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魍魎の影に潜む
49 巡らせる者
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癒々の声で、癒々の身体で、悪鬼が癒々ごと僕らを痛め付けている。もしこれ以上出血したら、癒々は助からないかもしれない。
それくらい赤いんだ、綺麗な服だったのに。半身が真っ赤に染まってる。癒々は今あいつの中で苦しいんだろうか。噎せ返る鉄のにおい、奥歯を噛んだ。
「次は足から……それとも鼻先か。女の顔が血に染まるのは、他人であれど心苦しかろう?」
ボタボタと夥しく血が流れ落ち、首筋を伝う光景。揺さぶられていた神経が、徐々に凍り付く心地がした。
限度を超えたからだと、妙に冷静に思い至る。胸に込み上げるのは後悔じゃない、怒りだ。
人は憤怒で凍えるような静けさを味わうこともあるんだな。
「ははは! まだ信じて貰えぬようだ。きちんと証明しなければ、なぁ?」
愉快で堪らないと哄笑する様は悪辣で。だけど胸の内はむしろどんどん冷えて行く。その手段が余りにも……うん、単純。そうだ小さいんだ。
矮小、その言葉が似つかわしい。神話で描かれた畏怖には程遠い。この鬼は弱体化してる、だからあからさまに手段を選ばない。
ああなんだ。こいつはこの程度の奴か──
この気持ちを何と言い表すのか、今は明瞭に浮かばないや。人間を見下すなら、人間なんか頼るな。他人の身体を間借りしておかしいだろ、どうにも滑稽で憐れに思える。
それで何を証明したいんだ。弱さか、愚かしさか。分かったからもういいよ。人を小馬鹿にすることに邁進し過ぎて、お前はそれより馬鹿になってる。自覚がないって無様だな。
「……気に入らんな、その目付き。分かるぞ童、見下しているな」
思うに、あいつの愚かしさは非常に人間臭い。そう、神様らしくない。堕ちたりとは言え、元は何を司る神だろう。鬼になる以前は……
いや、鬼も染まるのか。精霊が穢に侵され堕ちるように。長い時や百鬼夜行の残留思念と混じり合う中で、悪鬼はもう元とは異なる存在に変わり果てた。
全ての事物は移ろい、変わり続けるが必定。そこからは逃れられないんだな、誰も。
「たかが地を這う獣の一つに過ぎぬ身で……っ」
まあ、どうでもいいか。
「その目をやめろ! 貴様ぁ!」
黒剣が乱舞する。残りの分身を切り刻まれた。
毛に戻って消えた分身達の切り口は、刃がどう振るわれたかを教えてくれる。不思議と凄く冷静だよ、悪鬼のおかげでな。
「切り刻め!」
腹の底から吐き出された叫びと共に、全ての黒剣が差し向けられる。無数の切っ先が殺意となって飛来した。
癇癪起こした子供を想起させるな。僕らは自分の仕事をこなす。箚士だから。
──じゃあやるぞ、大成!
「グルアアアアアアァ!」
自ら飛び込み黒剣と肉薄。紙一重で躱し、叩き落とし、避けられず食らおうと怯まない。二人で進め!
凶刃と踊る。手傷を数えるのも馬鹿らしい。それでも嵐を掻い潜り、遮る物なき一瞬を得た。
「ッ!」
片足を切り飛ばされた。堪えろ、届く。絶対に外すな──押し通る!
灼熱を宿した黒い棍、距離を無視して間合いを貫く。目瞬きより速く伸長した棍に打ち抜かれ、そいつは突き飛ばされて行く。
黒い鬼、角を持つ人型の怨念。激突したまま地を引き摺られ、器から押し出されたと悪鬼も理解した。癒々は傷付いてない、炎と同じ。
「ば……かな、何故……!」
同じことを鬼面にやられかけたから。精霊を引き剥がされそうで、本当に焦った。だからその手があれば強いなって。
箚士と精霊は互いの魂を同居させる。でも同調し過ぎると自他の境を見失い、戻れなくなる。
普通はそこまでやらない。守るべき線引きをして、自我を保全するものだ。
でもあの鬼面は自己に頓着しないから、その線引きなしで精霊に合わせ切って引き寄せられる。高い所から低い所へ水が流れるみたいに。
境目のない同一化した器と化す、多分理屈としてはこうだろう。五十鈴ちゃんの目を掻い潜ったのも、虎の魍魎も、その特性による産物だ。
僕らは霊力の質を焼き尽くし、擬似的に再現した。偏りのない誰にでも合う力でなら、似たことがやれそうだと。上手く出来たと思う。
「そうか鬼面の……とんだ猿真似だな!」
「キッキッキ! ざまあ!」
降臨が解けた。僕らの霊力はもう尽きる。消耗がこれ程激しいとは。いや主に分身だな、あれは破格の性能に見合う量を持ってかれる。
けどもう一仕事、発動させるのは最初に投じた霊符。
──浄化、還元、皓、請願……!
光が灯る。霊符で片付くとは思ってない。じっと、破魔の力を刃に注ぎ続けた男に後を託す。
「玖玲!」
期待通り機を読み、いて欲しい所にいてくれた。青い刃が振り下ろされ、悪鬼の首を刎ねる。
「死になよ」
「ガッ──……!?」
でも虎がああだったんだ、悪鬼も必ず逆転を狙いに来る筈。そうと信じて最後の霊力を燃やし尽くす。棍に宿るは日輪に似た輝き。
「無念無想へ廻転せよ、陰陽引き合いて、あまねく魂再び巡れ──……!」
それが嘆きであれ恨みであれ、全ての想念を境地へと連れて行く。捨てさせない、置き去りにしない、無我に至るまで昇華する。
これが僕らに出来る弔いだ。箚士の始まりは、天神地祇へ祈りを捧ぐ、死者の魂の安寧を願う者だから。
「尽きるものか、我らの思いは……底尽きぬ……っ」
「しぶとい……!」
もう霊力のない玖玲が膝を折って呻く。同時に鬼の脳天を矢が射抜いた。
「祓い給え清め給え!」
「浄化、誓願!」
清冽な白い奔流が後押しする。霊符が首と胴体に飛来し光を放つ。皆が加勢に来てくれた。
この勢いで振り絞るぞ、出し惜しみはない!
「万物流転!」
「っ……!」
怒涛の連係攻撃に悪鬼も抵抗儘ならない。叫びを上げ、遂に夜闇より深い黒が白光に消えた。
後に散ったのは星屑に似た微かな煌めき。小さく輝かしく、それは弾けた。
それくらい赤いんだ、綺麗な服だったのに。半身が真っ赤に染まってる。癒々は今あいつの中で苦しいんだろうか。噎せ返る鉄のにおい、奥歯を噛んだ。
「次は足から……それとも鼻先か。女の顔が血に染まるのは、他人であれど心苦しかろう?」
ボタボタと夥しく血が流れ落ち、首筋を伝う光景。揺さぶられていた神経が、徐々に凍り付く心地がした。
限度を超えたからだと、妙に冷静に思い至る。胸に込み上げるのは後悔じゃない、怒りだ。
人は憤怒で凍えるような静けさを味わうこともあるんだな。
「ははは! まだ信じて貰えぬようだ。きちんと証明しなければ、なぁ?」
愉快で堪らないと哄笑する様は悪辣で。だけど胸の内はむしろどんどん冷えて行く。その手段が余りにも……うん、単純。そうだ小さいんだ。
矮小、その言葉が似つかわしい。神話で描かれた畏怖には程遠い。この鬼は弱体化してる、だからあからさまに手段を選ばない。
ああなんだ。こいつはこの程度の奴か──
この気持ちを何と言い表すのか、今は明瞭に浮かばないや。人間を見下すなら、人間なんか頼るな。他人の身体を間借りしておかしいだろ、どうにも滑稽で憐れに思える。
それで何を証明したいんだ。弱さか、愚かしさか。分かったからもういいよ。人を小馬鹿にすることに邁進し過ぎて、お前はそれより馬鹿になってる。自覚がないって無様だな。
「……気に入らんな、その目付き。分かるぞ童、見下しているな」
思うに、あいつの愚かしさは非常に人間臭い。そう、神様らしくない。堕ちたりとは言え、元は何を司る神だろう。鬼になる以前は……
いや、鬼も染まるのか。精霊が穢に侵され堕ちるように。長い時や百鬼夜行の残留思念と混じり合う中で、悪鬼はもう元とは異なる存在に変わり果てた。
全ての事物は移ろい、変わり続けるが必定。そこからは逃れられないんだな、誰も。
「たかが地を這う獣の一つに過ぎぬ身で……っ」
まあ、どうでもいいか。
「その目をやめろ! 貴様ぁ!」
黒剣が乱舞する。残りの分身を切り刻まれた。
毛に戻って消えた分身達の切り口は、刃がどう振るわれたかを教えてくれる。不思議と凄く冷静だよ、悪鬼のおかげでな。
「切り刻め!」
腹の底から吐き出された叫びと共に、全ての黒剣が差し向けられる。無数の切っ先が殺意となって飛来した。
癇癪起こした子供を想起させるな。僕らは自分の仕事をこなす。箚士だから。
──じゃあやるぞ、大成!
「グルアアアアアアァ!」
自ら飛び込み黒剣と肉薄。紙一重で躱し、叩き落とし、避けられず食らおうと怯まない。二人で進め!
凶刃と踊る。手傷を数えるのも馬鹿らしい。それでも嵐を掻い潜り、遮る物なき一瞬を得た。
「ッ!」
片足を切り飛ばされた。堪えろ、届く。絶対に外すな──押し通る!
灼熱を宿した黒い棍、距離を無視して間合いを貫く。目瞬きより速く伸長した棍に打ち抜かれ、そいつは突き飛ばされて行く。
黒い鬼、角を持つ人型の怨念。激突したまま地を引き摺られ、器から押し出されたと悪鬼も理解した。癒々は傷付いてない、炎と同じ。
「ば……かな、何故……!」
同じことを鬼面にやられかけたから。精霊を引き剥がされそうで、本当に焦った。だからその手があれば強いなって。
箚士と精霊は互いの魂を同居させる。でも同調し過ぎると自他の境を見失い、戻れなくなる。
普通はそこまでやらない。守るべき線引きをして、自我を保全するものだ。
でもあの鬼面は自己に頓着しないから、その線引きなしで精霊に合わせ切って引き寄せられる。高い所から低い所へ水が流れるみたいに。
境目のない同一化した器と化す、多分理屈としてはこうだろう。五十鈴ちゃんの目を掻い潜ったのも、虎の魍魎も、その特性による産物だ。
僕らは霊力の質を焼き尽くし、擬似的に再現した。偏りのない誰にでも合う力でなら、似たことがやれそうだと。上手く出来たと思う。
「そうか鬼面の……とんだ猿真似だな!」
「キッキッキ! ざまあ!」
降臨が解けた。僕らの霊力はもう尽きる。消耗がこれ程激しいとは。いや主に分身だな、あれは破格の性能に見合う量を持ってかれる。
けどもう一仕事、発動させるのは最初に投じた霊符。
──浄化、還元、皓、請願……!
光が灯る。霊符で片付くとは思ってない。じっと、破魔の力を刃に注ぎ続けた男に後を託す。
「玖玲!」
期待通り機を読み、いて欲しい所にいてくれた。青い刃が振り下ろされ、悪鬼の首を刎ねる。
「死になよ」
「ガッ──……!?」
でも虎がああだったんだ、悪鬼も必ず逆転を狙いに来る筈。そうと信じて最後の霊力を燃やし尽くす。棍に宿るは日輪に似た輝き。
「無念無想へ廻転せよ、陰陽引き合いて、あまねく魂再び巡れ──……!」
それが嘆きであれ恨みであれ、全ての想念を境地へと連れて行く。捨てさせない、置き去りにしない、無我に至るまで昇華する。
これが僕らに出来る弔いだ。箚士の始まりは、天神地祇へ祈りを捧ぐ、死者の魂の安寧を願う者だから。
「尽きるものか、我らの思いは……底尽きぬ……っ」
「しぶとい……!」
もう霊力のない玖玲が膝を折って呻く。同時に鬼の脳天を矢が射抜いた。
「祓い給え清め給え!」
「浄化、誓願!」
清冽な白い奔流が後押しする。霊符が首と胴体に飛来し光を放つ。皆が加勢に来てくれた。
この勢いで振り絞るぞ、出し惜しみはない!
「万物流転!」
「っ……!」
怒涛の連係攻撃に悪鬼も抵抗儘ならない。叫びを上げ、遂に夜闇より深い黒が白光に消えた。
後に散ったのは星屑に似た微かな煌めき。小さく輝かしく、それは弾けた。
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