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零章 第三部『富の塔、奪還作戦』

五十九話 「RD事変 其の五十八 『シェイクの事情』」

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「ジャラガンのやつ、久々の獲物に熱くなっておるの」

 その光景を映像で見ていたのはシャーロン・V・V。彼女はシェイクのスペースで優雅に蜂蜜レモンティーを飲んでいた。あちらでは激闘を繰り広げているのに、ここはとても平和な状況である。

 シャーロン曰く「わしでは勝てぬ」相手に対し、ジャラガンは奮闘している。シャーロンの言葉は嘘ではない。彼女が戦ってもガガーランドには絶対勝てないだろう。

 ただし、それは【相性が悪い】からでもある。

 暗殺者のシャーロンの攻撃力では、おそらく重闘気は破れない。強力な攻撃を続ければ破れはするだろうが効率的ではない。消耗戦になれば戦気量が圧倒的に多いガガーランドが勝つだろう。そういう意味である。

 ホウサンオーにしても相手は非常に慎重で、何より命中率が相当高い。忍者タイプのカゲユキが何もできずに倒されたのだ。シャーロンの実力がいかにカゲユキより遥かに上であっても、一撃で倒せなければ結局は同じ末路となるに違いない。

 そんな相手と真っ向から戦えるとすれば、同じように頑強な者たちである。ラナーのシルバー・ザ・ホワイトナイトならばナイト・オブ・ザ・バーンの攻撃にも耐えられるだろうし、ジャラガンとグレイズガーオならば多少の被弾は致命傷にはならない。

 だからこそシャーロンにできることは観戦することくらいなのである。

(あやつもまだまだ若いの。血気盛んなことよ)

 武人として全力で戦える喜びは理解できる。ジャラガンほどの武人ともなれば、グレイズガーオを持ち出すような戦いはほとんどない。立場上、ルシアの天威を守るためと言っているが、内心では強い相手と戦えることを喜んでいたはずだ。

 ちなみにジャラガンはシャーロンよりも【年下】である。言ってしまえばシャーロンの実年齢は、ヨシュアの祖父であるジーガン・ローゲンハイムよりもちょっとだけ年上だ。見た目が子供なので勘違いする者も多いが、シャーロンからすればジャラガンは武人としての後輩の部類に入る。

 こうした老化の遅さは武人の血の影響もあるが、覚醒した能力系統によって差異がある。肉体が老化しないからといって力が強いというわけでもない。

 ただ、戦気が生体磁気を使う以上、力を使いすぎると老化が速まるのも事実であった。補充以上に消耗が激しいと、それだけエネルギーを違う場所から取らねばならないからだ。

 ジャラガンも武人としての血は相当濃いが、それ以上に修行で力を使っているので老化は人並みである。一方、シャーロンは無駄な戦いは好まない。修練はするが、彼のように過酷すぎるものはやらないため、いまだに力は維持されているのである。

(目的の違い。武を求める者と、統治に関わる者の違いじゃな)

 シャーロンは、その違いをそう評する。

 ジャラガンにとっては、武人としての能力を高めることがすべてである。覇王ゼブラエスもこれに近い存在だといえる。彼らの目的は、人間の可能性を極限まで体現すること。人がどこまで到達できるかを問う、終わりのない自己との闘いである。

 だが、シャーロンはあくまで国政に関わる存在である。力はあくまで道具。手段にすぎないと考えている。より良い社会を形成するための手段の一つ。できれば武は使わないほうがいいという考え。この違いが二人を決定的に分けていた。

あねさん、配備が整いました」

 シェイク・エターナルの特殊部隊、ジュベーヌ・エターナル〈緋色の空の永遠〉の副長ザッカルト・C・メイブッシュが姐さんこと、隊長のシャーロン・V・Vに報告に来る。

「うむ、ご苦労」

 シャーロンは、ザッカルトの迅速な行動に満足しながら飲みかけの蜂蜜レモンティーを置き、手渡された配置図を確認する。それに一通り目を通したあと、シャーロンはザッカルトに視線で映像を見るように促す。

