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朱兎馬を駆る巫女 4/2 改稿

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 出雲の国の八雲山の麓に、白馬小路(はくばこうじ)家の屋敷は在る。
 白馬小路家。
 この地のかっての大王「大国主大神」
 その時代から密かに続く出雲内の位階で正一位右大臣。
 その座を代々受け継ぐ一級の家臣だ。

 その家の若君である白馬小路龍一に仕える私は、出雲四天王の一人。
 十六夜玄武の一人娘。
 名を十六夜万里と申す。
 年は十七。
 この出雲で代々、巫女を生業としている家の娘である。
 無論、男子が生まれれば、神職を継ぐ。
 それが我が一族の定めであるのだ。

 戦国の世も終わり、徳川の世となり、この地にも近年「松江藩」が設置されることとなった。

 が、しかし、私の仕える「白馬小路」家は、表向きは、文書管理士の一族として出雲大社にも出入りをする神官の一人ではあるのだが、
実は、出雲大社の神職たちでさえも知らない秘密文書を護っている出雲の裏の統治者なのである。
 理由を話せば長くなるので、手短にまとめてみると。
 その昔。大国主大神さまが、国譲りをした際に、大国主大神さまからある者に秘密文書を護るよう託されたそうだ。
 その者の名は、当時から一級の文官であった白馬小路家の主人。
 そして、その後、大国主様は亡き者とはなるものの、神の如くに大国主大神さまを奉り、その臣下として「白馬小路家」を出雲の位階にて、正一位右大臣と定めるという遺言が遂行された。
 一方、戦で亡き者となった出雲一の剣の遣い手であったが、行方不明となった武者。その一人息子が発見されたことで、その子を従一位将軍と定められた。
 そう、正一位右大臣に継ぐ地位である。
 その下に正二位左大臣を置き、将軍から下の階位となる将軍を含む四名を「出雲四天王」とし、白馬小路家を筆頭に、
 出雲の精神は受け継がれてきたのである。
 無論、表は今、天下人となった徳川の臣ではある。
 しかし、白馬小路家を筆頭とする我らは、水面下であろうとも、大国主大神さまにお仕えする心を代々受け継いでいる。
 そう、表向きは徳川の家臣ではあっても、出雲の秘密の書と、三種の神器を受け継ぎ、実質、裏側でこの出雲を統治しているのは、まさしく私のお仕えする
白馬小路家の長男龍一さま。
 その人であられる。
 そして私たちは、その忠臣として、柱を支えている。

 今宵、如月(二月)十日。
 外に雪がうっすらと積もっているが、私のお仕えする白馬小路家に、客人があった。
 聞くところによると、旅先で琴を披露することで生業を立てているという七名の琴弾きの集団だそうだ。
 それは、女官の一人から教えてもらった。
 音楽好きな私としては、是非その演奏をこの目で見たいと、白馬小路さまにお伺いを立ててみることにした。

「そうか、万里も聴きたいと申すか。
では、今宵の宴席へ参るがよい、そして、存分と楽しむがよい」
 そうお返事くださったので、旅の者の琴の演奏を楽しみに待つことにした。

 白馬小路家の客間で待たされていた七人の楽団が、宴会場へ出演する時刻。
 白馬小路さまのお隣で、まだかまだかと待っていた私は、簪を抜いて、何故か自然とリズムを取っていた。
 そう、これも性分であろう。
 幼い頃から身内の奏でる雅楽を聴かされていたせいだろうか、中でも琴の音には、もっとも惹かれるのである。
 しかし、琴だけで構成された楽団の演奏は、本当に待ち遠しいと思っていた。

 戌の刻(午後八時)。
 旅の楽団の演奏が開始された。
 女性六名。男性一名の楽団は、一礼し、琴の前へと腰を掛けた。
 そして、中央の黒衣の男性奏者、おそらく楽団の長であろう者が、皆より深い礼をして、こう始めた。
「皆さま、本日は私どものために、この演奏の場をご用意いただき、ありがたき所存でございます。
私どもはこの七つの琴、七頭の馬にて全国を回らせていただいております旅の奏者でありますが、本日はこの御殿の若君である白馬小路さまをはじめ、
皆さま方に、感謝を申し上げます。
それでは、ごゆるりと、演奏の方、お楽しみくださいませ」

 年の頃は三十の中頃だろうか、黒衣の奏者の挨拶が終わると、七重奏は開始された。
 涼しげな和琴の音色が、宴席をまろやかに包んでゆく。
 春のそよ風を思わせる音色から始まり、
 梅雨の雨音。
 そして、夏の陽射しを思わせるような激しい玄の弾き。
 音の波は次第に柔らかなものへと移り変わり、秋の景観を彷彿とさせる情緒さが、宴の場を静かに包み込んだ。
 詩的。
 なんて、詩的な音色だろう。
 そして、しばらく、
 冬の吹雪のような冷たい音階が徐々へと立ち上がってきた。
 あぁ、まさに春夏秋冬
 四季を表した楽団の音楽が、
 とても心地よくこの胸の中へと溶け込んでいく……。
 まさに、人の心を穏やかにさせる神々しいまでの演奏とは、このことだ。
 ううん、眠い……どうしたのかしら?
 気が付くと、私の意識は……。




「十六夜さま、十六夜さま」
「……わ、私は」
 気が付くと、目の前に出雲七人衆の一人である月影の姿があった。
 しかもその腕に私は抱かれていた。
「な、何じゃ、月影。何故、私はそなたの腕の中におるのだ」
「十六夜様、気が疲れましたか!」
「気が付く?」
「はい。
私が、屋敷へ戻りましたところ、白馬小路さま始め、皆、意識を失っておられたのです」
「わ、私は眠っておったのか」
「はい」
 武官にしては品のある相をした月影が、重々しく頷く。
「で、では、宴の方は」
 眠を擦りつつ私は、周囲を見渡す。
 今、月影が申した通り、白馬小路さまを始め、一同は畳へと横たわっていた。
「な、何事じゃ、何が起きたのだ!?」
 私は叫んだ。
「い、十六夜」
 気が付いたのか、白馬小路さまが、私の名を呼んだ。
 出雲七人衆の頭である草神の腕の中で意識を取り戻した書院さまが、私の名を呼んだ。
「白馬小路さま」
「十六夜、い、一体、これはどうしたのじゃ。
あの者どもの琴の音を聞いておると、突然、眠気に襲われてしまったが……」
「わ、私にもわかりかねます」
「わ、若。私どもが留守の間に、琴の演奏会があったそうですが、その演奏会の場で、何事か、起きたのでありますか?」
 代々、この白馬小路家をその武により守護してきた出雲七人衆の頭である草神が、声高に問いかける。
「そ、そうだ、あの旅の奏者たちは、どこじゃ」
 白馬小路さまは、左右に頭を振りながら、睡魔を追い払おうとしているようだ。
「いえ、その者達は、おりません」
「ど、何処へ消えたのじゃ?」
 その声を耳に、私は、嫌な予感がした。
 そう、妙ではないか。
 私はただ琴の音色に耳を寄せ、心を奪われはしたが、こうして眠ってしまうとは、しかも、ここにいる一同、全員が……。
 しばらく。白馬小路さまが、七人衆へと事の経緯を伝えた。
「若。奏者が消えたのは妙ですな。
若のお話をお聞きして、私の考えを、率直に申し上げますと、その七人の琴の奏者は、忍びの者ではないでしょうか?」
「忍びだと、草神」
「はい」
「白馬小路さま、私もそのような予感がします。もしや、では、その奏者たちは、徳川の刺客ではないですか?
おそらくは伊賀もの」
 私は、予感したものを、白馬小路さまへお伝えした。
「い、伊賀ものだと」
「御意」
「……草神、おぬしも、そう思うか」
「十六夜様の予感は、よく当たりまする」
 草神は、私の進言を、素直に認めてくれたようだ。
「では、その目的は、まさか」
「若、私も、同じことが過ぎりました」
 そう、私も直観した、もしや、奴らの目的は、
出雲三種の神器……!?

