写し身乙女は春を待つ ~幻想東邦霊異聞~

波津井

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精霊の声を聞け

10 百鬼夜行

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 ──百鬼夜行、魍魎達の行軍による災害。

 神話の世から語り継がれる脅威だ。竜骨諸島の主神である竜神は、悪鬼率いる軍勢と戦った末に命を落とした。竜神の亡骸は国土となり、新たな神々を生んだとされる。

 太古に主神が死する程の強襲が、一晩で町を飲み込む。まず弱い人間や精霊がけがれから発生する瘴気に犯され、或いは取り込まれ息絶える。
 その無念と魂を道連れに勢いを増し、犠牲が出る程更に手が付けられなくなるんだ。

 浄化が追い付く初期段階での殲滅以外、未だに解決策がない。発生すれば全ての箚士に招集がかかる。

「私も話に聞いたことなら。お婆ちゃんの小さい頃、一度起きたって」

「竜骨山脈の北側での事件だね。岩の国はそれで二つ鉱床を失って、だいぶ国力を落としてしまった」

 それからは箚士の育成と確保に本腰を入れて、国は結構な予算を割いている。箚士の地位……というか重要度も随分上がった。

「岩の国の事件以降、都は箚士が暮らし易いようになったんだって。箚士がいるってことは、比較的育った強い精霊が共にあるのと同じだしね」

ぎんにはどんな精霊がいるの?」

 癒々ゆゆに紹介しようと肩に視線をやれば、小猿姿の大成たいせいがよいしょと現れた。赤毛の額に金環が光る。

「僕の相棒、大成だよ」

「猿の姿なのね。赤い毛並み……炎から生まれたの?」

「ううん、岩から生まれたんだ」

「キッ」

 大成は小さな手を上げて癒々に挨拶している。夢中を体現するみたいに、じーっと熱視線を大成に送る癒々。好きなんだね、精霊。

 僕も大成へ指先を向けた。パッと小さな手が掴んで握手の格好に。そうだね僕ら仲良しだね。え? ああなんだ、背中掻けの意味か……

「大成は僕の前で生まれて、僕が名付けたんだ」

「ずっと一緒なのね」

 大成の背中を毛繕いしながら、うんと返す。精霊の形態は通常五種類。蛇、魚、鳥、獣、猿。
 獣は四足の生き物が該当する。猿は人間に近くて手を持つから、獣からは切り離されている……という建前があるけど。

「こんなに小さいし、魍魎と戦うのは大変そうだわ……」

「これは霊力を節約してる仮の姿だから。本当はもっと大きいんだ! 別に力がなくて弱いとかじゃないから!」

 力一杯言うと癒々は目を丸くしてから、そうと柔らかく言った。思わず握り拳で主張したけれど、癒々はあいつとは違う。

 毒気も険もない姿にハッとして、心の棘々したものが失せる。急に火が付いたみたいに言ったりして、格好悪かった。

「猿は一番弱い精霊だって言われてるから、つい……」

「私にとっては、精霊が傍にいてくれるだけで凄いことだもの。でもそんなことを言う人もいるのね、分かったわ」

「うん……」

 猿は弱い精霊だから獣の分類を外されたんだ、なんて言われている。人間に近いだけに、あまり力を得られなかった精霊が猿の形態になるのでは……とも。

 真実かは分からない。僕だって何故人間に生まれたんだと訊かれても答えられないし、それは精霊にとっても同じ。

「力を合わせて強くなったのね。二人は」

「……そうだよ。大成は凄いんだよ」

 こっくり頷く僕の背中を、癒々の掌が撫でる。労りが込められていると分かる優しさで、そっと触れて行く肌は温かい。

「あなたもよ、圜は凄いわ。きっとあなたのご両親も、あなたを誇らしく思っているんじゃないかしら」

「そうかな……」

「ええ。私なら自慢するもの」

 それは、もしそうなら、ちょっと嬉しかった。

「あら」

 大成がするすると腕を伝い、癒々の膝に移る。癒々は嬉しそうだけど、何をするでもなく大成は首を傾げていた。どうしたんだろ。

「観察してるのかしら。私が意地悪な人間かどうか」

「うーんどうかな、精霊自体割と好奇心旺盛だから。案外何も考えてないかも」

 ペシリと大成に膝をはたかれた。事実なのに。

 夜も早い内に僕はお風呂を浴びに行く。まだ病み上がりの癒々はたらいのお湯で身体を拭うだけ。

「手伝う?」

「大丈夫よ、圜も早く行ってらっしゃい。あんまり遅い時間だと危ないわ」

「はーい」

 この町に限らず、竜骨諸島は各地に温泉が湧く。大衆浴場は基本的に無料で入れる。けどお金持ちはわざわざ管を通して、自宅で風呂に入るらしい。

 自分の家なら混浴し放題だもんな、と先生が下衆の勘繰りをしてたっけ。手の動きが妙に気持ち悪かったからよく覚えてる。多分違うと思うし、家族でお風呂に入るのの何が悪いのかも謎だ。

「石臼で疲れたし、今日はゆっくり湯船に浸かろう」

 ……でもちょっと熱い。

「無理すんなよ坊主、逆上のぼせちまうぞ」

「ここは風呂はただでも、飲み水は有料だぞー」

「うん……」

 周りのおじさんは全然平気そう、地元の人なんだろう。僕には熱い。ゆっくりするのは諦めて温かい内に宿へ戻った。

 癒々はもう横になっていて、静かな寝息しか聞こえて来ない。特に魘されてもないので安心。

 夏も終わり、ここらの朝方はひんやりする。隙間風を防ぐのに窓の鎧戸を閉めてしまおう。空を垣間見ると雲は薄く、星が綺麗に見える。

「明日からは天気が良いとありがたいな」

「キキッ」

「そうだね、朝の稽古も少しにして調整しないと」

 ペシペシと布団を叩く大成に促され、すぐ横になった。癒々に加護をくれる精霊、途中で見付かればな。そう思うよ。
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