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零章 第三部『富の塔、奪還作戦』
四十七話 「RD事変 其の四十六 『悪魔の痛み』」
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カノン砲台を攻撃していたバイパーネッドが突如進路を変更。西と東の第一防衛ラインに向かって走る。
(そこはまずい)
ハブシェンメッツの焦りはさらに強まる。南側の会議場方面はもともと防衛力が結集しているので強固だが、それ以外の場所を固めるには時間が足りなかったのだ。
防衛ラインの大半は一部の特殊車両を除き移動砲台によって成り立っている。そもそもアピュラトリス防衛の主力部隊であったダマスカス陸軍が壊滅した段階で戦力は相当落ちていた。
どんなに才能豊かな軍師であっても実際に手駒が動かねばすべては机上の空論。今あるものが現実的な采配であり、いかにハブシェンメッツとてこれが精一杯なのだ。
「移動中の敵MGに砲撃を。ただし二割だ。それ以上は割けない」
ハブシェンメッツはバイパーネッドに対して砲撃を指示。しかし割けるのは二割程度である。これを超えてしまえばアピュラトリスの敵MGを自由にしてしまう。
砲撃で足止めしているからこそホウサンオーたちは黙っているのだ。彼らもけっして遠距離攻撃を有していないわけではない。特にリビアルの砲撃は射程も長く威力もある。単体で戦艦の主砲にも匹敵するので、少しでも牽制の手を緩めれば反撃を開始するだろう。
ここで一番問題なのは彼らが【陣地】を広げることである。今の状況は、先手を取って相手を釘付けにしたからこそ得たもの。仮に相手が陣地を広げることに成功すれば今の戦法での鎮圧は非常に難しくなる。
しかも現在はまだサカトマーク・フィールドが展開されている。物理的にはどうあっても接触不可能な状態である。ならば彼らが一時的に塔から距離をあけても問題ないのだ。こうなると非常にまずい事態が発生する。
「ダマスカス軍の位置は?」
「現在、市街地郊外を移動中です」
この作戦の正否は敵MGの鎮圧だけにあるのではない。何よりもヘインシー・エクスペンサーの働きにかかっているのだ。
そして、肝心のヘインシーの場所はハブシェンメッツにはわからない。ダマスカス軍がこちらの指揮系統外で独自に動いているからだ。ダマスカス軍はルシア軍の砲撃が始まるのを確認したあと、様子を見ながらいくつか部隊を展開させていた。
(さて、どれが本物かな)
会議場から出た部隊は大小それぞれ一八にも及んでいる。構成は車両だけのものからハイカランのようなMG部隊までさまざまである。
当然他のものはダミーであり、本物はこの中のどれか一つである。しかし、どれにヘインシーが乗っているのかはわからない。敵が陣地を広げればそれだけダマスカス軍が危険に晒される恐れがあった。
「MG部隊を投入しますか?」
「いや、タイミングが悪い。相手に悟られる可能性がある」
まだ相手はこちらの狙いには気がついていない。過剰反応し、今まで温存しているMGをここで投入すれば最悪の場合は勘ぐられる可能性がある。
相手はアピュラトリスすら制圧できる者たちなのだ。どこで情報が漏れるかわかったものではない。ここで下手に駒を動かして作戦の肝を悟られるわけにはいかなかった。
そうしている間にもバイパーネッドの足は意外と速く、すでに市街地郊外に侵入する。今できることは防衛ラインからの砲撃で一機でも多く落とすことであった。
「マニュアルで砲撃開始だ」
「了解しました。マニュアルで迎撃開始します」
オートで放っていた砲撃を今度はマニュアル、人の手によって発射させる。郊外とはいえ市街地。オートで撃つわけにはいかない。
バイパーネッドに砲弾が迫る。使われているのは同じくG型徹甲貫通弾である。直撃すればバイパーネッドであってもダメージは大きい。
それがもし当たれば、の話であるが。
バイパーネッドは、まるでどこに砲弾が来るのか事前にわかっているかのように回避。すいすいと優雅に泳ぐ魚のように快適に道を進んでいく。
「素直すぎるな」
ゼッカーはデバイスを操りながら余裕の表情。それも仕方がない。今までは相手がオートででたらめに撃っていたので予測しづらかったのだ。たとえるならば、荒れ球の剛速球投手を相手にしていたようなものである。
一方、的確に制御されていたほうが打ちにくいように思えるが、実際はこちらのほうが打ちやすい。どんな剛速球でも来るコースが予測できるのならばタイミングを合わせることができるからだ。
さらにゼッカーには相手の意思がありありと【視える】。射手が狙った位置、呼吸の感覚まですべて把握できていた。これに地形・環境データが加われば、ほぼ百パーセントの確率で回避が可能となるだろう。
バイパーネッドは砲撃をすべてかいくぐり、市街地郊外を走り抜けて都市部の端に到達。そのまま進もうとした時、足下に違和感。対戦車地雷である。これもハブシェンメッツの指示で仕掛けられたトラップである。自分たちが使うルート以外にはこうした罠も用意してあったのだ。
が、所詮は急造である。数も多くなければ、よくよく見れば設置した痕跡もしっかりとわかる程度のもの。しかもゼッカーの技量とバイパーネッドの反応があればこんなこともできる。
バイパーネッドは地雷から足が離れる瞬間にソードで地面を抉り取り、地雷を宙に投げ捨てる。直後、爆発。地雷は指向性のものなので起爆側が向いていなければ被害はない。
これの理屈は簡単。単純に爆発までの一瞬の時間を使って素早く地雷を撤去しただけ。しかし、これをまったく速度を落とすことなく走りながらやったのだ。ゼッカーも地雷があると知っていたわけではない。踏んだわずかな瞬間に分析と判断を終え、即座に実行に移したのである。
これにはハブシェンメッツも舌を巻く。
「なんてこった。今までのデータとは桁が違う」
正直、一瞬残像が見えた程度で、スロー再生しなければ何をしたのかもわからなかったに違いない。ゼルスセイバーズが得た情報および、今現在砲撃で確かめたバイパーネッドのスペックとは明らかに異なっていた。
「この先にはまだ民間人がいます! 住民の待避は終わっていません!」
アルザリ・ナムの言葉にも今まで以上の緊迫感が宿る。敵が市街地に移動を開始した場合に備えて対策は考えていた。地雷もその一つである。
しかし、いかにハブシェンメッツとはいえ時間が足りなさすぎる。せめてこの作戦に一日、いや一晩でも時間がもらえればあらゆる状況に備えて手が打てたのだ。
しかもここは他国である。ダマスカスの主権をできる限り尊重しなければならない。すべてが自由にならない環境なのである。ただし、仮にハブシェンメッツが万全の対策を練っていても今のバイパーネッドを止められたかは怪しいところである。
【ジーバ・ラピスラズリ〈金迦の再臨〉】。
それがゼッカーの左手に宿っているジュエルの名である。
ゼッカーは特異能力者であり、通常一人一つしか発動できないジュエルを最大三つまで同時に発動させることができる。これは非常に特異な能力で、今までの人類史においても彼以外には存在しない恐るべき力である。
ジーバ・ラピスラズリについて説明する前に、ジュエルの種類について改めて簡単に説明しておこう。
ジュエルには大きく分けて三つのタイプが存在する。
一つ目は特別な力を【付与】するタイプのもの。扱う当人が持っていないスキルを与えるタイプのもので、ジュエル単体がその能力を発揮する。
術の素養がないうえにまったく勉強していない人間でも、そのジュエルと適合すれば特定の術が発動する便利なものである。これはお守りや護符としての効果があるので、簡単な効果の石ならば露店にもよく売られている。いわゆる一般的なパワーストーンとしての効果である。
安物かつ効果が疑わしい偽物が出回ることも多いが、本物の効果を持つものは店で売っているものでも実際に守護の力を持つので侮りがたい(鑑定書付きのものを買ったほうが安心)。何もしないで力を得ることができるので、もっともポピュラーでもっとも人気があるジュエルがこれである。
一般人でもジュエルを扱えるのかと疑問を抱くかもしれないが要するに【適合率】の問題である。
ジュエルはジュエリストしか使えないというのは思い込みである。彼らはより適合率が高い存在で、最低でも適合率が五十パーセント以上の人間がそう呼ばれるにすぎない。
ただし、ジュエリストと呼ばれるには、認定Aクラス以上の質の高いジュエルの力を引き出せる者に限られるので、やはりその名前は大きなステータスである。
能力にもよるがジュエリストであるだけで各国政府では要職に就くことが可能なほど引く手あまたであるので、一般人が扱えるのはせいぜいお守り程度であると認識してかまわない。
二つ目は、【強化】タイプのジュエルである。自己が持っている能力を強化してくれるもので、目や耳の良い人間がさらに良くなったり、足をさらに速くしたりというものである。
もとから身体能力の強い戦士がさらに強化したり、身体の弱い剣士や貧弱な術者が弱点を消すために使うなど、あって困ることはないものが多い。
ゼッカーが愛用しているタイガーアイがこれに該当し、剣士である彼でも強力な素手での攻撃を繰り出すことを可能としてくれる。腕力も何倍にもなるので非常に重宝するジュエルだ。当然ゼッカーが使うものは最高品質のものなので一般のものよりも強力である。
その反面、普段使わない能力を強化すると消耗が激しく、過信するとあとで疲労と筋肉痛で動けなくなることもある。酷いと筋肉や神経が断裂したり、最悪は死ぬ場合もあるので石選びは慎重に行わねばならない。
強化タイプは強力なものと弱いものの差がかなりはっきり出るので、良質な石は稀少で市場でも値段が高い傾向にある。現在はジュエルを使った医療研究が進められており、半身不随の患者や欠損した部位の補完、能力が低下する高齢者などの補助など、需要は増えている。
最後が、【覚醒】タイプのジュエルである。
人間には無限の可能性がある。人生の苦労の意味は、その可能性を少しでも引き出すために用意された刺激、カンフル剤のようなものである。そしてこのタイプのジュエルは、眠っていた潜在能力を引き出すことができるのである。
引き出すことができる能力は石によってまさに千差万別。強力なものもあればごくごく効果の薄い石もあり、発掘量としては一つ目の付与タイプに次ぐ多さである。その効用から付与タイプの石と混同されやすく、鑑定士によっては間違ってお守りとして店に陳列されてしまうこともある。
ただし、この石は非常に危険な側面を持つ。
そもそも潜在能力とは、少しずつ開発していくものである。少し開発してはまた眠っているものを発見し、それを克服していく過程でまた違うものを見つけ、バランスを取りながら全体を強化していく。
まず話すために言語を学び、使っていく中で本が読めないと困ったので文字を学び、挿絵の意味がわからないので絵と文化を学ぶ、といった具合である。これが永遠と繰り返されて人間は永遠の進化を遂げていくのだ。ゆっくりと着実に体得するから価値が出る。
一方、強制的に覚醒させるこのタイプの石は、強力であればあるほど身の危険が大きい。(普段使われていない領域の)聴覚機能を覚醒させる石を使った女性は、急激な覚醒に耐えきれずに聴力が暴走。一生消えない耳鳴りに苦しみ続ける。
霊視能力を覚醒させる石を使った僧侶は、同じく石の力に負けてしまい幻覚に苦しむ。生きている間はもちろんのこと、死後も霊体に後遺症が出て修復に何百年もかかったという。
このように何につけても急激な変化とは危険なのである。突如悟りを開いても、結局身につけるための鍛錬が足りなければ逆効果になるのが世の常である。
いつの世も師は弟子に焦らないように忠告を与える。羽尾火がオンギョウジを諭したように、自然には自然のリズムが存在するのである。かといって、こうしたもので能力を覚醒させるのが絶対に悪いということではない。これはこれで有用な使い方がある。
この石の本来の使い方は、急激な進歩ではなく【能力の開発】に使うのがベストなのである。
石の力を少しずつ浸透させながら、特定の能力の開発を目指し、【補助】として使うほうが安全である。こうして引き出された能力は自分のものとなるので、いつかはジュエルなしでも自在に操れるようになるだろう。これこそ覚醒タイプの醍醐味である。
もし何一つリスクを負いたくないのならば、最初の二つのタイプの石を使ったほうがよいだろう。
付与タイプならば自己に負担はかからない。石が磨耗して壊れる可能性も高いが、自分が壊れてしまうよりは良い。強化タイプも効果の具合を確かめて自分で制御すれば身を滅ぼすことにはなりにくい。腱が切れる前に肉離れが起きて、その段階で戒めるだろう。
しかし、それでもなお言わせてもらえば【覚醒タイプが最強】である。
その人間の成長度によって限界があるだけで、人が持つ力は無限なのである。だからこそ無限に成長できるのだ。一時的にせよその無限の可能性を表現できるのだから覚醒タイプが持つ力の底知れなさがうかがい知れる。
そして、ゼッカーの額に宿っているテラジュエル【バルス・クォーツ〈星の記憶〉】は、現存している覚醒タイプのジュエルの中で間違いなく最高位のものである。
これを発動させている間、ゼッカーの意識レベルは人間を超えたものとなり、すべての物事を一瞬で把握できるようになる。理解力の解放による卓越した直観の覚醒によって、言葉よりも思念よりも早く世界を一望できる。意識レベルの向上によりまさに星の記憶とリンクするのである。
その可能性は無限。ゼッカーが若くしてこれほどの才覚を覚醒させたのはバルス・クォーツの影響も大きいだろう。ただし、このジュエルは非常に純粋で繊細なので負の想念を溜めやすく、相手のジュエルの干渉を受けやすいデメリットがある。
ガネリア動乱では、クォーツより遙かにレベルの低いアグマロアを扱う八僧侶に精神汚染をくらい相当なダメージを負った。ゼッカー自身がジュエルの統御を完璧にしないと最強がゆえに諸刃の剣になる力である。
そしてジーバ・ラピスラズリ〈金迦の再臨〉も覚醒タイプのジュエルである。
大まかな分類では、このジュエルもバルス・クォーツと同系統のものとされている。クォーツと比べて全体的な能力は遙かに劣るが特に感覚能力の覚醒では他を圧倒している。
このジュエルを使っている間、ゼッカーの感覚は広がっていき、デバイスの補助があればこれほど離れた位置にあるバイパーネッドすら完全支配できる。
これはオロクカカが使っている戦糸強化の技と似ているが、その高い純度と糸を必要としない点で数段優れている。さらにラピスラズリ自体に強い守護の力があるので汚染の心配もない。単体で非常に強力な石なのである。
このジュエルはジュエル管理協会の審査を受けていないので正確なランクはわからないが、ゼッカーの見立てではテラジュエルと同レベルの石であると確信している。
その石が、バルス・クォーツの統御を受けてさらに性能を強化されている。より高位のジュエルは下位のジュエルに対して支配権を持つのである。それによって今走っているバイパーネッド十機すべてがゼッカーそのものと同じになっているのである。
もしバイパーネッドにゼッカーが乗っていたら?
