明日、君に会いたい【本編完結】

白崎ぼたん

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第五十九話 月歌の想い

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 友だちと、通話しながらの勉強に勤しんでいると、ノックの音が響いた。こんな律儀なことをするのは一人しかいない。

「はーい」
「お姉ちゃん、今いい?」

 弟が、遠慮がちに声をかけてきた。腕にはテキストが抱えられている。月歌はにっこり笑うと、「ちょっと待ってね」と机の上のスマホに声をかける。「あっ」と出ていこうとする弟を手で制する。

「ナナー、ちょっと隼人と話すね」
『ハヤちゃん? いいよー』

 スピーカーなので、ナナの声は、隼人にも届いた。隼人は、申し訳ないとか、ありがたいとか、ないまぜになった顔で笑った。ナナは、マイペースに『ハヤちゃーん』と声をかける。

『久しぶりー。元気してた?』
「ひさしぶりです! 元気ですよ。ナナさんは?」
『あたし? あたしはねー、まじ最近肩ダルくってー』
「こら、私の弟だぞ!」

 割って入って、会話を止める。ナナ――というか月歌の友だちは皆そうなのだが――は隼人を可愛がっているので、油断すると姉役を取られてしまう。『ブラコーン!』とスマホの向こうから不満げな声を漏らすナナをスルーして、隼人に向き直る。隼人はスマホと月歌を見ていたが、月歌を見つめた。

「それで、どうしたの?」
「うん。ちょっとわからないところがあって」

 隼人はテキストをおずおずと差し出した。「夏の課題」と書かれたテキストは、早くも膨らみ始めている。月歌は、にこりと破顔する。

「もう宿題してたの? 偉い!」

 頭をよしよしと撫でてやると、隼人は「へへ」とはにかんだ。目元や口元のあざは黄色がかってきていた。擦り傷もずいぶん、よくなってきている。痛々しいことには変わりはないが……快方に向かい、元気に努力している弟を見ていると、月歌は胸に込み上げてくるものがあった。
 弟がひどい怪我をして帰ってきて、もうすぐ十日になる。
 あの日のことは忘れられず、月歌の脳裏と胸に深く刻み込まれていた。
 家に帰ったら、誰もいなかった。買い物かな? と呑気に構えていたら、車の音がした。

「――こっちです」

母が、真っ青な顔で家に入ってきた。肩に、何故か学生鞄がかけられている。

「お母さん?」

 月歌は、ただならぬ様子の母に近寄る。そして、母の後ろを見て目を見開いた。

「隼人!」

 一人の少年に抱えられて入ってきた弟。顔中傷だらけで、あちこち貼られた絆創膏や湿布の隙間からのぞく頰は真っ赤だった。ぐったりとして、熱っぽい息を、苦しげに吐いている。
 どうして、何があったの? 月歌は、隼人の顔を覗き込む。

「中条の部屋はどこですか」

 少年が、静かに問うた。母が、「月歌」と月歌を制する。そうだ、今はそんな場合ではない。月歌は精一杯自制心を働かせた。人ひとりを運ぶのは大変だ。少年を止めてはいけない。

「二階……あっでも、」

 聞くが早いか、少年は二階に上がっていってしまった。母の「一階のほうがよかったかしら……」という呟きは、とりあえず言いかけたことを最後まで発しただけの何かになった。
 月歌は、とにかく少年の後に続いた。部屋に案内しなければならない。ニ階の廊下で少年の脇を抜けると、隼人の部屋のドアを開いた。
 少年は中に入ると、そっとベッドの上に、隼人を横たえた。沈み込む衝撃さえ与えないような、優しい寝かせ方だった。

「着替えを」

 母は、タオルやらパジャマやら、山積みに持ってきて、「氷! 拭くもの!」とまた慌てて部屋を出ていった。
 なにぶん、動転していた。母も自分も。住み慣れたこの家の中で、まだ一番落ち着いているのが、初めて会う他人の少年だというのは奇妙だが、そんなこと考えている場合でもない。月歌はひとまず隼人を着替えさせてあげようと思った。
 隼人の制服は汚れて白くなっている。布団の中に入るにしても、清潔な服に着替えさせてあげたほうがいいに決まってる。
 それなら体も拭いてあげた方がいいか。立ち上がろうとして、力が入らなかった。情けないが、どこか茫然としてしまっている。
 月歌は、一呼吸落ち着けて、となりの少年を見た。
 おそろしく整った顔立ちに、大きな背。こうしてみると、すごい迫力だった。彼の顔をちゃんと見るには、小柄な月歌はかなり見上げないといけなかった。どこかで会った気もするが、思い出せなかった。

「あの、ありがとうございました」

 月歌は頭を下げた。まだ何にも気持ちの整理はついていなかったが、この少年のしてくれたことは大きい。自分と母では、隼人を運ぶのは大変だっただろう。
 少年は月歌を見て、「いいえ」と首を振った。そうしてすぐに、隼人に視線を戻す。そっと隼人の頬を包む。はっとするほど、やさしい手つきだった。少年の、強そうな雰囲気が一気に和らぐ。
 隼人が小さくうめいて、少年の手に頬を擦り寄せた。

「龍堂くん」

 もごもごと呟いた言葉に、少年は「うん」と応えた。隼人の目が、薄く笑んだように見えた。
 母が、氷枕や冷却シート、濡れタオルを持って部屋に入ってきた。月歌は何とか立ち上がり、母の手から、それらを受け取る。自分だけぼうっとしていて、一人奮闘していた母に申し訳なく思った。



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