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07.後悔のない人助けを 後
しおりを挟む質素な暮らしは慣れていたし、貧乏な没落貴族であることを悲観してはいなかった。ただ、頑張れば生きていけることは知っていたので教師を目指した。
しかし現実は残酷で、私から家族を取り上げた。
母は没落貴族の生活に馴染めず、私を産んですぐに実家に帰った。父が一人で頑張っていたが、頑張り過ぎたが故に過労で亡くなってしまった。兄にはそうなってほしくないと思いながら、家の手伝いをするつもりで多少の勉強をしていた。
教師をしながらでも、支えようと思っていた。それなのに事故で帰らぬ人となった。
事故を聞いたあの日、目の前が真っ暗になった。
目の前の男性のように生気を失い、自暴自棄になりかけた。それでもどうにかとどまったのは、ルルメリアがいてくれたから。この子を一人にできないという気持ちが、私の理性を取り戻してくれた。
正直、まだ悲しみは乗り越え切れていない。それどころか、今でも私の中にあり続けている。だが、それでいいのだ。どうにかしようと頑張らなくていいことを、私は知っている。
私は自然と笑みを浮かべながら男性を見た。
「どうしたらいいかわからないなんて、当然です」
「当然……」
男性の復唱に小さく頷く。
大切なものを失ってしまった以上、普通でいろという方が難しいものだ。
「たくさん悲しんで、後悔して、苦しんで……足りなければまだ悲しんでいたっていいんです」
誰もそれを制限することはできない。もちろん、切り替えて頑張れる人もいるが彼も私もそうではないだろう。
「涙が枯れるほど泣いて、そこから心の整理を始めても遅くはありません。だから今は、何も考えなくてよいのではないでしょうか。もちろん、考えなくてはいけない時は無理やり来ますが……それでもゆっくり考えて再出発すればいいんです」
そこまで伝えると、男性は再び下を向いて考え込んだ。顔色がほんの少しだけ良くなっている気がした。
焦らなくていい。ただそう伝えたかった。悲しむ時間に限りはないし、立ち直る時間も定められてはいない。だからこそ、ゆっくりでいいのだ。……ただ一つの過ちさえ、犯さなければ。
私の言葉がどれだけ目の前の男性に響いているかはさておき、本当に伝えたいのはここから先だった。
「目の前が真っ暗になって、自暴自棄になる気持ちもわかります。私もそうでした」
再びこちらに視線を向けてくれるのを確認すると、私は真面目な声色で続けた。
「でも、馬車の前に飛び込もうとするのはよくありません」
そう断言すると、男性は大きく目を見開いた。
「後を追っても、向こうで歓迎してはもらえません。それどころか悲しまれるはずです。残された者だからこそ、亡くした人の分まで生きる意味があります。……ありきたりな言葉かもしれませんが」
それはかつて自分に言い聞かせた言葉でもあった。
私が残されたルルメリアを育てるように、彼にも何かがあるはずだ。そう思いながら熱を込めて語るものの、男性は戸惑いを見せ始めた。
「……すみません。俺がハッキリと伝えなかったので」
「どうしました?」
「兄は、亡くなってはいません。ただ、本当にいなくなってしまって」
「……失踪、ですか」
「はい。探さないで欲しい、と書置きがあって」
声色はずっと悲しさがにじんでいるものだった。彼の話を総合すると、お兄さんは突然いなくなったのだろう。それもいなくなる様子など、まるで見せていなかった状況で。その上探すなと言う書置きがあれば、どうしていいかわからないと考えるのは自然だ。
捉え違いをしていたことを申し訳なく思う反面、男性が会話をし始めてくれたことに安堵が生まれていた。
「……これはあくまでも私個人の意見ですが」
「は、はい」
「失踪した、のであればわずかであっても戻って来る可能性があるということですよね。それなら、戻ってくるように居場所を守ることもできますね」
「居場所を……守る」
彼が兄を慕っているのなら不仲ではない。それなら、失踪した理由が何であれ戻って来る希望は捨てなくていい。捨てないのなら、できることは一つだ。
「それが、今生きる理由にも繋がるのではないでしょうか」
「……生きる理由」
「はい。……こんなことを言うのは野暮かもしれませんが、まだあなたはお兄さんを失ってはいないはずです」
その瞬間、彼の瞳に光が差し込んだのがわかった。同時に生気が戻ったように見えた。
「居場所を……守りたいです」
「よかったです」
安堵から笑みがこぼれる。お節介になったかもしれないが、それで人助けを最後までできたのなら後悔はない。目の前の男性は生きる意味が見出せた。それならきっともう、大丈夫だろう。
一息つこうとすれば、店員さんの声が店内に響いた。
「まもなく閉店のお時間とさせていただきます」
「閉店……閉店!?」
このお店が閉店となるということは、マイラさんのパン屋も閉店になるということ。急いでルルメリアを迎えに行かなければならないことを思い出した。
慌ててぬるくなったコーヒーを飲み干すと、バックの中から財布を出しお金を手に取った。
「すみません、お会計お願いしてもいいですか⁉」
「え、あっ」
「取り敢えずこれで二人分足りると思うのですが、万が一にでも足りなかった場合、王立学園のクロエ・オルコット宛に請求書をお送りください」
「あの」
「応援しています、頑張ってください。慌ただしくて申し訳ありません。お迎えの時間があるので、私はこれで‼」
ぺこりと頭を下げると、目にもとまらぬ速さで退店した。そして周囲への警戒を怠らずに、ただ足早に自宅へと急ぐ。
「おや、あんた」
「あっ」
声をかけられたのは、店じまいをして帰宅する様子の占い師の女性だった。相変わらずフードを被っている。
「死相が消えたみたいだね。良かった、良かった。それなら、宣伝は頼んだよ」
そう一言告げられると、私の口角はとてつもなく緩んだ。
「ありがとうございました……!」
ひらひらと手を振る占い師に向けて、もう一度お礼を伝えるのであった。
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