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不死者の王
しおりを挟む魔獣と業火に蹂躙される村の広場で、真紅の薔薇に守られるように囲まれたアロイス。
吹きつける煙と熱風に焼かれ、ついに意識を失ってしまう。
どれくらい時間が経ったのか、気がつけばアロイスは暗闇の中にぽつんと独りぼっちでいる。
今はもう、痛みも苦しみもない。
完全な無と心の平安があった。
――すべてが無に帰す……これが死、というものなのだろうか?
「其方はまだ、この世に未練があるだろう? 愛する者たちに、再び会いたいとは思わないか?」
どこからか、男性的な深みのある美しい声が聞こえて来る。
すると暗闇の中に、一条の光が射し込んで。
そこには金色の髪の少女……私がうずくまって泣いている。
「……ソフィ!」
アロイスが私の方へ手を伸ばすと、その手を誰かに掴まれた。
「冥界の女神の恩寵を、其方に与えよう。さすれば闇に生きる者として力を得、もう狩られるのではなく、狩る者となる。
そうして若く美しいまま、永劫の時を女神の使徒として余と共に生きるのだ」
肩を掴まれ、アロイスは藻掻き押し戻そうとする。
けれどそれは弱々しい身動ぎにも満たない動きで、声の主の腕の中にしっかりと抱き寄せられてしまう。
首筋に鋭い痛みを感じて、悲鳴を上げようとしたのに、開いた口から声は出ない。
心臓の鼓動が規則正しく打ち鳴らす音が銅鑼のように響き、身体中を巡る血の流れが轟々と音を立てた。
不意に、爪先から脳天まで貫くような快感が迸しると、光に満ちた世界に投げ出される。
アロイスはどこまでも青い空のもと、丘に続く草原にいて私と手を繋いで歩いていた。
丘の上には村を囲む石の壁と門があり、草原にはのんびりと草を食む家畜たちが居る。
隣にいる華奢な少女の私の身体を抱きしめると、アロイスに微笑みかけた。
遠くで彼の幼い弟が私たちに手を振り、呼んでいる。
「ああ、よかった。元通りだ……」
心から安堵して、ため息をつく。
しかし血の奔流と鼓動の音は小さくなっていき、草原も私も遠のいてしまった。
「嫌だ、行かないで」
落胆したアロイスは、涙を流しすすり泣いた。
業火に焼かれた故郷を思い出し、喪失感が津波のように押し寄せ、悲嘆に暮れる。
村で慎ましく暮らしていた平和な日々は、もう二度と戻っては来ない。
当たり前のように朝が来て日が暮れる、人々の営み。
普通だと思っていた日常がある日突然奪われてしまう、理不尽な運命。
結局、アロイスは村を救うことは出来なかった。
死を前にして、あまりにも無力な自分自身に打ちひしがれていた。
「さあ、これを飲むのだ。そうすれば、もう死に脅かされることはない」
乾いた唇に何かが押し付けられ、芳醇で甘く濃厚な液体が口の中に広がる。
アロイスは、自分がひどく喉が渇いていることに気づいた。
「飲むんだ! もっと」
香しい薔薇の匂いが鼻孔に抜けていく。
ごくり、と一口飲み込めば、喉から体内に不思議な力が流れ込み、衝撃が走った。
再び鼓動が高鳴り、身体が震えた。
「これは永劫に至る冥界の女神の恩寵、女神の血肉だ。余が其方に、この世で最高の贈り物を与えてやろう」
瞼を開けて見れば、この世の者ならぬ美貌の不死者の王の顔があった。
彼の腕の中で押し付けられた手首を掴んで、傷口から流れ込む神々の美酒のような液体をゴクゴクと飲み続ける。
すると今度は、星々の瞬く夜の草原の映像が脳裏に現れた。
夜を渡る涼風に吹かれ、長い杖を持って丘の上に立つ、白っぽいローブを着た男。
まるで神々の一人のように神々しいその姿。
サラサラと流れる白金の髪は背中で緩く纏められ、緑柱石の瞳は真っすぐ前方を向いていた。
「サシャのお陰で私の民は、無事にこの地に辿り着くことが出来た」
古の妖精の王、森の民の長は歌うような声で話した。
若々しい外見に不釣り合いな、老成した雰囲気をまとっている。
この妖精の王もまた、サシャ王のように長い時を孤独に生き、自らの民を率いる責任という重圧を負っていた。
「私たちは義兄弟の契りを交した。約束通り、民のうちから好きな者を花嫁に選ぶといい」
遠くで盛大に焚火が赤々と燃え、火の粉を夜空にまき散らしている。
その周りで、金色の髪を煌めかせ美しい妖精たちが輪を描いて喜びの舞を踊っていた。
「では、――を」
サシャ王が選んだのは、妖精の王が溺愛している末の娘。
今は亡き妖精王の妻が、自分の命と引き換えに産んだ子供。
妖精の王との友情と約束を、サシャ王はここで試したのだった。
選ばれた年若い末の娘は、父親、それから兄弟と一族すべてと抱き合い、涙ながらに別れを告げて、サシャ王と共に闇の都へ行った。
そこで彼女はサシャ王と仲睦まじく暮らしたが、月日と共にひどく陽の光を恋しがるようになり、やがて病にかかると儚くなった。
妖精の娘は、最後までサシャ王と同じ不死者になることを望まず、死後は妖精の国に旅立つことを選んだ。
残されたサシャ王は、しばらくすると孤独に耐えがたく思い、また妖精の丘を訪ねることにした。
久しぶりにその地に来てみると、妖精の丘の中心に苗が植えられた世界樹は大きく育ち、樹を囲むように集落が築かれている。
以前よりも年を経た妖精の王は、自らの館に彼を招き入れ手厚くもてなした。
そして再びサシャ王に、あれから生まれた娘達の中から妻を娶るようにと勧めた。
娘たちを見ると、茶色の縮れた髪に暗い色の瞳をしていた。
現地の人間の娘と妖精の間に生まれた混血の子供たちは、妖精の王の末の娘と比べるとあまりにも違っていた。
「私の民は若い娘が少なく、人間の娘を妻に娶るしかなかったのだよ」
妖精の王の言葉に、サシャ王は血の涙を流した。
彼が一族にとって数少ない未婚の、そして彼の最愛の末娘を与えてくれた上、死なせてしまったのに。
一言もサシャ王を責めず、それどころか彼の孤独を理解し慰めようとしているのに気づいた。
「森の民の長よ。余は、またいずれ其方と其方の民が困窮した時にここに戻って来よう。そして、いつの日か余と共に来て欲しい。長い時を生きる孤独を、共に分かち合おう」
サシャ王は自分の国の都に帰り、それからまた長い年月が過ぎ去って行った。
風の便りに老いた妖精の王が身罷ったことを知った時も、もうその地に赴くことはなかった。
しかし数百年の時を超え、再び大地の裂け目の調査のためにこの地に足を踏み入れ、妖精の丘を訪れることになる。
サシャ王は古の妖精の王とのかつての約束を思い出し、彼らに危険を知らせるためにヴィーザル村に立ち寄ったのだった。
けれどそこには、以前はなかった不死者を阻む川が丘の周りを流れていて、サシャ王を拒んでいた。
不死者は、流れる水の上では超人的な力を失う。
危険を冒し川を渡ると、幼いアロイスを見出だした。
古の妖精の王と同じ、緑柱石の瞳を持つ子供。
その輝く緑柱石の瞳を覗き込めば、懐かしい友の精神、魂が宿っているかのように感じられた。
「またいつか会おう、サシャ」
最後に別れた日の妖精の王の言葉を、サシャ王は幼子に返していた。
「また会おう、アロイス」
――サシャの思考と記憶が口の中にあふれる血と共に、アロイスの中に流れ込んで来る。
アロイスは、紅い血の奔流の中で恍惚となり、心も身体も満たされていった。
身体には力が溢れ、自分が万能になったかのように思えた。
もはや痛みも苦しみも悲しみも無力感も、負の感情はすべてが過去のものとして消え去り、今はこの賜物を与えてくれたサシャ王への深い感謝と愛情が湧きあがってくる。
「……もう十分だ。しばし、ゆっくりと休むがいい。我が子よ」
サシャ王が離れると、鋭い苦痛に胸が痛んだ。
いくら飲んでも尽きぬこの喉の渇きは、いったいどうしたというのだろう……?
答えが見つからないまま、再び深い眠りの中へと落ちて行く――。
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