差は関係ございません。全ての人間が平等に過ごすこと、それがこの学園の理念です」
多分、ですけれど。お義姉様は「わきまえなさい」という意味合いの言葉を伝えたのではないでしょうか。すべての人間が平等に、とは言いますけれど、それでもやはり王族に対して無礼なふるまいをすることが許されているわけではありません。あの下品な……バーバラ言ったかしら。あのご令嬢がどうやってお兄様に近づいたのか、想像に容易いですもの。
「二つ目。あなたはお茶会に参加したいと……あなた方と仲良くしたいと願うバーバラ嬢の言葉を拒絶しました。そして彼女をつまはじきにして、孤立させた。彼女が何度も校舎の裏で泣いていたことなど、あなたは知らないだろう」
お義姉様はまた扇で口許をお隠しになられました。その瞳はずっとお兄様に向けられています。お兄様と言えば視線を動かし、なんとも落ち着かない様子。明らかにこの状況を望んでいない。
不意に後ろでこそこそと、話し声が聞こえてきました。
「……バーバラ嬢って誰かと思ったけど、前に一度エルヴィーラ様主催のお茶会に参加していたことがありましたわ」
「えぇ、酷く無作法で、それからお茶会の参加者に男性がいらっしゃらないことにずっと不満を漏らしていましたの」
「あ~、あの最悪な雰囲気になったお茶会ですわね。あのあとエルヴィーラ様がわざわざお手紙をくださったのよ。不快な思いをさせてしまって申し訳ございません、って」
「ご存じ? バーバラ嬢、あのあと『今度は男の人も呼んでやりましょ~? その方が絶対楽しいもん!』などと言っておりましたわ。一回のお茶会にかける労力がどんなものか、ご存じないのでしょうね……」
ご令嬢たちの声は、哀れみに満ちていました。
もちろん当のバーバラ嬢は、そんなことに気づいておりません。パトリック様が「エルヴィーラ様がバーバラ嬢にした仕打ち」を読み上げる度に嬉しそうに目を輝かせてますわ。
「三つ目はもっと酷い。あなたに話しかけようとしたバーバラ嬢を、あろうことか突き飛ばした。彼女はそれで怪我をして保健室に運ばれたのだ」
お義姉様がそんなことをするはずありませんわ!
……けれどお義姉様は黙ったまま、ひとつの反論もしないでいる。
「あなたの悪行はこれだけではない。あなたは僕やニコライ、アントンの婚約者たちも仲間にしてバーバラ嬢を苛めた。ノートを破ったり制服を切り裂いたりと……僕らが彼女に惹かれているのを知ってのことだろう。全く、卑しいひとだ」
ふぅ、とお義姉様が息をつきます。お兄様に注いでいた視線をぎろりとパトリック様へ向けて言いました。
「何が仰りたいのです?」
その言葉を待ってましたとばかりに、バーバラ嬢がお兄様の腕に手を絡め、ハレンチなほど身体を寄り添わせました。
何を。何をさせているのですお兄様。
「だからぁ~! クリス様にパトリック様、ニコライ様とアントン様、み~んな『婚約破棄』するって言ってるのぉ~!」
「……は?」
あらいけない、思わず声が漏れましたわ。心底の「は?」が漏れてしまいました。
お兄様と言えばえっ、と言う焦った顔で、バーバラ嬢の腕を離そうとしている。だけれどバーバラ嬢がしっかりとしがみついているため中々振りほどけないらしい。何を躊躇していますのお兄様! 今の言葉はすぐに撤回すべきでしょう!
じたばたとしているだけのお兄様に、わたくしの我慢の限界が来ました。勢い良く挙手をして、お兄様含む「アホども」を睨み付けます。
「よろしいでしょうか!」
お兄様が初めてわたくしの方を見ました。なんですのその「いたのか」って反応は! ずっとお義姉様のそばにおりましてよっ!
「お兄様はもちろん、パトリック様ニコライ様、アントン様もご婚約は家の決定であったことと存じます。此度のこと、ご両親はご存じなのでしょうか」
「まだ伝えていないが……バーバラ嬢の愛らしさをみれば、両親もすぐに納得してくれることだろう」
本気で言ってるんですの? していること仰っていること、全て幼稚ではありません?
