〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ

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第十一話 過去

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「今日からお世話になります。夏野なつのミドリです」

 そう言って、メイド長の横で、彼女は深々とお辞儀した。歳は、高校を出たてというところかな。

「よろしくね、ミドリさん。わたしは葵ハル」

 ティーカップを置き、こちらも笑顔で会釈する。

「では、お嬢様。新人の教育がありますので、ご挨拶までで失礼を」

 メイド長がそう言ってお辞儀すると、ミドリさんもお辞儀する。そして、二人は行ってしまった。

 珍しいな。このお屋敷に、あんな若い人が入ってくるの。

「お嬢様、ご休憩もそこまでになさいませ」

 家庭教師が、ぽんぽんと手を叩く。おっと、いけない。

 普通の家の子は、こんな過密スケジュールで暮らしていないのかな。夏休みだから、遊園地とか行ったりしてるんだろうな。

 ……行ってみたいな、遊園地。

 この頃のミドリさんは、まだ入りたての、ただの新人。それ以上の印象はなかった。


 ◆ ◆ ◆


 ほどなくして、ある秋の日。私は食が進まず、お昼ごはんを残してしまった。

 そこで自室に戻ろうとすると、なんとも香ばしい匂いが厨房から漂ってくる。

 なんだろう? と覗いてみると、ミドリさんが一人、何かをコンロで調理していた。

「ミードリさんっ! なーにそれ?」

「あ、お嬢様。これはお恥ずかしいところを。一人仕事が遅れたため、まかないを用意しておりました」

「まかない?」

 聞き慣れない言葉に、キョトン。

「我々、使用人の食べ物でございます」

「あっ、サンマだ」

 香ばしさの主は、サンマだった。

「はい。これと香の物にお味噌汁で、お昼をいただこうかと」

「ね! わたしも食べていい!? なんか、急にお腹空いてきちゃった!」

 このときのわたしの瞳は、きっととても、きらきらしていただろう。

「いけません! 旦那様や奥様、メイド長に叱られてしまいます!」

「そしたら、一緒に謝ってあげるから! 私が一緒なら、きっとそんな怒られないと思う!」

 根拠はないけど、そう言った。するとミドリさん、悩んだ末にため息ひとつ吐き、「承知しました。できれば、内緒でお願いします」と、わたしのぶんも用意してくれることになった。

「お嬢様、頭と内臓はいかがいたしますか?」

「ミドリさんと一緒がいい!」

「承知しました」

 かくして出てきたのは、頭付きのサンマと白菜のお漬物。それに、わかめのお味噌汁。

「美味しそ~」

「では、手早くいただきましょう。見つかるといけません。いただきます」

 サンマの上手な食べ方がわからないと言うと、背を箸で押して、身を背骨から離すテクニックを披露してくれた。

 ぱくっ……! 美味しい!

「ミドリさん、美味しい! うっ、にが。でも、この苦さがいいね!」

「ありがとうございます」

 笑顔を向けてくる彼女。

「ねえ、ミドリさん! わたしにも料理を教えてよ!」

わたくしが、ですか? でしたら、料理教室に通われたほうが……」

「こういう、素朴な料理が作れるようになりたいの!」

 ミドリさん、少し考え込んで。

「……わかりました、ただし、ご内密にお願いします」

「約束する!」

 かくして、ミドリさんと人目を避けての、二人きりの料理教室が始まったのです。

 彼女の教えてくれる料理は、肉じゃが、レバニラ、さば味噌なんかの、ごくごく庶民的な料理で、こういったものはうちの食卓に上らないから、夢中になって覚えた。

 そして、マン・ツー・マンで授業を受けてれば会話も弾むもので、ミドリさんは、世間の雑多なことを、色々教えてくれた。

 それは、わたしの知らない世界で、知的好奇心が、大いに刺激されたものだ。

 こうして、ミドリさんとの楽しい幼少期が過ぎていった。


 ◆ ◆ ◆


 時は過ぎ、私が中一になった春。気づけば、いつも以上に、ミドリさんを目で追っている自分に気づく。

 当然、彼女に好意はあったけど、それとはまた違う好意。初めて経験する、もやもやした感情を抱える日々が続いた。

 ある日、洗濯物を取り込んでいたミドリさんの後ろを何気なくつけて・・・いると、突風でわたしたちのスカートが捲れ上がった。とっさに押さえ、被害は免れたが、すごくドキドキ。

 羞恥心からではない。ミドリさんの白い太ももに、目を奪われたんだ。そして逆に、ミドリさんがわたしの足に欲情してくれたんじゃないかと、そんな期待をしてしまっていた。

 わたしは、どうしてしまったんだろう。こんなの、きっと普通じゃない。わたしは、本当にどうかしてしまったの?

 悩んだ。当の彼女にこんな相談できるわけないし、ほかに相談できる大人もいない。

 とくに、お父様やお母様にはこの話はできなかった。なんとなく、「絶対にしてはいけない」と、カン・・がそう告げていた。

 ある日、偶然から、わたしは自分の感情の正体を知ることになる。

 私の通う学校は、幼小中高一貫のお坊ちゃま・お嬢様学校。

 そこで、偶然から、人目を忍んでキスを交わす、女同士の上級生を盗み見てしまったのだ。

 興奮した。恥ずかしいことに、濡れて・・・しまった。彼女らへの嫌悪感は、まったくなかった。むしろ、羨ましいとすら思ったほどで。

 そして、わたしは思春期を迎えても、男子に一向に、興味が芽生えないでいた。

 そして、理解に至る。

 わたしは同性愛者なのだと。


 ◆ ◆ ◆


「お嬢様、いけません……」

「一回だけ! 一回だけでいいから!」

 ミドリさんへの恋心を自覚したわたしは、彼女のプライベートタイム……といっても、仕事の隙間時間だけど、そのときに何度も猛アプローチをかけた。

 あの上級生たちのように、ミドリさんとキスを交わしたかったのだ。

 わたしはまどろっこしいのが苦手だったので、そのやり口は、ミドリさんに大迷惑をかけていたと、今ならわかる。

 そんなわたしに根負けして、ミドリさんは、ついに応じてくれた。

 柔らかかった。とろけそうだった。キスって、こんなに気持ちいいものだったんだ。

 一度決壊してしまえば、後はもう止まらない。人目を忍んでのキスは習慣化し、フレンチ・キスに発展していった。

 このままいけば、肉体関係になることも遠くなさそうだった。それはミドリさんの理性が抑えていたが、わたしはどうにもならなかった。

 そして、あの日。

 厨房に、忘れ物を取りに来たシェフ長に、ミドリさんに袖口から手を差し入れさせて、キスしながら私の胸を揉ませている光景を見られてしまう。

 たちまち上を下への大騒ぎになり、わたしはかつてないぐらいお父様に叱り飛ばされ、ミドリさんは、葵家を即刻立ち去ることになってしまった。

 わたしが、欲望を抑えられていれば。

 ミドリさんに、とんでもないことをさせてしまった。彼女に、どう謝っても赦してもらえないであろう迷惑を、かけてしまった。

 その後、別の女性にふと心惹かれることはあっても、結局ミドリさんが忘れられないまま、今に至る。
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