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再開、そして始まり
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遅咲きの桜が鮮やかに彩る四月十日の月曜日、朝の七時数分前。
今日から新学期の始まりで、学校に通う児童や生徒が多く見られる中、今学期から高校二年になる俺佐倉真人は、地味な紺色のジャージに身を包み、学校とは逆方向にあるスーパーマーケットに向かって歩いていた。
俺は一年の二学期から、テストがあるとき以外学校に行っていない。特に病気をしていたり、虐めを受けているというわけではなく、ただ単に学校での勉強がつまらないのだ。
勉強に付いて行けないわけではなく、あの学校で教わることは、既に独学で身に付いている知識ばかりで、俺にとっては退屈で仕方がない。
勉強ができることを自慢して、成績トップなどと天狗になってる奴も居ると思うが、俺はそんな人を見下すようなくだらないことに興味はない。そこまで勉強ができるのなら、もっと時間を有意義に使うべきだ。そう考える捻くれ者の俺は、今日もこうしてバイト先のスーパーに向かっている。
「おはようございます」
「おはよう佐倉君、今日はいい花見日和だねー」
従業員用の入り口から事務所に入ると、二つ合わせた長テーブルに座った細身の中年男性が、陳列棚のポップを整理しながら挨拶を返してくれた。お世話になっているこのスーパーの店長だ。
「今日は広告の特売日でしたね。ポップの仕分け、俺も手伝いましょうか?」
「ああ悪いね、数が多いから助かるよ。ほかの人も特売品の準備で手が離せないからね」
ロッカーに荷物を置き、店の制服に着替えてタイムカードを打った後、店長の向かいに座って一緒に作業を始めた。
「相変わらず手際がいいねぇ佐倉君は、将来社員に欲しいものだよ、本当」
「いえ、俺なんて大したことありませんよ。それと何かと忙しい身ですので……」
「あはは、やっぱり社員は駄目か。そういえば普通にバイトに来てくれてるけど、今日から二年生だったよね。始業式行かなくて良かったのかい?」
「ええ、学校行ったって退屈で寝てばかりですし、ここで稼ぎながらマーケティングの勉強をしてるほうがましです」
「あはは、そっか……まあ、学校も社会勉強はいいことだからって特別に許可してくれてるし、うちとしても大助かりだけど、もっと学生らしく青春を満喫してもいいんじゃないかい?」
「まあ、その辺はオタッキーな趣味でカバーできてるのでお構いなく。ゲームやアニメでも青春は味わえるので」
「はは、なるほどねぇ……」
店長は少し呆れた様に苦笑いをして、また黙々と作業を続けた。
俺は大抵のことに対して中途半端で無気力だが、俺にだって夢中になれることはある。ひとつはこうして、自分の知らない知識を学び身に付けること。そしてもうひとつは、ゲームやアニメ、フィギュアなどの、日本のサブカルチャーに触れることだ。
バイトで学びながら稼ぎ、生活費として家に入れたお金の残りを、存分に趣味のサブカルチャーに注ぎ込む。これこそが、俺の思う時間の有意義な使い方だ。
そうこうしているうちにポップの仕分けは完了し、俺は先に来ていた四人の社員の人と合流し、商品の陳列とポップ貼りの業務に入った。
店が開店するまでの約二時間で、大まかな商品の陳列とポップ貼りは完了した。後は時折接客をしたり、店内や駐車場の掃除をしながら、売れて空いて行く棚に商品の補充をするだけだ。こんな感じの業務を、昼の十二時までこなして俺のバイトは終わる。
一見簡単そうなバイトだが、商品の価格設定から置く位置、魅力的に見せる角度など、マーケティング戦略はわりと奥が深くて難しい。将来どう役に立つかはわからないが、稼ぎながらこれを学べるのはまさに一石二鳥だ。
店の制服からジャージに着替え、タイムカードを打っていると、事務処理をしていた店長が、急に何かを思い出し「あ、そうそう!」と声を上げた。
「どうしたんですか?」
「言い忘れてたけど、今週の土曜から、佐倉君と同じ桜ヶ丘高校の二年の子がバイトに入ることになったからよろしくね」
「……そうなんですか、わかりました。それじゃあ失礼します」
「あれ、反応薄いなぁ。はーい、お疲れ様」
同じ学校と聞いて正直少し動揺したが、普段どおりの澄ました顔でその場を後にした。久々に関わる同じ学校の同世代、どう接して良いものか……。
こんなふうに気持ちがもやもやするときは、オンライン対戦ゲームで発散するのが一番だ。
いつもは帰って昼食を食べた後、夕食までの間、広告収入を得ているブログの管理などに時間を費やすが、今日は息抜きとして趣味のゲームに没頭することにした。
家にあるゲームはほとんどクリアしていて、どれをやっても物足りないが、オンラインシューティングゲームなら、簡単でも相手がコンピューターではない分少しは楽しめる。確かにいい気晴らしにはなるが、もっと何かあっと驚く刺激的なことはないものか……。
そして、とうとうやって来た土曜日。
いつもどおり事務所に入ると、既に店内の作業に入っているのか、そこには誰も居なかった。
新人の件もあるが、取りあえず普段どおり作業に入ろうと、タイムカードを打ち、事務所の隅にロッカーを並べて確保してある更衣室に向かったのだが……。
「えっ? きゃぁっ! 見ないでください!」
「ぐわっ!」
壁とロッカーの間に付けられたカーテンを開けた途端、甲高い悲鳴と同時に飛んで来たヘアブラシが、見事俺の顔面に直撃した。
ヘアブラシを投げ付けてきた新入りの女子高生と思われる相手は、瞬く間にカーテンを閉めて更衣室に篭ってしまった。
「わっ、ごめんなさい! み、見ました?」
「み、見てません……」
実際のところ、純白の下着姿をもろに拝見してしまったのだが、そんなことを堂々と言えるわけがない……。
どこかのラブコメのような出来事に呆気に取られ、直撃した鼻の辺りを押さえてその場で佇んでいると、ヘアブラシを投げ付けてきた少女が、慌てて着替えを済ませて出て来た。
「本当にすみませんでした!」
「突然開けてすみませんでした!」
ヘアブラシを投げた相手が更衣室から出てくるなり、お互い同時に深々と頭を下げて謝った。
「いえ、そんな……って、えぇっ!?」
