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閑話⑥
我が社の日常:全てを囚えし、呪いの箱
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外の風は、一際強く吹いている。その証拠に、窓がガタガタと音を立て震えている。
きっと木を揺らし、砂を舞い上げ、ゴウゴウビュウビュウと騒がしく唸っているのだろう。
…今日の我が社とは、対照的に。
扉を開き、自室を出る。その瞬間から、私は違和感を感じ取った。
普段ならばこの時点で、どこからともなくミミック達賑わいの声が聞こえてくる。この会社は彼女達の住居も兼ねているのだから、それは当然の事。
だが、それが、聞こえてこない。今日は一切の声が聞こえてこないのだ。いや、それどころか物音すらも。周囲はまるで、時が止まったかのようにシンと静まり返っている。
私を残して、皆でどこかに出かけた? いいや、それならば絶対社長は一声かけてくれる。というか、全てのミミックを連れどこかに行くなんて、正直無理である。数多いから。
ならば、皆まだ寝ている? その可能性はありうるが…どうであろう。いつも早起きな子達の声すら聞こえないし。
もしかして、皆で外で訓練中かも。そう考え窓から外を見てみるが、運動場には一箱…もとい1人たりともいない。ただ訓練で使う案山子や道具、装置類が風に吹かれているだけである。
…嫌な予感が背筋を走る。そういえば昨日の社長、ううん、全てのミミック達の様子がおかしかった気がする。もしかして…。
一応確認のため、社長の部屋へ赴く。昨夜はそれぞれの部屋で寝たから、寝ぼすけの社長はぐっすりなはず。
すぐにたどり着き、扉をノックをして少し待つが…。
「…返事がない…」
その後も数回繰り返すが、やはり何も返ってこない。しかも、結構うるさめに叩いたというのに、周囲から様子を窺いに出てくるミミックもいない。
ゆっくりと、ドアノブに手をかける。クリッと回すと、何事もなく扉は開いた。…最も、社長はあまり鍵をかける人ではないので、そこは普通だが。
「失礼しまーす…」
恐る恐る中に入る。しかし…。
「…いない?」
耳を澄ませど、社長の寝息は聞こえず。部屋の内は閑かそのもの。
一応その辺に置かれている箱を片っ端から開けていくが…やっぱりいない。洋服ダンスの中身は…下着だ。当たり前か。
「ん…?」
ふと目がいったのは、社長のベッド。この間サンタさんから貰った大きな靴下型布団も敷かれているが…綺麗に整えられている。
もっと言えば…昨日の朝、私が社長を起こしに来た時についでにベッドメイクした状態、そのままだ。
そういえば、いつも脱ぎ散らかしているパジャマの類も落ちていない。一緒にお風呂は入ったのだけど…。
いや、確か昨日、私は眠かったから先に寝させてもらったのだ。だから実は、社長が部屋に帰ったかは知らない。
見れば、いつも入っている箱もない。ということはやはり、戻ってきていない。その場合、最もありうるのは、酒場で酔いつぶれているとか、他の子の部屋にお邪魔しているとかだけど…。
……いいや、それは違う。これは、確信だ。チラリとカレンダーを見やり、息を呑む。今年も、この時期が来てしまったということか。
恐らく、今我が社で正気を保てているのは、私だけであろう。覚悟を決めなければならない。魔に囚われた皆を、解放するために―。
とはいえ、1人だけでは心もとない。誰かの助力が欲しい…。閑散とした廊下に佇み、頭を捻る。
…一つだけ、当てがある。彼女達ならばまだ、侵されていないかもしれない…!
僅かな、ほんの僅かな希望を胸に、動く足場に乗り社屋を出る。ひゃっ…!風が強くて…凄く寒い…!
せめて、出る前に暖かくなる魔法をかけるか、上着着てくればよかった…。うー…でも、『箱工房』はすぐそこだし、いいか。
そう、目指しているのは本社屋の横にある、ラティッカさん達ドワーフが勤める『箱工房』。彼女達に助力してもらおうとしているのだ。
そんなことを言ってる間に、もう着いた。扉を開けて―。
「―! 寒っ!」
入った瞬間、ヒヤッとした空気が身を包む。嘘…!ここって年がら年中暖かいはずなのに…!まさか、炉の火を落としてあるの…!?
身をブルブル震わせながら、奥へ進む。左右に山ほど積まれている大量の箱の中に、ミミック達の気配は1人たりとも無い。
これもまた、異常性を示している。ここはミミック達にとって絶好の遊び場。暇さえあれば皆ここに入り浸り、箱の中を泳いで楽しんでいるのである。
だが、今や誰もいない。もう…間違いない。
ここに置かれている数多の箱…。綺麗な宝箱、沢山入る場所がある家具類、各ダンジョン用に合わせて作った特殊な形の箱群…。
そんな物よりミミック達を引き付ける箱が…『呪いの箱』が…解き放たれてしまったのだ。
「ラティッカさーん…! 皆さーん…!」
声をあげ、名を呼んでも返答は無し。ただ誰もいない広い空間を反響するのみ。…僅かな希望は塵にすらならず消え去ってしまった。
とりあえず奥の工房まで行くと、受付的な机の上には、不在を示す立札。そこに書かれていたのは…。
「『全員、食堂にいます』…か」
揃って食事…というわけでもあるまい。はぁ…。
…覚悟を決めよう。決戦の場は、食堂だ。私単身で、乗り込むしかない。私しか、残っていないのだから。
「…よし」
一旦部屋に戻り、魔導書数冊を手に、食堂へと向かう。と、ここでまた一つ、異常なことが。
いつもは基本開きっぱなしが多い食堂の扉が、今や完全に閉じているのだ。耳を澄ますと…中からはズリ…ズリ…という異音。
意を決し、扉を開く。と、中には―。
「うっ…!」
「んぅ…? あぁ…ー!アストちゃぁん…!へへ、ふへへへ…」
声を詰まらせる私に、近くにいた上位ミミックの1人が気づく。だがその声は、溶かされ、狂ったかのよう。
…やはり、予感は的中してしまった…。何ということだ……。今年もまた、取り込まれてしまったのか…。
視界に入ってきたのは、食堂中を埋め尽くす、数多の『呪いの箱』。そう、呪いなのだ。
近づく全ての者を引きずり込み、魅了し、囚われの身とする…。抜け出そうとも、その呪いは強く、抗う事は極めて難しい。
その箱の形状を説明するならば…有する四本の足を隠すように一回りは大きい衾が被せられ、それを逃さぬように硬き板が重ねられている―、というべきか。
しかし、恐ろしいのはそこではない。『引きずり込み囚える』と述べた通り、恐ろしきはその中にある。
仄かに赤く照る箱の内は、高熱を帯びている。だが…一度入れば最後、その熱は入った者を母の胎内のように優しく包み、全ての気力を削ぎ、引き剥がし、奪い去る―。
まさにそれは、『怠惰』の呪い。そう、かの箱の名は…………!!
『炬燵』である。
「やっぱりぃ…」
がっくしと肩を落とすしかなかった。この寒風吹きすさぶ季節、社長達が炬燵を出さないわけがないのだ…。
何でそんな悲しがってるかって…?周りを見てもらえばわかるはず…。
「うへえ~~」
「はあああ~~」
「すぴーー…」
どのミミックも、炬燵にすっぽり身体を埋め、とろけ切った表情を浮かべている。ああなったら最後、彼女達は梃子でも動かないのだ。予定していた訓練とかも、完全無視。
因みに食堂に炬燵を持ち込んでいる理由は、『ご飯やおやつ、そしてお酒をいつでも飲み食いできるように』である。自堕落ここに極まれり。
そして、その食事を注文しに行く時だが…。
ズリ…ズリ…
「みかん切れちゃったぁ~。ちょーだいな~」
私の目の前を、炬燵を背負ったまま移動していくミミック。そのまま食堂の注文受付へと。
そう、炬燵は『箱』。少なくとも、その判定が下っているのは確からしい。だから、ミミック達は炬燵に入ったまま自由自在に動けてしまう。
その姿は、所謂『こたつむり』。まさにこの時期、誰もが羨む夢の様な移動法…
…傍から見て、とんでもなく情けないという点を覗けば、だけど。
はぁ…人間も、とんでもない発明をしてくれたものである…。
『炬燵』…もう説明は不要だろう。中を暖める装置をつけた机に布団を被せた、寒い時に使うあの暖房器具のこと。
当然魔物側にも普及しており、恩恵を預かる者も沢山いる。しかし、そんな炬燵には呪いがかけられているのはご存知だろうか。
曰く「炬燵は怠惰へ誘う悪魔」。曰く「炬燵に一度入ったら出られない」。曰く「炬燵に入ると根が生える」。曰く「炬燵は四角いブラックホール」…etc.
…勿論、それらは全て冗談。それほどまでに魅力があるというのを示した言葉である。
―のだが、ことミミック達においては…洒落で済まなくなるのだ。
生態、身体特徴、種族詳細…あらゆる点が不思議に包まれている謎めいた魔物、ミミック。そんな彼女達にも、世界中に大きく知れ渡っている、とても有名な事実がある。
それは『箱に潜み、獲物を狙う』こと。それはもはや本能であり、故に彼女達が箱から出て活動していることは滅多に…いや全くない。
食事する時も箱のままだし、お風呂にすら普段の箱か桶に入った状態で入浴する。精々がベッドで寝る時だが…箱に入ったまま寝ることもザラだし、一応『布団に入った状態のベッド』には箱判定が下るらしい。
まさに寝食を共にする、というのがピッタリの存在、『箱』。愛していると言ってもあながち間違ってないかも。
さて、ここでクイズ。そんな箱と、どんな人も魅了せしめる魔の暖房器具が合体したものが現れたら、ミミック達はどうなるか。
…答えが、この惨状である。相乗効果により、炬燵の魔力は『呪い』の域へと昇華してしまうのだ。
もし、もしもだが…。今日の様な寒い日、冒険者がダンジョンに炬燵を持ち込み、宝箱の前に設置したならば、ミミックか否かの判別は実に容易にできてしまうだろう。
きっと…いや十中八九、炬燵に入るためにひょこひょこと動いてしまうはずだ。
一応我が社が派遣する子達には、過酷な環境に耐えるための補助として、耐寒魔法とかもかけてある。…だけど、多分それでも炬燵には引き寄せられる。そんな気がする。
こういうのもあれだが、炬燵は『ミミック特攻』を持っているといっても過言ではない。それも、最強の。
「社長どこです?」
「う~ん…? あっちのほうで見た気がするぅ…ふわぁあ…」
死屍累々。そんな感じの寝ぼけたミミック達を辿り、食堂の奥へと。足場がほとんどなく敷き詰められた、大小さまざまな炬燵を跨ぎながら。
ここに集まっているのは、ほとんどが上位ミミック達。勿論下位の子達もいるが、意外と少数。
恐らく、残りは棲み処となっている部屋に集まっているのだろう。空間魔法で超大きく拡張した場所が下位の子達の部屋となっているのだが、そこにも超巨大な炬燵が幾つも設置されるのだ。
多分今頃、その中に宝箱がすし詰め状態。集合体恐怖症の方々にはちょっときつい感じの絵面となっているはず。
なお、地下のプールで暮らしている水中型の子達にも抜かりなし。温水化し、そこに炬燵を模した箱を入れてあげている。疑似炬燵とでも言うべきか。…いや、珊瑚の隙間とか、タコつぼ的な…?
と、そんな間に…。
「よー、アスト。起きちゃったか!」
こっちこっちと手を振るは、箱工房のドワーフリーダー、ラティッカさん。彼女が入っている炬燵はかなり大きく、他のドワーフの方数人と、上位下位のミミック達も同時に温まっている。
「もう…私が寝ている間に総出で用意したんですね…?」
「ご名答! だってアスト、毎年反対するじゃーん? ま、わからんでもないけどさ!」
そう言いながら、ラティッカさんは横で寝ている上位ミミックの1人の頬を突く。と…。
「うへへ…もう食べられない…」
と寝言を残し、鼻提灯をぷう。暫く起きないだろう。
「部屋を暖めたり、運動場周囲を快適にするぐらい、私が出来るのに…」
「そういうなって!炬燵はミミック達にとって魅惑の存在なんだからさ。 それに、これはアストを気遣ってのことだよ?」
頬を膨らませる私をそう宥めるラティッカさん。首を傾げると、彼女はにっこり笑って言葉を続けた。
「そうやってなんでも頼りにすると、アンタ過労で倒れちゃうじゃん。皆、それが一番嫌なのさ」
その言葉に合わせ、起きている面々はうんうんと頷く。皆さん…!
「炬燵で寝たせいで風邪をひいて、治してと私の元に駆け込んでくるのは誰ですかねぇ?」
「さ、ひと眠りするか。工房の火も落としたんだし、今日はお休みだぁ」
うわ、ラティッカさん達、露骨に布団に潜って顔隠した…。ひど…。
「はぁ…。ところで、社長はどこです?」
溜息で流し、本題を訪ねる。と、元の体勢に戻ったラティッカさんはありゃ、と目を丸くした。
「アストとあろうものが、気づいてないのかい?」
「へ? 何を…あっ!」
ラティッカさんが軽く指さした先、机の上。そこに置かれているみかんがたっぷり詰まった箱。社長の箱である。何してるのあの人…。
と、いうことは…!
「確か、丁度そこらへんで寝てたっけな」
ラティッカさんの台詞に、ハッと視線を落とす。閉じている布団から、僅かに漏れているのは…ピンクの髪の毛。
恐る恐るしゃがみ込み、布団を捲ってみると…
「すぅ…すぅ…」
と寝息を立てる社長がいた。
すやすやと眠る社長の横顔、それはまさに天使のよう。いつまでも見てられる―。
「社長、アイス何味が良いですか?」
「バニラ! あっ…」
「狸寝入り、バレてますからね」
「やっぱり炬燵でアイスは至高よねー!」
私が貰ってきてあげたアイスをもぐもぐ、ご満悦の社長。私もその横で、炬燵の中に足を入れる。わぁ…これは駄目だ、これ以上深く入ったら、抜け出せなくなる…。
「社長、今日は訓練をする日って言ってましたよね?」
足の感覚を忘れるために、社長にそう問う。わざわざ社長を探していた理由がそれである。今日はミミック達の全体訓練の日程なのだ。
あと一時間後には、外に出て訓練開始の予定。だが大方、炬燵に囚われているのは察せていた。だから解放…もとい引きずり出しに来たのである。
「……。」
と、社長は無言。それどころか、アイスを手にスススと炬燵の中に逃げ始めた。そうはさせない。ガシッと掴む。
「社長なんですから、もう少し節度を持ちましょうよ…」
滅多にしないことだが、社長へ苦言を呈す。先程私は、『炬燵に入ったミミック達は、訓練とかを完全無視する』と述べた。
それに拍車をかけるというか、容認するのがまさかの社長本人。訓練には基本スパルタな彼女すらも、炬燵のミミック特攻にやられこの有様。
だから私がしっかりするしかないのだ。そう、私が無理やりにでも…!
「…仕方ありません、強硬手段に出ます!」
そう宣言するや否や、私は手にしていた魔導書の一冊を開く。そして詠唱を。
「―――。―――。―――!」
この場にある炬燵を全て、宙に浮かしてしまおう。そうすれば、私以外には下ろせなくなる…!訓練が終わったら、戻してあげれば良いだけ…!!
と、私の魔法が発動目前に迫った時だった。
「「「させるか!」」」
ギュルッ!
「きゃっ…!?」
突如、足に手に身体に、物凄い速度で絡みついてきたのは数多の触手。魔導書まで奪われてしまった。そのせいで詠唱は途切れ、魔法は不発。
ハッと見やると、その触手達は周囲の炬燵、そして私が足を入れている炬燵の中から伸びてきている。勿論、全部ミミックのもの。
あっ…!てかこれ社長のも交じってる…!!横で平然とアイスを食べてるふりして…!
「それ以上は、させないわ…! アストちゃんといえど…私達の楽園を、奪わせはしない…!」
そんなおどろおどろしい声が、炬燵の中から響く。隙間からこわごわ覗いてみると…。ヒッ…!ギラリと輝く目が幾つも…!他の角で寝ていたミミック達だ…!
「皆、良いわよ」
社長の号令と共に、私の身体は炬燵の中に引きずり込まれ始める。ちょっ…!それだけは…それだけはマズい…! うわっ皆本気だ…!力強っ…!
でも、まだ口がある…!違う魔法を詠唱し直せば…!
「はい、あーん♡」
もごっ…! 冷たっ!甘っ! 社長がアイスを口に入れてきた…!しかもそのまま、囁いてきた。
「諦めなさいな。貴方もここに囚われるのよ。お蕎麦やお餅、お酒におつまみ、面白い番組もあるわ。さあ、一緒に惰眠を貪りましょ♪」
ひっ…!待っ…! あ、ちょっとラティッカさん達! 見て見ぬふりしないでくださいよ…!
いや、今みかんの皮で鳥とか花とか作らなくて良いですから!凄いですけど!
えっ、宝箱型…!? しかも立体…! どうやって…!
あっ…しまった…!今の隙で…! やっ…駄目…あ、あああぁぁぁぁぁ…
「ああ~~~~…」
心地よい温かさが、身に染みるぅ…。起きたばっかだったのに、布団のせいで眠気が…。
…もうこんなとろけた顔じゃ説得力ないだろうけど、名誉のため言わせてほしい…。私は必死で抵抗した…。
だけど、本気を出したミミック達に適う訳はなかった…。もう、今日は駄目だろう…逃がしてもらえない…。
ぶっちゃけ、こうなる気はしてた…。だから、読書用の魔導書も一応持ってきてたし…。
ううん…! なら、明日こそ炬燵をなんとかしなければ…!私が心を鬼にしなきゃ…!
…でも、別に明日じゃなくとも…明後日…いや、一週間後…やっぱり一ヶ月後…
…………炬燵から、出たくなぁい…。
きっと木を揺らし、砂を舞い上げ、ゴウゴウビュウビュウと騒がしく唸っているのだろう。
…今日の我が社とは、対照的に。
扉を開き、自室を出る。その瞬間から、私は違和感を感じ取った。
普段ならばこの時点で、どこからともなくミミック達賑わいの声が聞こえてくる。この会社は彼女達の住居も兼ねているのだから、それは当然の事。
だが、それが、聞こえてこない。今日は一切の声が聞こえてこないのだ。いや、それどころか物音すらも。周囲はまるで、時が止まったかのようにシンと静まり返っている。
私を残して、皆でどこかに出かけた? いいや、それならば絶対社長は一声かけてくれる。というか、全てのミミックを連れどこかに行くなんて、正直無理である。数多いから。
ならば、皆まだ寝ている? その可能性はありうるが…どうであろう。いつも早起きな子達の声すら聞こえないし。
もしかして、皆で外で訓練中かも。そう考え窓から外を見てみるが、運動場には一箱…もとい1人たりともいない。ただ訓練で使う案山子や道具、装置類が風に吹かれているだけである。
…嫌な予感が背筋を走る。そういえば昨日の社長、ううん、全てのミミック達の様子がおかしかった気がする。もしかして…。
一応確認のため、社長の部屋へ赴く。昨夜はそれぞれの部屋で寝たから、寝ぼすけの社長はぐっすりなはず。
すぐにたどり着き、扉をノックをして少し待つが…。
「…返事がない…」
その後も数回繰り返すが、やはり何も返ってこない。しかも、結構うるさめに叩いたというのに、周囲から様子を窺いに出てくるミミックもいない。
ゆっくりと、ドアノブに手をかける。クリッと回すと、何事もなく扉は開いた。…最も、社長はあまり鍵をかける人ではないので、そこは普通だが。
「失礼しまーす…」
恐る恐る中に入る。しかし…。
「…いない?」
耳を澄ませど、社長の寝息は聞こえず。部屋の内は閑かそのもの。
一応その辺に置かれている箱を片っ端から開けていくが…やっぱりいない。洋服ダンスの中身は…下着だ。当たり前か。
「ん…?」
ふと目がいったのは、社長のベッド。この間サンタさんから貰った大きな靴下型布団も敷かれているが…綺麗に整えられている。
もっと言えば…昨日の朝、私が社長を起こしに来た時についでにベッドメイクした状態、そのままだ。
そういえば、いつも脱ぎ散らかしているパジャマの類も落ちていない。一緒にお風呂は入ったのだけど…。
いや、確か昨日、私は眠かったから先に寝させてもらったのだ。だから実は、社長が部屋に帰ったかは知らない。
見れば、いつも入っている箱もない。ということはやはり、戻ってきていない。その場合、最もありうるのは、酒場で酔いつぶれているとか、他の子の部屋にお邪魔しているとかだけど…。
……いいや、それは違う。これは、確信だ。チラリとカレンダーを見やり、息を呑む。今年も、この時期が来てしまったということか。
恐らく、今我が社で正気を保てているのは、私だけであろう。覚悟を決めなければならない。魔に囚われた皆を、解放するために―。
とはいえ、1人だけでは心もとない。誰かの助力が欲しい…。閑散とした廊下に佇み、頭を捻る。
…一つだけ、当てがある。彼女達ならばまだ、侵されていないかもしれない…!
僅かな、ほんの僅かな希望を胸に、動く足場に乗り社屋を出る。ひゃっ…!風が強くて…凄く寒い…!
せめて、出る前に暖かくなる魔法をかけるか、上着着てくればよかった…。うー…でも、『箱工房』はすぐそこだし、いいか。
そう、目指しているのは本社屋の横にある、ラティッカさん達ドワーフが勤める『箱工房』。彼女達に助力してもらおうとしているのだ。
そんなことを言ってる間に、もう着いた。扉を開けて―。
「―! 寒っ!」
入った瞬間、ヒヤッとした空気が身を包む。嘘…!ここって年がら年中暖かいはずなのに…!まさか、炉の火を落としてあるの…!?
身をブルブル震わせながら、奥へ進む。左右に山ほど積まれている大量の箱の中に、ミミック達の気配は1人たりとも無い。
これもまた、異常性を示している。ここはミミック達にとって絶好の遊び場。暇さえあれば皆ここに入り浸り、箱の中を泳いで楽しんでいるのである。
だが、今や誰もいない。もう…間違いない。
ここに置かれている数多の箱…。綺麗な宝箱、沢山入る場所がある家具類、各ダンジョン用に合わせて作った特殊な形の箱群…。
そんな物よりミミック達を引き付ける箱が…『呪いの箱』が…解き放たれてしまったのだ。
「ラティッカさーん…! 皆さーん…!」
声をあげ、名を呼んでも返答は無し。ただ誰もいない広い空間を反響するのみ。…僅かな希望は塵にすらならず消え去ってしまった。
とりあえず奥の工房まで行くと、受付的な机の上には、不在を示す立札。そこに書かれていたのは…。
「『全員、食堂にいます』…か」
揃って食事…というわけでもあるまい。はぁ…。
…覚悟を決めよう。決戦の場は、食堂だ。私単身で、乗り込むしかない。私しか、残っていないのだから。
「…よし」
一旦部屋に戻り、魔導書数冊を手に、食堂へと向かう。と、ここでまた一つ、異常なことが。
いつもは基本開きっぱなしが多い食堂の扉が、今や完全に閉じているのだ。耳を澄ますと…中からはズリ…ズリ…という異音。
意を決し、扉を開く。と、中には―。
「うっ…!」
「んぅ…? あぁ…ー!アストちゃぁん…!へへ、ふへへへ…」
声を詰まらせる私に、近くにいた上位ミミックの1人が気づく。だがその声は、溶かされ、狂ったかのよう。
…やはり、予感は的中してしまった…。何ということだ……。今年もまた、取り込まれてしまったのか…。
視界に入ってきたのは、食堂中を埋め尽くす、数多の『呪いの箱』。そう、呪いなのだ。
近づく全ての者を引きずり込み、魅了し、囚われの身とする…。抜け出そうとも、その呪いは強く、抗う事は極めて難しい。
その箱の形状を説明するならば…有する四本の足を隠すように一回りは大きい衾が被せられ、それを逃さぬように硬き板が重ねられている―、というべきか。
しかし、恐ろしいのはそこではない。『引きずり込み囚える』と述べた通り、恐ろしきはその中にある。
仄かに赤く照る箱の内は、高熱を帯びている。だが…一度入れば最後、その熱は入った者を母の胎内のように優しく包み、全ての気力を削ぎ、引き剥がし、奪い去る―。
まさにそれは、『怠惰』の呪い。そう、かの箱の名は…………!!
『炬燵』である。
「やっぱりぃ…」
がっくしと肩を落とすしかなかった。この寒風吹きすさぶ季節、社長達が炬燵を出さないわけがないのだ…。
何でそんな悲しがってるかって…?周りを見てもらえばわかるはず…。
「うへえ~~」
「はあああ~~」
「すぴーー…」
どのミミックも、炬燵にすっぽり身体を埋め、とろけ切った表情を浮かべている。ああなったら最後、彼女達は梃子でも動かないのだ。予定していた訓練とかも、完全無視。
因みに食堂に炬燵を持ち込んでいる理由は、『ご飯やおやつ、そしてお酒をいつでも飲み食いできるように』である。自堕落ここに極まれり。
そして、その食事を注文しに行く時だが…。
ズリ…ズリ…
「みかん切れちゃったぁ~。ちょーだいな~」
私の目の前を、炬燵を背負ったまま移動していくミミック。そのまま食堂の注文受付へと。
そう、炬燵は『箱』。少なくとも、その判定が下っているのは確からしい。だから、ミミック達は炬燵に入ったまま自由自在に動けてしまう。
その姿は、所謂『こたつむり』。まさにこの時期、誰もが羨む夢の様な移動法…
…傍から見て、とんでもなく情けないという点を覗けば、だけど。
はぁ…人間も、とんでもない発明をしてくれたものである…。
『炬燵』…もう説明は不要だろう。中を暖める装置をつけた机に布団を被せた、寒い時に使うあの暖房器具のこと。
当然魔物側にも普及しており、恩恵を預かる者も沢山いる。しかし、そんな炬燵には呪いがかけられているのはご存知だろうか。
曰く「炬燵は怠惰へ誘う悪魔」。曰く「炬燵に一度入ったら出られない」。曰く「炬燵に入ると根が生える」。曰く「炬燵は四角いブラックホール」…etc.
…勿論、それらは全て冗談。それほどまでに魅力があるというのを示した言葉である。
―のだが、ことミミック達においては…洒落で済まなくなるのだ。
生態、身体特徴、種族詳細…あらゆる点が不思議に包まれている謎めいた魔物、ミミック。そんな彼女達にも、世界中に大きく知れ渡っている、とても有名な事実がある。
それは『箱に潜み、獲物を狙う』こと。それはもはや本能であり、故に彼女達が箱から出て活動していることは滅多に…いや全くない。
食事する時も箱のままだし、お風呂にすら普段の箱か桶に入った状態で入浴する。精々がベッドで寝る時だが…箱に入ったまま寝ることもザラだし、一応『布団に入った状態のベッド』には箱判定が下るらしい。
まさに寝食を共にする、というのがピッタリの存在、『箱』。愛していると言ってもあながち間違ってないかも。
さて、ここでクイズ。そんな箱と、どんな人も魅了せしめる魔の暖房器具が合体したものが現れたら、ミミック達はどうなるか。
…答えが、この惨状である。相乗効果により、炬燵の魔力は『呪い』の域へと昇華してしまうのだ。
もし、もしもだが…。今日の様な寒い日、冒険者がダンジョンに炬燵を持ち込み、宝箱の前に設置したならば、ミミックか否かの判別は実に容易にできてしまうだろう。
きっと…いや十中八九、炬燵に入るためにひょこひょこと動いてしまうはずだ。
一応我が社が派遣する子達には、過酷な環境に耐えるための補助として、耐寒魔法とかもかけてある。…だけど、多分それでも炬燵には引き寄せられる。そんな気がする。
こういうのもあれだが、炬燵は『ミミック特攻』を持っているといっても過言ではない。それも、最強の。
「社長どこです?」
「う~ん…? あっちのほうで見た気がするぅ…ふわぁあ…」
死屍累々。そんな感じの寝ぼけたミミック達を辿り、食堂の奥へと。足場がほとんどなく敷き詰められた、大小さまざまな炬燵を跨ぎながら。
ここに集まっているのは、ほとんどが上位ミミック達。勿論下位の子達もいるが、意外と少数。
恐らく、残りは棲み処となっている部屋に集まっているのだろう。空間魔法で超大きく拡張した場所が下位の子達の部屋となっているのだが、そこにも超巨大な炬燵が幾つも設置されるのだ。
多分今頃、その中に宝箱がすし詰め状態。集合体恐怖症の方々にはちょっときつい感じの絵面となっているはず。
なお、地下のプールで暮らしている水中型の子達にも抜かりなし。温水化し、そこに炬燵を模した箱を入れてあげている。疑似炬燵とでも言うべきか。…いや、珊瑚の隙間とか、タコつぼ的な…?
と、そんな間に…。
「よー、アスト。起きちゃったか!」
こっちこっちと手を振るは、箱工房のドワーフリーダー、ラティッカさん。彼女が入っている炬燵はかなり大きく、他のドワーフの方数人と、上位下位のミミック達も同時に温まっている。
「もう…私が寝ている間に総出で用意したんですね…?」
「ご名答! だってアスト、毎年反対するじゃーん? ま、わからんでもないけどさ!」
そう言いながら、ラティッカさんは横で寝ている上位ミミックの1人の頬を突く。と…。
「うへへ…もう食べられない…」
と寝言を残し、鼻提灯をぷう。暫く起きないだろう。
「部屋を暖めたり、運動場周囲を快適にするぐらい、私が出来るのに…」
「そういうなって!炬燵はミミック達にとって魅惑の存在なんだからさ。 それに、これはアストを気遣ってのことだよ?」
頬を膨らませる私をそう宥めるラティッカさん。首を傾げると、彼女はにっこり笑って言葉を続けた。
「そうやってなんでも頼りにすると、アンタ過労で倒れちゃうじゃん。皆、それが一番嫌なのさ」
その言葉に合わせ、起きている面々はうんうんと頷く。皆さん…!
「炬燵で寝たせいで風邪をひいて、治してと私の元に駆け込んでくるのは誰ですかねぇ?」
「さ、ひと眠りするか。工房の火も落としたんだし、今日はお休みだぁ」
うわ、ラティッカさん達、露骨に布団に潜って顔隠した…。ひど…。
「はぁ…。ところで、社長はどこです?」
溜息で流し、本題を訪ねる。と、元の体勢に戻ったラティッカさんはありゃ、と目を丸くした。
「アストとあろうものが、気づいてないのかい?」
「へ? 何を…あっ!」
ラティッカさんが軽く指さした先、机の上。そこに置かれているみかんがたっぷり詰まった箱。社長の箱である。何してるのあの人…。
と、いうことは…!
「確か、丁度そこらへんで寝てたっけな」
ラティッカさんの台詞に、ハッと視線を落とす。閉じている布団から、僅かに漏れているのは…ピンクの髪の毛。
恐る恐るしゃがみ込み、布団を捲ってみると…
「すぅ…すぅ…」
と寝息を立てる社長がいた。
すやすやと眠る社長の横顔、それはまさに天使のよう。いつまでも見てられる―。
「社長、アイス何味が良いですか?」
「バニラ! あっ…」
「狸寝入り、バレてますからね」
「やっぱり炬燵でアイスは至高よねー!」
私が貰ってきてあげたアイスをもぐもぐ、ご満悦の社長。私もその横で、炬燵の中に足を入れる。わぁ…これは駄目だ、これ以上深く入ったら、抜け出せなくなる…。
「社長、今日は訓練をする日って言ってましたよね?」
足の感覚を忘れるために、社長にそう問う。わざわざ社長を探していた理由がそれである。今日はミミック達の全体訓練の日程なのだ。
あと一時間後には、外に出て訓練開始の予定。だが大方、炬燵に囚われているのは察せていた。だから解放…もとい引きずり出しに来たのである。
「……。」
と、社長は無言。それどころか、アイスを手にスススと炬燵の中に逃げ始めた。そうはさせない。ガシッと掴む。
「社長なんですから、もう少し節度を持ちましょうよ…」
滅多にしないことだが、社長へ苦言を呈す。先程私は、『炬燵に入ったミミック達は、訓練とかを完全無視する』と述べた。
それに拍車をかけるというか、容認するのがまさかの社長本人。訓練には基本スパルタな彼女すらも、炬燵のミミック特攻にやられこの有様。
だから私がしっかりするしかないのだ。そう、私が無理やりにでも…!
「…仕方ありません、強硬手段に出ます!」
そう宣言するや否や、私は手にしていた魔導書の一冊を開く。そして詠唱を。
「―――。―――。―――!」
この場にある炬燵を全て、宙に浮かしてしまおう。そうすれば、私以外には下ろせなくなる…!訓練が終わったら、戻してあげれば良いだけ…!!
と、私の魔法が発動目前に迫った時だった。
「「「させるか!」」」
ギュルッ!
「きゃっ…!?」
突如、足に手に身体に、物凄い速度で絡みついてきたのは数多の触手。魔導書まで奪われてしまった。そのせいで詠唱は途切れ、魔法は不発。
ハッと見やると、その触手達は周囲の炬燵、そして私が足を入れている炬燵の中から伸びてきている。勿論、全部ミミックのもの。
あっ…!てかこれ社長のも交じってる…!!横で平然とアイスを食べてるふりして…!
「それ以上は、させないわ…! アストちゃんといえど…私達の楽園を、奪わせはしない…!」
そんなおどろおどろしい声が、炬燵の中から響く。隙間からこわごわ覗いてみると…。ヒッ…!ギラリと輝く目が幾つも…!他の角で寝ていたミミック達だ…!
「皆、良いわよ」
社長の号令と共に、私の身体は炬燵の中に引きずり込まれ始める。ちょっ…!それだけは…それだけはマズい…! うわっ皆本気だ…!力強っ…!
でも、まだ口がある…!違う魔法を詠唱し直せば…!
「はい、あーん♡」
もごっ…! 冷たっ!甘っ! 社長がアイスを口に入れてきた…!しかもそのまま、囁いてきた。
「諦めなさいな。貴方もここに囚われるのよ。お蕎麦やお餅、お酒におつまみ、面白い番組もあるわ。さあ、一緒に惰眠を貪りましょ♪」
ひっ…!待っ…! あ、ちょっとラティッカさん達! 見て見ぬふりしないでくださいよ…!
いや、今みかんの皮で鳥とか花とか作らなくて良いですから!凄いですけど!
えっ、宝箱型…!? しかも立体…! どうやって…!
あっ…しまった…!今の隙で…! やっ…駄目…あ、あああぁぁぁぁぁ…
「ああ~~~~…」
心地よい温かさが、身に染みるぅ…。起きたばっかだったのに、布団のせいで眠気が…。
…もうこんなとろけた顔じゃ説得力ないだろうけど、名誉のため言わせてほしい…。私は必死で抵抗した…。
だけど、本気を出したミミック達に適う訳はなかった…。もう、今日は駄目だろう…逃がしてもらえない…。
ぶっちゃけ、こうなる気はしてた…。だから、読書用の魔導書も一応持ってきてたし…。
ううん…! なら、明日こそ炬燵をなんとかしなければ…!私が心を鬼にしなきゃ…!
…でも、別に明日じゃなくとも…明後日…いや、一週間後…やっぱり一ヶ月後…
…………炬燵から、出たくなぁい…。
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