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アルマ・チャーチル男爵令嬢はオタクである
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私の中に深く眠っていた「記憶」が蘇ったのは、この体、アルマ・チャーチルが十六歳になる頃だった。
瀬戸中唯子。それが私の名前だった。両親は私が幼いときに事故で死んで、それからはおじいちゃんとおばあちゃんに育てられて。祖父母が一生懸命私を育ててくれたおかげで、私は捻くれずそれなりにしっかりとした性格に育った。
祖父母に恩返しをするべく学生の頃から働いて、学校を卒業してからは就職して――そのときにはもう祖父母は結構な年齢で、私が二十五歳になるまでに二人共亡くなってしまった。寂しくて悲しくてたくさん泣いたけど、二人共それなりに長生き出来たし、最後は微笑んでいたから良かったかなって。
それでこれからは自分のために生きよう、両親と祖父母のぶんまで色んなことをして長生きをしよう! ……そんなふうに思っていたはずだ。
それがどういうわけか、私は今別の「私」になっている。
そして私はこの「私」を良く知っていた。
ホワイトピンクの肩まで伸ばした髪、アップルグリーン色の大きな瞳。年齢よりも幼く見える顔つきは庇護欲をそそると言われている。
アルマ・チャーチル男爵令嬢。
わたしとぼくのものがたり。
――の、ヒロインだ。
私は捻くれずに育ったけれど、いわゆるオタクになった。漫画や小説はもちろんゲームもやるしアニメもみる、舞台化すればそれも見る。最近は配信が増えて本当にありがたい。単推しよりは箱推しになる傾向が強く、どっぷり浸かるよりは腰くらいまで浸かってマイペースに楽しむのが好きだった。いやそれでオタクというのはどうかと思うのだけど、普通の人よりはまぁそれなりに詳しいしグッズも買ってしまうし、存在しないけどそれっぽい概念グッズにテンションが上がってしまう質だし、新規絵があればにやけてしまうし、そもそもこういう言い訳をしているところがオタクなんだと思う。私、オタクです。
「わたしとぼくのものがたり」は乙女ゲームと呼ばれるもので、主人公のアルマ・チャーチルが攻略対象の男性とエンディングを迎えるべくあれやこれや頑張る作品だ。ゲームからコミカライズ、そしてアニメと順当にメディア化し、人気もそれなりにあったと思う。
私もゲームをやり込んだし、コミックスも買ってアニメも追いかけた。
基本的に箱推しになる傾向の私だけれど、実はこの作品においては本気の「推し」がいた。
この作品における、アルマのライバルポジションに当たる令嬢。
プラチナブロンドの巻毛、バイオレットの瞳。ツリ目できつい印象の美女、ユーフェミア・ハートフィールド公爵令嬢。
実に公爵令嬢らしい公爵令嬢で、アルマにも厳しく当たる。だがそれは全て愛する婚約者、フレドリック・ニューランズ第一王子のため。彼を支えるために淑女たらんとしている推しちゃん、――ユーフェミア様はとにかく一途で健気で可愛らしいのだ。
で、最初にも言った通り彼女は「ライバル令嬢」で、「悪役令嬢」ではない。攻略対象の一人であるフレドリック・ニューランズ第一王子の婚約者であるため、そういう扱いになっていた。
フレドリック王子は政略結婚を良く思っておらず、そして澄ました態度のユーフェミア様のことを嫌っていた。
いやなんでだよ、って本気で思った。お前のために頑張ってるじゃん彼女! と歯ぎしりをしたのは一度や二度ではない。それでもフレドリック王子とのスチルはユーフェミア様が映っているものも多かったため、歯ぎしりしながら頑張った。やりこみはしたけど、フレドリック王子のルートはスチル回収だけしてあとはそこまで必死にやってない。
私の推しちゃんを悪し様に言うのが許せなかったからだ。
というか、このフレドリック王子の設定についてはファンの間でも結構話題になっていた。いっそユーフェミア様が「悪役令嬢」であるのなら話は違っていたかもしれないが、「わたしとぼくのものがたり」において悪役令嬢は存在しない。フレドリック王子のルートでは最後、ユーフェミア様は淋しげな顔をして「お幸せに」と言う。
尚王子とのルート以外では最終的に二人は結婚することになるのだが、本編の中でフレドリック王子がユーフェミア様を認めたり今までの行動について謝罪したりするシーンはないため、果たして幸せになれるのか疑問だった。
むしろ婚約解消して、別の相手と幸せになってくれないかなぁという妄想は何度もした。
いっそ私が幸せにしてあげたいなぁ、と思ったりも。
そういう二次創作もたくさん読んだ。ユーフェミア様はライバル令嬢だけど、ファンは多かった。
とにかく私は今、その素晴らしいユーフェミア様の存在する世界「わたしとぼくのものがたり」のアルマになってしまっており、そしてそして何と私の目の前には、眩しいほど美しく輝くユーフェミア様ご本人がいらっしゃるのだ!
前世、というか、「瀬戸中唯子」の記憶が蘇ったのはまさに今、この瞬間。
ユーフェミア様の姿を見たときの衝撃のせいだろう。
当然酷く混乱した。何が起こっているのか一体どういうことなのか、それにしてもユーフェミア様お美しい、三次元になるとこんなふうな感じなのかと色々諸々考えて、あぁもしかしてこれ「異世界転生」とかいうやつなのか! と気付くにいたった。
この時間、僅か数十秒。
アルマとしての記憶も残っている。すごい、ご都合主義だ。助かる。
貴族と平民、どちらも平等に通える学園。
そこに入学した「私」は、様々なキャラクター、主に男性キャラクターと知り合い恋に勉強に励んで行く。目当ての相手とのエンディングを目指して。
これは「わたしとぼくのものがたり」の展開。ここにいる「私」は、将来両親の役に立つために学びにきた。
瀬戸中唯子が共存するアルマにとって、恋愛は二の次。まずは勉学、それから社交性。そしてあわよくば、ユーフェミア様の学校生活を覗き見たい。それでいい。それだけでいい。
男性キャラとのフラグは立てない。そしてユーフェミア様にも出来る限り認知されないようにする。私は推しに認知されたくない派なのだ。遠くで眺めてにやにやしたいのだ。
ここまで更に、数十秒。
目の前にいるユーフェミア様は不思議そうな表情で私を見ている。そうだ、私はユーフェミア様の前で盛大にすっ転んでしまっていたのだ。
「あなた、大丈夫? ぼーっとして……頭でもぶつけたのかしら」
あぁ、お声もなんて美しい。落ち着いた柔らかな音。キャラクターボイスそのままだ。
うっとりしていると、ユーフェミア様が手を差し出して来た。
ああああ駄目駄目推しに触れるなんて!! 触れ合いイベントは出来るだけないほうがいい!!
私は勢い良く立ち上がって慌てて全力で頭を下げた。その姿勢は最早前屈だ。
「しっ! 失礼いたしましたっ! お見苦しいところをお見せしてっ!」
「え、えぇ? そ、そんなことはないのだけれど」
早く離れなければ、顔を記憶される前に! いやでもこの髪色って確かすごく珍しいって設定だった気がする!
すみませんユーフェミア様、私は隅っこで地味にしておりますのでどうかお忘れください!
「何をしている、ユーフェミア」
この声は。
売出し中の声優がついたことにより、というかその声がほとんど人気の理由かもしれない、フレドリック・ニューランズ第一王子! 思い切り責めるような声だったぞ今。
ちらりと視線を上げてみれば、ユーフェミア様の表情が変わった。瞳を揺らして、すぐにすっと会釈をする。その仕草にも一切の無駄がなく、指先ひとつの動きすら美しい。
「フレドリック王子殿下。こちらの方が転ばれたので、お声がけを」
「ふん、お前のことだからどうせ冷たく声をかけたのだろう。おい君、大丈夫か。ユーフェミアがすまない」
あぁ? さり気なく「うちのユーフェミア」みたいな感じで謝るのやめてくれる!?
それにユーフェミア様は全然冷たい態度じゃなかったよ、ほんとこの男ユーフェミア様の何も見ていない!
小一時間ほどユーフェミア様の良さについて滾々と説教したいところだけど、私はしがない男爵家の娘、相手は王子殿下。さすがに反抗するわけにはいかない……それに何よりこの男はある意味、ユーフェミア様の「推し」的な存在なのだ。人様の推しを責めるのは私の流儀に反する。
でもだからと言って私の推しちゃんを悪ものにするわけにはいきません!
「ユーフェミア様は突然すっ転んだ私を心配してお声がけくださいました! 何も悪いことはされておりませんので、ご安心ください!」
全力の笑顔で言ってやった。
ユーフェミア様を窺い見れば、きょとんとした顔でこちらを見ている。ウッ、かわいい。胸がぎゅっとする。
「――可哀想に、ユーフェミアが恐ろしくてそんなことを……さぁきみ、こちらへ」
なんっっっでそうなる!!
「大丈夫ですお気遣いなく! ユーフェミア様、それではこれにて失礼いたします!」
「え、えぇ……」
再び前屈のような礼をして、私は逃げるようにその場を去った。
フレドリック王子が手を伸ばしていたが知るものか! 私はアルマであってアルマじゃない、誰ともフラグを立てずに学園生活を満喫する!
そう思っていたのに。
ゲームの強制力というやつなのだろうか。
私はすぐに王子に名を覚えられ、付きまとわれることになってしまった。
フレドリック王子の傍には側近候補と言われる男性が三人いて、それがバリー・エイマーズ侯爵令息、ジョージ・コネリー伯爵令息、ジェローム・ダグラス伯爵令息だ。「わたしとぼくのものがたり」では三人とも攻略対象で、特にジェローム・ダグラス伯爵令息は人気があったように思う。
そう、何せ彼は推しちゃんの幼馴染。王子にもよく苦言を呈していた。たしか父親が宰相で、本人もいずれ跡を継ぐのだと言っていた。
ジェロームさん――数少ないユーフェミア様の理解者だったので、私は彼をそう呼んでいた――はゲームと同じように、ユーフェミア様に悪態をつくフレドリック殿下を窘めていた。
「政略結婚は国のため、国王陛下が選んだ結婚相手なのだからもっと歩み寄る努力をしてください」
「ユーフェミア嬢が冷たい印象なのは王妃教育のためです。殿下の母上、今の王妃様だって決して賑やかな方ではないでしょう」
そんなふうに伝えているのにも関わらず、王子は相変わらずユーフェミア様には冷たく、私には甘ったるい声で近づいてくる。誰かの推しに対してこんな感情を抱きたくないんだけど、正直、本当に無理だ。
百歩譲って王子がユーフェミア様に優しければ、多少好感のようなものは持っていたかもしれない。
だけどユーフェミア様への態度はもちろん、容姿から性格から何から何まで苦手の域なのだ。
「私は王子殿下と個人的なお付き合いをする気はありません」
そうはっきり告げても、
「いずれその想いも変わるだろう。自分の気持ちに素直になるといい。俺が王子だからと気にすることはない」
とかなんとか、もうすごい鳥肌。
「そうそう、王子は優しいから身分なんか気にしないんだぜ」
「きみは特別なんだよ、アルマ。王子にとっても、僕たちにとっても」
バリーとジョージが口々に言う。あぁこの台詞、なんとなく聞いた記憶があるような。
第三者の視点から見るのならまだいいけど、それが自分に向けられるとなるとまた違ってくる。
これ、私がオタクだからこんなふうに感じるのだろうか。一般的な感覚だと、嬉しい言葉なのだろうか。
いや、そんなことはどうでもいい。
問題は、この王子と愉快な仲間たちのせいで「アルマ」に友だちがちっとも出来ないことだ。だってこの人達、ずっと私について来てる。ゲーム中だとアルマ自身が選んだ場所で該当のキャラと出会うのが普通だったけど、どうもルートが王子に固定されているらしく、どの場所でもフレドリック王子にエンカウントする。バリーたちが一緒にいることもしょっちゅうで、そのせいで一気に複数のフラグを立ててしまってるんじゃないかと思ったが、様子を見る限り「アルマ」を口説いているのは王子だけだった。
バリーたちはそれを応援している形で、ジェロームさんは私を迷惑そうに見ている。
あ~、ジェロームさんとはユーフェミア様についてたくさんお話したいのに!
だってきっと私の知らない推しちゃんの姿をたくさん知っているはず!!
それにフレドリック王子はユーフェミア様の文句や悪口しか言わない。
私は推しキャラはとことんアゲたい派だ。ユーフェミア様のいいところをたくさん話したいし、聞きたい。
本当にフレドリック王子とは相性が合わなすぎるのだ。
数日前のこと。
私があずまやで友人と語らっているユーフェミア様をこっそりと見ていたところ、急に現れたフレドリック王子に腕を掴まれてユーフェミア様のところまで引きずられた。
「ユーフェミア! 貴様、アルマを仲間外れにするとはどういうつもりだ!」
こっそりユーフェミア様を覗き見していた私の姿がどう変換されたのか、王子の中では「仲間外れにされたアルマが淋しげにユーフェミア達を見ていた」ということになったらしい。案の定ユーフェミア様は不思議そうな表情を浮かべ、首を傾げていた。
「王子殿下。わたくしたちは彼女がいたことすら気付いておりませんでしたわ」
「アルマの存在を無視していたと言うのか。だから貴様は冷たいと言うのだ、彼女が男爵令嬢だからと差別しているのだろう」
「いいえ、殿下。わたくしの友人には男爵家の方もいらっしゃいます。爵位で人を判断してはならないと言うのは王妃様が良く仰っておりますもの」
「ならなぜアルマは一人でいたのだ。貴様らが彼女を受け入れなかったからであろう!」
ゲームの「アルマ」も、王子のこんな様子をずっと傍で見ていたのだろうか。いやでも、ゲームの中ではもうちょっと控えめというか、ユーフェミア様に会う度に言いがかりをつけるような真似は……あったかもしれない。若干台詞をスキップしていた気がするし、あぁ駄目だ、王子のシナリオはユーフェミア様のスチル以外ないものにされてる。
それより王子の誤解をとかないと……ユーフェミア様が悲しげな目元をしていらっしゃる!
私はさっと手を上げた。
「よろしいでしょうか」
「アルマ、言いたいことがあるだろう。言ってやれ、俺が許可する」
「殿下は勘違いしてらっしゃいます。私は仲間外れにされてなどおりません。……その、ユーフェミア様が余りにも美しくいらっしゃるので近くで見ると眩しすぎるといいますか、遠くから見ているだけで幸せと言いますか。そもそも私接触イベントとかは余り求めてなくて、モニターの向こうの姿を第三者の視点で見るのが好きなんですよ。だってそんな、私ごときがユーフェミア様に近づこうだなんておこがましいにもほどがあるじゃないですか、同じ空気を吸っているだけでも信じられないっていうのに」
しまった。
すごいわかりやすい「好きなものを語るときのオタク」の口調になってしまった。
王子もユーフェミア様も、そのお友達もみんなぽかんとしている。
いやでも他に何と言えば良かったのか。立場上王子にテメーコノヤロー何見てんだオラーとか言うわけにもいかないし、だからと言ってユーフェミア様を悪ものにしたくはない!
「殿下。アルマ嬢の言う通り、ユーフェミア嬢は彼女を除け者になどしていません」
私に助け舟を出してくれたのはジェロームさんだった。どうやら王子と一緒にいたらしい。
「ジェローム、なぜそう言い切れる」
「先程殿下にお話しようとしていたんですよ。ここしばらくアルマ嬢の行動を見ていましたけど、ユーフェミア嬢に自ら接触に行くことはありませんでした。むしろ隠れているような雰囲気でしたが……ユーフェミア嬢はそれに気付いていませんでしたし、殿下が思っているようないじめはありません」
「アルマはユーフェミアが怖くて隠れていたんだろう! お前が確認出来ていないだけで、何かしたに決まっている!」
この思い込みの理由は一体なんなんだ。どうしてこの男はそんなにもユーフェミア様が憎いのだろう。ユーフェミア様は扇子で口元を隠し、視線を伏せている。言い返さないのは多分、「言っても理解されない」とわかっているせいかもしれない。
「ゆ、ユーフェミア様! 私、ユーフェミア様のこと怖いとか全然思ってませんよ! 美しすぎて眩しい、とは思いますけど!」
「アルマ様……」
「ヒッ! 様なんてそんな! アルマでいいです、アルマで! ただのアルマで!」
あっ、それだと逆に馴れ馴れしいか!? でもユーフェミア様に「様」付けで呼ばれるなんて恐れ多い!
不意に手首がきつく握られた。フレドリック王子だ。女性の手を軽々しく掴むの、どうなんですかね!
