雪と聖火

波津井

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第5話 主役不在は叶わない

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「具合はどうだいエリシア」

「……ごめんなさい」

「いいのよ、無理せず休んでいて。悲しいわよね、先生が突然……きっと無事に見付かるよう、エリシアの分も教会でお祈りして来るわね」

 あの事件以降エリシアはすっかり気力を失くしてしまった。イース夫妻はそれを決して責めなかったが、エリシアの心は沈み込むばかり。
 ベルダートの危機に居合わせておいて、何も出来なかった苦しさが募る。

 偶然にも見知った経緯を、エリシアは誰にも伝えていない。正気を疑われるのは分かり切っていたから。

 カーテンを閉じたきりの薄暗い部屋の中。エリシアは横たわったまま、目の前で消え失せたベルダートを思い返す。焼き付いて忘れられやしない。

 あの時垣間見た少女の姿は一応絵に描いておき、特徴や記憶にある限りの情報を記したけれど。
 もしニーナと呼ばれていた少女も、ベルダートと同じ魔法使いならば、エリシアにどうこう出来ると思えない。自分だって消されてしまうかもしれない。

「でも……このままじゃベルダート様が……恩人を見捨てるなんて出来ない」

 ニーナの言ったようにベルダートが悪魔だとしても、エリシアにとってはカレンと自分を救ってくれた大事な恩人なのに。見殺しになんてしたくなかった。

 書物机には今も、砂糖菓子の瓶がそのまま残っている。ベルダートが実在した証がなくなるのが嫌で、一つも食べていない。

「……あの子を捜そう」

 何が出来るかは分からないけれど。そうだ、ニーナの弱みを握れば、ベルダートを戻してと要求出来るのではないか。エリシアはそう考えた。

「私が……ベルダート様を助けなきゃ……!」

 そしてエリシアは二年かけてニーナの所在を調べ上げ、同じ学び舎に通う道を選ぶ。


***

 併設する教会の鐘が鳴り渡る快晴の空の下。アニメのオープニングで散々見た白い校舎を前に、ニーナ・スチュワートは死んだ目で運命を呪っていた。

「どうして人生って皮肉に満ち満ちているのかしら。まさかこんなことってある?」

 幼い頃から死力を尽くしてシナリオに抗い、遂にはストーリー開始前にラスボスを世界から追放したにも関わらず、ニーナはこの地に立っている。

 本番はここからだと言わんばかりに立ちはだかる聖火学院の校門は、ニーナにとって魔窟の入口に等しかった。

「ラスボス悪魔に出会う直前で記憶が蘇ったのは、てっきり神の思し召しかと思ったのに……」

 ニーナは自分がこの世界の主人公だと知っている。卒業するまでの三年間でこの学院に起こる騒動の顛末と、一部の人物の来歴や人物像を知っている。

 何故なら『結晶のダイアグラム』は主人公の在学中を舞台とした、ファンタジー恋愛小説だから。主人公は学院で不思議な事件に巻き込まれ、調べて行く内に男子生徒達と仲を深めるのだ。

 ジャンルはファンタジーだが、作品世界観において一般的に魔法はただの眉唾。胡散臭いオカルトと認識されている。だからこそ本物の魔法なのでは? と真相に迫って行く。

 主人公は本当に魔法が使えると後に判明する。故に悪魔を追い返せると知り、ラスボスを退けるのだ。

 ニーナは孤児院でその記憶を取り戻した。主人公の生い立ちを語る導入部分、ベルダートとの邂逅自体から逃げ果せ、別の家庭に拾われることに成功する。

 エリシア・イースの役割を負わないので、名前も生来そのままだ。それでも安心出来ずアイテムをこつこつ集め、早回しで悪魔ベルダートを魔界に送り返した。

 これでシナリオも何もないでしょ、と安堵したのも束の間。里子であれ子供が出来た両親は、張り切って仕事に精を出し大成功。一躍富裕層に仲間入りしたのである。

 おかげでニーナは金持ちの子息子女も多い、この学院に入学する羽目になってしまった。

「二人が私の為に頑張ってくれたのは分かる。ありがたいし尊敬する。でも何故そこまでベストを尽くしたのか……」

 泣き暮れたくもなる。ニーナにとって学院はやはり鬼門。なまじシナリオを破壊してしまったせいで、もう何が起きるか分からない。うっかり死亡フラグに一直線とか目も当てられない。

「ここまでやったのに……私だってベストを尽くしたのに……!」

 どんなに嘆こうと運命はニーナを逃さなかった。この舞台へと誘われ、もう挑むしかないのだ。

「幸いベルダートには退場して貰ったし、いざとなれば転校も不登校も辞さない構えで」

 いざ! とニーナは校舎へ踏み入った。そうして、自分が逃げ出した為にエリシア・イースの役割を担う、挿げ替えられた少女に出会う。




「あの子がこの世界のエリシアちゃん…………かんわいい、妹にしたい可愛さ!」

 入学後の最初の自己紹介が済む。エリシアの存在を把握したニーナは、同級生である事実に感謝した。
 もし自分が主人公を放棄したせいでエリシアがシナリオ通りの目に遭うなら、絶対手助けしようと心に決める。

 この世界のエリシア・イースは、碧眼を柔らかく細めて微笑む。稲穂みたいな金髪をふわりと伸ばし、控えめで楚々としている。おっとりした語り口が雰囲気に似合う、お嬢様の鑑みたいな少女だ。

 ──推せる、強火に推して行きたい……!

 などと思いつつ、ニーナは声や表情を精一杯友好的に振り切ってエリシアに近付いた。

「席近いね、よろしくねイースさん」

「ええ、スチュワートさん」

「よければニーナって呼んでね。手短でしょ?」

 エリシアは穏やかに笑う。一分の隙もない完璧な笑顔の意味を、その時のニーナは知らない。
 ニーナにとってエリシアは、自分の役目を肩代わりするかもしれない、巻き込まれた女の子。

 償うと言えば大仰だが、手助けしなきゃと思うくらいには責任を感じる相手。まさかとうに怒りを買っていたとは、思いも寄らなかったのだ。

「……仲良くしてね。ニーナさん」
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