10 / 51
精霊の声を聞け
10 百鬼夜行
しおりを挟む
──百鬼夜行、魍魎達の行軍による災害。
神話の世から語り継がれる脅威だ。竜骨諸島の主神である竜神は、悪鬼率いる軍勢と戦った末に命を落とした。竜神の亡骸は国土となり、新たな神々を生んだとされる。
太古に主神が死する程の強襲が、一晩で町を飲み込む。まず弱い人間や精霊が穢から発生する瘴気に犯され、或いは取り込まれ息絶える。
その無念と魂を道連れに勢いを増し、犠牲が出る程更に手が付けられなくなるんだ。
浄化が追い付く初期段階での殲滅以外、未だに解決策がない。発生すれば全ての箚士に招集がかかる。
「私も話に聞いたことなら。お婆ちゃんの小さい頃、一度起きたって」
「竜骨山脈の北側での事件だね。岩の国はそれで二つ鉱床を失って、だいぶ国力を落としてしまった」
それからは箚士の育成と確保に本腰を入れて、国は結構な予算を割いている。箚士の地位……というか重要度も随分上がった。
「岩の国の事件以降、都は箚士が暮らし易いようになったんだって。箚士がいるってことは、比較的育った強い精霊が共にあるのと同じだしね」
「圜にはどんな精霊がいるの?」
癒々に紹介しようと肩に視線をやれば、小猿姿の大成がよいしょと現れた。赤毛の額に金環が光る。
「僕の相棒、大成だよ」
「猿の姿なのね。赤い毛並み……炎から生まれたの?」
「ううん、岩から生まれたんだ」
「キッ」
大成は小さな手を上げて癒々に挨拶している。夢中を体現するみたいに、じーっと熱視線を大成に送る癒々。好きなんだね、精霊。
僕も大成へ指先を向けた。パッと小さな手が掴んで握手の格好に。そうだね僕ら仲良しだね。え? ああなんだ、背中掻けの意味か……
「大成は僕の前で生まれて、僕が名付けたんだ」
「ずっと一緒なのね」
大成の背中を毛繕いしながら、うんと返す。精霊の形態は通常五種類。蛇、魚、鳥、獣、猿。
獣は四足の生き物が該当する。猿は人間に近くて手を持つから、獣からは切り離されている……という建前があるけど。
「こんなに小さいし、魍魎と戦うのは大変そうだわ……」
「これは霊力を節約してる仮の姿だから。本当はもっと大きいんだ! 別に力がなくて弱いとかじゃないから!」
力一杯言うと癒々は目を丸くしてから、そうと柔らかく言った。思わず握り拳で主張したけれど、癒々はあいつとは違う。
毒気も険もない姿にハッとして、心の棘々したものが失せる。急に火が付いたみたいに言ったりして、格好悪かった。
「猿は一番弱い精霊だって言われてるから、つい……」
「私にとっては、精霊が傍にいてくれるだけで凄いことだもの。でもそんなことを言う人もいるのね、分かったわ」
「うん……」
猿は弱い精霊だから獣の分類を外されたんだ、なんて言われている。人間に近いだけに、あまり力を得られなかった精霊が猿の形態になるのでは……とも。
真実かは分からない。僕だって何故人間に生まれたんだと訊かれても答えられないし、それは精霊にとっても同じ。
「力を合わせて強くなったのね。二人は」
「……そうだよ。大成は凄いんだよ」
こっくり頷く僕の背中を、癒々の掌が撫でる。労りが込められていると分かる優しさで、そっと触れて行く肌は温かい。
「あなたもよ、圜は凄いわ。きっとあなたのご両親も、あなたを誇らしく思っているんじゃないかしら」
「そうかな……」
「ええ。私なら自慢するもの」
それは、もしそうなら、ちょっと嬉しかった。
「あら」
大成がするすると腕を伝い、癒々の膝に移る。癒々は嬉しそうだけど、何をするでもなく大成は首を傾げていた。どうしたんだろ。
「観察してるのかしら。私が意地悪な人間かどうか」
「うーんどうかな、精霊自体割と好奇心旺盛だから。案外何も考えてないかも」
ペシリと大成に膝をはたかれた。事実なのに。
夜も早い内に僕はお風呂を浴びに行く。まだ病み上がりの癒々は盥のお湯で身体を拭うだけ。
「手伝う?」
「大丈夫よ、圜も早く行ってらっしゃい。あんまり遅い時間だと危ないわ」
「はーい」
この町に限らず、竜骨諸島は各地に温泉が湧く。大衆浴場は基本的に無料で入れる。けどお金持ちはわざわざ管を通して、自宅で風呂に入るらしい。
自分の家なら混浴し放題だもんな、と先生が下衆の勘繰りをしてたっけ。手の動きが妙に気持ち悪かったからよく覚えてる。多分違うと思うし、家族でお風呂に入るのの何が悪いのかも謎だ。
「石臼で疲れたし、今日はゆっくり湯船に浸かろう」
……でもちょっと熱い。
「無理すんなよ坊主、逆上せちまうぞ」
「ここは風呂はただでも、飲み水は有料だぞー」
「うん……」
周りのおじさんは全然平気そう、地元の人なんだろう。僕には熱い。ゆっくりするのは諦めて温かい内に宿へ戻った。
癒々はもう横になっていて、静かな寝息しか聞こえて来ない。特に魘されてもないので安心。
夏も終わり、ここらの朝方はひんやりする。隙間風を防ぐのに窓の鎧戸を閉めてしまおう。空を垣間見ると雲は薄く、星が綺麗に見える。
「明日からは天気が良いとありがたいな」
「キキッ」
「そうだね、朝の稽古も少しにして調整しないと」
ペシペシと布団を叩く大成に促され、すぐ横になった。癒々に加護をくれる精霊、途中で見付かればな。そう思うよ。
