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10話 寒気

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 夕梨花との青春を過ごす誠
「……夕梨花?」長い髪。つり目の大きい瞳
 ……違いない。彼女だ。
「どうしたのせんせい。ぼーとしちゃってさ?」
「……君を捜していたんだ」 
 本当に、ずっと捜していた。
 僕が本当に教師になった世界で、だけど君はどこにもいなくて。僕はどうしようも無く途方に暮れて――。
 でも、君はここにいたんだ、失われた20年前の夏の日に。
「あたし? 学校でいつも会ってるし、ケータイで電話すればいいじゃない」
 夕梨花は不思議そうな顔をする。
「直接君に会いたかったんだ」僕の口は、勝手に言葉を発していた。
「え? なにそれ……」瞬間、僕の顔に水が掛かる。
 顔を拭うと夕梨花の顔は少し赤らんでいた。
「せんせいのばかっ。それドラマの真似? それとも暑さにやられちゃった?」
「は…ははは」自然と笑みが零れる。それと同時に学校のチャイムが鳴り響いた。職場でいつも聞いていたのに、何故か胸に響く。
「ねぇせんせい。今日も勉強を教えてよ」そう言って笑う彼女は、太陽に照らされてとても眩しかった。


 その後僕は、授業を受けたり、教室でかつて友人だった人達と漫画やゲームの話をして過ごした。
本来の僕はとっくに漫画もゲームも興味無いはずなのに、何故か20年前の内容を鮮明に覚えていた。むしろ教師だった時期の方が、酷く曖昧な記憶になっている。
 
 メールの着信音が鳴った。当時流行っていた歌のメロディ。僕の携帯だ。画面を開く。
 ――せんせい、今日もウチ来てねー。お礼の夕飯期待してて!
 彼女とはいつも一緒に帰らず、こんな風にメールのやりとりをしていた。
 夕梨花は料理が得意で、料理をご馳走してくれるのが彼女なりの礼だった。
 今思えば、付きあってもいないのに彼女の家に行くのは、とても勇気が必要なのだなと思う。
 現代の僕には、そんな勇気はとっくに無くなっていた。

 僕は彼女の家まで歩く。アスファルトは陽炎に揺れていた。
 ……楽しい。友人達との他愛の無い話題も。面倒だと思っていた掃除も、教える側としては嫌に苦痛だった授業でさえも。どれもが酷く愛おしい。
「――それは貴方が明日に希望を見いだしているからですよ」

「わっ」驚く。隣を見ると、ルシルと、いちごが並んで歩いていた。今度の二人は学ランとセーラー服を身に纏っていた。彼は学帽を整えながら頬笑む。「今、俺たちは学生って設定です。ん~懐かしい! 学生時代を思い出すなぁ。いちごちゃん、憧れのセーラー服はどうだい?」
「はい! 青いリボンが可愛いですね。嬉しいです!」
 いちごは嬉しそうにくるりと一回転をした。スカートがふわりと揺れた。白いルーズソックスが眼に入り、そういえば流行っていたなと思う。
「それはなにより。誠さん。この夢はいかがですか?」
「最高だよ。何もかもがあの時のままだ。ずっと、このままでいたいくらいだ」

 ルシルは薄く笑う。「――それは良かった。さて、いよいよ想い人と二人の時間だ。ごゆっくりお過ごし下さい」
「ああ、君たち、こんな素晴らしい夢を見せてくれて、本当にありがとう!」
 僕は感謝の気持ちが一杯になり、彼らに頭を下げた。
「……誠先生は、現在の世界に思い入れは無いのですか?」
 いちごの方を見る。彼女は何故か、少し悲しそうな表情に見えた。僕は笑う。

「うん? 無いよ」
「でも……先生は先生になれたじゃないですか? 先生には、なりたくなかったのですか?」
 胸の奥で、少し苛立ちを感じた。
 彼女の憐れむ様な瞳が、気にくわなかった。僕は物分かりが悪い生徒に教える様に、言葉を続ける。

「教師がこんな職業なんて、知らなかったんだ。……この世界は過去、偽物らしいけど、僕からしたらそうは見えない。むしろ――偽物はあっちの世界の方だ」
 僕は続ける。拳には、いつの間にか力が入っていた。
「AIだのヴァーチャル・リアリティだの、まるでSFの世界だ。そんな物、僕には必要ないんだ。あそこには、友人も、夕梨花もいない。僕に優しくしてくれる人は誰もいない。嘘だらけの、醜い世界だ……僕はもう、戻りたくないんだ」
「そう、ですか」
「……もう行くよ。それじゃ」
 僕はそう言って急ぎ足で向かう。いちごは去って行く僕を、じっと見つめていた。穏やかな瞳なのに
、まるで罪を訴えかけるような、そんな、寒気のする眼差しだった。
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