バカ丸出しというか。アホ全開というか。
いやだわたくしったら、怒りのあまりよろしくないお言葉ばかりが出てきてしまいますわ。
「……婚約破棄のことは一度おいておきますわ。それで、どなたが? 四人のうちのどなたが、バーバラ嬢とご婚約なさるの?」
瞬間、お兄様を除く三人が一斉に顔を見合わせました。
「ご承知の通り、我が国は一夫一妻制。わたくしのお父様お母様はそれはもう仲睦まじく、お母様が輿入れする際にお父様自身が側室制度を廃止されました。もちろんハーレムなどもっての他。わかっておりますわよね?」
三人の顔に戸惑いが浮かびます。……何を考えてらっしゃるのかしら、本当に。
「どなたか一人、バーバラ嬢とご婚約なさるのならそれでいいでしょう。ですが残りの方は? 婚約者がありながら他の女性に目移りするような男性との婚約を、今後どなたかが望んでくれますの?」
「もう~! あんたうるさ~い! いいのよあたしたちは、五人で別の国に行ってみんなで幸せに暮らすんだからっ!」
不敬。不敬ですわ。五人って、お兄様のことも含めてますわね?
「フェリー。私も発言して構わないかしら」
「!」
それまで黙っていたお義姉様が漏らした声は、とても静かでした。けれどその声ひとつでその場が静かになり、わたくしはこくこくと何度も頷きます。
「王子殿下。今パトリック様が仰ったこと、あなたは信じておりますの?」
「え、」
「私がそちらの方をいじめたと、そう思っていらっしゃるの?」
「そ、れは……パトリックたちも、そう言って……」
「私はあなたの意見を聞いているのです、王子殿下」
びく、と、お兄様の身体が震えました。お義姉様の声は静かでしたが、明らかな憤りを感じました。
お兄様、早く否定してくださいまし! 婚約破棄なんて、冗談じゃありませんわ!
少しの間を持って、お義姉様はまたひとつため息を溢しました。伏せた目は悲しそうに見えて、わたくしは思わず息を飲みます。
「……国王陛下から、私に隣国から婚約の打診があったと伺いました」
「――えっ?」
「王子殿下の婚約者であるからとお断りする予定でしたが……その必要はなくなりましたわね。どうぞ、国王陛下に婚約破棄の旨ご相談なさって。決して短くはない時間でしたが、王子殿下と過ごした日々はとても有意義でございました」
そう言うとお義姉様は、うっとりするほど綺麗なカーテシーを決めてその場を去ろうとしました。
「ま……待って、エル!」
そこでようやくお兄様は、力任せにバーバラ嬢を引き剥がしました。ぎゃっというはしたない声が聞こえましたが、それどころではありません。
お兄様が走ってお義姉様を追いかけます。けれどお義姉様は振り返りもしませんでした。
「ごめん、待ってエル、お願いだ、エルっ……違うんだ、婚約破棄なんてするつもりなくて、僕は……!」
「彼女への仕打ちを信じているのでしょう? よほど彼女を想っていますのね、愛称まで呼ばせて」
「あれは彼女が勝手に! 僕は何度も注意したんだ、でも直してくれなくて……パトリックたちにも諌められるし、……エル!」
お兄様がやっと、お義姉様の手を掴みました。
「お、お願いだ、エル、謝る、謝るから、……ぼ、僕を、……僕を捨てないで、エル……」
この世の終わりのような顔をして、お兄様は泣いていました。人目も憚らず、泣き顔を隠しもせず何度もしゃくり上げて。お義姉様はしばらく立ち止まったままでした。ゆっくりと振り返り、お兄様と向き合います。
お兄様、酷い顔。鼻水も出てらして、まるで子どものようですわ。
「最初に私を捨てようとしたのは王子殿下では?」
「え、エルを捨てるだなんて! 僕は、ただ……他の女性といたら、きみが……嫉妬してくれるかもしれないって、思って……僕はきみのことが愛しくて仕方ない、大好きで大好きで堪らないけど、エルはいつも涼しい顔をしているから……でもっ、こんなことするべきじゃなかった! 記念すべきこの日にありもしない罪できみを告発するなんて、絶対止めるべきだった……! ごめん、エル、……ごめん……婚約破棄、なんて、しないで……!」
お義姉様の、何度目かのため息。
ぐしゅぐしゅとみっともなく泣いているお兄様の頭を、お義姉様の手が優しく撫でました。
「王子殿下ともあろう方が、すぐに泣いてはいけないと言ったはずよ?」
「え、えるぅ……」
「今回のことは必ずお父上にご報告なさい。きっとお叱りを受けるでしょうから、しっかり反省なさって」
「うん、っ……うん、」
「そのあとにもう一度、私に謝りにいらして。……あのときと同じように、たくさんの薔薇を持って」
「……エル……!」
「えぇ、クリス。そうしたら許して差し上げます」
――あぁ、やっぱり。
お義姉様はどこまでも優しくて、寛大で……素晴らしい方だわ。未来の国母は、お義姉さま以外にあり得ない。
だけどそのお義姉様を嫉妬させたいがために傷つけたお兄様のことは許しません。お義姉様が許してもわたくしが許しません。
「お・にい・さま?」
「うわっ! フェリー、いたの!?」
「ずぅっっっといましたわよ、このすかぽんたんっ! この祝いの場で! 何を考えてますの!」
ばしばしと何度もお兄様を叩いてやります。本当はグーでいきたいところですけれど、お義姉様の手前遠慮してますわ!
「ごめん、ごめんって! ほんとに悪かったと思ってる!」
「当たり前ですわっ! お兄様のせいでお義姉様がお義姉様でなくなったらどうしてくれますの! 極刑ですわ!」
「ふふ。落ち着いて、フェリー。王子殿下、それよりも……」
お義姉様がお兄様を見て目配せをする。するとお兄様はすぐに広間へ向き直り、卒業生たちに深く頭を下げた。
「みんな、申し訳ない。祝いの席で僕は、とんでもないことをしでかしてしまった。これよりすぐに僕は陛下のもとへ向かうが、どうかみんなは残りの時間、楽しんでほしい。卒業おめでとう。きみたちと共に過ごした時間は、一生の宝だ」
目は泣きはらしたままでしたけど、お兄様は穏やかな笑顔を浮かべてもう一度頭を下げました。王族がやたらと頭を下げるものではないですけれど、ここは学校ですものね。傍観していた生徒たちも表情を緩ませ、お兄様とお義姉様に向かって拍手を贈っている。
「ちょっとぉ! なに丸く収まったみたいな雰囲気にしてるのよぉ!」
和やかになりつつあった空気をぶち壊したのは、言わずもがなバーバラ嬢。パトリック様含め、三人の殿方たちは顔を見合わせて戸惑った表情を浮かべている。こんなはずじゃなかった、とでも思っていらっしゃるのでしょう。
「クリス様ぁ! あたし本当にエルヴィーラ様にいじめられてぇ!」
「ねぇ、何度も言ってるんだけど、愛称で呼ぶの止めてもらえる? それはエルだけが呼んで良いものなんだ。……それに、あの。僕は自分の欲に負けて彼らの言葉に流されエルを疑ってしまったけど……よく考えたらエルが誰かをいじめるような真似はしないって、僕が一番知ってる」
お兄様は普段ヘタレで優柔不断で情けないですけれど、開き直ったら強い。それは昔からだと、お義姉様が言っていました。迷う時間が長いだけで、信念はしっかり持っているのだと。
「……あぁ、そうでしたわ。パトリック様にニコライ様、アントン様。あなた方の婚約者であるベアトリス様、カロリーナ様、ヒルダ様。お三方はあなた方のエスコートがないと知って酷くショックを受けておられました。彼女たちには私が責任を持って、彼女たちに相応しい素敵なお相手をご紹介しますので、どうぞ心配なさらずお帰りください。きっとその頃には彼女たちのご両親から、婚約破棄の申し入れが届いていることでしょう」
お義姉様ってば、もう先に手は打ってありましたのね。流石ですわ!
