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第一章 灰かぶり
002.悪魔
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いつものように、私は雑用に精を出している。
屋敷の廊下を掃除したいたときに、それは聞こえてきた。
「あなた達、わかっているわね。しっかりと、王子様にご挨拶するのよ」
「はい、お母様」
「わかっていますわ」
義理の母親と姉妹の声だ。
どうやら今日は王城に行くらしい。
私には関係ないことだが、清々するのは確かだ。
出かけている間は、いびりに来ることもない。
そんなことを考えている間にも、義理の母親と姉妹の話は続く。
「王子様に見初められれば、正妃になるのも夢ではないわよ」
「まあ、素敵」
「でも、お母様。王子様には隣国のお姫様との婚約の話もあるようですけど」
「側妃でもいいわ。王族と繋がりができるだけでも、素晴らしいことですもの」
どうやら義理の母親は、夢見がちな子供のようなことを考えているらしい。
自分の娘を王子に嫁がせたいようだ。
三流貴族の娘に王子が婚姻を申し込むはずもないが、そもそも前提条件を満たしていないので、正妃や側妃になるのは無理だろう。
義理の姉妹は、容姿はまあそこそこといったところだろう。
絶世の美女というわけではないが、眼を逸らすような不細工というわけではない。
貴族は見た目が良い相手を選んで結婚するから、これは不思議なことでもない。
性格は良いとは言えないが、貴族はどいつもこいつも似たようなものだ。
猫を被ることができるのなら、なんとでもなるだろう。
だが、容姿や性格などはどうでもいいことだ。
前提条件はそこではない。
王族は血筋を重視する。
貴族もその傾向はあるが、王族は徹底している。
王族は、国を支配する権利を持つ根拠を、血筋によるものだとしている。
国は初代の王が建国したものだ。
つまり、国は王の持ち物。
そして、自分達は初代の王の子孫。
だから、自分達に国を支配する権利があるという理屈だ。
優秀さなど関係ない。
優秀な者が国を治めるということになれば、自分達が国を支配できなくなるから、王族はそれを認めない。
平民が考えてもおかしな理屈ではあるが、誰もそれを指摘しない。
現時点で王族が権力を持っていることは確かなことで、それに逆らえば反逆罪として処罰されることがわかっているからだ。
まあ、そんなわけで、王族はどこの馬の骨かもわからない血が、自分達の血族に入るのを嫌う。
そして、それを防ぐために効果的な方法は限られている。
王がハーレムに妃たちを隔離することなどは、その典型的な例だ。
さらに、王が妃を選ぶ前提条件も決まってくる。
つまり、処女かどうかだ。
男性が性交渉を持ったことがあるかどうかを確認することは難しい。
しかし、女性が性交渉を持ったことがあるかどうかを確認することは簡単だ。
処女であれば、性交渉を持ったことはない。
「頑張りますわ」
「わたくしも」
義理の姉妹が、義理の母親に答えている様子が、滑稽で仕方がない。
屋敷の使用人達の噂話を聞いていれば、色々な情報が入ってくる。
義理の姉は年下の庭師見習いと、義理の妹は年上の家庭教師と、だったろうか。
遊びのつもりだったのだろうが、一度捨てたものは戻っては来ない。
貴族としての教育は受けているのだから、王族の婚姻の条件くらい知っているだろうが、頭も股もゆるい義理の姉妹は、欲望を我慢できなかったのだろう。
「期待していますよ」
自分の娘たちが、とっくに処女を捨てていることなど知らない義理の母親は、そんな言葉をかけている。
私は、笑いを堪えるのに必死だ。
それで油断していたのだろう。
義理の母親と姉妹が部屋から出てくるのに鉢合わせしてしまった。
いつもなら、顔を合わせるのを避けているのに。
「・・・邪魔よ。どきなさい」
冷徹な声が義理の母親から発せられる。
「はい。奥様」
言われるがまま廊下の端に寄り、頭を下げる。
この女は、私に『奥様』と呼ぶことを強要する。
自分の娘は『お嬢様』だ。
家族に対する態度ではないが、今さら逆らう気もない。
頭を下げたまま、三人がいなくなるのを見送る。
「せいぜい頑張ればいいわ。王子に気の迷いでも起きれば、愛妾になれる可能性ならゼロではないでしょう」
その後、三人は馬車に乗り込んで出かけていった。
話していた王城へ向かったのだろう。
私はいつものように雑用をこなし、いつもより少しだけ早めに切り上げて食堂へ向かう。
あの三人がいないのだから、このくらいはいいだろう。
空腹を感じながら食堂へ入ろうとしたところで、使用人達の声が聞こえてきた。
「でも、お嬢さんも不憫よね」
食堂の扉を開けようとする手が止まる。
『お嬢さん』とは、私のことを指す。
義理の姉妹を指すときは『お嬢様』だ。
義理の母親が指示したことなのか、使用人達が自発的にそう言い分けているのかは知らないが、とにかく区別されている。
「今日も私達より遅くまで働いているんでしょ?」
「そうそう。誰でもできる雑用ばっかりだけどね」
どうでもいいけど、今日は立ち聞きする機会に恵まれる。
意図してのことではないけど、悪いことをしている気になる。
「他のお嬢様たちは王城の舞踏会に行ったんでしょ?」
「気合を入れていたわね。王子様にアピールするって言って」
「お嬢さんは、やっぱり置いていかれたんだ?」
「いつものことでしょ」
私の境遇に同情はしているが、助けたいと思っているわけではないようだ。
それはそうだろう。
使用人達は、ほとんどが平民の出身だ。
貴族に逆らってまで、他人を助けるような人間なんかいない。
でも、それだけじゃないようで、たまに、私を見下したような声色が混ざる。
「お嬢さんがいてくれて、私たちは助かっているけどね」
「面倒な仕事はお嬢さんにお願いしちゃえばいいしねぇ」
「こら、あなたたち。お嬢さんは、あなたたちの部下じゃないのよ。あれでも一応は貴族なのだから」
「そういうメイド長だって、お嬢さんに面倒な雑用ばかり押し付けているじゃないですか」
「適材適所です。世間知らずの貴族のお嬢さんができる仕事なんか限られていますから」
「でも、お嬢さんが働いている年月って、私たちより長いですよね。子供の頃からみたいですし」
私は、そっとその場を離れると、自分の部屋へ向かった。
「ふぅ」
お腹が空いていないわけじゃない。
むしろ、身体を動かす雑用をしていて、空腹を感じている。
でも、あのまま食堂に入る気にはならなかった。
聞いていない振りをして、笑顔を取り繕うのも疲れる。
「・・・・・」
別に怒っているわけじゃない。
やっぱりな、と思うだけだ。
使用人達にすら見下されて、いいように使われていることは、感じていた。
腹も立たない。
結局のところ、私は疲れているのだ。
そして、諦めているのだ。
境遇のことも、将来のことも、そして幸せになることも。
ただ、少しだけ理不尽に感じるだけだ。
義理の母親や姉妹にも、屋敷の使用人達にも、私は何も嫌がらせなんかしていない。
だけど向こうはしてきている。
不公平じゃないだろうか。
でも、だからと言って仕返しをすれば、私は自分の立場を今よりも悪くするだけだろう。
何か見つからずに仕返しをする方法でもあれば、話は別だが。
「そう言えば・・・」
ふと、思い出す。
以前、屋敷の敷地内で倒れていた、魔女を名乗る老婆を助けたことがある。
魔女は助けた礼に一冊の本をくれた。
「魔術書っていうくらいだから、気付かれずに悪戯する方法の1つくらい載っているかな?」
存在自体を忘れていた本を引っ張り出して、読み始める。
どうせ食事をするはずだった時間が丸々空いたのだ。
読書に当てるのもいいだろう。
本当に魔術の使い方が書かれているなんて信じているわけじゃないが、暇つぶしにはなるはずだ。
そう思い、読み進める。
「・・・・・」
どのくらい時間が経過したのだろう。
使用人達が立てる生活音も聞こえない。
ずいぶんと夜遅くまで読みふけってしまったらしい。
「ちょうどいいから、試してみようかな」
これから試すのは、普通の人間なら頭がおかしくなったかと思われるような行為だ。
あまり人に見られたくはない。
「必要なものは・・・・・床に魔法陣を描くインクと、呼び出した対価に渡す生贄と、呼び出した者を識別するための術者の血か」
それは、とある存在を呼び出すための方法だった。
考えていたほど、おどろおどろしい儀式などは書かれていなかった。
「インクなんか無いし、どうしよう」
紙やインクは高価なものだ。
貴族なら手に入れるのは難しいものではないが、貴族としての扱いを受けていない私が持っているはずもない。
「要は床に描くことができればいいんだよね?暖炉の灰を使えばいいか」
それなら、私も掃除で手に入れることができる。
私は夜中にも関わらず暖炉から灰を取り出し、自分の部屋に持ってくる。
身体や服が灰で汚れてしまったが、気にしない。
どうせ、いつものことだ。
これくらいなら、見られても不審に思われることはないだろう。
私は、自分の部屋の床に、魔術書に載っていた魔法陣を、灰で描いていく。
私の部屋は物置みたいな場所だ。
はっきり言って、使用人達の部屋よりも粗末だ。
でも、だからこそ、灰で汚れたとしても、誰も気にも留めないだろう。
「あとは、生贄を捧げて、魔法陣に自分の血を垂らせばいいんだけど・・・」
生贄にするものは決めている。
倫理的に最低であることは自覚しているが、迷うことはない。
全く愛着が無いからだ。
それに、この本に載っている内容は、頭のおかしい人間が書いたもので、全くのデタラメの可能性もあるのだ。
いや、そちらの可能性の方が高いだろう。
だから、私はきっと、何も起こらない魔法陣を前にして自分の行動を恥ずかしく思い、誰にも知られないうちに夜中に床を掃除することになるのだろう。
そう思うと、気持ちが軽くなった。
ナイフで少しだけ指先を傷つけて、魔法陣を描いた床に垂らす。
「私の名前はシンデレラ。呼び出しに応えて姿を現せ。生贄には・・・この屋敷にいる、私以外の人間を捧げる」
この屋敷にいる使用人達は、私の父親が雇用している。
雇用とは言っても、父親は貴族で使用人達は平民だ。
そこには絶対的な身分の差がある。
使用人達は奴隷ではないが、父親の持ち物に近い。
そして、私は血縁上は父親の血を引いている。
私がどんな扱いを受けているか知らない者からすれば、私にも使用人達の所有権の一部があるように見えるかも知れない。
私は、そう考えたのだ。
「・・・・・」
しばらく待つ。
「・・・・・・・・・・」
もうしばらく待つ。
「・・・・・・・・・・・・・・・はぁ」
さらにしばらく待った後に、溜息を吐いた。
「掃除道具を取りにいかなきゃ」
半ば予想していたことではあったが、何も起こらないことに落胆し、魔法陣に背を向けて部屋を出ていこうとする。
ぞくり。
屋敷の中の空気が変わったことが分かった。
背後から感じる存在感に背筋が震える。
森で獣に出会ったときのように、圧倒的な強者の息遣いを感じる。
恐る恐る振り返ると、そこにはいつの間にか一人の人物が佇んでいた。
先ほどまでは間違いなく居なかった。
「これはこれは。ひしぶりに私を呼び出した人間がいたかと思えば、美しいお嬢さんだとは」
老執事風のその人物は、品定めするように、こちらを眺めながら声をかけてくる。
「身にまとう灰すらも、あなたの美しさを引き立てているかのようだ。さしずめ、灰かぶり姫といったところですかな」
歯の浮くような台詞とともに、私に対して貴族の礼をしてきた。
屋敷の廊下を掃除したいたときに、それは聞こえてきた。
「あなた達、わかっているわね。しっかりと、王子様にご挨拶するのよ」
「はい、お母様」
「わかっていますわ」
義理の母親と姉妹の声だ。
どうやら今日は王城に行くらしい。
私には関係ないことだが、清々するのは確かだ。
出かけている間は、いびりに来ることもない。
そんなことを考えている間にも、義理の母親と姉妹の話は続く。
「王子様に見初められれば、正妃になるのも夢ではないわよ」
「まあ、素敵」
「でも、お母様。王子様には隣国のお姫様との婚約の話もあるようですけど」
「側妃でもいいわ。王族と繋がりができるだけでも、素晴らしいことですもの」
どうやら義理の母親は、夢見がちな子供のようなことを考えているらしい。
自分の娘を王子に嫁がせたいようだ。
三流貴族の娘に王子が婚姻を申し込むはずもないが、そもそも前提条件を満たしていないので、正妃や側妃になるのは無理だろう。
義理の姉妹は、容姿はまあそこそこといったところだろう。
絶世の美女というわけではないが、眼を逸らすような不細工というわけではない。
貴族は見た目が良い相手を選んで結婚するから、これは不思議なことでもない。
性格は良いとは言えないが、貴族はどいつもこいつも似たようなものだ。
猫を被ることができるのなら、なんとでもなるだろう。
だが、容姿や性格などはどうでもいいことだ。
前提条件はそこではない。
王族は血筋を重視する。
貴族もその傾向はあるが、王族は徹底している。
王族は、国を支配する権利を持つ根拠を、血筋によるものだとしている。
国は初代の王が建国したものだ。
つまり、国は王の持ち物。
そして、自分達は初代の王の子孫。
だから、自分達に国を支配する権利があるという理屈だ。
優秀さなど関係ない。
優秀な者が国を治めるということになれば、自分達が国を支配できなくなるから、王族はそれを認めない。
平民が考えてもおかしな理屈ではあるが、誰もそれを指摘しない。
現時点で王族が権力を持っていることは確かなことで、それに逆らえば反逆罪として処罰されることがわかっているからだ。
まあ、そんなわけで、王族はどこの馬の骨かもわからない血が、自分達の血族に入るのを嫌う。
そして、それを防ぐために効果的な方法は限られている。
王がハーレムに妃たちを隔離することなどは、その典型的な例だ。
さらに、王が妃を選ぶ前提条件も決まってくる。
つまり、処女かどうかだ。
男性が性交渉を持ったことがあるかどうかを確認することは難しい。
しかし、女性が性交渉を持ったことがあるかどうかを確認することは簡単だ。
処女であれば、性交渉を持ったことはない。
「頑張りますわ」
「わたくしも」
義理の姉妹が、義理の母親に答えている様子が、滑稽で仕方がない。
屋敷の使用人達の噂話を聞いていれば、色々な情報が入ってくる。
義理の姉は年下の庭師見習いと、義理の妹は年上の家庭教師と、だったろうか。
遊びのつもりだったのだろうが、一度捨てたものは戻っては来ない。
貴族としての教育は受けているのだから、王族の婚姻の条件くらい知っているだろうが、頭も股もゆるい義理の姉妹は、欲望を我慢できなかったのだろう。
「期待していますよ」
自分の娘たちが、とっくに処女を捨てていることなど知らない義理の母親は、そんな言葉をかけている。
私は、笑いを堪えるのに必死だ。
それで油断していたのだろう。
義理の母親と姉妹が部屋から出てくるのに鉢合わせしてしまった。
いつもなら、顔を合わせるのを避けているのに。
「・・・邪魔よ。どきなさい」
冷徹な声が義理の母親から発せられる。
「はい。奥様」
言われるがまま廊下の端に寄り、頭を下げる。
この女は、私に『奥様』と呼ぶことを強要する。
自分の娘は『お嬢様』だ。
家族に対する態度ではないが、今さら逆らう気もない。
頭を下げたまま、三人がいなくなるのを見送る。
「せいぜい頑張ればいいわ。王子に気の迷いでも起きれば、愛妾になれる可能性ならゼロではないでしょう」
その後、三人は馬車に乗り込んで出かけていった。
話していた王城へ向かったのだろう。
私はいつものように雑用をこなし、いつもより少しだけ早めに切り上げて食堂へ向かう。
あの三人がいないのだから、このくらいはいいだろう。
空腹を感じながら食堂へ入ろうとしたところで、使用人達の声が聞こえてきた。
「でも、お嬢さんも不憫よね」
食堂の扉を開けようとする手が止まる。
『お嬢さん』とは、私のことを指す。
義理の姉妹を指すときは『お嬢様』だ。
義理の母親が指示したことなのか、使用人達が自発的にそう言い分けているのかは知らないが、とにかく区別されている。
「今日も私達より遅くまで働いているんでしょ?」
「そうそう。誰でもできる雑用ばっかりだけどね」
どうでもいいけど、今日は立ち聞きする機会に恵まれる。
意図してのことではないけど、悪いことをしている気になる。
「他のお嬢様たちは王城の舞踏会に行ったんでしょ?」
「気合を入れていたわね。王子様にアピールするって言って」
「お嬢さんは、やっぱり置いていかれたんだ?」
「いつものことでしょ」
私の境遇に同情はしているが、助けたいと思っているわけではないようだ。
それはそうだろう。
使用人達は、ほとんどが平民の出身だ。
貴族に逆らってまで、他人を助けるような人間なんかいない。
でも、それだけじゃないようで、たまに、私を見下したような声色が混ざる。
「お嬢さんがいてくれて、私たちは助かっているけどね」
「面倒な仕事はお嬢さんにお願いしちゃえばいいしねぇ」
「こら、あなたたち。お嬢さんは、あなたたちの部下じゃないのよ。あれでも一応は貴族なのだから」
「そういうメイド長だって、お嬢さんに面倒な雑用ばかり押し付けているじゃないですか」
「適材適所です。世間知らずの貴族のお嬢さんができる仕事なんか限られていますから」
「でも、お嬢さんが働いている年月って、私たちより長いですよね。子供の頃からみたいですし」
私は、そっとその場を離れると、自分の部屋へ向かった。
「ふぅ」
お腹が空いていないわけじゃない。
むしろ、身体を動かす雑用をしていて、空腹を感じている。
でも、あのまま食堂に入る気にはならなかった。
聞いていない振りをして、笑顔を取り繕うのも疲れる。
「・・・・・」
別に怒っているわけじゃない。
やっぱりな、と思うだけだ。
使用人達にすら見下されて、いいように使われていることは、感じていた。
腹も立たない。
結局のところ、私は疲れているのだ。
そして、諦めているのだ。
境遇のことも、将来のことも、そして幸せになることも。
ただ、少しだけ理不尽に感じるだけだ。
義理の母親や姉妹にも、屋敷の使用人達にも、私は何も嫌がらせなんかしていない。
だけど向こうはしてきている。
不公平じゃないだろうか。
でも、だからと言って仕返しをすれば、私は自分の立場を今よりも悪くするだけだろう。
何か見つからずに仕返しをする方法でもあれば、話は別だが。
「そう言えば・・・」
ふと、思い出す。
以前、屋敷の敷地内で倒れていた、魔女を名乗る老婆を助けたことがある。
魔女は助けた礼に一冊の本をくれた。
「魔術書っていうくらいだから、気付かれずに悪戯する方法の1つくらい載っているかな?」
存在自体を忘れていた本を引っ張り出して、読み始める。
どうせ食事をするはずだった時間が丸々空いたのだ。
読書に当てるのもいいだろう。
本当に魔術の使い方が書かれているなんて信じているわけじゃないが、暇つぶしにはなるはずだ。
そう思い、読み進める。
「・・・・・」
どのくらい時間が経過したのだろう。
使用人達が立てる生活音も聞こえない。
ずいぶんと夜遅くまで読みふけってしまったらしい。
「ちょうどいいから、試してみようかな」
これから試すのは、普通の人間なら頭がおかしくなったかと思われるような行為だ。
あまり人に見られたくはない。
「必要なものは・・・・・床に魔法陣を描くインクと、呼び出した対価に渡す生贄と、呼び出した者を識別するための術者の血か」
それは、とある存在を呼び出すための方法だった。
考えていたほど、おどろおどろしい儀式などは書かれていなかった。
「インクなんか無いし、どうしよう」
紙やインクは高価なものだ。
貴族なら手に入れるのは難しいものではないが、貴族としての扱いを受けていない私が持っているはずもない。
「要は床に描くことができればいいんだよね?暖炉の灰を使えばいいか」
それなら、私も掃除で手に入れることができる。
私は夜中にも関わらず暖炉から灰を取り出し、自分の部屋に持ってくる。
身体や服が灰で汚れてしまったが、気にしない。
どうせ、いつものことだ。
これくらいなら、見られても不審に思われることはないだろう。
私は、自分の部屋の床に、魔術書に載っていた魔法陣を、灰で描いていく。
私の部屋は物置みたいな場所だ。
はっきり言って、使用人達の部屋よりも粗末だ。
でも、だからこそ、灰で汚れたとしても、誰も気にも留めないだろう。
「あとは、生贄を捧げて、魔法陣に自分の血を垂らせばいいんだけど・・・」
生贄にするものは決めている。
倫理的に最低であることは自覚しているが、迷うことはない。
全く愛着が無いからだ。
それに、この本に載っている内容は、頭のおかしい人間が書いたもので、全くのデタラメの可能性もあるのだ。
いや、そちらの可能性の方が高いだろう。
だから、私はきっと、何も起こらない魔法陣を前にして自分の行動を恥ずかしく思い、誰にも知られないうちに夜中に床を掃除することになるのだろう。
そう思うと、気持ちが軽くなった。
ナイフで少しだけ指先を傷つけて、魔法陣を描いた床に垂らす。
「私の名前はシンデレラ。呼び出しに応えて姿を現せ。生贄には・・・この屋敷にいる、私以外の人間を捧げる」
この屋敷にいる使用人達は、私の父親が雇用している。
雇用とは言っても、父親は貴族で使用人達は平民だ。
そこには絶対的な身分の差がある。
使用人達は奴隷ではないが、父親の持ち物に近い。
そして、私は血縁上は父親の血を引いている。
私がどんな扱いを受けているか知らない者からすれば、私にも使用人達の所有権の一部があるように見えるかも知れない。
私は、そう考えたのだ。
「・・・・・」
しばらく待つ。
「・・・・・・・・・・」
もうしばらく待つ。
「・・・・・・・・・・・・・・・はぁ」
さらにしばらく待った後に、溜息を吐いた。
「掃除道具を取りにいかなきゃ」
半ば予想していたことではあったが、何も起こらないことに落胆し、魔法陣に背を向けて部屋を出ていこうとする。
ぞくり。
屋敷の中の空気が変わったことが分かった。
背後から感じる存在感に背筋が震える。
森で獣に出会ったときのように、圧倒的な強者の息遣いを感じる。
恐る恐る振り返ると、そこにはいつの間にか一人の人物が佇んでいた。
先ほどまでは間違いなく居なかった。
「これはこれは。ひしぶりに私を呼び出した人間がいたかと思えば、美しいお嬢さんだとは」
老執事風のその人物は、品定めするように、こちらを眺めながら声をかけてくる。
「身にまとう灰すらも、あなたの美しさを引き立てているかのようだ。さしずめ、灰かぶり姫といったところですかな」
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