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零章 第一部『富を破壊する者』
十八話 「RD事変 其の十七 『反作用の兆候』」
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オンギョウジが最上階に到達した頃、ユニサンも一階に到達していた。
地下の監視のために後方にロキN5を配置した以外は他のロキも合流している。アズマとの戦いでN8を失い、他のロキにも損傷があるが結果は上々であるといえた。
「上の状況は?」
「オンギョウジ様はエレベーターで最上階に到達。その他の階層ではすでに大部分の制圧が完了しております」
ユニサンが尋ねるとマレンからの回答が即座に届く。
オンギョウジが一階に到達した段階で、マレンはアピュラトリス内部の一部を除いた全エリアに対して神経ガスを注入した。
まだ外部からの接触がありうる状況なので、連絡を担当する部署だけは残してあるが、それ以外はほぼすべての人間が眠りについているか隔離されているはずである。
ただ、マレンも万能ではない。どうしても死角が生まれる。
まずマレンは、現在百九階層にダイブしているルイセ・コノのバックアップを行わねばならない。基本的には彼女が勝手に進むのだが、サポートできる範囲まではマレンも援助している。
たとえれば、密林をブルドーザーで強引に突き進む彼女の後ろから、マレンが道として舗装をしている感覚である。やらなくてもいいが、やったほうが帰る際には楽である。ルイセ・コノは最重要人物の一人なので、彼女の援護は重要な仕事である。
次に、アピュラトリス内部に視点を合わせねばならない。外に展開している軍に悟られず、さらに内部の人間も監視しつつ、サカトマーク・フィールド発動に向けてひっそりと陰から作業をこなしながら、ユニサンたちのバックアップも同時に行う。
これは勉強をしながらテレビを見て雑談し、同時にゲームをするようなものである。同時にやることはできるが、やはり一つに集中してこそ多大な成果を挙げることができるものだ。
しかも擬似オリハルコンに接触できるのは一人だけなので、これをすべてマレンが単独で行わねばならない。こうした事情もあり、さすがのマレンも精神的にかなり疲弊していた。
よって、こうしたタイミングで【問題】が発生したのは致し方のないことであったのかもしれない。
「ただ現在、一部のブロックへのアクセスが遮断されております。そこの調査をお願いしたいのです」
マレンはユニサンに異常の調査を依頼する。
警備装置を総動員した直後に、マレンの制御から外れたエリアがある。制圧するうえで直接的には関係ないエリアかもしれないが、マレンにはどうしても気になった。
ヘインシーを含めた【この種】の人間は変わった性向を持つことが多く、マレンもまたその一人であった。
彼は【異常】に対してとても敏感である。日々のルーチンワークをとても大切にし、日課も完璧にこなさないと気が済まないような人間だ。朝起きた時にも、いつも決まった体勢でないと心配になるような青年なのだ。
だからこそ違和感に対しては神経質になる。軽度の違和感も原因を突き止め、その対処と予防策を練らねば嫌なのだ。
「これだけの大きな塔だ。多少は仕方ない部分もあるだろう。すでにオンギョウジも最上階なのだ。大きな障害ではなかろう?」
武人のユニサンにとって、マレンたちがどれだけすごいことをしているかは理解できない。それでも素人が専門家の論文を見たときのような「何かすごいことをしているのだろう」くらいはわかる。
それだけのことをしているのだから、大きな障害でなければ多少のイレギュラーくらいあってもかまわない。ユニサンはそう思っている。
が、マレンは違う。
「非常に重要な問題です。これでは完璧に第三ステージに移行できるか心配です」
オンギョウジに対しては余計な心配をかけて重荷にしたくなかったので本音を言わなかったが、この問題はマレンにとって非常に不愉快であった。
違和感がある。それ自体が彼には気に入らないのだ。それがアナイスメルの未知の領域ならばまだしも、すでに掌握している部分で起こったのが気に入らない。
普段は意識せずに動かせる人差し指の感覚が急に遮断されたら、たとえそれが指を使わないジョギングの最中であっても気になるはずだ。彼はそう主張しているのだ。
