1 / 4
ベルリンで出会った人形師
しおりを挟む
ドイツのベルリンで日本伝統芸能の公演があった。
歌舞伎や落語、能楽など日本国内でも有名な演目の後、伝統芸能を引き継ぐにはうら若い青年が、大道具を持って舞台に上がった。
青年は舞台の中央に立つと、いたわるような手つきで大道具の黒風呂敷をとる。
大道具だと思っていたのは、人間の女性と見紛うほど精巧に作られた和服の人形だった。人形の高さは青年よりちょっと低いくらいで、街中で並んで歩いていたら、青年と人形はカップルに見えるだろう。
「いひ、びん、やぱーな……」
演者の青年は片言のドイツ語で、自己紹介する。
「まいん、なーむ、いすと、かずきしまむら」
傍らの人形に手を向ける。
「じー、いすと、ゆきこ」
人形に名前がついているとは、驚きだ。やはり若くして伝統芸能を受け継いでいるだけのことはある。思い入れが人並みではない。
演目の冒頭の自己紹介に詰まったのか、青年は黙ってしまった。
「よ、よろしくお願いします」
あげくお辞儀をして、芸に取り掛かった。
会場はざわざわと、若き日本人の公演者に不安を覚え始めた。
しかし青年は観客の騒めきに気を散らすことなく、芸に専念する。
芸が始まってからはどう見てもプロ、といっては日本伝統芸能にはふさわしくないので、名人とでも呼ばせてもらおう。どう見ても名人の芸だった。
取り立てて難しい芸ではないが、観た人が人形が生きていると錯覚してしまうほど、人形に人間味を感じさせる語りをするのだ。
観客のどれくらいが日本語を理解できるのか知らないが、言語を超えて観客に人形の人らしさが伝わっていると思う。
初めて観た青年の人形芸に、僕は感動した。
公演のプログラムがすべて終了した後、僕は人形芸の青年にインタビューをお願いした。
青年から了承が出て、会場近くのバーで落ち合うことになった。
先にバーのテーブル席で安価なワインをすすって青年を待っていると、入り口から若い日本人男性が入ってくる。人形芸の青年だ。件の人形の肩を抱いている。
彼を応対したドアマンに、たどたどしいドイツ語で話して僕の方を指した。
人形を抱きながら、僕のいるテーブルに近づいてきた。
「板倉さん、ですよね?」
青年が僕の名前の確認を取ってくる。
頷いてみせると、恭しい物腰で向かいの席に着いた。
「同じロゼでいいですか?」
僕がワインの種類を尋ねると、不意に困惑する。
「ロゼ、は、はい、いいですよ」
青年の返事を聞き、僕はウエイターを呼ぶ。
ウエイターがグラスとワインを運んでくる前に、挨拶をしておこう。
財布から日本の文字で印刷された名刺を一枚抜き出して、青年に差し出す。
「雑誌記者の板倉(いたくら)朋音(ともね)と言います」
「島村一輝です」
青年も丁寧に頭を下げてくれる。
「日本からはるばる、公演の観賞へお越しになられたんですか?」
名刺を見て、島村は驚いた顔で訊いてきた。
「いやいや、ベルリン在住ですよ。毎号雑誌の記事でドイツの風習や市民の生活を書いています」
「それはすごい」
彼は素直に驚きを顔に表す。
グラスとワインが青年にも運ばれてきたところで、本題のインタビューに入る。
僕はグラスをメモ帳とペンに持ち替え、質問する。
「本日の公演、いかがでしたか?」
「いかがでしたか、と聞かれましても、ドイツと日本じゃ訳が違うから」
「まあ、確かに。それでは聞き方を変えましょう。本日の公演、上手くいきましたか?」
「失敗はありませんでした。でも、ドイツ語ってむずかしいですね」
情けない顔をして答えた。
相槌を打って、次の質問をする。
「公演のたびに心がけていることなどあったら、教えてください」
「そうですね。やはり雪子を雪子として仕立てることでしょうか」
「雪子を雪子として仕立てる? それはどういう意味です?」
彼の言おうとしていることがさっぱりわからない。
「すいません、わかりにくい言い方でしたね」
彼は頭の後ろに手をやって謝った。
詰まるところ彼も日本芸能の名人なのだと、発言を聞いて思ってしまう。
「板倉さん」
彼は説明にいい方法を思い付いたらしく、
「雪子を雪子として仕立てるといことを、今から説明します」
と笑みを浮かべて身を乗り出した。相当、自分の芸を見せたいらしい。
