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第九章 お菓子の家

143.迷走

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「おまえに客だ」

 アダム王子の言葉とともに入ってきたのは、意外な人物だった。
 だけど、見知らぬ人物じゃない。
 だから、挨拶をする。

「ひさしぶり、元気だった?」
「おひさしぶりです、聖女様」

 せっかく、こちらが明るく挨拶をしたというのに、その人物は辛気臭い顔をしている。
 何か機嫌を損ねるようなことをしただろうか。
 そう思うけど、すぐに違うと気付く。
 辛気臭い顔というより、顔色が悪い。
 血の気が引いて青ざめているようにも見える。

 ちらっ。

 私はアダム王子を見る。

「俺から話してもいいが・・・」
「いえ、私に話をさせてください」

 どうも、雰囲気からして、アダム王子が女癖の悪さを発揮したみたいじゃないみたいだ。
 むしろ、そちらの方がよかったのだけど。
 私に話をするということは、私に厄介事を持ってきたということだろう。
 また面倒なことになりそうだ。

「はぁ」

 私は溜息をつく。
 すると、その溜息の意味をどう取ったのか、その人物が土下座をしてきた。

「申し訳ありません!」
「話を聞くから椅子に座りなさい、ヒルダ」

 私はその人物、シルヴァニア王国にいるはずのヒルダに声をかけた。

 *****

 メアリーとシェリーが慌ててヒルダを立たせようとしている。
 他国の使者が頭を床に擦り付けているのだから当然だろう。
 それに、実際には使者どころの話ではない。
 私がいた頃から変わっていないなら、ヒルダは政治を取り仕切る立場にある。
 つまり、国のトップに近い立場なのだ。
 そんな人物が土下座なんかしていたら、間違いなく国際問題になるだろう。
 でも、私はそんなことよりも気になることがある。

「なんで、あなたが使者として来ているのよ?」

 そもそも、ヒルダが国を離れて使者として来ていることの方が、おかしいのだ。
 議会制にしたとはいっても、政治を取り仕切る立場にあるヒルダが不在では、国の政治が回らなくなるだろう。
 だから、普通はヒルダが使者になるなんてことは、あり得ない。
 そんな、あり得ないことが怒っているのだから、普通の状況ではないということだ。
 たとえば、国の政治を回してなどいられないような事態に陥っているとか。

「こうして頭を下げるためです!」

 ヒルダは土下座したまま答えてきた。
 意味が分からない。
 分からないけど、厄介事であることが確実なことだけは判った。
 でも、このままじゃ話しづらい。
 仕方がないので、私は少しだけ聖女様になることにする。

「ねぇ、ヒルダ。私は『椅子に座りなさい』って言ったのよ?」
「っ!」
「謝る相手の言うことを聞かないっていうのは、謝る気が無いと思われても仕方がないと思わない?」
「も、申し訳ありません!」

 再び謝りつつも、勢いよく立ち上がって、慌てて椅子に座るヒルダ。
 やれやれ。

「アダム王子とヒルダの分のお茶をお願い」
「承知しました」

 メアリーとシェリーにお茶をお願いする。

『・・・・・』

 お茶を淹れてもらっている時間に話を進めてもいいんだけど、そうはしない。
 その時間は、ヒルダが落ち着くのを待つ時間に使う。
 でも、あまり効果は無かったかも知れない。
 なんだか、ヒルダの表情が、判決を待つ被告人のように見える。

「それで、あなたが使者として来た用件は、なに?」

 お茶が届いたタイミングでヒルダに話しかける。
 見るからに落ち着いてはいなかったけど、これ以上時間をおいても、落ち着くとは思えなかった。
 使者としての要件はアダム王子に訊いてもよかったんだけど、ヒルダ自身が話すと言っていたようだから、彼女に話しかけたのだ。

「・・・聖女様に、我が国の王と王子を殺害した嫌疑がかけられています」
「なっ!」

 ヒルダの言葉にアーサー王子が声を上げる。

「あの晩、シンデレラも襲われたじゃないか!それどころか、毒で寝込んでいたんだぞ!なんで、そんな嫌疑がかかるんだ!」

 私のために怒ってくれているんだろうけど、隣で大声を出されると、うるさい。
 さっさと話を進めることにする。

「それで?」
「・・・嫌疑を晴らすために聖女様にお越しいただきたいというのが、シルヴァニア王国からの要求です」
「ようするに、私を差し出せってことね」
「・・・・・はい」

 私の問いに、申し訳なさそうに答えるヒルダ。
 その様子から、この要求が彼女の本意では無いことは分かる。
 それで判った。
 彼女は確かに、頭を下げるために、使者として来たのだろう。
 正確には、使者として来ることにより、私に事情を説明しようとしたのだと思う。

「アヴァロン王国からの回答は?」

 私はアダム王子に尋ねる。
 謁見の間での回答ならヒルダも聞いているだろうけど、人を差し出せという要求に対する回答を即答したとは思えない。
 だから、どう回答するつもりなのかを訊くなら、アダム王子の方だろう。

「事情が分からんからな。おまえやアーサーからも話を聞いてから答えるつもりだ」

 まあ、そうだろうな。
 『人を差し出せ』と要求されて、『はい、どうぞ』と応えるようでは、他国に舐められる。
 私に価値があるかどうかは関係なく、そんな対応はしないだろう。
 そして、それは、シルヴァニア王国側も分かっていると思う。

 何か妙だな。
 そもそも、あの国は私を聖女として称えていた。
 別に称えられたいわけじゃないけど、それは事実だ。
 なのに、いきなり、私に嫌疑をかけて身柄を要求するだろうか。

「ヒルダ、私を差し出せって言い出したのは、誰?」

 私を聖女に認定した本人である教皇が言い出したとは思えない。
 バカな貴族が言い出したのだとしたら、ヒルダが黙らせるだろう。
 言い出したのがヒルダだとしたら、そもそもここへは来ていないだろう。
 だから、候補は絞られる。

「・・・・・エリザベート王女です」

 ヒルダが、ぶるっと身体を震わせながら教えてくれる。
 まるで、名前を口にするのも怖ろしいという仕草だ。
 いったい、何があったのだろう。
 私が最後に見たときは自失状態だったんだけど。

「やっぱり、寝たフリをしていたのね。あの肉食王女様は」

 おかしいとは思っていたのだ。
 ちょっと脅かしただけなのに、自失状態になるのは反応が過剰だ。
 自失状態になったとしても、一時的なものじゃないとおかしい。
 おそらく、周囲が自分に不利な状況なのに気づいて、自失状態になったフリをしていたのだろう。

「シルヴァニア王国は、エリザベート王女に支配されかけています」
「ふーん。あの王女様って、そんなにカリスマ性があったの?」

 王族とは言っても、今まで政治に関わっていた様子は無かった。
 それに、芝居とは言っても、直前まで自失状態だったのだ。
 そんな人間の言うことを、周囲の人間が素直に聞くだろうか。
 たとえ正しい意見だったとしても、素直に聞くとは思えない。
 可能性があるとしたら、それを覆すカリスマ性くらいのものだけど、誕生パーティーで会った限りでは、そんな感じはしなかった。
 そんな私の疑問に対し、ヒルダは身体を震わせながら答えてきた。

「エリザベート王女は・・・・・吸血姫です」

 幻聴だろうか。
 変な単語が聞こえた気がする。
 私は自分の耳がおかしくなったのかと思い、周囲を見回す。

 アダム王子とアーサー王子は訝しげな表情をしている。
 師匠は驚いた表情をしている。

 どうも幻聴じゃなかったみたいだ。

「エリザベート王女はシルヴァニア王国に戻ってきた際、私達の目の前でプラクティカル王子の血を吸いました。血を吸われたプラクティカル王子は、操られているかのようにエリザベート王女の言いなりです」

 血を吸う。
 血を吸った人間を操る。

 なるほど。
 それで吸血姫か。
 確かに物語に出てくる吸血姫は、そんなイメージだ。

「そして、城にいる人間もエリザベート王女には逆らえません」
「あなたも?」
「私もいずれ・・・」

 ヒルダは悲痛な表情を浮かべる。
 つまり、今は逆らえているけど、いずれ逆らえなくなると言いたいのだろう。
 私は席を立って、ヒルダの背後に回る。

「シンデレラ?」

 アーサー王子が声をかけてくるけど無視する。
 こちらを確認する方が先だ。
 物語のイメージ通りだとすれば、やっぱり首筋かな。
 私はヒルダの襟元を勢いよく、はだけさせる。

「わっ!」

 いけない。
 勢いあまって胸元近くまで、はだけさせてしまった。
 アーサー王子が、慌てて視線を逸らしている。
 それに対して、アダム王子はガン見している。
 さすがだ。
 それはともかく、ヒルダの首筋を確認する。

「これね」

 噛み傷がある。
 おそらく、エリザベート王女に血を吸われたのだろう。
 そのせいで、ヒルダはエリザベート王女に逆らえなくなると考えているようだ。

「・・・もう、よろしいでしょうか?」
「ええ」

 ヒルダが私に断って、はだけた服を戻す。
 少し恥ずかしそうにしているのは、男性に見られたからか。
 悪いことをしたかも知れない。
 でも、抵抗しなかったところを見ると、私が噛み傷を確認することを予測していたのだろう。
 私に自分の話を信じさせるためだ。
 そして、噛み傷を確認したことで、私が納得したと思ったに違いない。
 確かに納得はした。
 けど、それは、ヒルダが考えているのとは、違う意味でだ。
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