「サカトマーク・フィールドを展開するまでの間でかまいませんので、ぜひ調べてください」
マレンの声には、お願いどころでは済まない強制力が含まれていた。立場上はユニサンのほうが上なのだが、だからこそけっして譲らないという強い意思を感じさせる。
(やれやれ、これだから【そっち側】の人間は苦手なのだ)
ユニサンは、自分が武人であったことを違う意味で良かったと思っている。
武人は単純である。殴りあい斬りあい、勝った負けたで白黒決着がつく。特にユニサンは結果が伴えば過程はさほど気にしない性格だ。そういう人間にとっては、マレンのようにこだわる人間は苦手である。なまじ優秀がゆえにさらに厄介だ。
「第三ステージへの移行はどうする? 俺たちの誰かは外に出なければならないぞ」
「異常のあるブロックは入り口付近なのです。向かう途中に立ち寄ってくださればけっこうです」
「わかった。調査してみよう。ただ、時間がなくなればすぐに離脱する」
「それで問題ありません」
どのみち外には敵の部隊が大勢陣取っている。塔を出るのはサカトマーク・フィールドが展開する直前でなければ危険も多い。それまでは時間があるのも間違いない。
ユニサンとロキたちはマレンの指示で六階に到達。
(見た目での異常はないな。このあたりは大丈夫そうだが)
ユニサンが気配を探るも、六階に上がった直後には異常は感じられなかった。探ったのは主に闘争の痕跡である。少なくともこの周辺で戦闘が行われた形跡はない。
「N5はここで後方の監視。N6、N7は東エリア、N9は西エリア。俺は中央エリアを調べる。マレンから合図があったら各自の判断で塔を脱出してかまわん」
ユニサンはロキに指示を出してエリアの調査に向かう。どのみちここまでは予定されていた移動ルートである。内部の制圧が終わった以上、もうユニサンたちがここに留まる必要はない。
強いて言えば、オンギョウジたちを追撃する兵がいれば食い止める程度であるが、すでに最上階に到達したのでその必要もないだろう。エレベーターもマレンによって現在はすべて停止されている。
あとはオンギョウジが【仕事】を終え、ユニサンたちがフィールド展開と同時に外部に出れば次のステージが始まる。
ロキと分かれたユニサンは、走りながら周囲の様子をうかがっていた。といっても大部分は隔壁が下りていて余計なルートが遮断されているので、道なりに進みながら引き続き気配を探るくらいしかできない。
もともと人間のいないエリアなので非常に静かである。音楽でもあれば気は紛れるのだろうが、実に単調で地味な作業だ。探知や探索には縁遠い戦士タイプであるユニサンには、なかなか難儀である。
(第三ステージは激戦となろうな)
ユニサンは次のステージが、この第二ステージが霞んでしまうほどの激戦となることをすでに知っていた。
当然ながら外にはダマスカス陸軍がいる。油断しているとはいえ、MG部隊を含めた二万近い軍勢なのだ。この人数で立ち向かえる相手ではない。
もちろんユニサンたちも、そんなことはわかっている。そのための第二ステージなのだ。準備さえ整えれば十分勝機はある戦いである。
何よりユニサンは【捨て駒】でしかない。所詮バーンにもなりきれなかった半端者、すでに時代から取り残された人間である。
ゆえに次のステージからが、ラーバーンの本当の戦いである。そこで【正規軍】として現れる者たちこそ真のバーンたちなのだ。自分とは比べものにならない存在である。
(あの御方たちのために道を作る。なんと光栄なことか)
ユニサンは、自分が捨て駒になれることに感動を覚えていた。それだけの存在が後ろに控えていることに安堵さえするのだ。
自分の仕事の八割は終わった。あとは残りの寿命が尽きるまで戦うだけのこと。今はそういうさっぱりとした心境である。
(妙に落ち着いているな)
アズマとの戦いですべてを出しきったのだ。憎しみも断たれた今のユニサンに心残りはない。不思議なことに、残ったのは武人としての誇りと性分だけであった。
純粋に戦士としての闘争本能と向上心。武に対する好奇心が湧き上がってくるのを感じていた。それは今まで感じたことのない気持ちである。
今までは略取する者たちへの怒りだけで戦っていた。自分を鍛えたのも復讐のためだ。それが今はまるで子供の頃のよう。母の言葉を受けて、仲間のために役立とうとして鍛えていた頃の気持ちに戻ったようである。