「それから、バーバラ・リンデル男爵令嬢。あなたの自作自演はしっかり見られていましてよ」
「えぇ~? 絶対見られるはずないもん、ノート破くのとか制服を切るのは自分の部屋でやったしぃ!」
パトリック様たちが「えっ」という顔をしてますけれど、わたくしたちの方が「えっ」ですわよ。人を見かけで判断すのはよろしくありませんが、彼女の場合は言動にも相当の問題がありますわ。ぶりっ子は抜きにしても、相当……ですわね。
「王子殿下、彼女たちのことは教師たちにお任せしましょう。どのタイミングで入り込むか迷っているようですし」
「あぁそうだな。彼女話が通じなくて、僕じゃ手に負えないんだ」
お兄様が手を上げると、それまでやきもきしていた教師の何人かが慌ててやってきた。どうやら彼らも、彼女……この場合は「彼女たち」、なのかしら――に、手を焼いていたようで。大勢の目撃者に、パトリック様たちに関しては婚約者による証言。やっと何らかの罰が与えられる、と教師の一人が心底ほっとした様子で呟いておりました。バーバラ嬢は最後まで何か喚いておりましたけど、もう誰も彼女の言葉を真に受けることはないでしょう。
突然の断罪未遂事件から、広間はようやくお祝いムードを取り戻して。音楽も流れ始め、ダンスを踊る方々もちらほら見えました。お兄様は深く息を吐いて、わたくしに言いました。
「それじゃあ、先に父上に会ってくる。フェリーは楽しんでいってくれ」
「えぇ、そうさせていただくわ。お義姉様は」
「私もクリス様と一緒に行くわ。フェリー、今度またゆっくりお茶でもしましょう」
「はい! お義姉様!」
お前、僕のときよりいい返事じゃないか……とお兄様が呟いてらしたけど、当たり前ですわ。お兄様はお兄様ですけれど、お義姉様は憧れの方なのですから!
お二人はそのまま寄り添って、広間を出て行かれました。お兄様にエスコートされているお義姉様はとても嬉しそうで、とても綺麗でした。
以前お義姉様に、お兄様のどこが良いのか聞いたことがあります。だって、妹から見てとても素敵な殿方、とは言えないんですもの。
そうしたらお義姉様は懐かしむように遠くを見て、仰いました。
『私は外見がこうだから、昔から勘違いされやすくて。子どもの頃はとくに、同い年の子たちに嫌われていたわ。あるときの子息令嬢の集まりで、私はやっぱり一人だった。周りが楽しそうに話す声を聞いて、悲しくて寂しくて……泣いてしまいそうだった。そんなときにクリス様が私に声をかけてくださったの。両手に持てるだけの薔薇の花束を持って、顔を赤くして……あなたがとてもきれいだから、花を贈りたくなった、なんて言うの。とても嬉しかった。嬉しくて泣きながら笑ってしまったわ。そのときからずっとクリス様は、私の特別なの。たったそれだけ、と思うでしょう? でもね、そんな些細なことが一生の宝物になるのよ』
わたくしにもいつか、お義姉様にとってのお兄様のような存在が出来るのかしら。どんな姿を見ても愛おしいと思える相手に、出会えるのかしら……。
「あの、……レディ」
「はい?」
声をかけられて振り向くと、そこには猫背だけれどはっきりと背が高いことがわかる殿方が立っていました。黒髪でそのお顔は、いわゆる強面、というのでしょうか。ちょっと目つきが悪く、睨まれたら怯んでしまいそうな雰囲気でした。
「初めまして、レディ……フェリシア王女殿下。私はマクシミリアン・カールグレーンと申します」
「カールグレーン……あぁ、辺境伯の! お父様がいつもお世話になっております」
「あぁ、いえ、そんな」
「この場所にいるということは、マクシミリアン様も卒業生なのですわね。おめでとうございます!」
マクシミリアン様は恥ずかしそうに頬を染めて、ありがとうございます、と小さな声で呟いた。大きな体をしているわりに、態度はとても控えめですのね。
「その、……王女殿下。不躾なお願いなのですが……私と一曲、踊ってくださいませんか?」
「――わたくしと?」
はい、と漏らす返事はやっぱりとても小さくて。マクシミリアン様はいっぱい汗をかきながら、わたくしを見つめていました。
「先程の、一件。兄上のために前に出たあなたの姿に見惚れました。とても強く、美しいひとだと」
「……ええと、人違いではなくって? 強く美しいと言えばおね……エルヴィーラ様ですもの」
彼は一度目を丸くして、それから目尻を下げて笑いました。確かに、と小さく漏らして、それからまた小さな声で「でも」と続けます。
「あの方も確かに美しいひとです。ですが私は、フェリシア王女殿下に惹かれました」
――あ。
あらあら。まぁまぁ。どうしましょう、どうしましょう。こんなこと初めてですわ。そういえばどこのパーティでもお義姉様にくっついてばかりで、未来の旦那様になるような殿方を意識したことがありませんでした。……まぁ、お義姉様より素敵な殿方がいるとは思ってないのですけれど。
マクシミリアン様は手のひらをマントでごしごしと拭って、「どうか、」と手を差し出しました。
ほんの、些細なこと。毎日どこかで、必ず誰かの身に起こっているような、そんなとても些細な。
お義姉様、わたくし。
宝物を見つけたかもしれません。
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