「な、無い。神器の一つである勾玉が」
 白馬小路さまは、首筋を触り、勾玉が消えていることにうろたえた。
 一同が、ざわめく。
「白馬小路さま、それは、誠でありますか」
 宴の出席者の一人で、我が父の義兄にあたる四天王の一人五条早雲殿が天井を突くような大声を上げた。
「無いのじゃ、勾玉が!」
「わ、若」
 五条早雲殿は、壁を叩き、いや、一度ではなく、数度、叩きつけた。

 勾玉とは、歴史の表舞台からは消して、我らが隠し続けてきた出雲三種の神器の一つ「五色の勾玉」のことである。
 しかし、その宝が盗まれてしまったとは。
「しかし、何故じゃ、今宵用意しておった酒はすべてこちら側で用意していた物。その状況で、何故に我らは眠らされてしまったのじゃ」
「……ひょっとして、伊賀の忍術かもしれませぬ」
「忍術」
「はい。他国の忍びの者から以前耳にしたことがあります。伊賀ものの中に、楽器の音色により人を酔わせては、
そのまま深い眠りの淵へと追い込む術を使う者のいることを」
「では私まで、睡の術にかかったと、申すのか」
「……断言はできませぬが、この状況を見ますに……」
 白馬小路さまは、肩を落とした。
 もしも草神の言うとおりであるのならば、それは不覚であった。
 そうか、だから伊賀ものたちは今日を選んだのか。
 実は今日は、少し先に建つ従一位将軍の屋敷に、ここにいる武官たちが出向き、今年の武勇を祈願する祭日であったのだ。
 だから、この屋敷を守る出雲七人衆は、将軍家へと出向いていた。
 無論、将軍も出雲の闇将軍である。
 この正一位右大臣白馬小路さまの屋敷と同じく、見た目は普通の武家屋敷であるのだが、地下に武器庫を所持しておる。
 そして、隠れ武人らもそこに住んでおるのだ。
 出雲十勇士の面々も。
 だから今日ここにいるのは、食事係りと、限られた貴族と女官だけであった。
 そう、体を壊している私の父親を除く出雲四天王、将軍を除いた三家の家族数名と、数名の女官。
 そして、白馬小路さま。で、武官は、ほぼ不在であったのだ。
「しかし、何故にこの屋敷に、三種の神器があるとわかったのじゃ。ここに、何者か、密偵が、紛れ込んでおるのだろうか?」
 白馬小路さまの悲痛な叫びが、四方に響き渡る。
「若、ここにおる者の大半は、若がお生まれになる前から白馬小路家に仕えてきた者ばかりですぞ。
お身内を疑いなさるな」
「では、誰がここが出雲の王家であることを漏らしたと言うのだ、草神」
「それは、わかりませぬ……が、相手は天下統一を成した徳川の使い……侮れないことは確かでしょう」
「…………」
 白馬小路さまは、お召しになられる白装束の袖を悔しそうに歪ませた。
「白馬小路さま、ですが、おそらくは徳川もこの場所に出雲の大国主大神さまを受け継ぐ一族が存在することまで、確実につかんでおるとは思えませぬ。単に、秘密の一族があると耳に入れ、やはり財宝は、隠しても、どこからか、そのお宝の臭いだけをかぎつけられ、その歴史的な意味までは、誰も知る者は存在するとは思えませぬ」
「そ、それもそうじゃな」
「ですから、財宝を持つ大きな家の噂だけを聞きつけ、それを確かめに伊賀ものを差し向けたのではないかと、察します」
 出雲四天王の一人である北条道成が、そう進言した。
「では、伊賀ものをただちに追いかけよ!」
「御意に」
 草神は礼をし、「皆の者、出陣じゃあ」
「おおっーっ」
 草神の合図で、七人衆は立ち上がった。


 七人衆が屋敷を後にする。
 私も後を追おうと、厩へと向かった。
 途中、女官の一人に今の刻を聞くと、宴の始まった戌の一刻(午後八時)から、わずか三刻ほど過ぎた程度だという。
 そう、伊賀ものたちが逃げて、そう時は経ってはいないな!
 しかし、宴の者を眠らせたとて、屋敷の家来の目をも欺き、裏口から出ていった様子の伊賀ものたち。
 おそらくは、馬も少し離れた所に繋ぎとめていたのだろう。
 しかし、屋敷の者が少数でもいたこで、この屋敷の地下室には気付かれなかったことだけは、不幸中の幸いだった。
 何故ならば、この屋敷地下には、大国主大神さまの遺骨を祀る古墳。
 そして、祭壇と宝物殿があるからだ。
 そう、こここそが、真の出雲大社なのだ。
 しかし、出雲大社の神職たちにも、そのことは明かされておらず、その秘密を知る者は、
 出雲右大臣である白馬小路家を筆頭に、
 次の位の出雲将軍九条院家。
 その次の位の出雲左大臣の五条家。
 そして、北条家、我が十六夜家という
 将軍を含めた今、触れた四家。そう、出雲四天王までなのだ。
 そして、ここに出雲三種の神器である、天皇家の受け継ぐ「八咫鏡」と兄弟格である「八咫巳鏡」も祀られてある。
 この名称は、八咫烏に通じる八咫級の烏が天皇家の象徴であることに対して、出雲の大蛇「八岐大蛇」を意味する蛇。
 即ち大いなる巳を表す鏡という意味であると、父親から聞かされたことがある。
 何故、八岐大蛇が、神器の一つ大鏡の名に込められたのかは、私にもわからないが、理屈はともかく、そう、その神器を家宝として代々御護りされておるのが
白馬小路家一門であるのだ。
 それゆえ、地下室に気付かれなかったことは、神に祈らねばならない。
 そして、三種の神器の一つである「九紫の剣」も本日、儀式のために出雲将軍九条院家へと運ばれていたことも、幸いなことであった。
 「九紫の剣」とは、古代「草薙の剣」とも呼ばれ、実は国譲りの際に天皇家へとお渡しした草薙の剣の方こそ偽物で、白馬小路家の所有する「九紫の剣」こそが、
誠の草薙の剣だという噂も耳にしたことがあるのだが、この私ではそこまでの真意などはわからない。
 そこまでの裏歴史を知る者はさすがに白馬小路さまご一家ぐらいであろう。
 もちろん、剣のことは、所詮は噂。
 真意は白馬小路さまの護る門外不出の書「出雲聖典」の中にしか書き残されてはいないのだ。
 その書は、将軍九条院家、左大臣までしか目にすることは許されぬ秘書。
 よって私には縁のない書なのである。
 それよりも急がねばならない。
 今、屋敷を後にしていった出雲七人衆を追いかけるのだ。
 私は、厩に繋ぐ朱毛の愛馬「朱兎馬」へと跨り、七人衆の後を追った。
 とんだ、じゃじゃ馬巫女だと思われるかもしれないが、私は馬が好きで武術が好きなのだ。
 いや、何よりも白馬小路さまをご慕い申しておる身。
 だからこそ、愛する主君の一大事に、奥へと引っ込んでいられる性質ではない。
「はい、どぉーっ」
 私は、朱兎馬の手綱を引いて白馬小路家のお屋敷を発った。
 地面から立ち上る砂塵。
 愛馬「朱兎馬」は、私の心情を本能にて嗅ぎ取ったのか、想像以上の走りを見せてくれた。
 路に残る無数の馬沓の跡。そう、伊賀ものとそれを追う七人衆の物であろう馬沓を辿り、私は朱兎馬へと鞭打って、先を急いだ。
 巫女装束の上に着こなした衣が、風に打たれ、凹凸を作って激しくはためく。
 そう、今は冬。北風の吹く時期なのだ。
 雪こそ止んだとはいえ、この肌は、焼かれそうなほど痛い。
 だけど私は走る。
 この朱兎馬と共に。
 この愛馬は、私が十歳の頃から大切に育ててきた馬なのだ。
 だから私とは姉妹のような仲の愛しくも可愛い馬。
 幼い頃、落馬した私の膝を舐めてくれた日の記憶を、私は忘れることができない。
 一緒に走って、一緒に笑い、泣き、草原を駆けながら共に大きくなった朱兎馬。
 この七年間で私たちは最高の友情を築き上げた。
 一方的な思い込みかもしれないが、私はそう確信している。
 と、この思いの調べを察したのか、朱兎馬も顔を少し上げて、
 ヒィインと軽く鳴いた。
 さぁ急ごう。
 私は、朱兎馬の手綱を強く引き、七人衆たちの乗る馬の馬沓の跡を追った。
 と、ある地点まで来たところで、まだまだ遠目だが、黒装束の集団が止まっていることに気付いた。
 あれは、出雲七人衆だわ!
 その一行こそ、背に家紋を描いた白黒の裃羽織を着た七人衆だと察した私は、そこから朱兎馬の速度を緩め、七人衆に気付かれぬ速度にて、
ゆるりゆるりと近付いていった。
 徐々にその距離を縮めていき、あと二百数十メートル弱というところまで近付いた私は、そこで朱兎馬から降りた。
 そこからは徒歩で皆の元へと進む。
 それほどの積雪ではないが、決して軽やかには進めない山道をのそりのそりと。
 朱兎馬から離れてしばらく過ぎたときだった、一頭の馬が早足でこちらへと駆けてきた。
 とっさに朱兎馬を括る杉の木へと戻ろうと考えたが、馬は迫るばかりで、見つかるのも時間の問題だ。
「誰じゃ、そこにおるのは」
 聞き覚えのある声がした。
「月影か」
 もう隠れることも出来まいとあきらめた私は、その声の主の名を呼んだ。
「その声は、十六夜さま」
「そうです、十六夜です」
 背を正し、目と鼻の先まで迫った出雲七人衆の一人月影を見上げる。
「十六夜さま、まさか我らを追いかけてきたのですか」
「…………」
 さすがに私も素直に首を縦には振れなかった。
「我が国の大切な巫女さまが、何故そんなおてんばなことを」
 月影の細面の中で力のある瞳が光った。
「私は、ただ私は、三種の神器を取り戻すお役に立ちたいと思ったまでじゃ。だから、こうしてそなたたちを」
「追いかけてきたというのですか」
「そうです」
「そんな無茶な」
 愛馬から降りた月影が、私の肩に手を置き、こう続けた。
「さぁ、朱兎馬と共に屋敷へ引き返すのです」
「月影、私がいては、足手まといだというのか」
「……それは。しかし、十六夜さまに傷が付くようなことがあれば、お父さまに何と」
「私は、白馬小路さまのお役に立ちたいだけなのだ」
「何という、わからずや。十六夜さまは、伊賀ものがどのような相手かわかっておられぬのです。さぁ、私と共に屋敷へと戻りましょう」
「そうだ、月影。何故そなたは屋敷へと」

「そうでした。実は、敵の馬沓の痕跡を、どうにも計れぬ状況となりまして……首領も困り果てておるのです」
「草神がか」
「はい」
「計れぬ状況とは?」
 私は、月影にそう尋ねる。
「話したとて、十六夜さまでは、解決はできますまい」
「月影。私は女人ながら、白馬小路家で幾つもの難事を解決してきたこと、そなたも存じておろう」
「それは」
「さぁ、お聞かせなさい」
「……わ、わかりました。では、お話だけいたしましょう。
 実は、我らは伊賀ものを追っていたのですが、この先は突き当りで、一軒、無人の武家屋敷しかないのです。正確には
その右手にも道があるのですが、昨日から大きな杉の木が倒れていて、とても馬でそれを超えたとは考えられません」
「そうなのだな」
「はい、昨日、その木を私は目撃していますが、確かでございます」
「では、その武家屋敷を通り、その先の道を進んだのだろう」
「ええ、しかしですね、屋敷の中には、馬沓の跡がないのです。いえ、人の足跡さえも」
「無い?」
「ええ」
 月影がそう答えた時、
 ひぃぃん。
 と、杉の木に括っていた朱兎馬が鳴いた。

「では、屋敷さえも通らなかったと」
「ですが、その屋敷の向こうにある一本道。そこを百メーターほど過ぎたところに、突然、馬沓の跡が出現しておったのです。
それに気付くのには時間がかかりました」
「では、馬は、空でも飛んだと言うのか?」
「……」
「もしや、それも忍術?」
「さすがの伊賀ものでも、そこまでは……」
「そうだな」
「ですから、あの杉の大木を超えたにせよ、それもわからず。馬沓のあるところを通るには、そこからも行けない。ですから、
行方を計れぬのです」
「確かに。では、来た道を戻った?
 いや、それなら追う者と鉢合わせになるな」
 私は地面をじっと見た。
「あぁ、月影。その屋敷の図を、ここに描いてみて」
「図、ですか」
「ええ」
「わ、わかりました」
 月影が図を描いてくれ、その図を私は凝視した。
 特にからくり屋敷でもない様子であることも、月影に尋ねて、把握。
 特段、間取りまで変わったところのない普通の武家屋敷であるようだった。
 敷地だけは広く、しかし、特別、変わったところはないと。

 しかし、妙な話ではないか。
 屋敷のある敷地内と、向かいの道はしばらく馬沓でさえも残っていないのだから、伊賀ものたちは、一体、何処へ消えたと言うのだ?

 ふと、その屋敷の図に、朱兎馬が鼻先を近付けた。
 そして、その屋敷の建物のない空間、つまり建物の無い路面だけを、鼻の先を滑らせるように撫ぜた。
「朱兎馬、行儀が悪いですよ」
 しかし、朱兎馬はやめようとしない。
 そして、もう一度、鼻の先を、図にあてる。
 んっ、また何故か建物の図にはあたらないように、鼻先をあてる。まず、屋敷の出入り口側から向かいの出入り口側まで、
今回も建物には鼻先をあてずに、建物前の路面だけを撫ぜる。
 辞めろとうながすも、何故かまた、再度、同じことをした。
 そして、またその行為を繰り返そうとした時に、ふと、そういえば以前も朱兎馬は、困りごとのあった時、解決の手伝いをしてくれたことがあった。
 そのことを思い出した。この子はもしや、何かに気付いたのだろうか?
「あっ」
 ふと、私の脳裏に、ある図が浮かんだ。
「どうしました、十六夜さま」
「もしや!? つ、月影、ひょっとしてね」
「何かに、気付かれたことがあるのですか?」
「ええ、もしや、これは策ではないかしら?」
「策、ですか」
「ええ、もしかするとね、やっぱり伊賀ものは、この屋敷へ入り、向こうの門から出たのよ」
「ど、どうやって」

「その前に、私は、宴の席で、一人の者が、自分の愛馬は、尾がとても強いと言っていたことを思い出したの」
「そ、それが何か?」
「ええ、その言葉も絡めてのひらめきなのだけれどね。
私の気付いたことを話すわね。
まず、伊賀ものたちは、屋敷を通る際に、最後の馬の尾に縄か何かを括ったと思うの。そして、その馬は、尾の強い馬」
「縄ですか」
「ええ、そして、その先にはね、平らの板を取り付けておいたと思うの。おそらくは、板は軽くはなく、おもりなどを均等に付けておいたと思うわ。
その板を引いた時に、宙に浮かないように」
「では、その板が、足跡を消したというのですか?」
「ええ、そうよ。また、その板は、馬の幅よりも大きかったと思うの。それで屋敷内の足跡を消し、門を潜る時だけは、人の手で、
板を持ち上げて、門を出て、そこでまた地面に置いて、馬にまたがったと思うわ。そして、それが、尾の強い馬。だと思うわ。
馬に乗る際、馬を門に対して横付けにして、そこから乗り込んで、自分の足跡が消えるように馬を回しながら、動かしてから、
そして、屋敷を後にして、先に出た馬たちの足跡を消して立ち去ったのよ」
「そ、それで馬馬の跡は消えたのですな」
「ええ。そして、百メートルほど過ぎて、もう、板は不要と、板を外して、その周囲に捨てたか、それをも持って、先を目指した。徳川の居城へと」
「なるほど、しかし、そんな七面倒なことまでをして……」
「ええ」
「確かに、そう考えると、足跡の消えた理屈は、説明できますな」
「筋は、理は、通っているでしょう、月影」
「御意」

「だけれどね、月影、この推論のヒントをくれたのが、この朱兎馬なの」
 朱兎馬を指差す。
「し、朱兎馬ですか」
「そうなのです。このひらめきは、この朱兎馬のお手柄なのです」
 そうよ、朱兎馬。あなたはやっぱり、名馬だわ。
 その心の声が伝わったのか、朱兎馬は、柔らかく微笑んだ。
「月影、そうなの、どうも、この朱兎馬には、あなたが描いてくれた図に描かれていることが理解できたの」
「そんな馬鹿な」
「ええ、常識ではね。説明はできないけれど、屋敷の図のね、建物を避けて、敷地内の路面部分だけを、この朱兎馬が、
鼻先で撫ぜた。偶然かもしれないけれど、それで私は、屋敷の周囲の足跡だけ、何か平らな物で消したんじゃないかしらと、
閃いたの」
「ほぉ、そ、そうでしたか」
「ですから、手柄は、この朱兎馬じゃ」
「まぁまぁ、偶然でしょうが、十六夜さまは、本当にこの朱兎馬を愛でているのですな」
「いいわ、月影、信じずとも、だけど私は、朱兎馬の持つ特殊な能力だと、カンだけれど、思うの」
「わ、わかりました。では私は、その十六夜様の推理。首領の草神まで伝えに参ります」
「では、お願い、月影」
「御意」
 月影は、愛馬にまたがり、草神の元へと向かった。

 その後、草神が、動いたようだ。
 足跡のことで、それ以上、悩まず、百メーター先の足跡を追うと、その左右の右手に、また武家屋敷があり、
 そこで、足跡を消しているので、しばらく安泰だとでも考えたのか、伊賀ものたちは、その屋敷で、休んでいることがわかった。
 その時は、私も追い付き、その場に居合わせた頃には、
 その武家屋敷へと、草神が、火矢の雨を降らせていた。

 火に炙られた伊賀の輩たちは、おそらくは焼死。
 が、首謀者だと後でわかったのだが、その首謀者・服部半蔵三代目(正重)のみ、全身に大火傷を負いながらも、七人衆に背を向けて屋敷を出るところまでは、成功したようだった。
 が、さすがにその体では、そう遠くまでは逃げられず、すぐに三代目服部半蔵を生け捕りにすることに成功した。
 そして、服部半蔵は、白馬小路さまの屋敷まで連行された。
 道中、自害せぬよう、猿轡をかまして。
 そうして、生き恥をさらすこととなった服部半蔵だったが、やはりこの寒さには耐え切れなかったのだろう、
 道中にて息を引き取ったのであった。
 これで、すべてが終わった。

 そう、我ら出雲の影の統治者である白馬小路家の秘密は保たれたのである。

 と、そこで終わっては、服部たちが戻らぬことを不審に思い、徳川は納得はしまい。
 そこで白馬小路さまは、こういう手を打った。
 この出雲で服部、あるいは七人の忍者に人相の似る者を探し出すという妙案を閃き、実行をした。
 そして、探し出した者を、伊賀ものの一人と仕立てて、徳川の元へと返す策を。
 それが調度、よいことに、七人衆の一人である白猿が、伊賀七人衆の一人と人相が似ていたので、大役を授けることとなった。
 一国の窮地を救うため、女人であるが白猿はその命を受けた。
その代わり、白猿の一族は、生涯禄には苦労させぬと、白馬小路さまは約束してくれたという。
 しばらく、白猿は、伊賀の生き残りの一人として徳川へ潜り、徳川には、こう説明したらしい。
 まず、我らは、出雲に入ったところで、山賊に襲われてしまいました。
 結局、生き残れたのは己のみでございますと。
 さらにやはり、我らの秘密は知られてはおらず、徳川が服部半蔵へ命じたことは、出雲に秘密の一族があるという噂で、その一族は、財宝を所持しているという噂があるらしい。服部半蔵よ、その財宝を狙い、必ずや、手に入れて来いという密命であったと、
 そ白猿がよこしてくれた密書から、我らは、知ることとなった。
 その後、うまく伊賀ものに化けることに成功した白猿は、徳川の目的を知り任務を終えたので、姿を消して、無事、我らの元へ帰国してきた。
 あぁ、本当によかった。
 書院家の血脈、そして出雲の裏歴史を死守するために徳川へと忍び込んだ白猿が、無事、帰国してくれて。
 私は、白猿を決して無駄死にさせたくはない、無事に戻ることを心から願っていただけに、やっと胸を撫で下ろせる日が来た!
 私は、その白猿と抱き合って、私の首飾りを彼女に与えた。いや、白猿、そなたの功は、この程度では安いかもしれないが、この誠意を、どうか、もらってくれ!
「十六夜さま。ありがたく頂きます」
 白猿も、喜んで受け取ってくれて、再び、私たちは、抱き合った。
 ようやくこれで、出雲の地にも平和が戻った。
 よかった、本当によかった。
 よし、私は今日も、朱兎馬を駆ろう!
 おてんば!
 そうて呼ばれても構わない。
 私はこの朱兎馬に乗って、
 この大草原を駆けるのが大好きな乙女なのだ。
 走って
 笑って
 転んで
 泣いて
 そうやって朱兎馬と、
 広い出雲の国を駆け抜けるのが好き。

 ねぇ、朱兎馬、
 いい風が吹いてきたわ。
 今日は何処へ、行こうかしら。



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加賀美優
歴史・時代
小普請の辻蔵之介は戯作者を目指しているが、どうもうまくいかない。持ち込んでも、書肆に断られてしまう。役目もなく苦しい立場に置かれた蔵之介は、友人の紹介で、町の騒動を解決していくのであるが、それが意外な大事件につながっていく。

謂わぬおもひで

ひま
歴史・時代
書生、楠木八之助はとある記憶を思い出す。 幼い頃に母代わりとなって愛情を注いでくれた人との思い出だ。 もう戻らぬ日々に思いを馳せて一日一日の記憶を、鮮明に思い返していく。 彼女への伝わらぬ想いと共に。

荒川にそばだつ

和田さとみ
歴史・時代
戦国時代、北武蔵を治める藤田氏の娘大福(おふく)は8歳で、新興勢力北条氏康の息子、乙千代丸を婿に貰います。 平和のために、幼いながらも仲睦まじくあろうとする二人ですが、次第に…。 二人三脚で北武蔵を治める二人とはお構いなく、時代の波は大きくうねり始めます。

花なき鳥

紫乃森統子
歴史・時代
相添はん 雲のあはひの 彼方(をち)にても── 安政六年、小姓仕えのために城へ上がった大谷武次は、家督を継いで間もない若き主君の帰国に催された春の園遊会で、余興に弓を射ることになる。 武次の放った矢が的にある鳥を縫い留めてしまったことから、謹慎処分を言い渡されてしまうが──

届かない手紙

咲良
歴史・時代
ちょっと暗めのお話 今の平和に感謝しましょうって話

Murders Collective(マダーズ・コレクティブ)

筑前助広
歴史・時代
筑前筑後の闇の時代小説短編集。 江戸の暗い世界に生きる、外道を殺す悪党たちの物語。

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