「アルマ、そんな女と言葉を交わす必要はない」
「殿下、いい加減になさってください! ユーフェミア嬢は努力しております、どうして邪険に扱うのですか!」
そうだ、言ってやれジェロームさん!
「ふん、その努力は王妃になるためであって俺のためではない。そいつは王妃になれるのなら相手は俺でなくてもいいのだ。欲しいのはその地位だけなのだからな」
拳が出そうになった。王子相手にグーをお見舞いするところだった。
していいんじゃないのか、するべきじゃないのか。推しを蔑まされたんだから。
下っ腹に力を込めた瞬間、ばしっ、と強い打撃音が聞こえて、私ははっと顔を上げた。頬を赤く染めたフレドリック王子の前には、ジェローム様。どうやらジェローム様、王子の頬にビンタを張ったらしい。ありがとう、感謝しかない。でもグーで良かったと思う。
あれ、それにしてもこんなシナリオはなかったよね。ジェロームさんが王子を嗜めるのはゲームの最初だけで、そのあとジェロームさん以外のルートに入っちゃうとほとんど出番なくなるし。
強制力とかあるんだと思っていたけど、やっぱりこれ「現実」なんだな。王子の態度はこの世界の「現実」的に、あり得ないものなんだ。
「き、貴様……王子に手を上げるなど……」
「殿下。あなたこそユーフェミア嬢を差別しているではありませんか。何度も申し上げておりますように、少しは歩み寄る姿勢を見せたらどうなんですか」
思わず全力で頷く私だ。
王子のルートだと「アルマと共になら俺は、立派な王になれる」とかなんとか言ってた気がするけど、私はそんなつもり全然ないので。でもだからと言ってこのままユーフェミア様と結婚ってなるのも、ファン的には微妙な心理なんだけど……。
でも推しの結婚相手にヤイヤイ言うのは主義じゃない。結局推しが幸せならそれでいいんだし。
ユーフェミア様がこの王子と一緒になって幸せなら、私に止める権利はない。
「どうして俺がユーフェミアに歩み寄らねばならんのだ。親が決めた政略結婚の相手など誰が好きになるというのか」
「好き嫌いの話ではないのだと何度言えば……いえ、もう結構です。この話は陛下に報告させていただきます」
ジェロームさんはかなり怒っているようだった。そりゃそうだ、私だってめちゃくちゃ腹立ってるし。
というかこの王子、ゲームの中だからなんとなく良い王子に変わっていく様が書かれていたけど、実際のところ王子としてどうしようもないんじゃないのかな。
政略結婚の相手を好きにならなくても、パートナーとして協力し合う姿勢は見せないといけないんじゃないの?
そのあとは何か有耶無耶になって、ユーフェミア様は友人たちと一緒に去っていった。
私も王子に気づかれないうちにその場を立ち去り、その日はそれで終わった。
で、さらにそれから数日経って、今日は上半期成績優秀者の発表会だ。ちょっとしたパーティーみたいな催しで、たくさんのごちそうに音楽隊まで用意されている。
こういうところがゲーム的だな、って思う。
つくづく、「アルマ」の記憶が残っていて良かった。そうでなかったら私が生きていた時代との違いに発狂していたに違いない。オタクだから普通の人より順応力はあるかもしれないけど、いくらなんでも文明が違いすぎる。
そんなことをぼんやりと考えている間に、成績優秀者が次々に発表されていった。その中にはもちろんユーフェミア様もいて、私はわかりやすすぎるくらい露骨に大きな拍手を贈った。
ユーフェミア様が柔らかな笑みを浮かべて、礼をする。今日もとても美しい。いつ見ても私の推しちゃんは最高だ。
そのときだった。
「ユーフェミア・ハートフィールド!」
大きな声でユーフェミア様を呼んだのは、フレドリック王子だった。舞台の上に立つユーフェミア様を見上げて指をさしている。指、さすな。
「王子殿下。何かご用でしょうか? 今はこういう場ですので、何かあるのでしたら後ほど」
「うるさい、黙れ! 今日という今日ははっきり言わせてもらう。お前という女は本当に可愛げがない! 婚約者である俺を立てることなく自分ばかりを優先し、これみよがしに表彰などされて。やはりお前のような女が俺の妻になるなど願い下げだ!」
腹の奥から込み上げてくる感情は、強烈な不快感と憤りだった。
例えば私が、ただの「アルマ」だったとして。「わたしとぼくのものがたり」のヒロインだったとして。例え相性の合わない相手であろうと、こんなふうに罵倒する男を好きになるだろうか。答えは「ない」だ。万が一私がフレドリック王子に恋をしていたとしても、こんなことを言われたら愛も冷める。
人を傷つけて何とも思わない男など、私は絶対好きにはならない。
「王子殿下。私とあなたの婚約は、王命でございます。あなたが何と言われようと、……私をどれだけ罵ろうとも、それは変わらない事実です」
「いいや、今回ばかりはもう我慢ならん。父上に逆らうことになろうと俺はお前との婚約は破棄する! ……そして、アルマ!」
そうだ、この展開。
私が一番「ないわ」と思った、「わたしとぼくのものがたり」の、フレドリックルート。
台詞をスキップしまくっていたけどこのシーンだけは見なければならなかった。
だってユーフェミア様がわりと大きめに映ってるスチルだったから。
フレドリック王子は私に近づいて手を差し出した。そしてにこやかに笑って、言う。
「アルマ、どうか俺と共に陛下のもとへ来て欲しい。俺はアルマとなら、立派な王になれる」
ユーフェミア様の目が驚愕に見開かれた。
あぁ、なんてこと。ユーフェミア様の表情は、公式設定資料集で何度も眺めていたけれど、その傷ついた顔だけは胸が痛んでなんとなく目を反らしていた。
推しの笑った顔、怒った顔、泣いた顔――そのどれもとても良いものだと思っているけど。傷ついた顔だけは駄目だ。そんな顔させちゃ駄目だ。
フレドリック王子はあの顔を見ても何も思わないのか。
彼女は傷つかないと思っているのか。そしてこんな展開でどうしてアルマに「はい」という選択肢があったのか。
この場合誰を責めればいいのだろう。シナリオ担当? キャラクター制作担当? いや、違う。私は「アルマ」だ。この世界に生きている人間だ。だったら責めるべきはただひとりじゃないか!