(これではいかんな。引き締めねば)
火を放つのが自分たちの目的。それには相応の覚悟と犠牲が必要である。すでに犠牲になった人間、そしてこれから犠牲になる人間に対して、このような心持ちでは失礼にあたるだろう。
勝手に犠牲にされる側にとってみれば、そのような気持ちなど自己満足や欺瞞でしかないこともわかっている。そうであっても、もう止めることはできないのだ。
そうしてユニサンが改めて気を引き締めると、ふともう一つの懸念のことが頭をよぎった。
「ところで【新しい電池】は内部に入ったのか?」
激戦でそれどころではなかったが、アピュラトリスにとって重要な存在を思い出す。
新しい電池、エリス・フォードラの確保も可能ならば行う、という条件付けで任務の中に入っている。彼女についてはラーバーン側でも事前に存在は把握しており、今日ここに来ることもわかっているのだ。
当然、確保の目的は【保護】である。アナイスメルを動かすには、どうしても電池の存在が必要である。ユニサンたちが武力をもって制圧を行う以上、その巻き添えになる可能性も否定できない。
また、外にいたらいたで、それはもっと危険なことである。その前に保護しておきたいのが本音だった。もちろん作戦の決行に当たっては、彼女が来る時間も考慮に入れている。
「外部からの情報では到着しているそうですが、その後の消息は不明です」
マレンは、アピュラトリスの外部についてはあまり感覚を伸ばしていない。塔の管理者であるヘインシーに悟られる可能性があるので控えているのだ。
陸軍からの連絡もあったため、エリスがエレベーターに乗って入り口に向かったことはわかっているものの、ちょうどそのあとから感覚が遮断されてしまい、その後の消息は不明となっている。
ただし不明ということは、つまるところこの階にいる可能性が非常に高いことを示していた。マレンが捜査を依頼したのはこの件もあってのことである。
「電池の回収には【ヤイムス〈隠者〉】が向かう予定だったな?」
隠者、ヤイムスとはラーバーンの協力者のことである。彼らは組織全体と密接な関係を持つマレンたちレレメルやロキのような戦闘構成員とは異なり、間接的あるいは個人的にラーバーンに味方する者たちである。
信用できるメンバーという意味でのラーバーンは、非常に小さな組織である。存在そのものが重要かつ危険すぎるために、秘匿の問題で必要以上に大きくするわけにはいかないのだ。
そのため、どうしてもヤイムスのような存在の手を借りねばならない事態が生じる。今回はアピュラトリスという特殊な場所でもあったため、特に信頼の置ける何人かのヤイムスが動いていた。
電池を迎えに行ったのは、長年このアピュラトリスに勤めている女性で、もともと一般人として普通に過ごしているので誰からも警戒されない人物である。
「彼女の足取りも不明です。制御不能なブロックでは監視カメラも動いておりませんので…」
マレンも感覚として彼女の存在を把握していたが、地下でのイレギュラーが続いたことで意識から多少外れたのは事実である。
その間に見失ってしまったのだ。回収に向かったことだけはわかるが、それ以後の行動まではわからないでいる。
「キリル・リラーといったか。素性は問題ないのだな?」
ラーバーンの協力者が増えることは嬉しいが、アーズのメンバーであったユニサンにとっては、人間とは常に裏切るものという認識が強い。
アーズ時代は何度も裏切りを受け、窮地に陥ったことがある。信念を持って弱い者の味方であった者でさえ、現実の苦難に晒されれば寝返ることもあるのだ。
そうした人間をユニサンは責めるつもりはない。それもまた人間に違いないのだ。ユニサンのように、すべてを捨てられる人間はそう多くはないことを知っている。だからこそ、あまり信頼できない人間を加えることには反対の立場であった。
ただし、それはあくまでアーズ時代のこと。今のラーバーンには、かつてはなかった大きな力がある。
「隠者の方は、すべてWE・E様のチェックがありますから問題はないはずです」
WE・E。序列九位のメラキで、【観測】した相手の情報をすべて得ることができる能力者である。
霊体のオーラまで詳細に調べることができるので、隠し事は不可能である。考えていることはもちろん、一部分であるが当人が知らない前世の記憶すら調べることができるほどに強力である。
