8 / 8
8(最終回)
しおりを挟む
「それにしても、もうすぐ一年になるのよね」
「そんなに経つなんて、信じられない」
二人がけの丸テーブルに座って、カオルさんが入れてくれたコーヒーを飲んだ。今日初めて会ったのに、昔からの友達のような気がした。
「ところで、フミエさんに謝らなきゃならないことがあるの。ヒロキはしばらくフミエさんに対してなんか冷たくなかった?」
思い出してみると、事故に遭うまでの一年はゆっくり話すこともなかった。冷たかったというより、なんとなく機を逸したんだ。従兄なんだし、東京にいていつでも会えると思って安心していたのだと思う。
「そんなことないけど。いつでも会えると思うと安心しちゃって。親戚だから。でも、誰にでも何時でも会えると思うのは間違いで、会おうと思わなければ誰にも会えないんだって、ヒロキ君が事故に遭ってから、考えが変わったの。もっと会っておけばよかったなんて、いまさら思ってももう遅いんだよね」
私の話を聞きながら、カオルさんは、カップの中のコーヒーをずっと見つめていた。私の見えない何かがカップの中に入っているかのように。
「私が、フミエさんにはもう会わないでって言ったの。悔しかったから」
「悔しかったって、どういうこと?」
彼女のことは、どこもかしこも可愛いって、すごいのろけぶりだった。そんなカオルがいったい何を悔しがる必要があるんだ。……って、ヒロキ君が私に言ったのはいつだったっけ。
突然思い出した。ラブホの名前が、モンサンミッシェルだった。
「やだー、思い出した。それってもしかしてラブホに行ったから?」
「何かにつけて従妹のフミエちゃんの話ばっかり聞かされて、とどめはラブホ。私とどっちが大事なのって詰め寄ったの。あんなことになるなんて思ってなくて……本当にごめんなさい」
そんなこと黙っていればいいのに、言っちゃうところがすごくヒロキ君らしいと思ったら、涙が出そうになって、私もコーヒーカップの中身を凝視した。あの、渋谷観光のハイライト。
「普通彼女には言わないよね。従妹とラブホに行ったなんて」
そう言って無理矢理笑った。
「私たちもそこに行ったの。105号室、なんだか、慣れた様子だったんで、問いただしたの」
「同じところに彼女を連れてく?普通。お金払わずに窓から逃げたのに。本当に変わってるっていうか、でも、それって変わってるんじゃなくて、罪滅ぼしのための再利用なんだよね。人が良すぎる」
あのときの妙な居心地の悪さとか、あの頃のひどかった劣等感とか、ヒロキ君ならいいやっていう妙な安心感とか、カオルさんの話を聞いたときの、うらやましいのを通り越して呆れた気持ちとか……そんなことを一気に思い出した。
「え、その、窓から逃げたって? 何のこと?」
また泣きそうになってテンパっている私に、カオルさんは、間の抜けた声で聞いた。
「聞いてないの? 窓の外の柵が壊れてたんで、脱出したの。何を利用したわけでもないし、お金は払わなくてもいいかと思って。無銭飲食、じゃなくて、なんていうんだろう……無銭休憩?」
「え? それ知らなかった。私もやってみたかったな。ラブホの窓から逃走」
私たちは笑った。永い間笑った。二人してテーブルの上に突っ伏して笑った。笑いすぎて涙が出た。涙はあとからあとから出てきて止まらなくなった。
テーブルから顔を上げると、カオルさんは、壁の写真をじっと見詰めていた。
「いつか行ってみたいわね。フミエさん、一緒に行かない?」
私とカオルさんは、涙でぐしゃぐしゃの顔を見合わせて、今度こそ本当に笑った。
(了)
「そんなに経つなんて、信じられない」
二人がけの丸テーブルに座って、カオルさんが入れてくれたコーヒーを飲んだ。今日初めて会ったのに、昔からの友達のような気がした。
「ところで、フミエさんに謝らなきゃならないことがあるの。ヒロキはしばらくフミエさんに対してなんか冷たくなかった?」
思い出してみると、事故に遭うまでの一年はゆっくり話すこともなかった。冷たかったというより、なんとなく機を逸したんだ。従兄なんだし、東京にいていつでも会えると思って安心していたのだと思う。
「そんなことないけど。いつでも会えると思うと安心しちゃって。親戚だから。でも、誰にでも何時でも会えると思うのは間違いで、会おうと思わなければ誰にも会えないんだって、ヒロキ君が事故に遭ってから、考えが変わったの。もっと会っておけばよかったなんて、いまさら思ってももう遅いんだよね」
私の話を聞きながら、カオルさんは、カップの中のコーヒーをずっと見つめていた。私の見えない何かがカップの中に入っているかのように。
「私が、フミエさんにはもう会わないでって言ったの。悔しかったから」
「悔しかったって、どういうこと?」
彼女のことは、どこもかしこも可愛いって、すごいのろけぶりだった。そんなカオルがいったい何を悔しがる必要があるんだ。……って、ヒロキ君が私に言ったのはいつだったっけ。
突然思い出した。ラブホの名前が、モンサンミッシェルだった。
「やだー、思い出した。それってもしかしてラブホに行ったから?」
「何かにつけて従妹のフミエちゃんの話ばっかり聞かされて、とどめはラブホ。私とどっちが大事なのって詰め寄ったの。あんなことになるなんて思ってなくて……本当にごめんなさい」
そんなこと黙っていればいいのに、言っちゃうところがすごくヒロキ君らしいと思ったら、涙が出そうになって、私もコーヒーカップの中身を凝視した。あの、渋谷観光のハイライト。
「普通彼女には言わないよね。従妹とラブホに行ったなんて」
そう言って無理矢理笑った。
「私たちもそこに行ったの。105号室、なんだか、慣れた様子だったんで、問いただしたの」
「同じところに彼女を連れてく?普通。お金払わずに窓から逃げたのに。本当に変わってるっていうか、でも、それって変わってるんじゃなくて、罪滅ぼしのための再利用なんだよね。人が良すぎる」
あのときの妙な居心地の悪さとか、あの頃のひどかった劣等感とか、ヒロキ君ならいいやっていう妙な安心感とか、カオルさんの話を聞いたときの、うらやましいのを通り越して呆れた気持ちとか……そんなことを一気に思い出した。
「え、その、窓から逃げたって? 何のこと?」
また泣きそうになってテンパっている私に、カオルさんは、間の抜けた声で聞いた。
「聞いてないの? 窓の外の柵が壊れてたんで、脱出したの。何を利用したわけでもないし、お金は払わなくてもいいかと思って。無銭飲食、じゃなくて、なんていうんだろう……無銭休憩?」
「え? それ知らなかった。私もやってみたかったな。ラブホの窓から逃走」
私たちは笑った。永い間笑った。二人してテーブルの上に突っ伏して笑った。笑いすぎて涙が出た。涙はあとからあとから出てきて止まらなくなった。
テーブルから顔を上げると、カオルさんは、壁の写真をじっと見詰めていた。
「いつか行ってみたいわね。フミエさん、一緒に行かない?」
私とカオルさんは、涙でぐしゃぐしゃの顔を見合わせて、今度こそ本当に笑った。
(了)
1
お気に入りに追加
2
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
双葉病院小児病棟
moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。
病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。
この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。
すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。
メンタル面のケアも大事になってくる。
当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。
親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。
【集中して治療をして早く治す】
それがこの病院のモットーです。
※この物語はフィクションです。
実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。
妻がエロくて死にそうです
菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。
美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。
こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。
それは……
限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常
[恥辱]りみの強制おむつ生活
rei
大衆娯楽
中学三年生になる主人公倉持りみが集会中にお漏らしをしてしまい、おむつを当てられる。
保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。
おっぱい揉む?と聞かれたので揉んでみたらよくわからない関係になりました
星宮 嶺
青春
週間、24hジャンル別ランキング最高1位!
高校2年生の太郎の青春が、突然加速する!
片想いの美咲、仲の良い女友達の花子、そして謎めいた生徒会長・東雲。
3人の魅力的な女の子たちに囲まれ、太郎の心は翻弄される!
「おっぱい揉む?」という衝撃的な誘いから始まる、
ドキドキの学園生活。
果たして太郎は、運命の相手を見つけ出せるのか?
笑いあり?涙あり?胸キュン必至?の青春ラブコメ、開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる