木苺ガールズロッククラブ

まゆり

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Fifteenth Transaction byサキ

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 サキは、ネットで検索していくつかの闇サイトの掲示板をチェックしてみた。クレジットカードのショッピング枠の現金化、ネット銀行の口座売買、内容が明記されていない高額バイト、復讐請負など、いかにも胡散臭そうな書き込みがずらりと並んでいる。拳銃売りますなんていう書き込みはまったくない。一般の匿名掲示板で、銃マニアの板を探し、書き込みを見た。携帯の番号だけの書き込みが何件かある。番号非通知で電話をかけてみると、一件目と二件目では、この番号は現在使われておりませんというアナウンス、三件目は低くつぶれた声の男が応答した。掲示板を見たと言ってみると、海外から五便に分けて船便で送るということだった。あまりに時間がかかりすぎる。今すぐほしいというと、十分後にかけなおせと言われた。それから、また別の書き込みをあたった。メールアドレスだけのものには、フリーメールからメールを送ってみる。すぐに返信がくるわけではなさそうだった。五分ほどしてひとつのメールアドレスから返信が来た。タイから国際宅急便。そんなものを待っている暇はない。
 最初の男にもう一度電話をかけた。ロシア製マカロフPMの実弾八発つき、現金で五十万だった。マカロンとは違うのか。違うのだろう、こんなときにお菓子の話が出てくるわけがない。新宿のコインロッカーに現金を入れて男の携帯の番号で開くようにセットして、もう一度電話しろ、ということだった。時間は、とサキが聞くと、今夜七時以降なら用意できるとのことだった。
 こんなに簡単に拳銃が買えるものなのか。それとも五十万騙し取られるだけなのか。でも、男のつぶれた声には妙な真実味があった。
 石塚のアタッシュケースを開いて、封筒の中の紙幣を六十枚ほど数える。山根が出入りしている建物を確認したら、その足で新宿へ行き、拳銃を手に入れる。もし騙されたのなら、ナイフを買って乗り込むまでだ。
 豊洲駅につくと、電話をかけるまでもなく、改札のところで三宅をみつけた。
「わざわざ来てくれてありがとう」
 とサキが言うと、
「お安い御用です。ところでさつきちゃんは、大丈夫なんですか? お姉さんはまだ家に帰ってないでしょう」
「まだ友達のところにいるの。さつきは大丈夫。手術は明日になるけど」
「あの、手術って、さつきちゃんに何があったんですか?」
 しまった。三宅には、さつきは風邪と引いて学校を早退したとさっき言ったばかりだった。
「ああ、ごめんなさい。盲腸の手術をするだけだから大丈夫。入院したことを公表すると病院に人がたくさん来て大変だから風邪だって言ったの。ごめんなさい」
「病院には行かなくていいんですか?」
「叔母が行っているから大丈夫」
 三宅は、釈然としない表情をしていたが、
「ここから十分ぐらいのところにあるマンションなんです」
 と言って歩き始めた。
 エスカレーターを上がり地上に出ると、真新しい高層マンションがそびえたつ、埋立地特有の書割のように整った町並みが見えてくる。三宅について、海とは反対方向に歩き、橋を渡って倉庫街を抜けると、開発の手が届いていないくすんだ町並みが見えてきた。
「あの男が入っていったのはこの建物です。おそらく三階だと思います。しばらくして明かりがついたので」
 着いたところは、一階が店舗になった雑居ビルともマンションともつかない三階建てのグレーの建物だった。店舗には店子がいないらしく、シャッターは閉められたままになっていて、看板は白いペンキで塗りつぶされている。裏の階段の上り口のところに各階にひとつずつの郵便受けがあった。その郵便受けにも名前らしきものは書いていない。
「ありがとう。助かった」
「お安い御用です。お姉さんはこれからどうするんですか?」
 サキは時計を見た。四時二十分だ。これから新宿に行っても、六時前に着いてしまう。
「しばらくここで様子を伺って、それから友達のところに戻る」
 三宅はすぐに帰るのかと思ったら、サキの横に突っ立っているままだ。
「僕もしばらく残ります」
「あとはひとりで大丈夫だから、バイトあるんでしょ?」
 三宅は、ガムでも踏んだように、運動靴の底をアスファルトになすりつけている。いいように利用しっぱなしで悪いとは思うけど、つきまとわれるのは勘弁してほしい。
「あの、さつきちゃんに何があったんですか? 盲腸でも風邪でもないでしょう。さつきちゃんが入院しているのに、お姉さんが何日も家を空けてたり、病院に行かずに怪しい男を追跡してたりって、何かおかしくないですか?」
 たしかにそうだけど、援交相手が死んだとか、一億円の手形とか、小学生売春組織の名簿を持って逃げ回っているとか、さつきが誘拐されたとか、そんな突拍子もない話をしても、信用されないだろう。それに、三宅が過剰に反応して騒ぎ出したら厄介なことになる。協力者がひとりいれば心強いけれど、すべてを喋る必要はないのだ。
「誰にも言わないって約束して。実は、さつきは行方不明なの。あまりことを荒立てたくないから」
「本当なんですか? いったい何があったんですか? でも、何かあるとは思ってました。あの男が関係しているんですか?」
「まだわからないけど、その可能性は高いわ」
「で、これからどうするんですか?」
「ちょっとこれから人に会わなきゃならないんだけど、それが終わったらここへ戻ってくる」
 まさか、拳銃を買いに行くなんて言えない。
「それまで、僕がここで見張ります」
「バイトはどうするの」
「あの、昼間のシフトに入ってる奴が金なくて死にそうって言ってたんで、そいつに代わってもらいます」
「本当にいいの?」
「さつきちゃんのためなら」
 と、きっぱりと言うので、悪いような気もしたけど、三宅の言葉に甘えることにした。
 見張るといっても、いつまでもビルの入り口に立っているわけにはいかないので、人の出入りが把握できて、向こうからは死角になる場所をさがさなければならない。周りを見回すと、焼肉屋が一軒、カラオケスナックが一軒、両方とも中からの見通しは悪そうだ。あとは、物流会社、印刷工場と民家、子供を遊ばせたいとは思えないような、薄暗い公園と築二十年はくだらないと思われる古い低層マンションしかない。コンビニか本屋でもあれば、怪しまれることなく見張ることができるのに。
「こんなことなら、車でくればよかった。公園のベンチぐらいしか居場所はなさそうですね」
 ポケットから携帯を取り出しながら三宅が言う。バイト仲間にメールでも打つのだろう。サキは、ビルのはす向かいにある公園に向かった。りり子はもう自宅に戻っているころだろう。こんなことをしているのが嫌になって降りたなどというのは、嘘に決まっている。でも、止めることなんてできなかった。そして、りり子のお父さまを通じて交渉が上手くいき、さつきが無事に戻ってくることを期待してしまっている。
 真ん中に仕切りのあるベンチに座って、ビルの入り口のあたりをぼんやりと見つめながら、携帯を取り出す。三宅に聞かれてはまずいので、高村にメールを打つ。
<栗田はまだ何も言ってこないの? 取引のことを言ってきたらすぐ私に連絡して>
 五分ほどして、高村から電話がかかってきた。ベンチから立ち上がり、あたりを見回す。物流会社の前にある自動販売機に向かってさりげなく移動する。
「まだ何も言ってこないし、携帯の電源も切られている」
 高村の声に焦りが感じられる。
「そう」
「本当に一億円に心当たりはないんだろうな」
「知らないわよ。持ってった覚えもない一億円返せって言われても」
「名簿は返してやってもいいし、さつきの代わりにわたしが人質になってもいい。とにかくあの子を返してもらわないと」
 財布から五百円玉を出して、コインの投入口に入れ、温かいミルクティのボタンを押す。朝カラオケ店で居酒屋のつまみみたいなものを食べてからM&M’sしか口にしていない。
「わかった、そう言っておく。ところで、りり子ちゃんはどうしたんだ?」
 どうしたって言われても、高村はいったい何を知っているんだ。取り出し口に手を突っ込んで、缶のミルクティを取り出すときに、携帯を落としそうになった。
「……りり子に電話したの?」
「『家に帰ることにしたから、もうあたしには関係ない』だと、それから『家からは当分出られない』って言ってた。仲間割れしてる場合じゃないだろう」
 高村に説教される筋合いはない。いい加減にしてくれないか。もう一回ミルクティのボタンとつり銭ボタンを押した。
「うん、りり子にはりり子の考えがあって……話すと長くなるから言わないけど、もうわたしたちのところには戻ってこない」
「……これからお父さまと一生仲良く暮らすって言ってたぞ」
 高村は知っているのか。缶がごとりと音を立てて落下する。取り出し口ではなく、もっと深く手の届かないところに落ちてしまったような気がして、しゃがみこむときに一瞬目の前が暗くなる。缶はもちろんそこにあった。
「あんた、ニセ警官のくせに説教はやめてよね」
 もう一本取り出して、ブリーフケースの中に突っこんだ。
「とにかくさつきのことを何か言ってきたらすぐわたしに連絡してよね」
「わかった」
 電話を切って、道を渡る。公園のベンチに戻って、三宅にミルクティの缶を一本渡す。ビルに出入りする人影はまったくない。もしかしたら、山根は何かの用でそこに立ち寄ったことがあるだけなのかもしれない。
 それから一時間ほど、ベンチに座って、ビルの入り口を見張った。缶のミルクティをもう一本ずつ買って、じっと待ったけれど、何の動きもない。時計を見ると、五時三十五分になっていた。六時過ぎには新宿に向かったほうがいいだろう。繭にメールを入れてみる。「そっちはどう?」と、簡単な文面を送信したが、十分ほど待っても返信はない。まさか、危険に状況におるなどということはないだろうけど、返信がないということは、少なくとも銀行のあるビルの前でぼうっと突っ立っている状態ではないということだ。りり子にメールを入れようかと思った。何と言ったらいいのかわからない。催促はしたくなかったし、謝るのもおかしい。同情されるのは何よりも嫌いなはずだ。
 公園に面した通りには、時折貨物のトラックが通りかかるだけで、車の出入りは極端に少なかった。通行人は、ベビーカーを押した主婦がひとり、杖をついた老人がひとり。主婦に、あからさまに警戒するような視線を投げかけられる。冷めてしまった缶のミルクティは甘みが強すぎて、半分ほど残してしまう。
「ねえ、なんでそんなにさつきのことを追いかけるの?」
 三宅は、ずるずると音を立ててミルクティをすすると、
「だって、さつきちゃんってすごい性悪じゃないですか。ああやって可愛らしく振舞ってても、ときどきものすごく意地悪で、それでいて淋しそうな顔をするんですよ。僕、Mなんですよ、きっと。さつきちゃんにいじめられてみたい。それと、あの、こんなこというのは失礼だけど、さつきちゃんの両親のことも知ってます。週刊誌のバックナンバーを調べました。小野寺あゆみのレコードも持ってます」
 小野寺あゆみというのは、サキの母がアイドルだった頃の芸名だ。なんだかわかったようなわからないような、お疲れさまというか、とにかくファンなんだから感謝しなければならないのだろう。三宅が、マンションのエレベーターで何百回とさつきに殺されていることを言っていいものか、サキはしばらく悩んだ。
「うん、姉のわたしが言うのもなんだけど、すごい性悪。でもあの子なりにものすごく緊張してるし、がんばってるんだ。そばにいるとへとへとに疲れるけど」
 時計を見た。そろそろ行かなければならない。
「ごめん。ちょっと用があるから行くわ。八時ぐらいには戻ってくると思うけど、何かあったら連絡して」
「わかりました」
 サキは公園を出た。
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