こちらよりも先に顔を上げたであろう相手がなぜか驚愕している。まさか俺の顔が悲惨なことになっているのか……。
「ん? うわっ、恵じゃねぇか!」
恐る恐る顔を上げてみると、目に入ったのは、昔から変わらない見覚えのあるミディアムヘア、そして、左前の癖毛を抑えるためにクロスして付けられた二本のヘアピン。そこに立っていたのは、紛れもなく向かいの家に住む幼馴染、原田恵だった。
「マー君ここで働いてたの!? て言うか人の顔見て『うわっ』てなんなの!」
「うっ、悪い、突然過ぎて驚いた……」
思いもよらない場所での急な再開に、お互いに慌てふためいていると、店内のバックヤードに繋がるドアが開き、掃除用具を持った店長が入って来た。
「お、来てたのかい佐倉君。二人ともちょうど挨拶が済んだところかな?」
「えっ、ま、まぁそんなところです。店長は駐車場の掃除でしたか」
「うん、そうだよ……って、佐倉君鼻血出てるよ!?」
「マー君やっぱり見たんでしょ!」
「ちがっ、お前が鼻にブラシ投げ付けた所為だよ!」
こうして俺は、幼馴染との慌しい再会を果たした。無様な姿を見せてしまったが、新しく入る同じ学校の同級生というのが恵で良かった。お陰で変に気を使わずに済みそうだ。
一騒ぎ終えた後、俺は鼻にティッシュを詰めたまま、恵を連れて商品陳列の仕事に入った。曜日ごとに担当するエリアが違い、今日俺たちが担当するのは、スナック菓子と飴のエリアだ。
「うわぁ、この通路段ボールが山積み! これを開けて片付ける人って大変だねー」
「他人事みたいに言ってるけど、今日ここを担当するのは俺とお前だぞ」
「えっ、嘘でしょ!? 初日からこんなにハードだなんて……」
「まぁ安心しろ、数は多いけどひとつひとつが軽いから、置く場所さえわかればすぐ終わる。ほら、並べ方教えてやるからその箱開けてみ」
「はーい……あれっ、このテープなかなか剥がれない」
恵に爪でがしがしと引掻かれたビニールテープは、千切れるばかりで一向に開く気配がない。
「そんなやり方じゃ爪のほうが先に剥がれちまうぞ。箱の横のテープの切れ端辺りをぐっと押し込んでみろ」
「おお凄い、簡単に剥がれた! さすがはマー君!」
箱の開け方を初め、商品の並べ方や接客方法などのひととおりの仕事を教えてやると、お調子者の恵は、鼻歌を歌いながらご機嫌に作業を進めた。高いところへの陳列や先入れ後出しなど、目を離すと少々危なっかしい部分もあるが、戦力としては十分だろう。
お互いに陳列棚の両端から作業を進めて行く途中、お互いの距離が近くなった棚の中間辺りで、恵がふと話しかけてきた。
「ねぇ……学校には来ないの?」
「まぁ行ったって知ってることしか習えねぇし、これといった目標もねぇからな」
「そうなんだ……ってことは、何か目標があれば学校に来るってことだよね?」
「まぁそれなりの理由なり目標なり、面白そうなことがあれば行くだろうな」
俺がそう答えた途端、何かを思い付いた恵の表情がぱっと明るくなった。
「それじゃあさ、私の目標を手伝うってのを来る理由にするのは駄目かな?」
「はぁ? お前の目標? てかなんでそんなに俺を学校に来させようとするんだよ」
「えっ? そ、それはまぁ、来てくれたほうが私は楽しいかなぁって……」
よほど照れくさかったのか、恵は顔を真っ赤にして、手に持っていた商品は全然違う陳列場所に置こうとしている。
「と、とにかく! 絶対面白いからお願い、手伝って!」
持っていた商品を置き、手を合わせて真剣に頼んでくる恵の姿に、俺は断ることができなかった。
「あーもうわかったから仕事しろ。でも、手伝うかどうかは内容を聞いてからだぞ?」
「やった! 早く終わらせちゃおう」
詳細は仕事の後でということになり、取りあえず今は仕事に専念することにした。
十二時に仕事が終わった後、俺は恵に連れられて、スーパーから住宅街を抜けた先にあるアーケード街に向かった。
「よし、とうちゃーく。先にお昼にしちゃおっか」
アーケード街の入り口付近にあるファストフード店に入り、先に昼食を摂ることにした。
「へぇー復刻メニューだって。あっ、チキンタツタもあるよ!」
復刻メニューの中に、幼いころ二人とも好物だったチキンタツタバーガーを発見し、二人とも同じセットを注文した。
「で、なんなんだお前の目標ってのは?」
注文したハンバーガーセットを持って席に着くなり、ポテトを摘みながら恵に問いかけた。
「ふふーん、聞いて驚かないでよ。実は私、最近ロックバンド始めたの! しかも担当はボーカルなんだよ!」
「はっ? お前がロックバンド⁉ てかお前調理部じゃなかったか?」
少々お調子者な一面もあるが、基本的に真面目でおおらかな性格の恵が、イメージとはかけ離れたロックバンドを始めるなんて思いもせず、俺は心底驚いてしまった。
「うん、その調理部の友達とカラオケに行ったときに、私の歌を聴いた子が『一緒にバンドやってみたい』って言うから始めてみたんだ。あ、ロックバンドって言っても激しく頭振ったり楽器壊したりする感じのじゃないよ?」
「ただでさえ驚いたのに、そんなんまでやられたら衝撃で禿るわ! それで? まさか武道館ライブでもやろうなんて考えてるんじゃねだろうな?」
「武道館ライブ? そんなのもあるんだね」
「お前知らねぇのかよ、バンドマンの憧れの地で有名だぞ?」
まさかの返答にきょとんとしてしまった。「そのとおり」と言われても驚いただろうが。
「その辺は詳しくないけど、私たちが目標にしてるのは文化祭でのライブなんだ。言うなら体育館ライブってところかな? でもまだメンバーも楽器も揃ってないんだよね……」
「おいおい、そんな状態でライブとか言ってんのかよ……。で、活動とかはどうしてるんだ?」
「調理部の活動が少ないから、取りあえず曲作りだけでも進めようって放課後よく集まるんだけど、いつもお菓子食べながらおしゃべりするだけってことが多いかなぁ……」
苦笑いして見せる恵の様子から、進行状況は皆無に等しいということがうかがえた。
「それで俺に頼んできたわけか。先に言っとくけど、俺の音楽のレベルなんて、中学の音楽の授業でやった程度だぞ? まぁ、作詞なら前にネットで依頼受けて少し経験あるけど……」
「作詞の依頼だなんて、それ私たちより遥か上を行くレベルだよ! やっぱりマー君にお願いして良かった!」
「いや待て、まだやるなんて言ってねぇし。てかなんでアーケード街なんかに連れて来たんだ? 誰かの路上ライブでも観に来たのか?」
「うーん、それは着いてからのお楽しみってことで」
まだ重要な何かを隠している様子だが、その場は笑って誤魔化された。
「……まあいい、それじゃあさっさと食っちまおうぜ」
話ばかりで、まだポテトとドリンクにしか手を付けていなかった俺たちは、ようやくハンバーガーの包み紙を開け、さきほどまでの時間を取り戻すかのように黙々と食べ進めた。久々のチキンタツタバーガーで満足はしたが、今度はもっとゆっくり味わいたいものだ。
残りのポテトを食べ、ドリンクを飲み終えたところで店を後にした俺たちは、恵を先頭に、どんどんアーケード街の奥のほうへと進んで行った。
「ほらマー君、ここだよ」
「西野楽器? 楽器でも買うのか?」
「ふふっ、いいからいいから」
恵に背中を押されながら店内に入ると、数多くのメーカーの様々な種類のギターが、店の壁一面にずらりと並べられていた。
「見て、どれもかっこいいでしょ! どう? これなんかいい感じじゃない?」
恵が展示されているエレキギターを手に取り、それっぽいポーズを決めて見せる。
「まぁ確かにかっこいいけど、お前ギターなんて弾けんのか?」
「んーん、弾けないよ。これからメンバーに入って、まだ担当の居ないギターをやってくれる人のために見に来たの」
「なんだそりゃ。先にメンバー見つけて、本人に好きなの選ばせたほうがいいんじゃねぇか?」
「うん、だから今日一緒に来てもらったんだよ」
「ん? ここに来てるのか?」
ほかに来ている客の中に、新メンバーが居るのかと店内を見渡してみたが、中年男性や親子連れの客ばかりで、どうもそれっぽい人物は見当たらない。
ひと通り店内を見回し、恵のほうへ視線を戻してみると、恵の熱い視線が俺に刺さった。
「……お前まさか!」
「ふふーん、ご察しのとおり! 難しくてなかなか引き受けてくれる人が見つからないから、なんでも器用にこなすマー君にギターやってもらえたらなぁって」
「いや待て! 最初に言ったよな、俺は音楽の経験なんて――」
「すみませーん、このギター弾かせてください」
断られると危機を感じたのか、恵は俺が話し終わる前に近くに居た男性店員に駆け寄り、エレキギターを持って早々と試奏コーナーに移動した。
仕方なく後を付いて行くと、店員があっと言う間にギターを弾ける状態にしてくれた。
「はい、できましたよ。どうぞ弾いてみてください」
「ほらほらマー君、弾いてみなよ」
「はぁ……わかったよ」
しっかりと準備がされ断るに断れない状況で、俺は仕方なく用意されていた丸い椅子に座り、恵の持って来たオレンジ色の重たいエレキギターを構えた。
弦の押さえ方など知らない俺は、取りあえずどの弦も押さえないままで、上のほうから親指でジャラーンと掻き鳴らしてみた。
その瞬間、アンプから放たれた波動が俺を包み込むように響き渡り、ビリビリと歪んだ衝撃が全身を走った。
「これがエレキギター……」
一瞬何が起きたのかがわからないほどの衝撃を受け、気が付けば全身の毛が逆立っていた。
「どう? 凄いでしょエレキギターって!」
「……ああ、不本意だがこりゃマジで凄いな! CDなんかで聴くのとは全然違いやがる!」
完全にエレキギターに魅せられてしまった俺は、今度は思ったままに左の四本の指で弦を押さえ、もう一度ジャラーンと音を出してみたのだが、思っていたような音は出ず、鳴ったのはとても綺麗とは言えない雑音だった。
「あの、店員さん。コードってどうやるんですか?」
どうにか音を出してみたいと思った俺は、近くに居たさきほどの店員に、初心者にも簡単なEのコードを教えてもらった。
押さえる指は三本だけで簡単そうに思えたが、どうも関係のない弦に指が触れてしまい、ピンと金属を弾く音が出て短く途切れてしまう……。
「うーん、思ったより難しいなぁ……」
「おお、あのマー君が苦戦するなんて……」
それから約十分ほど挑戦した結果、どうにかEの音を出すことができた。
「よっしゃ、できた!」
ここまで大きな達成感を感じたのは久し振りだった。あまりの達成感に、気付かぬうちに右手でガッツポーズを決めていたほどだ。
さっきまで苦戦していたときに感じていた苛々は、いつしか大きな達成感と、もっと上手く弾けるようになりたいという好奇心に変わっていた。
「マー君のそんな楽しそうな顔見るの久し振りだなぁ」
「そ、そうか? まぁ、お前と会うこと自体久し振りだからな」
「もう、そうじゃなくて!」
ついはしゃいでしまった恥かしさを隠すためにとぼけた振りをすると、恵は少しむっとした表情を浮かべた。
恵が言いたいことはちゃんと俺自身で理解している。まだ知識の浅かった中学のとき以来、今日のような表情に出るほど心を動かされた出来事が無かったのだから。
「わかってるよ。お前のお陰だ、ありがとうな」
「ちょっ、急に真面目なこと言わないでよ、恥かしいじゃん」
顔を赤らめていた恵だったが、急に何かを閃いたように表情がぱっと変わった。
「ってことは、マー君も一緒にバンドやってくれるってこと?」
エレキギターと出会い、今までにないほどに心を動かされた俺は、とどめと言わんばかりの、期待に満ちた恵の瞳を見て決意した。
「はぁ……仕方ない、付きやってやるよ」
「ほんと⁉ やった、ギタリストゲット! なんか燃えてきたよー!」
少し捻くれた言い方をしてしまったが、メンバーが増えたことがよほど嬉しかったのか、恵はそんなことは一切気にしておらず、両手でガッツポーズをしながら喜んでいた。
こうして、正式に恵のバンドに入ることになった俺は、自分のギターを決めるため、店内にある様々なエレキギターを試奏し、持ち易さや個々で微妙に違う音を確かめた末、一番しっくりきた物を選んだ。
選んだのは、チェリーレッドカラーのSGと言うタイプのエレキギターで、さっきまでコードを練習していたときのレスポールと言うタイプのギターよりもずっと軽く、ネックと言う、弦を押さえるための指板が付いた部分が細身で、ほかの物よりも弦が押さえやすくなっている。
おまけに、ピックアップと言う音を拾う部分は高品質な物が使われているらしく、パワフルかつ優しさのある独特の音質が楽しめる一品だ。お値段なんと十六万円なり!
かなり高い物を選んでしまったが、日ごろからバイトやネットビジネスで貯め込んでいた俺は、躊躇することなく近くのATMへ走った。
「お買い上げありがとうございました!」
満面の笑みで送り出してくれた店員に会釈をし、革製の丈夫なギターケースに入ったエレキギターとアンプの入った箱を持って店を後にした。
「驚いたなぁ、あんな高いギターあっさり買っちゃうんだもん」
「まぁ、いつ新作ゲームが出ても買えるようにバイトとネットで貯め込んでるからな」
「凄いなぁ、私もバイト頑張らなくちゃ! 待っててねマイク君とアンプちゃん!」
「へぇ、それでバイト始めたのか。ま、頑張れよ」
夕方五時を数分過ぎたころ、これからの目標の話に花を咲かせながら、ゆっくりと家路を辿った。
「それじゃ、次の練習は火曜日の放課後だから絶対来てね! 待ってるから!」
「ああ、わかったよ。それじゃあな」
恵は俺の家の前で最後に釘を刺すように言い残し、上機嫌でスキップをしながら自分の家に入って行った。それを見届けた俺も自分の家の玄関を開けた。
「ただいま」
リビングのほうへ行くと、母がキッチンで夕飯の支度をしていた。
「あらお帰りなさい、今日は遅かったわね」
「ああ、恵と買い物に行ってたんだ。バイト先が一緒になったんだ」
「そうだったの。あらギター? いいわねぇ、今度聴かせてね」
「ああ、上手くなったら聴かせるよ」
うちの両親は、いつも「自分の思うようにやってみなさい」と言ってくれる良き理解者だ。
自由にさせてもらっている分、日ごろからちゃんと生活費も入れているので、今日突然買って来た高級ギターのことでお咎めを受けるようなことは無かった。
朝から慌しい一日だったが、この日初めてエレキギターに触れて、退屈で物足りないと感じていた俺の世界が、どこか少し変わったような気がした。
次の月曜日、いつもどおりバイトから帰り、部屋でブログの管理などをしていると、夕暮れ時に玄関のチャイムが鳴った。
「こんにちは、突然お邪魔して申し訳ありません」
聞きなれない女性の声だったが、どうせセールスか何かだろうと思い、気にせずにパソコンで作業を進めていると、一階から母の呼ぶ声がした。
「真人ー、学校の先生がいらっしゃったわよー」
母に呼ばれてリビングに下りて行ってみると、新しく赴任して来たと思われる、見たことのない髪の長い若い女性の先生が、母と一緒にリビングのソファーで待機していた。
「こんにちは、新しく二組の担任になった山吹恭子です。突然押しかけちゃってごめんなさいね」
俺を引きずり出しに来た熱血スパルタ教師かと思えば、まったく逆の、優しい物腰でおっとりした感じの先生だった。
「いえいえ。佐倉真人です、お世話になります」
「校長先生に事情は聞いてるけど、一度会ってお話してみたいなぁと思って来たの」
「はぁ、そうでしたか」
「それで佐倉君に聞いてみたかったんだけど……佐倉君は学校嫌い?」
よほど聞き辛かったのか、そう尋ねる先生の顔はかなり不安げだった。
「そんなことはありません、ただ勉強が物足りないだけで……」
「そう、嫌いじゃないなら安心したわ。校長先生は社会勉強はいいことだからって仰ってるけど、学校で今しか経験できないことだって沢山あると思うの。私も来てくれたほうが嬉しいし、気が向いたらいつでも顔見せに来てね」
「はい。実はちょうど、明日の放課後から行こうと思っていたところです。友達とバンドやることになったので」
「あらそうだったの! いいお話が聞けて良かったわ、学校で見かけたら気軽に声かけてね。あ、そろそろ戻らないと……」
俺の前向きな答えを聞いた先生は、心底嬉しそうにして帰って行かれた。
「優しくていい先生だったわねー、おまけに美人で、ボンキュッボンのナイスバディだったし……あ、さては先生目当てで学校行くんだなぁ?」
にやにやしながら母が茶化してくる。
「違うわ! 俺はただ恵に誘われたバンドやりに行くだけだよ。変な事言うなよ……」
「はいはいむきになっちゃって、ふふっ顔真っ赤よ?」
普段から明るい性格で笑顔の多い母だが、俺が学校に行くと言ったことがよほど嬉しかったのか、今日はいつにも増して楽しげだった。
ほぼ無計画のバンドに参加することになり、少々先のことが心配ではあるが、今の胸の内を明かすと、遠足前夜の子供の様に明日の放課後が楽しみで仕方がない。
ブログの管理がまだ途中ではあったが、今日は早めに切りあげて、クローゼットの奥に仕舞い込んであるブレザータイプの制服を引っ張り出し、掃除に使うころころで埃を取って綺麗にした。
ひと通り学校へ行く準備が完了し、買ったばかりのギターを弾いてみたいところではあったが、それも明日の楽しみに取っておくことにした。
これから始まる新たな環境の中で、どんな新しいこととの出会いが俺を待っているのだろうか? そんな青春漫画の主人公のような期待を胸に、俺の一日は静かに幕を閉じた。
今日から新学期の始まりで、学校に通う児童や生徒が多く見られる中、今学期から高校二年になる俺佐倉真人は、地味な紺色のジャージに身を包み、学校とは逆方向にあるスーパーマーケットに向かって歩いていた。
俺は一年の二学期から、テストがあるとき以外学校に行っていない。特に病気をしていたり、虐めを受けているというわけではなく、ただ単に学校での勉強がつまらないのだ。
勉強に付いて行けないわけではなく、あの学校で教わることは、既に独学で身に付いている知識ばかりで、俺にとっては退屈で仕方がない。
勉強ができることを自慢して、成績トップなどと天狗になってる奴も居ると思うが、俺はそんな人を見下すようなくだらないことに興味はない。そこまで勉強ができるのなら、もっと時間を有意義に使うべきだ。そう考える捻くれ者の俺は、今日もこうしてバイト先のスーパーに向かっている。
「おはようございます」
「おはよう佐倉君、今日はいい花見日和だねー」
従業員用の入り口から事務所に入ると、二つ合わせた長テーブルに座った細身の中年男性が、陳列棚のポップを整理しながら挨拶を返してくれた。お世話になっているこのスーパーの店長だ。
「今日は広告の特売日でしたね。ポップの仕分け、俺も手伝いましょうか?」
「ああ悪いね、数が多いから助かるよ。ほかの人も特売品の準備で手が離せないからね」
ロッカーに荷物を置き、店の制服に着替えてタイムカードを打った後、店長の向かいに座って一緒に作業を始めた。
「相変わらず手際がいいねぇ佐倉君は、将来社員に欲しいものだよ、本当」
「いえ、俺なんて大したことありませんよ。それと何かと忙しい身ですので……」
「あはは、やっぱり社員は駄目か。そういえば普通にバイトに来てくれてるけど、今日から二年生だったよね。始業式行かなくて良かったのかい?」
「ええ、学校行ったって退屈で寝てばかりですし、ここで稼ぎながらマーケティングの勉強をしてるほうがましです」
「あはは、そっか……まあ、学校も社会勉強はいいことだからって特別に許可してくれてるし、うちとしても大助かりだけど、もっと学生らしく青春を満喫してもいいんじゃないかい?」
「まあ、その辺はオタッキーな趣味でカバーできてるのでお構いなく。ゲームやアニメでも青春は味わえるので」
「はは、なるほどねぇ……」
店長は少し呆れた様に苦笑いをして、また黙々と作業を続けた。
俺は大抵のことに対して中途半端で無気力だが、俺にだって夢中になれることはある。ひとつはこうして、自分の知らない知識を学び身に付けること。そしてもうひとつは、ゲームやアニメ、フィギュアなどの、日本のサブカルチャーに触れることだ。
バイトで学びながら稼ぎ、生活費として家に入れたお金の残りを、存分に趣味のサブカルチャーに注ぎ込む。これこそが、俺の思う時間の有意義な使い方だ。
そうこうしているうちにポップの仕分けは完了し、俺は先に来ていた四人の社員の人と合流し、商品の陳列とポップ貼りの業務に入った。
店が開店するまでの約二時間で、大まかな商品の陳列とポップ貼りは完了した。後は時折接客をしたり、店内や駐車場の掃除をしながら、売れて空いて行く棚に商品の補充をするだけだ。こんな感じの業務を、昼の十二時までこなして俺のバイトは終わる。
一見簡単そうなバイトだが、商品の価格設定から置く位置、魅力的に見せる角度など、マーケティング戦略はわりと奥が深くて難しい。将来どう役に立つかはわからないが、稼ぎながらこれを学べるのはまさに一石二鳥だ。
店の制服からジャージに着替え、タイムカードを打っていると、事務処理をしていた店長が、急に何かを思い出し「あ、そうそう!」と声を上げた。
「どうしたんですか?」
「言い忘れてたけど、今週の土曜から、佐倉君と同じ桜ヶ丘高校の二年の子がバイトに入ることになったからよろしくね」
「……そうなんですか、わかりました。それじゃあ失礼します」
「あれ、反応薄いなぁ。はーい、お疲れ様」
同じ学校と聞いて正直少し動揺したが、普段どおりの澄ました顔でその場を後にした。久々に関わる同じ学校の同世代、どう接して良いものか……。
こんなふうに気持ちがもやもやするときは、オンライン対戦ゲームで発散するのが一番だ。
いつもは帰って昼食を食べた後、夕食までの間、広告収入を得ているブログの管理などに時間を費やすが、今日は息抜きとして趣味のゲームに没頭することにした。
家にあるゲームはほとんどクリアしていて、どれをやっても物足りないが、オンラインシューティングゲームなら、簡単でも相手がコンピューターではない分少しは楽しめる。確かにいい気晴らしにはなるが、もっと何かあっと驚く刺激的なことはないものか……。
そして、とうとうやって来た土曜日。
いつもどおり事務所に入ると、既に店内の作業に入っているのか、そこには誰も居なかった。
新人の件もあるが、取りあえず普段どおり作業に入ろうと、タイムカードを打ち、事務所の隅にロッカーを並べて確保してある更衣室に向かったのだが……。
「えっ? きゃぁっ! 見ないでください!」
「ぐわっ!」
壁とロッカーの間に付けられたカーテンを開けた途端、甲高い悲鳴と同時に飛んで来たヘアブラシが、見事俺の顔面に直撃した。
ヘアブラシを投げ付けてきた新入りの女子高生と思われる相手は、瞬く間にカーテンを閉めて更衣室に篭ってしまった。
「わっ、ごめんなさい! み、見ました?」
「み、見てません……」
実際のところ、純白の下着姿をもろに拝見してしまったのだが、そんなことを堂々と言えるわけがない……。
どこかのラブコメのような出来事に呆気に取られ、直撃した鼻の辺りを押さえてその場で佇んでいると、ヘアブラシを投げ付けてきた少女が、慌てて着替えを済ませて出て来た。
「本当にすみませんでした!」
「突然開けてすみませんでした!」
ヘアブラシを投げた相手が更衣室から出てくるなり、お互い同時に深々と頭を下げて謝った。
「いえ、そんな……って、えぇっ!?」
こちらよりも先に顔を上げたであろう相手がなぜか驚愕している。まさか俺の顔が悲惨なことになっているのか……。
「ん? うわっ、恵じゃねぇか!」
恐る恐る顔を上げてみると、目に入ったのは、昔から変わらない見覚えのあるミディアムヘア、そして、左前の癖毛を抑えるためにクロスして付けられた二本のヘアピン。そこに立っていたのは、紛れもなく向かいの家に住む幼馴染、原田恵だった。
「マー君ここで働いてたの!? て言うか人の顔見て『うわっ』てなんなの!」
「うっ、悪い、突然過ぎて驚いた……」
思いもよらない場所での急な再開に、お互いに慌てふためいていると、店内のバックヤードに繋がるドアが開き、掃除用具を持った店長が入って来た。
「お、来てたのかい佐倉君。二人ともちょうど挨拶が済んだところかな?」
「えっ、ま、まぁそんなところです。店長は駐車場の掃除でしたか」
