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08.記憶に残る顔(アシュフォード視点)

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 じっと死体の顔を見つめる。傷一つない、死人にしては美しい肌だ。目を閉じた状態でも、整っている顔だと言うことがわかる。

「暗殺者にしては随分華奢な体だな。とてもアシュフォードと渡り合えるような力を持った男には見えない」
「女だ」
「…………俺はついに耳が遠くなったか?」
「あぁ、医者に診てもらえ」

 一緒にしゃがんだダテウスは、信じられないといった雰囲気で黙り込んでしまった。

(だが、ダテウスの言葉には一理あるな。一戦交えたあの暗殺者の体は、もう少ししっかりとした筋肉がついていたはずだ)

 しかし、今目の前の死体には鍛えられたような跡はない。

「お、女だって!? それならなおさら本人かわからないじゃないか!!」
「どういう意味だ」
「お前、忘れたとは言わせないぞ。顔よし、家柄よし、肩書よしの英雄侯爵様は女性にまるで興味がないのは誰もが知る事実だ。噂じゃない」
「……」
「そんなお前が一度でも女性の顔を覚えたことはあるのか? いや、ない」

 戦争に行く前、当然ながら社交界に参加することは多かった。貴族派の連中は、俺を取り込もうと我先にと自分の娘を紹介してきたが、どの女も欲に満ちた目線で少しも興味を抱かなかった。

「はっ。つまらん女を相手にする理由はない。あんな欲まみれの者どもの顔をいちいち覚えていろとでも言うのか?」
「う……言いたいことはわかるけどな。そうじゃないご令嬢だっていただろう」
「興味ないな。ヴォルティス侯爵家がどんな家か、知らない頭ではないだろう。貴族派の連中に狙われることにだってなるんだ。守る価値を感じさせない方が悪いと思わないか?」
「お前なぁ……だとしても王家派の令嬢の顔くらい覚えてくれよ……」
「……王家派も同じだ」

 ダテウスの悲しそうなため息の理由は、俺が今年二十四歳にもなって婚約者はおろか女の影を一切見せたことがないからである。王家派の当主達とは親交があるものの、結局娘である令嬢達の視線は貴族派と変わらないのが事実だ。

「……まぁ、この件は置いておこう。それで? ロザクの顔は覚えてるんだな」
「一瞬しか見ていないが、脳裏に焼き付いている」
「本当にお前アシュフォードか」
「馬鹿なことを聞くな」

 それほどまでに、あの一瞬は俺にとって強烈だった。
 鼻元まで覆われていたマスクが外れ、隠していた髪もローブが消えたことで露になった。月明かりに照らされたその姿は、どんな令嬢よりも目線を惹きつける力があったのだ。

「男だと思うほどに強いと思っていた相手が女だったんだ。当然、顔も記憶に残るだろう」
「確かに……それもそうか?」

 対峙した時に感じ取った雰囲気と、目の前にある死体の雰囲気はほとんど一致していた。だが、それでも納得はできなかった。

「……髪色が薄い」
「髪色? ……俺は見てないから何も言えないが、そんなに違うのか」
「彼女の髪はもっと濃かった」

 一瞬しか対峙しなかったものの、ロザクの髪色は夜空で染めたほど暗い黒だった。その色はあまりにも印象的過ぎて、目の前の死体とは違うと断言できるほど、俺の記憶とは一致しなかった。

「これくらいか」

 確認できることは全てした。その上で、結論を出さなくてはならない。
 すっと立ち上がると、待機していた騎士達に指示を出す。

「死体を運んでくれ」
「「「はっ!!」」」

 運ばれる死体を見送りながら、ダテウスも立ち上がった。

「それで、どうするんだ」
「……ロザクが死んだと公表する」
「いいのか?」
「あぁ。貴族派にとって大打撃になるだろうし、俺含め王家派への暗殺も減るだろうからな」
「利点しかないな」

 頷きながら、ロザクが打ち上げられた川を見つめる。ほんのりと残された赤い液体は、血と考えるには鮮やかすぎるような気がした。

「ダテウス、屋敷に戻るぞ。取り掛からなくてはいけない仕事が山積みだ」
「……にしては嬉しそうだな」
「そうか?」

 ロザクの痕跡が残る場所に背を向けると、俺はダテウスとそのまま屋敷の書斎へと戻った。

「ご無事でしたか、アシュフォード様」
「……あぁ、無事だ」

 書斎には既にクリフが仕事を片付けるために、書類と対面していた。

「……何かありましたか」
「何故そう思う?」
「いつもなら、当然だと言う一言でお済ませになられるので。今日に限っては、何かあったようですね」

 クリフはもう一人の片腕であり、左腕を担っている。ダテウスと同様付き合いは長い。そして、レジスの直属の上司でもある。落ち着いた様子を見せているが、レジスが亡くなったという話を聞いた瞬間、誰よりも手がつけられなくなっていた。

(レジスはクリフにとって、優秀な補佐だったからな。……誰よりも親交はあった)

 事務処理を任されているものの、騎士としての腕前も備えている。

「……ロザクが現れた」
「!!」

 その瞬間、部屋の室温が一気に下がっていった。

「……ロザクは今、どこに」
「おい落ち着けクリフ。ロザクならアシュフォードが殺した。恐らくな」
「恐らく……?」

 冷気を放ったまま、ダテウスを睨みつける。

「お、俺を睨む理由はないだろう」
「アシュフォード。教えてくだされば、私が息の根を止めてさし上げましたのに」
「それなら実行できる可能性がある」
「可能性?」

 ある程度怒りを収めたクリフは、落ち着いた声色へと戻っていた。

「あぁ。俺は……ロザクはまだ生きていると踏んでいるからな」


 先程まで話を聞いていたダテウスに対し、クリフは唖然とした様子でこちらを見た。

「生きてるって……崖から落ちた暗殺者ですよね?」
「俺もそう思うんだが、あのアシュフォードと渡り合った実力者らしいんだ」
「互角か……下手をすればそれ以上かもな」
「本気ですか、アシュフォード!!」

 クリフはバンッ!! と机を叩きながら勢いよく立ち上がった。

「俺がこの手の話題で嘘を吐くか?」
「……失礼しました。愚問でしたね」

 反射的に睨むように視線を向ければ、今度はため息をつきながら座るのだった。

「暗殺者ロザク。レジスを殺したと聞いてから、只者ではないと思っていましたが……そこまでとは」
「しかも驚くなよ、クリフ。アシュフォード曰く、ロザクは女らしい」
「……ダテウス、冗談なら黙ってください」
「事実だ」
「あり得ない……」

 ダテウスの言葉を信用しないクリフに、追い打ちをかける形で俺は口を挟んだ。
 
「俺もまだ信じられずにいるんだが、戦いに関してアシュフォードが嘘を吐く理由がない」
「……その通りですね」

 動揺が収まらないクリフだが、落ち着くのを待てるほど事態は悠長ではなかった。

「クリフ。早速で悪いが、社交界に噂を流してくれ」
「噂?」
「あぁ。無敗の暗殺者は英雄によって敗れたと」
「……わかりました。そろそろ貴族派を牽制するべきですね」
「頼んだ」

 基本的に、社交の面や噂話の火消し等はメイナード伯爵家次男のクリフに一任している。俺の左腕だと知られているので、発言力や影響力は抜群なのだ。

(後はローレンの結果を待つだけだな……)

 ロザクが死んでいないとすれば、何か知る人物が必ずいるはずだ。ローレンの調査能力ならそれができる。

(ロザク……君は一体何者なんだ?)
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