お父さんお母さん、ごめんなさい。私は今から、不敬を働きます。
「私となら立派な王になれる? あなたを支える気もない、王妃としての教育も何も受けていないただの男爵令嬢である私とですか? どうやって? どう立派な王になるんですか?」
「え? そ、それは、……王妃教育は今から受けたらいいし、爵位などどうでもいい。アルマは愛嬌があるし、親しみやすい。民が求めているのはそういう王妃だ」
「ご存知でしょうか、殿下。私今、親しい友だち一人もいないんですよ。貴族の方はもちろん、平民の方からも遠巻きに見られています。そんな私が王妃になることを、誰が望んでいるんですか?」
「友だちがいないのはユーフェミアのせいだろう。彼女が周囲に圧力をかけ、」
「殿下の! せいですよ!」
この場で手が出なかったことを褒めてほしい。
どうして、なんで、この男はずっと勘違いを続けているのだろうか。私が繰り返し、ユーフェミア様は何もしていないと言っているのにも関わらず。
「殿下が私に近づくから、私は周りから距離を取られてるんです! 殿下たちが私の周りを囲うように歩いていたら、そりゃ誰も寄ってこないでしょうよ! 近づきたくないですもの! 関わりたくないですもの! 私何度も何度も何度も構わないでください、出来れば近づかないでくださいって言いましたよね!」
「そ、それは、だから、きみが遠慮をしているのだと」
「心の底から! 拒絶してましたよ! 婚約者がいるのにありえないって! あんなに素敵な方が婚約者なのにッ! そもそも好みじゃないし、こっちの気持ちを勝手に解釈して好意的に取るとか本当に気持ち悪いったら! あ、ユーフェミア様ごめんなさい、婚約者にこんなこと言って。でももう無理です、許せないんです、私はっ! 政略結婚がどうのだとか可愛げがないだとか、冷たいだとかッ! 人の上っ面しか見てないやつが立派な王になれるわけあるか!」
はぁ、はぁ、と肩で息をする。言ってやった。言ってしまった。こんなにたくさんの人がいる前で、やらかしてしまった。
でも後悔はしていない。ユーフェミア様のためにしたことだ。私は推しのために声を上げたのだ。
ざまぁみろ、フレドリック・ニューランズ。開き直ったオタクの面倒くささを、思い知ったか。
しん、と、会場が静まり返る。フレドリック王子は呆然とした顔のまま立ち尽くしていた。
「全くもってその通りだな、フレドリック」
ものすごく重々しい声が聞こえて、私ははっと顔を上げた。それは周囲の人も同じで、みんなが同じ方向に視線を向けていた。
そこに居たのは、公式設定資料集に乗っていた「国王陛下」。つまり、フレドリック王子のお父さんだ。
「父上……! な、なぜこのような場所へ……」
「ジェロームから報告を受けていたのだよ。大袈裟に誇張されたものかと思っていたら、まさか報告の通りであったとはな。このような場所で権威を振りかざし、あまつさえ婚約者を辱めるなど……ユーフェミア嬢、愚息が申し訳ないことをした。長い期間、辛かっただろう」
ユーフェミア様の表情が、一瞬だけ泣きそうに歪んだ。けれどユーフェミア様はきゅっと唇を噛み締めて表情を引き締め、陛下に向かって礼をする。
「陛下。……申し上げたいことがございます。よろしいでしょうか」
「良い。申せ」
「私はこれまで、王子殿下の婚約者であろうと努めて参りました。今は不仲であっても、いつかは手を取り合えると思っていました。……ですが、もう、わかったのです。殿下の心は変わりません。私の心へ向くことはありません。どうか、陛下。私からもお願い申し上げます。……婚約の、破棄を」
フレドリック王子の喉がひくりと鳴った。
私はユーフェミア様の堪えるような表情に胸が詰まり、泣きそうになった。
ずっと努力していたのに。あの王子のために、色々なことを我慢してきたのに。ユーフェミア様は、フレドリック様が好きだったんだから。
国王陛下は一度目を瞑り、それから深く息を吐き出して言った。
「良かろう。フレドリック・ニューランズとユーフェミア・ハートフィールドの婚約は、フレドリックの有責により破棄とする。今後のことについては後ほど公爵家へ使いを送ろう。今日はもう帰って休むといい。ジェローム、ユーフェミア嬢を頼む」
「はっ。かしこまりました」
鶴の一声って、こういうのを言うんだろうか。陛下の一言で今までの状況が全て変わった。フレドリック王子はまだ固まったまま、口をぱくぱくと動かしている。ユーフェミア様はジェロームさんにエスコートされて、大広間から出ていった。
「そこの君。アルマ・チャーチルと言ったか」
「はっ! は、はぃい!」
陛下に呼ばれて、思わず背筋をぴんと伸ばす。陛下は穏やかに笑って、一度深く頷いた。
「君のこともジェロームから聞いている。フレドリックが迷惑をかけた……君はずっとユーフェミア嬢を守ってくれていたようだな。詫びと、礼をさせてほしい。君の家にも、あとで使いを送ろう。本当にすまなかった」
私は慌てて首をぶんぶん振った。ついでに手も振っていた。
「いいい、いいえ、滅相もございませんっ! 私はただユーフェミア様推しなだけでっ! ただのオタクなだけですから、えぇ!」
陛下はまた優しく笑って、側仕えの兵たちに何やら声をかけた。茫然自失の殿下を兵たちが引きずるようにして、陛下と一緒に出ていった。
それから、状況は一変した。
まず、私に友達が出来た。全部フレドリック王子の思い込みでの行動だと知った人たちが声をかけてくれたのだ。バリーとジョージは手のひらを返して王子を非難してるけど、ユーフェミア様の悪口を咎めなかった時点でお前らも同罪だぞわかってんのか、という気持ち。
当のユーフェミア様は、数日休んでからまた登校してきた。最後にみたときよりも優しい笑顔で「あなたのおかげよ。ありがとう」と言われたときは鼻血をぶっ放して気絶するかと思った。しなかったけど。鼓動は爆速だった。
フレドリック王子は、謹慎のち王位継承権剥奪となったらしい。まぁ、当然の結果だよね。王としての器がないもん。
衝撃の事実もあった。
ある日私はジェロームさんに呼び出されて、改めてお礼を言われた。
「あなたがまともな転生者で良かった」――そんなふうに。
私はすぐに反応することが出来ずに、ただ驚いて目を見開くだけだった。わりと迂闊な発言をし続けていた自覚はあるけど、突っ込まれないから誰も私が転生者だなんて知らないと思っていた。まさかジェロームさんが気付いていたなんて!
「なぜ知っているのかと言いたげですね。僕も転生者だからですよ。ただし、あなたとは違う。僕はこの世界を繰り返し生きる者です」
ジェロームさんの話に、私は益々驚いた。
私は別の世界からやってきた転生者だけど、ジェロームさんはこの「わたしとあなたのものがたり」の世界で何度も転生を繰り返しているのだと言う。
だからなんとなくゲームとの相違があったのか。この世界を生きる、人だから。
「……あの、でも何で転生をしてるんでしょうか? それも、繰り返しって」
「あなたが訪れる前の転生者たちは全員、自分本位でした。そしてユーフェミアを虐げ、『アルマ』を贔屓する王子に入れ込んでいました。私がどれだけ王子に声をかけようが、『アルマ』を説得しようが、彼らは態度を改めなかった。繰り返しユーフェミアを罵り、彼女を傷つけてきた」
そう語るジェロームさんの目は、酷く暗かった。ぐっと拳に力が入り、緊張が走る。
「だから私は、何度もやり直した。彼女が傷つかない世界を見つけようと、必死に。……そして、あなたが現れた。今までの『アルマ』と全く異なる、王子よりもユーフェミアを優先する『アルマ』が」
ジェロームさんの目に、穏やかさが戻る。私は思わずどきりとした。
これは、もしかして。ジェロームさんは、ひょっとして。
「これでようやく、彼女を縛るものから解放できた。やっと……やっと王子から、彼女を取り戻すことが出来た」
あぁ嘘、この展開。もしかしてあの、二次創作で見なかった?
「……ジェロームさんは、ユーフェミア様のことを」
ジェロームさんがにこりと笑う。
「ユーフェミアは……ユフィは、僕の光です。幼いときからずっと、僕の唯一です」
私は両手をぎゅっと握りしめて、ジェロームさんを見る。瞳は相当輝いていた気がする。正直興奮さえしていたように思う。
容量の問題か、シナリオの問題か、掘り下げられることのなかったユーフェミア様とジェロームさんの幼馴染設定。
えぇ、もちろん何度も妄想しましたとも。絶対そっちの方が幸せになれるじゃん! って思ってたから。
「ああああの、私っ、二人のこと応援してます! ジェロームさんなら、ユーフェミア様のこと絶対幸せにしてくれますよね!」
「そのために繰り返したんです。……何度も、何度も、『アルマ』をバッドエンドに導いて」
私はにやけた顔のまま、固まってしまった。背中にひやりと、冷たいものを感じる。
察しの良いオタクなので、わかってしまった。ジェロームさんはそうやって、リセットを繰り返してきたんだ。
わたしとぼくのものがたり。
確かに現実だけれど、多分、同時に何か、都合の良い力が働いている。『アルマ』がスイッチ。あるいはリセットボタン。
「あぁ、心配しないでください。あなたはユフィの恩人です。ユフィもあなたを気に入ってるようですし」
「お。おおおおおそれおおいです」
「どうかこれからも、ユフィの味方でいてください」
にっこりと笑顔でそういうジェロームさんに私は、張子の虎よろしく頷くことしか出来なかった。
いやまさか、ヤンデレですか。そんな設定が付属してたんですか。
何度も転生を繰り返すうちに付与されちゃったのかな。ユーフェミア様が傷つくところを何度も見てきたせいで。
すっごい怖いけど、冷や汗めいっぱいでたけど、気持ちはわからなくないかもしれない。推しちゃんの傷つくところなんて、誰だって見たくないでしょうに。
あ、いや。
ちょっとまって。
つまりこれ、現在進行系でジェロームさんとユーフェミア様の恋愛イベントが発生してるってことですか!?
待って待って待ってなにそれ見たいすごく見たいしベストショットスチル欲しい!!
『アルマ』に見る権利はありませんか!? そこだけ主人公補正効きませんか!!
ポンコツ王子にビシッと言って、ジェロームさんの転生回数の更新を止めた私に、ご褒美はないんですか!!
このあと私は、ユーフェミア様の「相談相手」という、ご褒美なのか拷問なのかわからないポジションをゲットすることになる。
アルマ・チャーチルは今日も、推しちゃんのために頑張って生きています。
瀬戸中唯子。それが私の名前だった。両親は私が幼いときに事故で死んで、それからはおじいちゃんとおばあちゃんに育てられて。祖父母が一生懸命私を育ててくれたおかげで、私は捻くれずそれなりにしっかりとした性格に育った。
祖父母に恩返しをするべく学生の頃から働いて、学校を卒業してからは就職して――そのときにはもう祖父母は結構な年齢で、私が二十五歳になるまでに二人共亡くなってしまった。寂しくて悲しくてたくさん泣いたけど、二人共それなりに長生き出来たし、最後は微笑んでいたから良かったかなって。
それでこれからは自分のために生きよう、両親と祖父母のぶんまで色んなことをして長生きをしよう! ……そんなふうに思っていたはずだ。
それがどういうわけか、私は今別の「私」になっている。
そして私はこの「私」を良く知っていた。
ホワイトピンクの肩まで伸ばした髪、アップルグリーン色の大きな瞳。年齢よりも幼く見える顔つきは庇護欲をそそると言われている。
アルマ・チャーチル男爵令嬢。
わたしとぼくのものがたり。
――の、ヒロインだ。
私は捻くれずに育ったけれど、いわゆるオタクになった。漫画や小説はもちろんゲームもやるしアニメもみる、舞台化すればそれも見る。最近は配信が増えて本当にありがたい。単推しよりは箱推しになる傾向が強く、どっぷり浸かるよりは腰くらいまで浸かってマイペースに楽しむのが好きだった。いやそれでオタクというのはどうかと思うのだけど、普通の人よりはまぁそれなりに詳しいしグッズも買ってしまうし、存在しないけどそれっぽい概念グッズにテンションが上がってしまう質だし、新規絵があればにやけてしまうし、そもそもこういう言い訳をしているところがオタクなんだと思う。私、オタクです。
「わたしとぼくのものがたり」は乙女ゲームと呼ばれるもので、主人公のアルマ・チャーチルが攻略対象の男性とエンディングを迎えるべくあれやこれや頑張る作品だ。ゲームからコミカライズ、そしてアニメと順当にメディア化し、人気もそれなりにあったと思う。
私もゲームをやり込んだし、コミックスも買ってアニメも追いかけた。
基本的に箱推しになる傾向の私だけれど、実はこの作品においては本気の「推し」がいた。
この作品における、アルマのライバルポジションに当たる令嬢。
プラチナブロンドの巻毛、バイオレットの瞳。ツリ目できつい印象の美女、ユーフェミア・ハートフィールド公爵令嬢。
実に公爵令嬢らしい公爵令嬢で、アルマにも厳しく当たる。だがそれは全て愛する婚約者、フレドリック・ニューランズ第一王子のため。彼を支えるために淑女たらんとしている推しちゃん、――ユーフェミア様はとにかく一途で健気で可愛らしいのだ。
で、最初にも言った通り彼女は「ライバル令嬢」で、「悪役令嬢」ではない。攻略対象の一人であるフレドリック・ニューランズ第一王子の婚約者であるため、そういう扱いになっていた。
フレドリック王子は政略結婚を良く思っておらず、そして澄ました態度のユーフェミア様のことを嫌っていた。
いやなんでだよ、って本気で思った。お前のために頑張ってるじゃん彼女! と歯ぎしりをしたのは一度や二度ではない。それでもフレドリック王子とのスチルはユーフェミア様が映っているものも多かったため、歯ぎしりしながら頑張った。やりこみはしたけど、フレドリック王子のルートはスチル回収だけしてあとはそこまで必死にやってない。
私の推しちゃんを悪し様に言うのが許せなかったからだ。
というか、このフレドリック王子の設定についてはファンの間でも結構話題になっていた。いっそユーフェミア様が「悪役令嬢」であるのなら話は違っていたかもしれないが、「わたしとぼくのものがたり」において悪役令嬢は存在しない。フレドリック王子のルートでは最後、ユーフェミア様は淋しげな顔をして「お幸せに」と言う。
尚王子とのルート以外では最終的に二人は結婚することになるのだが、本編の中でフレドリック王子がユーフェミア様を認めたり今までの行動について謝罪したりするシーンはないため、果たして幸せになれるのか疑問だった。
むしろ婚約解消して、別の相手と幸せになってくれないかなぁという妄想は何度もした。
いっそ私が幸せにしてあげたいなぁ、と思ったりも。
そういう二次創作もたくさん読んだ。ユーフェミア様はライバル令嬢だけど、ファンは多かった。
とにかく私は今、その素晴らしいユーフェミア様の存在する世界「わたしとぼくのものがたり」のアルマになってしまっており、そしてそして何と私の目の前には、眩しいほど美しく輝くユーフェミア様ご本人がいらっしゃるのだ!
前世、というか、「瀬戸中唯子」の記憶が蘇ったのはまさに今、この瞬間。
ユーフェミア様の姿を見たときの衝撃のせいだろう。
当然酷く混乱した。何が起こっているのか一体どういうことなのか、それにしてもユーフェミア様お美しい、三次元になるとこんなふうな感じなのかと色々諸々考えて、あぁもしかしてこれ「異世界転生」とかいうやつなのか! と気付くにいたった。
この時間、僅か数十秒。
アルマとしての記憶も残っている。すごい、ご都合主義だ。助かる。
貴族と平民、どちらも平等に通える学園。
そこに入学した「私」は、様々なキャラクター、主に男性キャラクターと知り合い恋に勉強に励んで行く。目当ての相手とのエンディングを目指して。
これは「わたしとぼくのものがたり」の展開。ここにいる「私」は、将来両親の役に立つために学びにきた。
瀬戸中唯子が共存するアルマにとって、恋愛は二の次。まずは勉学、それから社交性。そしてあわよくば、ユーフェミア様の学校生活を覗き見たい。それでいい。それだけでいい。
男性キャラとのフラグは立てない。そしてユーフェミア様にも出来る限り認知されないようにする。私は推しに認知されたくない派なのだ。遠くで眺めてにやにやしたいのだ。
ここまで更に、数十秒。
目の前にいるユーフェミア様は不思議そうな表情で私を見ている。そうだ、私はユーフェミア様の前で盛大にすっ転んでしまっていたのだ。
「あなた、大丈夫? ぼーっとして……頭でもぶつけたのかしら」
あぁ、お声もなんて美しい。落ち着いた柔らかな音。キャラクターボイスそのままだ。
うっとりしていると、ユーフェミア様が手を差し出して来た。
ああああ駄目駄目推しに触れるなんて!! 触れ合いイベントは出来るだけないほうがいい!!
私は勢い良く立ち上がって慌てて全力で頭を下げた。その姿勢は最早前屈だ。
「しっ! 失礼いたしましたっ! お見苦しいところをお見せしてっ!」
「え、えぇ? そ、そんなことはないのだけれど」
早く離れなければ、顔を記憶される前に! いやでもこの髪色って確かすごく珍しいって設定だった気がする!
すみませんユーフェミア様、私は隅っこで地味にしておりますのでどうかお忘れください!
「何をしている、ユーフェミア」
この声は。
売出し中の声優がついたことにより、というかその声がほとんど人気の理由かもしれない、フレドリック・ニューランズ第一王子! 思い切り責めるような声だったぞ今。
ちらりと視線を上げてみれば、ユーフェミア様の表情が変わった。瞳を揺らして、すぐにすっと会釈をする。その仕草にも一切の無駄がなく、指先ひとつの動きすら美しい。
「フレドリック王子殿下。こちらの方が転ばれたので、お声がけを」
「ふん、お前のことだからどうせ冷たく声をかけたのだろう。おい君、大丈夫か。ユーフェミアがすまない」
あぁ? さり気なく「うちのユーフェミア」みたいな感じで謝るのやめてくれる!?
それにユーフェミア様は全然冷たい態度じゃなかったよ、ほんとこの男ユーフェミア様の何も見ていない!
小一時間ほどユーフェミア様の良さについて滾々と説教したいところだけど、私はしがない男爵家の娘、相手は王子殿下。さすがに反抗するわけにはいかない……それに何よりこの男はある意味、ユーフェミア様の「推し」的な存在なのだ。人様の推しを責めるのは私の流儀に反する。
でもだからと言って私の推しちゃんを悪ものにするわけにはいきません!
