ワルプルギスの夜

まゆり

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 朝一番の相談者は、赤茶色に染めた髪に人懐こい童顔の女性だった。小柄で可愛らしいので、デニムのスカートが超ミニでも、カットソーの裾とスカートの間から、日焼けしない白い肌を覗かせていてもあまり露骨にいやらしい感じはしない。それとも、私が夜の仕事の女性に馴れきってしまっているからなのだろうか。
 その人は、ピンク色のふわふわしたワンピースを着た女の子の手を引いている。名前を思い出そうとしたけど上手く思い出せない。何度か相談を受けたことがある。暴力的な夫とは確か離婚したはずだ。一人親に対する支援プログラムも一通り紹介したけれど、結局マンションと託児所を用意してくれる職場を見つけて就職したんだった。子供をつれているところを見ると、何か託児所のトラブルでもあったのだろうか。
 あるいは、仕事を変えたので、公立の保育園に子供を入れたいという相談だろうか。夜の仕事をする女性にしては、朝が早すぎる。彼女たちが相談に来るのはたいてい昼過ぎだ。
「おはようございまーす。今日はチーママがお当番なんだね。ママはどうしてるの?」
「おはようございます。ママはちょっと体調が悪くてね、休んでるわ」
私は、新宿区の女性相談センターの相談員だ。ベテラン相談員はママ、私はチーママと呼ばれている。最初はママと区別するために、チエママと呼ばれ,それがいつの間にかチーママになった。
 
 そうだ、杉山さんだった。ミカちゃんっていうのは、本名だったけ、源氏名だったけ。ブースのいすに座る杉山さんの顔をさりげなく観察する。顔や体に暴力を受けたあとはなさそうだし、顔つきも晴れやかだ。深刻な相談ではなさそうなので、ほっと胸をなでおろす。
「杉山さん、今日はどうしたの? 彼とは上手く行ってる?」
「うんまあ。おかげさまで。一応働いてくれてるよ、ビラ貼りだけど。あのね、職を変えたら託児がなくなっちゃって、ミリを公立の保育所に入れられないかなあ、なんて」
「お安い御用だわ。この用紙に必要事項を記入して」
公立の保育所はどこもいっぱいだけど、杉山さんは一人親なので、ミリちゃん一人ぐらいなら何とかなるだろう。ひとり親の子供は優先的に公立の保育所に受け入れられることになっている。
「仕事変わったんだ」
朝早く私のところに来た所を見ると、夜の仕事からは足を洗ったのだろうか。
「うん、楽な仕事を見つけたの。一日十人も抜かなくていいから天国みたい」
「へえ、よかったわね」
口ぶりからは、転職したといえども相変わらず射精産業って感じ。でもこちらから業種をきいたり、風俗産業と聞いて説教を始めたりはしない。相談者が、風俗産業を辞めたいというのならそれなりの協力はするけれど。
「楽な割に稼ぎは、悪くないんだけど、マンション支給じゃないのがちょっと。託児もないし」
「住むところは決まったの?」
「なんとか。今までいたところよりはずっとボロだけど」
 杉山さんが、書類に必要事項を記入している間に、回転いすの上で膝立ちになって窓の外を見ているミリちゃんの櫛で綺麗に線を引いて二つに分けられた髪を見ていたら、娘のエクリが小さかったときのことを思い出した。エクリも髪を長くしているのが好きだったので、毎朝櫛できっちりと二つに分けていろいろな形に結った。ミリちゃんの髪は、プラスティックで出来た苺がついたゴムで結わえられていて、ミリちゃんが動くと子犬の尻尾みたいな髪と一緒に苺も揺れる。
「みりちゃん、いくつになったの?」
「みりちゃんいつつ」
ちいさな手のひらをいっぱいに広げてミリちゃんはにっこりと笑った。それから、杉山さんのデニムのミニスカートのベルト通しを引っ張って、ごね始めた。
「ねえ、ママったら、早く帰ろうよ。今日はヒロシ君がパチスロに連れてってくれるんだから。早く帰らないとまたヒロシ君どっか遊びに行っちゃうよ」
 ヒロシ君というのは、杉山さんの新しい彼氏のことだろう。五歳児をパチスロに連れてくだって。微笑ましいと言っていいものか、ちょっと悩む。
「へえ、いいなあ。優しいパパなんだね。ミリちゃんはパパ好き?」
結婚してないのは知っていたけど、便宜上パパと言ってみた。お節介だとは思うけど、職業上、虐待されていないかチェックを入れるのが癖だ。
「ヒロシ君は、パパじゃないよ。ヒロシ君は今はママの彼氏だけど、ミリちゃんが大きくなったらミリちゃんと結婚するんだよ」
「へえ」
「もお、何言ってんのよ。ミリの馬鹿。子供はパチスロじゃなくて保育園に行くの。あ、チーママ、これでいいかな」
簡単に書類をチェックして、印鑑を押してもらった。
「これでオッケー。保育所からは今日明日にでも連絡があると思う。もしなかったらここに電話して」
 そういうと私は、保育所の電話番号を書いてたメモを渡した。
「了解。さすがチーママ。頼りがいがあるわ。ところでさあ、今度うちの店にも遊びに来てよね。カード渡しとくよ。ほら、チーママもストレスたまるでしょ。私みたいなのが毎日毎日掃いて捨てるほど来てさあ、男に殴られたとか、やり逃げされたとか、マワされたとか、わけわかんない相談受けるのも」
 やり逃げと、マワシは女性相談の管轄外だ。それにしても、杉山さんの新しい職場って、風俗じゃないのか。私でも行けるような店なんだ。杉山さんは、ダミエの財布の中のあちこちを開けて、その店のカードを探していたけど、見つからないようだった。
「あ、カード切らしてるや。ごめん。今度来た時にカードもって来るね」
「いつでもいいわよ」
 杉山さんの店に行くことには、あまり興味がなかったので、適当に調子を合わせておいた。
「チーママ、いつもありがとう。あたし帰るね」
「それじゃあね。保育所大丈夫だと思うけど、また何かあったら相談してね。ミリちゃんバイバイ」
 
 杉山さんとミリちゃんを見送ってから、給湯室でコーヒーを入れ、相談内容を報告書に書き込んでいるときに、電話が鳴った。娘のエクリからだった。
「ママ、久しぶり」
 娘とはここの所ずっとすれ違っている。劇団の公演が近づいていて、帰りが遅い日が続いている。劇団といっても芸能人予備軍みたいなのではなく、主に下北沢に生息しているようなアングラというか、わけわからない系の芝居を打つようなところだ。エクリはその手の劇団の中では比較的名の売れたところに所属している。基本的には真面目な子なので、ちゃんと学校に行っているのなら、厳しい門限などはあまり設けていない。でも高校二年生にもなるんだし、彼氏でもできたのだろうか。
「エクリ、大丈夫なの。最近帰りが遅いけど」
「うん、大丈夫。ちょっと疲れてるけど。で、今日も練習で遅くなるって、今のうちに言っとこうかと思って」
「無理しないのよ」
 いや、やっぱり違うな。うちの子に限って、などという変な自信を持っているわけではないけど、芝居が愉しくて仕方がない、という感じなんだろうと思う。
「わかってます。ママこそ」
「私は今それほど忙しくないから大丈夫」
 年度末の修羅場は越えたばかりなので、今はリハビリ中というところだ。春なので、メンヘラ系の相談者が増加する季節ではあるけれど。
 娘からの電話を切ると、私は、区内の保育所リストを出して、ミリちゃんが入れそうな保育所をさがした。
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