上 下
31 / 42

MGCにむけて

しおりを挟む
 ついにMGC本選が明日に迫った前日の夕刻。

 蟹江は刈谷メモリークラブの練習室で、パソコンに向き合っていた。

 画面の中ではトランプ五十一枚が不規則な順に並び、カーソルは残り一枚の♡10に合わせられていた。



「ああ」



 蟹江は俄かに緊張した手つきで、カーソルで♡10を最後の一枠に移動させる。

 枠に入れてカーソルを離すと、回答終了のボタンをクリックした。



「よっしゃああああああ」



 溢れんばかりの歓喜で椅子から立ち上がり、両腕を突き上げてガッツポーズする。

 まるで名門大学の試験に合格した人のような喜び様だ。



「うっさいわね」



 と、少し離れた左隅の席からクレームが寄越された。

 蟹江は喜びが薄れてしまうと言いたげな顔を、苦情を入れた人の方に向ける。



「なんだよ弥冨。喜んじゃ悪いか?」



 弥冨は耳に入れていた耳栓を外して、蟹江に振り向く。



「喜ぶのは構わないけど、大声出されると耳栓してても聞こえてきちゃって、集中力を削がれるのよ」



 文句を聞かされて、蟹江はさてはという顔になる。



「弥冨。お前今、Namesやってるだろ」

「……なんでわかるのよ」



 言い当てられて不気味そうに蟹江を見返す。



「だってお前、顔と名前覚えるの苦手だろ。得意種目だったら機嫌悪くしないって」

「確かに顔と名前を覚える苦手だけど。得意種目だからって機嫌を悪くしない保証はないわよ」



 暗に他の事でも機嫌悪くするわよ、と言うように弥冨は前もって釘を刺す。



「それで、あんたの方は記録どうだったのよ?」



 弥冨はなんだかんだ気に掛けて質問を返す。

 蟹江は満面に喜色を浮かべて笑った。



「15秒台で五回連続ノーミス」

「へえ、凄いわね。トニーと遜色ないじゃない」



 自分の事でもあるかのように弥冨は、弾んだ声で言った。

 蟹江は不敵な笑みを返す。




「世界一位の座が見えてきたぞ。打倒トニー・マイケルだ」

「いいわね、明確な目標がいて」



 羨まし気に弥冨が呟く。



「その口ぶりだと、弥冨は目標がいないのか?」

「強いて挙げるなら、蟹江陽太かな?」



 蟹江の反応を伺うように視線を送る。



「俺?」

「そう。上ばっか見てると足元掬われるわよ」



 好戦的な笑みを浮かべた。

 その笑みに迎え撃つように、蟹江も口元を不遜に歪める。



「いってくれるじゃねーか。だが俺を倒す前に小牧と当たるんだろうな」

「そうね。あんたの弟子に勝たないと、あんたに勝てるはずもないわね。ちなみにあの子のレベルどれくらいなのよ?」



 頭に鼻持ちならない姿を思い浮かべたら急に気になって、弥冨は尋ねる。

 蟹江はニヤリと口の端を吊り上げた。



「Namesでいえばお前より上だ」



 本心ではどっちが上だろうか、と蟹江は判断がついていなかったが、わざと焚きつけるような言葉を選んだ。



「そう。それでも私、負ける気ないけどね」

「凄い自信だな。勝てる根拠でもあるのか?」

「ないわよ、そんなの。ただ負けたくないだけ」



 弥冨の中で対抗心が静かに燃え上がる。

 会話の間隙に、蟹江は携帯で時刻を確認する。

 この後予定が入ってるわけではないが、もう五分もすれば刈谷が施錠に来る。



「そろそろ施錠の時間だな」



 弥冨にスマホの時刻を見せる。



「もうそんな時間なのね。片づけないと」



 そう言うと、弥冨はパソコンを含む手荷物を整理し始めた。

 蟹江もノートパソコンの入る大ぶりの手提げバッグに、持ち込んだ物を片していく。

 帰り支度が整うと二人は手分けして部屋中の戸締りを点検し、練習室を後にした。

 外に出ると雨が降り出しそうな空模様だったが、降り出す前にと二人は並んで帰路に就く。

 車道に沿った道を歩き出して少しすると、弥冨が口を開く。



「明日ついに本選ね」



 話題を探るように言った。



「そうだな。トニーとの対決が楽しみだ」



 目の前にトニーと試合をする光景が映っているかのように、決意を固めた口調を返す。



「何か対策とかしてるの?」

「対策か。してないな」



 蟹江はあっさりと答えた。

 世界一位と戦うのに無策と答えられて、弥冨は目を見開く。



「策なし? 相手はトニーなのに」

「いいんだよ、それで。どうせ対策どうこうで勝てる相手じゃないからな」



 遠回しにトニーを賞賛した。

 弥冨は思い付いたように尋ねる。



「トニーは苦手な種目とかないの?」

「あると思ってたのか?」



 弥冨は押し黙る。

 彼女にもトニーに弱点がないことは公開されている限りの成績で知っていたが、蟹江の視点からはどうかなのかと微かにも期待していたのだ。

 蟹江本人からからもないと言われると、弥冨には返す言葉が無かった。

 弥冨の口が止まり静かになると、場の沈黙を避けるように蟹江が訊き返す。



「弥冨の方はどうだ。大会での対策はあるのか?」

「対策ねぇ。対策と言っていいのかわからないけど、Namesの腕を上げたつもりではあるわよ」



 答えるが、途端に肩を落とす。



「でも、二人しか記録更新できてないのよ。やっぱり私、人の顔と名前苦手」

「そうか……」



 蟹江は思案するような顔になる。



「なあ弥冨」

「何?」

「お前、詰め込みしてるか?」

「詰め込み?」



 なにそれ、という表情で蟹江に問う目を送る。



「その顔だとほんとに知らないんだな」



 知らなかったことが意外そうに、蟹江は微苦笑する。



「詰め込みっていうのは、俺が勝手にそう呼んでるだけなんだけど、最後の二秒で二人分を頭に無理矢理叩き込む技だ」



 蟹江の説明を聞いて、弥冨は理解し難く眉を顰める。



「そんなことできるの。一人覚えるのに二秒以上かかるのに」

「俺はしてるぞ。ただし覚えるといっても名前を見るだけだけどな」

「それで回答に入るまでの三十秒間、記憶を持続できるの?」

「その三十秒間でイメージを作ってるんだよ。それに回答時は最後に覚えた二人を先に入力すればいい」



 人間が呼吸をすることのように、当然の顔で話した。

 弥冨も真面目な顔つきで頷く。



「参考になるわ」

「弥冨が今までこの方法を使っていなかったとはな。よほどお前は律義だな」



 感心した口調で蟹江が言う。



「律義、私が?」

「だってそうだろ。タイムのためだけに最後の追い込みをかけないだろ」

「しないわけじゃなくて、単純に知らなかっただけよ」



 感心するには値しない、というような謙虚な口ぶり。

 本人にそう言われては蟹江も強く、お前は律義だ、と主張できない。

 しばし蟹江は話題を探して、ぱっと思い付いた質問を投げる。



「それにしても、どうしてNamesなんだ。万一お前の得意な数字とか単語で落としたら、勝算がなくなりかねないぞ」

「心配してくれてありがたいけど、Namesも強くならないと、相手がNamesを選択したとき、相手に一勝を献上するのは嫌だから」



 不敵な笑みを口元に浮かべて、弥冨は訳を明かした。

 蟹江も弥冨の瞳に宿る闘志に気付かないほど鈍くはない。

 それに、と七面倒さを醸して弥冨は続ける。



「昨日、エミリーから対戦を申し込まれたの。それで私が負けたら、陽太を頂戴って言われたの」



 この前も聞いたなデジャビュかな、と蟹江は内心辟易する。



「それで、どうだったんだ?」



 小牧の時と同様、念のために蟹江は対戦結果を尋ねてみる。

 蟹江の問いに、弥冨は苦笑いする。



「期待させて悪いけど、対戦断ったわ」

「本人の知らない所で賭けの対象にされてたまるか」



 拒絶するように嘆じた。

 弥冨は苦笑いを引っ込める。



「本選で私とエミリーが対決する場合もあるでしょ。生憎エミリーは私の苦手種目を知ってるから、Namesで私が勝てれば勝負はもらったようなものだから」

「なんだかんだ深謀遠慮を巡らせて、抜かりないな」



 当たり前じゃない大会出るからには私だって勝ちたいわよ、とちょっと怒ったぽく言い返した。

 左手にマンション街に入る路地のある交差点に差し掛かって、対面する歩行者信号が赤点灯になり、蟹江は足を止めた。

 弥冨は左の横断歩道へ爪先を転じる。



「陽太の言った教え、大会で使わせてもらうからね」



 顔を向けずに話す弥冨に、蟹江も振り向かずに言葉を返す。



「そのために教えたんだぞ」

「ありがと。Namesで勝ったら、お礼に何か奢ってあげる」



 弥冨の対面の歩行者信号が青に切り替わる。



「礼なんてなくていいよ。たまに掃除を手伝ってもらってるだけでも、俺としてはお前への借りなんだからな」



 弥冨は横断歩道に足を踏み出す。



「私が奢りたいだけだから、断らなくていいのよ」



 そう言い残し、蟹江には見えない位置まで来てくすりと微笑む。

 二人だけで出掛けたいだけなんだけど、と弥冨は胸の内で呟いた。本当に抜かりがない。

 弾みそうな心で、いつもより少しだけ足早に横断歩道を渡った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

就職面接の感ドコロ!?

フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。 学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。 その業務ストレスのせいだろうか。 ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。

スケートリンクでバイトしてたら大惨事を目撃した件

フルーツパフェ
大衆娯楽
比較的気温の高い今年もようやく冬らしい気候になりました。 寒くなって本格的になるのがスケートリンク場。 プロもアマチュアも関係なしに氷上を滑る女の子達ですが、なぜかスカートを履いた女の子が多い? そんな格好していたら転んだ時に大変・・・・・・ほら、言わんこっちゃない! スケートリンクでアルバイトをする男性の些細な日常コメディです。

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

雌犬、女子高生になる

フルーツパフェ
大衆娯楽
最近は犬が人間になるアニメが流行りの様子。 流行に乗って元は犬だった女子高生美少女達の日常を描く

校長先生の話が長い、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。 学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。 とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。 寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ? なぜ女子だけが前列に集められるのか? そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。 新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。 あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。

校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれた女子高生たちが小さな公園のトイレをみんなで使う話

赤髪命
大衆娯楽
少し田舎の土地にある女子校、華水黄杏女学園の1年生のあるクラスの乗ったバスが校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれてしまい、急遽トイレ休憩のために立ち寄った小さな公園のトイレでクラスの女子がトイレを済ませる話です(分かりにくくてすみません。詳しくは本文を読んで下さい)

処理中です...