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春を呼ぶ指揮棒
しおりを挟む千本の針の降るような雨。グレーの空。チェック状に並ぶ石畳の道を蹴り、
駅前のロータリーを曲がった私は、市内最大の映画館「シネマ・キッド21」の入り口で、ピンク色のパラソルに付いた雨粒を払った。
私の名は岩崎奈留美。
都内「聖悠中学校」で吹奏楽部に所属する三年生の乙女。
今日は今話題の映画であり、私の好きな音楽を題材にしている「最後の展覧会」を鑑賞するために、映画館へとやってきたの。
実は、その主題歌に使われているムソルグスキー作曲「展覧会の絵」が、今度我が聖中吹奏楽部も参加する県の吹奏コンクールの候補曲にもなっているし、
今回の鑑賞って、結構合理的な鑑賞ってわけなのよね。
この日のために新調したスーツの裾を汚さぬよう、受付へと向かい、美味しそうにココアを飲んでいたお姉さんに前売り券を渡す。
エレベーターホールで、エレベーターを待ち、ドアが開いた途端、
イチ、ニイ、サンで中へ向かって、ふぅわり、ポン。
目的地の三階に到着した私は、雨のせいで体を冷やしたせいか、お手洗いに行きたくなってしまった。
そういうことで、廊下の右手にあるお手洗いへと駆け込む。
どっっくんっこっ。
突然のアクシデント。気が付いたら、肩に激痛。
「大丈夫。お怪我はない」
お手洗いの扉を右手で開いた瞬間、中から出てきた黒スーツを着たお姉さんの左肩と、自分の左肩とをごっつんこさせてしまった私は、
「私の方こそ、不注意ですいません」
と、頭を下げた。
はしたないことに、ぶつかった拍子に声を上げた後で。
回りを見渡すと、周囲には、廊下を清掃中の二人の清掃婦と、左斜め後ろ数メーターの位置にある自動販売機の前で、
買ったばかりらしい缶ジュースのプルタブを開けようとしている帽子を被った中年男性ぐらいか?
だから、ほっとしちゃった。
だって、大勢の人の前で、自分の失態を見せることほど、恥ずかしいことはないもの。
お手洗いを済ませ、すぐに上映室へと駆け込む。何故って、それは今が上映開始時刻の一分前だから。
ドアを開閉後、暗黒の大星雲の中に呑みこまれるような感覚に襲われた私は、ハイヒールの音に注意しながら、席を探した。
一階は割と埋まっているけれど、二階の方は比較的空いているみたい。目線だけで、めぼしい席を見つけた私は、ずれていたハンドバッグを掛け直して、一歩一歩階段を上った。
席に着いたと同時にブザーが鳴り、背後から一筋の光が銀幕を目指して、進んでいく。まるで航路を行く船のように。
なんてね、私も結構詩人なんだわ。最近、シェリーの詩集とかを図書館で借りて読んでるしね。
今、学校で話題になっている「三人のマドンナ」っていう映画の予告編が始まり、続いて三本ほど予告編が続いた後、待望の「最後の展覧会」が始まった。
その時、私の座った席に面する階段を上がってくる人影が見えた。
さらに近づく影。目線だけで、画面と影とを交互に追いかけていると、影は私の真横で立ち止まり、そのまま座席に落ち着いた。
そう、私の横に着席したのだ。正確に言うと、一つ空席を挟んだその真横。
年齢は高校生ぐらいだろうか、髪の毛はサラサラで肩に少しかかり、暗いから確かではないかもしれないけれど、
銀色のワイシャツに、ネクタイをはめているみたい。クラスでも男の子とそんなに話さなくなって久しい私なだけ、
ちょっと胸キュンしちゃったんだね。
でも、変なロマンスとか期待しちゃってもあれだしさぁ。
いやいや、映画に集中しなきゃあ。
顔を前へ向けると、折れた絵筆の散らばる狭い部屋の中で、キャンバスに向かう画家の憂いを帯びた横顔が映り、
鳥かごの隙間から零れ落ちた鳥の羽根が、床に投げられた一通の封筒の上に落ちていくシーンが目の前で展開されていた。
その手紙は、田舎に住む彼の両親から届いたものらしく、その後、彼がその手紙に書かれてあった両親からの願いに対し、
ある約束を交わす。そんな画家の人生が私の目の前を流れていく。
ふと、横に座る学生風の少年を見ると、その瞳が恐いぐらいにまっすぐで、映画の中へ入り込んでいる。そんな様子だった。
でも、ちょっと気になるのは、彼の鞄から覗く一本の指揮棒。彼も私と同じように吹奏楽をやっているのだろうか。
映画もクライマックスを迎えて、故郷へ帰ってこいよと、度々手紙を寄越す両親との約束を賭けた最後の展覧会を行うシーン。
ここで、ある集客数に届かなかったら、田舎へ帰る。それが、彼が両親と交わした約束だった。
ラストシーンで、画家の展覧会に訪れた両親と再会する彼の目には、彼が今までの人生で一番、意味のある嬉し涙を流しているみたいに私には感じられて、
すごく胸が一杯になってくる。それに、バッググラウンドに流れるムソルグスキーの「展覧会の絵」と、とっても合っていて、
私の胸は嘘偽りなく映画の世界の中に吸い込まれていきそうになってしまった。
「ああ、とっても綺麗な映画だったわ」
ムソルグスキーの曲と共に字幕が流れる画面を見つめながら、私はふっと心の声を漏らした。
「同感だよ。本当にいい映画だったね。だけど君も、この映画に何か思い入れがあるのかい」
突然、一つ空いた隣席の学生が私の方に眼差しを向け、そう囁いてきた。
「いえ、私は思い入れと言うほどのものは……」
急に声をかけられたせいか、言葉が出てこない。でも、彼の瞳を見て私は、真剣に答えようと思った。
それは彼の瞳にうっすらと潤う粒状のものを見つけたからだ。
「そう言うあなたの方こそ、何か思うところがあって、今日は足を運ばれたんですか」
「実はね、この映画で使われてる曲は、とあるオーケストラに所属していた俺の父親がね、最後に指揮をした曲なんだよ」
「この展覧会の絵が。だからあなたは指揮棒を。じゃあ、やっぱりあなたも吹奏楽を」
私は、彼の言葉に興味を持ってしまった。
「ううん、残念ながら俺は指揮はやっていないし、吹奏楽部にも所属していない。
だけど、二年前に亡くなった親父の代わりに今日は、親父が一番得意としていたムソルグスキーの「展覧会の絵」を主題歌に使ってるこの映画を鑑賞しに来たんだ。
それに、今日は親父の命日だしね」
「そうだったんですか。それじゃあ、今日はとっても大切な日ですね」
私は、彼の胸に秘めた動機を聞き、一本の映画を観に来る観客一人一人にもドラマが存在していることに気付かされた。
ちょっぴり悲しいけど、彼のドラマは、なんて素敵なドラマなんだろう。
「でも、いい供養になったと思うよ。この俺が分身だと思ってる指揮棒に聴かせてやれたからね」
「あっ、じゃあその指揮棒は、お父さんの形見なんですか」
「そう。最後に棺おけに入れるのを待ってもらって俺が手に入れた、もう一つの親父の亡き骸。
ごめん、もう映画も終わっちゃったし、長話してしまって。それより、そろそろ出た方がいいかな」
「いえ、実は私も吹奏楽をやっているんです。それで、今度のコンクールの課題曲になっている
ムソルグスキーの「展覧会の絵」をメインに使ってる映画を観にきたから、あなたの話は、とっても胸に染みました。いいお話を聞かせてくれてありがとう」
「そうだったんだ。あっ、敬語はいいから。それに俺たち、そうそう年齢にも差がないだろうし」
「お幾つですか」
「俺は十五。中学三年生をやっている。それと名前もまだだったね、俺の名は白馬小路三世。君は」
「じゃあ私と同じだわ。少し大人びて見えたから、高校生かと思ってたけど、私の名前は岩崎奈留美。聖悠中学に通ってます」
「聖悠だったら市内だね。じゃあ、今度君のやるコンクールへ足を運ぶとするよ、それじゃあ今日は、握手をして別れようか」
私は、彼の差し出す手に手を差し出した。その時、うつむいた私の胸元から、ある物が無くなっていることに気が付いて、握る手をすぐに引っ込めてしまった。
「どうしたの」
「お母さんから、誕生日プレゼントにもらったブローチが無くなってるんです」
「結構高価なものなのかい」
「そりゃあ、とっても。あぁ大変」
私はブローチをはめていた左胸辺りをさすりながら即座に席を立つと、座席周囲を隈なく探すことにした。親切なことに、隣の彼も一緒になって探してくれる。
「ねえ、ここに来る途中で落としたってことはないかい」
長身の彼。いや名前を呼ぼう、白馬小路君が、そう口にする。
「そういえば私、ここへ座る前にトイレでOL風の女の人とぶつかってたわ」
次第に言葉使いも悪くなるけど、
彼の言ってくれた「敬語はいいよ」って言う言葉に甘えよう。
「それだ、トイレへ行こう」
「うん」
もちろん、自分の上がってきた階段は注意深く探しながらも、白馬小路君と一緒に廊下へ出る。
廊下には出口へと向かう人の列が並んでいて、何度か肩がぶつかりそうになったけど、幸いなことにそれは出入り口付近だけで、廊下自体は比較的空いていた。
「ここなの、このトイレ」
グレイのスーツに身を包んだ私の指先を、彼の目線も追ってくれる。
「岩崎さん、で、君はトイレの中に入った時にそのOLさんとぶつかったの、それとも出てきた時にぶつかったの」
「それは、入る時よ」
「じゃあ、その後、君はトイレへと入ったわけだね。なら、手を洗う際、鏡は見なかったのかい」
「それが私、急いでたから、その時にブローチまで見ていないの。だから、ごめんなさい、わからないとしか言いようがない」
「謝らなくてもいいけど。じゃあ、最後にブローチを確認した場所は」
「ここの入口で傘を畳んでいた時よ、畳んだ際にふと目に付いたから」
「なるほど」
「それで私、受付を済ませた後、エレベーターでこの三階まで上がってきて、それからトイレへ。
やっぱりここでぶつかった時に落としたんだと思う。だって、それまで人とすれ違ってもいないもの。
だから、あの時以外に考えられないわ」
私の言葉が終わるのも待たず、彼はトイレ周辺を探し始めてくれた。だけど、なんて優しい人なんだろう。
さすがに彼は男子だから、女子トイレの中までは入れないので、私はトイレの中を担当し、五分ほど探すことに。
図
自販機
|・ |
| |
| |
|岩崎 |
| ○ ○ OL風の女性
| \
| |
| |
「もう駄目、見つからない。きっと誰かに持っていかれちゃったんだわ」
「君がトイレにいる間、受付に電話して、落し物を確認してもらったけど、届けられてはなかった。だけど、まだ気を落とすことはないさ。
トイレ周辺にないってことはね、別の角度から見てみると、意外なところに落とし穴が存在しているかもしれない」
この人は、なんと言うことを言う人だろう。私の発想にないことを口にする彼に、私は益々興味を惹かれてしまう。
「ねえ、その際、周囲に人はいなかったかい」
「そう言えば、掃除のおばさんと、自動販売機でジュースを買ってる人がいたぐらいかな。他には誰もいなかったわ」
「掃除婦か、だけどおかしいな、その掃除婦が廊下を清掃中にブローチが落ちたのなら、掃除婦が気付くだろうに。結果、受付にも連絡がいってるはず。
彼女の用いていた道具は、機械式だったかい」
「それが、床クリーニングはもう終わっていたみたいで、二人いた一人が機械を片付けていたところだったようなの。でね、もう一人の人が、
床をチェックしてくれたんだけど、見つからないの」
「そうなんだね」
親指を、顎の下に添えながら、廊下の壁へと彼はもたれる。
しばらく、二人の間に沈黙が続いた。
ふと、彼のバッグから飛び出す指揮棒が目に付き、しばらく指揮棒を見つめた。
「喉、乾かないか?」
「え、えぇ」
そう答えると、彼は自販機の方に向かった。そして振り向きざまに、
「何がいい?」
と尋ねる
「うん、私も行く」
自販機へと向かい、私はカルピスを押した。
お金を払おうとしたが、彼がいいよというジェスチャーをして、出てきたカルピスを手に、私へと渡してくれた。
「ありがとう、白馬小路君」
そして、彼はのコカ・コーラを手に、傍にあるベンチへと、二人して腰掛けた。
数分が経過した。ふと彼は顔を上げて、こう言った。
「犯人が、わかったよ」
「えぇっ? 本当なの?」
「あぁ、君の大切なブローチを持っている、ジョーカーがね」
「本当、そ、それは誰なの?」
「少し飛躍してるかもね、犯人は、そこにいるはずだ」
私は、彼の指差したその先に目線を走らせる。
だけど、そこには人なんて、どこにもいない。
「白馬小路君、からかわないでよ。誰もいないわよ。
まさか、透明人間が犯人だって、いうんじゃないわよね?」
「面白いね、君って。ははっ」
「からかってるの?」
「いや、そうじゃないさ。
ホラ、よく見てごらん、あそこに、ある物が存るよね?」
再度、彼の指差す先を見つめた。
「ううん、今、このカルピスを買った自動販売機しかないわ……」
「そうだよ」
「えっ」
「行ってみよう」
スッと立ち上がった彼に、私は続く。
「さぁ、取り出し口の透明カバーをね、開けてごらん」
「んっ、んんっ」
彼の言葉に促されるまま私は、取り出し口のカバーを上に開いた。
そして、半信半疑のまま、中を観て、手を入れて、中を隅々まで探してみる。
「あっ、あったわ!
白馬小路君。こんなところに、あったわ!」
私は、驚きのあまり、声を上げた。
「そうだろぅ」
「え、えぇ!
で、でもどうしてなの、何故、こんなところに?」
「うん。考えてみたんだ。
まずね、君の左胸にはめていたブローチが、トイレで紛失した場合、どんな状況が考えられるだろうって」
「うん、うん」
「きっと君はね、右手でドアを開けた際にすれ違いざまに出てきたOLさんの左肩と、左肩とをぶつけた。
そして、その拍子にブローチはある場所までジャンプしたんじゃないかってね」
「あっ」
「そう、そして、理屈からも、方角は、君の立ち位置から考えて、おそらくは左斜め後ろ。
だけどね、その場所は、床ではないと、君の情報からわかったからね。
そこで残された場所を推測するに、該当する場所は」
「それが自動販売機」
「そう、自販機。その取り出し口の中だと、俺は、目を付けた」(図参照)
自販機
↓
|・ |
| |
|岩崎 |
| ○ ○ OL風の女性
| \
| |
| |
「なるほどぉ、白馬小路君、探偵みたいだわ。だから、ここにあったのね。
えっ、でも待って」
「何を」
「だって、自動販売機の方へとブローチが飛んだっていうところまでは私にも理解できるけれど、
でもおかしいよ、どうして取り出し口の中
だってことまで言えるの?
だって、いくら物が飛んだとはいえ、カバーで閉じらている取り出し口には入らないわよね?」
「確かにね、でもそこはね、
こういう理由で、不思議な状況が生まれたんだよ」
「不思議な状況?」
「うん、君はさっき、こう言ってたよね。
自販機の前には、ジュースを買っていた人がいたって」
「うん、確かに」
「その時にね、入ったのさ」
「えっ?」
「君のブローチは。
正確には、その男性がジュースを取り出そうと、取り出し口を開いた時にさ、入ったんだよ!」
「あっ! ど、同時だったの」
「そう。
そして、だから、その時、自販機から離れた男ではなく、自販機でジュースを買っている男を観たと、君は記憶していたわけさ。
そう、それならば、辻褄は合うだろう」
「スゴイ! なるほどぉ!」
私は彼に感心してしまった。
「んっ、でもでも、ならば、どうして?」
「んっ」
「でも、あの時、取り出し口を開いたおじさんは、どうして、私のブローチが入ったことには気付かなかったのかな?」
「ジュースを取り出す際に、すぐ脇からそこへ入ったのなら、音もするよね?」
「それはね、君のとったある行動によって、気付けなかったんだ」
「気付けなかった?」
「それはね、君はOLさんとぶつかった拍子に、声を上げたからさ」
「あっ」
私は、掌を口に当てた。
「その男の視点に立ってごらん。
今からジュースを取ろうと、取り出し口へと手を伸ばした時にね、背後から聞こえた声に釣られて、彼は後ろを振り返った。と俺は読んだ。
で、その拍子にね、君のブローチは、飛び込んでいったんだよ、自動販売機の中へね。
実際に、取り出し口の中にあったんだし、この推測は、当たっただろう」
「納得! 凄い、凄い推理ね、白馬小路君」
そう、実際に、中にあった。それが何よりも証拠だ。だけど、ブローチが、こんなところに舞い込んでしまったなんて。ビックリだわ。
「あっ、あなたは、どんなクラブに所属してるの」
「何故に、そんなことを?」
「私、とってもあなたに興味が出てきたみたい。だから教えてほしいな」
「……探偵」
「探偵?」
「探偵クラブさ。でもね、部員は俺一人だけれどね」
「探偵クラブ?
で、でもどうして、たった一人でそんな部活なんかを」
「ある目的があってね」
「目的」
「……」
突然彼は言葉を止めて……静かに上唇を開いた。
「これから行く場所についてくるかい。もしかしたら、君がそこに行けば、俺の目的が理解できるかもしれない」
私は少し考えて「はい」と答えることにした。
一体、これから行く先には、何が待ちかねているんだろう。
私はゆっくりと歩き出した彼の背中へと続き、エレベーターホールの方へ向かった。
エレベーターで一階まで降りて、女子高生が山を作ってるせいか、狭くなった受付前を通って映画館を後にする。
相変わらず人通りの多い、駅前のメインストリート。
水溜りに反射する光の粒が、時々目の中に刺さるようで、眩しい。
新調したハイヒールだけあって、そろそろ靴擦れが始まりそうな予感を抱えながら、背の高い彼の後をただただついていく。
もう角を何度曲がっただろう、交差点の信号に何回足止めを食らっただろう。
もちろん、記憶できる範ちゅうの数ではあるけれど、私と彼との、
この冒険の時間は、何故だか時間が止まったみたいにスローモーション。
時間の経過そのものがスローテンポに過ぎていく。
駅前から歩き出して、ここまでの道のりの間、ずっと無言を通してる、彼の背中。なんだか哀愁がにじんでいるみたい。
ということは、これから行く目的地は、何だか悲しい場所なんだろうか。
「ここだよ、ここが親父がこの世で最後の瞬間を味わった場所。俺にとっての、弔いの場所」
交差点を前にして、彼の唇が、震えるようなトーンで、そう告げた。
表情は硬く、目から、一筋の粒が零れ落ちたのが、端からだけど見えた。
「お、お父さんは、交通事故だったの」
そう言葉を発そうとした瞬間、彼の前で私は何も言えなくなってしまった。こんな場所で、一体何が言える、部外者の私が……。
「親父は……車に撥ねられたのさ……」
彼の言葉に動揺しているうちに、彼の口が素早く動いた。
「ど、どう言うこと、白馬小路君」
ようやく、私の唇も正確に動く。
「実はね、君が信頼できそうな人間だから話すが、俺の父親は音楽家としての顔と、もう一つ秘密の組織…正確には、
その何代目なんだが、その組織と対立する組織か、何者かに殺害されたんだ」
「えぇ!?」
「いや、組織と言っても暴力団とかではないよ。むしろ、古来から続く神道の系統。いや、ただ神道というわけでもなく、この日本史の根源と
繋がっている秘密の教団なのだけれどね、でもある時代から、表立った活動はせずに、海外と、島根県と関東の……と、いや、とりあえず、
地下に隠れて、継承してきたんだ。そして、俺はね、その組織の百数十代目の跡継ぎ……なんだ」
私には彼の言うことが理解できなかった?
