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―1人ぼっちの心の内で―
378話 ある男の回顧②
しおりを挟む死ぬ気なんて、なかった―。
竜崎は、自分の手を…先程まで自らの赤い血に濡れ、今や夢幻のように定かではないそれを見つめつつ、そう呟いた。
死ぬ覚悟なんて、出来ていなかった。その事実は、彼自身がよくわかっていたのだ。
装置を壊され、全身を砕かれ、腹を穿たれ、魔力も枯渇しかけ、呪いを解放され…。その崖っぷちの只中、竜崎はさくらとニアロンを救うために背水の策を講じた。
(……。)
ふと彼は無言のまま、手の形を変える。まるで拳銃のように。およそこの世界の者は形作らない、形作ったとしても、そこに『何かを撃ち抜く』意味は籠めないであろう、その形を。
竜崎のしかけた背水の策。それは、『自らを殺し、噴き出した呪いによって魔術士達を巻き添えにする』というもの。
故に彼は、最後の力を振り絞り、その手拳銃で自らの頭を撃ち抜こうとしたのだ。しかし残念ながら、それは失敗に終わった。
…だが…。
(あの瞬間…。彼の邪魔が入らなければ…、俺は撃てていただろうか…)
自問する竜崎。正直言うと、なけなしの魔力で生成した銃弾は、死にかけの自分を気絶させる威力が精々だった。だから、頭を穿たれる恐怖は無かったと言っていい。
…しかし、そうだとしても、撃てていたのか? …認めたくはないが、撃てていなかったかもしれない。獣人に殴られ、弾を逸らされ、内心安堵していたのかもしれない。
死が、怖かった? それは当然。死ぬのが怖くない者なぞいない。…だが、それ以上に―。
(俺は…助けを待っていた…。賢者の爺さんの、ソフィアの、そして…アリシャの…)
死ぬ覚悟が出来ていなかったのは、何もその時だけではない。全ての発端から…さくらを、装置の元に連れていくのを決めた時からだった。
祈禱師シビラの予言を受け、背筋が凍った。いつ襲い来るやもしれないその時からさくらを救い出すため、藁をもすがる思いで元の世界に帰る方法を洗い直しもした。
しかし、無情にも予言の時は来てしまった。幸いタマの助力もあって、彼女は無事に済んだ。…しかし、ノートの存在がバレてしまった。
『元の世界に帰りたい』。さくらにそう言われてしまった際、時が来たと感じた。秘密が綻びを見せた『時』と、自身の予言の『時』。
自らに下った予言は、このことかもしれない。微かにそう思いもした。しかし、だからこそ―。シビラの『対策をすればなんとかなる』という言葉も後押しになった。
死なずに、装置を起動する。細い糸のような可能性を信じ、動き出した。ニアロンはそれを察したかのように黙ってくれた。
そして最悪の想像…自身が死に、さくらのみ生き残ることを案じ、あらかじめ作っておいた遺書を残した。禁忌の魔導書と交換するように、クローゼットの中に。
ただ―。そこでも、死ぬ覚悟が出来ていなかった。わかっていたのだ。魔導書に、何か仕掛けられていることに。
託して貰ったとはいえ、魔導書は禁忌の産物。用心深い賢者が警戒していないわけがない。…それを持ちだすということは、自身かさくら、どちらかを生贄に装置を起動させるということでもあるのだから。
故に、推測はついていた。追跡魔術か何かがかけられているということに。それを知っていて、あえてそのまま持ち出した。
理由はただ一つであった。装置を起動した後、救援に来た賢者に応急処置をしてもらうため。しかし、直接手伝いを頼めば、彼が許可するわけがないのはわかっていた。
だから、甘えた。賢者が自身を見守ってくれている、孫を見る祖父のような心持であることを逆手にとってしまった。 首尾よく自分が事を成した後、助けに出て来てくれることを信じて。
しかし…予想外の展開が引き起こされてしまった。謎の魔術士達が乱入し、戦闘が始まってしまったのだ。
―だが、その時にも、死ぬ覚悟は出来ていなかった。
魔術士が姿を現す際、通路の罠を壊して入ってきた。それにより、賢者が動くのは明白であった。
恐らく彼の事、既に乱入者が様々な事件を起こした例の魔術士だと既に把握しているはず。気を逃さず捕えるため、アリシャとソフィアに声をかけるという事も察せられた。
…いや、もしかしたら、もしもの時のために、既に招集準備を済ませていたのかもしれない。
又は、自身が装置を起動した後、『二度とこんなことをするな』と勇者一行全員で泣き落としをかけるために。
それは、賢者がすぐに現れなかったことが示していた。近場に転移魔法陣が隠されて設置してあったことも、知っていた。
だというのにすぐさま現れなかったのは、そういうことだったのだろう。
もし仮に賢者が自分を追跡していなかったのならば、罠破壊の報を受けてすぐさま飛び込んできただろう。機動鎧の準備をしていないソフィアや、エルフの国の一番端にいるアリシャを待たず、単独で。
そして彼の実力ならば、魔術士達を倒せないまでも、自身らを連れ撤退することは間違いなく出来た。 『装置なぞよりお前さん達の命の方がよっぽど大切じゃ』とでも諫めつつ。
だから自分は、それを―、賢者達の救援を信じ戦った。時間稼ぎ且つ、あわよくば連中を倒すか撤退させるために。
しかし…現実にはそんな余裕なぞなかった。次第に追い詰められ、あの状況になってしまった。
だがその時も、賢者が、発明家が、そして勇者が助けに来てくれると少なからず信じていた。
それはただの神頼みに近いものだったのかもしれない。だけど、今際の際でも消えることはなかった。
全てが失敗した最後、魔術士が放った一槍。ついに死を目の前に感じぜざるを得なくなったその一撃を…突如現れた勇者が―、アリシャが弾き飛ばした。
その瞬間、自分は心の底より高揚していた。やっぱり、来てくれた―。と。
そして、彼女が手にしていた剣…『神具の剣』を見て、自分の部屋のクローゼットに入ってたはずのそれを見て、さらに胸をなでおろした。
あぁやはり…自分は、見張られていたんだと。
教員寮の自身の部屋のクローゼット。そこにかけている封印を解けるのは、自身とニアロン、そして賢者のみ。ということはつまり、賢者が開け、剣を取り出したに相違ない。
先に述べた通り、もし賢者が罠の破壊によってようやく異変に気づいたのならば、そんな悠長なことはしていないだろう。使い慣れぬ剣なぞ取り出してくるわけがないのだ。
だというのに剣は、エルフの国という一番遠い場にいたはずの勇者の手の内に。それが何を示しているのかは、容易く推測がついた。
加えて直後、賢者は重厚な機動鎧をまとったソフィアと、逃がしたさくら達を勢揃いさせ現れた。罠破壊から計算したとして、およそ手間取っていたとは思えない…あらかじめ準備し、即座に動いたと言うべきほどの速度で。
―そう。自分は、死ぬ覚悟なんて決まっていなかったのかもしれない。ただひたすらに、溺れかけながら藁ならぬ救援ロープを待っていたのやもしれない。
いいや、死ぬ覚悟なぞ出来ないのは当たり前の事である。かつての戦争を生き抜いた自分には、そんなのは当然のようにわかっていた。
わかっている。わかっているのだ。死を恐れないなぞ、戦場に置いて愚の骨頂だということは。それはただの思考停止特攻に過ぎない。
如何に帰るか、如何に無事で済ませられるかを考えられないほどに正気を失った者が、戦いで勝てるわけないのだ。
…だがそれが、あの結果を引き起こしたのではないか。そう思えてしまった。
死を恐れずに戦う。それほど覚悟がなかったからこそ、負けてしまったのかもしれない。そんな考えが、胸を占めてしまっていたのである。
最も…精神論でなんとかなる相手ではなかった。だが、もっと覚悟を決めていたらと思うと…やるせない気分になってしまう。
…なにせ――。
(…俺は、この世界で死ぬと決意していたというのに……)
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