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電車のサラリーマン

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 朝の七時過ぎに、俺は千代田線直通の常磐線各駅停車に乗った。まあ言わずもがなだが、相当な満員電車だった。乗車率は百を超えてたかもな。
 行き先は代々木上原、俺はその途中にある湯島駅で降りるんだが、まあ朝の満員電車ってのは、めちゃめちゃ精神衛生上良くねぇ。その日はたまたま運良く座れたから良かったものの、立ったままなら、押され、押し込まれ、肘が入ったり、足を踏まれたり……。背負ったリュックに手痛い一撃を、なんてこともある。
 まあ、そういうのを気にしない人はいいんだろうが、良く思わない人にとっては、かなりストレスになるってことだ。
 早朝からの出勤で、ただでさえ憂鬱でイライラしている。満員電車はそのストレスを加速させるんだ。
 もっとも、そういった『接触』のほとんどは仕方のないことだし、互いに配慮し合っていても容易に起こり得ることだ。
 昨今、時差出勤やらテレワークなど、様々な勤務形態がある。それらを利用すれば、満員電車を回避できるし、実際にそういう人が増えたからか、以前よりも混雑がマシになった気がする。――本当に気がする、だけだが……。
 とはいえ、職種によっては、今まで通り会社に行く必要があったり、そもそも会社が前時代的で(ディスってるわけじゃない)、時差なんてあり得ないし、テレワークなんてサボりの温床になるからもってのほかだ、みたいな状況の人もいるだろう。――だからこうして、未だ満員電車があるわけだし、みんなしんどい心持ちでも、互いに配慮し合っているわけだ。
 ただ、なかには例外もいる。――悪意を持ったやつだ。
 配慮がないならまだいい。人の価値観や感覚なんて十人十色だし、年齢や性差、時流によって千変万化する。配慮が至らなかったとしても、それは責めるべきではない(まあ、あまりに配慮がないやつはどうかと思うが……)。
 でも、悪意を持ったやつは別だ。積極的に人へ危害を加える輩は、何か、制裁を受けるべきだと俺は強く思う。
 というのも、まあそう。遭遇しちまったわけだ。そういう輩に。
 そいつは俺の最寄りの次駅で乗ってきた。サラリーマン(眼鏡男)で、年齢は四十代後半から五十代前半の間。身長は俺と同じ百九十くらいで、かなりの肥満体型。頭頂部はめちゃめちゃ寂しくて、なんか、脂っこいものが大好きそうな感じだった。
 身長はかなり高いが、そこらへんにいそうな、いかにもなサラリーマン。別に、普通なら気にもとめないのだが、そいつ――仮にS男としよう。S男は偶然にも俺の前に立った。
 俺はスマホから目線を上げて、やつを認識した。
 思わず二度見してしまった。――あまりにも、危なっかしい目つきだったからだ。
 マスクをしていて表情が見えないにもかかわらず、目だけで、やつが凄まじく苛立っていることが分かった。――目は口ほどに物を言うとは、このことだった。
 それで、まあ驚きはしたのだが、すぐに興味は失せて、俺はインスタのリールに戻った。
 事件が起きたのは、次の駅に停車したときだった。
 その駅は人が降りないが、たくさん乗ってくる駅だった。
 ドアが開き、人がドっと入ってきたとき、足の親指に激痛が走った。
「いって!」
 思わず口から出るほどだった。
 見ると、足を大きな革靴が踏みつけていた。それも、踵で。しかも、親指の爪を的確に踏み抜いていた。――踏みつけていたのはS男だった。
「痛いんですけど」
 俺は彼の目を見てハッキリと言った。
 だが、無視された。
『発車しまーす』
 アナウンスとともに、俺の親指は解放された。
 わざとではないんだろう。――このときはそう思った。
 人の波に押され、たまたま、足をついた先に、たまたま、俺の足があったのだろう。そう考えるのが自然だ。
 俺の抗議を無視したのも、咄嗟に非を認めたくなくて、そうしたのかもしれない。――気持ちは分からなくはない。俺も少し強く言い過ぎた。
 そうやって整理をつけ、俺は再びリールに戻る。――が、数分後。次の駅でまた、俺の足に激痛が走った。
 今度は小指だった。
 信じられねえ!
 俺は再度、S男を見た。今度は睨みつけてやった。――しかし、彼は何をするでもなく、ジッと瞳を覗いてきた。
 このとき俺は確信した。――こいつ、ワザとやってやがる。
 俺はあえて何も言わなかった。
 そして次の駅、俺はS男の足を注視していた。――踏んできたら避けてやる。そういう意気込みだった。
 けどその後、踏まれることはなかった。
 拍子抜けだった。あそこまであからさまに、悪意を持って行為に及んでいたのに、ひと睨みでやめてしまった。
 いや、まあ、それはそれでいいんだ。踏まれるより、踏まれない方がいいに決まっている。俺としてもトラブルは避けたい。
 しばらくして、『次は~湯島~。湯島~』と、アナウンスが聞こえ、電車が減速を始める。
 止まったのと同時に俺は立ち上がり、出ようとするが――困った。S男が全然退いてくれねぇ。
 横を通ろうにも、彼はビクともしない。まるで、ここは俺の領域であると主張するかのように、ガンとして動かなかった。
 まあ、なんだろう。ここまでくると、こっちが気を使うのもバカバカしいから、俺は無理やり、力ずくで、そいつの横を抜けようとした。
 幸い隣の高校生が配慮してくれたおかげで、何とか抜けることができたのだが……。
「おい舐めてんじゃねえぞ!! クソガキがぁっ!!」
 S男だった。
 あまりの怒声に、車内が騒然となった。
 まさか怒鳴られるとは微塵も思ってなかったから、ビックリして、その場で立ち止まって、S男へ振り返った。
 彼は全身を震わせて、怒り心頭って感じだった。
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