9 / 60
08.記憶に残る顔(アシュフォード視点)
しおりを挟むじっと死体の顔を見つめる。傷一つない、死人にしては美しい肌だ。目を閉じた状態でも、整っている顔だと言うことがわかる。
「暗殺者にしては随分華奢な体だな。とてもアシュフォードと渡り合えるような力を持った男には見えない」
「女だ」
「…………俺はついに耳が遠くなったか?」
「あぁ、医者に診てもらえ」
一緒にしゃがんだダテウスは、信じられないといった雰囲気で黙り込んでしまった。
(だが、ダテウスの言葉には一理あるな。一戦交えたあの暗殺者の体は、もう少ししっかりとした筋肉がついていたはずだ)
しかし、今目の前の死体には鍛えられたような跡はない。
「お、女だって!? それならなおさら本人かわからないじゃないか!!」
「どういう意味だ」
「お前、忘れたとは言わせないぞ。顔よし、家柄よし、肩書よしの英雄侯爵様は女性にまるで興味がないのは誰もが知る事実だ。噂じゃない」
「……」
「そんなお前が一度でも女性の顔を覚えたことはあるのか? いや、ない」
戦争に行く前、当然ながら社交界に参加することは多かった。貴族派の連中は、俺を取り込もうと我先にと自分の娘を紹介してきたが、どの女も欲に満ちた目線で少しも興味を抱かなかった。
「はっ。つまらん女を相手にする理由はない。あんな欲まみれの者どもの顔をいちいち覚えていろとでも言うのか?」
「う……言いたいことはわかるけどな。そうじゃないご令嬢だっていただろう」
「興味ないな。ヴォルティス侯爵家がどんな家か、知らない頭ではないだろう。貴族派の連中に狙われることにだってなるんだ。守る価値を感じさせない方が悪いと思わないか?」
「お前なぁ……だとしても王家派の令嬢の顔くらい覚えてくれよ……」
「……王家派も同じだ」
ダテウスの悲しそうなため息の理由は、俺が今年二十四歳にもなって婚約者はおろか女の影を一切見せたことがないからである。王家派の当主達とは親交があるものの、結局娘である令嬢達の視線は貴族派と変わらないのが事実だ。
「……まぁ、この件は置いておこう。それで? ロザクの顔は覚えてるんだな」
「一瞬しか見ていないが、脳裏に焼き付いている」
「本当にお前アシュフォードか」
「馬鹿なことを聞くな」
それほどまでに、あの一瞬は俺にとって強烈だった。
鼻元まで覆われていたマスクが外れ、隠していた髪もローブが消えたことで露になった。月明かりに照らされたその姿は、どんな令嬢よりも目線を惹きつける力があったのだ。
「男だと思うほどに強いと思っていた相手が女だったんだ。当然、顔も記憶に残るだろう」
「確かに……それもそうか?」
対峙した時に感じ取った雰囲気と、目の前にある死体の雰囲気はほとんど一致していた。だが、それでも納得はできなかった。
「……髪色が薄い」
「髪色? ……俺は見てないから何も言えないが、そんなに違うのか」
「彼女の髪はもっと濃かった」
一瞬しか対峙しなかったものの、ロザクの髪色は夜空で染めたほど暗い黒だった。その色はあまりにも印象的過ぎて、目の前の死体とは違うと断言できるほど、俺の記憶とは一致しなかった。
「これくらいか」
確認できることは全てした。その上で、結論を出さなくてはならない。
すっと立ち上がると、待機していた騎士達に指示を出す。
「死体を運んでくれ」
「「「はっ!!」」」
運ばれる死体を見送りながら、ダテウスも立ち上がった。
「それで、どうするんだ」
「……ロザクが死んだと公表する」
「いいのか?」
「あぁ。貴族派にとって大打撃になるだろうし、俺含め王家派への暗殺も減るだろうからな」
「利点しかないな」
頷きながら、ロザクが打ち上げられた川を見つめる。ほんのりと残された赤い液体は、血と考えるには鮮やかすぎるような気がした。
「ダテウス、屋敷に戻るぞ。取り掛からなくてはいけない仕事が山積みだ」
「……にしては嬉しそうだな」
「そうか?」
ロザクの痕跡が残る場所に背を向けると、俺はダテウスとそのまま屋敷の書斎へと戻った。
「ご無事でしたか、アシュフォード様」
「……あぁ、無事だ」
書斎には既にクリフが仕事を片付けるために、書類と対面していた。
「……何かありましたか」
「何故そう思う?」
「いつもなら、当然だと言う一言でお済ませになられるので。今日に限っては、何かあったようですね」
クリフはもう一人の片腕であり、左腕を担っている。ダテウスと同様付き合いは長い。そして、レジスの直属の上司でもある。落ち着いた様子を見せているが、レジスが亡くなったという話を聞いた瞬間、誰よりも手がつけられなくなっていた。
(レジスはクリフにとって、優秀な補佐だったからな。……誰よりも親交はあった)
事務処理を任されているものの、騎士としての腕前も備えている。
「……ロザクが現れた」
「!!」
その瞬間、部屋の室温が一気に下がっていった。
「……ロザクは今、どこに」
「おい落ち着けクリフ。ロザクならアシュフォードが殺した。恐らくな」
「恐らく……?」
冷気を放ったまま、ダテウスを睨みつける。
「お、俺を睨む理由はないだろう」
「アシュフォード。教えてくだされば、私が息の根を止めてさし上げましたのに」
「それなら実行できる可能性がある」
「可能性?」
ある程度怒りを収めたクリフは、落ち着いた声色へと戻っていた。
「あぁ。俺は……ロザクはまだ生きていると踏んでいるからな」
先程まで話を聞いていたダテウスに対し、クリフは唖然とした様子でこちらを見た。
「生きてるって……崖から落ちた暗殺者ですよね?」
「俺もそう思うんだが、あのアシュフォードと渡り合った実力者らしいんだ」
「互角か……下手をすればそれ以上かもな」
「本気ですか、アシュフォード!!」
クリフはバンッ!! と机を叩きながら勢いよく立ち上がった。
「俺がこの手の話題で嘘を吐くか?」
「……失礼しました。愚問でしたね」
反射的に睨むように視線を向ければ、今度はため息をつきながら座るのだった。
「暗殺者ロザク。レジスを殺したと聞いてから、只者ではないと思っていましたが……そこまでとは」
「しかも驚くなよ、クリフ。アシュフォード曰く、ロザクは女らしい」
「……ダテウス、冗談なら黙ってください」
「事実だ」
「あり得ない……」
ダテウスの言葉を信用しないクリフに、追い打ちをかける形で俺は口を挟んだ。
「俺もまだ信じられずにいるんだが、戦いに関してアシュフォードが嘘を吐く理由がない」
「……その通りですね」
動揺が収まらないクリフだが、落ち着くのを待てるほど事態は悠長ではなかった。
「クリフ。早速で悪いが、社交界に噂を流してくれ」
「噂?」
「あぁ。無敗の暗殺者は英雄によって敗れたと」
「……わかりました。そろそろ貴族派を牽制するべきですね」
「頼んだ」
基本的に、社交の面や噂話の火消し等はメイナード伯爵家次男のクリフに一任している。俺の左腕だと知られているので、発言力や影響力は抜群なのだ。
(後はローレンの結果を待つだけだな……)
ロザクが死んでいないとすれば、何か知る人物が必ずいるはずだ。ローレンの調査能力ならそれができる。
(ロザク……君は一体何者なんだ?)
15
お気に入りに追加
353
あなたにおすすめの小説
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
【完結】元お飾り聖女はなぜか腹黒宰相様に溺愛されています!?
雨宮羽那
恋愛
元社畜聖女×笑顔の腹黒宰相のラブストーリー。
◇◇◇◇
名も無きお飾り聖女だった私は、過労で倒れたその日、思い出した。
自分が前世、疲れきった新卒社会人・花菱桔梗(はなびし ききょう)という日本人女性だったことに。
運良く婚約者の王子から婚約破棄を告げられたので、前世の教訓を活かし私は逃げることに決めました!
なのに、宰相閣下から求婚されて!? 何故か甘やかされているんですけど、何か裏があったりしますか!?
◇◇◇◇
お気に入り登録、エールありがとうございます♡
※ざまぁはゆっくりじわじわと進行します。
※「小説家になろう」「エブリスタ」様にも掲載しております(アルファポリス先行)。
※この作品はフィクションです。特定の政治思想を肯定または否定するものではありません(_ _*))
【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。
つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。
彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。
なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか?
それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。
恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。
その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。
更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。
婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。
生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。
婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。
後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。
「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。
逃げて、追われて、捕まって
あみにあ
恋愛
平民に生まれた私には、なぜか生まれる前の記憶があった。
この世界で王妃として生きてきた記憶。
過去の私は貴族社会の頂点に立ち、さながら悪役令嬢のような存在だった。
人を蹴落とし、気に食わない女を断罪し、今思えばひどい令嬢だったと思うわ。
だから今度は平民としての幸せをつかみたい、そう願っていたはずなのに、一体全体どうしてこんな事になってしまたのかしら……。
2020年1月5日より 番外編:続編随時アップ
2020年1月28日より 続編となります第二章スタートです。
**********お知らせ***********
2020年 1月末 レジーナブックス 様より書籍化します。
それに伴い短編で掲載している以外の話をレンタルと致します。
ご理解ご了承の程、宜しくお願い致します。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
結婚したけど夫の不倫が発覚して兄に相談した。相手は親友で2児の母に慰謝料を請求した。
window
恋愛
伯爵令嬢のアメリアは幼馴染のジェームズと結婚して公爵夫人になった。
結婚して半年が経過したよく晴れたある日、アメリアはジェームズとのすれ違いの生活に悩んでいた。そんな時、机の脇に置き忘れたような手紙を発見して中身を確かめた。
アメリアは手紙を読んで衝撃を受けた。夫のジェームズは不倫をしていた。しかも相手はアメリアの親しい友人のエリー。彼女は既婚者で2児の母でもある。ジェームズの不倫相手は他にもいました。
アメリアは信頼する兄のニコラスの元を訪ね相談して意見を求めた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる