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間話 2’

62.はじめてのヌードデッサン

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(ある男子大学生の視点)

 僕は今年の春、大学生になった。

 これ以上、特に言うこともない……。

 我ながら自分の薄っぺらさに呆れる。でも、誰かに話を聞いてほしいって気持ちは分かって欲しい。

 自分語りで申し訳ないけれど、ずっと勉強しかしてこなかったから友達は少ないし、新生活が始まって数週間、大学生活はすでに講義に行って帰ってくるだけになっていた。

 言うまでもないことだけど、当然彼女もいない。

「い、今はいない……」って誤魔化しているけれど、人生で女の子と手を繋いだことさえない。童貞どうてい。まだ人生の目標も定まっていない道半ばの道程どうてい

 謎のラップ調の自虐。

 今思いついた冗談を話せる友達は大学にはいなかった。

 僕は自分に自信がない。

 当然のように大学デビューは失敗してしまった。大学生になったのだから『僕』なんて一人称は卒業しようと思って『俺』にしようと思ったのだけど、それも定着しなかった。なよなよした自分が嫌になる。

 そんな僕の身の上話なんて誰も興味ないだろうから、そろそろ本題に入ろうと思う。

「なあ、今度の週末ヌードデッサンにいかないか?」

「え? ヌードデッサン!?」

 ある日、中学の時の同級生から連絡があって誘い出された。

「ヌードデッサンって……あのヌードデッサン?」

 僕は思わず聞き返した。

「そう、あのヌードデッサン。裸を描くあれ。課題でやってこいって言われてさ。やってるところ見つけて予約したんだけど、一人で行くの気まずくてさぁ……一緒に行かないか?」

 そう言ったのは中学の時、仲の良かった僕の数少ない友達の一人だった。

 彼は美大に進学していて最近は忙しかったのか疎遠になりかけていた。久々の連絡で会いに行ってみると衝撃的な誘いが待っていた。もしかしたら商材とか宗教勧誘とか選挙の話なんじゃないか? って疑っていた気持ちは吹き飛ばされた。

「えっと……」

「もちろん女だぜ。野郎の裸を描いたって面白くないからな。まあ男でも勉強にはなるけど……最悪、鏡みて描けばいいしな」

「いや、僕は……」

「お前、彼女いないしどうせ暇だろ? 金は俺が出すから来いよ。俺の横で座ってるだけでいいからさ」

「でも……」

「よし、決まりだな! もう予約入れちゃったし! 週末の12時集合な」

 僕の意見なんておかまいなしに彼はどんどん話を進めていった。昔から強引なヤツだった。僕が強気に出れない人間だと分かっているのだ。

 だから結局、数少ない友達の誘いを僕は断り切れなかった。

「分かったよ……12時ね」

 ──べ、別に女の裸なんてきょ、興味ねーし!

 誰にも求められていない照れ隠しは飲み込んだ。

 もちろん僕も男だ。クールを気取ったり硬派ぶるつもりはなくて、むしろ興味津々だったわけだけど。初めてのことへの戸惑いがあった。

 ヌードデッサン。ヌードがヌードルじゃないことはギリギリ知っている。

 でも『彼女こいびと』なんて空想上の生き物だし、いままでの人生で女性の裸なんて神話の中の話だと思っていた。

 もちろん僕も男だし、漫画とかネットの動画とかで女性の裸を見たことがある。でも、それはあくまで二次元の平面世界の話であって、目の前のリアルな女性の質感なんて想像もできない人生だった。

 ──見れるんだ……女の人の……おっぱいとか、おしりとか……生で。

 我ながら男子中学生みたいな貧相なボキャブラリーだと思ったけれど、心の内で何を想おうと自由なはず。

 だから僕は……内側から湧き上がるわくわくを隠しながら、ヌードデッサンに行くことに同意した。


***


 ヌードデッサン当日。

 GWを来週に控えた休日は小春日和の快晴だった。

「おっす。今日はよろしく」

「あ、うん」

 僕は待ち合わせの駅前で友達と集合した。言葉少なげにしばらく歩いて目的地に向かう。昨日は緊張でよく眠れなかった。

 やがて街並みが閑静な住宅街に変わって、上品そうなマダムとすれ違ったころ、そのアトリエはあった。

 ちょっとしたお金持ちの家みたいな立派な建物で、入り口には『〇〇絵画教室』と書かれた看板がひかえめに掲げられていた。

「ついたぜ」

 友達と一緒に中に入ると講師の男が出迎えてくれた。ニコニコとした年上の青年で好印象だった。

「ようこそ。デッサンのお客さんですよね?」

 友達は彼と少し話して手続きを終えた。彼に案内されて僕たちは教室に入る。

 部屋に入ると絵の具の匂いがした。

 すでに10人以上の人がガヤガヤと待機していて、中は活気があった。みんな男で、僕たち以外は年配の身なりのいい中年ばかりだった。

 何台ものキャンバスが並んでいた。

 そのキャンバスに囲まれた白いシーツをかぶせたれたベッドのような台。おそらくはあそこに……モデルの人が横になったりして、ポーズをとるのだろう。全裸で……。

 開いていた椅子に座ると周りの雑談が聞こえてきた。

「やれやれ。普段はサボってばかりなのに皆さんこういう日ばかり熱心ですね」

「芸術のためだからねえ」

「それにオーナーの見つけてくる子はプロじゃなくて素人っぽいからねえ。楽しみだよね」

「そうそう。ね、オーナー?」

「ええ、まあ……みなさん、くれぐれもモデルの方に失礼のないようにしてくださいね」

「分かってますよぉ。おまかせします」

 中年の男の一人がもみ手をしながらヘラヘラ話しかけると、オーナーと呼ばれた男が苦笑いしながら答えた。

 言葉づかいは丁寧だったけれど、小太りでギラギラとした金色の腕時計をつけている成金って感じの男。なぜか印象はよくない。媚びる彼らも同じような印象だった。

「なあ、思ってたのと雰囲気ちがうな……」

 僕は椅子を並べて座る友人に話しかける。もっと真面目なピリッとした空間を想像していた。

「そうか? こんなもんだろう。お前だって女の裸が見たくてここに来たんじゃないのか? 正直になれよ」

「い、いや……それはそうだけど」

 そう言われると恥ずかしくて僕は言いよどむ。そんな僕の心を見透かすように友人が笑った。

「いつの時代も変わらないってことさ」

「どう言う意味だよ?」

「中世の貴族たちは考えた。裸の女の絵を飾るにはどうすればいいだろうか? っと。そうだ、宗教画ということにしてしまおう。そうと決まれば、あとはお抱えの芸術家に描かせるだけさ。金持ちで絵を持ち寄って品評会を開いたっていい。金を払ってくれるパトロンがいないと絵だけじゃ食っていけないからな。そういうもんさ」

 友人が僕に講釈をたれた。どうやら彼は大学デビューして意識高い芸術家気取りの男になってしまったらしい。

「つまり、エロもエロスって言い換えたら芸術っぽくなるってこと。建前がほしいのさ」

「ふーん」

 興味なさげに応えた。偉そうに語っていたけれど、こいつも緊張していることを長年の付き合いで僕には分かっていたのだから。

 正直、僕は興奮を隠している。真面目ぶっているだけだ。男の欲望を隠せていない性の獣。

 そんな僕なんかの欲望のはけ口にされるモデルの人が可哀想になった。

 友人の画材の準備が終わり、教室も十数人でいっぱいになるほど人が入ってきたところで、講師の人が説明を始めた。

「すみません。モデルの方が遅れているみたいで少し開始が遅れます」

 それを聞いて少しざわついた。ここまできて「今日はマネキンで」なんて言われたら暴動が起きそうな空気感。講師の男も内心のイライラを隠しているようだった。

 しかし、開始予定時間になるとアトリエを誰かが訪ねてきた。

 講師の男が出迎えに行き、やがて誰かを連れて僕らがいる教室を横切った。

 一瞬のことだったからよく見えなかったけれど、セミロングの黒髪と体格から女性だと分かった。

 ──ああ、あの人が脱ぐんだ……。

 と、その後ろ姿に期待で胸が膨らんだ。

 モデルの人も来たし、すぐ始まるんだなと思ったのだけど予想に反してなかなか始まらず、再び教室がガヤガヤとしてきた。

「遅いですね。そういえば今日来るのってオーナーの姪っ子さんでしたっけ?」

「すみませんねぇ。いやぁ、あの子は来れなくなったらしくてね。でも代わりに同じ大学の友達に頼んだって言ってましたよ」

「へぇ、大学生かぁ。若いなぁ……」

「姪と同い年の18歳らしいですよ」

 おお! っと歓声が上がった。漏れ聞こえた話が耳に入り僕も驚いた。まさか自分と同い年の人だとは思っていなかったからだ。

 それから、オーナーと呼ばれている男性が講師の人を急かしに行ったり一悶着があった。女性には僕にはわからない準備の時間が必要なのだろうから、焦らせなくてもいいのに。僕にとっては胸の高鳴りを抑えるための貴重な時間だった。

 20分後。

「みなさん、本日のモデルさんです」

 講師の男が、全裸の女性を連れて教室に入ってきた。

「あ……」

 思わず声が漏れた。それほどに衝撃的だった。

 彼女は儚げな美少女だった。

 艶やかな黒髪以外は何もまとっていない。

 純白で美しい肌は真っ白なキャンパスみたいにシミひとつなくて。スラリと伸びた長い手足と華奢な身体に大きく実った生の乳房。その先端は薄いピンク色で、ぷっくらしていて、柔らかそうで、視線が吸い込まれる。

 ぷりっとした生のお尻は水々しく弾んで見えた。なのに清純さに似合わなく茂った下半身の毛は言いようのない暴虐を孕んでいる。

 なにより印象的だったのは、彼女は今にも泣き出しそうなくらい顔を真っ赤にしてモジモジしていたことだ。

 まるでここに無理やり連れてこられたみたいに怯えて見えた。

 そんな彼女を前にして教室の中がシーンと静まり返っているのに気付いた。さっきまで雑談で盛り上がっていた大人たちが、彼女の初心な美しさに圧倒されていた。

「よ、よろしくおねがいしま……す」

 消え入りそうな声で彼女はお辞儀した。



 頭を下げた拍子に生のおっぱいがぷるんと垂れ下がり、乳首も頭を下げた。ぎゅっと握られた拳は丁寧に膝の上に乗せられて大切なところを隠していない。

 その手はぷるぷると震えていて、必死に自分の裸体を隠さないように我慢しているのが伝わってくる。

 僕はそんな恥じらう彼女を食い入るように見つめた。目が離せなかった。

「ああ……ぅ」

 あまりの衝撃に声にならない悲鳴が登ってくる。

 初めてリアルで見た女性の裸。僕と同い年の美少女の乳首。泣きそうな女の子の生尻。いつも図書館で勉強している子の陰毛。

 僕はその子を知っていた。

 綾瀬哀香だった。

 同じ大学に通っている同じ学部の子。

 全裸の哀香さんがそこにいた。


***


「う……くぅ」

 全裸の女性が羞恥で顔を歪めていた。

 全裸の哀香さんが目の前にいる。その事実に僕は訳がわからなくなっていた。

 ──なんで!? 哀香さんがここに!? しかも全裸!?

 彼女は僕と同じ大学に通う女の子だった。初めてみた時から僕とは違う人間だと思った。正統派の美少女って肩書きがぴったりの彼女は、いつも誰かに話しかけられている。でも、いつもビクビクしていて「すみません、すみません」と怯えているのがいつものパターン。話しかける隙を与えないように講義が終わるとすぐに図書館に消えていく。

 僕とは、必修の講義が一緒だからときどき顔を合わせている。彼女は覚えていないだろうけれど、グループ課題を一緒にやったこともある。

 そんな彼女が……なんで!? 僕は混乱した。

「では始めて行きましょう」

 僕の混乱なんておかまいなしに準備が始まった。

 講師の男に促されて台の上にぺたんと座った哀香さんは、そのまま動かないでいた。どうしていいか分からないみたいに俯いている。



 やがて男に指示されて、半ば無理やりポーズをとらされた。抵抗する時、またおっぱいが上下にぶるんとふるえた。

 膝立ちで両手を頭の上で組むとんでもないポーズ。彼女が抵抗したのも無理はない。

「あぅ」

「では始めてください」

 ……ヌードデッサンが始まった。


***


 それは、信じられない時間だった。

 緊張感のある空間で哀香さんが全裸を晒している。僕を含めた十数人の男たちがそれを取り囲んで裸体をスケッチしている。

 絵心なんてない僕は友人の隣に座って、彼が書く鉛筆画と哀香さんの姿を交互に目に焼き付けていた。

 スケッチブックに、スッと曲線が描かれて立体感が生まれた。二つの丸み。それぞれの中心に出っ張りが付け加えられた。それを脳が乳首だと認識すると僕は顔が熱くなるのを感じた。

