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第5話 さらけ出して、君となら(5)
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ところが、その台詞が最後まで紡がれることはなかった。思いがけず、犬飼の体がもたれかかってきたのだ。
「えっ? ちょ、犬飼さんっ!?」
顔を上げるなり、羽柴は慌てて犬飼のことを支えた。
見れば、緊張の糸が切れてしまったのか、犬飼はすうすうと安らかな寝息を立てているではないか。
(ね、寝てる!)
ツいていないというか、まさかのタイミングだ。
羽柴はため息をついたが、背中と膝の下に腕を回して、その体を抱え上げてみせた。寝室へと足を運ぶと、起こさぬようベッドに横たえてやる。
(……少しは安心してくれたのかな)
犬飼の寝顔は、普段の凛とした姿からは想像もつかぬほど、無垢であどけない。先ほど言われた言葉の数々を思い返し、羽柴の中で決意が固まるのを感じた。
(俺も、あなたの〝信頼〟に応えたい――)
髪を優しく梳いたのちに、静かに身を屈めていく。眠る犬飼に顔を近づけると、額にそっと口づけを落とした。
犬飼はすっかり寝入っているようで、起きる気配はない。
「ゆっくり休んでくださいね、犬飼さん」
目に焼き付けるように、愛しい寝顔を見つめてから、羽柴は寝室を後にする。
のちに目を覚ました犬飼のため、部屋を片付け、簡単に食べられそうなものを作り置きすると、重い瞼を擦りながら出社したのだった。
◇
――とまあ、考えを巡らせたところで、そう簡単に話が進むこともなく。
(繁忙期のバカやろう! こんなときに迷惑かけた俺は、もっとバカーっ!)
毎年恒例の通期決算を前に、羽柴は社内でエクセル表と向き合う日々を送っていた。
もちろん通常の業務もあるので、営業に次ぐ営業に、取引先との接待、その他諸々――日々のタスクを消化していくだけで、あっという間に就業時間が過ぎていく。
特に最近は残業続きで、休みだって取れやしない。人目を忍んで犬飼と会う気にもなれず、最後にまともな会話をしたのは、もう二週間前のことである。
(だけど、やっと一段落つきそうだし……そしたら)
ずるずるとデスクに突っ伏しながら、ひそかに犬飼のことを想う。そんなことをしていたら、いきなり背後から声をかけられた。
「羽柴」
「ひゃっ!?」
羽柴は悲鳴を上げて飛び上がる。バッと振り向けば、そこには缶コーヒーをいくつか抱えた犬飼の姿があった。
「ほら、もう少しだから頑張れ」
デスクワーク中の社員全員に配っているのだろう。犬飼は缶コーヒーを一本、羽柴に差し出してくる。
「あ、ありがとうございますっ!」
頭を下げながら受け取ると、犬飼は職務中にも関わらず、優しげな笑みを返してくれた。その去り際を、とっさに羽柴は引き留める。
「あの、犬飼さん。今夜……いいですか?」
そう耳打ちすれば、犬飼の肩がほんのわずかに跳ねた。ややあってから、「ああ」とだけ返ってきて、羽柴は背筋をピンと正したのだった。
「えっ? ちょ、犬飼さんっ!?」
顔を上げるなり、羽柴は慌てて犬飼のことを支えた。
見れば、緊張の糸が切れてしまったのか、犬飼はすうすうと安らかな寝息を立てているではないか。
(ね、寝てる!)
ツいていないというか、まさかのタイミングだ。
羽柴はため息をついたが、背中と膝の下に腕を回して、その体を抱え上げてみせた。寝室へと足を運ぶと、起こさぬようベッドに横たえてやる。
(……少しは安心してくれたのかな)
犬飼の寝顔は、普段の凛とした姿からは想像もつかぬほど、無垢であどけない。先ほど言われた言葉の数々を思い返し、羽柴の中で決意が固まるのを感じた。
(俺も、あなたの〝信頼〟に応えたい――)
髪を優しく梳いたのちに、静かに身を屈めていく。眠る犬飼に顔を近づけると、額にそっと口づけを落とした。
犬飼はすっかり寝入っているようで、起きる気配はない。
「ゆっくり休んでくださいね、犬飼さん」
目に焼き付けるように、愛しい寝顔を見つめてから、羽柴は寝室を後にする。
のちに目を覚ました犬飼のため、部屋を片付け、簡単に食べられそうなものを作り置きすると、重い瞼を擦りながら出社したのだった。
◇
――とまあ、考えを巡らせたところで、そう簡単に話が進むこともなく。
(繁忙期のバカやろう! こんなときに迷惑かけた俺は、もっとバカーっ!)
毎年恒例の通期決算を前に、羽柴は社内でエクセル表と向き合う日々を送っていた。
もちろん通常の業務もあるので、営業に次ぐ営業に、取引先との接待、その他諸々――日々のタスクを消化していくだけで、あっという間に就業時間が過ぎていく。
特に最近は残業続きで、休みだって取れやしない。人目を忍んで犬飼と会う気にもなれず、最後にまともな会話をしたのは、もう二週間前のことである。
(だけど、やっと一段落つきそうだし……そしたら)
ずるずるとデスクに突っ伏しながら、ひそかに犬飼のことを想う。そんなことをしていたら、いきなり背後から声をかけられた。
「羽柴」
「ひゃっ!?」
羽柴は悲鳴を上げて飛び上がる。バッと振り向けば、そこには缶コーヒーをいくつか抱えた犬飼の姿があった。
「ほら、もう少しだから頑張れ」
デスクワーク中の社員全員に配っているのだろう。犬飼は缶コーヒーを一本、羽柴に差し出してくる。
「あ、ありがとうございますっ!」
頭を下げながら受け取ると、犬飼は職務中にも関わらず、優しげな笑みを返してくれた。その去り際を、とっさに羽柴は引き留める。
「あの、犬飼さん。今夜……いいですか?」
そう耳打ちすれば、犬飼の肩がほんのわずかに跳ねた。ややあってから、「ああ」とだけ返ってきて、羽柴は背筋をピンと正したのだった。
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