観測は強力な術の反面、拒否したり拒絶することもできるが、そうすれば他意あるものとされ、そもそもヤイムスには抜擢されない。それどころか即座に存在を消されるはずだ。
キリルに関しても他のヤイムスに関しても調査は完璧である。そうでなければ、絶対秘密主義のラーバーンが使うはずがないのである。
また、こうした人材には【契約】を施してあるので、基本的に裏切ることは不可能である。これもメラキが使う特殊な術の一つで、序列四十二位のメラキ、クラウス・ヴァービットの能力である。
ヴァービットの契約の能力は、主であるゼッカーの洗礼を受けた人間に行使され、ラーバーンに対して敵対行動が取れないようにする枷でもある。
この契約はゼッカーが死ぬまで有効で、自ら望んだことである以上破ることはできないし、仮に破ったとしてもゼッカーには即座に知れることになる。その際には当然、契約に付帯する【違約金】の能力が自動的に発動するのでただでは済まない。
現在のところ、キリルが裏切ったという報告はない。あればマレンのすぐ後ろにいるゼッカーから伝えられるだろうし、メラキの統括者であるザンビエルにもすぐに把握できるようになっている。
よって、単純に何らかの不測の事態に巻き込まれたのだろう、と想定するのが自然である。
「電池回収の優先度は?」
「すでにEランクに低下しています」
「最悪電池の回収ができずともかまわん、というわけか」
現在の電池の猶予はまだ半年はある。それだけもてば、また違う展開もありえるだろうし、稀少であるものの絶対に予備がないわけではない。
それ以前にラーバーンがどうこうせずとも、ダマスカスが必死になって用意するはずだ。自分自身のために。
「引き続きブロックの調査はしておく。お前はフィールドの展開とルイセ・コノのほうに集中しろ。最悪、俺たちに何かあっても見捨ててかまわん。その場合は強制的に第三ステージに入ってくれ」
「了解しました」
連絡が終わり、ユニサンは再び意識を集中させる。
「なかなかスムーズとはいかんな。やはりこれも【反作用】というやつか」
権力を濫用し暴力を振るえば、それに反発して対抗する存在が生まれるように、ラーバーンそのものが世界に対する反作用だとすれば、今度はそれに対する存在が現れてしかるべきである。
そのように世界は、二つの力の中で拮抗し平衝しながらバランスを取っていく。進化とは、二つのぶつかる力で上昇する仕組みなのだ。なればこそ、これは乗り越えるべきものなのだろう。
「あと少し。それですべては動く。誰にも邪魔はさせん」
ユニサンは新たに決意を固める。残りわずかな地上人生。一片の悔いも残したくはない。
そうユニサンが思った時、突如として周囲の隔壁が一気に下りた。
今通ってきた道に設置されている隔壁も次々と下り、完全に閉じこめられてしまった。すでに手遅れであることを悟ったユニサンは、黙ってその状況を認識しながら様子をうかがう。
「閉じ込めただけ…か」
単純にすべての方向の隔壁が下りただけで、ほかの何かが発動する様子はなかった。
そもそも地上部分のエリアには強力な対人兵器は存在せず、神経ガス程度の装備しかない。今のユニサンにはどれも無意味なものである。
「マレン、聞こえるか? 閉じ込められた」
そうユニサンが声を出してもマレンからの反応はなかった。数秒様子を見ても結果は同じであった。
次の策である携帯電話の画面を開くと、そこには「圏外」の文字が浮かんでいた。携帯電話も使えなかった。
「なるほど、マレンの予感が的中したか」
携帯電話はルイセ・コノが調整した特別製である。通信不可能な第三制御室でさえ使えたものが、突然使えなくなった。このことが意味することは一つである。
【敵】がいる。
それもおそらくメラキに匹敵する存在である。あるいは別のメラキそのものか。
しかもアピュラトリスに対して、ある種の優先権を持っている存在だ。それは隙をついてマレンの制御を奪ったことからも推測できるし、メラキが作った携帯電話を一時的にせよ通話不可能にしたことからも間違いない。
「まったく、こちらは貴重な寿命を使っているというのにな」
そうぼやきながらも、ユニサンは内部に炎が宿るのを感じていた。自分は常に障害と戦って生きてきたのだ。そうであってこそ強くあれる。
だからこそ、こんな【可愛らしい抵抗】でも嬉しいのだと感じるのだ。
「反作用か。それもいいだろう。力づくで押しきってくれよう」
ユニサンは拳に力を込めた。
オンギョウジが最上階に到達した頃、ユニサンも一階に到達していた。
地下の監視のために後方にロキN5を配置した以外は他のロキも合流している。アズマとの戦いでN8を失い、他のロキにも損傷があるが結果は上々であるといえた。
「上の状況は?」
「オンギョウジ様はエレベーターで最上階に到達。その他の階層ではすでに大部分の制圧が完了しております」
ユニサンが尋ねるとマレンからの回答が即座に届く。
オンギョウジが一階に到達した段階で、マレンはアピュラトリス内部の一部を除いた全エリアに対して神経ガスを注入した。
まだ外部からの接触がありうる状況なので、連絡を担当する部署だけは残してあるが、それ以外はほぼすべての人間が眠りについているか隔離されているはずである。
ただ、マレンも万能ではない。どうしても死角が生まれる。
まずマレンは、現在百九階層にダイブしているルイセ・コノのバックアップを行わねばならない。基本的には彼女が勝手に進むのだが、サポートできる範囲まではマレンも援助している。
たとえれば、密林をブルドーザーで強引に突き進む彼女の後ろから、マレンが道として舗装をしている感覚である。やらなくてもいいが、やったほうが帰る際には楽である。ルイセ・コノは最重要人物の一人なので、彼女の援護は重要な仕事である。
次に、アピュラトリス内部に視点を合わせねばならない。外に展開している軍に悟られず、さらに内部の人間も監視しつつ、サカトマーク・フィールド発動に向けてひっそりと陰から作業をこなしながら、ユニサンたちのバックアップも同時に行う。
これは勉強をしながらテレビを見て雑談し、同時にゲームをするようなものである。同時にやることはできるが、やはり一つに集中してこそ多大な成果を挙げることができるものだ。
しかも擬似オリハルコンに接触できるのは一人だけなので、これをすべてマレンが単独で行わねばならない。こうした事情もあり、さすがのマレンも精神的にかなり疲弊していた。
よって、こうしたタイミングで【問題】が発生したのは致し方のないことであったのかもしれない。
「ただ現在、一部のブロックへのアクセスが遮断されております。そこの調査をお願いしたいのです」
マレンはユニサンに異常の調査を依頼する。
警備装置を総動員した直後に、マレンの制御から外れたエリアがある。制圧するうえで直接的には関係ないエリアかもしれないが、マレンにはどうしても気になった。
ヘインシーを含めた【この種】の人間は変わった性向を持つことが多く、マレンもまたその一人であった。
彼は【異常】に対してとても敏感である。日々のルーチンワークをとても大切にし、日課も完璧にこなさないと気が済まないような人間だ。朝起きた時にも、いつも決まった体勢でないと心配になるような青年なのだ。
だからこそ違和感に対しては神経質になる。軽度の違和感も原因を突き止め、その対処と予防策を練らねば嫌なのだ。
「これだけの大きな塔だ。多少は仕方ない部分もあるだろう。すでにオンギョウジも最上階なのだ。大きな障害ではなかろう?」
武人のユニサンにとって、マレンたちがどれだけすごいことをしているかは理解できない。それでも素人が専門家の論文を見たときのような「何かすごいことをしているのだろう」くらいはわかる。
それだけのことをしているのだから、大きな障害でなければ多少のイレギュラーくらいあってもかまわない。ユニサンはそう思っている。
が、マレンは違う。
「非常に重要な問題です。これでは完璧に第三ステージに移行できるか心配です」
オンギョウジに対しては余計な心配をかけて重荷にしたくなかったので本音を言わなかったが、この問題はマレンにとって非常に不愉快であった。
違和感がある。それ自体が彼には気に入らないのだ。それがアナイスメルの未知の領域ならばまだしも、すでに掌握している部分で起こったのが気に入らない。
普段は意識せずに動かせる人差し指の感覚が急に遮断されたら、たとえそれが指を使わないジョギングの最中であっても気になるはずだ。彼はそう主張しているのだ。
「サカトマーク・フィールドを展開するまでの間でかまいませんので、ぜひ調べてください」
