上 下
21 / 142
season1

scene03-08

しおりを挟む
「獅々戸さんは、紅茶とコーヒーどっち派ですか? 今日は暑いからアイスにしようと思うんですけど」
 雅はキッチンに立って、こちらへは顔を向けずに訊いてくる。平静を装っているつもりなのだろうが、声がやや上擦っていた。
「………………」
 そんな彼に無言で近づき、自分よりもずっと大きな背に触れる。
 そっと頭をくっつければ、少し速い鼓動が聞こえた。
「獅々戸さん?」
「いいからそのまま聞け」
 雅が着ているポロシャツの裾を、きゅっと掴んで言う。面と向かって話せるほどの度胸はなかった。
「藤沢、あんなこと言って悪かった。ほんとマジでごめん……自分のカッコ悪さに思わずカッとなっただけなんだ」
「……いえ、こちらこそすみません。押し付けないって言ったくせに、獅々戸さんの気持ちとか勝手に決めつけて。気持ち悪がられるの、当然です」
「や、その、あれもこれも違うんだっ。確かに俺にはそんな趣味ねーし、お前に……されたときはクソほど屈辱感味わったし、年下にされるがままなのが悔しかったけど――でも、不思議と気持ち悪いってのはなくてっ」
 逆に謝られて反射的に捲し立てる。言い訳がましくなってしまったが、すべて本意だ。
「本当ですか? 俺を気遣って言ってるだけじゃ」
「気遣いでこんなこと言えるかバカ! 今だって、こっ恥ずかしくて仕方ねえよ!」
 こうして背中越しに伝えるだけで精一杯だ。自分でも顔がじわじわと赤くなっていることに気づいて、ますます恥ずかしさが募っていく。
「あの、背中熱いです」
「言うなバカ野郎! つーか黙って聞け! いいか、一度しか言わねーからな!」
「は、はい」
 本当は謝るだけのつもりだったが、誤解のないように、もう少しだけ己の感情を伝えようと思った。深呼吸してゆっくりと言葉を紡ぐ。
「こっちだって困惑してんだよ。ヘタレな自分が嫌いで見せないようにしてたのに、藤沢の前ではボロボロで……でも、お前はそれでも好きだって言ってくるし。そしたら、気になるに決まってんじゃん」
「え?」
「ワケわかんねえけど、こっちだってお前のこと意識して――」
 その瞬間、大きな背がぱっと離れた。
 服を掴んでいた手が宙を彷徨う。軽く体勢を崩したところで、こちらに向き直った雅が両手で肩を掴んできた。
「それってどういうことですか」
「だっ、黙って聞けって言っただろーが!」
「黙っていられるわけないでしょう」
 続きを催促するかのように、雅が真顔で見つめてくる。
 そうなると、こちらとしては折れるしかなかったが、あいにく答えと言えるほどのものは持ち合わせてなかった。
「だから、わかんねえって言ってんだろ。岡嶋に対する想いはまだあるってのに、野郎同士で……とか、マジわかんねえ」
 彼に対する感情は一体何なのだろう。
 相手を独り占めしたいだとか、いつも一緒にいたいといった感情は、正直に言うと今のところない。が、友人に対するような好意とは違う気がする。
(専攻分野のくせに、少しも理解できないってのはどういうことだよ)
 玲央が心理学を専攻したのは、興味関心はもとより、自己に対する理解を深めたかったからだ。ずっと抱えていたこの感情にも説明がつけば、自分のなかで消化できるのではないかと思っていたのだ。
 ところが実際は、人の心なんて説明がついても理解できないことだらけだった。だからこそ、こうして思い悩んでは戸惑い、答えを出せないでいる。
「本当に嫌じゃないんですか?」
「嫌では、ない……好意向けられるの本当は嬉しかったし」
「じゃあ、あなたのことを好きでいて――いいんですね?」
 雅は念入りに確認してくる。
 それに頷きつつ、「ただ」と付け足した。
「お前を意識しているのは確かだけど、はっきりした恋愛感情じゃなくて。だから、俺は何も返せないと思う」
 我ながらクズだと思った。こんなもの、どうせなら見限ってくれた方がいいというのに、
「問題ありません。純粋にあなたの支えになりたいんです」
 口元を緩ませて言ってのけるのだから、この男は何なのだろう。玲央は良心が痛むのを感じて、さらに言葉を追加することにした。
「いや……そんな考えが続くとは思えねーし、俺はお前を傷つけるかもしれない。気持ちが返ってこない辛さは、痛いほど知ってるから……」
「それでもいいですから、あなたのこと想わせてください」
(どうしてそこまで直球なんだよっ!?)
 彼の思考が少しも理解できなくて頭を抱える一方、胸が満たされていく感覚を味わう。
 気恥ずかしさに俯くも、雅の手によって顎を優しく掬いあげられた。吐息を感じる距離で視線が合う。
「今、すごく可愛い顔してるのわかってますか?」
「はあ!? お、男に可愛いとかバカじゃねえの!? やたらカッコいいって言ってたのは、どこのどいつだよっ!」
「ふふ、どちらも本当のことですよ?」
「バッ!」
「ね、獅々戸さん。キスしても……いい?」
 その言葉に、一段と動悸が速まって目を逸らす。
「そんなの訊くとか今さらだろ。あんなことしておいて……」
「あー、あのときはちょっと理性が……あはは、今もちょっとアレですけど」
「………………」
(フツーに考えて、おかしいだろって思うのに)
 先日の件は別件として、ここ数年そういったものに縁がなかったせいか、卑しい感情が膨らんできてしまう。
 抵抗がないとは決して言えない。けれども、情欲には勝てなかった。
「好きにしろよ」
「はい、好きにさせてもらいます」
 雅が顔を寄せてきて、唇が重ねられる。
 始めは軽く重ね合わせるだけのキス。やがて緊張が解れてくると、口内に温かい舌が滑り込んできた。
 舐めとるように舌が絡みついてきて、お返しとばかりにこちらも差し出せば、強く吸いあげられ、いやらしく音を立てながら唾液が交じり合う。
 深まっていくキスに頭がくらくらとしてきて、己の中の理性が崩れ落ちる予感がした。
「がっつきすぎだろ、バカやろ……立ってられなくなるっ」
 口づけから逃げるように体を離し、息も絶え絶えに音をあげる。対する雅はクスッと笑った。
「なら、ベッドに行きましょうか」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

男爵令嬢に転生したら実は悪役令嬢でした! 伯爵家の養女になったヒロインよりも悲惨な目にあっているのに断罪なんてお断りです

古里@10/25シーモア発売『王子に婚約
恋愛
「お前との婚約を破棄する」 クラウディアはイケメンの男から婚約破棄されてしまった…… クラウディアはその瞬間ハッとして目を覚ました。 ええええ! 何なのこの夢は? 正夢? でも、クラウディアは属国のしがない男爵令嬢なのよ。婚約破棄ってそれ以前にあんな凛々しいイケメンが婚約者なわけないじゃない! それ以前に、クラウディアは継母とその妹によって男爵家の中では虐められていて、メイドのような雑用をさせられていたのだ。こんな婚約者がいるわけない。 しかし、そのクラウディアの前に宗主国の帝国から貴族の子弟が通う学園に通うようにと指示が来てクラウディアの運命は大きく変わっていくのだ。果たして白馬の皇子様との断罪を阻止できるのか? ぜひともお楽しみ下さい。

見ず知らずの(たぶん)乙女ゲーに(おそらく)悪役令嬢として転生したので(とりあえず)破滅回避をめざします!

すな子
恋愛
 ステラフィッサ王国公爵家令嬢ルクレツィア・ガラッシアが、前世の記憶を思い出したのは5歳のとき。  現代ニホンの枯れ果てたアラサーOLから、異世界の高位貴族の令嬢として天使の容貌を持って生まれ変わった自分は、昨今流行りの(?)「乙女ゲーム」の「悪役令嬢」に「転生」したのだと確信したものの、前世であれほどプレイした乙女ゲームのどんな設定にも、今の自分もその環境も、思い当たるものがなにひとつない!  それでもいつか訪れるはずの「破滅」を「回避」するために、前世の記憶を総動員、乙女ゲームや転生悪役令嬢がざまぁする物語からあらゆる事態を想定し、今世は幸せに生きようと奮闘するお話。  ───エンディミオン様、あなたいったい、どこのどなたなんですの? ******** できるだけストレスフリーに読めるようご都合展開を陽気に突き進んでおりますので予めご了承くださいませ。 また、【閑話】には死ネタが含まれますので、苦手な方はご注意ください。 ☆「小説家になろう」様にも常羽名義で投稿しております。

嫌われ者の長男

りんか
BL
学校ではいじめられ、家でも誰からも愛してもらえない少年 岬。彼の家族は弟達だけ母親は幼い時に他界。一つずつ離れた五人の弟がいる。だけど弟達は岬には無関心で岬もそれはわかってるけど弟達の役に立つために頑張ってるそんな時とある事件が起きて.....

ズボラ上司の甘い罠

松丹子
恋愛
小松春菜の上司、小野田は、無精髭に瓶底眼鏡、乱れた髪にゆるいネクタイ。 仕事はできる人なのに、あまりにももったいない! かと思えば、イメチェンして来た課長はタイプど真ん中。 やばい。見惚れる。一体これで仕事になるのか? 上司の魅力から逃れようとしながら逃れきれず溺愛される、自分に自信のないフツーの女子の話。になる予定。

(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)

青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。 だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。 けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。 「なぜですか?」 「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」 イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの? これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない) 因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。

別れてくれない夫は、私を愛していない

abang
恋愛
「私と別れて下さい」 「嫌だ、君と別れる気はない」 誕生パーティー、結婚記念日、大切な約束の日まで…… 彼の大切な幼馴染の「セレン」はいつも彼を連れ去ってしまう。 「ごめん、セレンが怪我をしたらしい」 「セレンが熱が出たと……」 そんなに大切ならば、彼女を妻にすれば良かったのでは? ふと過ぎったその考えに私の妻としての限界に気付いた。 その日から始まる、私を愛さない夫と愛してるからこそ限界な妻の離婚攻防戦。 「あなた、お願いだから別れて頂戴」 「絶対に、別れない」

塀のうちの字余り

蕚ぎん恋
BL
娘を自動車事故で喪い、その加害者を同じく轢死させた高階朔(たかしな さく)(32)は、死刑判決後の再審中にあり、衛生係として拘置所に従事していた。 同所には少年死刑囚に確定された天川透(あまがわ とおる)(21)がおり、年若ながら虚構を映した瞳でたたずむ彼が気に掛かり、趣味である短歌、『連歌』を通じ彼とささやかな交流をはかろうとする——。 胸糞、鬱展開、ヒューマンドラマ要素が高いですが、周囲の親族、刑務官などとの関係性も長い年月を通して描きながら、 "爽やか誠実元消防士×陰キャ儚い情念隠し系"の、 年齢も罪を負った背景も違う、突きつけられた死をただ待つのみの鎖ざされた世界で出会ってしまったふたりが至上の甘い魂の結びつき、昇華を迎えるまでを辿りました。 最後の最後に奇跡のキスシーンまで書(描)いてます。 囚人の処遇、量刑や裁判、自由度、各種職務内容などにフィクションを多分に含み、世界観に重きを置いて描いています。

旦那様、政略結婚ですので離婚しましょう

おてんば松尾
恋愛
王命により政略結婚したアイリス。 本来ならば皆に祝福され幸せの絶頂を味わっているはずなのにそうはならなかった。 初夜の場で夫の公爵であるスノウに「今日は疲れただろう。もう少し互いの事を知って、納得した上で夫婦として閨を共にするべきだ」と言われ寝室に一人残されてしまった。 翌日から夫は仕事で屋敷には帰ってこなくなり使用人たちには冷たく扱われてしまうアイリス…… (※この物語はフィクションです。実在の人物や事件とは関係ありません。)

処理中です...