「ユーフェミア様は突然すっ転んだ私を心配してお声がけくださいました! 何も悪いことはされておりませんので、ご安心ください!」
全力の笑顔で言ってやった。
ユーフェミア様を窺い見れば、きょとんとした顔でこちらを見ている。ウッ、かわいい。胸がぎゅっとする。
「――可哀想に、ユーフェミアが恐ろしくてそんなことを……さぁきみ、こちらへ」
なんっっっでそうなる!!
「大丈夫ですお気遣いなく! ユーフェミア様、それではこれにて失礼いたします!」
「え、えぇ……」
再び前屈のような礼をして、私は逃げるようにその場を去った。
フレドリック王子が手を伸ばしていたが知るものか! 私はアルマであってアルマじゃない、誰ともフラグを立てずに学園生活を満喫する!
そう思っていたのに。
ゲームの強制力というやつなのだろうか。
私はすぐに王子に名を覚えられ、付きまとわれることになってしまった。
フレドリック王子の傍には側近候補と言われる男性が三人いて、それがバリー・エイマーズ侯爵令息、ジョージ・コネリー伯爵令息、ジェローム・ダグラス伯爵令息だ。「わたしとぼくのものがたり」では三人とも攻略対象で、特にジェローム・ダグラス伯爵令息は人気があったように思う。
そう、何せ彼は推しちゃんの幼馴染。王子にもよく苦言を呈していた。たしか父親が宰相で、本人もいずれ跡を継ぐのだと言っていた。
ジェロームさん――数少ないユーフェミア様の理解者だったので、私は彼をそう呼んでいた――はゲームと同じように、ユーフェミア様に悪態をつくフレドリック殿下を窘めていた。
「政略結婚は国のため、国王陛下が選んだ結婚相手なのだからもっと歩み寄る努力をしてください」
「ユーフェミア嬢が冷たい印象なのは王妃教育のためです。殿下の母上、今の王妃様だって決して賑やかな方ではないでしょう」
そんなふうに伝えているのにも関わらず、王子は相変わらずユーフェミア様には冷たく、私には甘ったるい声で近づいてくる。誰かの推しに対してこんな感情を抱きたくないんだけど、正直、本当に無理だ。
百歩譲って王子がユーフェミア様に優しければ、多少好感のようなものは持っていたかもしれない。
だけどユーフェミア様への態度はもちろん、容姿から性格から何から何まで苦手の域なのだ。
「私は王子殿下と個人的なお付き合いをする気はありません」
そうはっきり告げても、
「いずれその想いも変わるだろう。自分の気持ちに素直になるといい。俺が王子だからと気にすることはない」
とかなんとか、もうすごい鳥肌。
「そうそう、王子は優しいから身分なんか気にしないんだぜ」
「きみは特別なんだよ、アルマ。王子にとっても、僕たちにとっても」
バリーとジョージが口々に言う。あぁこの台詞、なんとなく聞いた記憶があるような。
第三者の視点から見るのならまだいいけど、それが自分に向けられるとなるとまた違ってくる。
これ、私がオタクだからこんなふうに感じるのだろうか。一般的な感覚だと、嬉しい言葉なのだろうか。
いや、そんなことはどうでもいい。
問題は、この王子と愉快な仲間たちのせいで「アルマ」に友だちがちっとも出来ないことだ。だってこの人達、ずっと私について来てる。ゲーム中だとアルマ自身が選んだ場所で該当のキャラと出会うのが普通だったけど、どうもルートが王子に固定されているらしく、どの場所でもフレドリック王子にエンカウントする。バリーたちが一緒にいることもしょっちゅうで、そのせいで一気に複数のフラグを立ててしまってるんじゃないかと思ったが、様子を見る限り「アルマ」を口説いているのは王子だけだった。
バリーたちはそれを応援している形で、ジェロームさんは私を迷惑そうに見ている。
あ~、ジェロームさんとはユーフェミア様についてたくさんお話したいのに!
だってきっと私の知らない推しちゃんの姿をたくさん知っているはず!!
それにフレドリック王子はユーフェミア様の文句や悪口しか言わない。
私は推しキャラはとことんアゲたい派だ。ユーフェミア様のいいところをたくさん話したいし、聞きたい。
本当にフレドリック王子とは相性が合わなすぎるのだ。
数日前のこと。
私があずまやで友人と語らっているユーフェミア様をこっそりと見ていたところ、急に現れたフレドリック王子に腕を掴まれてユーフェミア様のところまで引きずられた。
「ユーフェミア! 貴様、アルマを仲間外れにするとはどういうつもりだ!」
こっそりユーフェミア様を覗き見していた私の姿がどう変換されたのか、王子の中では「仲間外れにされたアルマが淋しげにユーフェミア達を見ていた」ということになったらしい。案の定ユーフェミア様は不思議そうな表情を浮かべ、首を傾げていた。
「王子殿下。わたくしたちは彼女がいたことすら気付いておりませんでしたわ」
「アルマの存在を無視していたと言うのか。だから貴様は冷たいと言うのだ、彼女が男爵令嬢だからと差別しているのだろう」
「いいえ、殿下。わたくしの友人には男爵家の方もいらっしゃいます。爵位で人を判断してはならないと言うのは王妃様が良く仰っておりますもの」
「ならなぜアルマは一人でいたのだ。貴様らが彼女を受け入れなかったからであろう!」
ゲームの「アルマ」も、王子のこんな様子をずっと傍で見ていたのだろうか。いやでも、ゲームの中ではもうちょっと控えめというか、ユーフェミア様に会う度に言いがかりをつけるような真似は……あったかもしれない。若干台詞をスキップしていた気がするし、あぁ駄目だ、王子のシナリオはユーフェミア様のスチル以外ないものにされてる。
それより王子の誤解をとかないと……ユーフェミア様が悲しげな目元をしていらっしゃる!
私はさっと手を上げた。
「よろしいでしょうか」
「アルマ、言いたいことがあるだろう。言ってやれ、俺が許可する」
「殿下は勘違いしてらっしゃいます。私は仲間外れにされてなどおりません。……その、ユーフェミア様が余りにも美しくいらっしゃるので近くで見ると眩しすぎるといいますか、遠くから見ているだけで幸せと言いますか。そもそも私接触イベントとかは余り求めてなくて、モニターの向こうの姿を第三者の視点で見るのが好きなんですよ。だってそんな、私ごときがユーフェミア様に近づこうだなんておこがましいにもほどがあるじゃないですか、同じ空気を吸っているだけでも信じられないっていうのに」
しまった。
すごいわかりやすい「好きなものを語るときのオタク」の口調になってしまった。
王子もユーフェミア様も、そのお友達もみんなぽかんとしている。
いやでも他に何と言えば良かったのか。立場上王子にテメーコノヤロー何見てんだオラーとか言うわけにもいかないし、だからと言ってユーフェミア様を悪ものにしたくはない!
「殿下。アルマ嬢の言う通り、ユーフェミア嬢は彼女を除け者になどしていません」
私に助け舟を出してくれたのはジェロームさんだった。どうやら王子と一緒にいたらしい。
「ジェローム、なぜそう言い切れる」
「先程殿下にお話しようとしていたんですよ。ここしばらくアルマ嬢の行動を見ていましたけど、ユーフェミア嬢に自ら接触に行くことはありませんでした。むしろ隠れているような雰囲気でしたが……ユーフェミア嬢はそれに気付いていませんでしたし、殿下が思っているようないじめはありません」
「アルマはユーフェミアが怖くて隠れていたんだろう! お前が確認出来ていないだけで、何かしたに決まっている!」
この思い込みの理由は一体なんなんだ。どうしてこの男はそんなにもユーフェミア様が憎いのだろう。ユーフェミア様は扇子で口元を隠し、視線を伏せている。言い返さないのは多分、「言っても理解されない」とわかっているせいかもしれない。
「ゆ、ユーフェミア様! 私、ユーフェミア様のこと怖いとか全然思ってませんよ! 美しすぎて眩しい、とは思いますけど!」
「アルマ様……」
「ヒッ! 様なんてそんな! アルマでいいです、アルマで! ただのアルマで!」
あっ、それだと逆に馴れ馴れしいか!? でもユーフェミア様に「様」付けで呼ばれるなんて恐れ多い!
不意に手首がきつく握られた。フレドリック王子だ。女性の手を軽々しく掴むの、どうなんですかね!
「アルマ、そんな女と言葉を交わす必要はない」
「殿下、いい加減になさってください! ユーフェミア嬢は努力しております、どうして邪険に扱うのですか!」
そうだ、言ってやれジェロームさん!
「ふん、その努力は王妃になるためであって俺のためではない。そいつは王妃になれるのなら相手は俺でなくてもいいのだ。欲しいのはその地位だけなのだからな」
拳が出そうになった。王子相手にグーをお見舞いするところだった。
していいんじゃないのか、するべきじゃないのか。推しを蔑まされたんだから。
下っ腹に力を込めた瞬間、ばしっ、と強い打撃音が聞こえて、私ははっと顔を上げた。頬を赤く染めたフレドリック王子の前には、ジェローム様。どうやらジェローム様、王子の頬にビンタを張ったらしい。ありがとう、感謝しかない。でもグーで良かったと思う。
あれ、それにしてもこんなシナリオはなかったよね。ジェロームさんが王子を嗜めるのはゲームの最初だけで、そのあとジェロームさん以外のルートに入っちゃうとほとんど出番なくなるし。
強制力とかあるんだと思っていたけど、やっぱりこれ「現実」なんだな。王子の態度はこの世界の「現実」的に、あり得ないものなんだ。
「き、貴様……王子に手を上げるなど……」
「殿下。あなたこそユーフェミア嬢を差別しているではありませんか。何度も申し上げておりますように、少しは歩み寄る姿勢を見せたらどうなんですか」
思わず全力で頷く私だ。
王子のルートだと「アルマと共になら俺は、立派な王になれる」とかなんとか言ってた気がするけど、私はそんなつもり全然ないので。でもだからと言ってこのままユーフェミア様と結婚ってなるのも、ファン的には微妙な心理なんだけど……。
でも推しの結婚相手にヤイヤイ言うのは主義じゃない。結局推しが幸せならそれでいいんだし。
ユーフェミア様がこの王子と一緒になって幸せなら、私に止める権利はない。
「どうして俺がユーフェミアに歩み寄らねばならんのだ。親が決めた政略結婚の相手など誰が好きになるというのか」
「好き嫌いの話ではないのだと何度言えば……いえ、もう結構です。この話は陛下に報告させていただきます」
ジェロームさんはかなり怒っているようだった。そりゃそうだ、私だってめちゃくちゃ腹立ってるし。
というかこの王子、ゲームの中だからなんとなく良い王子に変わっていく様が書かれていたけど、実際のところ王子としてどうしようもないんじゃないのかな。
政略結婚の相手を好きにならなくても、パートナーとして協力し合う姿勢は見せないといけないんじゃないの?
そのあとは何か有耶無耶になって、ユーフェミア様は友人たちと一緒に去っていった。
私も王子に気づかれないうちにその場を立ち去り、その日はそれで終わった。
で、さらにそれから数日経って、今日は上半期成績優秀者の発表会だ。ちょっとしたパーティーみたいな催しで、たくさんのごちそうに音楽隊まで用意されている。
こういうところがゲーム的だな、って思う。
つくづく、「アルマ」の記憶が残っていて良かった。そうでなかったら私が生きていた時代との違いに発狂していたに違いない。オタクだから普通の人より順応力はあるかもしれないけど、いくらなんでも文明が違いすぎる。
そんなことをぼんやりと考えている間に、成績優秀者が次々に発表されていった。その中にはもちろんユーフェミア様もいて、私はわかりやすすぎるくらい露骨に大きな拍手を贈った。
ユーフェミア様が柔らかな笑みを浮かべて、礼をする。今日もとても美しい。いつ見ても私の推しちゃんは最高だ。
そのときだった。
「ユーフェミア・ハートフィールド!」
大きな声でユーフェミア様を呼んだのは、フレドリック王子だった。舞台の上に立つユーフェミア様を見上げて指をさしている。指、さすな。
「王子殿下。何かご用でしょうか? 今はこういう場ですので、何かあるのでしたら後ほど」
「うるさい、黙れ! 今日という今日ははっきり言わせてもらう。お前という女は本当に可愛げがない! 婚約者である俺を立てることなく自分ばかりを優先し、これみよがしに表彰などされて。やはりお前のような女が俺の妻になるなど願い下げだ!」
腹の奥から込み上げてくる感情は、強烈な不快感と憤りだった。
例えば私が、ただの「アルマ」だったとして。「わたしとぼくのものがたり」のヒロインだったとして。例え相性の合わない相手であろうと、こんなふうに罵倒する男を好きになるだろうか。答えは「ない」だ。万が一私がフレドリック王子に恋をしていたとしても、こんなことを言われたら愛も冷める。
人を傷つけて何とも思わない男など、私は絶対好きにはならない。
「王子殿下。私とあなたの婚約は、王命でございます。あなたが何と言われようと、……私をどれだけ罵ろうとも、それは変わらない事実です」
「いいや、今回ばかりはもう我慢ならん。父上に逆らうことになろうと俺はお前との婚約は破棄する! ……そして、アルマ!」
そうだ、この展開。
私が一番「ないわ」と思った、「わたしとぼくのものがたり」の、フレドリックルート。
台詞をスキップしまくっていたけどこのシーンだけは見なければならなかった。
だってユーフェミア様がわりと大きめに映ってるスチルだったから。
フレドリック王子は私に近づいて手を差し出した。そしてにこやかに笑って、言う。
「アルマ、どうか俺と共に陛下のもとへ来て欲しい。俺はアルマとなら、立派な王になれる」
ユーフェミア様の目が驚愕に見開かれた。
あぁ、なんてこと。ユーフェミア様の表情は、公式設定資料集で何度も眺めていたけれど、その傷ついた顔だけは胸が痛んでなんとなく目を反らしていた。
推しの笑った顔、怒った顔、泣いた顔――そのどれもとても良いものだと思っているけど。傷ついた顔だけは駄目だ。そんな顔させちゃ駄目だ。
フレドリック王子はあの顔を見ても何も思わないのか。
彼女は傷つかないと思っているのか。そしてこんな展開でどうしてアルマに「はい」という選択肢があったのか。
この場合誰を責めればいいのだろう。シナリオ担当? キャラクター制作担当? いや、違う。私は「アルマ」だ。この世界に生きている人間だ。だったら責めるべきはただひとりじゃないか!