マレンの声には、お願いどころでは済まない強制力が含まれていた。立場上はユニサンのほうが上なのだが、だからこそけっして譲らないという強い意思を感じさせる。
(やれやれ、これだから【そっち側】の人間は苦手なのだ)
ユニサンは、自分が武人であったことを違う意味で良かったと思っている。
武人は単純である。殴りあい斬りあい、勝った負けたで白黒決着がつく。特にユニサンは結果が伴えば過程はさほど気にしない性格だ。そういう人間にとっては、マレンのようにこだわる人間は苦手である。なまじ優秀がゆえにさらに厄介だ。
「第三ステージへの移行はどうする? 俺たちの誰かは外に出なければならないぞ」
「異常のあるブロックは入り口付近なのです。向かう途中に立ち寄ってくださればけっこうです」
「わかった。調査してみよう。ただ、時間がなくなればすぐに離脱する」
「それで問題ありません」
どのみち外には敵の部隊が大勢陣取っている。塔を出るのはサカトマーク・フィールドが展開する直前でなければ危険も多い。それまでは時間があるのも間違いない。
ユニサンとロキたちはマレンの指示で六階に到達。
(見た目での異常はないな。このあたりは大丈夫そうだが)
ユニサンが気配を探るも、六階に上がった直後には異常は感じられなかった。探ったのは主に闘争の痕跡である。少なくともこの周辺で戦闘が行われた形跡はない。
「N5はここで後方の監視。N6、N7は東エリア、N9は西エリア。俺は中央エリアを調べる。マレンから合図があったら各自の判断で塔を脱出してかまわん」
ユニサンはロキに指示を出してエリアの調査に向かう。どのみちここまでは予定されていた移動ルートである。内部の制圧が終わった以上、もうユニサンたちがここに留まる必要はない。
強いて言えば、オンギョウジたちを追撃する兵がいれば食い止める程度であるが、すでに最上階に到達したのでその必要もないだろう。エレベーターもマレンによって現在はすべて停止されている。
あとはオンギョウジが【仕事】を終え、ユニサンたちがフィールド展開と同時に外部に出れば次のステージが始まる。
ロキと分かれたユニサンは、走りながら周囲の様子をうかがっていた。といっても大部分は隔壁が下りていて余計なルートが遮断されているので、道なりに進みながら引き続き気配を探るくらいしかできない。
もともと人間のいないエリアなので非常に静かである。音楽でもあれば気は紛れるのだろうが、実に単調で地味な作業だ。探知や探索には縁遠い戦士タイプであるユニサンには、なかなか難儀である。
(第三ステージは激戦となろうな)
ユニサンは次のステージが、この第二ステージが霞んでしまうほどの激戦となることをすでに知っていた。
当然ながら外にはダマスカス陸軍がいる。油断しているとはいえ、MG部隊を含めた二万近い軍勢なのだ。この人数で立ち向かえる相手ではない。
もちろんユニサンたちも、そんなことはわかっている。そのための第二ステージなのだ。準備さえ整えれば十分勝機はある戦いである。
何よりユニサンは【捨て駒】でしかない。所詮バーンにもなりきれなかった半端者、すでに時代から取り残された人間である。
ゆえに次のステージからが、ラーバーンの本当の戦いである。そこで【正規軍】として現れる者たちこそ真のバーンたちなのだ。自分とは比べものにならない存在である。
(あの御方たちのために道を作る。なんと光栄なことか)
ユニサンは、自分が捨て駒になれることに感動を覚えていた。それだけの存在が後ろに控えていることに安堵さえするのだ。
自分の仕事の八割は終わった。あとは残りの寿命が尽きるまで戦うだけのこと。今はそういうさっぱりとした心境である。
(妙に落ち着いているな)
アズマとの戦いですべてを出しきったのだ。憎しみも断たれた今のユニサンに心残りはない。不思議なことに、残ったのは武人としての誇りと性分だけであった。
純粋に戦士としての闘争本能と向上心。武に対する好奇心が湧き上がってくるのを感じていた。それは今まで感じたことのない気持ちである。
今までは略取する者たちへの怒りだけで戦っていた。自分を鍛えたのも復讐のためだ。それが今はまるで子供の頃のよう。母の言葉を受けて、仲間のために役立とうとして鍛えていた頃の気持ちに戻ったようである。
(これではいかんな。引き締めねば)