「うん、そうだよ……って、佐倉君鼻血出てるよ!?」
「マー君やっぱり見たんでしょ!」
「ちがっ、お前が鼻にブラシ投げ付けた所為だよ!」
こうして俺は、幼馴染との慌しい再会を果たした。無様な姿を見せてしまったが、新しく入る同じ学校の同級生というのが恵で良かった。お陰で変に気を使わずに済みそうだ。
一騒ぎ終えた後、俺は鼻にティッシュを詰めたまま、恵を連れて商品陳列の仕事に入った。曜日ごとに担当するエリアが違い、今日俺たちが担当するのは、スナック菓子と飴のエリアだ。
「うわぁ、この通路段ボールが山積み! これを開けて片付ける人って大変だねー」
「他人事みたいに言ってるけど、今日ここを担当するのは俺とお前だぞ」
「えっ、嘘でしょ!? 初日からこんなにハードだなんて……」
「まぁ安心しろ、数は多いけどひとつひとつが軽いから、置く場所さえわかればすぐ終わる。ほら、並べ方教えてやるからその箱開けてみ」
「はーい……あれっ、このテープなかなか剥がれない」
恵に爪でがしがしと引掻かれたビニールテープは、千切れるばかりで一向に開く気配がない。
「そんなやり方じゃ爪のほうが先に剥がれちまうぞ。箱の横のテープの切れ端辺りをぐっと押し込んでみろ」
「おお凄い、簡単に剥がれた! さすがはマー君!」
箱の開け方を初め、商品の並べ方や接客方法などのひととおりの仕事を教えてやると、お調子者の恵は、鼻歌を歌いながらご機嫌に作業を進めた。高いところへの陳列や先入れ後出しなど、目を離すと少々危なっかしい部分もあるが、戦力としては十分だろう。
お互いに陳列棚の両端から作業を進めて行く途中、お互いの距離が近くなった棚の中間辺りで、恵がふと話しかけてきた。
「ねぇ……学校には来ないの?」
「まぁ行ったって知ってることしか習えねぇし、これといった目標もねぇからな」
「そうなんだ……ってことは、何か目標があれば学校に来るってことだよね?」
「まぁそれなりの理由なり目標なり、面白そうなことがあれば行くだろうな」
俺がそう答えた途端、何かを思い付いた恵の表情がぱっと明るくなった。
「それじゃあさ、私の目標を手伝うってのを来る理由にするのは駄目かな?」
「はぁ? お前の目標? てかなんでそんなに俺を学校に来させようとするんだよ」
「えっ? そ、それはまぁ、来てくれたほうが私は楽しいかなぁって……」
よほど照れくさかったのか、恵は顔を真っ赤にして、手に持っていた商品は全然違う陳列場所に置こうとしている。
「と、とにかく! 絶対面白いからお願い、手伝って!」
持っていた商品を置き、手を合わせて真剣に頼んでくる恵の姿に、俺は断ることができなかった。
「あーもうわかったから仕事しろ。でも、手伝うかどうかは内容を聞いてからだぞ?」
「やった! 早く終わらせちゃおう」
詳細は仕事の後でということになり、取りあえず今は仕事に専念することにした。
十二時に仕事が終わった後、俺は恵に連れられて、スーパーから住宅街を抜けた先にあるアーケード街に向かった。
「よし、とうちゃーく。先にお昼にしちゃおっか」
アーケード街の入り口付近にあるファストフード店に入り、先に昼食を摂ることにした。
「へぇー復刻メニューだって。あっ、チキンタツタもあるよ!」
復刻メニューの中に、幼いころ二人とも好物だったチキンタツタバーガーを発見し、二人とも同じセットを注文した。
「で、なんなんだお前の目標ってのは?」
注文したハンバーガーセットを持って席に着くなり、ポテトを摘みながら恵に問いかけた。
「ふふーん、聞いて驚かないでよ。実は私、最近ロックバンド始めたの! しかも担当はボーカルなんだよ!」
「はっ? お前がロックバンド⁉ てかお前調理部じゃなかったか?」
少々お調子者な一面もあるが、基本的に真面目でおおらかな性格の恵が、イメージとはかけ離れたロックバンドを始めるなんて思いもせず、俺は心底驚いてしまった。
「うん、その調理部の友達とカラオケに行ったときに、私の歌を聴いた子が『一緒にバンドやってみたい』って言うから始めてみたんだ。あ、ロックバンドって言っても激しく頭振ったり楽器壊したりする感じのじゃないよ?」
「ただでさえ驚いたのに、そんなんまでやられたら衝撃で禿るわ! それで? まさか武道館ライブでもやろうなんて考えてるんじゃねだろうな?」
「武道館ライブ? そんなのもあるんだね」
「お前知らねぇのかよ、バンドマンの憧れの地で有名だぞ?」
まさかの返答にきょとんとしてしまった。「そのとおり」と言われても驚いただろうが。
「その辺は詳しくないけど、私たちが目標にしてるのは文化祭でのライブなんだ。言うなら体育館ライブってところかな? でもまだメンバーも楽器も揃ってないんだよね……」
「おいおい、そんな状態でライブとか言ってんのかよ……。で、活動とかはどうしてるんだ?」
「調理部の活動が少ないから、取りあえず曲作りだけでも進めようって放課後よく集まるんだけど、いつもお菓子食べながらおしゃべりするだけってことが多いかなぁ……」
苦笑いして見せる恵の様子から、進行状況は皆無に等しいということがうかがえた。
「それで俺に頼んできたわけか。先に言っとくけど、俺の音楽のレベルなんて、中学の音楽の授業でやった程度だぞ? まぁ、作詞なら前にネットで依頼受けて少し経験あるけど……」
「作詞の依頼だなんて、それ私たちより遥か上を行くレベルだよ! やっぱりマー君にお願いして良かった!」
「いや待て、まだやるなんて言ってねぇし。てかなんでアーケード街なんかに連れて来たんだ? 誰かの路上ライブでも観に来たのか?」
「うーん、それは着いてからのお楽しみってことで」
まだ重要な何かを隠している様子だが、その場は笑って誤魔化された。
「……まあいい、それじゃあさっさと食っちまおうぜ」
話ばかりで、まだポテトとドリンクにしか手を付けていなかった俺たちは、ようやくハンバーガーの包み紙を開け、さきほどまでの時間を取り戻すかのように黙々と食べ進めた。久々のチキンタツタバーガーで満足はしたが、今度はもっとゆっくり味わいたいものだ。
残りのポテトを食べ、ドリンクを飲み終えたところで店を後にした俺たちは、恵を先頭に、どんどんアーケード街の奥のほうへと進んで行った。
「ほらマー君、ここだよ」
「西野楽器? 楽器でも買うのか?」
「ふふっ、いいからいいから」
恵に背中を押されながら店内に入ると、数多くのメーカーの様々な種類のギターが、店の壁一面にずらりと並べられていた。
「見て、どれもかっこいいでしょ! どう? これなんかいい感じじゃない?」
恵が展示されているエレキギターを手に取り、それっぽいポーズを決めて見せる。
「まぁ確かにかっこいいけど、お前ギターなんて弾けんのか?」
「んーん、弾けないよ。これからメンバーに入って、まだ担当の居ないギターをやってくれる人のために見に来たの」
「なんだそりゃ。先にメンバー見つけて、本人に好きなの選ばせたほうがいいんじゃねぇか?」
「うん、だから今日一緒に来てもらったんだよ」
「ん? ここに来てるのか?」
ほかに来ている客の中に、新メンバーが居るのかと店内を見渡してみたが、中年男性や親子連れの客ばかりで、どうもそれっぽい人物は見当たらない。
ひと通り店内を見回し、恵のほうへ視線を戻してみると、恵の熱い視線が俺に刺さった。
「……お前まさか!」
「ふふーん、ご察しのとおり! 難しくてなかなか引き受けてくれる人が見つからないから、なんでも器用にこなすマー君にギターやってもらえたらなぁって」
「いや待て! 最初に言ったよな、俺は音楽の経験なんて――」
「すみませーん、このギター弾かせてください」
断られると危機を感じたのか、恵は俺が話し終わる前に近くに居た男性店員に駆け寄り、エレキギターを持って早々と試奏コーナーに移動した。
仕方なく後を付いて行くと、店員があっと言う間にギターを弾ける状態にしてくれた。
「はい、できましたよ。どうぞ弾いてみてください」
「ほらほらマー君、弾いてみなよ」
「はぁ……わかったよ」
しっかりと準備がされ断るに断れない状況で、俺は仕方なく用意されていた丸い椅子に座り、恵の持って来たオレンジ色の重たいエレキギターを構えた。
弦の押さえ方など知らない俺は、取りあえずどの弦も押さえないままで、上のほうから親指でジャラーンと掻き鳴らしてみた。
その瞬間、アンプから放たれた波動が俺を包み込むように響き渡り、ビリビリと歪んだ衝撃が全身を走った。
「これがエレキギター……」
一瞬何が起きたのかがわからないほどの衝撃を受け、気が付けば全身の毛が逆立っていた。
「どう? 凄いでしょエレキギターって!」
「……ああ、不本意だがこりゃマジで凄いな! CDなんかで聴くのとは全然違いやがる!」
完全にエレキギターに魅せられてしまった俺は、今度は思ったままに左の四本の指で弦を押さえ、もう一度ジャラーンと音を出してみたのだが、思っていたような音は出ず、鳴ったのはとても綺麗とは言えない雑音だった。
「あの、店員さん。コードってどうやるんですか?」
どうにか音を出してみたいと思った俺は、近くに居たさきほどの店員に、初心者にも簡単なEのコードを教えてもらった。
押さえる指は三本だけで簡単そうに思えたが、どうも関係のない弦に指が触れてしまい、ピンと金属を弾く音が出て短く途切れてしまう……。
「うーん、思ったより難しいなぁ……」
「おお、あのマー君が苦戦するなんて……」
それから約十分ほど挑戦した結果、どうにかEの音を出すことができた。
「よっしゃ、できた!」
ここまで大きな達成感を感じたのは久し振りだった。あまりの達成感に、気付かぬうちに右手でガッツポーズを決めていたほどだ。
さっきまで苦戦していたときに感じていた苛々は、いつしか大きな達成感と、もっと上手く弾けるようになりたいという好奇心に変わっていた。
「マー君のそんな楽しそうな顔見るの久し振りだなぁ」
「そ、そうか? まぁ、お前と会うこと自体久し振りだからな」
「もう、そうじゃなくて!」
ついはしゃいでしまった恥かしさを隠すためにとぼけた振りをすると、恵は少しむっとした表情を浮かべた。
恵が言いたいことはちゃんと俺自身で理解している。まだ知識の浅かった中学のとき以来、今日のような表情に出るほど心を動かされた出来事が無かったのだから。
「わかってるよ。お前のお陰だ、ありがとうな」
「ちょっ、急に真面目なこと言わないでよ、恥かしいじゃん」
顔を赤らめていた恵だったが、急に何かを閃いたように表情がぱっと変わった。
「ってことは、マー君も一緒にバンドやってくれるってこと?」
エレキギターと出会い、今までにないほどに心を動かされた俺は、とどめと言わんばかりの、期待に満ちた恵の瞳を見て決意した。
「はぁ……仕方ない、付きやってやるよ」
「ほんと⁉ やった、ギタリストゲット! なんか燃えてきたよー!」
少し捻くれた言い方をしてしまったが、メンバーが増えたことがよほど嬉しかったのか、恵はそんなことは一切気にしておらず、両手でガッツポーズをしながら喜んでいた。
こうして、正式に恵のバンドに入ることになった俺は、自分のギターを決めるため、店内にある様々なエレキギターを試奏し、持ち易さや個々で微妙に違う音を確かめた末、一番しっくりきた物を選んだ。
選んだのは、チェリーレッドカラーのSGと言うタイプのエレキギターで、さっきまでコードを練習していたときのレスポールと言うタイプのギターよりもずっと軽く、ネックと言う、弦を押さえるための指板が付いた部分が細身で、ほかの物よりも弦が押さえやすくなっている。
おまけに、ピックアップと言う音を拾う部分は高品質な物が使われているらしく、パワフルかつ優しさのある独特の音質が楽しめる一品だ。お値段なんと十六万円なり!
かなり高い物を選んでしまったが、日ごろからバイトやネットビジネスで貯め込んでいた俺は、躊躇することなく近くのATMへ走った。
「お買い上げありがとうございました!」
満面の笑みで送り出してくれた店員に会釈をし、革製の丈夫なギターケースに入ったエレキギターとアンプの入った箱を持って店を後にした。
「驚いたなぁ、あんな高いギターあっさり買っちゃうんだもん」
「まぁ、いつ新作ゲームが出ても買えるようにバイトとネットで貯め込んでるからな」
「凄いなぁ、私もバイト頑張らなくちゃ! 待っててねマイク君とアンプちゃん!」
「へぇ、それでバイト始めたのか。ま、頑張れよ」
夕方五時を数分過ぎたころ、これからの目標の話に花を咲かせながら、ゆっくりと家路を辿った。
「それじゃ、次の練習は火曜日の放課後だから絶対来てね! 待ってるから!」
「ああ、わかったよ。それじゃあな」
恵は俺の家の前で最後に釘を刺すように言い残し、上機嫌でスキップをしながら自分の家に入って行った。それを見届けた俺も自分の家の玄関を開けた。
「ただいま」
リビングのほうへ行くと、母がキッチンで夕飯の支度をしていた。
「あらお帰りなさい、今日は遅かったわね」
「ああ、恵と買い物に行ってたんだ。バイト先が一緒になったんだ」
「そうだったの。あらギター? いいわねぇ、今度聴かせてね」
「ああ、上手くなったら聴かせるよ」
うちの両親は、いつも「自分の思うようにやってみなさい」と言ってくれる良き理解者だ。
自由にさせてもらっている分、日ごろからちゃんと生活費も入れているので、今日突然買って来た高級ギターのことでお咎めを受けるようなことは無かった。
朝から慌しい一日だったが、この日初めてエレキギターに触れて、退屈で物足りないと感じていた俺の世界が、どこか少し変わったような気がした。
次の月曜日、いつもどおりバイトから帰り、部屋でブログの管理などをしていると、夕暮れ時に玄関のチャイムが鳴った。
「こんにちは、突然お邪魔して申し訳ありません」
聞きなれない女性の声だったが、どうせセールスか何かだろうと思い、気にせずにパソコンで作業を進めていると、一階から母の呼ぶ声がした。
「真人ー、学校の先生がいらっしゃったわよー」
母に呼ばれてリビングに下りて行ってみると、新しく赴任して来たと思われる、見たことのない髪の長い若い女性の先生が、母と一緒にリビングのソファーで待機していた。
「こんにちは、新しく二組の担任になった山吹恭子です。突然押しかけちゃってごめんなさいね」
俺を引きずり出しに来た熱血スパルタ教師かと思えば、まったく逆の、優しい物腰でおっとりした感じの先生だった。
「いえいえ。佐倉真人です、お世話になります」
「校長先生に事情は聞いてるけど、一度会ってお話してみたいなぁと思って来たの」
「はぁ、そうでしたか」
「それで佐倉君に聞いてみたかったんだけど……佐倉君は学校嫌い?」
よほど聞き辛かったのか、そう尋ねる先生の顔はかなり不安げだった。
「そんなことはありません、ただ勉強が物足りないだけで……」
「そう、嫌いじゃないなら安心したわ。校長先生は社会勉強はいいことだからって仰ってるけど、学校で今しか経験できないことだって沢山あると思うの。私も来てくれたほうが嬉しいし、気が向いたらいつでも顔見せに来てね」
「はい。実はちょうど、明日の放課後から行こうと思っていたところです。友達とバンドやることになったので」
「あらそうだったの! いいお話が聞けて良かったわ、学校で見かけたら気軽に声かけてね。あ、そろそろ戻らないと……」
俺の前向きな答えを聞いた先生は、心底嬉しそうにして帰って行かれた。
「優しくていい先生だったわねー、おまけに美人で、ボンキュッボンのナイスバディだったし……あ、さては先生目当てで学校行くんだなぁ?」
にやにやしながら母が茶化してくる。
「違うわ! 俺はただ恵に誘われたバンドやりに行くだけだよ。変な事言うなよ……」
「はいはいむきになっちゃって、ふふっ顔真っ赤よ?」
普段から明るい性格で笑顔の多い母だが、俺が学校に行くと言ったことがよほど嬉しかったのか、今日はいつにも増して楽しげだった。
ほぼ無計画のバンドに参加することになり、少々先のことが心配ではあるが、今の胸の内を明かすと、遠足前夜の子供の様に明日の放課後が楽しみで仕方がない。
ブログの管理がまだ途中ではあったが、今日は早めに切りあげて、クローゼットの奥に仕舞い込んであるブレザータイプの制服を引っ張り出し、掃除に使うころころで埃を取って綺麗にした。
ひと通り学校へ行く準備が完了し、買ったばかりのギターを弾いてみたいところではあったが、それも明日の楽しみに取っておくことにした。
これから始まる新たな環境の中で、どんな新しいこととの出会いが俺を待っているのだろうか? そんな青春漫画の主人公のような期待を胸に、俺の一日は静かに幕を閉じた。
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