彼は傍らの人形を抱き寄せ、黒い髪をすいてやる。彼が人形の顔を俯かせているからか、観る人に人形が恥じらっているように感じさせる。
「綺麗な髪だな、雪子」
島村の声に愛情が籠る。意図的なのか、無意識なのかは判別つかない。
「随分、溺愛されてるんですね」
板倉はニヤリとして冷やかす。
島村は我に返ったように顔を上げ、真面目な面持ちで言い返す。
「当たり前じゃないですか」
「やはり名人芸は道具を愛することから、生まれるんですね?」
「名人芸とか、そういう大層な事とは関係ないですよ」
照れた笑いを見せて、島村はそう言う。
ますます彼の言わんとすることが、捉えがたいものになった。
「あなたは一人の男性として人形を愛しているのですか?」
「人形を愛しているというより……」
打ち明けづらそうに、言葉の先を言い渋った。
「人形を愛しているというより?」
僕は顔を近づけ、答えを迫る。
彼が人形と僕の顔とでおどおど視線を往復させる。
僕の執拗さに根負けしたのか、島村はいかにも決心がついた顔で僕を見据えた。
「板倉さんがどうしても聞きたのでしたら、お話しますけど」
そこで言葉を切り、右手の人差し指と中指を立てる。
「守ってほしいことが二つあります」
「なんですか?」
「今から話す内容を公にしないことと」
二つ目の条件を重々しい表情で言う。
「話している最中に疑義を挟まないこと」
「わかった」
僕が了解して頷くと、島村は椅子の背で体勢を整える。
彼は視線を何もない斜め上に向け、追憶に浸りながら話し出した。
歌舞伎や落語、能楽など日本国内でも有名な演目の後、伝統芸能を引き継ぐにはうら若い青年が、大道具を持って舞台に上がった。
青年は舞台の中央に立つと、いたわるような手つきで大道具の黒風呂敷をとる。
大道具だと思っていたのは、人間の女性と見紛うほど精巧に作られた和服の人形だった。人形の高さは青年よりちょっと低いくらいで、街中で並んで歩いていたら、青年と人形はカップルに見えるだろう。
「いひ、びん、やぱーな……」
演者の青年は片言のドイツ語で、自己紹介する。
「まいん、なーむ、いすと、かずきしまむら」
傍らの人形に手を向ける。
「じー、いすと、ゆきこ」
人形に名前がついているとは、驚きだ。やはり若くして伝統芸能を受け継いでいるだけのことはある。思い入れが人並みではない。
演目の冒頭の自己紹介に詰まったのか、青年は黙ってしまった。
「よ、よろしくお願いします」
あげくお辞儀をして、芸に取り掛かった。
会場はざわざわと、若き日本人の公演者に不安を覚え始めた。
しかし青年は観客の騒めきに気を散らすことなく、芸に専念する。
芸が始まってからはどう見てもプロ、といっては日本伝統芸能にはふさわしくないので、名人とでも呼ばせてもらおう。どう見ても名人の芸だった。
取り立てて難しい芸ではないが、観た人が人形が生きていると錯覚してしまうほど、人形に人間味を感じさせる語りをするのだ。
観客のどれくらいが日本語を理解できるのか知らないが、言語を超えて観客に人形の人らしさが伝わっていると思う。
初めて観た青年の人形芸に、僕は感動した。
公演のプログラムがすべて終了した後、僕は人形芸の青年にインタビューをお願いした。
青年から了承が出て、会場近くのバーで落ち合うことになった。
先にバーのテーブル席で安価なワインをすすって青年を待っていると、入り口から若い日本人男性が入ってくる。人形芸の青年だ。件の人形の肩を抱いている。
彼を応対したドアマンに、たどたどしいドイツ語で話して僕の方を指した。
人形を抱きながら、僕のいるテーブルに近づいてきた。
「板倉さん、ですよね?」
青年が僕の名前の確認を取ってくる。
頷いてみせると、恭しい物腰で向かいの席に着いた。
「同じロゼでいいですか?」
僕がワインの種類を尋ねると、不意に困惑する。
「ロゼ、は、はい、いいですよ」
青年の返事を聞き、僕はウエイターを呼ぶ。
ウエイターがグラスとワインを運んでくる前に、挨拶をしておこう。
財布から日本の文字で印刷された名刺を一枚抜き出して、青年に差し出す。
「雑誌記者の板倉(いたくら)朋音(ともね)と言います」
「島村一輝です」
