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第一章 灰かぶり

004.ガラスの靴

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「こちらをどうぞ」

 老執事が恭しく差し出してきたのは、透明な靴だった。

「これはガラス?」

 確かにガラスは高価なものだ。
 高価な装飾品という条件は満たすだろう。
 ただし、履くことができればだ。
 ガラスは硬いし割れやすい。
 そんな、私の考えが分かったのだろう。
 老執事が補足してきた。

「ガラスではありません。バイオナノファイバーです」
「ばいお・・・なに?」
「簡単に言うと、透明で頑丈で柔軟性がある素材のことです」
「ふぅん、まあ、いいわ。これを履いて行けってことね」
「ええ。間違いなく目に留まることでしょう」
「こんな珍妙な靴を履いていれば、そうでしょうね」
「この時代では不可能な高度な技術を珍妙と評するとは・・・」

 なんだか老執事がショックを受けているようだが、気にせず次だ。
 なにせお試し期間は24時間。
 のんびりはしていられない。

「馬車はどうするの?」
「そ、そうですな。外に行きましょうか」

 こちらが声をかけると、すばやくショックから立ち直った老執事が屋敷を出るべく歩き出す。
 私はその後ろをついて行く。

「少々、寄り道します」

 そう言って、途中で食堂に入っていったかと思うと、食材の残りらしきカボチャと、それを齧っていたらしきネズミを手に戻ってきた。

「どうするの、それ?食べるの?」
「いえ、違います。あなたは私をなんだと思っているのですか」
「少なくとも、人間じゃないわね」
「まあ、そうですな」

 それだけ答えて、再び歩き出す。
 どうやら、どう使うかは教えてくれないらしい。
 本番のお楽しみというわけだろう。
 そして、私達は庭までやってきた。

 ぐちゅ。

「きゃっ!」

 老執事がおもむろに素手でネズミを握り潰す。

「な、なに?やっぱり食べるの?」
「だから、違います。この小動物を生贄に『馬』を呼び出します」

 ぽいっと老執事がネズミの死骸を地面に放り投げると、夜の闇の中、一匹の『馬』が姿を現す。
 美しく白い身体だが、その首には黒く禍々しい首輪が巻かれている。

「以前、捕まえて飼っていたのですが、なかなか使い道が難しくてですな。ちょうどよいので、これを『馬』に使おうと思います」
「『馬』っていうか・・・」

 確かに見た目は『馬』だ。
 だが、普通の『馬』には無いはずのものがある。

「ユニコーンよね、これ」
「ええ」

 その『馬』の頭には一本の角が生えていた。
 目撃例はあるが、実物は滅多に姿を現さない、伝説の聖獣じゃなかっただろうか。
 滅多に姿を現さない理由は、角が薬になるため乱獲されるのを避けるためとも言われているが、もう一つ、この聖獣の性癖の方が有名だ。

「気難しい駄馬ではありますが、あなたなら乗れるでしょう?」
「まあ・・・ね」

 この聖獣は、清らかな乙女・・・つまり、処女しか自分に触れることを許さないらしい。
 それ以外の者が触れようとすると、狂暴に襲い掛かってくると言われている。

「でも、まさか直接跨れって言うわけじゃないでしょ。馬車はどうするの?」
「それはこれを使います」

 今度は、カボチャを地面に放り投げる。

「わっ!」

 突然、巨大化したカボチャに、みっともない悲鳴を上げてしまう。
 もう、この存在が何をしようと驚かないと、覚悟を決めていたのに情けない。
 深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
 そうして落ち着いてみると、カボチャは単に巨大化したわけでは無かった。
 車輪や窓など馬車としての体裁が整っている。

「・・・どういう原理?」
「どうと言われましても、カボチャを生贄に馬車を呼び出しただけですが。先ほどネズミから馬を呼び出したのと同じことです」
「そ、そうなんだ。魔法でカボチャを馬車に変えたわけじゃないんだ」
「それこそ、どんな原理ですか。常識で考えてください」

 非常識な存在に常識を説かれた。
 こちらを馬鹿にしたような口調に、むかっとする。
 しかし、文句を言いたいのを我慢して、話を進める。
 時間を無駄にするわけにはいかないのだ。

「それで御者は?」
「それは、私が務めましょう。あなたの行く末も見届ける必要がありますし」
「そう。よろしく」

 行く末か。
 本当にどうなるんだろう。
 幸せではないが、平穏だった日常。
 私は、それを自ら手放したのだ。
 もう、後には引けない。
 目的に向かって進むしかない。
 もっとも、その目的さえ、曖昧なままなのだけど。

「私と駄馬なら、夜寝ずに進むことができます。今から出発すれば、明日の舞踏会には間に合うでしょう」
「私は寝ないと無理なんだけど。目の下に隈を作って、舞踏会に出るわけにはいかないでしょ」
「馬車で睡眠を取ってください」
「身体が痛くなりそうね」
「サスペンションがついていますから、乗り心地は良いと思いますよ」
「さす・・・なに?まあ、乗り心地がいいってことね」

 私は馬車に乗り込む。
 そして、しばらくすると、馬車が進み始める。
 確かに乗り心地は悪くない。
 馬車になど乗ったことはないが、もっと揺れるものだと思っていた。

「そう言えば、舞踏会の招待状を持っていないけど」

 今更ながらに思い出した。
 いくら貴族だとしても、招待もされていないのに、王城に入ることなどできない。
 それを心配したのだが、老執事は気軽に答えてくる。

「それは、なんとでもなります。兵士は権力に弱いですからな」
「そう?」

 そんな兵士ばかりではないと思うが、ここは老執事を信じよう。
 この老執事なら、やろうと思えば、兵士を皆殺しにするくらいの力はあるだろうし。
 ともかく、これで、とりあえずの心配ごとは無くなった。
 私は馬車に揺られながら王城を目指す。
 勝負は明日だ。
 非日常な状況に眠れないかとも思ったのだが、もう夜も遅い。
 規則的な揺れを感じていると、いつしか、私は眠りに落ちていった。

 目が覚めたのは、太陽が高く昇ってからだった。
 寝た時間が遅かったせいもあり、いったん眠りに入ると、深く寝入ってしまったようだ。
 我ながら、神経が図太いとは思う。
 昨日からの出来事で、感覚が麻痺しているだけかも知れないが。

 くぅ。

 空腹にお腹が音を立てる。
 そう言えば、昨日の夜から何も食べていない。

「起きましたかな」

 老執事が声をかけてくる。

「ええ、おはよう」
「おはようございます。食事を置いてありますので、召し上がってください」

 見ると、サンドイッチの包みとワインの瓶、そして果物が置かれていた。
 ワインは飲んだことがない。
 酔うのは避けたいからやめておこう。
 しかし、水分は取らなくちゃいけない。
 それは、果物で取ることにする。

「カボチャのサラダと、薄切りの焼いた肉・・・」

 包みを開いて、サンドイッチの具を確認する。

「・・・これ、なんの肉?」

 嫌な想像をしてしまい、思わず老執事に尋ねる。

「気になりますかな?」

 老執事はどこか挑発的に尋ね返してくる。
 素直に教えてくれるつもりはないようだ。
 気にならないわけがない。
 でも、再び同じ質問をするのは躊躇われる。
 まるで、覚悟を試されているような気がする。

「味が気になっただけよ」

 そう言って、やけくそのようにサンドイッチに噛り付く。
 空腹に染み込むように、焼いた肉の味が口いっぱいに広がる。
 私は、昨日からの行動の全てを飲み込むかのように、咀嚼したそれを飲み込む。
 ネズミの肉だろうが、その前の生贄の肉だろうが、構うものか。
 私は人でなしとして生きる覚悟を決めたのだ。

「お味はどうですかな?街に入ったときに人間から購入したものですが」
「・・・普通に美味しいわよ」

 どうやら、普通に食用の肉だったようだ。
 老執事の言葉に拍子抜けして、私はそのままサンドイッチをペロリと平らげる。
 そして、食後のデザートとして、一緒に置かれていたりんごに、皮も剥かずに噛り付く。
 その後、しばらくは退屈な馬車の旅だ。
 外の景色を眺めながら、再び規則正しい揺れに身を任せる。
 平和な景色だ。
 ここに暮らす人達は、いつもと同じ日常を送っているのだろう。
 私も昨日までは同じだった。
 だけど今は違う。
 たった一日で、ずいぶんと変わってしまったものだ。
 この道の先にあるのが幸せか不幸かは、まだ分からない。
 だけど、わかっていることもある。
 私が天国に行くことはないだろう。
 死後の行き先は、間違いなく地獄だ。
 運命のときは、刻一刻と近づいていた。
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