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8(最終回)
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「それにしても、もうすぐ一年になるのよね」
「そんなに経つなんて、信じられない」
二人がけの丸テーブルに座って、カオルさんが入れてくれたコーヒーを飲んだ。今日初めて会ったのに、昔からの友達のような気がした。
「ところで、フミエさんに謝らなきゃならないことがあるの。ヒロキはしばらくフミエさんに対してなんか冷たくなかった?」
思い出してみると、事故に遭うまでの一年はゆっくり話すこともなかった。冷たかったというより、なんとなく機を逸したんだ。従兄なんだし、東京にいていつでも会えると思って安心していたのだと思う。
「そんなことないけど。いつでも会えると思うと安心しちゃって。親戚だから。でも、誰にでも何時でも会えると思うのは間違いで、会おうと思わなければ誰にも会えないんだって、ヒロキ君が事故に遭ってから、考えが変わったの。もっと会っておけばよかったなんて、いまさら思ってももう遅いんだよね」
私の話を聞きながら、カオルさんは、カップの中のコーヒーをずっと見つめていた。私の見えない何かがカップの中に入っているかのように。
「私が、フミエさんにはもう会わないでって言ったの。悔しかったから」
「悔しかったって、どういうこと?」
彼女のことは、どこもかしこも可愛いって、すごいのろけぶりだった。そんなカオルがいったい何を悔しがる必要があるんだ。……って、ヒロキ君が私に言ったのはいつだったっけ。
突然思い出した。ラブホの名前が、モンサンミッシェルだった。
「やだー、思い出した。それってもしかしてラブホに行ったから?」
「何かにつけて従妹のフミエちゃんの話ばっかり聞かされて、とどめはラブホ。私とどっちが大事なのって詰め寄ったの。あんなことになるなんて思ってなくて……本当にごめんなさい」
そんなこと黙っていればいいのに、言っちゃうところがすごくヒロキ君らしいと思ったら、涙が出そうになって、私もコーヒーカップの中身を凝視した。あの、渋谷観光のハイライト。
「普通彼女には言わないよね。従妹とラブホに行ったなんて」
そう言って無理矢理笑った。
「私たちもそこに行ったの。105号室、なんだか、慣れた様子だったんで、問いただしたの」
「同じところに彼女を連れてく?普通。お金払わずに窓から逃げたのに。本当に変わってるっていうか、でも、それって変わってるんじゃなくて、罪滅ぼしのための再利用なんだよね。人が良すぎる」
あのときの妙な居心地の悪さとか、あの頃のひどかった劣等感とか、ヒロキ君ならいいやっていう妙な安心感とか、カオルさんの話を聞いたときの、うらやましいのを通り越して呆れた気持ちとか……そんなことを一気に思い出した。
「え、その、窓から逃げたって? 何のこと?」
また泣きそうになってテンパっている私に、カオルさんは、間の抜けた声で聞いた。
「聞いてないの? 窓の外の柵が壊れてたんで、脱出したの。何を利用したわけでもないし、お金は払わなくてもいいかと思って。無銭飲食、じゃなくて、なんていうんだろう……無銭休憩?」
「え? それ知らなかった。私もやってみたかったな。ラブホの窓から逃走」
私たちは笑った。永い間笑った。二人してテーブルの上に突っ伏して笑った。笑いすぎて涙が出た。涙はあとからあとから出てきて止まらなくなった。
テーブルから顔を上げると、カオルさんは、壁の写真をじっと見詰めていた。
「いつか行ってみたいわね。フミエさん、一緒に行かない?」
私とカオルさんは、涙でぐしゃぐしゃの顔を見合わせて、今度こそ本当に笑った。
(了)
「そんなに経つなんて、信じられない」
二人がけの丸テーブルに座って、カオルさんが入れてくれたコーヒーを飲んだ。今日初めて会ったのに、昔からの友達のような気がした。
「ところで、フミエさんに謝らなきゃならないことがあるの。ヒロキはしばらくフミエさんに対してなんか冷たくなかった?」
思い出してみると、事故に遭うまでの一年はゆっくり話すこともなかった。冷たかったというより、なんとなく機を逸したんだ。従兄なんだし、東京にいていつでも会えると思って安心していたのだと思う。
「そんなことないけど。いつでも会えると思うと安心しちゃって。親戚だから。でも、誰にでも何時でも会えると思うのは間違いで、会おうと思わなければ誰にも会えないんだって、ヒロキ君が事故に遭ってから、考えが変わったの。もっと会っておけばよかったなんて、いまさら思ってももう遅いんだよね」
私の話を聞きながら、カオルさんは、カップの中のコーヒーをずっと見つめていた。私の見えない何かがカップの中に入っているかのように。
「私が、フミエさんにはもう会わないでって言ったの。悔しかったから」
「悔しかったって、どういうこと?」
彼女のことは、どこもかしこも可愛いって、すごいのろけぶりだった。そんなカオルがいったい何を悔しがる必要があるんだ。……って、ヒロキ君が私に言ったのはいつだったっけ。
突然思い出した。ラブホの名前が、モンサンミッシェルだった。
「やだー、思い出した。それってもしかしてラブホに行ったから?」
「何かにつけて従妹のフミエちゃんの話ばっかり聞かされて、とどめはラブホ。私とどっちが大事なのって詰め寄ったの。あんなことになるなんて思ってなくて……本当にごめんなさい」
そんなこと黙っていればいいのに、言っちゃうところがすごくヒロキ君らしいと思ったら、涙が出そうになって、私もコーヒーカップの中身を凝視した。あの、渋谷観光のハイライト。
「普通彼女には言わないよね。従妹とラブホに行ったなんて」
そう言って無理矢理笑った。
「私たちもそこに行ったの。105号室、なんだか、慣れた様子だったんで、問いただしたの」
「同じところに彼女を連れてく?普通。お金払わずに窓から逃げたのに。本当に変わってるっていうか、でも、それって変わってるんじゃなくて、罪滅ぼしのための再利用なんだよね。人が良すぎる」
あのときの妙な居心地の悪さとか、あの頃のひどかった劣等感とか、ヒロキ君ならいいやっていう妙な安心感とか、カオルさんの話を聞いたときの、うらやましいのを通り越して呆れた気持ちとか……そんなことを一気に思い出した。
「え、その、窓から逃げたって? 何のこと?」
また泣きそうになってテンパっている私に、カオルさんは、間の抜けた声で聞いた。
「聞いてないの? 窓の外の柵が壊れてたんで、脱出したの。何を利用したわけでもないし、お金は払わなくてもいいかと思って。無銭飲食、じゃなくて、なんていうんだろう……無銭休憩?」
「え? それ知らなかった。私もやってみたかったな。ラブホの窓から逃走」
私たちは笑った。永い間笑った。二人してテーブルの上に突っ伏して笑った。笑いすぎて涙が出た。涙はあとからあとから出てきて止まらなくなった。
テーブルから顔を上げると、カオルさんは、壁の写真をじっと見詰めていた。
「いつか行ってみたいわね。フミエさん、一緒に行かない?」
私とカオルさんは、涙でぐしゃぐしゃの顔を見合わせて、今度こそ本当に笑った。
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