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写し身は集い
32 癒々
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ぼんやりと白んだ世界の中。私は目を合わせられない程目映く、厳かな空気を纏う女性と言葉を交わす。本物の神とは、問うまでもなく神なのだと理解出来るのね。
滔々と私に事の次第を語った生命の女神様。でも今は私を憂いてる。私の気持ちは……凍えてるみたいに、鈍い。
「嘆かないのね。癒々は」
「そうなるように、女神様が私の人生から未練を削ぎ落として来られたのでは?」
「天命を操るなど、出来てもしないのよ。それは神々にとって諸刃の剣なの」
「じゃあ私の人生は私の責任なのね。才能がなくて、口下手で、私自身の欠点が招いたもの」
「そうとも言えるし、それだけとも言えないかしら。あなたの人生はあなただけで形作られたものではない、そうでしょう?」
「……」
「全ては選択と行動、その果ての巡り合わせよ。どうあっても噛み合わない環境を飛び出すか留まるかも、あなた次第だった」
「耳が痛いわ……」
「ここから逃げ出すのも、あなたの自由なのよ」
「逃げません、約束したの。私に課された役割を果たします」
「命を懸けても?」
「神様には分からないかもしれませんが……人間は己が命を少しくらい、何か意味のあるものにしたい、という欲を持っているんです」
「そうね。同時に、死にたくないという恐れを備えてもいるの。それは悪でも恥でもない、忘れないで」
「そんなこと、言われても……」
女神様は優しかった。だからこそ居た堪れなくて。
「だって、仕方ないのでしょう? もし私が逃げたら誰が後始末を担うの。大勢の命を、背負うの……」
「そうね、だから私達は決めたのよ。あなた達が一人でも多く助かる道筋を残す為に……神々はなるべく関わらない。手を出した瞬間、死の運命が確定してしまう者が増え過ぎる」
これは賭けなのよ。人間の中からこそ予知を超え、予見を覆す者が現れてくれると──
「なら神様とはなんですか?」
「そうあれと望まれて、それだけを許された者よ」
「鬼は何故生まれたのですか?」
「道を踏み外した先にしか救いがないと零れ落ちてしまった魂が、自らを鬼であれと呪ったの」
「……私は助からないのね?」
「その可能性が一番高いままなのは事実。あなたは私を宿した為に、精霊がいない。箚士として器を磨く機会がなかった。でも確定した未来ではないの。あなたも、生きていて」
「女神様が私の中に降りて、命を繋いで下さらなければ、とうに死んでいた赤ん坊でも?」
「ええ、私は覚えているわ。あなたの産声を。無垢な命の鼓動を。あなたが大きくなって、本当に良かった……」
「っ……」
尊い掌が私の頭に触れる、そっと。込められているのは労り。伝わって来る。涙は熱いのだと、久し振りに思い出した。
女神様が憐れんで写し身に選んでくれなければ、捨てられた山道で息絶えた筈の赤子。それが私だった。
赤子の私を助ける為に女神様は私の魂に宿り、力の多くを封じたまま癒して。今も不出来な肉の器に閉じ込められている。諸刃の剣と理解した上で、そうしてくれた。
もし離れたら私の魂は砕けるそう。顕現する神威に人間が耐えるには、見合うだけの器と研鑽が必要だと。それが箚士なのね。
「あなたが幼い箚士に私の霊力を渡して、私の魂の総量を減らしてくれたから。やっとこうして話が出来たの」
「ごめんなさい……勝手に渡したりして」
「幸運な巡り合わせだったわ。写し身の役割を伝えられずに、その時が来てしまうかと思った」
「竜神様は私なんかで不満に思われるかも……」
「お父様ならきっと、悲しまれるでしょうね。儚き命を尊ぶ御方だから」
「竜神様は心優しい?」
「ええ。私達を生み出して、人々を見守らせるくらいには心配性よ」
「なら、畏れ多いけど……私が心臓を担います」
「癒々……」
「私、竜神様の人柱になる」
「どうか諦めないで。まだ……」
***
「……、……癒々!」
圜の声がする。女神様は……ああ、目が覚めてしまったんだ。もしかしたら私のお告げは、少し長かったのかも。
「癒々どこか痛い? まだ寒い? 毛布もっとあるよ!」
あたふたしながら圜が言い募る。どうしてかしらと思ったら、夢現に泣いていたせいね。
「……」
圜、と呼んだ筈なのに上手く声が出なかった。随分喉がカラカラみたい。
「玖玲、お茶!」
「命令するな伏して願い奉れ頭が高い」
すらすら言い返しても、玖玲さんは綺麗な湯飲みを手に枕元へ来てくれた。実は面倒見の良い人よねって、今は思う。
背中を支えて貰い、湯飲みに口を付ける。介護されるってこんな風なのね。
「癒々、何か欲しい? お粥食べる?」
「だいじょうぶ」
あ、今度はちゃんと声が出たわ。お茶を飲み干し、不安そうな顔の圜に手を伸ばす。少し跳ねた髪を撫で付けながら、私は二人に言った。
「お告げを……神託を受けたの。写し身が何をすべきかも教わったわ」
私は平静に言えたと思う。悲しませたり驚かせたりするのはもう、最後の一回きりにしようと決めた。
「本当に? じゃあそれを五十鈴ちゃんに説明しに行って貰っても良い? 霊薬の女神の写し身が誰かは、まだ分からないけど……」
「ええ」
夢では狼狽えたし、打ちのめされもしたのに。不思議と今は心が落ち着いている。悲しくも怖くもない。ただ上手くやらなくちゃって思えてる。
私よりうんと頑張っていて、誇り高くある二人に、格好悪い所は見せられないものね。
「癒々……」
「なぁに?」
「どこか痛いの?」
「もう平気よ」
──本当に、なんとも感じないから大丈夫。
滔々と私に事の次第を語った生命の女神様。でも今は私を憂いてる。私の気持ちは……凍えてるみたいに、鈍い。
「嘆かないのね。癒々は」
「そうなるように、女神様が私の人生から未練を削ぎ落として来られたのでは?」
「天命を操るなど、出来てもしないのよ。それは神々にとって諸刃の剣なの」
「じゃあ私の人生は私の責任なのね。才能がなくて、口下手で、私自身の欠点が招いたもの」
「そうとも言えるし、それだけとも言えないかしら。あなたの人生はあなただけで形作られたものではない、そうでしょう?」
「……」
「全ては選択と行動、その果ての巡り合わせよ。どうあっても噛み合わない環境を飛び出すか留まるかも、あなた次第だった」
「耳が痛いわ……」
「ここから逃げ出すのも、あなたの自由なのよ」
「逃げません、約束したの。私に課された役割を果たします」
「命を懸けても?」
「神様には分からないかもしれませんが……人間は己が命を少しくらい、何か意味のあるものにしたい、という欲を持っているんです」
「そうね。同時に、死にたくないという恐れを備えてもいるの。それは悪でも恥でもない、忘れないで」
「そんなこと、言われても……」
女神様は優しかった。だからこそ居た堪れなくて。
「だって、仕方ないのでしょう? もし私が逃げたら誰が後始末を担うの。大勢の命を、背負うの……」
「そうね、だから私達は決めたのよ。あなた達が一人でも多く助かる道筋を残す為に……神々はなるべく関わらない。手を出した瞬間、死の運命が確定してしまう者が増え過ぎる」
これは賭けなのよ。人間の中からこそ予知を超え、予見を覆す者が現れてくれると──
「なら神様とはなんですか?」
「そうあれと望まれて、それだけを許された者よ」
「鬼は何故生まれたのですか?」
「道を踏み外した先にしか救いがないと零れ落ちてしまった魂が、自らを鬼であれと呪ったの」
「……私は助からないのね?」
「その可能性が一番高いままなのは事実。あなたは私を宿した為に、精霊がいない。箚士として器を磨く機会がなかった。でも確定した未来ではないの。あなたも、生きていて」
「女神様が私の中に降りて、命を繋いで下さらなければ、とうに死んでいた赤ん坊でも?」
「ええ、私は覚えているわ。あなたの産声を。無垢な命の鼓動を。あなたが大きくなって、本当に良かった……」
「っ……」
尊い掌が私の頭に触れる、そっと。込められているのは労り。伝わって来る。涙は熱いのだと、久し振りに思い出した。
女神様が憐れんで写し身に選んでくれなければ、捨てられた山道で息絶えた筈の赤子。それが私だった。
赤子の私を助ける為に女神様は私の魂に宿り、力の多くを封じたまま癒して。今も不出来な肉の器に閉じ込められている。諸刃の剣と理解した上で、そうしてくれた。
もし離れたら私の魂は砕けるそう。顕現する神威に人間が耐えるには、見合うだけの器と研鑽が必要だと。それが箚士なのね。
「あなたが幼い箚士に私の霊力を渡して、私の魂の総量を減らしてくれたから。やっとこうして話が出来たの」
「ごめんなさい……勝手に渡したりして」
「幸運な巡り合わせだったわ。写し身の役割を伝えられずに、その時が来てしまうかと思った」
「竜神様は私なんかで不満に思われるかも……」
「お父様ならきっと、悲しまれるでしょうね。儚き命を尊ぶ御方だから」
「竜神様は心優しい?」
「ええ。私達を生み出して、人々を見守らせるくらいには心配性よ」
「なら、畏れ多いけど……私が心臓を担います」
「癒々……」
「私、竜神様の人柱になる」
「どうか諦めないで。まだ……」
***
「……、……癒々!」
圜の声がする。女神様は……ああ、目が覚めてしまったんだ。もしかしたら私のお告げは、少し長かったのかも。
「癒々どこか痛い? まだ寒い? 毛布もっとあるよ!」
あたふたしながら圜が言い募る。どうしてかしらと思ったら、夢現に泣いていたせいね。
「……」
圜、と呼んだ筈なのに上手く声が出なかった。随分喉がカラカラみたい。
「玖玲、お茶!」
「命令するな伏して願い奉れ頭が高い」
すらすら言い返しても、玖玲さんは綺麗な湯飲みを手に枕元へ来てくれた。実は面倒見の良い人よねって、今は思う。
背中を支えて貰い、湯飲みに口を付ける。介護されるってこんな風なのね。
「癒々、何か欲しい? お粥食べる?」
「だいじょうぶ」
あ、今度はちゃんと声が出たわ。お茶を飲み干し、不安そうな顔の圜に手を伸ばす。少し跳ねた髪を撫で付けながら、私は二人に言った。
「お告げを……神託を受けたの。写し身が何をすべきかも教わったわ」
私は平静に言えたと思う。悲しませたり驚かせたりするのはもう、最後の一回きりにしようと決めた。
「本当に? じゃあそれを五十鈴ちゃんに説明しに行って貰っても良い? 霊薬の女神の写し身が誰かは、まだ分からないけど……」
「ええ」
夢では狼狽えたし、打ちのめされもしたのに。不思議と今は心が落ち着いている。悲しくも怖くもない。ただ上手くやらなくちゃって思えてる。
私よりうんと頑張っていて、誇り高くある二人に、格好悪い所は見せられないものね。
「癒々……」
「なぁに?」
「どこか痛いの?」
「もう平気よ」
──本当に、なんとも感じないから大丈夫。
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