そんな恐ろしい想像をしてみるとよいだろう。武人として超一流の人間でありパイロットとしても一流の人間があの殺戮マシンに乗るのならば、オロクカカの強化されたバイパーネッドであってもまさに玩具に見えるだろう。
ゼッカーのバイパーネッドはそのまま全速力で市街地に突入。
およそ二キロ先に待避中の車両を見つける。その緩慢な避難の様子は身の危険が迫っているとは到底思えないものであった。まずダマスカス国内で訓練以外の戦闘が行われることはない。訓練もこんな都会では行わないので一般人が戦車を見ることすら稀である。
だから仕方がないのだ。
そんな彼らが犠牲になるのが戦い。
戦争なのだから。
ためらうことなくバイパーネッドは乗用車の群れにツインキヤノンの照準を合わせる。
「私自らが手を下すのが筋だろう」
英雄であった頃、ゼッカーは弱き者を助けるために力を使ってきた。迷い激しく葛藤しながらも理想のために剣を振るってきた。強者に戦いを挑む構図は変わっていないが、一つだけ決定的に違うことがある。
今この瞬間から、全世界に火が燃え広がるのだ。
このダマスカスという地から。
そのために憎しみという感情が必要となる。そして傲慢を知るといい。システムに翻弄され、あまつさえ腐らせてきた愚かで哀れな者たちよ。その罪はあなたたちにも等しくあるのだ。
あなたたちは今まで何をしてきたのだろう。ただ自分が過ごすことに必死で、自分たちが蓄えることしか考えなかった者たちよ。その力、その富は誰のものなのか。他者から、他国から奪い、システムを支持してしまった者たちよ。
ああ、あなたたちは怖いのだ。
自分が失うことが。相手に奪われることが。
その【恐怖】を今、悪魔が解き放ってくれるでしょう。
砲弾が発射。
その軌跡を止められる者は誰一人として存在しなかった。名誉というべきか不幸というべきか、適切な言葉が見つからないが、最初に犠牲になったのは【母と子】であった。
父親は会社に行っており、今日は首都の学校も休みなので母親と子供は家にいた。そこに避難勧告が報じられる。このエリアは国家の中枢機関に近いエリア。高級住宅地はもう少し外側に入ったエリアなので、ここに住んでいる者たちは中流階級の人間である。彼女たちもいわゆる【普通の家庭】であった。
母親は面倒だと思いながらも仕方なく車で避難を開始した。こうした避難中は空き巣がよく出ると聞いていたので、先日買った宝石が心配だ。もしくは電化製品を盗られるかもしれない。頭の中はそんなどうでもよいことで一杯であった。
否、彼女にしてみれば大きなことなのだ。
誰しも世界を主観で見ることしかできないのだから、これも致し方ないことである。これが普通の一般人の感覚。何気ない日々を生きる者の普通の人生である。
だが、その普通という言葉は誰が作ったのだろうか。この者たちには普通である暮らしは、ユニサンたちの普通に比べれば天国と地獄との差がある。
彼女たちに非はないのかもしれない。おそらくないのだろう。知らなくても罪とは言えない。それでも【虐げる側にいる彼女たち】が犠牲になったことは因果関係の上では正しいのか。
砲弾は美しい軌跡を描きながら、正確に車の後部に直撃。
MGの砲弾が一般車両に当たったらどうなるのか。まさに映画のワンシーンのごとく簡単に吹っ飛ぶ。吹っ飛ぶなど生ぬるい表現である。もはや粉々。跡形も残らないほどに粉々。
対MG用に調整された砲弾の威力は戦車を上回る。MGが通常の兵器と違うのは、乗る武人の戦気を威力に還元できる点である。
ジーバ・ラピスラズリの最大の能力は、距離や時間に関係なく感応できる点である。このバイパーネッドの弾丸にはゼッカーの意思と戦気も乗っているのだ。
その威力は並のものでない。ロケットエンジン搭載車の衝突実験を見たことがあるだろうか。まさにあのシーンのごとく、木っ端みじんである。
砲弾の威力はそれだけにとどまらず、次の車両も吹き飛ばし着弾。その衝撃で周囲の人間およそ数十人が弾け飛んだ。
道路が陥没し、スープのように血が溜まる。今破壊された人間から出たものだ。といっても、ちぎれた足と腕がぽつんと残っており、そこからしたたり落ちたものであるが。
今まさにそこにあった平和が暴力によって破壊された瞬間であった。
ああ、悪魔となったのだ。
信じたくなかった。信じてしまえばあの頃を思い出してしまうから。人々の英雄であった彼であったことを懐かしんでしまうから。
しかしこの瞬間、映像を見ていたヨシュア・ローゲンハイムの中に宿った感情は、とても冷たいものであった。
(裏切り。これは裏切りだ)
怒りよりも冷たい軽蔑に似た感情。脳裏に浮かぶのは太陽の心を持った一人の少女の姿。彼の行為は、彼が愛した女性が求めたこととまさに正反対のものである。
一般人を手にかけた瞬間、もはや正義はなくなったのだ。否。彼は悪魔となったのだから正義を主張する必要はまったくないのだ。彼が求める結果を出すためだけに事を行えばよいのだから。
そして、それはヨシュアにも強い後悔の念を呼び起こさせる。
(これは我々の罪でもある。あの時に止めることができていれば…)
どうしてこうなってしまったのか。あの時に止めていれば…と思うしかこの痛みを止める術はないのだろうか。どちらにせよ始まってしまった。どうあがいても、もはや止めることはできない。
「……」
ゼッカーは静かにその光景を感じ取っていた。その場で見るよりも鮮明に何が起こったかをラピスラズリの力で知る。
「母親と…子供か」
ゼッカーも数多くの人間を殺してきた。怒りにまかせて殺したこともある。残虐な手段をもって殺したこともある。しかし、無関係な者を殺したことはない。彼が殺してきたのはあくまで責任ある立場の人間。腐ってどうしようもない人間たち。
それが彼にとっての誇りでもあったのだ。自分が闇の世界を生きる人間だと知りながらも、最後の最後でとどまっていた人としての境界線である。もしその境目を超えてしまえば、自分はただの殺人鬼になってしまうのだと理性は知っていたからだ。
その枷が外れた。
しかも最初に犠牲になったのは母子。ゼッカーがこの道に入ったきっかけとなった母親という存在を自らの手で殺してしまった。
「これも罰かな」
ゼッカーの言葉は独り言のようであった。唯一の救いは子供も一緒に死んだことだろうか。母親を失った子供が生きていくにはつらい世の中である。されど父親はどうか。彼は嘆き悲しみ、怒るだろう。それともあまりのショックに自我を失うのだろうか。
憎しみ。そうだ。憎しみの炎が灯されたのだ。
けっして簡単には消えない火。真っ白で薄い紙だからこそよく燃え、よく広がる。
おそらくダマスカスの人間は、なぜ自分たちが攻撃されるのか理解できないだろう。薄っぺらなのだ。理解ができない。理解しようとしない。彼らが安穏という自己の殻に閉じこもるのならば、他の人間もまた閉じこもる権利を持つことになる。
他の国の惨事が他人事と思った時、いざそれが自己に降りかかる時もまた、誰かの他人事とされてしまうのだから。
(ゼッカー…)
フレイマンはゼッカーの変わらぬ表情を見ながらも、その心に宿された【痛み】を感じ取っていた。
悪魔は人を殺すことにためらいがない?
誰がそんなことを言ったのだろうか。
悪魔は痛みを感じない?
馬鹿な。そんなものは悪魔ではない。
悪魔とは、【人間】のことである。
痛みを知り、哀しみを知るから人は悪魔となりえるのだ。むしろゼッカー・フランツェンという男は、人間としてのあらゆる性質を持ち合わせている。
普通の人間よりよく悩み、よく失望する。
普通の人間より感受性が高く、俗事に鈍感である。
普通の人間より憎しみ、そして多くを深く愛する。
だから悪魔になれたのだ。
【悪魔の代理人】と本物の悪魔の違いは【愛】を知るか否かである。ゼッカーは人を愛している。同時に憎んでもいる。失望もしている。それでも信じている。
悪魔は、この世界で一番人間を愛した存在である。
愛して愛して、愛しすぎたからこそ、その手を穢す覚悟を決めたのだ。
彼らを救うために。彼らの未来を潰さないために。
だから痛いのだ。苦しいのだ。
愛する者を無惨に奪われる痛みがわからないで、何が人間か! 何が悪魔であるのか!!
他人の痛みがわからないで、何が英雄か!
愛した者とともに理想を求め、弱者のために戦った彼だからこその強烈な痛み。悩み、苦しみ、叫んできたのだ。何度も何度も、心の底から。その中でこの苦しみは最大のもの。愛した彼女を失うのと何の遜色もない圧倒的な痛みであった。
この痛みが、この恐れが彼を強くする。悪魔は自らの手で血を吸うことによって無限に強くなるのだ。これがファンファーレ。悪魔が最凶の悪魔となっていく狼煙であった。