青年も丁寧に頭を下げてくれる。
「日本からはるばる、公演の観賞へお越しになられたんですか?」
名刺を見て、島村は驚いた顔で訊いてきた。
「いやいや、ベルリン在住ですよ。毎号雑誌の記事でドイツの風習や市民の生活を書いています」
「それはすごい」
彼は素直に驚きを顔に表す。
グラスとワインが青年にも運ばれてきたところで、本題のインタビューに入る。
僕はグラスをメモ帳とペンに持ち替え、質問する。
「本日の公演、いかがでしたか?」
「いかがでしたか、と聞かれましても、ドイツと日本じゃ訳が違うから」
「まあ、確かに。それでは聞き方を変えましょう。本日の公演、上手くいきましたか?」
「失敗はありませんでした。でも、ドイツ語ってむずかしいですね」
情けない顔をして答えた。
相槌を打って、次の質問をする。
「公演のたびに心がけていることなどあったら、教えてください」
「そうですね。やはり雪子を雪子として仕立てることでしょうか」
「雪子を雪子として仕立てる? それはどういう意味です?」
彼の言おうとしていることがさっぱりわからない。
「すいません、わかりにくい言い方でしたね」
彼は頭の後ろに手をやって謝った。
詰まるところ彼も日本芸能の名人なのだと、発言を聞いて思ってしまう。
「板倉さん」
彼は説明にいい方法を思い付いたらしく、
「雪子を雪子として仕立てるといことを、今から説明します」
と笑みを浮かべて身を乗り出した。相当、自分の芸を見せたいらしい。
彼は傍らの人形を抱き寄せ、黒い髪をすいてやる。彼が人形の顔を俯かせているからか、観る人に人形が恥じらっているように感じさせる。
「綺麗な髪だな、雪子」
島村の声に愛情が籠る。意図的なのか、無意識なのかは判別つかない。
「随分、溺愛されてるんですね」
板倉はニヤリとして冷やかす。
島村は我に返ったように顔を上げ、真面目な面持ちで言い返す。
「当たり前じゃないですか」
「やはり名人芸は道具を愛することから、生まれるんですね?」
「名人芸とか、そういう大層な事とは関係ないですよ」
照れた笑いを見せて、島村はそう言う。
ますます彼の言わんとすることが、捉えがたいものになった。
「あなたは一人の男性として人形を愛しているのですか?」
「人形を愛しているというより……」
打ち明けづらそうに、言葉の先を言い渋った。
「人形を愛しているというより?」
僕は顔を近づけ、答えを迫る。
彼が人形と僕の顔とでおどおど視線を往復させる。
僕の執拗さに根負けしたのか、島村はいかにも決心がついた顔で僕を見据えた。
「板倉さんがどうしても聞きたのでしたら、お話しますけど」
そこで言葉を切り、右手の人差し指と中指を立てる。
「守ってほしいことが二つあります」
「なんですか?」
「今から話す内容を公にしないことと」
二つ目の条件を重々しい表情で言う。
「話している最中に疑義を挟まないこと」
「わかった」
僕が了解して頷くと、島村は椅子の背で体勢を整える。
彼は視線を何もない斜め上に向け、追憶に浸りながら話し出した。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
荷車尼僧の回顧録
石田空
大衆娯楽
戦国時代。
密偵と疑われて牢屋に閉じ込められた尼僧を気の毒に思った百合姫。
座敷牢に食事を持っていったら、尼僧に体を入れ替えられた挙句、尼僧になってしまった百合姫は処刑されてしまう。
しかし。
尼僧になった百合姫は何故か生きていた。
生きていることがばれたらまた処刑されてしまうかもしれないと逃げるしかなかった百合姫は、尼寺に辿り着き、僧に泣きつく。
「あなたはおそらく、八百比丘尼に体を奪われてしまったのでしょう。不死の体を持っていては、いずれ心も人からかけ離れていきます。人に戻るには人魚を探しなさい」
僧の連れてきてくれた人形職人に義体をつくってもらい、日頃は人形の姿で人らしく生き、有事の際には八百比丘尼の体で人助けをする。
旅の道連れを伴い、彼女は戦国時代を生きていく。
和風ファンタジー。
カクヨム、エブリスタにて先行掲載中です。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる