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第十四章 ヘンゼルとグレーテル

223.ヘンゼルとグレーテル(その4)

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「お父さま、宿を変えましょう」

 夕食後、わたしはお父さまに提案しました。
 けれど、お父さまは難しい顔をします。

「何が不満なんだ?」

 それどころか、そんなのんきな事を質問してきます。
 お父さまには、今の危機的状況がわかっていないようです。
 だから、わたしは教えてあげることにします。

「この宿にいたら、お兄さまの貞操がピンチです」

 なにせ、この宿には複数の痴女がいるのです。
 お家にも痴女が一人いますが、ここにはそれ以上いるのです。
 こんなところにお兄さまを置いておくわけにはいきません。
 そのことを教えてあげたというのに、お父さまは首を傾げます。

「貞操?」

 そして、考え込みます。
 数秒後、お父さまはぽんっと手を叩きます。

「ああ、宿に着いたときのことか」

 ようやく気付いたようです。
 気付くのに数秒もかかるなんて遅すぎます。
 危機感が足りません。
 それどころか、お父さまは信じられないことを言ってきます。

「あれは、そういうのじゃなくて、おまえ達を可愛がっていただけだ」

 そんなわけがありません。
 可愛がるためなら、あんなにお胸を押し付ける必要なんて無いはずです。
 あれはお兄さまを誘惑していたのです。
 純朴なお兄さまを、淫猥な道に引きずり込もうとしたのです。

「ここはいい宿だぞ。夕食だって美味しかっただろう?」
「それは・・・はい」

 確かに夕食は美味しかったです。
 新鮮なお野菜の蒸し料理は絶品で、デザートには採りたてのイチゴまで出ました。
 でも、それとこれとは話が別です。
 きっと美味しいお料理は、わたし達を買収するためのものだったのだと思います。
 お父さまはすっかり買収されてしまっています。
 ダメです。
 お父さまは役に立ちそうにありません。
 ダメダメです。
 やはり、わたしがお兄さまの貞操を護るしかありません。
 わたしは買収なんかに負けません。

「それに、昼は観光をするから、宿に滞在するのは夜だけで時間は長くない。宿はこのままでいいだろう?」

 その夜に滞在することが危険だというのに、お父さまはわかっていません。
 お兄さまが夜這いされてしまったら、どうするつもりなのでしょう。
 それとも、旅行についてきたように、夜這いにも混ざろうとしているのでしょうか。
 どちらにしても、これ以上説明しても、お父さまは意見を変えそうにありません。
 仕方ありません。

「わかりました」

 わたしは素直に納得の言葉を口にします。
 でも、もちろん本当に納得したわけじゃありません。
 納得したフリをしただけです。
 そんなことをした理由は、言うまでもありません。
 お兄さまを護るためです。
 わたしはお兄さまを護るために、ひそかに考えていた計画を実行に移すことにします。
 本当はもう少し詰めてからと思っていたのですが、こうなっては仕方ありません。
 そして実行に移すからには、そのときまで警戒されるわけにはいきません。

「明日は劇を観るのでしたね。とても楽しみです。ねえ、お兄さま」
「うん。ぼくも楽しみだよ」
「劇が終わったら、楽屋を訪ねてみようか。ミシェルに会えるかも知れないぞ」
「ホントですか。ぜひ、会ってみたいです」

 チャンスは明日です。
 計画を成功させるためには、ミスは許されません。
 わたしは頭の中で計画の最終チェックをして、その日は眠りにつきました。

 *****

 翌日。
 今日は朝から劇を観ます。

「こんな前の席で観られるのですね」

 席に座ると同時に、お兄さまが喜びます。
 それも当然です。
 案内された席は、舞台にいる役者の吐息が聴こえてきそうなくらい前の方なのです。

「おまえ達が観ると言ったら、よい席を用意してくれたのだ」

 お父さまが自慢げに説明します。
 確かによい席です。
 でも、お父さまが自慢する理由がわかりません。
 よい席が用意してもらえた理由は、席を用意してくれた人に、そういう席を用意するだけの権力があったということです。
 そして、その人がよい席を用意してくれた理由は、わたし達が観るからだそうです。
 つまり、ここがよい席だという状況に関して、お父さまは何の役にも立っていません。
 自慢する理由がありません。

「お父さま、ありがとうございます」

 でも、お兄さまが喜んでいるのは事実なので、水を差すのは止めておきます。
 わたしは、子供の前で見栄を張りたい親心を察することができる、理解ある子供なのです。

「今日の劇は『シンデレラ』だ。新作ではないがよかったのか?」

 お父さまが今日の劇のタイトルを口にします。
 そのタイトルは、わたしも知っている物語です。
 お母さまによく絵本を読んでもらいました。
 だから、ストーリーに新鮮さは感じません。
 でも、お兄さまは嬉しそうです。