「これは…ゼッカーか」
その痛みの波動はガガーランドたちにも届いていた。バーンである彼らにはゼッカーの痛みが伝わってくる。
「くく…ふふふ。痛いな。痛いぞ! ゼッカー!」
ガガーランドが心の痛みを感じる。
それはゼッカーが感じている【良心の呵責】である。
人間には正しい行いと悪い行いを区別するためのセンサーが魂に内蔵されている。神性たるマリスの光は、これによって善悪を見分ける能力を子供たちに与えているのである。
それが痛む。当たり前だ。殺して痛くない人間など、この世界にはいない。残虐な人間はいれど、その魂が女神の光によって生まれている以上、必ずセンサーは働き、良心の呵責が生まれる。
しかしながら、ガガーランドにはそれがない。生まれもって鬼であった彼は【欠けた魂】を持つ存在。ある意味においては人間の失敗作であったのだ。だからこの痛みを自分で感じることはできない。こうしてゼッカーに与えられて初めて感じることができるのだ。
「そうだ。これが痛み! オレの痛みだぁあああ! これが愛なのか、ゼッカーぁあああああああああああ!!」
痛みに悶えて戦気が燃える。今まで感じたことがないレベルの痛みである。今ゼッカーが感じている痛みは、愛する者を殺した時と同じ痛みなのだ。想像を絶するのは当たり前である。
そして、それこそがガガーランドが欲するもの。自分の心が切り刻まれる痛み。溢れる愛情。それがガガーランドを焦がしていく。
「ああ、主よ。あなた様の哀しみ、痛み、恐れ、すべてが私たちに降り注ぎます。愛のため、このすべてを捧げましょう」
オロクカカは全身が打ち震え、高揚していくのを感じている。主の痛みを感じると哀しくて涙すら出る。人を愛して愛しすぎた男が感じる痛みは、その程度もまた最上級である。
だから刺激的。何をやっても人を魅了してしまう。泣いても笑っても、怒っても、そのすべてが人間としてあまりに美しいのだ。
「惜しいのぉ…」
ホウサンオーはゼッカーの痛みを感じながら、悪魔が持つ英雄の資質に思わず嘆息する。もしゼッカーという男が英雄として立ち上がるならば、間違いなく光の正道を歩む存在となっただろう。
このような痛みを自ら生まなくてもよい、誰からも尊敬される人間になれたに違いない。しかし、それもまた裏表。光の道だけでは進化は成り立たないのである。影と闇があってこそ光は映える。炎があってこそ水が生きるのである。
「さて、ワシらもゼッカー君にだけ痛みを味わわせては悪い。そろそろ防戦一方もうんざりじゃな」
ナイト・オブ・ザ・バーンがケマラミアの前に出て、さらにどんどん進んでいく。砲弾はケマラミアが防いでいるが、これ以上進むと加護もなくなってしまう。それでも彼は止まらない。
「ホウサンオー、やるの? あまり無理をしないほうがいいと思うけど」
ケマラミアにはこれからホウサンオーが何をするのかわかっていた。顔を見ずとも気配でわかる。悪魔の痛みが起こしてはいけないものまで起こしてしまったのだ。
「ケマラミア君にかかれば何でもお見通しじゃな」
「君たちは不思議だね。どうして痛みを求めるのだろう。嫌ならやらなければいいのに」
人間は自ら神の摂理に背いて痛みを受ける。ケマラミアからすれば、まったくもって不思議である。
実は人間はもう無知ではない。何が良くて悪いかを知っている。人を殺せば殺される危険を負う。痛みを与えれば与えられても仕方ない。自然を破壊すれば自然は人間に災害を与える。
しかし、それでも人間はやめない。
悪いとわかっていてもやめられない。その姿はまるで【中毒者】である。まるで自ら痛みを求めているような廃人にすら見える。そんな【精霊側の意見】に対して、ホウサンオーは【人間側としての意見】を述べるしかない。
「君たちから見れば哀れに見えるじゃろうな。じゃがね、それでもいつかは成熟するものだよ」
それが女神の子としての宿命。どんな痛みを背負っても生き続けねばならない。今はまだ目が見えなくても、痛みに悶えるだけの存在でも、この先には必ず未来がある。人の進化、人が本当の意味で愛することを知る日が必ずやってくる。
そう信じるからこそ、ホウサンオーは剣を持つのだ。
「人間は愚かだね…。でも、不思議とボクは君たちが好きだよ」
ケマラミアの言葉が風の中に消えると同時にナイト・オブ・ザ・バーンはいまだ降り注ぐ砲弾の雨の中を全速力で駆ける。
砲弾に対して止水は使えない。機械制御のオートなので惑わされるということはないからだ。しかし一方で、そこには意思が宿っていない。所詮はただの砲弾にすぎないのだ。
そんなものがタオが生みだし、ホウサンオーが操るナイト・オブ・ザ・バーンに有効打を与えることなどできはしない。当たりそうなコースの砲弾は剣衝で切り裂き、危険ならば剣気壁ではね飛ばす。ゼッカーが操るバイパーネッドと同じく、それらは速度を落とすことなく遂行されていく。
「困ったな…」
ハブシェンメッツはナイト・オブ・ザ・バーンが動いたことに苦渋の顔である。
カノン砲台が万全ならば動きを制限できていたかもしれないが、すでに防衛ラインの砲台は機能を半減させている。この程度の砲弾であの特機を止めることはできないらしい。
そして難なくカノン砲台に接近したナイト・オブ・ザ・バーンが刀を高々と掲げる。伸ばした刃はおよそ五十メートル。剣硬気である。その長さは最大出力の十分の一程度。今回はこれで十分な間合い。
「久しぶりじゃからな。上手くいくかどうか」
ナイト・オブ・ザ・バーンが掲げた刀、マゴノテを中心に振動が発生する。集まった剣気のあまりの量と質量に周囲の気圧が変化しているのだ。
見えない空気の刃が幾重にも集まった時、ホウサンオーが刀を振るう。その姿はまさに芸術。剣気を集める瞬間から刀を振り終えるまで、すべてが剣舞のようであり、神聖な儀式を執り行う祭司のようでもある。
最初は何をしたのか誰もわからなかった。しかし一秒後、防衛ラインに設置されていた数百のカノン砲台が一瞬で消失。ほぼ全方位を描くように放たれた刃が車両を含めたすべてを切り裂いたのだ。
S級剣王技、T・S・S。トリプルソウルクラッシュ四天王型と呼ばれる技である。通常のソウルクラッシュ、剣王技【魂砕斬】を三発同時に放ちながら拡散させ、全方位に対して斬撃を浴びせる超高難度の大技だ。
剣王技だけに限らないが、技には単体を対象とした単発技と複数人を想定した【広域技】が存在する。たとえばアズマが使った風雲刃も広域技に属し、複数の相手を切り裂くことができる。その反面、当然ながら威力はかなり落ちる。簡単にいえば、単発の威力を分散したものとなるのだ。
この理屈でいけば、もともとの威力が強力であればあるほど広域技になっても強いことになる。魂砕斬は剣王技の中でも威力に優れる技で、これ単体の使い手はそれなりに多い。ただし、その技の広域技である四天王型となれば話は別である。
なにせソウルクラッシュと呼ばれるほどの、まさに魂を砕くほどの威力の斬撃が全方位に降り注ぐのだ。くらう相手は、もはや生きた心地すらしないであろう。
結果は見ての通りである。カノン砲台はあっという間にバラバラ。切り裂くというよりは剣圧に耐えきれず粉々である。もはや半ば捨て駒であったカノン砲台である。失ったところで十分役目は果たした。そう考えるからこそハブシェンメッツは冷静でいられた。
しかし、もう一つの事実に対しては少しばかり冷静ではいられない。
(あんなものは脅威でも何でもなかった、ってことかな)
ハブシェンメッツはボサボサの青い髪を引っ張る。重要な局面で思案する際の彼の癖である。
カノン砲台は少なくともユニサンやオロクカカ、無人機にとっては脅威であった。しかしながら上位バーンにとっては何の脅威でもなかったのだ。むしろ時間を稼ぐために、受けに回る口実として好都合だったのだろう。
目的の全容は解明されていないが彼らには時間が必要なのだ。こうして遠距離から攻撃されることは面倒ではあるも、これで時間が稼げるのならば彼らとしても悪くはなかった。
すでにケマラミアも来ている。ひたすら防御に徹するという策も悪い案ではないだろう。だが、それを自ら排除したのならば、そこには明確な意思表示が見てとれる。
「これ以上邪魔をするのならば、本気で潰す」
という強い警告である。
いや、すでに実力行使をしているのだから、ハブシェンメッツの身にも危険が間近に迫っていると考えてよいだろう。
相手の【狙いは本陣】。
ついに敵が攻勢に出たのである。
そしてナイト・オブ・ザ・バーンは残りのカノン砲台を無視して前進し、第一防衛ラインに突入する。ここを突破されれば、ハブシェンメッツが乗っている装甲指揮車ともそう距離はない。
「ブラックワンが止まりません! このままでは突破されます!」
間近に迫った脅威にアルザリ・ナムだけではなく周囲の下士官からも緊張が走る。ホウサンオーの殺気を受けて怖がるのは当然である。軍人であっても足がすくみ、恐怖で身体が震える。それほどまでにホウサンオーが見せたのは絶対的な力なのだ。
しかしである。
ハブシェンメッツには一つだけ断言できることがあった。
「戦争はね、数だよ。一人だけで相手を倒せるなんて絶対にできない。それができるのならば悪魔君は一人で戦っているさ」
いかに強力な個体であっても、所詮は駒の一つでしかない。駒一つだけでは戦いには勝てない。必ず限界がやってくるからだ。
「この車両を移動させる。指定の位置へ」
ハブシェンメッツが車両の移動を指示した。避難する。誰もがそう思ったに違いない。アルザリ・ナムもそう思った。
しかし、その指定された座標を見て誰もが驚愕する。
「風位、本気ですか?」
指定された座標は、ここよりも相手に近い場所。さらに前進した場所にあったのだ。この場所ですら流れ弾の危険があるというのに、さらにこの先に踏み込むなど自殺行為である。
「僕が逃げるために車に乗ったと思ったかい?」
「いえ、ルシア軍ならば当然の選択です!」
「はは、気丈に振る舞ったって現実は変わらないよ。現実を変えるのは実際の力だけだ。それに僕たちは職業軍人じゃないしね。死ぬ矜持なんて持たないほうがいい」
所詮、作戦立案を担当する行政府の人間である。指揮を執っている間は軍籍になれど、その根幹にあるのはやはり行政という国を維持するための役割なのだ。
だからこそ死に美徳など感じない。ゼルスセイバーズはあくまで武人であったが、ハブシェンメッツは違う。ここは大きな違いである。がしかし、軍人とは違った意味で腹をくくらねばならないこともある。
(悪魔君、君の覚悟は伝わったよ。ならば僕も受けて立つ。もちろん、君のようなヒーローになるつもりはないけれどね)
戦場に悪魔の痛みが走る。
その痛みは少しずつ多くの人間を感化していく。
ハブシェンメッツもまた、何かが覚醒していく感覚を覚えていた。
カノン砲台を攻撃していたバイパーネッドが突如進路を変更。西と東の第一防衛ラインに向かって走る。
(そこはまずい)
ハブシェンメッツの焦りはさらに強まる。南側の会議場方面はもともと防衛力が結集しているので強固だが、それ以外の場所を固めるには時間が足りなかったのだ。
防衛ラインの大半は一部の特殊車両を除き移動砲台によって成り立っている。そもそもアピュラトリス防衛の主力部隊であったダマスカス陸軍が壊滅した段階で戦力は相当落ちていた。
どんなに才能豊かな軍師であっても実際に手駒が動かねばすべては机上の空論。今あるものが現実的な采配であり、いかにハブシェンメッツとてこれが精一杯なのだ。
「移動中の敵MGに砲撃を。ただし二割だ。それ以上は割けない」
ハブシェンメッツはバイパーネッドに対して砲撃を指示。しかし割けるのは二割程度である。これを超えてしまえばアピュラトリスの敵MGを自由にしてしまう。
砲撃で足止めしているからこそホウサンオーたちは黙っているのだ。彼らもけっして遠距離攻撃を有していないわけではない。特にリビアルの砲撃は射程も長く威力もある。単体で戦艦の主砲にも匹敵するので、少しでも牽制の手を緩めれば反撃を開始するだろう。
ここで一番問題なのは彼らが【陣地】を広げることである。今の状況は、先手を取って相手を釘付けにしたからこそ得たもの。仮に相手が陣地を広げることに成功すれば今の戦法での鎮圧は非常に難しくなる。
しかも現在はまだサカトマーク・フィールドが展開されている。物理的にはどうあっても接触不可能な状態である。ならば彼らが一時的に塔から距離をあけても問題ないのだ。こうなると非常にまずい事態が発生する。
「ダマスカス軍の位置は?」
「現在、市街地郊外を移動中です」
この作戦の正否は敵MGの鎮圧だけにあるのではない。何よりもヘインシー・エクスペンサーの働きにかかっているのだ。
そして、肝心のヘインシーの場所はハブシェンメッツにはわからない。ダマスカス軍がこちらの指揮系統外で独自に動いているからだ。ダマスカス軍はルシア軍の砲撃が始まるのを確認したあと、様子を見ながらいくつか部隊を展開させていた。
(さて、どれが本物かな)
会議場から出た部隊は大小それぞれ一八にも及んでいる。構成は車両だけのものからハイカランのようなMG部隊までさまざまである。
当然他のものはダミーであり、本物はこの中のどれか一つである。しかし、どれにヘインシーが乗っているのかはわからない。敵が陣地を広げればそれだけダマスカス軍が危険に晒される恐れがあった。
「MG部隊を投入しますか?」
「いや、タイミングが悪い。相手に悟られる可能性がある」
まだ相手はこちらの狙いには気がついていない。過剰反応し、今まで温存しているMGをここで投入すれば最悪の場合は勘ぐられる可能性がある。
相手はアピュラトリスすら制圧できる者たちなのだ。どこで情報が漏れるかわかったものではない。ここで下手に駒を動かして作戦の肝を悟られるわけにはいかなかった。
そうしている間にもバイパーネッドの足は意外と速く、すでに市街地郊外に侵入する。今できることは防衛ラインからの砲撃で一機でも多く落とすことであった。
「マニュアルで砲撃開始だ」
「了解しました。マニュアルで迎撃開始します」
オートで放っていた砲撃を今度はマニュアル、人の手によって発射させる。郊外とはいえ市街地。オートで撃つわけにはいかない。
バイパーネッドに砲弾が迫る。使われているのは同じくG型徹甲貫通弾である。直撃すればバイパーネッドであってもダメージは大きい。
それがもし当たれば、の話であるが。
バイパーネッドは、まるでどこに砲弾が来るのか事前にわかっているかのように回避。すいすいと優雅に泳ぐ魚のように快適に道を進んでいく。
「素直すぎるな」
ゼッカーはデバイスを操りながら余裕の表情。それも仕方がない。今までは相手がオートででたらめに撃っていたので予測しづらかったのだ。たとえるならば、荒れ球の剛速球投手を相手にしていたようなものである。
一方、的確に制御されていたほうが打ちにくいように思えるが、実際はこちらのほうが打ちやすい。どんな剛速球でも来るコースが予測できるのならばタイミングを合わせることができるからだ。
さらにゼッカーには相手の意思がありありと【視える】。射手が狙った位置、呼吸の感覚まですべて把握できていた。これに地形・環境データが加われば、ほぼ百パーセントの確率で回避が可能となるだろう。
バイパーネッドは砲撃をすべてかいくぐり、市街地郊外を走り抜けて都市部の端に到達。そのまま進もうとした時、足下に違和感。対戦車地雷である。これもハブシェンメッツの指示で仕掛けられたトラップである。自分たちが使うルート以外にはこうした罠も用意してあったのだ。
が、所詮は急造である。数も多くなければ、よくよく見れば設置した痕跡もしっかりとわかる程度のもの。しかもゼッカーの技量とバイパーネッドの反応があればこんなこともできる。
バイパーネッドは地雷から足が離れる瞬間にソードで地面を抉り取り、地雷を宙に投げ捨てる。直後、爆発。地雷は指向性のものなので起爆側が向いていなければ被害はない。
これの理屈は簡単。単純に爆発までの一瞬の時間を使って素早く地雷を撤去しただけ。しかし、これをまったく速度を落とすことなく走りながらやったのだ。ゼッカーも地雷があると知っていたわけではない。踏んだわずかな瞬間に分析と判断を終え、即座に実行に移したのである。
これにはハブシェンメッツも舌を巻く。
「なんてこった。今までのデータとは桁が違う」
正直、一瞬残像が見えた程度で、スロー再生しなければ何をしたのかもわからなかったに違いない。ゼルスセイバーズが得た情報および、今現在砲撃で確かめたバイパーネッドのスペックとは明らかに異なっていた。
「この先にはまだ民間人がいます! 住民の待避は終わっていません!」
アルザリ・ナムの言葉にも今まで以上の緊迫感が宿る。敵が市街地に移動を開始した場合に備えて対策は考えていた。地雷もその一つである。
しかし、いかにハブシェンメッツとはいえ時間が足りなさすぎる。せめてこの作戦に一日、いや一晩でも時間がもらえればあらゆる状況に備えて手が打てたのだ。
しかもここは他国である。ダマスカスの主権をできる限り尊重しなければならない。すべてが自由にならない環境なのである。ただし、仮にハブシェンメッツが万全の対策を練っていても今のバイパーネッドを止められたかは怪しいところである。
【ジーバ・ラピスラズリ〈金迦の再臨〉】。
それがゼッカーの左手に宿っているジュエルの名である。
ゼッカーは特異能力者であり、通常一人一つしか発動できないジュエルを最大三つまで同時に発動させることができる。これは非常に特異な能力で、今までの人類史においても彼以外には存在しない恐るべき力である。
ジーバ・ラピスラズリについて説明する前に、ジュエルの種類について改めて簡単に説明しておこう。
ジュエルには大きく分けて三つのタイプが存在する。
一つ目は特別な力を【付与】するタイプのもの。扱う当人が持っていないスキルを与えるタイプのもので、ジュエル単体がその能力を発揮する。
術の素養がないうえにまったく勉強していない人間でも、そのジュエルと適合すれば特定の術が発動する便利なものである。これはお守りや護符としての効果があるので、簡単な効果の石ならば露店にもよく売られている。いわゆる一般的なパワーストーンとしての効果である。
安物かつ効果が疑わしい偽物が出回ることも多いが、本物の効果を持つものは店で売っているものでも実際に守護の力を持つので侮りがたい(鑑定書付きのものを買ったほうが安心)。何もしないで力を得ることができるので、もっともポピュラーでもっとも人気があるジュエルがこれである。
一般人でもジュエルを扱えるのかと疑問を抱くかもしれないが要するに【適合率】の問題である。
ジュエルはジュエリストしか使えないというのは思い込みである。彼らはより適合率が高い存在で、最低でも適合率が五十パーセント以上の人間がそう呼ばれるにすぎない。
ただし、ジュエリストと呼ばれるには、認定Aクラス以上の質の高いジュエルの力を引き出せる者に限られるので、やはりその名前は大きなステータスである。
能力にもよるがジュエリストであるだけで各国政府では要職に就くことが可能なほど引く手あまたであるので、一般人が扱えるのはせいぜいお守り程度であると認識してかまわない。
二つ目は、【強化】タイプのジュエルである。自己が持っている能力を強化してくれるもので、目や耳の良い人間がさらに良くなったり、足をさらに速くしたりというものである。
もとから身体能力の強い戦士がさらに強化したり、身体の弱い剣士や貧弱な術者が弱点を消すために使うなど、あって困ることはないものが多い。
ゼッカーが愛用しているタイガーアイがこれに該当し、剣士である彼でも強力な素手での攻撃を繰り出すことを可能としてくれる。腕力も何倍にもなるので非常に重宝するジュエルだ。当然ゼッカーが使うものは最高品質のものなので一般のものよりも強力である。
その反面、普段使わない能力を強化すると消耗が激しく、過信するとあとで疲労と筋肉痛で動けなくなることもある。酷いと筋肉や神経が断裂したり、最悪は死ぬ場合もあるので石選びは慎重に行わねばならない。
強化タイプは強力なものと弱いものの差がかなりはっきり出るので、良質な石は稀少で市場でも値段が高い傾向にある。現在はジュエルを使った医療研究が進められており、半身不随の患者や欠損した部位の補完、能力が低下する高齢者などの補助など、需要は増えている。
最後が、【覚醒】タイプのジュエルである。
人間には無限の可能性がある。人生の苦労の意味は、その可能性を少しでも引き出すために用意された刺激、カンフル剤のようなものである。そしてこのタイプのジュエルは、眠っていた潜在能力を引き出すことができるのである。
引き出すことができる能力は石によってまさに千差万別。強力なものもあればごくごく効果の薄い石もあり、発掘量としては一つ目の付与タイプに次ぐ多さである。その効用から付与タイプの石と混同されやすく、鑑定士によっては間違ってお守りとして店に陳列されてしまうこともある。
ただし、この石は非常に危険な側面を持つ。
そもそも潜在能力とは、少しずつ開発していくものである。少し開発してはまた眠っているものを発見し、それを克服していく過程でまた違うものを見つけ、バランスを取りながら全体を強化していく。
まず話すために言語を学び、使っていく中で本が読めないと困ったので文字を学び、挿絵の意味がわからないので絵と文化を学ぶ、といった具合である。これが永遠と繰り返されて人間は永遠の進化を遂げていくのだ。ゆっくりと着実に体得するから価値が出る。
一方、強制的に覚醒させるこのタイプの石は、強力であればあるほど身の危険が大きい。(普段使われていない領域の)聴覚機能を覚醒させる石を使った女性は、急激な覚醒に耐えきれずに聴力が暴走。一生消えない耳鳴りに苦しみ続ける。
霊視能力を覚醒させる石を使った僧侶は、同じく石の力に負けてしまい幻覚に苦しむ。生きている間はもちろんのこと、死後も霊体に後遺症が出て修復に何百年もかかったという。
このように何につけても急激な変化とは危険なのである。突如悟りを開いても、結局身につけるための鍛錬が足りなければ逆効果になるのが世の常である。
いつの世も師は弟子に焦らないように忠告を与える。羽尾火がオンギョウジを諭したように、自然には自然のリズムが存在するのである。かといって、こうしたもので能力を覚醒させるのが絶対に悪いということではない。これはこれで有用な使い方がある。
この石の本来の使い方は、急激な進歩ではなく【能力の開発】に使うのがベストなのである。
石の力を少しずつ浸透させながら、特定の能力の開発を目指し、【補助】として使うほうが安全である。こうして引き出された能力は自分のものとなるので、いつかはジュエルなしでも自在に操れるようになるだろう。これこそ覚醒タイプの醍醐味である。
もし何一つリスクを負いたくないのならば、最初の二つのタイプの石を使ったほうがよいだろう。
付与タイプならば自己に負担はかからない。石が磨耗して壊れる可能性も高いが、自分が壊れてしまうよりは良い。強化タイプも効果の具合を確かめて自分で制御すれば身を滅ぼすことにはなりにくい。腱が切れる前に肉離れが起きて、その段階で戒めるだろう。
しかし、それでもなお言わせてもらえば【覚醒タイプが最強】である。
その人間の成長度によって限界があるだけで、人が持つ力は無限なのである。だからこそ無限に成長できるのだ。一時的にせよその無限の可能性を表現できるのだから覚醒タイプが持つ力の底知れなさがうかがい知れる。
そして、ゼッカーの額に宿っているテラジュエル【バルス・クォーツ〈星の記憶〉】は、現存している覚醒タイプのジュエルの中で間違いなく最高位のものである。
これを発動させている間、ゼッカーの意識レベルは人間を超えたものとなり、すべての物事を一瞬で把握できるようになる。理解力の解放による卓越した直観の覚醒によって、言葉よりも思念よりも早く世界を一望できる。意識レベルの向上によりまさに星の記憶とリンクするのである。
その可能性は無限。ゼッカーが若くしてこれほどの才覚を覚醒させたのはバルス・クォーツの影響も大きいだろう。ただし、このジュエルは非常に純粋で繊細なので負の想念を溜めやすく、相手のジュエルの干渉を受けやすいデメリットがある。
ガネリア動乱では、クォーツより遙かにレベルの低いアグマロアを扱う八僧侶に精神汚染をくらい相当なダメージを負った。ゼッカー自身がジュエルの統御を完璧にしないと最強がゆえに諸刃の剣になる力である。
そしてジーバ・ラピスラズリ〈金迦の再臨〉も覚醒タイプのジュエルである。
大まかな分類では、このジュエルもバルス・クォーツと同系統のものとされている。クォーツと比べて全体的な能力は遙かに劣るが特に感覚能力の覚醒では他を圧倒している。
このジュエルを使っている間、ゼッカーの感覚は広がっていき、デバイスの補助があればこれほど離れた位置にあるバイパーネッドすら完全支配できる。
これはオロクカカが使っている戦糸強化の技と似ているが、その高い純度と糸を必要としない点で数段優れている。さらにラピスラズリ自体に強い守護の力があるので汚染の心配もない。単体で非常に強力な石なのである。
このジュエルはジュエル管理協会の審査を受けていないので正確なランクはわからないが、ゼッカーの見立てではテラジュエルと同レベルの石であると確信している。
その石が、バルス・クォーツの統御を受けてさらに性能を強化されている。より高位のジュエルは下位のジュエルに対して支配権を持つのである。それによって今走っているバイパーネッド十機すべてがゼッカーそのものと同じになっているのである。
もしバイパーネッドにゼッカーが乗っていたら?
そんな恐ろしい想像をしてみるとよいだろう。武人として超一流の人間でありパイロットとしても一流の人間があの殺戮マシンに乗るのならば、オロクカカの強化されたバイパーネッドであってもまさに玩具に見えるだろう。
ゼッカーのバイパーネッドはそのまま全速力で市街地に突入。
およそ二キロ先に待避中の車両を見つける。その緩慢な避難の様子は身の危険が迫っているとは到底思えないものであった。まずダマスカス国内で訓練以外の戦闘が行われることはない。訓練もこんな都会では行わないので一般人が戦車を見ることすら稀である。
だから仕方がないのだ。
そんな彼らが犠牲になるのが戦い。
戦争なのだから。
ためらうことなくバイパーネッドは乗用車の群れにツインキヤノンの照準を合わせる。
「私自らが手を下すのが筋だろう」
英雄であった頃、ゼッカーは弱き者を助けるために力を使ってきた。迷い激しく葛藤しながらも理想のために剣を振るってきた。強者に戦いを挑む構図は変わっていないが、一つだけ決定的に違うことがある。
今この瞬間から、全世界に火が燃え広がるのだ。
このダマスカスという地から。
そのために憎しみという感情が必要となる。そして傲慢を知るといい。システムに翻弄され、あまつさえ腐らせてきた愚かで哀れな者たちよ。その罪はあなたたちにも等しくあるのだ。
あなたたちは今まで何をしてきたのだろう。ただ自分が過ごすことに必死で、自分たちが蓄えることしか考えなかった者たちよ。その力、その富は誰のものなのか。他者から、他国から奪い、システムを支持してしまった者たちよ。
ああ、あなたたちは怖いのだ。
自分が失うことが。相手に奪われることが。
その【恐怖】を今、悪魔が解き放ってくれるでしょう。
砲弾が発射。
その軌跡を止められる者は誰一人として存在しなかった。名誉というべきか不幸というべきか、適切な言葉が見つからないが、最初に犠牲になったのは【母と子】であった。
父親は会社に行っており、今日は首都の学校も休みなので母親と子供は家にいた。そこに避難勧告が報じられる。このエリアは国家の中枢機関に近いエリア。高級住宅地はもう少し外側に入ったエリアなので、ここに住んでいる者たちは中流階級の人間である。彼女たちもいわゆる【普通の家庭】であった。
母親は面倒だと思いながらも仕方なく車で避難を開始した。こうした避難中は空き巣がよく出ると聞いていたので、先日買った宝石が心配だ。もしくは電化製品を盗られるかもしれない。頭の中はそんなどうでもよいことで一杯であった。
否、彼女にしてみれば大きなことなのだ。
誰しも世界を主観で見ることしかできないのだから、これも致し方ないことである。これが普通の一般人の感覚。何気ない日々を生きる者の普通の人生である。
だが、その普通という言葉は誰が作ったのだろうか。この者たちには普通である暮らしは、ユニサンたちの普通に比べれば天国と地獄との差がある。
彼女たちに非はないのかもしれない。おそらくないのだろう。知らなくても罪とは言えない。それでも【虐げる側にいる彼女たち】が犠牲になったことは因果関係の上では正しいのか。
砲弾は美しい軌跡を描きながら、正確に車の後部に直撃。
MGの砲弾が一般車両に当たったらどうなるのか。まさに映画のワンシーンのごとく簡単に吹っ飛ぶ。吹っ飛ぶなど生ぬるい表現である。もはや粉々。跡形も残らないほどに粉々。
対MG用に調整された砲弾の威力は戦車を上回る。MGが通常の兵器と違うのは、乗る武人の戦気を威力に還元できる点である。
ジーバ・ラピスラズリの最大の能力は、距離や時間に関係なく感応できる点である。このバイパーネッドの弾丸にはゼッカーの意思と戦気も乗っているのだ。
その威力は並のものでない。ロケットエンジン搭載車の衝突実験を見たことがあるだろうか。まさにあのシーンのごとく、木っ端みじんである。
砲弾の威力はそれだけにとどまらず、次の車両も吹き飛ばし着弾。その衝撃で周囲の人間およそ数十人が弾け飛んだ。
道路が陥没し、スープのように血が溜まる。今破壊された人間から出たものだ。といっても、ちぎれた足と腕がぽつんと残っており、そこからしたたり落ちたものであるが。
今まさにそこにあった平和が暴力によって破壊された瞬間であった。
ああ、悪魔となったのだ。
信じたくなかった。信じてしまえばあの頃を思い出してしまうから。人々の英雄であった彼であったことを懐かしんでしまうから。
しかしこの瞬間、映像を見ていたヨシュア・ローゲンハイムの中に宿った感情は、とても冷たいものであった。
(裏切り。これは裏切りだ)
怒りよりも冷たい軽蔑に似た感情。脳裏に浮かぶのは太陽の心を持った一人の少女の姿。彼の行為は、彼が愛した女性が求めたこととまさに正反対のものである。
一般人を手にかけた瞬間、もはや正義はなくなったのだ。否。彼は悪魔となったのだから正義を主張する必要はまったくないのだ。彼が求める結果を出すためだけに事を行えばよいのだから。
そして、それはヨシュアにも強い後悔の念を呼び起こさせる。
(これは我々の罪でもある。あの時に止めることができていれば…)
どうしてこうなってしまったのか。あの時に止めていれば…と思うしかこの痛みを止める術はないのだろうか。どちらにせよ始まってしまった。どうあがいても、もはや止めることはできない。
「……」
ゼッカーは静かにその光景を感じ取っていた。その場で見るよりも鮮明に何が起こったかをラピスラズリの力で知る。
「母親と…子供か」
ゼッカーも数多くの人間を殺してきた。怒りにまかせて殺したこともある。残虐な手段をもって殺したこともある。しかし、無関係な者を殺したことはない。彼が殺してきたのはあくまで責任ある立場の人間。腐ってどうしようもない人間たち。
それが彼にとっての誇りでもあったのだ。自分が闇の世界を生きる人間だと知りながらも、最後の最後でとどまっていた人としての境界線である。もしその境目を超えてしまえば、自分はただの殺人鬼になってしまうのだと理性は知っていたからだ。
その枷が外れた。
しかも最初に犠牲になったのは母子。ゼッカーがこの道に入ったきっかけとなった母親という存在を自らの手で殺してしまった。
「これも罰かな」
ゼッカーの言葉は独り言のようであった。唯一の救いは子供も一緒に死んだことだろうか。母親を失った子供が生きていくにはつらい世の中である。されど父親はどうか。彼は嘆き悲しみ、怒るだろう。それともあまりのショックに自我を失うのだろうか。
憎しみ。そうだ。憎しみの炎が灯されたのだ。
けっして簡単には消えない火。真っ白で薄い紙だからこそよく燃え、よく広がる。
おそらくダマスカスの人間は、なぜ自分たちが攻撃されるのか理解できないだろう。薄っぺらなのだ。理解ができない。理解しようとしない。彼らが安穏という自己の殻に閉じこもるのならば、他の人間もまた閉じこもる権利を持つことになる。
他の国の惨事が他人事と思った時、いざそれが自己に降りかかる時もまた、誰かの他人事とされてしまうのだから。
(ゼッカー…)
フレイマンはゼッカーの変わらぬ表情を見ながらも、その心に宿された【痛み】を感じ取っていた。
悪魔は人を殺すことにためらいがない?
誰がそんなことを言ったのだろうか。
悪魔は痛みを感じない?
馬鹿な。そんなものは悪魔ではない。
悪魔とは、【人間】のことである。
痛みを知り、哀しみを知るから人は悪魔となりえるのだ。むしろゼッカー・フランツェンという男は、人間としてのあらゆる性質を持ち合わせている。
普通の人間よりよく悩み、よく失望する。
普通の人間より感受性が高く、俗事に鈍感である。
普通の人間より憎しみ、そして多くを深く愛する。
だから悪魔になれたのだ。
【悪魔の代理人】と本物の悪魔の違いは【愛】を知るか否かである。ゼッカーは人を愛している。同時に憎んでもいる。失望もしている。それでも信じている。
悪魔は、この世界で一番人間を愛した存在である。
愛して愛して、愛しすぎたからこそ、その手を穢す覚悟を決めたのだ。
彼らを救うために。彼らの未来を潰さないために。
だから痛いのだ。苦しいのだ。
愛する者を無惨に奪われる痛みがわからないで、何が人間か! 何が悪魔であるのか!!
他人の痛みがわからないで、何が英雄か!
愛した者とともに理想を求め、弱者のために戦った彼だからこその強烈な痛み。悩み、苦しみ、叫んできたのだ。何度も何度も、心の底から。その中でこの苦しみは最大のもの。愛した彼女を失うのと何の遜色もない圧倒的な痛みであった。
この痛みが、この恐れが彼を強くする。悪魔は自らの手で血を吸うことによって無限に強くなるのだ。これがファンファーレ。悪魔が最凶の悪魔となっていく狼煙であった。
「これは…ゼッカーか」
その痛みの波動はガガーランドたちにも届いていた。バーンである彼らにはゼッカーの痛みが伝わってくる。
「くく…ふふふ。痛いな。痛いぞ! ゼッカー!」
ガガーランドが心の痛みを感じる。
それはゼッカーが感じている【良心の呵責】である。
人間には正しい行いと悪い行いを区別するためのセンサーが魂に内蔵されている。神性たるマリスの光は、これによって善悪を見分ける能力を子供たちに与えているのである。
それが痛む。当たり前だ。殺して痛くない人間など、この世界にはいない。残虐な人間はいれど、その魂が女神の光によって生まれている以上、必ずセンサーは働き、良心の呵責が生まれる。
しかしながら、ガガーランドにはそれがない。生まれもって鬼であった彼は【欠けた魂】を持つ存在。ある意味においては人間の失敗作であったのだ。だからこの痛みを自分で感じることはできない。こうしてゼッカーに与えられて初めて感じることができるのだ。
「そうだ。これが痛み! オレの痛みだぁあああ! これが愛なのか、ゼッカーぁあああああああああああ!!」
痛みに悶えて戦気が燃える。今まで感じたことがないレベルの痛みである。今ゼッカーが感じている痛みは、愛する者を殺した時と同じ痛みなのだ。想像を絶するのは当たり前である。
そして、それこそがガガーランドが欲するもの。自分の心が切り刻まれる痛み。溢れる愛情。それがガガーランドを焦がしていく。
「ああ、主よ。あなた様の哀しみ、痛み、恐れ、すべてが私たちに降り注ぎます。愛のため、このすべてを捧げましょう」
オロクカカは全身が打ち震え、高揚していくのを感じている。主の痛みを感じると哀しくて涙すら出る。人を愛して愛しすぎた男が感じる痛みは、その程度もまた最上級である。
だから刺激的。何をやっても人を魅了してしまう。泣いても笑っても、怒っても、そのすべてが人間としてあまりに美しいのだ。
「惜しいのぉ…」
ホウサンオーはゼッカーの痛みを感じながら、悪魔が持つ英雄の資質に思わず嘆息する。もしゼッカーという男が英雄として立ち上がるならば、間違いなく光の正道を歩む存在となっただろう。
このような痛みを自ら生まなくてもよい、誰からも尊敬される人間になれたに違いない。しかし、それもまた裏表。光の道だけでは進化は成り立たないのである。影と闇があってこそ光は映える。炎があってこそ水が生きるのである。
「さて、ワシらもゼッカー君にだけ痛みを味わわせては悪い。そろそろ防戦一方もうんざりじゃな」
ナイト・オブ・ザ・バーンがケマラミアの前に出て、さらにどんどん進んでいく。砲弾はケマラミアが防いでいるが、これ以上進むと加護もなくなってしまう。それでも彼は止まらない。
「ホウサンオー、やるの? あまり無理をしないほうがいいと思うけど」
ケマラミアにはこれからホウサンオーが何をするのかわかっていた。顔を見ずとも気配でわかる。悪魔の痛みが起こしてはいけないものまで起こしてしまったのだ。
「ケマラミア君にかかれば何でもお見通しじゃな」
「君たちは不思議だね。どうして痛みを求めるのだろう。嫌ならやらなければいいのに」
人間は自ら神の摂理に背いて痛みを受ける。ケマラミアからすれば、まったくもって不思議である。
実は人間はもう無知ではない。何が良くて悪いかを知っている。人を殺せば殺される危険を負う。痛みを与えれば与えられても仕方ない。自然を破壊すれば自然は人間に災害を与える。
しかし、それでも人間はやめない。
悪いとわかっていてもやめられない。その姿はまるで【中毒者】である。まるで自ら痛みを求めているような廃人にすら見える。そんな【精霊側の意見】に対して、ホウサンオーは【人間側としての意見】を述べるしかない。
「君たちから見れば哀れに見えるじゃろうな。じゃがね、それでもいつかは成熟するものだよ」
それが女神の子としての宿命。どんな痛みを背負っても生き続けねばならない。今はまだ目が見えなくても、痛みに悶えるだけの存在でも、この先には必ず未来がある。人の進化、人が本当の意味で愛することを知る日が必ずやってくる。
そう信じるからこそ、ホウサンオーは剣を持つのだ。
「人間は愚かだね…。でも、不思議とボクは君たちが好きだよ」
ケマラミアの言葉が風の中に消えると同時にナイト・オブ・ザ・バーンはいまだ降り注ぐ砲弾の雨の中を全速力で駆ける。
砲弾に対して止水は使えない。機械制御のオートなので惑わされるということはないからだ。しかし一方で、そこには意思が宿っていない。所詮はただの砲弾にすぎないのだ。
そんなものがタオが生みだし、ホウサンオーが操るナイト・オブ・ザ・バーンに有効打を与えることなどできはしない。当たりそうなコースの砲弾は剣衝で切り裂き、危険ならば剣気壁ではね飛ばす。ゼッカーが操るバイパーネッドと同じく、それらは速度を落とすことなく遂行されていく。
「困ったな…」
ハブシェンメッツはナイト・オブ・ザ・バーンが動いたことに苦渋の顔である。
カノン砲台が万全ならば動きを制限できていたかもしれないが、すでに防衛ラインの砲台は機能を半減させている。この程度の砲弾であの特機を止めることはできないらしい。
そして難なくカノン砲台に接近したナイト・オブ・ザ・バーンが刀を高々と掲げる。伸ばした刃はおよそ五十メートル。剣硬気である。その長さは最大出力の十分の一程度。今回はこれで十分な間合い。
「久しぶりじゃからな。上手くいくかどうか」
ナイト・オブ・ザ・バーンが掲げた刀、マゴノテを中心に振動が発生する。集まった剣気のあまりの量と質量に周囲の気圧が変化しているのだ。
見えない空気の刃が幾重にも集まった時、ホウサンオーが刀を振るう。その姿はまさに芸術。剣気を集める瞬間から刀を振り終えるまで、すべてが剣舞のようであり、神聖な儀式を執り行う祭司のようでもある。
最初は何をしたのか誰もわからなかった。しかし一秒後、防衛ラインに設置されていた数百のカノン砲台が一瞬で消失。ほぼ全方位を描くように放たれた刃が車両を含めたすべてを切り裂いたのだ。
S級剣王技、T・S・S。トリプルソウルクラッシュ四天王型と呼ばれる技である。通常のソウルクラッシュ、剣王技【魂砕斬】を三発同時に放ちながら拡散させ、全方位に対して斬撃を浴びせる超高難度の大技だ。
剣王技だけに限らないが、技には単体を対象とした単発技と複数人を想定した【広域技】が存在する。たとえばアズマが使った風雲刃も広域技に属し、複数の相手を切り裂くことができる。その反面、当然ながら威力はかなり落ちる。簡単にいえば、単発の威力を分散したものとなるのだ。
この理屈でいけば、もともとの威力が強力であればあるほど広域技になっても強いことになる。魂砕斬は剣王技の中でも威力に優れる技で、これ単体の使い手はそれなりに多い。ただし、その技の広域技である四天王型となれば話は別である。
なにせソウルクラッシュと呼ばれるほどの、まさに魂を砕くほどの威力の斬撃が全方位に降り注ぐのだ。くらう相手は、もはや生きた心地すらしないであろう。
結果は見ての通りである。カノン砲台はあっという間にバラバラ。切り裂くというよりは剣圧に耐えきれず粉々である。もはや半ば捨て駒であったカノン砲台である。失ったところで十分役目は果たした。そう考えるからこそハブシェンメッツは冷静でいられた。
しかし、もう一つの事実に対しては少しばかり冷静ではいられない。
(あんなものは脅威でも何でもなかった、ってことかな)
ハブシェンメッツはボサボサの青い髪を引っ張る。重要な局面で思案する際の彼の癖である。
カノン砲台は少なくともユニサンやオロクカカ、無人機にとっては脅威であった。しかしながら上位バーンにとっては何の脅威でもなかったのだ。むしろ時間を稼ぐために、受けに回る口実として好都合だったのだろう。
目的の全容は解明されていないが彼らには時間が必要なのだ。こうして遠距離から攻撃されることは面倒ではあるも、これで時間が稼げるのならば彼らとしても悪くはなかった。
すでにケマラミアも来ている。ひたすら防御に徹するという策も悪い案ではないだろう。だが、それを自ら排除したのならば、そこには明確な意思表示が見てとれる。
「これ以上邪魔をするのならば、本気で潰す」
という強い警告である。
いや、すでに実力行使をしているのだから、ハブシェンメッツの身にも危険が間近に迫っていると考えてよいだろう。
相手の【狙いは本陣】。
ついに敵が攻勢に出たのである。
そしてナイト・オブ・ザ・バーンは残りのカノン砲台を無視して前進し、第一防衛ラインに突入する。ここを突破されれば、ハブシェンメッツが乗っている装甲指揮車ともそう距離はない。
「ブラックワンが止まりません! このままでは突破されます!」
間近に迫った脅威にアルザリ・ナムだけではなく周囲の下士官からも緊張が走る。ホウサンオーの殺気を受けて怖がるのは当然である。軍人であっても足がすくみ、恐怖で身体が震える。それほどまでにホウサンオーが見せたのは絶対的な力なのだ。
しかしである。
ハブシェンメッツには一つだけ断言できることがあった。
「戦争はね、数だよ。一人だけで相手を倒せるなんて絶対にできない。それができるのならば悪魔君は一人で戦っているさ」
いかに強力な個体であっても、所詮は駒の一つでしかない。駒一つだけでは戦いには勝てない。必ず限界がやってくるからだ。
「この車両を移動させる。指定の位置へ」
ハブシェンメッツが車両の移動を指示した。避難する。誰もがそう思ったに違いない。アルザリ・ナムもそう思った。
しかし、その指定された座標を見て誰もが驚愕する。
「風位、本気ですか?」
指定された座標は、ここよりも相手に近い場所。さらに前進した場所にあったのだ。この場所ですら流れ弾の危険があるというのに、さらにこの先に踏み込むなど自殺行為である。
「僕が逃げるために車に乗ったと思ったかい?」
「いえ、ルシア軍ならば当然の選択です!」
「はは、気丈に振る舞ったって現実は変わらないよ。現実を変えるのは実際の力だけだ。それに僕たちは職業軍人じゃないしね。死ぬ矜持なんて持たないほうがいい」
所詮、作戦立案を担当する行政府の人間である。指揮を執っている間は軍籍になれど、その根幹にあるのはやはり行政という国を維持するための役割なのだ。
だからこそ死に美徳など感じない。ゼルスセイバーズはあくまで武人であったが、ハブシェンメッツは違う。ここは大きな違いである。がしかし、軍人とは違った意味で腹をくくらねばならないこともある。
(悪魔君、君の覚悟は伝わったよ。ならば僕も受けて立つ。もちろん、君のようなヒーローになるつもりはないけれどね)
戦場に悪魔の痛みが走る。
その痛みは少しずつ多くの人間を感化していく。
ハブシェンメッツもまた、何かが覚醒していく感覚を覚えていた。
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