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―1人ぼっちの心の内で―
377話 ある男の回顧①
しおりを挟むそこは、暗き、暗き闇の中であった。地も、天もないようなそこに、1人の男が揺蕩っていた。
(…ここは…どこなんだ…?)
白い髪と、その中に仄かに残る黒髪を持つ、壮年期半ばのその男は、自問をする。
「…ニアロン…?」
ふと彼は、常に共にある相棒の名を呼ぶ。しかし、返答はない。 その事実に彼の心はゾワリと引っ掻かれたが、すぐにあることに気づいた。
(あぁ…。身体が…)
自らの五体の感覚が、妙なのに気づいたのだ。そこにあるようで、そこにない。ここにあるようで、ここにない。夢か現かわからないような、泡沫の如き揺れ模様。
(死んだ…のか…?)
彼は自らの腹を―、先程槍に貫かれたそこを、20年来に噴き出した呪いに侵されたはずの身を撫でる。
しかし、痛みや苦しみはない。なればと目で見ようとしても、朧気で詳細が捉えられない。
(霊体、というのはこんな感覚だったりするのかな…?)
軽く冗談のように、頭の中で呟く男。それは、ある程度平静を取り戻したということでもあった。
そしてその瞬間、全身を包んだのは、一つの見当識。判断材料となるもの何一つ存在しないというのに、確証たる意識がそこにはあった。
(―多分、ここは…きっと…)
ふぅ…と息を吐きつつ、彼は想う。そして存在しない天を仰ぐようにしつつ、自らの胸をそっと押さえた。
(私の…俺の、『竜崎清人』の心の中なんだろうな…)
元いた世界に『地獄』というものがあったのかはわからない。そして、自分がいるはずの異世界でもそれは同じであった。
―もし、異世界というものに地獄があるとするのならば、『魔界』というのが似合っているのだろう。剣と魔法の世界において、それは死者の国として扱われることもあるのだから。
だが、自分達が転移してきたこの世界には、地名としての魔界がある。そこは多少奇妙な色遣いであるが、人や獣、魔神達が住む普通の地である。
…いや、正しく言えば、その魔界と言う名称が間違っているのだが。なにせそれは、この世界に来た自分が翻訳のために無理やり当てはめた単語。正確な呼び名、そして籠められている思いは、この世界の人にしかわからないだろう。
(ともあれ、やっぱりここは地獄ではなさそう…か…)
逸れだした思考を切るように、再度口には出さず独り言ちる竜崎。彼は自らの、先に感じた確証たる意識についての追推測を続けた。
そう、地獄ではない。ここには、他の霊も、刑場も、閻魔大王も、鬼もいない。
…オーガと呼んでいる鬼のような角持ち種族は、この異世界にいるが。学園長の娘、ラヴィ・マハトリーのような者達が。
しかし繰り返しになるが、この場にはそのようなものは何一つない。ただ、何も無いような真っ暗な空間で、意識も消滅することなく漂っているだけ。
ともすれば、何もすることのないここで、存分に自省をしろと言われているような―。そんな感じすらした。
(自省、か…。そんなもの…………幾らでもあるに決まっているだろ…)
場の考察を止め、再度息を吐く竜崎。それには、後悔と自責と怒り、そして無力感が多分に内包されていた。
ふと、周りの暗闇に情景が幾つも映し出される。その全てに、竜崎は見覚えがあった。それらは、彼がこの世界に来て体験した、無力感の数々であった。
今まで幾度も幾度も無力感に打ちひしがれてきた。言語が通じず、白い目で見られていた転移当初。クレアが呪いの生贄に選ばれた際、何もできなかったあの時。
勇者達と共に戦場に出て、眼の前で人が殺された絶望。戦いで全く活躍できず、身を刻まれた痛み。そして…誰かを守るためとはいえ、人を手にかけてしまったあの罪業。
その他にも、幾多味わったことであろうか。その走馬灯のような辛き映像は次々と切り替わり、これでもかと見せつけて来る。
だが竜崎は目を逸らすことなく、それを見つめ続けた。過去を反芻するかのように、まざまざと当時を思い返しながら。
(…そして―)
最後に映し出されたそれに、彼は息を呑む。 それは、魔術士によって転移装置が破壊された、あの瞬間であった。
わかっていたはずだったのだ。最初にあの魔術士が装置に触れた時、そして訳知りだという風体を醸し出していた時、予測出来ていたのだ。
彼ならば、禁忌魔術に精通しているあいつならば、装置を容易く破壊することができた。事実、最初の戦闘の際、あいつは脅しがてら壊そうとしてきた。
それは、咄嗟の機転で事なきを得た。あいつが欲しがっていた魔導書を燃やそうとすることで。そしてその場は、さくらの助力もあり収まりかけた。
…だが直後、乱入してきた獣人がいた。堅い岩天井を破壊し平然と入ってきた事実、明らかに異常な巨躯の身、そして…彼の全身に浮かび上がった、勇者アリシャと同じ紫光放つ強化紋様。
その異様極まる姿に怯み、対処が遅れた。そのアリシャと変わらぬ力に言葉を失い、思考が回らなかった。その鋭俊豪傑な様子に気圧され、数手追いつかなかった。
そして―。さくらを守ることで手一杯だった。故に、装置をおろそかにしてしまっていた。倒れ伏した魔術士の様子に、気を配る余裕なんてなかった。
その結果が、転移装置の破壊。もっと警戒を怠らなければ、もっと意識を向けられていたら。既にどうにもならぬ過去だというのに、後悔と自身への怒りが、湯水の如く湧き出していた。
一瞬でも気を抜けば、獣人に殺されていた?周囲に出来る限り被害を出さないように戦わなければいけなかった? だから、仕方なかった?
…そんなのは言い訳でしかないのだ。事実、守れなかったのだから。
かつての戦中、嫌と言うほど味わった無力感の一つ。『自らの力不足で、助けられなかった』。その再来に竜崎は、血が出るほど強く頭を掻き毟る。
幸いにして、いくら掻いたところで血は出ない。ただそれが、苦しみを助長させてもいた。痛みという赦しを得られぬ今、彼は行き場の無い感情に渦巻かれていた。
「…また、俺の力不足のせいで…装置を…さくらさんを… くそっ……くそっ……」
頭を抱えるようにして、嗚咽に似た叫びを吐く竜崎。そう、全ては力不足。自分のせいなのである。
自分がもっと上手く立ち回れていれば、装置は壊されなかった。さくらを窮地に追いやるなんてこともなかった。そして―。
「…アリシャに…………ニアロンに…………あんな…顔を……」
助けに来てくれたアリシャに、涙を流させることはなかった。…そしてニアロンに、あんな表情をさせることもなかったのだ。
ニアロンが自分の身に戻ろうとしたのを断固拒否し、さくらの護衛を託した時。そしてさくらと共にあの場からの脱出を命じた時。あの刹那に浮かべた彼女の顔が、忘れられなかった。
…彼女もまた、絶望を浮かべていた。竜崎と自分自身に怒り、無力感に苛まれるように目を震わせ、竜崎を失う恐怖に、身を震わせていた。
そして…それら全てを呑み込み、自分の想いを押し殺すように口を結び、竜崎の命に尽すことだけを心に決めた、覚悟と、虚ろさを併せ持った悲しき表情であった。
(悪い事を…したな…。 …赦してくれるだろうか…。 …でも)
でも、あの時とった行動に間違いはなかった―。そう信じたかった。
自らの身を犠牲にすることで、恐らくこれから難敵になるであろう連中を死に巻き込み、さくらとニアロンを救う。脳に血が届かない中、必死に考えた策。だから―
「…いや…。」
そこまで思考を動かした彼は、自分自身を黙らせるように微かな失笑を浮かべる。そして、拳銃の形を作った手を、じっと見つめた。
「本当は、俺に、死ぬ気なんてなかったんだろうな…」
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