「『シンデレラ』は大好きなお話です。ミシェルさんが主役の劇を観ることができるなんて楽しみです」

 ストーリーに新鮮さはなくても、役者が演じるのを観るのは、違った楽しさがあるのだと思います。
 迫力とか臨場感とか、そういうものなのでしょう。
 わたしは劇にはあまり興味がありませんが、嬉しそうなお兄さまを見るのは嬉しいです。

「あ、もうすぐ始まるみたいですね」

 お兄さまが何かに気付きます。
 お兄さまの見ている方向を見ると、係の人が出てきました。
 そして劇の開始を告げる挨拶をします。

「いよいよ始まるね、グレーテル」
「楽しみですね、お兄さま」

 そして、劇が始まりました。

 *****

 劇を観ながら思います。

「(リアリティが足りません)」

 舞台の上では、灰にまみれてお掃除をするシンデレラを、お兄さまお気に入りのミシェルさんが演じています。
 綺麗な女の人が薄汚れた衣装を着ているのは、頑張っているとは思います。
 でも、顔や手など、衣装で隠れていない部分が全く汚れていません。
 普通、お掃除をしていたら、手は汚れるはずです。
 そして、埃をかぶったり、汗を拭ったりすれば、顔も汚れるはずです。
 なのに、舞台上のシンデレラは、全く汚れていないのです。
 リアリティが足りません。

 わたしは、ちらりと隣のお兄さまを見ます。
 目をキラキラさせて舞台上のシンデレラを観ています。
 お兄さま的には、アリのようです。

 まあ、リアリティを追及しすぎて、主役がみすぼらしい格好をしていたら、劇が盛り上がらなのでしょう。
 野暮なことを言うのは止めておきます。
 それに、劇の最中に観客が声を出すのはマナー違反です。
 そのくらいは、わたしも知っています。

「あっ」

 お兄さまが小さく悲鳴を上げます。
 舞台上では、シンデレラが意地悪な姉に突き飛ばされて転んでいました。
 それを観て、思わず悲鳴を上げてしまったのでしょう。
 ストーリーは知っているはずですが、すっかり感情移入しています。
 お兄さまは、しっかり劇を満喫しているようです。
 わたしも、そんなお兄さまの可愛い反応を満喫します。

 そんな感じで劇は進み、やがてシンデレラは迎えにきた王子様とお城に行きます。
 シンデレラは、真っ赤なドレスに身を包み、幸せそうに王子様に寄り添います。

「(どうして、白いドレスじゃないのでしょう?)」

 ウェディングドレスといえば白です。
 王子様と結婚するなら白いドレスです。
 わたしもお兄さまと結婚するときは、白いドレスを着る予定です。
 それなのに舞台上のシンデレラのドレスは真っ赤です。
 この舞台の衣装係は趣味が悪いです。
 あんなに真っ赤では、まるで返り血を浴びたかのようです。
 ホラーとかミステリーになら似合いそうですが、恋愛物には似合いません。
 それとも、この劇は恋愛物ではないのでしょうか。
 魔法を使う魔女が出てくるし、冒険譚とかなら、あのドレスも似合いそうです。
 物語ではシンデレラがお城に行くところで終わりですが、きっとその後、シンデレラは王子様や魔女と一緒に魔王を倒しにいくのです。
 ドレスが真っ赤なら、返り血を浴びても目立ちません。
 洗濯も楽だと思います。

 そこまで考えて、ふと気付きます。
 そう言えば、わたしが着ているドレスも真っ赤です。
 なら、わたしも冒険にでなければならないのでしょうか。
 わたしにそんなつもりはありません。
 わたしはお兄さまと結婚して幸せに暮らすのです。
 でも、わたしのお家は貧乏なので、新しいドレスは買ってもらえないかも知れません。

 ・・・・・

 真っ赤なドレスも、ウェディングドレスとして、アリな気がしてきました。
 きっと、この赤い色は、真っ赤に熟したイチゴで染めたのです。
 とっても甘くて、ちょっぴりすっぱくて、幸せの味がする赤色です。

 パチパチパチパチッ!

 そんなことを考えていたら、突然、大勢の拍手が響き渡ります。
 どうやら劇が終わったみたいです。

「とっても素敵な劇だったね、グレーテル」
「そうですね、お兄さま」

 劇を観て一喜一憂するお兄さまを眺めるのは、とても素敵な時間でした。
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