「おぬしも見物したらどうじゃ。若い連中には勉強になろう」
「あれを、ですか? そりゃ勉強になりますが、規格が違いすぎませんかね?」

 そのシャーロンの言葉にザッカルトは諦めの表情を浮かべ、肩を竦める。

 ザッカルトからすれば、あの二人の戦いは【怪獣戦争】である。レベルも規格も違いすぎて勉強以前の問題である。存在そのものが違うと言いたい。

 おそらくどれだけ修練しても、あれに追いつくことはできないだろう。追いつけるにしても、今持っているすべてを捨てねばならないはずだ。少なくともザッカルトにとっては、それだけの価値があるようには思えない。

「たしかにあそこまでの力は不要かもしれんのぉ。使い道がない」
「です、ね。それに、さぞかし気苦労も増えることでしょう。自分はこれ以上は御免です」

 仮に単独で国家と戦いたい、と思うのならば、あれくらいの力は必要だろう。が、シャーロンもザッカルトも一介の騎士でしかない。むしろ単独で戦うこと自体を避けねばならない立場だ。

 そうした場合、あそこまで強くなってしまうと逆に苦労する。名声目当ての決闘も増えるだろうし、国家からは危険視されてしまうだろう。ルシアだからこそ受け入れられるのであって、他では持て余すに違いない。ゼブラエスが身を隠すのも、そうした理由があるからだろうと思われた。

 ちなみに数年前のゼッカーは自己の能力(ジュエル能力)をフル活用し、自力でゼブラエスを見つけた。その褒美として一騎討ちを許されたのだが、結果はボコボコであった。あの悪魔にして「初めて死を覚悟した」と言わしめる強さであったという。

 悪魔が動いただけでこの騒ぎである。もしゼブラエスが動けば間違いなく世界は揺れる。なるほどたしかに力があることは幸せではないかもしれない。少なくとも人としての幸せは望めないのだから。

「して、案配は?」
「一応順調ですね。三番隊までは総出ですが」

 会議場の防衛を担当することとなったシェイク軍の戦力は、ベガーナン直属の特殊部隊ジュベーヌ・エターナルが主力となる。

 ジュベーヌ・エターナルの隊は全部で六つ、各隊三十人ずつの編成となっており、そこにシャーロンとザッカルトを加えた計百八十二名から成り立っている。

 シェイク最強部隊にしては数は少ないように見えるが、それだけ厳選した人材を集めているともいえる。結成当初は十数名の部隊であったことを考えれば、これでもかなり大所帯になったほうである。

 今回配置についている一番隊は、主に対人戦闘を担当する暗殺部隊。二番隊は抗争を担当する鎮圧部隊。三番隊は紛争を担当する強襲制圧部隊。どれもジュベーヌ・エターナルの主力部隊である。

 第四から第六は諜報、補助、衛生を担当とする部隊であるので、彼らはサポートメンバーとして動いている。

「艦隊のほうからは重装甲部隊を回してもらっています」

 ルシアと同じく、シェイクも公海上に艦隊を配備している。今回派遣されたのはシェイク・エターナル統合軍の一つ、東大陸中央エリアを担当する第四統合軍フォース・ザークより、第三師団二番艦隊デトラス・ザーク【海門の鎖】である。

 シェイクの統合軍は七つあり、各統合軍が世界中でさまざまな活動を行っている。それ以外にも自国防衛を担当する軍、特殊技術軍、傭兵統合軍などがあり、合計すれば十の軍を持つ。

 第四統合軍フォース・ザークは東大陸中央部を担当とする軍隊で、南シェイクを含む広大な東中央エリアで活動を行っている。この東中央エリアにはガネリア新生帝国も含まれており、仮に有事の際は彼らが問題解決手段を講じることになるだろう。

 第四統合軍、第三師団は主に海路防衛、あるいは攻略の任に就く海上艦隊である。今回派遣されたのは、その第三師団の二番艦隊であるデトラス・ザーク。【海門の鎖】という通り名を持つ彼らは、海上防衛任務に長けた部隊である。

 デトラス・ザークからは重装甲兵三百人が増援として送られることになった。この数もそう多くはないが、それも仕方ない。彼らにはもっと大きな仕事がある。有事の際には【とある行動】を取るように指示されているのだ。

「シャトルの準備は?」
「一隻はすでに準備完了しています」

 シャーロンが配置図を見ながら尋ねると、ザッカルトはさらに小声で答える。

 シャトルとは脱出用シャトルのこと。万一、この会議で不測の事態が起こった際、シェイクの要人を脱出させるための【潜水艇】である。

 ジュベーヌ・エターナルがまず第一に考えねばならないことは、大統領であるベガーナンを含む国家要人の保護である。シェイクは戦争をしに来たわけではない。あくまで会議に参加しに来たのであり、必要以上の戦力を持ち合わせているわけでもない。

 その証拠がデトラス・ザークという艦隊。彼らは海上防衛任務に長けているのであって、けっして攻略戦に特化しているのではない。彼らの役目は非戦闘員の迅速な保護と輸送である。今回の装備も脱出と防衛のみに焦点が当てられているものばかりである。

 ただし、あくまで緊急用なので潜水艇は十分な数が用意されているわけではない。この会場にいるシェイク側のスタッフは、事務員まで含めれば千人に及び、さらに雇い人を含めれば倍にもなる。

 それに対して現在準備できているのは小型のものが一隻。となれば当然、それに乗るのはベガーナンたち高官ということになる。それ以外は順次用意されるシャトルか、迎えにやってくる救助艦を待たねばならないだろう。

 最悪の場合、それ以外の者は犠牲にしなくてはならない。

(あやつは嫌がるじゃろうがな)

 シャーロンは、背後のスペースでシェイク高官たちと今後について相談しているベガーナンをちらりと見る。

 このような状況だというのにベガーナンに焦った様子はない。それどころか周囲の高官たちが落ち着けるように(つまらない)ジョークを飛ばしていたりもする。結局、つまらないジョークなので笑えず、何ともいえない表情をする羽目になってはいるが、スタッフの緊張は解けているようである。

(変わらんな…この男は)

 ベガーナンが落ち着いているのは、シャーロンに全幅の信頼を寄せていることもあるのだが、そもそも彼は自分の命に対しての執着があまりない。

 人間として当然あるべきの自己保存の本能が、常人より希薄なのである。彼は周囲をよく見ている。周囲の人間をまとめる力がある。その代償が【自身への無関心】である。

 そんな男が危機に晒された場合、どうなるか。
 おそらく彼ならば、自分がシャトルに乗るのは最後だと言い張るに違いないのだ。

 ベガーナンは世間一般の評価では、どちらかというとカーシェルのように上手く場を制御するタイプの政治家だとされている。彼の問題解決能力や、ガネリアに同盟を持ちかけるようなしたたかな態度が、合理的で現実主義だと思わせるのだろう。

 がしかし、ベガーナンという男の本質は【理想家】である。

 長年付き合っているシャーロンはそのことをよく知っていた。彼はいつでも自分の理想を追っている。すべてはその理想を達成させるための手段でしかないのだ。

 ただし、その理想の中に自分のことが入っていない。良く言えば自己犠牲。悪く言えば無責任である。ベガーナンを守るうえでシャーロンが一番手を焼いたのがこの点。それは結成当初から今に至るまで変わらない難問なのである。

(今にして思えば、あやつのおかげでわしも磨かれたのかもしれんな)

 シャーロンとて最初から強い武人ではなかった。才覚はあったのだろうが、どこにでもいるような少し腕の立つ暗殺者。そんな程度の力量であった。

 それが危機感のない男と出会い、常に神経を尖らせる生活になり、たびたび訪れる窮地に必死に対応しているうちに技術が磨かれていったのだろう。

 ただでさえ数が少ない結成当時は、シャーロン独りで何とかしなければならない場面も多かった。半死半生など日常茶飯事。幾度となく死にそうになったこともある。傷がない日など数えるくらいしか思い出せない。

 だが、その死線がシャーロンを一流に磨いていった。死線が武人を育てるとは、まさにこのことである。死に物狂いの訓練は大事だろうが、一回の実戦による死線は、千の鍛錬を超える経験値をもたらす。シャーロンは実戦でひたすら鍛えた叩き上げなのである。

 そして、それはベガーナンも同じだろう。彼も命をかけて理想を追い、自らの意思と人心掌握術を学んでいったのだ。彼もまた一緒に死線を潜り抜けた仲間である。

 危険のわりに実りが少ない、嫌ならやめろ、などとお互いに罵り合ったこともある。一緒に泥水をすすったし、逆に甘い蜜を吸ったこともある。それもすべて懐かしい記憶だ。

 しかし、今の彼は大統領である。

 もはや一介の啓蒙活動家でもなければ単なる政治家でもない。国家をまとめる最高責任者なのだ。その責任を果たさねばならない。シャーロンは、もしものときは強引にでも連れていくつもりでいた。これからのシェイクにとって、ベガーナンは絶対に必要な人物なのである。