 現実の彼女を見ると、その顔は見てわかるくらい真っ赤になっていてとても恥ずかしいのだろう。

 シャッシャッと鉛筆が横に寝かされて動かされた。濃淡をつけたモノトーンで色味を再現しようとしているのだ。目の前の彼女の薄ピンク色の輪と先端の突起。つまり乳輪と乳首の鮮やかさを。

 くびれのある腰回り。適度に肉付きがいい太ももが繋がっている股。その中心を思わず凝視してしまう。

 再び、鉛筆が擦られた。友人は彼女の卑猥な茂みも模写した。

 女性のあそこなんて初めて見た。あたりまえだけど動画と違ってモザイクなんてない無修正のリアル、その生々しさに僕は息を呑んだ。

 ぷるぷると震える太ももはこれ以上、そこが拡がらないように必死に締めている抵抗の証。

 哀香さんは恥辱で震えていた。それでも彼女はポーズを崩さず全裸を晒してくれている。

 なんで彼女がこんな目に遭っているのだろう? って疑問は消えないけれど、その姿を見て僕の中に一つの考えが浮かんだ。

 ──ああ、これが芸術なんだ。

 何もかもをさらけ出しているのに彼女は美しかった。

 普段は俯いてばかりいる彼女。そんな助けを求めるような涙目の哀香さんの視線と僕の視線が交差する。

「っ……」

 僕は息を飲んだ。

 おそらく僕を見ている訳じゃない。周りを男に囲まれているからどこを見ても目があってしまうだけなのだ。たまたま僕の方に視線が向いているだけ。箸休めの視線。僕はそんなに傲慢じゃない。

 だから僕は、その美しい裸体を食い入るように見つめ返した。

 90分はあっという間に過ぎた。

 最初の頃の今にも泣きそうな顔はおさまってきたけれど、それでもまだ顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしている哀香さん。

 ──え?

 講師の人が腕時計で時間を確認して休憩時間が迫っていることを察したとき、僕はあることに気づいた。

 哀香さんの太ももに何かが垂れている。

 最初は汗かと思ったけれど、透明な液体とは違う白濁さを含んでいて……。

「休憩時間です」

 男の声がした。

 ヌードデッサンの前半が終わった。





***



 休憩時間になって哀香さんは教室から退出した。

 どうやら彼女はトイレを我慢していたらしく、そそくさと部屋から出て行った。

「あの子めっちゃ可愛かったな! なんか恥ずかしそうにしてたし……同い年くらい? めっちゃいいケツしてたよな!」

 そう無遠慮に言った友人は、さっきまで真面目にデッサンに向き合っていた人物とは別人に思えた。

「……」

「なに黙ってんの? あ、お前はおっぱい派か。おこちゃまだな。たしかに……顔に似合わない巨乳で乳首も綺麗だったけどさ。でも……下の毛はボーボーだったな! 逆にそれが慣れてない感があってエロかった」

 ──彼女のことを知りもしないくせに勝手なこと言うな!

 と、激怒しそうになったけれど僕も大して彼女のことは知らないから、ただ黙って無視した。そんな僕に「なんだよ……ノリ悪いな」と吐き捨てた友人は鉛筆をナイフで削り出した。

「あの子、初々しくてよかったですなぁ」

「いやまったく」

 教室の中は彼女の噂で持ちきりだった。僕があのとき感じた芸術性は男たちの下卑たニヤケでぶち壊されてしまった。

 僕はただ、思っていても口には出さない。それがせめてもの彼女に対する敬意だと、僕は同罪のくせに思っていた。

 ──まだ、哀香さんの裸が見れる。

 僕も後半の90分をどうしようもなく楽しみにしているのだから……。

 まだヌードデッサンは半分残っている。
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