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007.森での生活(モモ)

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 私がカーテシーと微笑みを子供達に捧げた後、しばらく子供達はほうけた顔をしていたけど、我に返ると自己紹介をしてくれた。
 怒りっぽい男の子、トマト。
 食いしん坊の男の子、ポテト。
 能天気な男の子、ピーマン。
 恥ずかしがり屋の女の子、チェリー。
 可愛い妹分の女の子、ベリー。
 知的な女の子、ユズ。
 ふくよかな体形の女の子、モモ。
 その七人が、この森の孤児院で暮らしている全員だった。
 今日から、その中に私が加わる。
 大人は居ないのかと私が尋ねると、トマトが吐き捨てるように教えてくれた。
「昔はいた。けど、今はいない」
 その理由を、私は尋ねなかった。

 しばらくの間、私は長い時間、起きていることができなかった。
 足が震え、胸が強く鼓動を打ち、目の前に霧が立ち込めるように、気が遠くなる。
「大丈夫?」
 その度に、モモが身体を支えようとしてくれた。
 けど、その度に、私はそれを断る。
「少し椅子に座るわ」
「ベッドで横にならなくていい?」
 どうも私は、身体の弱い深窓の令嬢とでも思われているみたいだ。
 だけど私は、そんなにか弱いつもりはない。
「大丈夫だから、気にしないで。少し疲れただけ」
 ずっと寝ていたせいで、かなり体力が落ちている。
 それを取り戻すために、私は少しずつ孤児院の仕事を手伝い始めた。

 孤児院での仕事とは言っても、それによって金銭が手に入るわけじゃない。
 生きるために必要なこと。
 家の中での食事の支度や洗濯、家の外での傷に効く薬草の収集。
 その全てが生きるために、やらなければならないことだ。
 城では、食事の支度は料理人、洗濯はメイド、薬草の提供は商人。
 その人達がおこなっていた。
 そして、対価として金銭を得ていた。
 でも、ここでは子供達が自分でおこなっている。
 褒めてくれる人も、金銭をくれる人もいない。
 自分達が生きるために、ただそれだけのためにおこなっている。
「お皿は並べておいたわ」
「ありがとう、白雪姫さん」
「『さん』はいらないわ」
 私が言うと、モモが照れたように言い直してきた。
「ありがとう、白雪姫」

 私はここでも白雪姫と呼ばれた。
 私が姫と呼ばせているわけじゃない。
 私は白雪と名乗った。
 けど、最初にベリーが『お姫様みたい』と言ったせいで、みんなから白雪姫と呼ばれるようになった。
「今日の夕食は何?」
 モモの手元を見ながら尋ねる。
 ここでの食事の支度はモモが担当している。
 私はモモの料理が好きだった。
 城の料理のようにたくさんの種類の食材が使われているわけではないけど、いつも温かい料理を振るまってくれた。
 孤児院では薪も貴重だ。
 暖を取るためだけに使うことはない。
 でも、モモが料理をするために薪を使うことに、文句を言う人は誰もいない。
 みんな、モモの料理が好きだった。

「今日はジャガイモとタマネギのスープよ」
 私の問いにモモが答えてくれる。
 みんなが好きなメニューだ。
 ジャガイモはお腹に溜まるし、タマネギは甘い。
 ただ飢えないためや、ただ美味しいだけじゃなくて、栄養のバランスも考えてくれている。
 モモはきっといいお母さんになると思う。
「楽しみね」
 本心からそう言うと、モモはいいことを思い付いたといった表情で、こちらに振り向く。
 ジャガイモの皮を剥いていたナイフも一緒にこちらに向いて、少し危ない。
 私はそっと半歩下がる。
「そうだ! 白雪姫も料理をしてみない? 楽しいわよ」
 モモが、そう提案してきた。
 その言葉に私はしばし考える。
 料理か。

 孤児院の仕事を手伝っているといっても、私がやっているのは、せいぜい皿を並べるとか、埃を払う程度の簡単な掃除とか、そのくらいだ。
 まだ体力が戻っていないから、力仕事や長時間の仕事は難しい。
 でも、料理の手伝いならできるかも知れない。
「そうね。やってみようかしら」
 私が頷くと、モモがジャガイモとナイフをこちらに手渡してきた。
 私は左手にジャガイモ、右手にナイフを持つ。
 料理はやったことがない。
 けど、皮を剥くくらいならできるだろうか。
 ナイフで切り分けたり、皮を剥いたりするのは、見たことがある。
「……」
 私は慎重にナイフをジャガイモに触れさせる。
 確か母はこうやって林檎を剥いてくれた。
 うさぎの形にしてくれた。
 ちくっ。
 私の指から、宝石のように、赤く丸い血の雫が膨らんできた。

 余計なことを考えたのが、いけなかったのだろう。
 ナイフの刃を指に触れさせてしまった。
 痛みは一瞬だったけど、血が膨らんできて、そして指を伝って垂れていく。
「白雪姫、大丈夫!」
 気付いたモモが、私の手からナイフとジャガイモを取り上げ、傷口を自分の顔の前まで持っていく。
 ぱくっ。
「えっと……」
 大したことはないと言おうとしたのだけど、その言葉は私の口から出ていかなかった。
 モモが私の指を咥えていた。
 何をしているのだろう。
 訳が分からなかった。
 だから、私は咄嗟に言葉が出てこなかった。

 ぬるり。
 目には見えない。
 けど、感触で分かる。
 モモの舌が艶めかしく、私の指先を舐める。
 這いまわる。
 ちゅ……くちゅ……
 舌が唾液をかき混ぜる音が聴こえてくる。
 私の指とモモの舌の間で、唾液が音を立てる。
 にゅる……ちゅく……
 口に収まりきらなかった唾液がモモの唇の端から垂れる。
 まるで涎みたいだ。
 普段のモモなら、すぐに口元を拭う。
 けど、まるでそれに気づいていないように、モモは私の指を舐め続ける。
 丹念に丁寧に、いつまでも絶え間なく、私の指を舐め続ける。
 私はそれを、ずっと見ていた。

「モモ」
 指がふやけそうになってきた頃、私は小さく声をかける。
 ちゅっ……ちゅっ……くちゅ……
 だけど、モモの耳には届かなかったみたいだ。
 行為はまだ続く。
 なぜか邪魔をするのが悪い気がしたけど、私はもう一度声をかける。
「モモ」
「ひゃいっ!」
 素っ頓狂な声を上げて、モモがようやく私の指から唇を離してくれる。
 つぅ……
 モモの唇と私の指を繋ぐ唾液の橋。
 私はモモの唇にそっと指を這わせ、それを断ち切る。
「き、傷は舐めると治るっていうから!」
 真っ赤な顔でモモが、私に向かって叫んできた。

「ああ、うん」
 私は勢いに圧されて反射的に頷く。
 どうやらモモは、ナイフで切った私の指の傷を、舐めて治そうとしてくれたらしい。
 ずいぶんと一生懸命に舐めてくれた。
 それだけ、私のことを心配してくれたのだろう。
「ありがとう」
「ど、どういたしまして……」
 なぜか恥ずかしそうに、もじもじとするモモ。
 そんなに照れなくていいのに。
 他人を思いやり心配するのは、モモの美徳だと思う。
 でも、心配させてしまったのは、悪いことをしてしまった。
「ごめんなさい。料理はちゃんと練習しないと難しいみたいだから、今日は止めておくわ」
「そ、そうね」
 それ以降、モモが私に料理を作るのを勧めてくることは無かった。
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