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第6話 恋に臆病な僕らのリスタート(6)
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◇
数か月後のとある昼下がり。夏樹の姿は、京極と生活をともにしたマンションの一室にあった。
「荷物、これで全部か?」
京極がダンボールを手に問いかけてくる。
中身は夏樹の私物だ。後日、新居に配送してもらう手筈になっており、今はちょうどその荷造りが終わったところだった。
「うん。意外と少なかったもんだねぇ」
夏樹はしみじみと呟き、殺風景になった室内を見回す。つい先日までここで暮らしていたかと思うと、感慨深いものがあって、少しだけ切なくなるようだった。
「ねえ、オーナー」
ぼそ、と声をかける。ダンボールをまとめていた京極はこちらを振り返り、返事の代わりに「ん?」とわずかに首を傾げた。
それを受け、夏樹は深々と頭を下げる。
「二年間、いろいろとお世話になりました」
京極と過ごした時間は決して長くはなかったが、仕事でもプライベートでも数々の恩があった。感謝の気持ちを込めて告げれば、頭上からふっと息を吐く音が聞こえてくる。
「これからどうするつもりだ? ちゃんと考えてあんのか?」
その問いかけに、夏樹は顔を上げて答えた。
「うん、貯金もあることだし専門学校に再入学するつもりだよ。でもって、今度こそ介護の仕事すんの」
「ほー、そうか。そこまで決まってんなら何も言うことねェわな」
「そりゃあ、何もせずに恋人と同棲ってワケにもいかねーもん。どこかの誰かさんは、俺のことペット扱いしてたけどねーっ?」
「そいつぁ、誰のことなんだか」
「ふふん、俺がいないからって寂しがんないでよ?」
「むしろ世話のかかるヤツがいなくなって、清々したっつーの」
いつもの調子で軽口を叩き合う。
京極のことは父親のように思っていたし、これくらいの距離感が心地よかった。
荷物を確認したところでもう一度頭を下げると、京極の隣をすり抜けて玄関へと歩いていく。そしてスニーカーに足を突っ込み、別れの挨拶をしようと向き直ったのだが、
「夏樹」京極が先に口を開いた。「お前と働けて、一緒に過ごせて楽しかったぜ。元気でやれよ」
ぽん、と大きな手が頭に乗せられ、少し乱暴に撫でられる。夏樹は思いがけない言葉に驚きつつも、すぐにされるがままになった。
「たまに遊びに来てもいい?」
「ま、茶ァくらいは出してやるさ」
そう最後にやり取りを交わし、手を振って別れを告げる。夏樹がエレベーターに乗り込む瞬間まで、京極は玄関先で見送ってくれていた。
その後、向かった先は駅前広場だった。程なくして、待ち合わせていた人物がやって来る。
「隆之さん!」
姿を見つけるなり、夏樹はすぐさま駆け寄った。
「早かったな。もっとゆっくりしてきてもよかったのに」
「こんくらいでいーの。ほら、早くいこっ? お部屋に置く家具見るんでしょ?」
パッと隆之の手を取り、指を絡めて歩き出す。今日は京極のもとで荷造りを終えたあと、新しく家具や生活用品を揃えようと約束していたのだ。
「俺、お揃いの食器が欲しいなあ。マグカップとかご飯茶碗とかさ」
「そいつはいい。夏樹のセンスに期待だな」
「えーっ、隆之さんも一緒に選ぼうよ!」
他愛のない会話をしながら歩く二人の表情は、幸せに満ち溢れていた。
互いに弱くて臆病で、ときに立ち止まることや逃げてしまうこともあった。過去のしがらみだって、立場や性的指向の壁だってあった。
――それでも手を精一杯掴んでくれて、一生かけて大切にすると誓ってくれた人。
数ある未来から自分を選んでくれた彼のことを、夏樹も心から大切にしたいと思う。結婚したり、子供をつくったり。そういった幸せの形ではないけれど、この二人だからこそ得られる幸せだってたくさんある。隆之がそう信じさせてくれたのだ。
だから、これから先に何が待ち受けているとしても、この手を離すことだけはないだろう。夏樹は繋いだ手に力を込め、満面の笑みを浮かべた。
そんな夏樹のことを愛しげに見やり、隆之もまた優しく握り返してくる。そうして二人の姿は雑踏の中に紛れていった。
数か月後のとある昼下がり。夏樹の姿は、京極と生活をともにしたマンションの一室にあった。
「荷物、これで全部か?」
京極がダンボールを手に問いかけてくる。
中身は夏樹の私物だ。後日、新居に配送してもらう手筈になっており、今はちょうどその荷造りが終わったところだった。
「うん。意外と少なかったもんだねぇ」
夏樹はしみじみと呟き、殺風景になった室内を見回す。つい先日までここで暮らしていたかと思うと、感慨深いものがあって、少しだけ切なくなるようだった。
「ねえ、オーナー」
ぼそ、と声をかける。ダンボールをまとめていた京極はこちらを振り返り、返事の代わりに「ん?」とわずかに首を傾げた。
それを受け、夏樹は深々と頭を下げる。
「二年間、いろいろとお世話になりました」
京極と過ごした時間は決して長くはなかったが、仕事でもプライベートでも数々の恩があった。感謝の気持ちを込めて告げれば、頭上からふっと息を吐く音が聞こえてくる。
「これからどうするつもりだ? ちゃんと考えてあんのか?」
その問いかけに、夏樹は顔を上げて答えた。
「うん、貯金もあることだし専門学校に再入学するつもりだよ。でもって、今度こそ介護の仕事すんの」
「ほー、そうか。そこまで決まってんなら何も言うことねェわな」
「そりゃあ、何もせずに恋人と同棲ってワケにもいかねーもん。どこかの誰かさんは、俺のことペット扱いしてたけどねーっ?」
「そいつぁ、誰のことなんだか」
「ふふん、俺がいないからって寂しがんないでよ?」
「むしろ世話のかかるヤツがいなくなって、清々したっつーの」
いつもの調子で軽口を叩き合う。
京極のことは父親のように思っていたし、これくらいの距離感が心地よかった。
荷物を確認したところでもう一度頭を下げると、京極の隣をすり抜けて玄関へと歩いていく。そしてスニーカーに足を突っ込み、別れの挨拶をしようと向き直ったのだが、
「夏樹」京極が先に口を開いた。「お前と働けて、一緒に過ごせて楽しかったぜ。元気でやれよ」
ぽん、と大きな手が頭に乗せられ、少し乱暴に撫でられる。夏樹は思いがけない言葉に驚きつつも、すぐにされるがままになった。
「たまに遊びに来てもいい?」
「ま、茶ァくらいは出してやるさ」
そう最後にやり取りを交わし、手を振って別れを告げる。夏樹がエレベーターに乗り込む瞬間まで、京極は玄関先で見送ってくれていた。
その後、向かった先は駅前広場だった。程なくして、待ち合わせていた人物がやって来る。
「隆之さん!」
姿を見つけるなり、夏樹はすぐさま駆け寄った。
「早かったな。もっとゆっくりしてきてもよかったのに」
「こんくらいでいーの。ほら、早くいこっ? お部屋に置く家具見るんでしょ?」
パッと隆之の手を取り、指を絡めて歩き出す。今日は京極のもとで荷造りを終えたあと、新しく家具や生活用品を揃えようと約束していたのだ。
「俺、お揃いの食器が欲しいなあ。マグカップとかご飯茶碗とかさ」
「そいつはいい。夏樹のセンスに期待だな」
「えーっ、隆之さんも一緒に選ぼうよ!」
他愛のない会話をしながら歩く二人の表情は、幸せに満ち溢れていた。
互いに弱くて臆病で、ときに立ち止まることや逃げてしまうこともあった。過去のしがらみだって、立場や性的指向の壁だってあった。
――それでも手を精一杯掴んでくれて、一生かけて大切にすると誓ってくれた人。
数ある未来から自分を選んでくれた彼のことを、夏樹も心から大切にしたいと思う。結婚したり、子供をつくったり。そういった幸せの形ではないけれど、この二人だからこそ得られる幸せだってたくさんある。隆之がそう信じさせてくれたのだ。
だから、これから先に何が待ち受けているとしても、この手を離すことだけはないだろう。夏樹は繋いだ手に力を込め、満面の笑みを浮かべた。
そんな夏樹のことを愛しげに見やり、隆之もまた優しく握り返してくる。そうして二人の姿は雑踏の中に紛れていった。
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