てなずけたポメラニアンはSubで鬼上司でした

有村千代

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第1話 鬼上司とポメラニアン(1)

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 ときに人生とは、何が起こるかわからないものである。


「うん、上手におしっこできたね! Good boyいい子

 目の前にいるのは、黒と茶の毛並みが美しいポメラニアン。資料室の奥まった場所にその犬はいた。
 どこから入ってきたのだろうか――そんな疑問を抱えつつも、部署の資料を勝手に荒らされてはたまったものではない。気づけば、飼い犬相手のように自然と《コマンド》を発していた。

 ……それが、まさかの事態を引き起こすだなんて。

「え……いぬかい、主任?」

 この瞬間、羽柴大和はしばやまとのありきたりな日常は、突如として終わりを告げたのだった。


    ◇


 時は少しさかのぼって――その日もオフィス内は、朝からピリピリとした空気に満たされていた。

「おい、羽柴」
「はい!」

 地を這うような低い声で呼ばれ、羽柴は反射的に背筋を伸ばす。
 声をかけてきたのは、鬼上司と名高い主任・犬飼蓮也いぬかいれんやだった。

 犬飼は華奢で色白な見た目をしているものの、鋭い眼光と威圧感は見るものを震え上がらせると、もっぱらの評判だ。その一方、艶やかな黒髪と、美しく整った顔立ちから漂う色気がたまらないと、ひそかに人気が高いのも確かなのだが――。

 とにもかくにも、羽柴はメールチェックを切り上げて、犬飼のもとへ向かう。

 目の前に突きつけられたのは、羽柴が作成した取引先への提案書だった。犬飼は眉間に深い皺を刻んでいる。

「この提案書では何も伝わってこない。競合他社との差別化も曖昧だし、付加価値をまったく感じられない。君は何のための商談だと思っているんだ?」
「それは……もちろん需要と供給のマッチングと、円滑な取引の仲介をする為の」

 羽柴がおそるおそる答えると、犬飼はフンッと鼻を鳴らした。

「わかっているじゃないか。代替がきくとはいえ、単にモノを受け渡しするだけでは話にならない。今すぐやり直せ」
「しょ、承知しましたッ!」

 取引先との打ち合わせまで時間がない。慌ててデスクへと戻り、各種データの確認からやり直す。

 羽柴は駆け出しの商社マンだ。資材や食料品・日用品など、多種多様な商材を扱う総合商社に勤めている。
 何を隠そう、この春でまもなく社会人二年目。花形である営業部に配属されたまではよかったが、なかなか業務内容についていけないのが現状だ。
 ガタイの良さと体力だけが取り柄のようなもので、社内のお荷物もいいところである。

(ううっ。気づけば毎日、犬飼さんに叱られてるような)

 案件を任されることも増え、今も新規商材の取引先開拓のために奔走しているものの、どうにも先が思いやられる。

 正直、期待に応えられない自分が不甲斐ない。いつだって、主任である犬飼にダメ出しを食らってばかりだ。それも鬼のような形相で。

 ただ、上司としては至極当然のことを言っているにすぎない。仕事に対してストイックで、部下のマネジメントにも気づかっているからこその、厳しさだと理解している。
 だから羽柴も、必死に食らいついていこうとしているのだ。いつまでも泣き言など言っていられるものか。

「羽柴くんかわいそー。犬飼主任ってば、なにもあんなふうに言わなくてもいいのに。なんでいつもイライラしてるんだろう?」
「さあ? でも、Domドムって噂だし――欲求不満とかじゃ?」

 プリントアウトした書類を取るため、再び席を立ったところで、一般職の女性社員らの会話が耳に入ってきた。羽柴は書類をまとめながらも、つい耳を傾けてしまう。
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