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零章 第四部『加速と収束の戦場』
六十二話 「RD事変 其の六十一 『紅虎の動き① エイロウ魔法王国』」
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連盟会議場では、幾人もの人間が慌しく準備をしている。これから戦いになるのか、それとも脱出することになるのか、どちらにしても自国の元首および高官たちは守らねばならない。そのために護衛の人間は神経を尖らせていた。
国際連盟の勢力は、常任理事国の数と同じく五つある。中小国家は、それぞれの利益に応じて各常任理事国の側につき、極力一つの勢力として固まっているからだ。
これは政策決定の大半を常任理事国に任せる代わりに、その責任が軽くなるという意味合いもある。もとより中小国家は自国だけで精一杯なので、世界全体の問題にまで関与するだけの余裕はない。そのため常任理事国を盾にしているわけだ。政策において利益が出るならばおこぼれをもらい、失敗したならば常任理事国に尻拭いを任せればいい。
また、国際連盟自体がさほど強制力を持たない組織であることも大きい。結局のところ大国の意向が重要視されるので、そこにわざわざ関わろうとする国は少ない。それよりはこれを機に味方であると示し、見返りを求めたほうが利口であろう。
言ってしまえば、各五大国に味方する者たちは【取り巻き】たちというわけである。ただし、その勢力間の国家同士がすべて友好的とは限らない。
大国に隣接しているがゆえに組しているだけである場合、複数の近隣諸国が大国側についていたとしても、下についた国家同士はたいてい領土や資源上の問題を抱えているものである。
大国の庇護下、影響下にあるときは表面化しなくても、いざ会議が終わり自国に戻れば隠れていた問題は噴出する。こうした勢力は属国というわけではないので、大国側が仲裁するということも少ない。大国の同盟国同士はけっして味方ではない、ということである。
会議が穏便に終われば問題なかったが、いざ騒動が起こるとこうした問題が影響を及ぼす。脱出するにしても、どこの国が優先的に逃げるのか、という問題も生まれる。戦うにしても、誰が犠牲になるのか、という問題になる。
それにテロリストの正体もわかっていない。もしかすれば、この会議場にも彼らの仲間がいる可能性もある。どこの国が味方で、誰が裏切り者かわからない。こうした状態が緊迫感を生み出しているといえた。
各国のスペースは、会議場とつながる楕円上の巨大ホールに各々巣穴のように入り口が存在する。スペースには裏口等はないため、出入りにはホールを必ず使用しなければならないのは安全上の問題があるものの、各国の人々がそこで触れ合うことで共通意識を芽生えさせることが目的である。
ただし、現在の状況からホールの中は非常にギスギスした雰囲気が漂っている。用もなく出歩く者はおらず、警護の者たちだけが入り口に立つか、出かける際も必ず身内で固まり、他国の人間との会話も控えている様子が目立つ。
唯一大国のスペース前だけは余裕に満ちたように――それが建前やアピールであっても――悠然と構える騎士が立っている。まあ、グレート・ガーデンの入り口に限っては、なぜかダンサーが立っているという異様な状況ではあるが。
しかし、そんな中にあってただ一人、まったく緊張感を抱かずに動いている者がいる。
チェリーピンクの髪の毛をポニーテールにまとめた女性。その髪の毛よりも真っ赤な瞳には生命の輝きを宿し、きつくも柔らかくもない目尻は気持ちのよい活発さを感じさせ、常に微笑んだ形の唇は、化粧もしていないのにどこか艶やかである。
足取りは、羽でも生えているかのように軽やか。まるでスキップしているかのように弾んでいる。そのたびにポニーテールが揺れ、周囲の者たちの視線を釘付けにする。
いや、彼らが釘付けになるのは髪の毛ではない。そのすべて。彼女から溢れる明るい雰囲気、強者だけが持つ独特の余裕と自信、すべてを包むような母性を無意識に感じるからだろう。彼女からは一切のマイナスのものを感じないのだ。真っ暗な場所に光を帯びた美しい蝶が舞い進むように、すべての人間の視線が必然的に集まっていく。
そんな自称二十七歳の女性、紅虎はいつの間にか着替えたのか、全身を白い装備に包んでいた。それは騎士然というより冒険者のような格好である。
白い革鎧は普通の鎧に比べて脆そうに見えるが、防御能力の高い希少魔獣である白炉兎の毛が練りこまれており、あらゆる攻撃に対して属性耐性を持つ逸品である【宝白炉の革鎧】。
白地に赤いラインが入ったスカートは、こちらも希少魔獣の絃竜種の血液が常時流れて循環しており、自己修復能力と中位防御障壁を発生させる能力がある【張り巡らす堰絃布】。
白いブーツは、ジャンプ力を向上させる飛翔系の靴で、脚力向上、浮遊能力を付与するジュエルが植え込まれている【夢白のブーツ】。軽く羽織った襟がモコモコの白いコート、【伝説モッコモコート】にも、物理攻撃無効化、精神攻撃無効化の術式が施されている。
そして腰にはいつも通りの木刀。その反対側の腰には目を見張るほど美しい鞘をした一本の刀、紅虎が持つ唯一の真剣、【二天真王】を差していた。
これらの装備は超がつくほどの一級品であり、この四つだけで一つの領土が軽く買えてしまうほどの希少品である。刀は言わずもがな、とても値段がつけられるようなものではない。これと比べればホウサンオーのマゴノテも紅虎丸のために捧げられた十本の刀、名刀十虎も霞んでしまうだろう。
それ以上に、紅虎がこうして完全武装するなど、まず滅多にお目にかかれない光景である。
それを知らない人間からすれば、直系である紅虎も武装するのだと親近感を抱き、その装備の見事さに嘆息するかもしれないが、見るものが見れば、これが異常事態であることを悟るだろう。実際、それを悟った各国スペース前にいる護衛の人間からは血の気が引いていた。
直系が武装をする事態とは、いったいどのような災厄なのだろうか、と。
そして今、テロが起こっている最中である。それに関連したことであるのは間違いない。そうした憶測も広がって、紅虎の雰囲気に魅了されつつ、これから何が起こるのかと戦々恐々した気配に満ちていた。むしろ紅虎が来る前よりも悪化している。
そんな紅虎は周りの様子などお構いなしに、一つのスペースに堂々と入っていく。珍しく入り口には護衛の人間はいないので、誰にも制止されることはなかった。
「こんちゃーっす。あのさ、ちょっといい?」
首だけひょこっと入れて周囲を見回すと、一人の女性が荷物の整理を行っていた。何やらいろいろなアイテムを整理しているようで忙しく、軽く首だけ曲げてこちらを見るが、実際の視線はまだ荷物に向いている。
「勝手に入っちゃうよー」
「あっと、待ってくださーい。今解除しますから! 勝手に入ると危な…」
その言葉に女性が慌てて振り返ろうとするが―――
バキンッ!
紅虎が無人の入り口を通り過ぎた瞬間、コートとスカートが一瞬光り輝くと同時に何かが割れる音がした。
「えええええ―――!?」
荷物の整理をしていた女性、おそらく事務員であろう女性は紅虎を見て硬直する。しばらく紅虎が前にいても硬直したままである。
「おーい、どうしたの?」
「いや、その……張り紙、見まし…た?」
「張り紙? 何それ?」
実はスペースの入り口には国家名が書かれたプレートが貼られている。通常はそれだけなのだが、ここにはそれ以外にも張り紙があった。
注意:現在、魔法障壁を展開中。
危険ですので、御用の方はまずお声がけください。
と。
この張り紙は赤字で相当目立つところに貼ってあったはずである。が、紅虎がそんなものを読むわけもない。完全に無視して入った結果がこれである。結界が発動した瞬間、紅虎の装備がカウンターアタックを仕掛け、これを撃破したのである。
この障壁は普通の防御障壁ではなく、反撃タイプの術式が加えられていた。間違えて入ってしまう人のために足止め拘束する程度の軽いものだが、普通の人間ならば抵抗することはできない強力なものである。
当然、防衛用に作られているので、一流の武人であっても数秒の足止めが可能なほど高位の術である。殺傷力を皆無にしたぶんだけ、それだけの効果を得られるというわけだ。
が、力と力がぶつかった場合、弱いほうが砕けるのは道理である。紅虎の装備のほうが遥かに優秀だっただけにすぎない。
それを悟って事務員の女性は呆然としていたが、ようやくにして目の前の人物が誰かに思い至り、目を大きく見開く。
「―――って、は……え? え!? べ、紅虎…さま!?」
最初のあまりに軽い挨拶に、自分の国と近しい相手が来たのだろうと勘違いしたため、勝手に思い込んだ情報と視覚の情報を上手く脳で処理できていないようであった。
最初は結界が破壊されたことによるショック。次はそれが紅虎であるというショックである。しばし紅虎の前で再度フリーズ。
「いやいや、固まってないでさ。ほれほれ、動いた、動いた」
「あひゃ―――!!」
紅虎が、むんずと女性の胸を掴む。軽く触るというレベルではない。思いきり鷲掴みである。
