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36.新たな逃亡劇
しおりを挟むアシュフォードの案に乗るということは、本格的に王家派に力を貸すことを意味していた。そして同時に、オデッサとの別れもやって来た。
「ヴォルティス侯爵邸に行くのね」
「あぁ。貴族派の補助として、できる限りのことをしてみせる。……必ず仇は取るから」
「ロジー。私も一つ英雄さんに同意することがあるのよ」
「オデッサが?」
キョトンとしていれば、オデッサは私の両手をそっと取った。
「あんな奴のせいで、ロジーの手が汚れるのは無価値だということよ」
「オデッサ……」
「だからと言って、復讐自体を否定するわけじゃないわ。……ロジー。私の分まであいつをぶん殴ってきて」
「もちろんだ」
ぎゅっとオデッサの手を握ると、そのまま力強く頷いた。港町でできることがあれは全て請け負うと、心強い言葉を最後に抱擁を交わした。
「またいつでも来てちょうだい。英雄さんもね。貴方になら約束なしでも部屋を貸してあげるわ」
「それはありがたいな。世話になった、オデッサ嬢」
「でも。ロジーに怪我をさせた瞬間、港町を敵に回すと思ってね?」
「おい、オデッサ」
「当然の処遇だな。かすり傷一つつけさせないと約束する」
(……私を何だと思ってるんだ)
いつの間にか親しくなっている二人の話は、どこまで冗談なのかわからなかった。笑いながら見送られると、サンゴの隣にある来客用の厩舎に向かった。
それぞれ馬に乗ろうする。しかし、村から走らせていた私の馬がなくなっていた。
「……私の馬がない」
「盗まれたか?」
「……かもしれない。すまないアシュフォード。少し待っていてくれ。新しい馬を買ってーー」
「一緒に乗らないか?」
ピシリと固まった。突然の申し出にすぐに答えが出なかった。
「……な、何を言っているんだお前は」
情けないことに、これがようやく絞りだした答えだった。
「駄目か? 近くにいてくれた方が守りやすいんだが」
「わ、私は自分の身は自分で守れる!」
「もちろん知ってる。その上での申し出なんだ」
さっと出された手に動揺しながら、アシュフォードを見る。彼は寂しそうな目でこちらを見ている。
「……駄目か?」
(うっ…………確かに今から馬を探すのは手間だしな。決して乗りたい訳ではないが……仕方ないか)
そーっと手を出せば、まだ手を乗せる前にアシュフォードに取られてしまった。
「!」
「承諾、だな。それじゃあ行こう」
さらりとそう言うと、嬉しそうに馬を柱の繋ぎから外した。流れるように自分が乗ると、再び手を伸ばされる。
(……一人でも乗れるが、払ったらマナー違反か?)
誰かと馬に乗ったことがなかったので、困惑しながらアシュフォードの手を取ることにした。ぐいっと強い力で引き上げられると、無事乗ることができた。
(こ、こんなに近いものなのか……!?)
アシュフォードの体が今にも背中にくっつきそうなほど、その距離は近いものだった。
頬が熱くなったかと思えば、背中も暖かくなってきた。びっくりして片手で自分の頬に触れる。
(な、何でこんなに緊張しているんだ?)
頬は疲れで、背中の暖かさはアシュフォードが風をしのいでいるからだ。そう思い込むしかできなかった。
「フードとかつらは大丈夫か?」
顔を近付けて、そう聞いてくるアシュフォード。声が今にも耳にかかりそうな程間近に聞こえる。
(これ以上近付かないでくれ……!!)
思わずぎゅっと目をつぶってしまった。
「……問題ない」
平静を装ってそう答える。
アシュフォードに確認されると、念のためぐっと被り直した。ヴォルティス侯爵邸に到着するまでは、かつらもフードも外すことはないだろう。
「よし、行くぞ」
「あぁ」
(駄目だ……落ち着かない)
鼓動が速くなるのを感じた状態のまま、サンゴ及び港町を出発するのだった。
「……速いな」
「あぁ。自慢の愛馬だ」
いざ馬が走り出せば、幾分かは冷静さを取り戻せた。景色に集中して、その他の思考を手放したのが効いたのかもしれない。
アシュフォードの愛馬は、私が村で購入した馬よりはるかに速かった。騎士団の馬だからか、特別なのかもしれない。しばらく走り続けると、ヴォルティス侯爵領に近付いてきた。
嫌な気配に顔を歪ませる。
「……感じるか、ラルダ」
「あぁ。誰かにつけられているな」
背後に付きまとう気配。間違いなく、港町から尾行されているものだった。
「このまま侯爵領に戻るのは控えた方が良いかもしれないな……」
その呟きには私も同意した。相手が誰かわからない状況で、何故つけられているのかもわからないまま自陣に帰るのは得策ではない。
「侯爵領に行く前に撒くしかないな」
「……それなら任せてくれないか?」
「ラルダに?」
「あぁ。ここからならヴォルティス侯爵領だけじゃなく、裏社会がある裏路地にも行ける」
「だが、近付くのは危険だ」
「ロザクの死が流れてからかなりの時間が経っているから問題ない。それに、あそこは入り組んでいて複雑な道だ。撒くに適している」
熟知している分、たとえ相手が同じ裏社会の人間だとしても奥の手があるので逃げ切れる自信がある。その旨をアシュフォードに伝えれば、手綱を握る手を緩めた。
「任せた、ラルダ」
「任された」
お互いの顔は見えないものの、頷き合えている気がした。背後に感じる気配が近付いてきた瞬間、私は勢いよく馬を走らせた。当たり前のように追ってくる速さが上がる。裏路地までは撒けるとは思っていない。ただ、距離を狭まれないように走り続けた。
(裏路地に着いた)
しつこいことに、気配が遠ざかる様子はなかった。それでも、裏路地に到着してしまえばこっちのものだ。
「すまない、頑張ってくれるか?」
アシュフォードの愛馬に確認をすれば、任せろと言わんばかりにブルルッと鳴いた。その様子に笑みをこぼすと、早速馬が通れるギリギリの狭さの道へと入っていった。どんどん曲がって、相手を混乱させる。ぴったりとついていた気配が薄まっていく。そして、撒いたと感じたその瞬間、一気に自分が良く知る通りにでた。
「アシュフォード、あの店だ」
「あそこに知り合いがいるのか?」
「そうだ」
店の脇であり、一目では絶対にわからない場所に愛馬を繋ぐと、私達は急いで店内へと入った。カランコロンという鈴の音が響くと、私は店の店主の名を呼んだ。
「ルゼフ、いるか?」
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