上 下
49 / 51
魍魎の影に潜む

49 巡らせる者

しおりを挟む
 癒々の声で、癒々の身体で、悪鬼が癒々ごと僕らを痛め付けている。もしこれ以上出血したら、癒々は助からないかもしれない。

 それくらい赤いんだ、綺麗な服だったのに。半身が真っ赤に染まってる。癒々は今あいつの中で苦しいんだろうか。噎せ返る鉄のにおい、奥歯を噛んだ。

「次は足から……それとも鼻先か。女の顔が血に染まるのは、他人であれど心苦しかろう?」

 ボタボタと夥しく血が流れ落ち、首筋を伝う光景。揺さぶられていた神経が、徐々に凍り付く心地がした。

 限度を超えたからだと、妙に冷静に思い至る。胸に込み上げるのは後悔じゃない、怒りだ。
 人は憤怒で凍えるような静けさを味わうこともあるんだな。

「ははは! まだ信じて貰えぬようだ。きちんと証明しなければ、なぁ?」

 愉快で堪らないと哄笑する様は悪辣で。だけど胸の内はむしろどんどん冷えて行く。その手段が余りにも……うん、単純。そうだ小さいんだ。

 矮小、その言葉が似つかわしい。神話で描かれた畏怖には程遠い。この鬼は弱体化してる、だからあからさまに手段を選ばない。

 ああなんだ。こいつはこの程度の奴か──

 この気持ちを何と言い表すのか、今は明瞭に浮かばないや。人間を見下すなら、人間なんか頼るな。他人の身体を間借りしておかしいだろ、どうにも滑稽で憐れに思える。

 それで何を証明したいんだ。弱さか、愚かしさか。分かったからもういいよ。人を小馬鹿にすることに邁進し過ぎて、お前はそれより馬鹿になってる。自覚がないって無様だな。

「……気に入らんな、その目付き。分かるぞ童、見下しているな」

 思うに、あいつの愚かしさは非常に人間臭い。そう、神様らしくない。堕ちたりとは言え、元は何を司る神だろう。鬼になる以前は……

 いや、鬼も染まるのか。精霊が穢に侵され堕ちるように。長い時や百鬼夜行の残留思念と混じり合う中で、悪鬼はもう元とは異なる存在に変わり果てた。

 全ての事物は移ろい、変わり続けるが必定。そこからは逃れられないんだな、誰も。

「たかが地を這う獣の一つに過ぎぬ身で……っ」

 まあ、どうでもいいか。

「その目をやめろ! 貴様ぁ!」

 黒剣が乱舞する。残りの分身を切り刻まれた。
 毛に戻って消えた分身達の切り口は、刃がどう振るわれたかを教えてくれる。不思議と凄く冷静だよ、悪鬼おまえのおかげでな。

「切り刻め!」

 腹の底から吐き出された叫びと共に、全ての黒剣が差し向けられる。無数の切っ先が殺意となって飛来した。
 癇癪起こした子供を想起させるな。僕らは自分の仕事をこなす。箚士だから。

 ──じゃあやるぞ、大成!

「グルアアアアアアァ!」

 自ら飛び込み黒剣と肉薄。紙一重で躱し、叩き落とし、避けられず食らおうと怯まない。二人で進め!

 凶刃と踊る。手傷を数えるのも馬鹿らしい。それでも嵐を掻い潜り、遮る物なき一瞬を得た。

「ッ!」

 片足を切り飛ばされた。堪えろ、届く。絶対に外すな──押し通る!

 灼熱を宿した黒い棍、距離を無視して間合いを貫く。目瞬きより速く伸長した棍に打ち抜かれ、そいつは突き飛ばされて行く。

 黒い鬼、角を持つ人型の怨念。激突したまま地を引き摺られ、器から押し出されたと悪鬼も理解した。癒々は傷付いてない、炎と同じ。

「ば……かな、何故……!」

 同じことを鬼面にやられかけたから。精霊を引き剥がされそうで、本当に焦った。だからその手があれば強いなって。

 箚士と精霊は互いの魂を同居させる。でも同調し過ぎると自他の境を見失い、戻れなくなる。
 普通はそこまでやらない。守るべき線引きをして、自我を保全するものだ。

 でもあの鬼面は自己に頓着しないから、その線引きなしで精霊に合わせ切って引き寄せられる。高い所から低い所へ水が流れるみたいに。

 境目のない同一化した器と化す、多分理屈としてはこうだろう。五十鈴ちゃんの目を掻い潜ったのも、虎の魍魎も、その特性による産物だ。

 僕らは霊力の質を焼き尽くし、擬似的に再現した。偏りのない誰にでも合う力でなら、似たことがやれそうだと。上手く出来たと思う。

「そうか鬼面の……とんだ猿真似だな!」

「キッキッキ! ざまあ!」

 降臨が解けた。僕らの霊力はもう尽きる。消耗がこれ程激しいとは。いや主に分身だな、あれは破格の性能に見合う量を持ってかれる。
 けどもう一仕事、発動させるのは最初に投じた霊符。

 ──浄化きよめ還元かえりてかがやき請願たまえ……!

 光が灯る。霊符で片付くとは思ってない。じっと、破魔の力を刃に注ぎ続けた男に後を託す。

「玖玲!」

 期待通り機を読み、いて欲しい所にいてくれた。青い刃が振り下ろされ、悪鬼の首を刎ねる。

「死になよ」

「ガッ──……!?」

 でも虎がああだったんだ、悪鬼も必ず逆転を狙いに来る筈。そうと信じて最後の霊力を燃やし尽くす。棍に宿るは日輪に似た輝き。

「無念無想へ廻転せよ、陰陽引き合いて、あまねく魂再び巡れ──……!」

 それが嘆きであれ恨みであれ、全ての想念を境地へと連れて行く。捨てさせない、置き去りにしない、無我に至るまで昇華する。

 これが僕らに出来る弔いだ。箚士の始まりは、天神地祇へ祈りを捧ぐ、死者の魂の安寧を願う者だから。

「尽きるものか、我らの思いは……底尽きぬ……っ」

「しぶとい……!」

 もう霊力のない玖玲が膝を折って呻く。同時に鬼の脳天を矢が射抜いた。

「祓い給え清め給え!」

浄化きよめ誓願たまえ!」

 清冽な白い奔流が後押しする。霊符が首と胴体に飛来し光を放つ。皆が加勢に来てくれた。
 この勢いで振り絞るぞ、出し惜しみはない!

「万物流転!」

「っ……!」

 怒涛の連係攻撃に悪鬼も抵抗儘ならない。叫びを上げ、遂に夜闇より深い黒が白光に消えた。
 後に散ったのは星屑に似た微かな煌めき。小さく輝かしく、それは弾けた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...