お父さんお母さん、ごめんなさい。私は今から、不敬を働きます。
「私となら立派な王になれる? あなたを支える気もない、王妃としての教育も何も受けていないただの男爵令嬢である私とですか? どうやって? どう立派な王になるんですか?」
「え? そ、それは、……王妃教育は今から受けたらいいし、爵位などどうでもいい。アルマは愛嬌があるし、親しみやすい。民が求めているのはそういう王妃だ」
「ご存知でしょうか、殿下。私今、親しい友だち一人もいないんですよ。貴族の方はもちろん、平民の方からも遠巻きに見られています。そんな私が王妃になることを、誰が望んでいるんですか?」
「友だちがいないのはユーフェミアのせいだろう。彼女が周囲に圧力をかけ、」
「殿下の! せいですよ!」
この場で手が出なかったことを褒めてほしい。
どうして、なんで、この男はずっと勘違いを続けているのだろうか。私が繰り返し、ユーフェミア様は何もしていないと言っているのにも関わらず。
「殿下が私に近づくから、私は周りから距離を取られてるんです! 殿下たちが私の周りを囲うように歩いていたら、そりゃ誰も寄ってこないでしょうよ! 近づきたくないですもの! 関わりたくないですもの! 私何度も何度も何度も構わないでください、出来れば近づかないでくださいって言いましたよね!」
「そ、それは、だから、きみが遠慮をしているのだと」
「心の底から! 拒絶してましたよ! 婚約者がいるのにありえないって! あんなに素敵な方が婚約者なのにッ! そもそも好みじゃないし、こっちの気持ちを勝手に解釈して好意的に取るとか本当に気持ち悪いったら! あ、ユーフェミア様ごめんなさい、婚約者にこんなこと言って。でももう無理です、許せないんです、私はっ! 政略結婚がどうのだとか可愛げがないだとか、冷たいだとかッ! 人の上っ面しか見てないやつが立派な王になれるわけあるか!」
はぁ、はぁ、と肩で息をする。言ってやった。言ってしまった。こんなにたくさんの人がいる前で、やらかしてしまった。
でも後悔はしていない。ユーフェミア様のためにしたことだ。私は推しのために声を上げたのだ。
ざまぁみろ、フレドリック・ニューランズ。開き直ったオタクの面倒くささを、思い知ったか。
しん、と、会場が静まり返る。フレドリック王子は呆然とした顔のまま立ち尽くしていた。
「全くもってその通りだな、フレドリック」
ものすごく重々しい声が聞こえて、私ははっと顔を上げた。それは周囲の人も同じで、みんなが同じ方向に視線を向けていた。
そこに居たのは、公式設定資料集に乗っていた「国王陛下」。つまり、フレドリック王子のお父さんだ。
「父上……! な、なぜこのような場所へ……」
「ジェロームから報告を受けていたのだよ。大袈裟に誇張されたものかと思っていたら、まさか報告の通りであったとはな。このような場所で権威を振りかざし、あまつさえ婚約者を辱めるなど……ユーフェミア嬢、愚息が申し訳ないことをした。長い期間、辛かっただろう」
ユーフェミア様の表情が、一瞬だけ泣きそうに歪んだ。けれどユーフェミア様はきゅっと唇を噛み締めて表情を引き締め、陛下に向かって礼をする。
「陛下。……申し上げたいことがございます。よろしいでしょうか」
「良い。申せ」
「私はこれまで、王子殿下の婚約者であろうと努めて参りました。今は不仲であっても、いつかは手を取り合えると思っていました。……ですが、もう、わかったのです。殿下の心は変わりません。私の心へ向くことはありません。どうか、陛下。私からもお願い申し上げます。……婚約の、破棄を」
フレドリック王子の喉がひくりと鳴った。
私はユーフェミア様の堪えるような表情に胸が詰まり、泣きそうになった。
ずっと努力していたのに。あの王子のために、色々なことを我慢してきたのに。ユーフェミア様は、フレドリック様が好きだったんだから。
国王陛下は一度目を瞑り、それから深く息を吐き出して言った。
「良かろう。フレドリック・ニューランズとユーフェミア・ハートフィールドの婚約は、フレドリックの有責により破棄とする。今後のことについては後ほど公爵家へ使いを送ろう。今日はもう帰って休むといい。ジェローム、ユーフェミア嬢を頼む」
「はっ。かしこまりました」
鶴の一声って、こういうのを言うんだろうか。陛下の一言で今までの状況が全て変わった。フレドリック王子はまだ固まったまま、口をぱくぱくと動かしている。ユーフェミア様はジェロームさんにエスコートされて、大広間から出ていった。
「そこの君。アルマ・チャーチルと言ったか」
「はっ! は、はぃい!」
陛下に呼ばれて、思わず背筋をぴんと伸ばす。陛下は穏やかに笑って、一度深く頷いた。
「君のこともジェロームから聞いている。フレドリックが迷惑をかけた……君はずっとユーフェミア嬢を守ってくれていたようだな。詫びと、礼をさせてほしい。君の家にも、あとで使いを送ろう。本当にすまなかった」
私は慌てて首をぶんぶん振った。ついでに手も振っていた。
「いいい、いいえ、滅相もございませんっ! 私はただユーフェミア様推しなだけでっ! ただのオタクなだけですから、えぇ!」
陛下はまた優しく笑って、側仕えの兵たちに何やら声をかけた。茫然自失の殿下を兵たちが引きずるようにして、陛下と一緒に出ていった。
それから、状況は一変した。
まず、私に友達が出来た。全部フレドリック王子の思い込みでの行動だと知った人たちが声をかけてくれたのだ。バリーとジョージは手のひらを返して王子を非難してるけど、ユーフェミア様の悪口を咎めなかった時点でお前らも同罪だぞわかってんのか、という気持ち。
当のユーフェミア様は、数日休んでからまた登校してきた。最後にみたときよりも優しい笑顔で「あなたのおかげよ。ありがとう」と言われたときは鼻血をぶっ放して気絶するかと思った。しなかったけど。鼓動は爆速だった。
フレドリック王子は、謹慎のち王位継承権剥奪となったらしい。まぁ、当然の結果だよね。王としての器がないもん。
衝撃の事実もあった。
ある日私はジェロームさんに呼び出されて、改めてお礼を言われた。
「あなたがまともな転生者で良かった」――そんなふうに。
私はすぐに反応することが出来ずに、ただ驚いて目を見開くだけだった。わりと迂闊な発言をし続けていた自覚はあるけど、突っ込まれないから誰も私が転生者だなんて知らないと思っていた。まさかジェロームさんが気付いていたなんて!
「なぜ知っているのかと言いたげですね。僕も転生者だからですよ。ただし、あなたとは違う。僕はこの世界を繰り返し生きる者です」
ジェロームさんの話に、私は益々驚いた。
私は別の世界からやってきた転生者だけど、ジェロームさんはこの「わたしとあなたのものがたり」の世界で何度も転生を繰り返しているのだと言う。
だからなんとなくゲームとの相違があったのか。この世界を生きる、人だから。
「……あの、でも何で転生をしてるんでしょうか? それも、繰り返しって」
「あなたが訪れる前の転生者たちは全員、自分本位でした。そしてユーフェミアを虐げ、『アルマ』を贔屓する王子に入れ込んでいました。私がどれだけ王子に声をかけようが、『アルマ』を説得しようが、彼らは態度を改めなかった。繰り返しユーフェミアを罵り、彼女を傷つけてきた」
そう語るジェロームさんの目は、酷く暗かった。ぐっと拳に力が入り、緊張が走る。
「だから私は、何度もやり直した。彼女が傷つかない世界を見つけようと、必死に。……そして、あなたが現れた。今までの『アルマ』と全く異なる、王子よりもユーフェミアを優先する『アルマ』が」
ジェロームさんの目に、穏やかさが戻る。私は思わずどきりとした。
これは、もしかして。ジェロームさんは、ひょっとして。
「これでようやく、彼女を縛るものから解放できた。やっと……やっと王子から、彼女を取り戻すことが出来た」
あぁ嘘、この展開。もしかしてあの、二次創作で見なかった?
「……ジェロームさんは、ユーフェミア様のことを」
ジェロームさんがにこりと笑う。
「ユーフェミアは……ユフィは、僕の光です。幼いときからずっと、僕の唯一です」
私は両手をぎゅっと握りしめて、ジェロームさんを見る。瞳は相当輝いていた気がする。正直興奮さえしていたように思う。
容量の問題か、シナリオの問題か、掘り下げられることのなかったユーフェミア様とジェロームさんの幼馴染設定。
えぇ、もちろん何度も妄想しましたとも。絶対そっちの方が幸せになれるじゃん! って思ってたから。
「ああああの、私っ、二人のこと応援してます! ジェロームさんなら、ユーフェミア様のこと絶対幸せにしてくれますよね!」
「そのために繰り返したんです。……何度も、何度も、『アルマ』をバッドエンドに導いて」
私はにやけた顔のまま、固まってしまった。背中にひやりと、冷たいものを感じる。
察しの良いオタクなので、わかってしまった。ジェロームさんはそうやって、リセットを繰り返してきたんだ。
わたしとぼくのものがたり。
確かに現実だけれど、多分、同時に何か、都合の良い力が働いている。『アルマ』がスイッチ。あるいはリセットボタン。
「あぁ、心配しないでください。あなたはユフィの恩人です。ユフィもあなたを気に入ってるようですし」
「お。おおおおおそれおおいです」
「どうかこれからも、ユフィの味方でいてください」
にっこりと笑顔でそういうジェロームさんに私は、張子の虎よろしく頷くことしか出来なかった。
いやまさか、ヤンデレですか。そんな設定が付属してたんですか。
何度も転生を繰り返すうちに付与されちゃったのかな。ユーフェミア様が傷つくところを何度も見てきたせいで。
すっごい怖いけど、冷や汗めいっぱいでたけど、気持ちはわからなくないかもしれない。推しちゃんの傷つくところなんて、誰だって見たくないでしょうに。
あ、いや。
ちょっとまって。
つまりこれ、現在進行系でジェロームさんとユーフェミア様の恋愛イベントが発生してるってことですか!?
待って待って待ってなにそれ見たいすごく見たいしベストショットスチル欲しい!!
『アルマ』に見る権利はありませんか!? そこだけ主人公補正効きませんか!!
ポンコツ王子にビシッと言って、ジェロームさんの転生回数の更新を止めた私に、ご褒美はないんですか!!
このあと私は、ユーフェミア様の「相談相手」という、ご褒美なのか拷問なのかわからないポジションをゲットすることになる。
アルマ・チャーチルは今日も、推しちゃんのために頑張って生きています。
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