「おっ、意外と着やせするんだね」などと言いながら、息を吐く如く自然にセクハラをする。ちなみにDカップとのこと。まったく無意味な情報である。これも関係ないが、同性間でもセクハラというものは存在する。ぜひ気をつけてほしいものである。
「どう? 戻った?」
乳から手を離し、女性の前で手をぱたぱた振る紅虎。それで女性はようやく正気に戻るが、「紅虎様の指紋ってどんなのかしら!?」と、必死に手のひらを凝視しているので視線が非常に危ない。
それから女性は一呼吸して、改めて状況を把握した。
その中での最優先事項はこれである。
「は、はい…はい! あの、さ、サイ…、サインください!」
「サインかー。よく言われるけど、私のサインなんて価値あるのかね?」
「あ、あります! とってもあります! 紙、色紙…ない!? じゃあ、こ、ここに! これで、これにお願いします!!!」
まだ若干パニックが収まっていない女性は、何を思ったのか自身のブラジャーを取り出し、近くにあったサインペンと一緒に差し出してきた。色紙が見当たらなかったための緊急措置だと思われるが、一連の行動を見る限り、この女性も少々頭がぶっ飛んでいるようだ。
そして、それに普通にサインを書く紅虎も、相も変わらず飛ばしているといえる。
ちなみに紅虎のサインは、紅という漢字に花丸をつけたものである。たまにそこに目とヒゲをつけて、さらに虎の感じを出すこともする。
それはレアサインということでオークションでかなりの値がつくらしいが、基本的に持ち主は売らないので、死後の遺産処分としてたまに出るくらいである。それがまた値を釣り上げる要因にもなっているようだが。
サインをもらった女性は感激で目を潤ませ、大事なものを隠すように再びブラジャーをつけている。当人は喜びで周囲が見えていないようだが、その光景を外から見ている者たちは、どういうリアクションを取ればいいのかわからず固まっている。
それからすべての視線が紅虎に集まったのを確認して、切り出す。
「はい、注目! これから順番に回るから、各自動かないように! いい、動いちゃダメだよ」
紅虎が一回手をパンと叩くと、弾けたようにその場にいた誰もが直立不動の姿勢を取る。ラナーとの一件は多くの者たちが見ていたので、それに逆らってはいけないと本能が叫んだ結果だろう。
ここはあまり広いスペースではないうえ、現在はあまり自国のスペースより出ないように勧告が出ているので、この八十メートル四方のスペースにいる者たちで全員だと思われる。
その数は、およそ五十人前後。正直あまり多いとは言えない数だ。連盟会議に出席している国家の中でも、下から数えたほうがよい人数である。
エイロウ魔法王国。
東大陸にある小国で、シェイク・エターナル側についている勢力である。規模はとても小さく、国土も狭いうえに特産品もない完全なる小国である。しかし、彼らにはそれを補って余りある専売特許がある。
【魔法】、である。
魔法とは、一般的な術と同じもので呼び方が異なるだけのものだ。術と呼ぼうが魔法と呼ぼうが内実は変わらない。ただ、魔法とあえて言う場合は、魔なる者が使う術、つまりは魔王城の支配者が使うような特殊魔術を指す場合が多い。
そして、この国も普通の術とは違うという意味で、意識して魔法という言葉を使っている。
それは国名にもなっている英蠟王が作った国だからである。
魔法王とも呼ばれ、世界最高の術者と呼ばれた英蠟王は、その力を後世に遺すために国を立ち上げた。そこは魔法の研究だけに特化した国であり、術者を目指す者たちの聖地の一つとされる場所である。
特産品はないが、市場は魔法学院の学徒で溢れるために、世界的にも珍しい多種多様なアイテムや素材が立ち並び、それを目当てに経済も活性化している。術の研究の特殊性のため、世界的な経済異変にさえ動じないだけの活力が残っている数少ない国だ。
ここにいる人間も、数こそ少ないが魔法を修めた者たちである。国際連盟に出席する以上、国威を示す必要があるので、集まった人材は優秀な者ばかり。事務員の女性一人にしても高位神官並みの実力はそなえているだろう。
そんな国のスペースに紅虎がやってきたのだ。それ自体がなかなかレアな光景である。彼女自身はアイテムに頼らない限り、瞳術以外の術式が使えないので、あまり術や魔法というものに関心がないからだ。
だが、それは知識がないという意味ではない。長く生きているせいか、あるいは戦いにおいて必要なためか、ある程度の術の知識は持ち合わせているようだ。
紅虎がざっと室内を見回しても、周囲に置かれたマジックアイテムは相当な貴重品ばかりだと推測できる。さすがに紅虎がまとっているような装備類は見当たらないが、使い方次第でそれに匹敵するものもいくつかありそうである。
特殊な効果を持つアイテムは、見た目も特殊な場合も多い。天井から吊るされた輪のついたロープや、ドクロのような形の水晶玉など、非常に怪しいものも陳列されている。ちなみにここでは交渉次第で購入も可能なので、半分は見本市を意識して陳列されているようだ。
ただし、求めているのはアイテムではない。その証拠に、紅虎は歩きながら一人ひとりを観察していく。
「ふむふむ、悪くない…けど、力不足かな」
「あんたは…う~ん、ちょっとなぁ…」
「あー、偏ってるなぁ」
等々、独り言を呟きながら【鑑定】を続ける。
その能力鑑定はとても素早く、自分の目的に合わない能力の人間は見回して終わり、といった具合でサクサク進んでいく。いきなり紅虎に力不足と言われてがっくりと落ち込む者も多いが、直系から見れば多くのものは力不足になるのは当然のことのようにさえ思える。
それに紅虎というレアかつ女性として魅力的な存在が眼前にまで迫るというのは、特に男性陣にとってはご褒美のようなものだ。実力不足を指摘されても紅虎の魅力のほうに気が向いてしまうので、すぐに気を取り直す。女性もまた彼女に釘付けなので、場に暗い雰囲気はなかった。
何のために彼女がここにいるのかは誰にもわからない。それでも迂闊に文句を言ってラナーの二の舞になってはたまらないと、誰もが静かに事の成り行きを見守っていた。
そして、餌を探してうろつく虎のごとく物色を続けていた紅虎が、ふと止まる。それは入り口から一番奥。周りより少しばかり高級そうな椅子に座っていた少年に目が留まる。
しばらく紅虎は少年を見つめていたが、突如口元が釣り上がった表情(たぶん微笑)を浮かべ、少年の肩をぽんっと叩く。いきなり肩を叩かれた少年は身体をびくっと震わせた。
餌を見つけたのだ。
周囲の人間はそう思ったに違いない。実際に紅虎の目は、美味しそうな餌を見つけたかのように妖しい赤い光を宿していた。これは確実に狩る者の目である。
「え? え?」
少年は何が起こったのかわからず、周囲を見回す。
しかし、その場に疑問に答えてくれる人間などいないし、いたとしても関わらないように身を潜ませるに違いない。それが直系と関わる際の決まり事なのである。
これがもしただの少年ならば「また紅虎の少年趣味が出たか」といった具合で終わるのだが、周囲が立っているのに少年だけが座っているという状況から、彼が普通の身分の者でないことは一目瞭然だ。
そして、少年の斜め後ろに立っていた、大きくカールした白髪の初老の男性が一度深呼吸して気持ちを整えたあと、恐る恐る紅虎に話しかける。
「紅虎様、さすがにそれはご勘弁願えないでしょうか…」
「うんうん、いいね。なかなかいいね」
「え? え? あの…、え?」
もう紅虎の視界には少年しか映っていないようで、初老の男性の言葉は右から左にあっさりと抜けているようだ。
一度ロックオンした獲物は絶対に逃さない。それもまた紅虎が怖れられる理由でもある。というより、最初から他人の言葉など聞いてはいないのである。
「申し訳ありません。この老体では力及ばず…」
「え? な、なぜ謝る? え? え? 何が…え? 助けて…え?」
初老の男性に謝られ、少年はさらに困惑する。
助けてくれるのではなかったのか? そんな若干の抗議の色も含まれていたようだが、初老の男性はすでに諦めているようだった。それから紅虎に向かって一礼をして下がる。同時に周囲の者たちもいっせいに場から離れていく。
「おい、待て…! なぜ離れる! お、おい! 見捨てるな!」
「じゃあ、行こうか」
紅虎は少年の脇に手をかけ、軽々と持ち上げる。それから隣にあった帽子を被せ、置いてあった杖も持たせる。そして腕を引っ張って入り口に向かっていった。その間、誰も止める者はいない。
「売ったのか!? お前たち、私を売ったのか!?」
そんな少年の困惑した罵声が聴こえるが、誰もが聴こえないふりをしている。こうなってはもう彼を生贄に出すしかないのだ。これ以上揉めたところで災厄しか訪れないことを知っているからだ。
それはまさにドナドナ。
売られていく子牛を見送る者たちの視線であった。
ただ一人、ブラジャーにサインをしてもらった女性だけが、ぼそっと呟く。
「ああ、羨ましい。【陛下】の代わりに私が行きたいくらいだわ」
しかし、その言葉も風に流され儚く消えていく。
今回生贄に選ばれた者は、エイロウ魔法王国、国王バラ・エイゾウム、十五歳。
さらば陛下。
できれば無事に戻ってきてほしいが、これも運命である。
連盟会議場では、幾人もの人間が慌しく準備をしている。これから戦いになるのか、それとも脱出することになるのか、どちらにしても自国の元首および高官たちは守らねばならない。そのために護衛の人間は神経を尖らせていた。
国際連盟の勢力は、常任理事国の数と同じく五つある。中小国家は、それぞれの利益に応じて各常任理事国の側につき、極力一つの勢力として固まっているからだ。
これは政策決定の大半を常任理事国に任せる代わりに、その責任が軽くなるという意味合いもある。もとより中小国家は自国だけで精一杯なので、世界全体の問題にまで関与するだけの余裕はない。そのため常任理事国を盾にしているわけだ。政策において利益が出るならばおこぼれをもらい、失敗したならば常任理事国に尻拭いを任せればいい。
また、国際連盟自体がさほど強制力を持たない組織であることも大きい。結局のところ大国の意向が重要視されるので、そこにわざわざ関わろうとする国は少ない。それよりはこれを機に味方であると示し、見返りを求めたほうが利口であろう。
言ってしまえば、各五大国に味方する者たちは【取り巻き】たちというわけである。ただし、その勢力間の国家同士がすべて友好的とは限らない。
大国に隣接しているがゆえに組しているだけである場合、複数の近隣諸国が大国側についていたとしても、下についた国家同士はたいてい領土や資源上の問題を抱えているものである。
大国の庇護下、影響下にあるときは表面化しなくても、いざ会議が終わり自国に戻れば隠れていた問題は噴出する。こうした勢力は属国というわけではないので、大国側が仲裁するということも少ない。大国の同盟国同士はけっして味方ではない、ということである。
会議が穏便に終われば問題なかったが、いざ騒動が起こるとこうした問題が影響を及ぼす。脱出するにしても、どこの国が優先的に逃げるのか、という問題も生まれる。戦うにしても、誰が犠牲になるのか、という問題になる。
それにテロリストの正体もわかっていない。もしかすれば、この会議場にも彼らの仲間がいる可能性もある。どこの国が味方で、誰が裏切り者かわからない。こうした状態が緊迫感を生み出しているといえた。
各国のスペースは、会議場とつながる楕円上の巨大ホールに各々巣穴のように入り口が存在する。スペースには裏口等はないため、出入りにはホールを必ず使用しなければならないのは安全上の問題があるものの、各国の人々がそこで触れ合うことで共通意識を芽生えさせることが目的である。
ただし、現在の状況からホールの中は非常にギスギスした雰囲気が漂っている。用もなく出歩く者はおらず、警護の者たちだけが入り口に立つか、出かける際も必ず身内で固まり、他国の人間との会話も控えている様子が目立つ。
唯一大国のスペース前だけは余裕に満ちたように――それが建前やアピールであっても――悠然と構える騎士が立っている。まあ、グレート・ガーデンの入り口に限っては、なぜかダンサーが立っているという異様な状況ではあるが。
しかし、そんな中にあってただ一人、まったく緊張感を抱かずに動いている者がいる。
チェリーピンクの髪の毛をポニーテールにまとめた女性。その髪の毛よりも真っ赤な瞳には生命の輝きを宿し、きつくも柔らかくもない目尻は気持ちのよい活発さを感じさせ、常に微笑んだ形の唇は、化粧もしていないのにどこか艶やかである。
足取りは、羽でも生えているかのように軽やか。まるでスキップしているかのように弾んでいる。そのたびにポニーテールが揺れ、周囲の者たちの視線を釘付けにする。
いや、彼らが釘付けになるのは髪の毛ではない。そのすべて。彼女から溢れる明るい雰囲気、強者だけが持つ独特の余裕と自信、すべてを包むような母性を無意識に感じるからだろう。彼女からは一切のマイナスのものを感じないのだ。真っ暗な場所に光を帯びた美しい蝶が舞い進むように、すべての人間の視線が必然的に集まっていく。
そんな自称二十七歳の女性、紅虎はいつの間にか着替えたのか、全身を白い装備に包んでいた。それは騎士然というより冒険者のような格好である。
白い革鎧は普通の鎧に比べて脆そうに見えるが、防御能力の高い希少魔獣である白炉兎の毛が練りこまれており、あらゆる攻撃に対して属性耐性を持つ逸品である【宝白炉の革鎧】。
白地に赤いラインが入ったスカートは、こちらも希少魔獣の絃竜種の血液が常時流れて循環しており、自己修復能力と中位防御障壁を発生させる能力がある【張り巡らす堰絃布】。
白いブーツは、ジャンプ力を向上させる飛翔系の靴で、脚力向上、浮遊能力を付与するジュエルが植え込まれている【夢白のブーツ】。軽く羽織った襟がモコモコの白いコート、【伝説モッコモコート】にも、物理攻撃無効化、精神攻撃無効化の術式が施されている。
そして腰にはいつも通りの木刀。その反対側の腰には目を見張るほど美しい鞘をした一本の刀、紅虎が持つ唯一の真剣、【二天真王】を差していた。
これらの装備は超がつくほどの一級品であり、この四つだけで一つの領土が軽く買えてしまうほどの希少品である。刀は言わずもがな、とても値段がつけられるようなものではない。これと比べればホウサンオーのマゴノテも紅虎丸のために捧げられた十本の刀、名刀十虎も霞んでしまうだろう。
それ以上に、紅虎がこうして完全武装するなど、まず滅多にお目にかかれない光景である。
それを知らない人間からすれば、直系である紅虎も武装するのだと親近感を抱き、その装備の見事さに嘆息するかもしれないが、見るものが見れば、これが異常事態であることを悟るだろう。実際、それを悟った各国スペース前にいる護衛の人間からは血の気が引いていた。
直系が武装をする事態とは、いったいどのような災厄なのだろうか、と。
そして今、テロが起こっている最中である。それに関連したことであるのは間違いない。そうした憶測も広がって、紅虎の雰囲気に魅了されつつ、これから何が起こるのかと戦々恐々した気配に満ちていた。むしろ紅虎が来る前よりも悪化している。
そんな紅虎は周りの様子などお構いなしに、一つのスペースに堂々と入っていく。珍しく入り口には護衛の人間はいないので、誰にも制止されることはなかった。
「こんちゃーっす。あのさ、ちょっといい?」
首だけひょこっと入れて周囲を見回すと、一人の女性が荷物の整理を行っていた。何やらいろいろなアイテムを整理しているようで忙しく、軽く首だけ曲げてこちらを見るが、実際の視線はまだ荷物に向いている。
「勝手に入っちゃうよー」
「あっと、待ってくださーい。今解除しますから! 勝手に入ると危な…」
その言葉に女性が慌てて振り返ろうとするが―――
バキンッ!
紅虎が無人の入り口を通り過ぎた瞬間、コートとスカートが一瞬光り輝くと同時に何かが割れる音がした。
「えええええ―――!?」
荷物の整理をしていた女性、おそらく事務員であろう女性は紅虎を見て硬直する。しばらく紅虎が前にいても硬直したままである。
「おーい、どうしたの?」
「いや、その……張り紙、見まし…た?」
「張り紙? 何それ?」
実はスペースの入り口には国家名が書かれたプレートが貼られている。通常はそれだけなのだが、ここにはそれ以外にも張り紙があった。
注意:現在、魔法障壁を展開中。
危険ですので、御用の方はまずお声がけください。
と。
この張り紙は赤字で相当目立つところに貼ってあったはずである。が、紅虎がそんなものを読むわけもない。完全に無視して入った結果がこれである。結界が発動した瞬間、紅虎の装備がカウンターアタックを仕掛け、これを撃破したのである。
この障壁は普通の防御障壁ではなく、反撃タイプの術式が加えられていた。間違えて入ってしまう人のために足止め拘束する程度の軽いものだが、普通の人間ならば抵抗することはできない強力なものである。
当然、防衛用に作られているので、一流の武人であっても数秒の足止めが可能なほど高位の術である。殺傷力を皆無にしたぶんだけ、それだけの効果を得られるというわけだ。
が、力と力がぶつかった場合、弱いほうが砕けるのは道理である。紅虎の装備のほうが遥かに優秀だっただけにすぎない。
それを悟って事務員の女性は呆然としていたが、ようやくにして目の前の人物が誰かに思い至り、目を大きく見開く。
「―――って、は……え? え!? べ、紅虎…さま!?」
最初のあまりに軽い挨拶に、自分の国と近しい相手が来たのだろうと勘違いしたため、勝手に思い込んだ情報と視覚の情報を上手く脳で処理できていないようであった。
最初は結界が破壊されたことによるショック。次はそれが紅虎であるというショックである。しばし紅虎の前で再度フリーズ。
「いやいや、固まってないでさ。ほれほれ、動いた、動いた」
「あひゃ―――!!」
紅虎が、むんずと女性の胸を掴む。軽く触るというレベルではない。思いきり鷲掴みである。
「おっ、意外と着やせするんだね」などと言いながら、息を吐く如く自然にセクハラをする。ちなみにDカップとのこと。まったく無意味な情報である。これも関係ないが、同性間でもセクハラというものは存在する。ぜひ気をつけてほしいものである。
「どう? 戻った?」
乳から手を離し、女性の前で手をぱたぱた振る紅虎。それで女性はようやく正気に戻るが、「紅虎様の指紋ってどんなのかしら!?」と、必死に手のひらを凝視しているので視線が非常に危ない。
それから女性は一呼吸して、改めて状況を把握した。
その中での最優先事項はこれである。
「は、はい…はい! あの、さ、サイ…、サインください!」
「サインかー。よく言われるけど、私のサインなんて価値あるのかね?」
「あ、あります! とってもあります! 紙、色紙…ない!? じゃあ、こ、ここに! これで、これにお願いします!!!」
まだ若干パニックが収まっていない女性は、何を思ったのか自身のブラジャーを取り出し、近くにあったサインペンと一緒に差し出してきた。色紙が見当たらなかったための緊急措置だと思われるが、一連の行動を見る限り、この女性も少々頭がぶっ飛んでいるようだ。
そして、それに普通にサインを書く紅虎も、相も変わらず飛ばしているといえる。
ちなみに紅虎のサインは、紅という漢字に花丸をつけたものである。たまにそこに目とヒゲをつけて、さらに虎の感じを出すこともする。
それはレアサインということでオークションでかなりの値がつくらしいが、基本的に持ち主は売らないので、死後の遺産処分としてたまに出るくらいである。それがまた値を釣り上げる要因にもなっているようだが。
サインをもらった女性は感激で目を潤ませ、大事なものを隠すように再びブラジャーをつけている。当人は喜びで周囲が見えていないようだが、その光景を外から見ている者たちは、どういうリアクションを取ればいいのかわからず固まっている。
それからすべての視線が紅虎に集まったのを確認して、切り出す。
「はい、注目! これから順番に回るから、各自動かないように! いい、動いちゃダメだよ」
紅虎が一回手をパンと叩くと、弾けたようにその場にいた誰もが直立不動の姿勢を取る。ラナーとの一件は多くの者たちが見ていたので、それに逆らってはいけないと本能が叫んだ結果だろう。
ここはあまり広いスペースではないうえ、現在はあまり自国のスペースより出ないように勧告が出ているので、この八十メートル四方のスペースにいる者たちで全員だと思われる。
その数は、およそ五十人前後。正直あまり多いとは言えない数だ。連盟会議に出席している国家の中でも、下から数えたほうがよい人数である。
エイロウ魔法王国。
東大陸にある小国で、シェイク・エターナル側についている勢力である。規模はとても小さく、国土も狭いうえに特産品もない完全なる小国である。しかし、彼らにはそれを補って余りある専売特許がある。
【魔法】、である。
魔法とは、一般的な術と同じもので呼び方が異なるだけのものだ。術と呼ぼうが魔法と呼ぼうが内実は変わらない。ただ、魔法とあえて言う場合は、魔なる者が使う術、つまりは魔王城の支配者が使うような特殊魔術を指す場合が多い。
そして、この国も普通の術とは違うという意味で、意識して魔法という言葉を使っている。
それは国名にもなっている英蠟王が作った国だからである。
魔法王とも呼ばれ、世界最高の術者と呼ばれた英蠟王は、その力を後世に遺すために国を立ち上げた。そこは魔法の研究だけに特化した国であり、術者を目指す者たちの聖地の一つとされる場所である。
特産品はないが、市場は魔法学院の学徒で溢れるために、世界的にも珍しい多種多様なアイテムや素材が立ち並び、それを目当てに経済も活性化している。術の研究の特殊性のため、世界的な経済異変にさえ動じないだけの活力が残っている数少ない国だ。
ここにいる人間も、数こそ少ないが魔法を修めた者たちである。国際連盟に出席する以上、国威を示す必要があるので、集まった人材は優秀な者ばかり。事務員の女性一人にしても高位神官並みの実力はそなえているだろう。
そんな国のスペースに紅虎がやってきたのだ。それ自体がなかなかレアな光景である。彼女自身はアイテムに頼らない限り、瞳術以外の術式が使えないので、あまり術や魔法というものに関心がないからだ。
だが、それは知識がないという意味ではない。長く生きているせいか、あるいは戦いにおいて必要なためか、ある程度の術の知識は持ち合わせているようだ。
紅虎がざっと室内を見回しても、周囲に置かれたマジックアイテムは相当な貴重品ばかりだと推測できる。さすがに紅虎がまとっているような装備類は見当たらないが、使い方次第でそれに匹敵するものもいくつかありそうである。
特殊な効果を持つアイテムは、見た目も特殊な場合も多い。天井から吊るされた輪のついたロープや、ドクロのような形の水晶玉など、非常に怪しいものも陳列されている。ちなみにここでは交渉次第で購入も可能なので、半分は見本市を意識して陳列されているようだ。
ただし、求めているのはアイテムではない。その証拠に、紅虎は歩きながら一人ひとりを観察していく。
「ふむふむ、悪くない…けど、力不足かな」
「あんたは…う~ん、ちょっとなぁ…」
「あー、偏ってるなぁ」
等々、独り言を呟きながら【鑑定】を続ける。
その能力鑑定はとても素早く、自分の目的に合わない能力の人間は見回して終わり、といった具合でサクサク進んでいく。いきなり紅虎に力不足と言われてがっくりと落ち込む者も多いが、直系から見れば多くのものは力不足になるのは当然のことのようにさえ思える。
それに紅虎というレアかつ女性として魅力的な存在が眼前にまで迫るというのは、特に男性陣にとってはご褒美のようなものだ。実力不足を指摘されても紅虎の魅力のほうに気が向いてしまうので、すぐに気を取り直す。女性もまた彼女に釘付けなので、場に暗い雰囲気はなかった。
何のために彼女がここにいるのかは誰にもわからない。それでも迂闊に文句を言ってラナーの二の舞になってはたまらないと、誰もが静かに事の成り行きを見守っていた。
そして、餌を探してうろつく虎のごとく物色を続けていた紅虎が、ふと止まる。それは入り口から一番奥。周りより少しばかり高級そうな椅子に座っていた少年に目が留まる。
しばらく紅虎は少年を見つめていたが、突如口元が釣り上がった表情(たぶん微笑)を浮かべ、少年の肩をぽんっと叩く。いきなり肩を叩かれた少年は身体をびくっと震わせた。
餌を見つけたのだ。
周囲の人間はそう思ったに違いない。実際に紅虎の目は、美味しそうな餌を見つけたかのように妖しい赤い光を宿していた。これは確実に狩る者の目である。
「え? え?」
少年は何が起こったのかわからず、周囲を見回す。
しかし、その場に疑問に答えてくれる人間などいないし、いたとしても関わらないように身を潜ませるに違いない。それが直系と関わる際の決まり事なのである。
これがもしただの少年ならば「また紅虎の少年趣味が出たか」といった具合で終わるのだが、周囲が立っているのに少年だけが座っているという状況から、彼が普通の身分の者でないことは一目瞭然だ。
そして、少年の斜め後ろに立っていた、大きくカールした白髪の初老の男性が一度深呼吸して気持ちを整えたあと、恐る恐る紅虎に話しかける。
「紅虎様、さすがにそれはご勘弁願えないでしょうか…」
「うんうん、いいね。なかなかいいね」
「え? え? あの…、え?」
もう紅虎の視界には少年しか映っていないようで、初老の男性の言葉は右から左にあっさりと抜けているようだ。
一度ロックオンした獲物は絶対に逃さない。それもまた紅虎が怖れられる理由でもある。というより、最初から他人の言葉など聞いてはいないのである。
「申し訳ありません。この老体では力及ばず…」
「え? な、なぜ謝る? え? え? 何が…え? 助けて…え?」
初老の男性に謝られ、少年はさらに困惑する。
助けてくれるのではなかったのか? そんな若干の抗議の色も含まれていたようだが、初老の男性はすでに諦めているようだった。それから紅虎に向かって一礼をして下がる。同時に周囲の者たちもいっせいに場から離れていく。
「おい、待て…! なぜ離れる! お、おい! 見捨てるな!」
「じゃあ、行こうか」
紅虎は少年の脇に手をかけ、軽々と持ち上げる。それから隣にあった帽子を被せ、置いてあった杖も持たせる。そして腕を引っ張って入り口に向かっていった。その間、誰も止める者はいない。
「売ったのか!? お前たち、私を売ったのか!?」
そんな少年の困惑した罵声が聴こえるが、誰もが聴こえないふりをしている。こうなってはもう彼を生贄に出すしかないのだ。これ以上揉めたところで災厄しか訪れないことを知っているからだ。
それはまさにドナドナ。
売られていく子牛を見送る者たちの視線であった。
ただ一人、ブラジャーにサインをしてもらった女性だけが、ぼそっと呟く。
「ああ、羨ましい。【陛下】の代わりに私が行きたいくらいだわ」
しかし、その言葉も風に流され儚く消えていく。
今回生贄に選ばれた者は、エイロウ魔法王国、国王バラ・エイゾウム、十五歳。
さらば陛下。
できれば無事に戻ってきてほしいが、これも運命である。
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