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―病院にて―
355話 千切れた糸、切れかけた命綱
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「私が……!悪いんでず…!! 全部…全部…!! 私が…あんなこと言わなかったら…! 帰りたいなんて言わなかったら…! 竜崎さんは…竜崎さんは…!!」
アリシャバージルの一角にある病院、その手術室前。何人をも阻むように扉が堅く締め切られた手術室入口の上には、治療中を示す赤い光が灯っている。
その手前、閑散とした通路に置かれた長椅子の上で、さくらは泣きじゃくっていた。大粒の涙をボロボロと絶え間なく零しながら、自らの行いを責め、謝り続けていた。
首尾よく竜崎は運び込まれ、今は手術室の中。医者だけではなく、賢者を始めとした多数の魔術士…中にはさくらも顔を知っている学園の教師陣複数名が、ニアロンと共に彼の治療に取り掛かっている。
当然のことだが、さくらの素人治癒魔術は役に立つはずがない。アリシャ、ソフィアと共に外で無事を祈るしかなかった。
と、そこで―。さくらの、張り詰めていた緊張の糸がプチンと千切れたのである。
命がけの戦いが一旦収着し、瀕死だった竜崎も安全圏に。ようやく気を緩ませることができたさくらの内に強く押し寄せてきたのは…後悔と自責の念だった。
それは濁流のようにさくらの心へと襲い掛かり、張り裂けさせんと膨らむ。かと思えば蛇の如く絞めつけ、刺されたわけでもないのに激痛すら感じさせた。
もう、限界だった。堰を切ったかのように溢れ出す涙を止めることはできなかった。自分がやってしまった『罪』に圧し潰されていた。
親と突然に引き離され、種族、文明、言葉…何もかもが未知の世界に、さくらは放り出された。精神が壊れてもおかしくなかった。
しかし、さくらは今の今まで無事に済んでいた。それは何故か。竜崎がいてくれたからである。
『元いた世界』を知る彼の存在は、さくらにとっての唯一の命綱となった。彼が自身とこの世界を繋いでくれたから、立ち上がることができたのだ。
彼がいたおかげで言葉を覚えられ、彼がいたおかげで友達を作れ、彼がいたおかげで魔術を習得でき、彼がいたおかげでこの異世界の楽しさを知ることが出来た。
最初に助けてくれたクレアですら、竜崎がいなければ救いの手を伸ばしてくれていたかもわからない。いや、もしかしたら彼女は既に生贄となり死んでいたのかもしれない。
竜崎がいなければ、先に生きた彼がいなければ、自身はどうなっていたのだろうか。少なくとも…今よりも悪い状態になっていたのは確かであろう。
どこかの下女となり必死に下働きをしていたか、もしかしたら奴隷のように扱われて酷い目にあっていたかもしれない。
いいや、獣の餌となって死んでいたのかもしれないし、次の生贄のためにただ生かされるだけの存在になっていたかもしれない。
そんなあらゆる最悪の運命から、救世主の如く助け出してくれたのが竜崎なのだ。それなのに、それなのに……!!
「あんな目に…遭わせちゃった…… 私の…せいで……!!」
顔を伏せ、嗚咽を漏らすさくら。そう、そんな彼を…救世主の竜崎を、殺しかけてしまった。
その発端は、自分のわがまま。偶然に知ってしまった、『元の世界に帰れるかもしれない方法』。それを実行したいと、竜崎にねだったからだ。
しかしその方法は…竜崎かさくら、どちらかの命を犠牲にする必要があった。それを知って二の足を踏んでしまったさくらを、竜崎は宥め、自らが生贄になると名乗りでた。
『私なら、死なない可能性があるから』。竜崎のそんな甘言に誘われ、さくらは止めると言い出せなかった。
だが―、結果はご存知の通り。乱入してきた魔術士達により、転移装置は粉々に。希望は脆くも崩れ去ってしまった。
そして…自身を守るために、竜崎が彼らに…。
さくらは自らが恨めしかった。竜崎を瀕死に追いやってしまったこと―。だけではない。その前…転移装置の起動を無理にでも取り止めなかったことを。
竜崎が死なないならば、実行してもいいかも。そう考えてしまった自分を呪いたかった。
全身に重傷を負った竜崎を見て、人の命が…大切な人の命が潰える寸前の光景を初めて目の当たりにして、ようやく理解したのだ。
もし魔術士達が来なくとも、竜崎はあんなふうに苦しんでしまったのかもしれない。その事実に。
そして、もう一つ…。両隣りに座るアリシャ、ソフィア。さくらは彼女達2人に顔向けができなかった。
かつての戦争の英雄同士であり、20年来の友。竜崎と彼女達の仲がただならぬものなのは、存分にわかっていた。
だからこそ、顔を上げられなかった。さくらは彼女達から、憎悪と怨讐が籠った目を向けられているのだから。
―いや、それは全く正しくない。アリシャ達はそんな目をしていなかった。
現にソフィアはさくらの背を優しく撫でてあげているし、アリシャは無言なものの、怒りからではなく、本人の性格によるもの且つ、竜崎が消えた手術室の方を注視しているからである。
だが、それでも…さくらはそう感じてしまっていた。そんな風に思い込んでしまうほど、自分を責めているのだ。
さくらにとって竜崎が大切な人であるように、アリシャ達にとっても彼は同じぐらい…いや、その何倍も大切な相手なのは想像に難くない。
そんな彼女達に、申し訳が立たなかったのである。事実はどうあれ、怒りの眼差しを感じてしまうほどに。
…いや、アリシャ達だけではない。今まで関わってきた人々…クレアを筆頭とした彼の古馴染み達。ナディやエルフリーデ、オズヴァルド始めとした教員陣。メストのように竜崎を慕う生徒達。魔王達各国の王。世界中にいる、竜崎を崇敬する人々。そして、魔神達―。
他にも、あげようと思えば幾らでも出てくる。英雄たる竜崎を想う者はごまんといるのだから。
そんな彼らに、そして竜崎本人に、なんと詫びれば良いか。誰に懺悔したとて、この罪は赦されず、消えることなく蝕むだろう。
しかし…謝ることしか、できない。無力な自分には、それしかできない。もう、自らの命を捨てることで贖罪を試みるしか…。
「さくら」
「―――!」
突然の呼び声に、さくらはビクッと身を震わせる。それは、勇者アリシャの声であった。
先の戦闘時の、彼女の怒りよう。それは修羅と呼ぶにふさわしい。その激憤が、次は自分に向けられる―。
…いや、それが贖いなのだ。どんな咎めすらも、受け入れるしかない。さくらは身を縮めたまま宣告を待つ。
と―。
「よいしょ」
ヒョイッと、さくらの身体はアリシャに軽く抱き上げられる。そしてそのまま…。
ギュウッ
「――! ……ぁ」
顔、そして全身に伝わる暖かな体温と柔らかな感触に、さくらは小さく声を漏らす。自身の身体は、アリシャに抱きしめられていたのだ。
「落ち着いて、さくら。はい」
むぎゅっ!
「ッ! ~~~ムー…!?」
突如さくらの顔は、アリシャの胸にぐににっと埋められる。見兼ねたソフィアが、慌てて止めに入った。
「いや、ちょっちょっちょっ!アリシャ待って! そこまでしてって言ってないわよ!? てか、何してんの!?」
「? エルフの人から聞いた。こうすると、キヨトがすごく喜ぶって。さくらだから、特別」
小首を傾げ、説明するアリシャ。いやいや…そうかもだけど…と微妙な表情を浮かべるソフィア。それで何か思ったのか、アリシャは続けた。
「でも、キヨト笑ってたよ…?」
「いやそれ、絶対苦笑いだったわよ…」
ソフィアそう言い、肩を竦めるしかなかった。
あわや呼吸を止められかけ、ついでに寸劇もどきを見せつけられ、ぽかんとしてしまうさくら。そんな彼女の顔を、アリシャが覗き込んだ。
「さくら、落ち着いた?」
そう問いかける彼女の目を、さくらは涙で歪む視界ながらも見止めた。そこには自身に向けての憤りなど、皆無。ただ、少し心配するかのような無垢な瞳であった。
「ぁ…ぅ…その…ごめんなさ…」
「? なんで、謝るの?」
思わず謝ったさくらに、アリシャはきょとんとして返す。さくらは少し言葉を詰まらせてしまった。
「ぇ…、…それは…竜崎さんに…怪我を…」
「キヨトを怪我させたの、さくらじゃないでしょ?」
「…そ…そう…ですけど…。私のせいで、あんな目に……遭わせちゃって…」
自らの行いを再度思い出し、目を伏せようとするさくら。それを励ますように彼女の頭をポンポンと撫でたのはソフィアであった。
「さくらちゃん、大丈夫よ。貴方は悪くない。事情はミルスの爺様からあらかた聞いたわ。…まあニアロンは反対したでしょうけど、最後にはキヨトが実行を決めたんでしょう?」
迷いながらも、さくらはコクリと頷く。すると。ソフィアはニコリと笑った。
「なら、あんまり気にしなくて良いわよ。キヨト、そういうとこあるから。20年前から治んないのよね~、あの決めたら梃子でもニアロンでも動かない性格」
やれやれと手を横にしながら、椅子に腰かけ直すソフィア。さくらは怯えながら付け加えた。
「で…でも…魔導書も…神具の鏡も奪われちゃって…」
「うーん、まあ確かにヤバいっちゃヤバいだろうけど…。ミルスの爺様が言ってたでしょ?取り返せばいいのよ!」
さっぱりとした前向きな口調でソフィアは言い切る。と、彼女は横に置いてあった折れ曲がった杖を手に取った。
「それよりもこれねー…。キヨトの杖。結構頑丈に作ったんだけど、曲がっちゃったかー…。機動鎧の腕も接続部とはいえ簡単に壊されたし、マリアが神具の鏡に取り付けた握り手も折れちゃったみたいだし…親子そろってまだまだ研鑽が必要ね…」
ふぅ…と溜息をつくソフィア。どうやら彼女にとっては、そちらのほうが重要なことらしい。
「でも、神具の鏡でも収束魔導術砲をそのまま返すってことはできなかったし、対策理論と術式は今の方向性で間違ってないわね…。あとはどれだけ突き詰められるか…燃えてきたわ!」
片や勝手に燃え、片や優しく抱きしめ続けてくれている。全く罪を問う気のないソフィアとアリシャに呆気にとられたさくらは、思わず聞いてしまった。
「竜崎さん…大丈夫でしょうか…?」
そんな問いかけに、勇者と発明家は即座に、そして同時に返した。
「「大丈夫、キヨトはあれぐらいじゃ死なない(わよ!)」」
「あ。もしかしてさくらちゃん…キヨトが怒ってるか気にしてるの?」
ふと、ピンと来たかのように顔を寄せるソフィア。さくらは内心の一つを突かれ、息を呑んでしまった。
…その通りであった。皆に詫びたい、そんな感情は二の次であった。本当は、竜崎に許して貰えるかが一番の不安であった。
装置の起動前、竜崎はさくらに言った。もし自分が命を落としても、皆と仲良くなったさくらさんならば問題なく暮らしていけると。
だが、そんなわけはない。その場合周囲から恨まれるという、起こるべき事態の話どころの問題ではない。
先程も述べた通り、さくらにとって竜崎は命綱。失ったら、光無き闇へと逆戻りに等しい。そしてそれは、竜崎から手を突き放しても同じことなのだ。
この一件で竜崎に嫌われたら、生きていけない。見捨てられたくない。窮地に追いやっておいて、勝手な願いなのはわかっている。でも…それでも…!
「キヨトはさくらのこと、怒ってないよ」
「……ぇ」
さくらを恐怖から引き上げたのは、またもアリシャの声だった。その口ぶりは、確証めいていた。
「…え…なんで…」
「だってあの時のキヨトの目。そうだったから」
さくらの問いにそう答えるアリシャ。しかし、要領を得ない。ソフィアが改めてどういうこと?と聞き直すと、彼女はゆっくりと続けた。
「ソフィアがマリアを見る時の目、そっくりだった。喜んでて、心配してて、すごく優しい目」
「へー…!娘、ってことかしらね」
感心する様子のソフィア。と、アリシャはそれに反応した。
「ならキヨト、お父さん? じゃあお母さん、私?」
「んー…、それで良いんじゃないかしら? この世界にいる間は、ね」
ツッコむの面倒になったのか、それが良いと本当に思ったのか、ソフィアは頷く。するとアリシャはさくらを抱く力を少し強め―。
「さくら。良い子良い子」
今度は優しく彼女を胸に埋めさせ、頭と背を優しく撫で始めた。以前、魔王城の夜の一幕でも感じた、母のような慈愛。それが彼女の褐色の肌を通じ、温かく伝わってくる。
ふと、さくらの瞼は下がってくる。心の重しが少し消え、溜まっていた疲労が鎌首をもたげたのだ。
「おやすみなさい、さくら」
心地の良いアリシャの言葉に、さくらの意識は微睡みの中に落ちていった。
…今は寝かせてあげよう。齢14程度の少女が、覚悟決まらぬ彼女が、体験するには余りにも苛烈な出来事だったのだから。
せめて、今は安らかに―。
アリシャバージルの一角にある病院、その手術室前。何人をも阻むように扉が堅く締め切られた手術室入口の上には、治療中を示す赤い光が灯っている。
その手前、閑散とした通路に置かれた長椅子の上で、さくらは泣きじゃくっていた。大粒の涙をボロボロと絶え間なく零しながら、自らの行いを責め、謝り続けていた。
首尾よく竜崎は運び込まれ、今は手術室の中。医者だけではなく、賢者を始めとした多数の魔術士…中にはさくらも顔を知っている学園の教師陣複数名が、ニアロンと共に彼の治療に取り掛かっている。
当然のことだが、さくらの素人治癒魔術は役に立つはずがない。アリシャ、ソフィアと共に外で無事を祈るしかなかった。
と、そこで―。さくらの、張り詰めていた緊張の糸がプチンと千切れたのである。
命がけの戦いが一旦収着し、瀕死だった竜崎も安全圏に。ようやく気を緩ませることができたさくらの内に強く押し寄せてきたのは…後悔と自責の念だった。
それは濁流のようにさくらの心へと襲い掛かり、張り裂けさせんと膨らむ。かと思えば蛇の如く絞めつけ、刺されたわけでもないのに激痛すら感じさせた。
もう、限界だった。堰を切ったかのように溢れ出す涙を止めることはできなかった。自分がやってしまった『罪』に圧し潰されていた。
親と突然に引き離され、種族、文明、言葉…何もかもが未知の世界に、さくらは放り出された。精神が壊れてもおかしくなかった。
しかし、さくらは今の今まで無事に済んでいた。それは何故か。竜崎がいてくれたからである。
『元いた世界』を知る彼の存在は、さくらにとっての唯一の命綱となった。彼が自身とこの世界を繋いでくれたから、立ち上がることができたのだ。
彼がいたおかげで言葉を覚えられ、彼がいたおかげで友達を作れ、彼がいたおかげで魔術を習得でき、彼がいたおかげでこの異世界の楽しさを知ることが出来た。
最初に助けてくれたクレアですら、竜崎がいなければ救いの手を伸ばしてくれていたかもわからない。いや、もしかしたら彼女は既に生贄となり死んでいたのかもしれない。
竜崎がいなければ、先に生きた彼がいなければ、自身はどうなっていたのだろうか。少なくとも…今よりも悪い状態になっていたのは確かであろう。
どこかの下女となり必死に下働きをしていたか、もしかしたら奴隷のように扱われて酷い目にあっていたかもしれない。
いいや、獣の餌となって死んでいたのかもしれないし、次の生贄のためにただ生かされるだけの存在になっていたかもしれない。
そんなあらゆる最悪の運命から、救世主の如く助け出してくれたのが竜崎なのだ。それなのに、それなのに……!!
「あんな目に…遭わせちゃった…… 私の…せいで……!!」
顔を伏せ、嗚咽を漏らすさくら。そう、そんな彼を…救世主の竜崎を、殺しかけてしまった。
その発端は、自分のわがまま。偶然に知ってしまった、『元の世界に帰れるかもしれない方法』。それを実行したいと、竜崎にねだったからだ。
しかしその方法は…竜崎かさくら、どちらかの命を犠牲にする必要があった。それを知って二の足を踏んでしまったさくらを、竜崎は宥め、自らが生贄になると名乗りでた。
『私なら、死なない可能性があるから』。竜崎のそんな甘言に誘われ、さくらは止めると言い出せなかった。
だが―、結果はご存知の通り。乱入してきた魔術士達により、転移装置は粉々に。希望は脆くも崩れ去ってしまった。
そして…自身を守るために、竜崎が彼らに…。
さくらは自らが恨めしかった。竜崎を瀕死に追いやってしまったこと―。だけではない。その前…転移装置の起動を無理にでも取り止めなかったことを。
竜崎が死なないならば、実行してもいいかも。そう考えてしまった自分を呪いたかった。
全身に重傷を負った竜崎を見て、人の命が…大切な人の命が潰える寸前の光景を初めて目の当たりにして、ようやく理解したのだ。
もし魔術士達が来なくとも、竜崎はあんなふうに苦しんでしまったのかもしれない。その事実に。
そして、もう一つ…。両隣りに座るアリシャ、ソフィア。さくらは彼女達2人に顔向けができなかった。
かつての戦争の英雄同士であり、20年来の友。竜崎と彼女達の仲がただならぬものなのは、存分にわかっていた。
だからこそ、顔を上げられなかった。さくらは彼女達から、憎悪と怨讐が籠った目を向けられているのだから。
―いや、それは全く正しくない。アリシャ達はそんな目をしていなかった。
現にソフィアはさくらの背を優しく撫でてあげているし、アリシャは無言なものの、怒りからではなく、本人の性格によるもの且つ、竜崎が消えた手術室の方を注視しているからである。
だが、それでも…さくらはそう感じてしまっていた。そんな風に思い込んでしまうほど、自分を責めているのだ。
さくらにとって竜崎が大切な人であるように、アリシャ達にとっても彼は同じぐらい…いや、その何倍も大切な相手なのは想像に難くない。
そんな彼女達に、申し訳が立たなかったのである。事実はどうあれ、怒りの眼差しを感じてしまうほどに。
…いや、アリシャ達だけではない。今まで関わってきた人々…クレアを筆頭とした彼の古馴染み達。ナディやエルフリーデ、オズヴァルド始めとした教員陣。メストのように竜崎を慕う生徒達。魔王達各国の王。世界中にいる、竜崎を崇敬する人々。そして、魔神達―。
他にも、あげようと思えば幾らでも出てくる。英雄たる竜崎を想う者はごまんといるのだから。
そんな彼らに、そして竜崎本人に、なんと詫びれば良いか。誰に懺悔したとて、この罪は赦されず、消えることなく蝕むだろう。
しかし…謝ることしか、できない。無力な自分には、それしかできない。もう、自らの命を捨てることで贖罪を試みるしか…。
「さくら」
「―――!」
突然の呼び声に、さくらはビクッと身を震わせる。それは、勇者アリシャの声であった。
先の戦闘時の、彼女の怒りよう。それは修羅と呼ぶにふさわしい。その激憤が、次は自分に向けられる―。
…いや、それが贖いなのだ。どんな咎めすらも、受け入れるしかない。さくらは身を縮めたまま宣告を待つ。
と―。
「よいしょ」
ヒョイッと、さくらの身体はアリシャに軽く抱き上げられる。そしてそのまま…。
ギュウッ
「――! ……ぁ」
顔、そして全身に伝わる暖かな体温と柔らかな感触に、さくらは小さく声を漏らす。自身の身体は、アリシャに抱きしめられていたのだ。
「落ち着いて、さくら。はい」
むぎゅっ!
「ッ! ~~~ムー…!?」
突如さくらの顔は、アリシャの胸にぐににっと埋められる。見兼ねたソフィアが、慌てて止めに入った。
「いや、ちょっちょっちょっ!アリシャ待って! そこまでしてって言ってないわよ!? てか、何してんの!?」
「? エルフの人から聞いた。こうすると、キヨトがすごく喜ぶって。さくらだから、特別」
小首を傾げ、説明するアリシャ。いやいや…そうかもだけど…と微妙な表情を浮かべるソフィア。それで何か思ったのか、アリシャは続けた。
「でも、キヨト笑ってたよ…?」
「いやそれ、絶対苦笑いだったわよ…」
ソフィアそう言い、肩を竦めるしかなかった。
あわや呼吸を止められかけ、ついでに寸劇もどきを見せつけられ、ぽかんとしてしまうさくら。そんな彼女の顔を、アリシャが覗き込んだ。
「さくら、落ち着いた?」
そう問いかける彼女の目を、さくらは涙で歪む視界ながらも見止めた。そこには自身に向けての憤りなど、皆無。ただ、少し心配するかのような無垢な瞳であった。
「ぁ…ぅ…その…ごめんなさ…」
「? なんで、謝るの?」
思わず謝ったさくらに、アリシャはきょとんとして返す。さくらは少し言葉を詰まらせてしまった。
「ぇ…、…それは…竜崎さんに…怪我を…」
「キヨトを怪我させたの、さくらじゃないでしょ?」
「…そ…そう…ですけど…。私のせいで、あんな目に……遭わせちゃって…」
自らの行いを再度思い出し、目を伏せようとするさくら。それを励ますように彼女の頭をポンポンと撫でたのはソフィアであった。
「さくらちゃん、大丈夫よ。貴方は悪くない。事情はミルスの爺様からあらかた聞いたわ。…まあニアロンは反対したでしょうけど、最後にはキヨトが実行を決めたんでしょう?」
迷いながらも、さくらはコクリと頷く。すると。ソフィアはニコリと笑った。
「なら、あんまり気にしなくて良いわよ。キヨト、そういうとこあるから。20年前から治んないのよね~、あの決めたら梃子でもニアロンでも動かない性格」
やれやれと手を横にしながら、椅子に腰かけ直すソフィア。さくらは怯えながら付け加えた。
「で…でも…魔導書も…神具の鏡も奪われちゃって…」
「うーん、まあ確かにヤバいっちゃヤバいだろうけど…。ミルスの爺様が言ってたでしょ?取り返せばいいのよ!」
さっぱりとした前向きな口調でソフィアは言い切る。と、彼女は横に置いてあった折れ曲がった杖を手に取った。
「それよりもこれねー…。キヨトの杖。結構頑丈に作ったんだけど、曲がっちゃったかー…。機動鎧の腕も接続部とはいえ簡単に壊されたし、マリアが神具の鏡に取り付けた握り手も折れちゃったみたいだし…親子そろってまだまだ研鑽が必要ね…」
ふぅ…と溜息をつくソフィア。どうやら彼女にとっては、そちらのほうが重要なことらしい。
「でも、神具の鏡でも収束魔導術砲をそのまま返すってことはできなかったし、対策理論と術式は今の方向性で間違ってないわね…。あとはどれだけ突き詰められるか…燃えてきたわ!」
片や勝手に燃え、片や優しく抱きしめ続けてくれている。全く罪を問う気のないソフィアとアリシャに呆気にとられたさくらは、思わず聞いてしまった。
「竜崎さん…大丈夫でしょうか…?」
そんな問いかけに、勇者と発明家は即座に、そして同時に返した。
「「大丈夫、キヨトはあれぐらいじゃ死なない(わよ!)」」
「あ。もしかしてさくらちゃん…キヨトが怒ってるか気にしてるの?」
ふと、ピンと来たかのように顔を寄せるソフィア。さくらは内心の一つを突かれ、息を呑んでしまった。
…その通りであった。皆に詫びたい、そんな感情は二の次であった。本当は、竜崎に許して貰えるかが一番の不安であった。
装置の起動前、竜崎はさくらに言った。もし自分が命を落としても、皆と仲良くなったさくらさんならば問題なく暮らしていけると。
だが、そんなわけはない。その場合周囲から恨まれるという、起こるべき事態の話どころの問題ではない。
先程も述べた通り、さくらにとって竜崎は命綱。失ったら、光無き闇へと逆戻りに等しい。そしてそれは、竜崎から手を突き放しても同じことなのだ。
この一件で竜崎に嫌われたら、生きていけない。見捨てられたくない。窮地に追いやっておいて、勝手な願いなのはわかっている。でも…それでも…!
「キヨトはさくらのこと、怒ってないよ」
「……ぇ」
さくらを恐怖から引き上げたのは、またもアリシャの声だった。その口ぶりは、確証めいていた。
「…え…なんで…」
「だってあの時のキヨトの目。そうだったから」
さくらの問いにそう答えるアリシャ。しかし、要領を得ない。ソフィアが改めてどういうこと?と聞き直すと、彼女はゆっくりと続けた。
「ソフィアがマリアを見る時の目、そっくりだった。喜んでて、心配してて、すごく優しい目」
「へー…!娘、ってことかしらね」
感心する様子のソフィア。と、アリシャはそれに反応した。
「ならキヨト、お父さん? じゃあお母さん、私?」
「んー…、それで良いんじゃないかしら? この世界にいる間は、ね」
ツッコむの面倒になったのか、それが良いと本当に思ったのか、ソフィアは頷く。するとアリシャはさくらを抱く力を少し強め―。
「さくら。良い子良い子」
今度は優しく彼女を胸に埋めさせ、頭と背を優しく撫で始めた。以前、魔王城の夜の一幕でも感じた、母のような慈愛。それが彼女の褐色の肌を通じ、温かく伝わってくる。
ふと、さくらの瞼は下がってくる。心の重しが少し消え、溜まっていた疲労が鎌首をもたげたのだ。
「おやすみなさい、さくら」
心地の良いアリシャの言葉に、さくらの意識は微睡みの中に落ちていった。
…今は寝かせてあげよう。齢14程度の少女が、覚悟決まらぬ彼女が、体験するには余りにも苛烈な出来事だったのだから。
せめて、今は安らかに―。
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