そんな秘密の組織が今の日本に現存していることが?
「でもね、警察はきっとお父さんをひき逃げした犯人を捜してくれるはずよ」
「警察? この事件自体、表には出せない…だから父親も、密葬だったんだ」
「密葬?」
「でも探してもらって、白馬小路君」
「んっ、君の身内には、警官でもいるのかい?」
私はドキッとした。
「そ、それは……」
私は、自分の父親が、警視庁の警視総監の最大候補であることを、何故か、彼の前では言えなかった……。
そして、私をいずれ、警官にしたいと、両親は思っていることも……。
「ねえ白馬小路君、聞いていい」
「なんだい」
「じゃあ、さっき言ってた、探偵クラブは、犯人を捜しだすための訓練の場なの?」
「ああ、そのための布石の意味もあるかもしれないね」
「あれをごらん、あそこに石碑があるだろう。あれが親父さ。
指の先には、石碑があった。
「あぁ、俺はこれから、家族会議に出なきゃあならないから、ここで帰るね」
「家族会議? 」
「ああ、今日は親父の命日だしね。夕食時ぐらいは、家にいないとね。親戚中も集まってるから」
「それなら、早く帰ってあげて」
「うん、だけど、ブローチ見つかって、よかった」
「ありがとうございました!」
そしてバス亭に行き、私の方面のバスが先に来たので、乗車口で、お別れを言う。
「白馬小路君。また会いましょう」
「今度は、君の演奏を聞かせておくれよ」
「いいわよ。あっ、私たちってまだ、アドレス交換もしてなかった」
「あぁ、だけど、また会えるよ」
「うん、私もなんだか、そんな気がする。じゃあ」
「そうだ。今度のコンクールに足を運べば、その時が二人の再会のときだ」
「うん、きっと、来てね」
乗車口がしまった。
「親父が最後に指揮した『展覧会の絵』を聴きに、必ずこの指揮棒と一緒に駆けつけるからさ。じゃあ」
「さよなら」
彼へと手を振った。
バスは走り出して、後部座席に座った私は、彼が小さく、小さくなっていくまで手を振った。
そして、シートに深くもたれる。
天井に顔を向け、にんまりとしながら口笛を吹いた。
もちろん曲は、ムソルグスキーの「展覧会の絵」
ごめんなさい、車内で口笛なんて、迷惑なことはわかってる。
だけど今、どうしてもこの曲を奏でたくなったの。
だから乗客の皆さん、少しだけ私のわがままを聞いて、お願い。
十数秒だけでも。幸い車内には前の方に二~三名の乗客だけしかいなかったこともあり、大勢には迷惑をかけずに済んだけれど、
ごめんなさい。
その言葉も口にした。
そして、窓の外の景をぼんやりと見つめる。
探偵クラブの白馬小路三世声君か。
なんだか、とっても繊細な反面、たくましくさもあり、賢くもあり、
それでいてとっても面白くて、不思議な人。
でも、何なのだろう、この胸騒ぎは?
どうやら私は「恋」というものに落ちてしまったのかもしれない?
ううん。そんな言葉では言い表したくない。
私だけの、私が今感じている、手垢の付いた言葉では言い表すことなんてできない
まったく新しい私の心の状態。
新しい呼び名。
どうやらそれを探すために、今晩徹夜しそうだけど、恋という言葉なんかではない、
それまでになかったまったく新しい名称。
それが今の、
私の気持ちかな。
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