神話の世から語り継がれる脅威だ。竜骨諸島の主神である竜神は、悪鬼率いる軍勢と戦った末に命を落とした。竜神の亡骸は国土となり、新たな神々を生んだとされる。
太古に主神が死する程の強襲が、一晩で町を飲み込む。まず弱い人間や精霊が穢から発生する瘴気に犯され、或いは取り込まれ息絶える。
その無念と魂を道連れに勢いを増し、犠牲が出る程更に手が付けられなくなるんだ。
浄化が追い付く初期段階での殲滅以外、未だに解決策がない。発生すれば全ての箚士に招集がかかる。
「私も話に聞いたことなら。お婆ちゃんの小さい頃、一度起きたって」
「竜骨山脈の北側での事件だね。岩の国はそれで二つ鉱床を失って、だいぶ国力を落としてしまった」
それからは箚士の育成と確保に本腰を入れて、国は結構な予算を割いている。箚士の地位……というか重要度も随分上がった。
「岩の国の事件以降、都は箚士が暮らし易いようになったんだって。箚士がいるってことは、比較的育った強い精霊が共にあるのと同じだしね」
「圜にはどんな精霊がいるの?」
癒々に紹介しようと肩に視線をやれば、小猿姿の大成がよいしょと現れた。赤毛の額に金環が光る。
「僕の相棒、大成だよ」
「猿の姿なのね。赤い毛並み……炎から生まれたの?」
「ううん、岩から生まれたんだ」
「キッ」
大成は小さな手を上げて癒々に挨拶している。夢中を体現するみたいに、じーっと熱視線を大成に送る癒々。好きなんだね、精霊。
僕も大成へ指先を向けた。パッと小さな手が掴んで握手の格好に。そうだね僕ら仲良しだね。え? ああなんだ、背中掻けの意味か……
「大成は僕の前で生まれて、僕が名付けたんだ」
「ずっと一緒なのね」
大成の背中を毛繕いしながら、うんと返す。精霊の形態は通常五種類。蛇、魚、鳥、獣、猿。
獣は四足の生き物が該当する。猿は人間に近くて手を持つから、獣からは切り離されている……という建前があるけど。
「こんなに小さいし、魍魎と戦うのは大変そうだわ……」
「これは霊力を節約してる仮の姿だから。本当はもっと大きいんだ! 別に力がなくて弱いとかじゃないから!」
力一杯言うと癒々は目を丸くしてから、そうと柔らかく言った。思わず握り拳で主張したけれど、癒々はあいつとは違う。
毒気も険もない姿にハッとして、心の棘々したものが失せる。急に火が付いたみたいに言ったりして、格好悪かった。
「猿は一番弱い精霊だって言われてるから、つい……」
「私にとっては、精霊が傍にいてくれるだけで凄いことだもの。でもそんなことを言う人もいるのね、分かったわ」
「うん……」
猿は弱い精霊だから獣の分類を外されたんだ、なんて言われている。人間に近いだけに、あまり力を得られなかった精霊が猿の形態になるのでは……とも。
真実かは分からない。僕だって何故人間に生まれたんだと訊かれても答えられないし、それは精霊にとっても同じ。
「力を合わせて強くなったのね。二人は」
「……そうだよ。大成は凄いんだよ」
こっくり頷く僕の背中を、癒々の掌が撫でる。労りが込められていると分かる優しさで、そっと触れて行く肌は温かい。
「あなたもよ、圜は凄いわ。きっとあなたのご両親も、あなたを誇らしく思っているんじゃないかしら」
「そうかな……」
「ええ。私なら自慢するもの」
それは、もしそうなら、ちょっと嬉しかった。
「あら」
大成がするすると腕を伝い、癒々の膝に移る。癒々は嬉しそうだけど、何をするでもなく大成は首を傾げていた。どうしたんだろ。
「観察してるのかしら。私が意地悪な人間かどうか」
「うーんどうかな、精霊自体割と好奇心旺盛だから。案外何も考えてないかも」
ペシリと大成に膝をはたかれた。事実なのに。
夜も早い内に僕はお風呂を浴びに行く。まだ病み上がりの癒々は盥のお湯で身体を拭うだけ。
「手伝う?」
「大丈夫よ、圜も早く行ってらっしゃい。あんまり遅い時間だと危ないわ」
「はーい」
この町に限らず、竜骨諸島は各地に温泉が湧く。大衆浴場は基本的に無料で入れる。けどお金持ちはわざわざ管を通して、自宅で風呂に入るらしい。
自分の家なら混浴し放題だもんな、と先生が下衆の勘繰りをしてたっけ。手の動きが妙に気持ち悪かったからよく覚えてる。多分違うと思うし、家族でお風呂に入るのの何が悪いのかも謎だ。
「石臼で疲れたし、今日はゆっくり湯船に浸かろう」
……でもちょっと熱い。
「無理すんなよ坊主、逆上せちまうぞ」
「ここは風呂はただでも、飲み水は有料だぞー」
「うん……」
周りのおじさんは全然平気そう、地元の人なんだろう。僕には熱い。ゆっくりするのは諦めて温かい内に宿へ戻った。
癒々はもう横になっていて、静かな寝息しか聞こえて来ない。特に魘されてもないので安心。
夏も終わり、ここらの朝方はひんやりする。隙間風を防ぐのに窓の鎧戸を閉めてしまおう。空を垣間見ると雲は薄く、星が綺麗に見える。
「明日からは天気が良いとありがたいな」
「キキッ」
「そうだね、朝の稽古も少しにして調整しないと」
ペシペシと布団を叩く大成に促され、すぐ横になった。癒々に加護をくれる精霊、途中で見付かればな。そう思うよ。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる