十二英雄伝 -魔人機大戦英雄譚、泣かない悪魔と鉄の王-

園島義船(ぷるっと企画)

文字の大きさ
上 下
71 / 94
零章 第四部『加速と収束の戦場』

七十話 「RD事変 其の六十九 『信仰の破壊③ 八つの断罪』」

しおりを挟む
  †††

 サンタナキアとオロクカカの戦いは続いていた。

 しばらくヘビ・ラテが圧倒する展開が続いたが、防御に徹したシルバーフォーシルをなかなか打ち崩せないでいる。

(よく見て、落ち着いて場を制するんだ)

 こういうときのサンタナキアは、ひどくしぶとい。

 けっして自分から打ち込まない代わりに、相手に決定打のチャンスを与えない。しかもただ受けているだけではなく、隙があればフェイントを交えて圧力をかけていく。

 彼が制するのは場。
 周囲一帯の雰囲気である。

 それは目に見えないにもかかわらず、勝敗を左右してしまうもの。どんな分野の戦いにおいても「勝っているのに嫌な予感が消えない」ということがあるだろう。まさにそれである。

 サンタナキアは丁寧に相手を観察し、少しずつ場を制圧していく。それによって、圧倒されているように見えても、実際は五分五分の戦いを演じていた。

 その時である。
 大地が動く音が聴こえた。

 これはハブシェンメッツが完全制圧作戦を始めた音であり、四つの地下ドックを浮上させ、アピュラトリスを奪い返した時のものだ。

 サンタナキアがいる場所も地下ドックの範囲内にかかっていたため、地面が少しずつ浮上していく。この作戦はロイゼン側には報告されていなかったが、サンタナキアは瞬時に場の気配を感じ取った。

 流れがこちらに向いたのだと。

 全体の流れが国際連盟側に傾いていく。局所的な戦いでは負けている場所もあるが、ハブシェンメッツが目指したのは本命の奪取。重要なのは本丸を潰すことである。

(耐えられれば勝てる)

 だからこそロイゼン騎士団の中に、こうした希望が芽生えるのは当然のことである。

 耐えた選択は間違いではない。
 耐え続ければ、相手が不利になっていくのだと。

 それゆえか、サンタナキアはこうした行動に出る。

「あなたたちが、ただの武人でないことはわかります。これほどの実力者が、なぜこのようなことをするのですか。もうやめてください」

 サンタナキアは、オロクカカの説得を試みる。このまさかの行動には、当のオロクカカも困惑である。

「よもやこの私を説得にかかるとは…。ご自分が有利だと錯覚されましたか?」

 当然、オロクカカも異変には気がついていた。ラーバーンにしても、当初の予定にはなかったイレギュラーである。この点に関していえば、完全にしてやられたといってもいい。

 しかし、オロクカカに動揺はなかった。彼は悪魔を絶対的に崇拝している。どのようなイレギュラーがあっても、結果は同じであることを知っているのである。

 そのオロクカカの態度を見ているサンタナキアも、けっして有利だと思ってはいない。そもそもロイゼン騎士団を相手に、この程度の数で迎え撃つ段階で尋常ではないのだ。

 オロクカカには自信と余裕がある。それがブラフかどうかはわからないが、確実に勝てるという絶対の確信があるのだ。五大国家を相手にしても押し切れると信じ、なおかつ実際に押している場面もあった。

 これほどの強者が、なぜこの場にいるのかが不思議である。そしてなぜ、戦いを挑んでくるのかがわからない。

 だからこそサンタナキアは説得をするのである。

「無益な戦いはしたくないのです。あなたがたもそうではないのですか?」
「交渉は決裂したはずですよ」
「あれは最初から無理な話です。あなたもわかっているでしょう」

 悪魔が提示した条件は、どだい受け入れることができないものである。一般的な世界経済を少しでも知っていれば、子供であっても無理だとせせら笑う程度のものである。

 あれは交渉ではない。
 願いである。

 実際に悪魔の声を聴いたサンタナキアは、奥底に宿っていた【悪魔の想い】感じ取っていた。悪魔は心の底から悪魔ではない。いや、悪魔という存在そのものが、実に多様な側面を持っているのだと。

 悪魔は、【人間】なのだと。

 ザフキエルは憧れた。ハブシェンメッツは同情した。アレクシートは嫌悪した。そして目の前のオロクカカは崇拝している。畏怖する者、惹かれる者、忌避する者、敬う者、悪魔への対応はそれぞれであった。

 それこそが、悪魔が多様であることの証明である。
 
 その内部に、芳醇な感情と魅力が詰め込まれている証拠なのだ。人間という、実に複雑な喜怒哀楽を宿した生命の波動を感じ取れるのである。

 悪魔は、単なる悪魔ではない。

 少なくともサンタナキアはそう感じた。彼の中に、一種の【子供じみたワガママ】があるにしても、その本質は悪ではなく【善】であると。人々の豊かな生活と平和を願う、一人の人間であると確信した。

 ただ、それが強烈すぎるのだ。

 ハブシェンメッツが同情したように、力がありすぎる。ホウサンオーやガガーランド、オロクカカなどのバーンを送り込むほどの力がある。魅力がある。理想があるのだ。覚悟もある。

 そんな人間が、どうしても放っておけないのである。サンタナキアはアレクシートとは違って、そうした人種に対して哀れみを抱いてしまう。嫌悪しきれないのだ。

 だから彼が説得を始めるのは、そう珍しいことではない。むしろ必然の結果であるといえた。

「今は人類全体が協調すべき時ではありませんか。もう混乱は必要ありません。どうか剣を納めてください」
「さきほどの騎士団長殿とは、ずいぶんと正反対なものです。傲慢でない点は、好感が持てますがね」

 オロクカカが嫌うものが、分を知らぬこと。アレクシートのような人間はあまり好まないが、サンタナキアのような思慮深い人間は嫌いではない。

 だが、それとこれとは別の話。
 説得など最初から無意味なことである。

「あなたが何を言おうと、何を語ろうと、仮に命乞いをしようとも結果が変わることはありません」

 バーンがここに来ている。そのことが意味することは一つなのだ。悪魔が世界を変える日がやってきた、その記念すべき日であるということ。それに変更は何一つありえない。

「このようなことに価値があるのですか!? どうか話を聞いてください!」

 ヘビ・ラテの脚撃を剣盾で受けながら、サンタナキアは説得を続ける。それだけ攻撃を見切っており、余力があるのだ。

 それも徐々に余裕が増していく。オロクカカの動きに慣れてきたのだ。一度こうなったサンタナキアは手ごわい。持久戦はお手の物。相手が潰れるまで耐え続けるだろう。

 完全に持久戦に舵を切ったシルバーフォーシルを見て、ヘビ・ラテは一旦動きを止めた。苦戦すると悟ったわけではない。強引に倒しにかかれば、手傷を負ってでも殺すことはできる。

 されど、それはいつでもできること。

「いいでしょう。あなたとの勝負、少し形を変えましょう。多少は聞く耳を持っていそうですからね」

 説得に応じるつもりなどはないが、サンタナキアが自分と話すだけの力があることを認めたのだ。

 オロクカカはバーンである。バーンの世界とは、力ある者が権利を持つ仕組みなのだ。これは絶対の掟であり、力ある者は、相手が子供であれ女性であれ、オロクカカは平然とひざまずくことができる。

 そして、力とは【品格】のことでもある。

 人間が持つ力は、ただ武に秀でていることだけではない。もっとも大事なのは心。その意思。魂の力。いかに神性を発揮するかということ。

 憎しみすら愛に変えてしまう女神の力。

 サンタナキアの中に知性と慈愛を見たオロクカカは、わずかばかりのチャンスを与えたのである。少なくともサンタナキアは敬意を払うべき相手だと。それにロイゼン騎士団を足止めできることに違いはない。

「あなたの疑問にお答えします。理由もわからず殺されては、たしかに納得はできないでしょう。ですが、これは本当に稀なこと。私の気まぐれだと思ってください。そして、そのあとの結果が変わらないことも」

 オロクカカはそう言うと、戦気の放出を止める。サンタナキアはしばらく警戒したが、本当に止まったことを知ると、彼もまた剣を下ろした。

 ただし、これは和解の合図ではない。
 戦いの形が変わったにすぎない。

「なぜあなたほどの武人が、このようなことをするのですか?」

 サンタナキアは単刀直入に切り込む。

 仕合巧者のオロクカカ相手に揺さぶりは逆効果だろう。ならば、本心をそのままぶつけることが誠意であると思えたからだ。

 戦ってみてわかったことだが、オロクカカは生粋の武人である。この力を得るために、相当の鍛錬をしてきたことは想像に難くない。そうした武人に対して小細工は不要である。

 それに応えるように、オロクカカも真摯に言葉を紡ぐ。

「すべてはしゅの御心のままに。あなたには、主の願いがわかりませんか?」

 貧しい人に富を。飢える人に食べ物を。無知な人に知識を。すべての人間が、人間らしい生活ができるようにしよう。

 それが悪魔の主張であり、願いである。

「願いは素晴らしいものです。しかし、暴力で何かが変わるとは思えません」
「今、世界を維持している力こそ、暴力そのものでありましょう。強者による力の支配と濫用です」

 オロクカカがヘビ・ラテを使うことも、サンタナキアがシルバーフォーシルを扱うことも、その根幹には暴力がある。

 たとえば警察組織がなければ、世の中はどうなるだろう。性善説はたしかに事実であるが、いまだ善の段階に到達しない人間は、好き勝手に物事を進めてしまうだろう。

 麻薬に酒に肉食に淫売。欲望は、とどまることを知らない。それを阻止するためには具体的な力が必要である。法とは、強制力があってこそ価値が出る。法を守らなければ力によって排除されるからこそ、従うしかないのである。

「あなたも力を持っている。使っている。違いますか?」
「これは守るための力。弱者を守る盾のつもりです」

 サンタナキアは、剣とは守るためのものであると信じている。

 アレクシートは攻撃的に見えるが、彼もまた守るために戦っているのだ。ロイゼン騎士団は、カーリス神聖騎士団でもある。カーリスを守ることは、すなわち人々の生活と信仰を守ることだ。

 だからサンタナキアは剣を持つ。シルバーフォーシルを選んだのも、その剣が守るための力であるからだ。その言葉に偽りはない。オロクカカも、実際にその姿を見ていた。だからサンタナキアには好意を示す。

「あなたは立派だ。自らの身をもって、民間人の盾となっていた。その志と行動は尊敬に値します。そう、暴力は必要です。世界を維持するためにも、管理するためにも必要なものです」

 ザフキエルが言っていたように、暴力によって愚かさを封じ込めることができる。なるべく民が間違いを犯さないようにと、管理することができる。

 それは正しい力の使い方である。力は、それを扱う者によって性質を変える。愚者が使えば悪の力に、賢者が使えば正義の力になる。

「現在の体制に不満があるのですか? …いや、ないほうがおかしいでしょう。しかし、このようなことを起こすほど嫌いなのですか? 今はまだ、致命的な状態には陥っていないと思います」

 五大国家によって、世界はかろうじて維持されている。たしかに問題点は多いが、それでも人間の最低限の生活が守られるくらいには維持されている。しかし、これ以上の混乱が訪れれば、今後治安は劇的に悪化していくだろう。

 サンタナキアでさえ、何が起こるかもわからない。アピュラトリスの崩壊とは、それほどのことなのだ。経済が壊れれば、人間の獣性が目を覚ましてしまうことを恐れていた。

「ふふっ、あなたのような人間でも、今の社会に慣れてしまっているようですね。飢餓や貧困は、カーリスの敵でしょう?」
「けっして認めているわけではありません。まだ改善の途上である、というだけの話です。諦めはしません」
「ですが、それが無理なことはルシア天帝が述べた通り。人が愚かな以上、簡単には成就できません。その間にどれだけの被害が出ますか」
「ここで混乱を引き起こすことこそ、被害を助長するのではないのですか? 今ようやく、すべての国家が協力できるかもしれないのです!」

 サンタナキアには、我慢できないことがあった。

 今ようやくにして、世界が一つにまとまろうとしているのに、それを邪魔することである。このようなことは、おそらく大陸王が全世界をまとめた年、大陸暦元年以来の出来事である。

 それをぶち壊そうとしているオロクカカたちが、どうしてもサンタナキアには理解できないのだ。単なるテロリストならばよかったのだが、彼らは理念と理想を持ち、実際に人間としての魅力に溢れる者たちだからこそ、なおさらたちが悪い。

「虚栄の綱渡りが、あなたの希望ですか?」
「それでも一つになれるのならば。まずは手を取り合うべきです。今困っている人を救うことができるはずです」
「いいえ、それでは駄目です」
「なぜですか! なぜ!?」
「あなたがたの【善に対する欲求】が希薄だからです」

 現在の世界は、悪に対して闘いを挑んでいる。それは女神マリスの神性が、愛と正義と善であるからだ。

 飢餓や貧困、差別は悪である。悪が発生するのは、進化の法則が物的環境に左右されることと、進化の過程における必然的な未熟性が影響を与えるからだ。

 たとえば、一つの料理でさえ、完成形と呼べるものが出来上がるまでには、数多くの失敗と挫折があるだろう。一つの作品、工業製品ができる過程でも、数えきれない汗と涙が流れているものである。

 こうしたものは、人間の成長にとって必要だから存在するのである。人間だけではなく、すべての生命が進化する過程において、苦しみや哀しみがあるのは当然なのである。そうであってこそ、努力を続け、いざ出来たときに達成感を得るのである。

 現在の世界も、進化の過程で生まれた悪に対して、それなりに対処している。騎士団は治安を維持し、経済によって物流は巡っていく。富を得た者も、それなりに貧困にも目を向けている。

 そう、それなりに。

「はっきり申し上げて、不十分です。あなたがたは、悪に対する措置が、あまりにも弱すぎます。言い換えれば、善に対する欲求が足りないのです。努力が足りないのです。求めるものが少なく、小さいのです」

 人間には、自由意志というものがある。だからこそ、人は単なる操り人形ではなく、自ら考え、自ら成長できる存在となり得る。

 されど、その欲求に関しても自由なのである。

 現在の社会は自由意志が正しく扱われていない。肝心の法が実に弱々しく、なおかつ悪を野放しにしている。強者は自己の責任を理解せず、弱者は弱いことを受け入れてしまい、戦う気持ちを失っている。

「強者も弱者も、善に対する欲求が足りません。だから、いつまで経っても問題が解決しないのです」

 弱者にも、力を使う覚悟が足りない。

 オロクカカは、こう語るのである。現在の社会が悪性であるのならば、それを善にしないのは弱者にも原因があるのだ。善に対する意欲、渇望、実行力が足りないのだ。

 強者の力の濫用。
 弱者の力の惰弱。

 そのすべての歪みが、アピュラトリスというものに集約されている。それを力によって破壊することには価値がある。

 破壊はけっして無価値なものではない。破壊があるから創造があるのだ。古い家を建て直すためには、まずは取り壊さねばならない。ただし、取り壊そうとすると既得権益者が必ず立ち塞がる。

 それを排除するのは言葉ではない。力である。
 なぜならば、相手はけっして引かないから。

 欲望に塗れた人間を取り除かねばならない。
 そのとき必要なのは強制力なのである。

 しかし、サンタナキアは、そうした悪でも許すべきだと説く。

「未熟さや間違いを受け入れるのは、正義や善ではないのですか? 悪を滅するために暴力を使い続ければ、人は滅びてしまいます。やり直すチャンスを与えることは大切なことです。それこそ人の平等ではありませんか」
「すべての人間が相対的に未成熟である以上、寛容は大切です。しかし、寛容という言葉を盾にして、あなたがたは善を見放しているのです。それは逆の見方をすれば、悪ではないでしょうか」
「彼、金髪の悪魔の気持ちもわからなくはありません。私も世界がそこまで綺麗だとは思っていません。しかし、だからこそ【信仰】が必要なのではありませんか?」

 人が最後に頼るもの。
 それこそが信仰である。

 信仰とは、言い換えてしまえば思想の自由でもある。すべての人間は自由な考えを持つべきであり、侵されるべきではない。悪魔の考えもまた一つの思想であり、完全に間違っているとはいえない。

 されど、信仰とは思想を超えるものである。

 人は信仰なくして救われない。それがサンタナキアの、いや、カーリスの願いである。信仰とは、思想すら超える力なのである。

 願いは力となり、善や愛を成し遂げる力となる。
 信仰こそ、今の世界に必要なものである。

「今こそ、人々が信仰を得る時です。信仰がなくては、人は人を許せなくなります。それは危険なことです。女神様の下では、誰もが平等なのです。誰もがそれを思い出せば、世界はきっと…」
「サンタナキア…と言いましたね。あなたは、本気で私を説得するつもりのようだ。聖職者の説法というやつですか」

 騎士団長の一人であるサンタナキアも、カーリスの司祭の地位を得ており、自分の領土や遠征先では説法をすることもある。ただ、なぜか彼が説法を始めると、教会が女性だらけになる(男性が閉め出される)事態になるので、サンタナキア当人はそこだけが腑に落ちないでいるが。

 ちなみに女性限定の騎士人気ランキングでは、ラナーに続く二位の座に輝いている人物でもあった。非公式のファンクラブの名前は「萌えサキア組」である。

「説法をしているつもりはありませんが、信仰を否定する以上、悪魔とカーリスは戦争をすることになります。お互いの妥協点が見当たらないのです」

 悪魔の要求の中には、宗教の廃絶も含まれている。そうなれば当然、カーリスは存在意義を示すために戦うしかなくなる。

 全面戦争である。

 お互いのどちらかが死ぬまで戦うしかない。それは不毛であるとサンタナキアは言う。しかし、それもまた一つの仮定、「カーリスが正しい」という前提があってこそ成り立つ。

 それをオロクカカは、ばっさりと切り捨てた。

「わが偉大なる主は、信仰を否定しているわけではありません。誤った信仰を否定しているのです」
「それがカーリスであると? なぜそうと言いきれるのですか?」
「なぜ? なぜ…ですか。ふふふ、これは滑稽なことを言うものですね」

 オロクカカは、心底可笑しいといった口調で嘲笑する。その言葉には侮蔑を超えた嫌悪感が滲み出ている。

 悪魔がカーリスを嫌う理由。

 まず第一に、カーリス教徒であった母親の影響。カーリスへの違和感、不信感。ほんのわずかな解釈の違いで殺し合う、愚かな人間への嘲笑。彼が宗教を嫌いになっても仕方がないほどの理由にはなる。

 だがしかし、それだけではない。
 悪魔は、そんな個人的な理由で、このような破壊を行っているのではない。

「私は常々、愚かさに嫌悪感を感じています。まったく、愚かな人間ほど、その無知をひけらかそうとするものです。特にカーリス教徒の無知ぶりには、心底うんざりしますよ。おっと、愚痴を言っても仕方ありませんね」

 オロクカカのあからさまな侮蔑の言葉に、さすがのサンタナキアも不快を感じたのを察したのか、すぐに本題に戻る。さすがに愚痴を垂れ流す趣味はない。

「あなたたちカーリス教徒なるものは、【真実】を知らない」
「誰もがそう言います。他の宗教の方々は特に」
「サンタナキア、どうするのですか? 私の話を聞くのですか? それとも、殺し合いに戻りますか? 私は、どちらでもかまいませんよ」
「……続けてください」

 もしこれがサンタナキアでなければ、それが普通のカーリス教徒ならば、話し合いにすら発展していない可能性もあった。カーリスにとどまらず、宗教というものは精神的ドグマを形成する。

 思想とは、一種の精神支配であるから。

 あらゆる宗教、思想にありがちであるが、一度この精神支配に陥ると、そのことしか目に入らなくなり盲目になる。その結果、視野と見識が狭くなり、他の意見を受け入れなくなってしまう。

 それすなわち、衰退と成長の停滞を意味する。

 サンタナキアが、ここでオロクカカの提案を受け入れたのは、彼がまだ理性的な人間であるからだ。結果として、より多くの弱者を救えるのならば、意見の食い違いを我慢できるだけの理念があるからである。

 葛藤を押し殺し、サンタナキアはオロクカカの言葉に耳を傾けることにした。相手が強大な暴力を持つ以上、聞くしかないのも事実であるが。

「殊勝な心がけです。あなたほどの理性的な人間が、なぜ真実に思い至らないのか不思議でなりません。いや、隠蔽されているのですから当然でしょうか。これから述べることをあなたが信じなくても結構。しかし真実であると誓いましょう」


「聞く耳がある者よ、さあ聞きなさい。あなたがたカーリス教の八つの罪を!」


 オロクカカ曰く、罪はヘビ・ラテの足と同じ数だけ、八つあるという。


―――まず一つ目の断罪


「現在の聖職者は、本物の伝道者たちではないのです」

 カーリスは、【一人の聖女】によって始まった宗教である。

 その根幹にあるのが【神託】と呼ばれるもので、御使いである聖女が女神から啓示を受け、それを人々に伝えたことから始まった。人が正しく暮らすための【霊的な知恵】を与えるのが、宗教の本来の役割である。

 それすなわち霊媒である。

 偉大なる愛の園から送られてくる波動を受け取り、女神の意思を伝える者こそ霊媒。カーリスのみならず、宗教の本質とは霊媒にこそある。それが正しく運用されている時代は問題なかった。しかしながら霊媒の世話をしている人間はこう思った。

「これを利用すれば、利益が得られるのではないか」

 と。

 そもそも霊媒にのみ注目が集まることを妬んでいた、本来は【建物の管理人にすぎなかった彼ら】は、いつしか霊媒を利用あるいは追放し、自らがその地位に成り代わったのである。

 その結果として、宗教は宗教足り得なくなる。

 人々は正しい知識を得られなくなり、誤まった考えに染まっていく。それは当然。彼らにはその資格がないからだ。

 つまり、「簒奪さんだつした罪」。

 権利のない者がそれを奪った罪。これが一つ目の断罪である。


―――二つ目の断罪


「利益主義の罪」

 彼らは布施を取り私腹を肥やしている。説法で金を受け取り、自己の財産として使っている罪。女神からの啓示は、すべての人間に分け隔てなく与えられるものである。それを制限した罪。


―――三つ目の断罪


「詐欺の罪」

 偽りの教義や虚言で人々を惑わし、自己の利益にしている。価値のないものを崇めさせ、物事の本質を覆い隠した罪。自分が建てた建物と聖典にのみ神がいると吹聴した罪。


―――四つ目の断罪


「奇跡の独占の罪」

 貴重な神器や、古の真言術の一部を隠匿している。本来は人々の生活向上のために存在する術を独占し、奇跡と称して宣伝に利用している罪。女神の愛と力を金で売っている罪。


―――五つ目の断罪


「信仰の政治利用の罪」

 自己の保身のために、崇高なる信仰を利用している。既存の政治と結託し、国家の体制維持に助力して人々を縛っている罪。人類の平等の前に立ち塞がるのは、常に政治家と宗教家であるようにした罪。


―――六つ目の断罪


「偽りの祝福による洗脳の罪」

 特殊な儀式による人々の洗脳を行っている。幼い頃に植えつけられたドグマは、死後も人々を縛る。そのために、愛の園に多くの悪影響を及ぼしている罪。


―――七つ目の断罪


「無知の罪」

 高級霊界の愛の園について何も知らない。知っているふりをして人々を騙している罪。無知を認めず、自らが作った偽りの言葉のみを正しいとする傲慢の罪。


 オロクカカは、端的にカーリスの罪を述べていく。その様子をサンタナキアは強張ったような、あるいは困惑した表情で聞いていた。

 ロイゼンで生まれ育った者は、それが孤児であろうと、幼い頃よりカーリスの訓えを叩き込まれることが多い。サンタナキアも例外ではないし、アレクシートの家に行ってからは、より深い教義も教え込まれている。

 心の奥底には、今のオロクカカの発言に対しての反発心はある。中には聞いたことがないものもあるし、言いがかりだと反論しても差し支えないものにさえ聞こえる。

 だが、なぜか声が出ない。

 司祭として反論したい点は数多いのに、オロクカカの淀みない断罪の言葉を否定するだけの力が湧いてこない。

 彼の言葉に【力強い確信】があるから。

 こうして武人として戦っていると、不思議なことに相手の感情や気持ちが伝わってくる。戦気は扱う人間の鑑。オロクカカの戦気は、とてもとても純粋で綺麗な赤い色をしている。

 そんな人間が嘘をつくようには思えないのだ。だからといって、真実とは限らない。当人がそう思っていれば、嘘ではないのだから。

「まだ納得はできないようですね。ですが、この最後の罪だけは、ぜひとも言わせていただきますよ」

 オロクカカは、最初から理解してもらおうなどとは思っていない。

 しかし。だがしかし。
 彼にはカーリス教徒に対し、ぜひとも言わねばならないことがある。

「笑われるかもしれませんが、私にも信仰心というものがあります。それは奇しくも、あなたがたと同じく女神への信仰です」

 オロクカカの一族は、女神信仰を持っている部族である。

 かつて女神の霊脈に連なる女性が地上に出現した際、彼らは秘伝の糸で編んだ服を贈った。黄金の糸で編まれた服は輝いており、何よりも込められた愛情が素晴らしかった。女神への敬愛と信仰心に満ちていた。

 女性はたいそう喜び、祝福の言葉を与えたという。

―――オロ・ク〈光の糸〉

 それは聖なる言葉として受け継がれ、一族の中でもっとも優秀な者に与えられる名となった。オロクカカがこの名前になった時、女神への愛と信仰に絶対の忠誠を誓ったのである。

「私が主を崇めているのは、彼こそが女神の愛する存在だからです。あの御方おんかたこそが、女神の正統なる代理人だからこそです」

「そして!!!」

「だから私は!!」

 徐々にオロクカカの声に怒りが滲んでくる。声が震え、歯軋りすら聴こえるほどに猛っていく!!

「何度何度何度、あなたたちは女神の子らを殺すのか!! 偉大なる主の伴侶である、あの女神の系譜すら蔑ろにして!!!」

「ああ、あの飾らぬ笑顔。真に偉大なる者とはいかなる者かを示す、あの自然な生き方! 弱者と寄り添い、自ら苦楽を共にし、自己犠牲を果たす女神の系譜!!」

「それを、それを、それを!! お前たちは!! 何度何度何度!! 自己の欲望のために殺すのか!!!」


「カーリス様を殺したお前たちが、カーリスを名乗るのか―――――――――――――――――――――――――!!!!」


 爆発。

「愚か、ここに極まれり!! けっして許せぬ!!」

 オロクカカの戦気が膨れ上がり、無数の戦糸となってヘビ・ラテを中心に巻き上がっていく!!

 それは竜巻のように、激しい怒りの奔流を表現していた。怒りが炎となって、バーン〈人を焼く者〉を形成していく。怒りの炎に照らし出された蜘蛛のシルエットは、鬼の形相でサンタナキアを睨んでいた。

「なに…を…」

 サンタナキアが出せた声は、たったそれだけだった。

 思考が停止する。言葉が理解できない。口が渇いて言葉が出ない。目は焦点が定まらず、何も捉えることができない。


「第八の罪!! それは、お前たちがカーリス様を殺したこと!! 女神イシュタム様のご息女を殺したこと!!」


「これ以上の罪はないと知れ!」

 女神イシュタム。

 偉大なる者として、人類の進化のために子らを導く役目を負った女神。光と闇の女神が星の管理を行うのに対し、紅虎丸のように直接人々を導く存在の一人である。

 その女神イシュタムには、一人の娘がいた。

 聖女カーリス。

 今からおよそ六千年前に地上に降りた【直系】の一人である。女神マリスの霊系と同じく、彼女は受肉して一人の人間として生を享けた。彼女の役目は、いまだお互いを愛し合うことができない人類を助けること。一人の霊媒として、愛の園との架け橋になることである。

 彼女は直接、女神直轄の霊団と接触することで導きの言葉を伝えた。

 これが最初の【神託】である。

 聖女カーリスの周りには優秀な霊媒(語り部)が集まり、大きな神託から私生活に至るまでアドバイスを送っていく。それが的確だったために、あるいは癒しの術があまりにも劇的だったがゆえに、人々は彼女たちを崇めていった。

 これがカーリス教の始まりである。

 ただし、聖女カーリスは宗教組織を作ろうなどとは思っていなかった。ただ己の使命を果たそうと、一般市民とともに暮らし、日々苦しみの中にある人々の悩みを聞いていたにすぎない。

 霊が地上生活を送るのは、とてもつらいことである。霊本来の直感も軽快な動きも制限され、鈍重な物質に包まれて生きねばならない。老いや、神法に違反することで生まれる病など、いつの時代も地上人類は苦しんでいた。

 偉大なる者たちが、それを黙って見ているわけがない。愛するわが子、弟、妹たちのために、こうして使者を派遣しているのである。それが明確に示されないため、人々は理解できないにすぎない。

 仮に「いつどこどこで、女神の系譜が生まれる」などと知れたら、それこそ大パニックである。人々はただ生まれだけで、その女性を敬ってしまうだろう。

 それではいけないのだ。
 あくまで自らの行為によって、人々に尊敬されねばならない。

 それは、偉大なる者とは、常に地上人類とともにあり、どんなに進化を果たしたとて同じ人間である、ということを教えるためである。人間は人間なのだ。笑いもするし、哀しんだりもする。あるいは間違えることもある。

 聖女カーリスも、けっして万能ではない。地上の法則に逆らうことはできないため、出来ることはさほど多くなかった。それでも自らの行為によって尊敬を獲得したのである。一緒に苦しみ、ともに生きたからである。

 そして、いつしか何千、何万、何十万人という人々が彼女に従うようになった。それがカーリス教の母体となったにすぎない。

 だが、オロクカカが断罪したように、それを快く思わない者たちがいた。施設の管理人であった司祭たちである。最初は利用しようと思っていたが、聖女カーリスが抵抗すると、あろうことか愚かな行為に走った。

 それはたった数人による愚行。
 しかし、あまりにも恐ろしいことであった。

 カーリスを監禁し、結果的に殺害してしまった彼らは、聖女の身代わりを立て、そのまま組織を乗っ取ってしまったのだ。

 そして、そのまま六千年。

 その間に、数々の罪を犯している。それはもう、数えきれないほどに。しかし、聖女カーリスを殺した以上の罪など存在しない。

「原罪とは笑わせる!! その通り! お前たちは最初から呪われている!! 女神を裏切った反逆者の末裔として!!!」

「許さん! 絶対に許さん!!」

(なんという…怒りだ…)

 サンタナキアは、オロクカカの怒りに背筋が凍りつく。

 冷静そうに見えても、実際は腸が煮えくり返っているのだ。この場に、ただ戦いに来たのではない。名誉が目的なのではない。彼の中にある怒りが抑えきれず、爆発の場所を求めているのだ!!

 オロクカカが、女神を信仰しているからである。本物の女神を愛し、人生を捧げているからこそ許せない。偽者であり罪人が、堂々と跋扈ばっこしている姿が許せないのだ!

「馬鹿な! そんなことが!! あってはならない!!」

 せきを切ったように、サンタナキアが叫ぶ。もしオロクカカが語ったことが事実ならば、第八の罪だけでも重罪である。いや、もはや重罪という言葉ですら生ぬるい。

 人類に対する反逆。

 女神によって生まれた者たち、そのすべてに対する罪である。しかもこれは、同じ直系である紅虎を殺すよりも、遥かに遥かに罪深い。

 聖女カーリスは、力を持たぬ普通の人間として産まれた。彼女は武人ではなく、女性の優しさと叡智を与えるためだけにやってきたのだ。そんな彼女を殺すなどと、なんと残忍なことだろう。

 ホウサンオーは、自らの武によって紅虎に立ち向かった。その結果として、仮に殺してしまったとしても、それは戦いの結果にすぎない。相手も同じ武人であり、むしろ自分より強い相手なのだから、そこには潔さがある。

 だが、自分より弱い相手、それも女性に対しての愚行が、どれだけ恐ろしいことかは誰にでもわかるだろう。これはただの犯罪である。ただの強盗殺人である。

「あなたがたは、簒奪者にすぎない。なぜ、そこにいるのですか。なぜ、どうして、何の権限があって、そこに居座っているのですか!」
「嘘だ!! 嘘だ!!!」

 サンタナキアの心が拒絶する。これを認めてしまえば、今までのすべてが壊れてしまう。自分そのものが壊れてしまう。

 世界が壊れてしまう。

 カーリスの力は、それだけ強大なものとなっているである。世界各国に信者がおり、彼らは真摯に祈りを捧げている。それが今になって嘘だったとすれば、大混乱は必至である。

 信仰は、経済にも勝る重要な要素である。経済が停滞しても生きていけるが、信仰がなければ生きていけない、人間を構成するために必須とも呼べるものである。その根幹が揺れれば、経済の破壊どころの騒ぎではなくなる。

 だからこそ、サンタナキアは必死に抵抗した。

「も、もし偽物ならば、どうしてここまでの力を得たのですか!! 紛い物ならば、このような長い年月に耐えられるわけがない!! そうだ。そのはずだ! 古来より、悪が栄えたためしはない! いつか必ず滅びるはずだ! カーリスが長く続くのならば、そこには正統性があるはずだ! 正しいはずだ!」

 これだけ長く続くということは、それだけ価値があるということ。その言葉に真実が宿っているからこそ続くのであると、彼は叫ぶ。

 だが、オロクカカは、処刑台のギロチンに手を触れながら、残酷な笑みを浮かべた。

「今の法王は誰ですか?」
「エルファト…ファネス様…」

 サンタナキアの声は、もう声と呼ぶにもか細く、弱々しいものであった。頭の中が、掻き混ぜられたシチューのようになっているのだ。そんな状態の彼に、オロクカカはさらに言葉を投げ入れる。それは彼を破壊するには十分な一撃。

「彼女は何ですか? なぜ、法王になれたのですか?」
「それは……聖女様だから―――っ!」

 この時、サンタナキアは気がついてしまった。
 歴代法王が女性であり、すべてが【聖女】であることを。

 そんなことは当たり前である。聖女カーリスが立ち上げたカーリス教を継げるとすれば、それは当然ながら聖女でしかありえない。しかし、オロクカカの話が前提にあるとすれば、もう一つの違う意味を持つ重大な事実となる。

「気がついたようですね。あなたがたの罪は、まだ続いている。いまだに聖女を監禁し、侵し続けているのですよ!!」

 聖女カーリスを殺した結果、聖女の存在意義が正しく伝わらなかった。そして現在の聖女たちは何も知らないまま、その【伝染力】だけを保有して生きることになっている。

 かつて聖女カーリスたちを殺し、地位を簒奪した者たちによって、今も利用され続けている!! これが罪でなくて何と呼ぶのか!

「罪を悔いるどころか、いまだ罪を犯し続けている。なんと愚かなことでしょうか」
「そんな…馬鹿な…」

 サンタナキアは、それが嘘であると叫べなかった。否定することができなかった。あまりの話の大きさに思考回路が停止してしまったのだ。

 その時である。
 天より断罪の光が落ちた。

 光は次々と地上に落ち、偽りの富に加担する者たちを焼いていく。これはリヒトラッシュ率いるロー・アンギャルが、空中から攻撃を受けていた光景であるが、サンタナキアには天からの罰に見えた。

 彼は激しく動揺していた。この光の前にも、アピュラトリスを奪還するために使用されたDMOBの爆発で何度か地面が揺れたのだが、そんな大爆音に気がつかないほど動揺していたのだ。

 揺れる、揺れる。

 存在が揺れる。
 天も地も、何も彼を支えるものがなくなっていく。

「冒涜! 冒涜!! 女神への冒涜である!! 罪人どもめ、もはや言い逃れは許さぬ!!」

 オロクカカは形勢が再び逆転したことを確認すると、ヘビ・ラテから膨大な量の戦糸を伸ばす。

 向かう先は、背後のカミューたちである。

「わ、私は!! どんな理由があれ…、わ、私は、ま、守る!!」

 サンタナキアは、おぼつかない足取りで部下の騎士たちを守りに入る。

 それは自己防衛本能だったのかもしれない。何かに抵抗していなければ自分自身を保てないのだ。まだ戦いの最中だったからよかったものの、これが平時であれば悩む暇はいくらでもあり、もっと危険だっただろう。

 シルバーフォーシルは、大剣を振るってヘビ・ラテの糸を断ち切る。この状態でこれだけ大量の糸を容易く斬るのだから、サンタナキアの精神力は尋常ではないほどにタフであるといえる。

 がしかし、今回のダメージは人生でもっとも強いもの。いかにタフなサンタナキアであっても耐えられない。

「素直に称賛しますよ。もし私ならば、罪の意識から自害していたかもしれないというのに、あなたは立派に神聖騎士としての務めを果たしておられる。聖女殺しの悪人たちを断罪から守るために…ね」
「やめろ! やめてくれ!!」
「悪に加担する者は、悪なのではありませんか? それと戦う私たちは、善なのではありませんか? それとも寛容の精神で、罪人を許すというのですか。なるほど。なんとも傲慢だ。それとも、慈悲深き闇の女神の名すら簒奪するおつもりですか?」
「違う!! 違う!!!」

 オロクカカの鋭い言葉が、サンタナキアを何度も苦しめる。もしここが精神世界ならば、鋭い剣がサンタナキアの胸に刺さっているのがわかるだろう。

 精神の刃は、肉体の痛みを凌駕する。

 物質世界では、物的な痛みが一番つらいかのように思えるが、肉体の上位に位置する精神への攻撃は、それを上回るのである。激しい痛み、激しい焦燥感に襲われ、サンタナキアは呼吸すらおぼつかない。

 ただし、これは動揺を誘う言葉の駆け引きではない。

 【皮肉】である。

 悪魔が皮肉によって、誤まった社会システムを破壊するように、その手足であるバーンも皮肉によって構成されている。

 ホウサンオーが剣王であるように。
 剣士の頂点が、人類の敵になるように。

 そしてまた、オロクカカのような強力な信仰心を持つ人間が、バーンとなって世界的宗教組織であるカーリスと対峙するということ。それもまた皮肉である。

 悪だと思っていた相手が、実は善であった。それが正当で正統な存在であったという皮肉。ヘインシーも危惧していたが、これが一番恐ろしいことである。

(悩むな。悩む暇なんてない! 守るんだ! アレクを助けるために!!!)

 それでもサンタナキアには希望があった。まだ自分には守るべき存在がいる。愛すべき家族がいる。アレクシートがいれば、まだ自分は戦えるのだと。あらがえるのだと。

 サンタナキアは、必死に目の前に集中する。糸が見える自分がいれば、ここを死守することはできるのだという、淡い願望である。

 しかし、願望は願望でしかない。

「サンタナキア、あなたは疑問を抱いていた。なぜ糸が見える自分を残したのか、と。違いますか?」

 オロクカカの声は、ひどく冷静だった。あれほどの激情を見せたあとに放つ言葉とは思えないほどに。怒りが、すでに赤を通り越しているのだ。より高温の青となって燃え盛り、冷徹で残酷な目に変化していた。

 その目が映すのは、罠にかかった獲物の姿である。

「ぐっ!!!」

 突如、サンタナキアの両足に激痛が走る。それは「痛い!」というものを超えて、痺れるほどの強烈な刺激である。思わず膝が曲がる。

「な、なにが―――」

 サンタナキアがシルバーフォーシルの足を見ると、両足の裏側、ふくらはぎの部分に、小型の蜘蛛であるマゴラテが張り付いていた。

 マゴラテは、ミサイルを迎撃するチャフの役目をするだけの存在ではない。ヘビ・ラテの立派な攻撃手段の一つである。ただ、今まではそれを使うだけの相手がいなかったにすぎない。

 マゴラテは、シルバーフォーシルの足に噛み付くと同時に、強力な電流を流す。その威力は通常のMGならば一瞬で回線をショートさせ、行動不能にさせるほどである。

 激しい電流が、サンタナキアを襲う。長く正座したあとのように、もう感覚すらなくなっていた。ただただ痺れて動かない。これは深刻で致命的なダメージである。

(囮に引っかかるとは…! 動揺しているのか! いや、相手が上手いのだ!)

 たしかにサンタナキアは動揺していた。通常ならば警戒できる足元にも注意が及ばなかった。しかし、カミューへの攻撃は、サンタナキアを誘い出すための餌。彼が仲間を救いに走ることを計算に入れた周到な罠であった。

 オロクカカは、サンタナキアと対峙しながらも、背後にマゴラテを忍ばせる。彼が糸を見えるからこそ、あえて目の前で糸を撒き散らして警戒させ、背後の足元への注意を逸らしたのだ。これも戦闘経験値の差である。

「理由はわかりませんが、あなたには糸が見える。それは厄介な力です。しかしながら、見えることが仇にもなるのですよ」

 オロクカカにとっても、糸が見切られることは嫌なことである。だが、見えたからといって戦糸術が破られたわけではない。

 むしろ、見えるからこそ反応してしまう。
 救おうとしてしまうのである。

 もし糸が見えないアレクシートが相手だったならば、犠牲を承知で短期決戦を挑んでいただろう。見えないものに怯えるのは彼の性に合わないし、逆に危険である。

 一方、糸が見えてしまうサンタナキアは、防御を優先した。味方を思いやる心優しいサキアは、誰も犠牲にならない道を選んだのだ。自分が糸に対処すれば何とかなると。

 それは甘い考えである。

 特に相手がバーンであるのならば、非情に徹しなければいけない。仲間を見捨ててもバーンを倒さねばならない。これは忠告を通り越して警告である。

 なぜならば、もしそうしなければ―――

「これより罪人の処刑を始めます。まずは盲目で愚かで、真実の目を持たぬ哀れな咎人たちの奴隷、その傀儡くぐつども!」

 改めてヘビ・ラテの糸が、カミューたちに襲いかかる。それは捕獲するものではなく切り裂くもの。

「逃げろ!!」

 サンタナキアは部下たちに叫ぶが、彼らには見えていない。
 自らを細切れにする、何百という糸が。

 糸はカミューたちを大きく取り囲み、暴風のように一気に襲いかかる。彼らは何が起こったかも理解できないまま、そのすべてが一瞬で切り裂かれた。頭部や手足だけが切れるのではない。まさに細切れとなった残骸。オイルと血が入り交じった、不愉快な臭いのする液体が飛び散る様子は、まさに地獄絵図であった。

 戦糸術【竜巻絵巻】。

 膨大な量の糸を回転させ、竜巻のようにすべてを切り裂いてしまう大技である。発動にはかなりの準備が必要なため、今回のように相手を結界内に閉じ込めて使うことが多い。

 彼らが防戦を選んでくれたおかげで、それもやりやすかった。これはサンタナキアの戦術が悪かったわけではない。単にオロクカカが、ロイゼンの戦い方を研究していた結果である。

(甘かった。最初から狙っていたのだ!!)

 サンタナキアは、今になって後悔する。彼らの行動のすべてが、自分たちを纖滅するための準備であったのだ。

 アレクシートを連れ去ったのは、それがすべてにおいて好都合であるからだ。彼を失って動揺すれば各個撃破すればよいし、固まって防戦すれば技の餌食となる。ロイゼンの情報を知り尽くしているからこそできる罠である。

「サンタナキア様! お助けいたします!」

 運良く竜巻絵巻の範囲外にいて無事だったカミューが、サンタナキアを助けようと動く。

 目の前で大勢の仲間がやられたのを見ても恐慌に陥らないのは、さすがロイゼンの聖騎士でありカーリスの信者。彼らも命を捨てる覚悟でやってきている。

 しかし、その覚悟があってもなお、敵は強かった。

「来るな!! 狙われているぞ!」

 サンタナキアの視線には、背後を見せたカミューたちに襲いかかるガヴァルの姿があった。それは、相手が弱るのを待ってから、一斉に襲いかかる獰猛な野犬たち。背後を見せたカミューにバズーカを放ち、それによって破壊された背中にサーベルを突き刺す。

 抉る。抉る。抉り尽くす。

 サーベルは機体だけではなく、中の騎士にまで到達し、それでもさらに抉る。突き刺す。そこにいっさいの遠慮も躊躇もない。まさに悪魔の所業である。

 だが、カーリスの罪を思えば、これは逆である。

 天罰。

 天の使いである聖女を殺した人間たちに送られたのは、罰を与えるための悪魔。人間自らの罪が生み出した、贖罪の御使いである。

「あなたは、はりつけにしてさしあげましょう」

 ヘビ・ラテは、シルバーフォーシルを吊り上げると、戦糸で練った十字架に両手足を縛り付ける。

「くうう、うおおおおおおお!」

 サンタナキアは、剣気を放出して抵抗。剣の部分の糸は切れたが、いかんせん糸の数が膨大。次から次と襲いかかる糸に対抗しきれず、剣を持った腕も糸で埋まる。

「無駄無駄無駄!!」

 ヘビ・ラテの糸は、とどまるところを知らない。オロクカカの戦気が次々と糸になってシルバーフォーシルを縛りつける。これには、いかにサンタナキアであっても抵抗はできない。

(なんという…、なんという強さ。本当に彼らが正しいのか? だから強いのか…?)

 オロクカカもロキも強すぎる。同じ死を覚悟した者同士であっても、持ち込んだ意思の強さが違う。

 信仰に殉ずることは美学でもある。自己陶酔といってもよいだろう。その一途さは恋愛のように、ある種の甘美さを与えてくれる。カーリスの騎士たちは、快楽の中で死ぬのであるから幸せだろう。

 がしかし、オロクカカたちの強さは同じ信仰に根付いていても、根幹が違う。そこに自己陶酔も自己満足もない。ただ悪魔の思想のもとに、相手を殺すことだけに集中している。自己満足すら得るつもりもない。

 あるのは怒り。強大な怒り。

 その膨大なエネルギーが破壊に転じた時、止められるものは何もない。すべてが無力である。

「我々がカーリスを破壊するのです。いいえ、違います。カーリス様の名を騙る盗人どもを皆殺しにするのです!!」


 今、断罪の時はきたる。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

とあるおっさんのVRMMO活動記

椎名ほわほわ
ファンタジー
VRMMORPGが普及した世界。 念のため申し上げますが戦闘も生産もあります。 戦闘は生々しい表現も含みます。 のんびりする時もあるし、えぐい戦闘もあります。 また一話一話が3000文字ぐらいの日記帳ぐらいの分量であり 一人の冒険者の一日の活動記録を覗く、ぐらいの感覚が お好みではない場合は読まれないほうがよろしいと思われます。 また、このお話の舞台となっているVRMMOはクリアする事や 無双する事が目的ではなく、冒険し生きていくもう1つの人生が テーマとなっているVRMMOですので、極端に戦闘続きという 事もございません。 また、転生物やデスゲームなどに変化することもございませんので、そのようなお話がお好みの方は読まれないほうが良いと思われます。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

アニマルアイランド

園島義船(ぷるっと企画)
恋愛
「あなた」は今、どんな人生を歩んでいますか? 何か好きなものはありますか? 誰を一番愛しましたか? その人生をわたしに聞かせてください。 その素晴らしい人生を教えてください。 あなたが死んだあとは、一番愛する人と過ごすのです。 嘘偽りない真実の愛だけが、両者を結びつけます。 夫婦、恋人、家族、友人、それ以外の誰か。 そして、人以外の何かかもしれません。 ここはアニマルアイランド。 生前、ペットしか愛せなかった人間がやってくる場所。 すべてに疲れたあなたが、本当の愛を知る場所。 あなたが愛したのは一匹の犬でした。 彼女は人間になって、あなたを待っていたのです。 「あなたが愛してくれたから、わたしは人間になれました。あなたを愛しています。ずっと、これからも」 あなたが愛を与えたから、彼女は本当の人間になったのです。

レベルが上がらない【無駄骨】スキルのせいで両親に殺されかけたむっつりスケベがスキルを奪って世界を救う話。

玉ねぎサーモン
ファンタジー
絶望スキル× 害悪スキル=限界突破のユニークスキル…!? 成長できない主人公と存在するだけで周りを傷つける美少女が出会ったら、激レアユニークスキルに! 故郷を魔王に滅ぼされたむっつりスケベな主人公。 この世界ではおよそ1000人に1人がスキルを覚醒する。 持てるスキルは人によって決まっており、1つから最大5つまで。 主人公のロックは世界最高5つのスキルを持てるため将来を期待されたが、覚醒したのはハズレスキルばかり。レベルアップ時のステータス上昇値が半減する「成長抑制」を覚えたかと思えば、その次には経験値が一切入らなくなる「無駄骨」…。 期待を裏切ったため育ての親に殺されかける。 その後最高レア度のユニークスキル「スキルスナッチ」スキルを覚醒。 仲間と出会いさらに強力なユニークスキルを手に入れて世界最強へ…!? 美少女たちと冒険する主人公は、仇をとり、故郷を取り戻すことができるのか。 この作品はカクヨム・小説家になろう・Youtubeにも掲載しています。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

あなたは異世界に行ったら何をします?~良いことしてポイント稼いで気ままに生きていこう~

深楽朱夜
ファンタジー
13人の神がいる異世界《アタラクシア》にこの世界を治癒する為の魔術、異界人召喚によって呼ばれた主人公 じゃ、この世界を治せばいいの?そうじゃない、この魔法そのものが治療なので後は好きに生きていって下さい …この世界でも生きていける術は用意している 責任はとります、《アタラクシア》に来てくれてありがとう という訳で異世界暮らし始めちゃいます? ※誤字 脱字 矛盾 作者承知の上です 寛容な心で読んで頂けると幸いです ※表紙イラストはAIイラスト自動作成で作っています

処理中です...