火を放つのが自分たちの目的。それには相応の覚悟と犠牲が必要である。すでに犠牲になった人間、そしてこれから犠牲になる人間に対して、このような心持ちでは失礼にあたるだろう。
勝手に犠牲にされる側にとってみれば、そのような気持ちなど自己満足や欺瞞でしかないこともわかっている。そうであっても、もう止めることはできないのだ。
そうしてユニサンが改めて気を引き締めると、ふともう一つの懸念のことが頭をよぎった。
「ところで【新しい電池】は内部に入ったのか?」
激戦でそれどころではなかったが、アピュラトリスにとって重要な存在を思い出す。
新しい電池、エリス・フォードラの確保も可能ならば行う、という条件付けで任務の中に入っている。彼女についてはラーバーン側でも事前に存在は把握しており、今日ここに来ることもわかっているのだ。
当然、確保の目的は【保護】である。アナイスメルを動かすには、どうしても電池の存在が必要である。ユニサンたちが武力をもって制圧を行う以上、その巻き添えになる可能性も否定できない。
また、外にいたらいたで、それはもっと危険なことである。その前に保護しておきたいのが本音だった。もちろん作戦の決行に当たっては、彼女が来る時間も考慮に入れている。
「外部からの情報では到着しているそうですが、その後の消息は不明です」
マレンは、アピュラトリスの外部についてはあまり感覚を伸ばしていない。塔の管理者であるヘインシーに悟られる可能性があるので控えているのだ。
陸軍からの連絡もあったため、エリスがエレベーターに乗って入り口に向かったことはわかっているものの、ちょうどそのあとから感覚が遮断されてしまい、その後の消息は不明となっている。
ただし不明ということは、つまるところこの階にいる可能性が非常に高いことを示していた。マレンが捜査を依頼したのはこの件もあってのことである。
「電池の回収には【ヤイムス〈隠者〉】が向かう予定だったな?」
隠者、ヤイムスとはラーバーンの協力者のことである。彼らは組織全体と密接な関係を持つマレンたちレレメルやロキのような戦闘構成員とは異なり、間接的あるいは個人的にラーバーンに味方する者たちである。
信用できるメンバーという意味でのラーバーンは、非常に小さな組織である。存在そのものが重要かつ危険すぎるために、秘匿の問題で必要以上に大きくするわけにはいかないのだ。
そのため、どうしてもヤイムスのような存在の手を借りねばならない事態が生じる。今回はアピュラトリスという特殊な場所でもあったため、特に信頼の置ける何人かのヤイムスが動いていた。
電池を迎えに行ったのは、長年このアピュラトリスに勤めている女性で、もともと一般人として普通に過ごしているので誰からも警戒されない人物である。
「彼女の足取りも不明です。制御不能なブロックでは監視カメラも動いておりませんので…」
マレンも感覚として彼女の存在を把握していたが、地下でのイレギュラーが続いたことで意識から多少外れたのは事実である。
その間に見失ってしまったのだ。回収に向かったことだけはわかるが、それ以後の行動まではわからないでいる。
「キリル・リラーといったか。素性は問題ないのだな?」
ラーバーンの協力者が増えることは嬉しいが、アーズのメンバーであったユニサンにとっては、人間とは常に裏切るものという認識が強い。
アーズ時代は何度も裏切りを受け、窮地に陥ったことがある。信念を持って弱い者の味方であった者でさえ、現実の苦難に晒されれば寝返ることもあるのだ。
そうした人間をユニサンは責めるつもりはない。それもまた人間に違いないのだ。ユニサンのように、すべてを捨てられる人間はそう多くはないことを知っている。だからこそ、あまり信頼できない人間を加えることには反対の立場であった。
ただし、それはあくまでアーズ時代のこと。今のラーバーンには、かつてはなかった大きな力がある。
「隠者の方は、すべてWE・E様のチェックがありますから問題はないはずです」
WE・E。序列九位のメラキで、【観測】した相手の情報をすべて得ることができる能力者である。
霊体のオーラまで詳細に調べることができるので、隠し事は不可能である。考えていることはもちろん、一部分であるが当人が知らない前世の記憶すら調べることができるほどに強力である。
観測は強力な術の反面、拒否したり拒絶することもできるが、そうすれば他意あるものとされ、そもそもヤイムスには抜擢されない。それどころか即座に存在を消されるはずだ。
キリルに関しても他のヤイムスに関しても調査は完璧である。そうでなければ、絶対秘密主義のラーバーンが使うはずがないのである。
また、こうした人材には【契約】を施してあるので、基本的に裏切ることは不可能である。これもメラキが使う特殊な術の一つで、序列四十二位のメラキ、クラウス・ヴァービットの能力である。
ヴァービットの契約の能力は、主であるゼッカーの洗礼を受けた人間に行使され、ラーバーンに対して敵対行動が取れないようにする枷でもある。
この契約はゼッカーが死ぬまで有効で、自ら望んだことである以上破ることはできないし、仮に破ったとしてもゼッカーには即座に知れることになる。その際には当然、契約に付帯する【違約金】の能力が自動的に発動するのでただでは済まない。
現在のところ、キリルが裏切ったという報告はない。あればマレンのすぐ後ろにいるゼッカーから伝えられるだろうし、メラキの統括者であるザンビエルにもすぐに把握できるようになっている。
よって、単純に何らかの不測の事態に巻き込まれたのだろう、と想定するのが自然である。
「電池回収の優先度は?」
「すでにEランクに低下しています」
「最悪電池の回収ができずともかまわん、というわけか」
現在の電池の猶予はまだ半年はある。それだけもてば、また違う展開もありえるだろうし、稀少であるものの絶対に予備がないわけではない。
それ以前にラーバーンがどうこうせずとも、ダマスカスが必死になって用意するはずだ。自分自身のために。
「引き続きブロックの調査はしておく。お前はフィールドの展開とルイセ・コノのほうに集中しろ。最悪、俺たちに何かあっても見捨ててかまわん。その場合は強制的に第三ステージに入ってくれ」
「了解しました」
連絡が終わり、ユニサンは再び意識を集中させる。
「なかなかスムーズとはいかんな。やはりこれも【反作用】というやつか」
権力を濫用し暴力を振るえば、それに反発して対抗する存在が生まれるように、ラーバーンそのものが世界に対する反作用だとすれば、今度はそれに対する存在が現れてしかるべきである。
そのように世界は、二つの力の中で拮抗し平衝しながらバランスを取っていく。進化とは、二つのぶつかる力で上昇する仕組みなのだ。なればこそ、これは乗り越えるべきものなのだろう。
「あと少し。それですべては動く。誰にも邪魔はさせん」
ユニサンは新たに決意を固める。残りわずかな地上人生。一片の悔いも残したくはない。
そうユニサンが思った時、突如として周囲の隔壁が一気に下りた。
今通ってきた道に設置されている隔壁も次々と下り、完全に閉じこめられてしまった。すでに手遅れであることを悟ったユニサンは、黙ってその状況を認識しながら様子をうかがう。
「閉じ込めただけ…か」
単純にすべての方向の隔壁が下りただけで、ほかの何かが発動する様子はなかった。
そもそも地上部分のエリアには強力な対人兵器は存在せず、神経ガス程度の装備しかない。今のユニサンにはどれも無意味なものである。
「マレン、聞こえるか? 閉じ込められた」
そうユニサンが声を出してもマレンからの反応はなかった。数秒様子を見ても結果は同じであった。
次の策である携帯電話の画面を開くと、そこには「圏外」の文字が浮かんでいた。携帯電話も使えなかった。
「なるほど、マレンの予感が的中したか」
携帯電話はルイセ・コノが調整した特別製である。通信不可能な第三制御室でさえ使えたものが、突然使えなくなった。このことが意味することは一つである。
【敵】がいる。
それもおそらくメラキに匹敵する存在である。あるいは別のメラキそのものか。
しかもアピュラトリスに対して、ある種の優先権を持っている存在だ。それは隙をついてマレンの制御を奪ったことからも推測できるし、メラキが作った携帯電話を一時的にせよ通話不可能にしたことからも間違いない。
「まったく、こちらは貴重な寿命を使っているというのにな」
そうぼやきながらも、ユニサンは内部に炎が宿るのを感じていた。自分は常に障害と戦って生きてきたのだ。そうであってこそ強くあれる。
だからこそ、こんな【可愛らしい抵抗】でも嬉しいのだと感じるのだ。
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