(できれば使わずに済めばよいが…。それにこの状況ではパニックも心配じゃな)

 会議場の中の空気はあまり良くない。良いわけがない。アピュラトリスがテロリストに占拠された段階で最悪なのに加えて、拮抗した交戦状態にあるという【珍事】。本来ならばすでに敵を制圧していてもおかしくないのだ。それがなぜか簡単にはいかないことに各国家も困惑しているようである。

 シェイクが防衛を担当しているものの、それを鵜呑みにする国は少ない。シェイク側の国家以外は、自国のみで防衛および脱出準備を進めている国も多い。

 ただ、ルシアとシェイクの手前、表立った行動に出ないだけにすぎない。勝手にそんなことをすれば二大国家の顔を潰すことになるからだ。

 シェイクにしても、脱出はあくまで最終手段である。ルシアが前線で戦っている以上、たとえ大統領だろうがシェイクだけ逃げるわけにはいかないのだ。

 どのみちシャーロンたちは、命の危険があっても各国の待避が終わるまでは残らねばならないだろう。これも大国の責任というものである。それを怠れば、いくら強国とはいえシェイクに未来はない。

 とはいえそれは最後の手段。できれば全員が生き残れるように手は打たねばならない。そのためにもシェイク艦隊には動いてほしいのだが…

「やはり動けんか?」
「できるだけ接近するようには要請していますが、難しいようです」

 ザッカルトもできる限りの要請を行っていた。しかし、状況はあまり芳しくないようである。

 デトラス・ザークが今回保有する艦隊は、旗艦ハイバズーク一隻と巡洋艦ハイバーンが二十隻、中型海上艇が六十程度。ハイバズークとハイバーンは陸にも上がれる水陸両用の戦艦である。(もともとこの時代の戦艦は水陸両用を指す。どちらかしか対応できないものは、陸上戦艦、海上戦艦、あるいは艇と呼ぶ)

 ジュベーヌ・エターナルとしては、最悪の事態に備えて巡洋艦のハイバーン数隻には接岸していてほしいくらいである。それならば迅速な待避も可能で、シェイクだけではなく各国の要人も保護の対象にすれば非難を免れることもできるだろう。

 しかし、それは簡単ではない。

「まあ、ああもドンパチやられてはのぉ。尻込みしても仕方ないか」
「最後の火焔砲弾がやばかったです。あれでうちの艦隊は完全に使えなくなりました。まったく、ルシアのやつら、何も考えていないからムカつきますね」
「それは今に始まったことではない。ルシアとはそういうものじゃろう」

 そう、一番の障害となっているのがルシア帝国の艦隊、ゼダーシェル・ウォーの艦隊砲撃である。

 ルシア帝国とシェイク連合共和国は犬猿の仲。シェイクは貴族主義に対して激しいアレルギーが存在するし、対するルシアも意思統一を愚民に任せ、拝金主義に堕落していくシェイクに嫌悪感を抱いている。

 さらにここ百年あまり、シェイクが武力によって西側諸国に激しく対抗するようになってからは、憎悪と嫌悪は倍増していた。戦死者が出るたびに両国の政治家は互いを非難し、憎しみの矛先を相手に向けていく。そうした連鎖が両国の間に巨大な壁をこしらえることになっていた。

 今ではお互いに対する両国の国民感情は最悪に近い。友好度を調べた調査でも「親しみを感じない」が八割を超えているし、嫌いな国ランキングでは堂々のトップを争うのはいつものことだ。

 唯一、経済の分野では両者は互いに協調していた面はあった。ともに世界を動かす経済大国でもあるから当然だ。もとから嫌いであった者同士が仲良くなるには、お互いの利益が必要であったのだ。

 しかし、西部金融市場の凍結による東部のバブル熱によって、この側面でも表立った対立が目立ち始めている。所詮利益で結びついた者は、利益がなくなれば離れていく。嫌悪という感情を物質的利益で隠して我慢していただけなのだ。

 傲慢な金持ちに周りが笑顔で従うのは、金があるからだ。景気よくおごり、ボーナスを多く出すからちやほやされる。では、金持ちが貧乏になれば? その答えはすぐにわかるだろう。金がない段階で周囲の興味は彼にはないのだ。用済みである。所詮それだけの信頼しかないからだ。

 ルシアが何かをやればシェイクは反対し、シェイクが動けばルシアが邪魔をする。そしてまた苛立ちは募り、相手を邪魔する計画を立てる。この繰り返しである。

 犬猿の仲とは簡単に言うが、イデオロギーの対立は言葉では伝えられないほど両者を深く分けることになっている。存在そのものの成り立ちが違うのである。水と油は分かれるのが法則だ。

 一見まとまりそうにあった連盟会議においても、図式はまったく変わっていない。現大統領がベガーナンだからこそ穏和に済ましているが、今までの会議では終始非難合戦で終わることも珍しくなかったのである。

 そして、これが軍人になれば、互いに殺し合っているぶんだけもっとアレルギーは強くなる。その証拠に、ルシア艦隊とシェイク艦隊は公海上でいつでも戦闘が可能な態勢を整えていた。会議場内の身内に何かあればすぐに動けるようにだが、一番警戒していたのは互いの艦隊である。

 そのような緊張状態でハブシェンメッツは意気揚々とためらいもなく艦隊砲撃を【独断】で要請した。これがまずかった。

 指揮権がルシアに移ったのはベガーナンも承諾したことであるし、シェイク側に作戦を伝えてしまえば情報が漏洩する可能性もあるので、ハブシェンメッツの行動を咎めることはできない。

 がしかし、憎悪の対象であるルシア艦隊がいきなり砲撃を開始するのだから、シェイク艦隊が激しく反応したのは言うまでもないだろう。デトラス・ザークの司令官、アロッド・ケイマリフ准将もバサラ・イデモンが主砲を撃った瞬間には我が目を疑ったかもしれない。

 バサラ・イデモンは、砲撃前に他国艦隊に連絡は入れている。「命令が下ったので、これより砲撃を開始する。これは敵対行動ではないので撃たないでくれ」と。

 それでも冷静でいられる人間のほうが少ないだろう。シェイクの艦隊が優秀であっても所詮防衛部隊である。勇猛と名高いゼダーシェル・ウォーと正面から戦うとなれば、まず勝ち目はない。

 【弱者】は常に怯えているのである。
 逆に捉えれば、ルシアという国を誰もが恐れているのである。

 このように現在のデトラス・ザークは、相当神経を尖らせている状態である。先手を取られて強襲されれば脱出自体が困難になりかねない。

 もちろん、そんなことをするメリットはルシアにはない。まったくない。ないのだが、信じきれないのである。もし何かあれば退路の確保すら困難になる。ケイマリフ提督が接岸を許可しない理由もここにある。

 だが、ザッカルトはこの現状に不満である。

「それにしても弱腰じゃないですかね? いや、それ以前に警備力が弱すぎませんか?」

 デトラス・ザーク自体の能力に不満はない。彼らは立派な軍人であり戦力であることは疑いの余地はない。

 されど、そもそも【格】が違うのだ。

 ルシアがゼダーシェル・ウォーという有名どころを出してきたのだから、シェイクもそれに対抗すべきである。いくら優秀であってもデトラス・ザークでは彼らと釣り合わない。

「せめて【エターナル・ザーク〈永遠なる明けぼの〉】くらいは出してもいいとは思うんですけどね」

 エターナル・ザークとは、第四統合軍の主力部隊である第一師団のことである。シェイクにとってエターナルの名を冠することには大きな意味を持つ。この名前を持っている組織は、シェイクの【理念】を守る偉大なる守護者なのである。

 ジュベーヌ・エターナル〈緋色の空の永遠〉という名も、ベガーナンが大統領になったことで与えられたものだ。よって、エターナル・ザークという戦力は、ただの艦隊ではない。シェイクの力そのものを意味し、正当なる力のあり方を示すものなのだ。

 だが、残念ながら今回は派遣を見送られている。

「この情勢では仕方あるまい。シンタナすら抑えられなかったのじゃからな」

 シャーロンもザッカルトに同感であるが、状況がそれを許さない。まず、東部金融市場が凍結され、東側にも大きなパニックがもたらされている。シェイクも大きな損失を負ったほどなのだから相当なものだ。

 シェイクは国家として巨大なので、現在のシステムでもいきなり破綻することはない。シンタナにしても損失は巨額だが、連邦支援によって持ちこたえることはできる。

 がしかし、国力の弱い国はそうはいかない。

 次々とデフォルトしていく彼らは、物資の調達すらままならないのである。正直、西側に比べて発展途上国や自治領区が圧倒的に多い東側諸国には、国家と呼べる国はそう多くはない。

 国家の安定と大きさは、そのまま文化力となり、倫理や道徳感につながっていく。最低限の生活がなければ人々は学問を学ぶことすら難しいのである。よって、倫理は自らの魂のセンサーによってしか行われない。か細く燃える、小さな小さな神性の光に頼るしかないのだ。

 だが、地上人類の大半は、愚かで哀れな幼子である。彼らの欲求不満は次第に物質的な側面へと変化していく。つまるところ文化レベルが未成熟な国家では、放っておけば供給不足によるインフレが発生し、その結果として暴力や略奪などの犯罪に走る者が増えていくのである。それすなわちシェイクへの不満にもつながる。

 こうした状況にあって、シェイクが優先すべきは東側諸国の安定である。

 それにはどうしても武力が必要なのだ。そのために東部中央エリアを担当する第四統合軍に余裕はなく、多くの艦隊が各国の治安維持に向かっていた。エターナル・ザークも国家崩壊が危惧される一番危険なエリアを担当している。

 ベガーナンはシェイク大統領として東部安定の責任がある。国家中枢を担う政権の安全保障は重要であるが、自己の保身のために中心艦隊を強引には動かせない。そんなことをしてしまえば足下をすくわれかねないのだ。

 そう、ベガーナンにも【政敵】がいるのである。

 シンタナ州軍がガネリアに武力行動を行うことすら問題なのである。そこに大国の威厳はなく、ベガーナンとしてもそんな無益な行動はやめてもらいたいのが本音だ。しかし、その裏、根幹には【拡大派】と呼ばれる存在がいる。

「シンタナ州軍の司令官を推薦したのが、バージリンデルってのは本当みたいですね」

 ザッカルトが言うバージリンデルという人物は、シェイク連邦議会のベテラン上院議員である。彼はシェイク連邦を拡大しようとする【大連合構想派】の旗頭で、従来のシェイクの思想を受け継ぐ者として非常に人気の高い政治家である。

 そのため国力の現状維持をしつつ、全体の均等化を図ろうとするベガーナンとは衝突することが多い。拡大派に対し、ベガーナン側を【維持派】と呼ぶこともある。

 今回のシンタナの動きの裏には、バージリンデル上院議員の支援団体が関係しているとも噂されている。そうした後ろ盾があってこその行動ならば、その強引さも頷けるというものである。

「でも、今の時期に動くってのは得策じゃない。そのあたりが読めませんね」

 シンタナが動けばシェイク全体に影響が出るのは間違いない。たとえ勝ったとしても利益は微々たるものだろう。そう、シンタナにとってのメリットがあまりないのだ。

 それでも強行する理由がわからない。バージリンデルとしてはベガーナンの求心力低下を狙ったという説もあるが、愛国者たる彼がそんなことをするのか、という疑問もある。

 ジュベーヌ・エターナルは諜報部隊でもあるので、表立っては公表されないこうした裏事情、特にベガーナンに敵対する勢力の情報には常に気を配っている。

 しかし、シンタナの動きの真相は掴めていない。金融市場の混乱でそれどころではなかったせいもある。ただし、真相がどうあれ他勢力の介入があったのは事実だろう。こうした混乱期は、劣勢の組織が動くには都合が良いことが多いからだ。

「おぬしは、今回の派遣についても関与を疑っておるのじゃな?」
「ええ、フォース・ザークは連邦政府とつながりがありますからね。バージリンデルの影響があってもおかしくはありません」

 第四統合軍が担当する東大陸中央部には、当然ながらシェイク本国も含まれている。自国防衛についてはデイマ・フォースという独立した軍が存在し、その最高責任者は大統領たるベガーナンであるが、第四統合軍も有事の際は真っ先に駆けつける国防戦力としてみなされている。

 そうしたシェイク本国と近い軍には、おのずと連邦議会の影響力が及ぶことになる。特に第四統合軍は危険な近隣諸国を担当するので、他国が抱える国家崩壊のリスクに敏感となっている。崩壊後の混沌な状況は彼らにとっても死活問題であるからだ。

 それゆえに第四統合軍以外にも、東大陸北部を担当する第三統合軍フォース・ガイラ、東大陸南部を担当する第五統合軍フォース・ミルバには拡大派支持者が多いのである。

 脆弱な国家をまとめて管理しなければ、いずれは崩壊してしまう。結果としてシェイクのみならず東大陸全体が疲弊する。そういう考えである。

 それ自体は悪い考え方ではない。自力で国家運営ができないのならば、現段階でより進んだ者が統括するというのは秩序を維持するうえで必要なことである。

 そして今回、シンタナが動くという情報があったため、第四統合軍はその動きを注視する必要が出てきたのだ。ダマスカスが警備を担当する連盟会議より、目の前に迫った確実な脅威に対処するほうが先である。

 今回のエターナル・ザーク派遣見送りもシンタナが原因。つまりは拡大派の陰謀ではないかというわけである。

(拡大派にとっては今回の混乱は有利に働く。たしかに嫌がらせくらいはしそうじゃな)

 シャーロンはザッカルトの懸念を聞きながら思案する。

 富が東側に集まったのは事実である以上、拡大派にとっては世界の安定よりも東側諸国の統一を優先したいと思っているだろう。ルシアを最大の仮想敵国としているシェイクにとって、この機を逃しては国力の差を埋める術がなくなってしまう。そのためにも戦力は自国に置いておきたい。

 となれば、あえて主力艦隊を派遣してルシアと対抗する必要性はない。シンタナが動けばそれなりの混乱が予想されるため、それに伴って第四統合軍を使って陣地拡大を図る思惑があるのかもしれない。

 ただし、大連合構想を進めるには大義名分が必要となる。それがなければ、ただの侵略となってしまうからだ。

(シンタナの行動は、それの見極めが目的か)

 現在、ガネリア新生帝国によってデフォルトした発展途上国の救済が進められているが、すべての国家がガネリア寄りというわけではない。ガネリアに話を持ちかけながらもシェイク・エターナルという強国の顔色をうかがっている国も多いのが実情だ。

 であるのならば、どの国家がシェイクを支持し、ガネリアを支持するのか。その見極めこそが重要となる。それがシンタナを動かす唯一のメリットであると思える。敵が決まっていれば動くのは簡単だ。同じ派閥のみならず、反対派の説得もしやすくなるだろう。

 拡大派にとって今回の連盟会議による混乱、並びにシンタナによる混乱は利益になると考えてもよい。だからこそザッカルトも疑っているのだ。

(じゃが、テロまでも予見していたとは思えんな。ベガーナンに何かあればさすがに困るはずじゃ)

 拡大派に対し、現状維持派の人間は、シェイクは現状で十分、あるいは肥大化していると考えている。これ以上拡大しても金がかかるだけだし、何よりも現在の貧富拡大のシステムに問題があるので先にそれを改善すべきだ、という意見である。

 たしかにベガーナンは拡大派にとって邪魔である。なまじ貧困層から人気があるので議会では対立しにくい相手であるし、政治家としての器量も相当なものだ。

 かといって自国の大統領を謀殺しようとは思わないだろう。少なくともテロが起こることまでは予見できないはずである。もし予見しているのならば、彼らの中にもラーバーンの魔手が忍び寄っていることになる。あるいはバージリンデルそのものが協力者かもしれない。

 だが、シャーロンはその考えに首を振り、邪推を戒める。

(バージリンデルという男。政敵ではあるが、なかなかの人物じゃ。あの男にそんな真似ができるとは思えんが…)

 シャーロンがバージリンデルという男を一言で表すならば、【慈善家】である。

 特定の宗教に入っているという話は聞いたことがないものの、彼は慈善を行うことを第一に考えている人間である。拡大派は維持派と対立する傾向にあるが、その中でもバージリンデルは貧困対策において協力しあえる存在であった。

 その彼がこのようなテロを認めるわけがないし、シンタナ軍を犠牲にしてまで見極めをしたいとは思えない。少なくともシャーロンが知るバージリンデルならば、そのようなことは認めないだろう。

 可能性があるとすれば、彼当人は何かしらの違う目的で動いており、それを利用する者がいる、というパターン。バージリンデルは目立つ男なので、それを隠れ蓑に拡大派の誰かが裏で動いていることもありえる。

 が、それを考えていても答えは出ない。政敵など無限にいるし、そもそもこれだけの世界的異変である。反政府勢力ならば、どこの組織であっても動く機会をうかがうのは自然なこと。それがたまたま連鎖しているにすぎない、とも考えられる。

(どこも一枚岩ではないからの。嘆いたところで金も戦力も降ってはこないものじゃ)

 たとえ裏で他勢力の悪意が働いていたとしても、今のシャーロンたちにはどうしようもないことである。現状の戦力をどう使うか。これしかないのだ。

「ザッカルト、ジュベーヌ・エターナルの訓戒、第一条は?」

 シャーロンがザッカルトに促すと、ザッカルトは背筋を正して述べる。

「愚痴るな! 嘆くな! 今あるものを使って最大の成果を挙げろ!」

 その大声に何人かのスタッフが振り返るが、ザッカルトに羞恥という感情は一切ない。目は強い意思を宿し、燃えるように輝き、手を後ろに回した直立不動の姿勢ながら、強い躍動感に溢れていた。

 ジュベーヌ・エターナルには、結成当初からいくつかの厳格な訓戒が存在する。これを破る者は誰一人としていないし、命をかけて守るべき大切な約束事なのである。特に副長のザッカルトは訓戒を宗教の戒律に等しいものと考えており、それを守ることに人生をかけているほどである。

 そのザッカルトの表情と姿勢を見て、シャーロンは微笑む。その笑みは仲間にだけ向けられる優しいものであり、家族に発するような慈しみを宿したものであった。

「うむ、それでいい。第二条も忘れぬようにな。裏が見えぬからといって、わしらがやることは変わらぬ。ともに助け合い、ともに戦うのじゃ」
「はっ! 心得ました!」

 第二条は「常に仲間を信じ、仲間とともに仕事にあたれ。仲間に背中を預けられない者は、簡単に死ぬ」である。

 小さな実働部隊が成り上がるには、組織内の統率が強固でなければならない。ジュベーヌ・エターナルが最強と呼ばれるのは武力だけではなく、結束が固いからである。特に組織内の上下関係は絶対で、通常の軍隊以上のヒエラルキーが存在する。それはもはや親族関係よりも密接である。

 シャーロンもザッカルトも、シェイク連邦とは異なる国の出身だ。そんな彼らだからこそ、誰よりも深い絆が必要なのである。たとえ国が見捨てても、同じ団の仲間だけは絶対に見捨てない。その信頼が根幹にある。

(はぁ…、姐さんは今日も美しい)

 ザッカルトは、シャーロンの優しい笑みに全身が震えるような衝撃を覚える。背筋が痺れ、その後にじわじわと筋肉が弛緩するような快楽が広がっていく。

 この心の声だけ聞くと「こいつ、ヤバイ」と思うのだが、これもシャーロンの魅力であろう。これらの訓戒に込められているように、彼女は何よりも仲間を大切にする。けっして最後の最後まで見捨てない。

 仮に見捨てて撤退しなければならないときでも、その仲間のことは絶対に忘れないし、次の戒めとして遺していく。そうした彼女の信念が強固な絆を生み出し、結果的にジュベーヌ・エターナルを強くしていく。

 彼女にとって国家はどうでもよく、仲間がいるからこそ守るべき国たりうるのである。ザッカルトもその志に心酔している一人であり、シャーロン個人にも絶対の忠誠を誓っていた。

 ちなみに訓戒には、ザッカルトの独断で「姐さんには絶対服従」という項目が追加されている。

 シャーロンが美しいと言えば、それが理解不能な前衛芸術であろうと幼稚園児の絵であろうと美しいと言わねばならない。シャーロンが美味しいと言えば、それが豚の餌でも美味しいと言うのがジュベーヌ・エターナルでの鉄の掟なのである。

 シャーロン自身はこのことを知らないので、ザッカルトが独断で部下に教え込んでいるにすぎない。が、基本的にシャーロンに憧れて部隊に入る者ばかりなので忠実に守られている掟でもあった。

「ザッカルト、わしのアカロンも準備しておけ。万一の場合は出なければならぬじゃろう」
「了解しました!」

 シャーロン専用OG、アカシカル・サロン。WG製のオーバーギアで、ハイテッシモと同じくネーパリック(祝福された奇跡)の称号を持つ名機である。

 これはジーガンがハイテッシモを手にしたことで、対抗心を燃やして手に入れたものである。入手には相応の苦労が伴ったが、それをもってしても余りある名機といえる。

 最後の手段ではあるが、仮にルシアがもちこたえることができなければ、シャーロンが時間を稼ぐつもりでいた。
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