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―1人ぼっちの心の内で―
380話 ある男の回顧④
しおりを挟む……本当に、出来ることなら…。彼女には、さくらには、楽しい異世界生活だけを過ごさせてあげたかった。
突如転移し、肉親や友達と離れ離れにさせられ、気づけば見知らぬ世界の只中。その恐怖、不安を自分は痛いほど知っている。
(…なにせあの時も…。な…)
思い返すは、自身の転移直後。言葉も、服装も何もかも違う自分を、村人達は敵の如く、恐怖と警戒が入り混じった目で睨みつけてきた。
あの時、クレアがいなければ…村長一家が守ってくれなければ、どうなっていたかわからない。この世界の言葉を必死に覚えたのも、元はと言えば彼らの鋭い視線から逃れるためであった。
そして…クレアの代わりに呪いの生贄になることを強要された。あの場はクレア本人が収めてくれたが、もはや選択肢は無いも同然であった。…この世界に逃げ込む場なんて、他に無かったのだから。
あの時の身体、そして心の痛みは、絶対に忘れられない。恨みこそ持つ気はないが、二度と味わいたくないものの一つ。
あれを、さくらに味合わせたくなかった。既に赦しているとはいえ…あの村に、あの村の人々たちに彼女を託しておくのは、得も言われぬ恐怖に襲われた。もう自身も水に流し切っている過去だというのに。
だから、涙するさくらに頭を下げてまで、自らの手元に引き寄せた。この世界に存在するあらゆる害から、彼女を守り切るために。
この異世界を先に生きる身として、それこそが自分に出来ることだと信じて。
幸い自身の身が良かったのか、生贄となっても生き残ることができた。おぞましい呪いは身体に定着したものの、鎮まってくれた。
そして、その褒賞のように―、生涯の相方となるニアロンと出会えた。
皮肉めいた言葉となるが…生贄となったおかげで、良き友を手に入れることができたのだ。彼女も呪いの管理云々を抜きに、自らを好いてくれた。
更に、戦争という特殊な環境を挟みこそしたが…。アリシャ達と巡り合い、苦楽を共にすることができたのだ。
―ならば。さくらには、何があるか。 …何もないのだ。
転移して来たての彼女は、全ての関わりが消失していた。当時の自分のように。
それはとても辛く苦しい事。とてもじゃないが、まともに生きていけるわけはない。人というのは、他の人と関わり合う事で命を繋げるのだから。
――そう、だから…。自分が、【英雄】リュウザキが、『同じ世界出身の』竜崎が、繋いであげる必要があったのだ。この世界と、彼女を。
最も、それ自体は別に困難だと思わなかった。既にエルフリーデやメストのような、かつての自分に似た『爪弾き者』たちを繋げてきていたのだから。
20年前の戦時こそ災禍が至る所を包んでいたが、あれから時が経った。世界は平穏を取り戻し、人々の笑いが溢れ出していた。
この異世界は、正真正銘の『剣と魔法のファンタジー世界』の姿を取り戻したのだ。楽しくエキサイティングな、素晴らしき世界。
さくらにはそんな良いところだけを知り、暮らして欲しかった。かつて自分が経験した争いや暗部を知ることなく。常に可愛い笑みを浮かべていてほしかった。
…あえて付け加えるなら、彼女に、自分が治した世界を見てもらいたかったのかもしれない。
深く事情を話すつもりはなかった。無暗に怖がらせたくなかったからだ。 しかし…さくらがこの世界の景色や出来事に興奮し喜ぶたびに、とても誇らしかった。
自分はあらゆる苦難を退け、この世界を救ったのだと―。ただの同郷以上の愛着をもっていた彼女に…それこそ遺書に示した通りの、『実の娘』のようなさくらに、知ってほしかったのだろう。
そんな世界を見せるために、この異世界を愛してもらうために、自分は色々手を打った。彼女を至る所に連れていき、色んな体験をさせてあげた。元の世界では出来ない、ワクワクする出来事を。
願わくば、向こうの世界のことは出来る限り忘れ、この世界の住人として楽しんでほしかった。この地で骨を埋めても良いかもと、そう考えてくれまいかとも思った。
…しかし、事はそう単純にはいかなかった。確かに当初、さくらは思惑通りに異世界に興味を示してくれた。持たせてあげた虎の子の『神具の鏡』もあり、彼女はズンズンと深くへ足を踏み入れた。
そして次第に…この世界の嫌なところ、危険なところ…『この世界の害』に巻き込まれ出したのだ。
未だ各所では、極稀とはいえ小競り合いが発生していること。悪漢暴漢の類が、案外と屯しているということ。それを、彼女に身をもって知らしめてしまった。
それらを『異世界特有のファンタジー要素』なぞ、言えるわけない。この世界の一般人でも、およそ死ぬまで経験しない事象なのだから。
…もし、自分がただの一般人になっていたら、そんな事件にさくらを巡り合わせることは無かったかもしれない。『リュウザキ』の立場が、仇となった瞬間であった。
当然、本当ならば、そのような出来事にさくらを踏み入らせたくは無かった。―けど、目を輝かせて行きたがる彼女を、諫めきれなかった。…嬉しかったのだから。
それが悪かったのだろう。彼女の笑顔と、彼女の未来への影響を天秤にかけ、前者に重きを置きすぎた。たとえ不満そうな顔をされても、拒否すべき時もあったはずなのに。
……そして、言わせてしまった。『帰りたい』と。 秘密のノートを見つけ、恐る恐る差し出してきたさくらは、怯えつつ、そう口にしたのだ。
それは…この世界にもう居たくないという意味だと、自分は受け取った。ひとえに、努力不足。彼女にこの世界を愛させてあげきれなかった、自分の。
―いや、そうじゃなくとも…。
(…俺自身が郷愁から逃れられていないのに…。そりゃ、無理な話だよな…)
フッと、自虐的に小さく冷笑してみる。…わかっている。やはり、あの世界が恋しくもある。優しき肉親がいる、あの地が。
そうでなければ、親への手紙なんて作ってさくらに託すわけがない。それが分かっていなかったら、彼女の意志を尊重し、ニアロンの反対を押し切ってまで装置の起動なんてするわけがない。
…いや、そもそも…やろうと思えば、事前にノートを引き裂いて無かったことに出来た。さくらにそれが見つかった後も、あの手この手で宥めすかせば、聞いてくれたかもしれない。
それをしなかったのは何故か。……そういう事なのである。
自分も、出来ればもう一度見たい。親の顔を、友の顔を、そして…美しき桜の花を。かの少女と、同じ名の―。
(……さくら…『さん』…か…)
ふと、息をつく。そうである―。彼女の、さくらの呼び名も…『さん』付けで呼び続けているのにも、とある思惑が存在しているのだ。
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