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―没落貴族令嬢の過去―
287話 月照らすバルコニーで
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「んん…」
寝ていたさくらは目を覚ます。横に寝ているのはメストとエーリカだが、先程まで寝ていた部屋のベッドではない。そうだ、竜崎さんの部屋で寝かせてもらっていたんだと状況を思い出す。
あの時はメストが起きたベッドの揺れで目を覚ましたが、今回は違う。メストは片腕をエーリカに抱かれ、気持ちよさそうに寝息を立てていた。その顔に、憂いは何一つない。
さくらが起きた理由は、陶器のぶつかる微かな音と、衣擦れの音を聞いたからである。普段ならその程度全く気にせず爆睡するが、偶然睡眠が浅い時に耳に入ってしまったのだろう。
顔を上げ、様子を見てみるさくら。少し離れたソファには、マーサとタマがいた。竜崎は彼女のカウンセリング役の任を解き、休息することを勧めた。しかし彼女は彼女で誰もいない部屋に戻るのも面白くないらしく、ここで竜崎と共にさくら達を守ることになった。
「うーん…タマちゃん重い…むにゃ…」
まあ、寝ているのだけど。竜崎もいる安心感からか、昼間の疲れも相まってマーサはソファの上にコテンと倒れていた。その上にタマが乗っかっているせいで寝苦しそうである。
「タマはこっちのソファで寝てね」
そんなマーサからタマをどけ、代わりに毛布を掛けてあげているのは竜崎。衣擦れの音の正体はそれらしい。
「ありがとうねマーサ。シベルと一緒にさくらさん達を助けに行ってくれて」
ポンとマーサを撫でた竜崎は奥のテーブルへと戻る。仄かな暗い光と共に、耳を澄まさなければ聞こえないほど小さくカチャカチャと陶器の音が聞こえてきた。
と、灯りがフッと消える。竜崎は手に何かを持ちながら、バルコニーへと出て行った。
そういえば彼は夜通しでやることがあると言っていた。それを思い出したさくらは興味本位でベッドを降り、竜崎の元へ。誰も起こさないように…。
そっと扉を開け、様子を見やる。外は竜崎は設置されていた椅子に腰かけ、月の光を浴びながら何かをゴリゴリ混ぜていた。
「なにしているんですか竜崎さん?」
「ん? あ、さくらさん。ゴメンね、起こしちゃった?」
手を止め謝る竜崎。さくらがチラリと見やると、机の上には二つの乳鉢の様なものが。中にはドロドロの何かが入っていた。
「それは…?」
「ちょっとしたアイテムを作っているんだ」
―お前とメストのための、な―
?と首を傾げるさくら。ニアロンはさくらを手招きし、竜崎の横に座らせた。
―丁度いい。さくら、髪の毛を何本かくれ―
「えっ!?」
―血とか唾液とかでも構わないが―
「ちょ、ちょっと待ってください。何でですか!?」
突然の要求に狼狽するさくら。竜崎はニアロンを窘め、説明してくれた。
「今作っている『御守り』に使うんだ。もうちょい後で入れても良いんだけど、今入れたほうが効率よく作れるから」
お願いしていい? 竜崎にそう頼まれ、さくらは困惑しながらも了承した。
「ごめんね切らせて貰っちゃって、でも、さくらさん髪綺麗だねー。櫛が全然引っかからない」
月明りの下、竜崎に髪を梳いてもらうさくら。ニアロンに毛先を一部切って貰ったのだが、意外と持ってかれた。数本どころではない。
鏡で見る限り変化はわからないとはいえ、これならば涎にすればよかった…。そう思ってしまう彼女だったが、即座に頭を振り掻き消した。どう考えても竜崎さんの前で涎を出す方が恥ずかしいじゃん…!と。
貰った髪を更に細かく刻み、乳鉢の片方へと入れ再度混ぜ始める竜崎。それを横で見ていたさくらは思わず呟いた。
「髪の毛使うなんて呪いの藁人形みたい…」
―当たってるぞ。今作ってるのは『呪魔術』を使った御守り人形だからな―
「じゅ…呪いですか!?」
思わずのけぞるさくら。竜崎はそれをどうどうと宥めた。
「そう怖がらなくていいよさくらさん。呪いと銘打ってるけど、聖魔術と近しい存在だよ。封印魔術や捕縛魔術も呪魔術の一部ではあるんだ」
―中には私と清人を苦しめた極悪な呪いもあるけどな。 …さくら、ここ笑うとこだぞ―
「いや笑えませんよ…!?」
「メスト先輩も髪の毛を渡したんですか?」
何とはなしに聞くさくら。しかし竜崎は首を横に振った。
「それはまだなんだ。なにせ部屋に入って来た時から言い出せる雰囲気じゃなくて…。明日貰うよ」
―あいつ髪短いから唾液の方が良いかもな―
ニアロンの言葉で、乳鉢の中に唾液を垂らすメストの姿を想像してしまうさくら。多分その所作すらメストなら華麗にやり遂げそうだと妄想してしまった彼女は頭を振り、邪念を払った。
「あ、そういえば…」
ふとさくらはあることを思い出す。それをそのまま竜崎に伝えた。
「竜崎さん、青薔薇なんですけど。私達が元いた世界で、だいぶ昔に作り出せたらしいですよ。メストさんが作り出す薔薇ほど鮮やかな青じゃないみたいですけど…」
その言葉を聞いた竜崎は驚いた表情を浮かべる。そしてゆっくりと空を仰ぎ見た。
「そうか…いつの間にか実現してたんだね。向こうの世界はどんどん私の知らない世界になっていくなぁ…」
そうポツリと呟く竜崎の横顔は、どこか寂しそうであった。
とはいえ何となく眠れないので、暫く竜崎の横で寛ぐことに決めたさくら。魔法陣の上でゴリゴリ乳鉢を混ぜる彼の手元を見ていると、少しずつ眠気が…
「ところで…」
「ひゃい!?」
突然竜崎に話しかけられ、教師に居眠りを注意された時のように飛び起きるさくら。その様子にちょっと驚いた竜崎は、申し訳なさそうに言葉を続けた。
「さくらさんは気分悪くなってない…?」
「へ?」
「ほら、さっきの、森の一件で…」
極力言葉を濁す竜崎。指しているのは先程攫われた時のことだとさくらも理解した。
(あ…)
ふと、彼女は気づく。自分を見つめる竜崎の目。それは先程メストへと向けられていた視線と似ていた。最も、あの時より数段心配する様子は増しているが。
それはつまり、自分のことを我が子のように心配してくれているということ。きっと自分だけが捕まっていても、彼は同じように助けに現れ暴れてくれたのだろう。
そう悟ったさくらの胸中には、ふわりと嬉しさが湧き上がってくる。それを表面に出さないように抑えながら、彼女はコクリと頷いた。
「はい、大丈夫です! そりゃ、ちょっと怖かったですけど…メスト先輩が庇ってくれましたし、エーリカちゃん達も来てくれましたし。何より竜崎さんとニアロンさんが助け出してくれましたから!」
嘘偽りなき本心からの答え。竜崎にもそれは伝わり、彼はほっと安堵の息をついた。
「あ、でも…」
と、さくらは声の調子を落とす。一つだけ、心の底でくすぶっているものがあるのだ。竜崎に話してみて、と促され、彼女はゆっくりと口を開いた。
「街の人達に魔術を教えて良かったんでしょうか…。もし、さっきみたいな犯罪に使われちゃったら…」
先程攫われた時、魔術士さえいなければメストが人さらい達を全て倒しきっていたかもしれなかった。それが無理でもシベル達が手こずることなく救出してくれたのかもしれない。いや、そもそも捕まらなかったのかもしれない。
魔術を使える者が犯罪に加担するだけで、どれほど難敵になるか。それをまざまざと思い知らされた。もし、魔術を教えた人達が…それこそ自分が教鞭をとり教えた子供達が魔術を悪用してしまわないか。さくらは不安になってしまったのだ。
―あれは元魔王軍の魔術士だ。あそこまで魔術を使える奴はそう沢山はいな…―
ニアロンの言葉を、竜崎は途中で止める。そして彼は乳鉢から手を離し、組んだ両手を机の上に置いた。
「それは、とても難しい質問だね。とても、とてもだ」
竜崎は椅子を動かし、さくらの方に少しだけ身体を向ける。そして話始めた。
「魔術は便利な道具だ。何も材料がなくとも水や土を作り出し、火や風を呼び起こせる。灯り代わりにもなるし、食べ物を冷凍保存することだってできる。でも、使い方を誤ればいとも簡単に危険なものとなる。これみたいにね」
竜崎はテーブルに置いてあった道具を拾い上げる。それは先程髪を切った鋏だった。
「鋏もまた、便利な道具だ。髪を綺麗に切りそろえ、固い袋の封を開ける。人が引きちぎれない針金だってスパンと切れる」
シャキシャキと鋏を動かす竜崎。そしてその刃先に自らの指を軽く挟んだ。
「だけど、その使い道は使い手に左右される。使い手が望めば、誰かを傷つけるための道具となる。なら、皆に鋏の使い方を教えない方が良い?」
そう問われ、悩みつつも首を横に振るさくら。竜崎は優しく頷いてから話を続けた。
「魔術も同じなんだ。確かに一般人に魔術を教えない方が良いと論ずる人達もいる。それも一理あることだ。結局のところ、どっちが正しいのかは決めかねる」
鋏を指先から外した竜崎は、くるりと一回転させ刃先を優しく握る。そしてそれを鋏を手渡す時のようにさくらの前に差し出した。
「だから私…いや、私達『教師』は心掛けている。魔術を教える時は、それと同時に正しく使う心をも教えることを。罪の道を選ばないような、正しく清い人の心をね」
「おやすみさくらさん。しっかり寝てね」
ベッドに戻っていくさくらに手を振り、竜崎は再度作業に戻る。暫くの間ゴリゴリと音が響いていたが、突然止まった。
「…『風精霊』」
竜崎の呼び声に答え、精霊が一体召喚される。主の指示を聞いた精霊は、その主の指二本にスパっと切り傷を負わせた。
ポタポタと血滴る指先を、竜崎は乳鉢の上に持っていく。次第に溜まっていく赤黒いそれを眺めながら、竜崎は背にいるはずの友に声をかけた。
「ニアロン、まだ起きているかい?」
しかし、返事はない。代わりに微かな寝息が聞こえてきた。竜崎はまたも空を見上げると、小さく一言呟いた。
「これ以上怖い目に合わせないためにも…やっぱり、さくらさんを元の世界に帰すべきかな…」
当然、答えが返ってくることは無い。彼の独り言はそよぐ夜風に散り散りにされ消え、代わりにチャプチャプとかき混ぜる音が一晩中続いた。
寝ていたさくらは目を覚ます。横に寝ているのはメストとエーリカだが、先程まで寝ていた部屋のベッドではない。そうだ、竜崎さんの部屋で寝かせてもらっていたんだと状況を思い出す。
あの時はメストが起きたベッドの揺れで目を覚ましたが、今回は違う。メストは片腕をエーリカに抱かれ、気持ちよさそうに寝息を立てていた。その顔に、憂いは何一つない。
さくらが起きた理由は、陶器のぶつかる微かな音と、衣擦れの音を聞いたからである。普段ならその程度全く気にせず爆睡するが、偶然睡眠が浅い時に耳に入ってしまったのだろう。
顔を上げ、様子を見てみるさくら。少し離れたソファには、マーサとタマがいた。竜崎は彼女のカウンセリング役の任を解き、休息することを勧めた。しかし彼女は彼女で誰もいない部屋に戻るのも面白くないらしく、ここで竜崎と共にさくら達を守ることになった。
「うーん…タマちゃん重い…むにゃ…」
まあ、寝ているのだけど。竜崎もいる安心感からか、昼間の疲れも相まってマーサはソファの上にコテンと倒れていた。その上にタマが乗っかっているせいで寝苦しそうである。
「タマはこっちのソファで寝てね」
そんなマーサからタマをどけ、代わりに毛布を掛けてあげているのは竜崎。衣擦れの音の正体はそれらしい。
「ありがとうねマーサ。シベルと一緒にさくらさん達を助けに行ってくれて」
ポンとマーサを撫でた竜崎は奥のテーブルへと戻る。仄かな暗い光と共に、耳を澄まさなければ聞こえないほど小さくカチャカチャと陶器の音が聞こえてきた。
と、灯りがフッと消える。竜崎は手に何かを持ちながら、バルコニーへと出て行った。
そういえば彼は夜通しでやることがあると言っていた。それを思い出したさくらは興味本位でベッドを降り、竜崎の元へ。誰も起こさないように…。
そっと扉を開け、様子を見やる。外は竜崎は設置されていた椅子に腰かけ、月の光を浴びながら何かをゴリゴリ混ぜていた。
「なにしているんですか竜崎さん?」
「ん? あ、さくらさん。ゴメンね、起こしちゃった?」
手を止め謝る竜崎。さくらがチラリと見やると、机の上には二つの乳鉢の様なものが。中にはドロドロの何かが入っていた。
「それは…?」
「ちょっとしたアイテムを作っているんだ」
―お前とメストのための、な―
?と首を傾げるさくら。ニアロンはさくらを手招きし、竜崎の横に座らせた。
―丁度いい。さくら、髪の毛を何本かくれ―
「えっ!?」
―血とか唾液とかでも構わないが―
「ちょ、ちょっと待ってください。何でですか!?」
突然の要求に狼狽するさくら。竜崎はニアロンを窘め、説明してくれた。
「今作っている『御守り』に使うんだ。もうちょい後で入れても良いんだけど、今入れたほうが効率よく作れるから」
お願いしていい? 竜崎にそう頼まれ、さくらは困惑しながらも了承した。
「ごめんね切らせて貰っちゃって、でも、さくらさん髪綺麗だねー。櫛が全然引っかからない」
月明りの下、竜崎に髪を梳いてもらうさくら。ニアロンに毛先を一部切って貰ったのだが、意外と持ってかれた。数本どころではない。
鏡で見る限り変化はわからないとはいえ、これならば涎にすればよかった…。そう思ってしまう彼女だったが、即座に頭を振り掻き消した。どう考えても竜崎さんの前で涎を出す方が恥ずかしいじゃん…!と。
貰った髪を更に細かく刻み、乳鉢の片方へと入れ再度混ぜ始める竜崎。それを横で見ていたさくらは思わず呟いた。
「髪の毛使うなんて呪いの藁人形みたい…」
―当たってるぞ。今作ってるのは『呪魔術』を使った御守り人形だからな―
「じゅ…呪いですか!?」
思わずのけぞるさくら。竜崎はそれをどうどうと宥めた。
「そう怖がらなくていいよさくらさん。呪いと銘打ってるけど、聖魔術と近しい存在だよ。封印魔術や捕縛魔術も呪魔術の一部ではあるんだ」
―中には私と清人を苦しめた極悪な呪いもあるけどな。 …さくら、ここ笑うとこだぞ―
「いや笑えませんよ…!?」
「メスト先輩も髪の毛を渡したんですか?」
何とはなしに聞くさくら。しかし竜崎は首を横に振った。
「それはまだなんだ。なにせ部屋に入って来た時から言い出せる雰囲気じゃなくて…。明日貰うよ」
―あいつ髪短いから唾液の方が良いかもな―
ニアロンの言葉で、乳鉢の中に唾液を垂らすメストの姿を想像してしまうさくら。多分その所作すらメストなら華麗にやり遂げそうだと妄想してしまった彼女は頭を振り、邪念を払った。
「あ、そういえば…」
ふとさくらはあることを思い出す。それをそのまま竜崎に伝えた。
「竜崎さん、青薔薇なんですけど。私達が元いた世界で、だいぶ昔に作り出せたらしいですよ。メストさんが作り出す薔薇ほど鮮やかな青じゃないみたいですけど…」
その言葉を聞いた竜崎は驚いた表情を浮かべる。そしてゆっくりと空を仰ぎ見た。
「そうか…いつの間にか実現してたんだね。向こうの世界はどんどん私の知らない世界になっていくなぁ…」
そうポツリと呟く竜崎の横顔は、どこか寂しそうであった。
とはいえ何となく眠れないので、暫く竜崎の横で寛ぐことに決めたさくら。魔法陣の上でゴリゴリ乳鉢を混ぜる彼の手元を見ていると、少しずつ眠気が…
「ところで…」
「ひゃい!?」
突然竜崎に話しかけられ、教師に居眠りを注意された時のように飛び起きるさくら。その様子にちょっと驚いた竜崎は、申し訳なさそうに言葉を続けた。
「さくらさんは気分悪くなってない…?」
「へ?」
「ほら、さっきの、森の一件で…」
極力言葉を濁す竜崎。指しているのは先程攫われた時のことだとさくらも理解した。
(あ…)
ふと、彼女は気づく。自分を見つめる竜崎の目。それは先程メストへと向けられていた視線と似ていた。最も、あの時より数段心配する様子は増しているが。
それはつまり、自分のことを我が子のように心配してくれているということ。きっと自分だけが捕まっていても、彼は同じように助けに現れ暴れてくれたのだろう。
そう悟ったさくらの胸中には、ふわりと嬉しさが湧き上がってくる。それを表面に出さないように抑えながら、彼女はコクリと頷いた。
「はい、大丈夫です! そりゃ、ちょっと怖かったですけど…メスト先輩が庇ってくれましたし、エーリカちゃん達も来てくれましたし。何より竜崎さんとニアロンさんが助け出してくれましたから!」
嘘偽りなき本心からの答え。竜崎にもそれは伝わり、彼はほっと安堵の息をついた。
「あ、でも…」
と、さくらは声の調子を落とす。一つだけ、心の底でくすぶっているものがあるのだ。竜崎に話してみて、と促され、彼女はゆっくりと口を開いた。
「街の人達に魔術を教えて良かったんでしょうか…。もし、さっきみたいな犯罪に使われちゃったら…」
先程攫われた時、魔術士さえいなければメストが人さらい達を全て倒しきっていたかもしれなかった。それが無理でもシベル達が手こずることなく救出してくれたのかもしれない。いや、そもそも捕まらなかったのかもしれない。
魔術を使える者が犯罪に加担するだけで、どれほど難敵になるか。それをまざまざと思い知らされた。もし、魔術を教えた人達が…それこそ自分が教鞭をとり教えた子供達が魔術を悪用してしまわないか。さくらは不安になってしまったのだ。
―あれは元魔王軍の魔術士だ。あそこまで魔術を使える奴はそう沢山はいな…―
ニアロンの言葉を、竜崎は途中で止める。そして彼は乳鉢から手を離し、組んだ両手を机の上に置いた。
「それは、とても難しい質問だね。とても、とてもだ」
竜崎は椅子を動かし、さくらの方に少しだけ身体を向ける。そして話始めた。
「魔術は便利な道具だ。何も材料がなくとも水や土を作り出し、火や風を呼び起こせる。灯り代わりにもなるし、食べ物を冷凍保存することだってできる。でも、使い方を誤ればいとも簡単に危険なものとなる。これみたいにね」
竜崎はテーブルに置いてあった道具を拾い上げる。それは先程髪を切った鋏だった。
「鋏もまた、便利な道具だ。髪を綺麗に切りそろえ、固い袋の封を開ける。人が引きちぎれない針金だってスパンと切れる」
シャキシャキと鋏を動かす竜崎。そしてその刃先に自らの指を軽く挟んだ。
「だけど、その使い道は使い手に左右される。使い手が望めば、誰かを傷つけるための道具となる。なら、皆に鋏の使い方を教えない方が良い?」
そう問われ、悩みつつも首を横に振るさくら。竜崎は優しく頷いてから話を続けた。
「魔術も同じなんだ。確かに一般人に魔術を教えない方が良いと論ずる人達もいる。それも一理あることだ。結局のところ、どっちが正しいのかは決めかねる」
鋏を指先から外した竜崎は、くるりと一回転させ刃先を優しく握る。そしてそれを鋏を手渡す時のようにさくらの前に差し出した。
「だから私…いや、私達『教師』は心掛けている。魔術を教える時は、それと同時に正しく使う心をも教えることを。罪の道を選ばないような、正しく清い人の心をね」
「おやすみさくらさん。しっかり寝てね」
ベッドに戻っていくさくらに手を振り、竜崎は再度作業に戻る。暫くの間ゴリゴリと音が響いていたが、突然止まった。
「…『風精霊』」
竜崎の呼び声に答え、精霊が一体召喚される。主の指示を聞いた精霊は、その主の指二本にスパっと切り傷を負わせた。
ポタポタと血滴る指先を、竜崎は乳鉢の上に持っていく。次第に溜まっていく赤黒いそれを眺めながら、竜崎は背にいるはずの友に声をかけた。
「ニアロン、まだ起きているかい?」
しかし、返事はない。代わりに微かな寝息が聞こえてきた。竜崎はまたも空を見上げると、小さく一言呟いた。
「これ以上怖い目に合わせないためにも…やっぱり、さくらさんを元の世界に帰すべきかな…」
当然、答えが返ってくることは無い。彼の独り言はそよぐ夜風に散り散りにされ消え、代わりにチャプチャプとかき混ぜる音が一晩中続いた。
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