献誌

レオスギ

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献誌5

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 翌日は嫌な天気だった。今にも、滝のような雨が降り出しそうで、黒い雲が僕らの世界に蓋をしていた。
 屋上には相変わらず僕と彼女と。そして彼女の手には少年誌が握られていた。
 例によって僕は、『献花』を読むフリをする。フリをしながら、本越しに彼女を見る。
 今だから思う。こうして彼女に無視され始めた今だからこそ思う。――僕はこの時間が一番好きだ。僕がどんなにクソ(自業自得)な人生を送っていようと、この時間さえあれば良い。この時間さえあれば、僕は他に何も望まない。金も、地位も、名誉も――端からそんなものにあまり興味はないけれど――何もいらない。この時間さえあれば。
 彼女が笑い、興奮し、怒り、そして優しい涙を流す。ページをめくるごとに色々な彼女を見ることができる。仏頂面の彼女が、唯一見せる喜怒哀楽だ。
 それが、僕は何より嬉しかった。僕しか知らない彼女を知っているようで、嬉しかった。
 同時に優越感があった。こんな彼女を知っているのは僕だけ。その事実に、思わず口角が上がってしまう。――僕って気持ち悪いやつだな。
 と、そんなことを考えているうちに、やっぱり僕って、彼女を好きだったんだな、って思った。
 もうここまできて、誤魔化しなんて効かないだろう。いくらその事実から目を背けようと、僕は自然と、彼女を視界に入れてしまうのだから。
 だから、こんなどうしようもない僕は、どうしようもないくらいに、彼女を好きなんだろう。
 うーん。どうしよう。
 彼女を好きだからと自覚したところで、次に何をすればいいか分からない。僕は彼女と付き合いたいのだろうか?
 付き合って、その後はどうする。一緒に遊びに行って、食事をして、手を繋いで、抱き合って、キスをして、それから……。
 そんなことがしたいのだろうか? 世間一般の恋人のようなことを。
 僕にそんな欲求があるのだろうか?
 分からない。
 分からないけど、一つだけ分かることがある。それは――彼女を愛しているってことだ。
 彼女のためなら、命だって惜しくない。――そう、思えた。
 彼女のためになら、すべてを捧げられる。――そう、思えた。
 そしてそれが、僕が彼女に与えることができるものだ。何もない、空っぽの僕が、唯一あげられるものだ。
 僕はとにかく、それを伝えたかった。僕の手に有り余るこの想いを、一方的に、そして自分勝手に、彼女へ伝えたかった。
 結果、気持ち悪がられてもいい。あの冷酷な視線で侮蔑を投げつけられてもいい。
 それでも、僕は伝えたい。彼女に想いを伝えたい。
 なら、やることは一つ――仲直りだ。
 なにせ僕は彼女からは無視されてしまっている。まるで、いないかのような扱いをされている。
 まずはこの状況を何とかしなくてはならない。
 とりあえず謝ろう。そもそも僕の心ない一言で勃発した喧嘩だ。僕から謝るのは当然だし、むしろ、僕から謝らないと筋が通らない。
 でこを地面に擦り付けて平謝りだ。パフォーマンスに思われるかもしれないけど、僕はこれ以上の誠意の示し方を持ち合わせていない。
『僕が悪かった。この通りだ。許してほしい』
 もっと、良い言い回しがなかったのだろうか。もっと気の利いたことが言えないのだろうか。
 僕はこんなどうしようもない僕にムカついた。
 謝る立場だっていうのに、そんなんじゃ、許してくれるはずがない。
 頭をゆっくり上げると案の定、彼女は僕を無視した。
 無視をして雑誌に目を落としていた。
 やっぱり、土下座くらいでは許してもらえないようだ。
 それから一時間、僕は彼女が納得する謝罪を模索した。
 土下座がわざとらしかったと思い、普通に頭を下げてみたり、跪いてみたり、手を合わせてみたり、それから言い回しを工夫してみたものの、どれもダメだった。
 彼女の琴線に掠りもしなかった。
 疲れてしまって、万策も尽きた頃だった。チャイムが鳴った。最終下校のチャイムだ。
 もう帰らなきゃならない。今日もまた無視されてしまったけれど、そう凹むことはない。明日がある。明日また謝ろう。彼女が口をきいてくれるまで、謝ろう。
 僕は立ち上がった。
 と同時に、彼女は雑誌を閉じて――涙を流し始めた。
 漫画を読んだ後の、いつもの優しい涙ではない。その涙からは後悔を感じた。
 彼女は顔をしわくちゃにして、ボロボロと大粒の涙を流した。
 何が何だか分からなかった。彼女が何に対して涙を流しているのか、さっぱり理解できない。――泣きたいのはこっちの方だ。なにせ、無視され続けて、もう十日はゆうに過ぎている。
 怒っているはずの彼女がなぜ泣いている?
 僕は困惑した。どうしたらいいか分からず、立ち尽くした。
 ややあって、彼女は雑誌を抱えたまま、おもむろに立ち上がった。
 それから一歩ずつ、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと歩いて、『雑誌の山』の前に立つと、腰を落として丁寧に雑誌を積んだ。――いつもの彼女だった。
 僕を無視し始めてからの、彼女のルーティン。雑誌を読み終えると、僕を無視して、山のように積む。ずっとこれだった。
 が、今日に限っては違った。違ったというより、追加された。
 積んだ後に、彼女は顔の前で手を合わせたのだ。それも、目を瞑って。まるで、死者を弔うように。
「……ごめんなさい」
 か細い声だった。
「わたしも……今から、そっちに行くから」
 彼女は次の瞬間、雑誌の山を足場にフェンスを乗り越えて、校舎の際に怯えるようにして立った。
 僕は思わず駆け寄った。
『何やってるんだよ!』
「……ごめんなさい」
『危ないって!! ほら! 捕まって!!』
 僕はフェンスとフェンスの間から手を伸ばす。――が、また無視だった。こんな状況においても、彼女は僕を無視した。
「こんなはずじゃなかった……」
『喧嘩のことを言ってるならあれは僕のせいだ! 謝るから! 頼むから早まったマネはしないでくれ!!』
「ちょっとムカっとしただけだったの……」
『違う!! 君は悪くない!! 何も悪くないんだ!! 僕が自分勝手なだけだったんだ!!!』
「お願い……許して……」
『許すも何も許してもらうのは僕の方だ!! 君が許しを乞う必要なんてない!!』
「もう……こんなのはやだ……」
『待ってくれ!! 僕は! まだ君に何も返せていない!! 君にもらってばかりで!! 僕はまだ君に何もあげれてない!!! だから……』
「好き……だったのに……」
『え……』
 瞬間、一際強い風が彼女の細い肢体を煽った。
 傾いた。
 もう、後戻りできないほどに、傾いた。
 僕は手を目一杯伸ばした。
『待ってくれ!! まだ仲直りできてない!!!』
 届かない。
『なあ! やめてくれ!! 君を!! 大切な君を失いたくない!!!』
 届かない。
『謝るから!! 僕が悪かったから!! 心無いことを言ったこと謝るから!!! 頼むよ!!! 飛び降りないでくれ!!!』
 届かない。
 声――だけじゃない。この手も届かない。――いや、届いた。辛うじて届いた……が、すり抜けた。彼女の腕は僕の手をすり抜けた。すり抜けて――落ちていった。
 およそ、二十八メートル下のコンクリートから、この世のものとは思えない、悍ましい音がした。
 聞き覚えがあった。
 そうだ。思い出した。
 僕も同じだった。
 僕も――今の彼女のように。ここから。飛び降りたのだった。
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