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零章 第四部『加速と収束の戦場』

八十八話 「RD事変 其の八十七 『冷美なる糾弾⑬ 凍てついた女王の幻愛』」

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 気が付けば、赤い雨が降っていた。

 空から降り注ぐ、血のような真っ赤な雨。それは臨気のような輝く炎とは違い、ただただ人の心を不安にさせるものである。ざわつかせ、かき回し、混乱させる。

 そんな雨の中、二人の鬼が戦いを続けている。あまりの激しさに、アミカもクマーリアも見ていることしかできない。

「やぁーーーはぁあ!!」

 皇型が、ニードルガンを連射。クマーリア同様、接近戦は危険と判断し、距離を取って攻撃することを選択しているのだ。

 呂貌は回避せず、そのまま突っ込む。そして挽手ひきてを振って臨気弾をばら撒き、爆発を引き起こす。周囲に弾幕を張ったため、ニードルは蒸発。霧散する。

 皇型は、移動をしながらニードルガンを撃ち続ける。それを追う呂貌。追いつければ、呂貌が圧倒的有利だろう。挽手の威力は、ナサリリスの防御力を上回っている。胸元に手が届けば、一気に挽き裂くことができる。

 ただ、彼女がクマーリアと違うのは、圧倒的な命中精度を誇っていること。そして、急所を躊躇わずに撃てること。呂貌の胸、肩、足、あらゆる場所に撃ち込み、巧みに動きを封じてくる。

 呂貌は、そのすべてを叩き落すも、クマーリアでやれたような動きはできない。相手も常に先を読んで、呂貌が動きにくいように狙ってくるからだ。

 そのうえ、ネルジーナには不利な点がある。

(反応速度は、相手のほうが上か。技術力では明らかに差があるわね)

 呂貌には、カノン・システムは積まれていない。相手との反応速度の差は、およそ0.5秒。

 クマーリア戦では、圧倒的な経験の差で押し込んだが、ナサリリスの反応速度はさらに上。特に射撃時において、恐るべき反応を見せる。

 さすがに総合的な戦闘経験値では、年季が入っているネルジーナのほうが上回っているが、それでも良くて五分。悪くて少し遅れるという状況。一瞬でも反応が遅れれば、ニードルガンを防ぐことはできないだろう。

 そして、射線も読みづらい。

 いくつものフェイントに加え、壁となる障害物を利用しつつ移動している。ただ移動していたクマーリアとは違う。しっかりとした戦術を組み立てて動いており、けっしてリヴィエイター皇型の速度だけに溺れることはない。

 これから察するに、明らかにナサリリスのほうが、ガンマンとしてクマーリアよりも格上である。天才ビシュナットには劣るが、放出型の武人として超一流の素養があるといえる。

 幸いながら、ナサリリスが放つブリザードは、ネルジーナの臨気で無力化できているので、氷に足を奪われることはない。これが普通の状態だったならば、氷の刃に襲われながらニードルガンに対処せねばならず、近づくことすら困難になっていただろう。

 よって、ネルジーナの勝機は、当たり前だが接近すること。
 何とかして接近し、一瞬の隙を作ることである。

 呂貌は、さらに速度を上げて追いつこうとする。だが、ナサリリスもそれを簡単に許すつもりはない。

「あはぁっ!! 届け、私の想いぃいいいいい!!!」

 無作為に放たれたニードルが、突如として軌道変化。彼女は遠隔操作系ではないので、一度放った軌道をさらに動かすことはできない。

 が、ブリザードを使えば、動かすことができる。このブリザードは、凍気と風の複合属性によって構成されている。風の性質を使って、威力を制御しているのだ。

 その発せられた気流に乗って、上下左右からニードルが襲いかかる。これにはネルジーナも対処できず、全身に臨気を張って防御。ニードルは蒸発した。

 その間に皇型は距離を取り、しっかりと射撃の準備を整える。そして、ニードルを固めて作ったドリル弾を発射。そのまま使えばソードに、放てば相手を穿つ強力な弾丸になる。

(速い!!)

 その速度は、最初に見たものよりも遥かに速い。これが本来のニードルガンの速度なのだろう。最高速度は、銃弾を超え、乙女型のビームキャノンすら超える。

 しかも、正確に呂貌の胸を狙っている。彼女が言ったように、本気モードに入ったのだろう。

 呂貌は、挽手を使ってドリルを叩き落す。攻撃力は、こちらのほうが上。こうして挽手を使えば、この威力の攻撃でも対処は可能だ。

 だが、これは好ましくない状況である。

 攻撃は本来、防御するものだ。攻撃を攻撃で防ぐのは、それが接近戦の場合は有効だが、遠距離で「仕方なくそうさせられる」のは、こちらが後手に回っている証拠である。

 そして、呂貌が攻撃して生まれた隙に、すでに放っていた新たなニードルが、ブリザードに乗って左右から襲いかかる。右からの攻撃は飛び退いて回避したが、左からのニードルはかわせない。

 ならば蒸発させればよいと、再び臨気を使って防ごうとするが―――

「―――ぐっ!」

 呂貌の左腕に、ニードルが突き刺さる。骨にまでは到達しないが、皮膚を貫き、筋肉で止まった。呂貌は、突き刺さったニードルを抜いて、正体を確かめる。

「これは…今までの針じゃないわね」

 今までのニードルにはなかった光沢がある。キラキラと輝いたガラスのような、透明感のある素材であった。

 これの恐るべきところは、臨気のガードを【貫通】した点である。

 臨気は強力な属性だが、密度がある気質ではない。ジャラガンが使う剛気のように、圧縮して硬度を高めたようなものとは違い、非常に細かいが隙間が存在する。仮に針を極限にまで細めることができれば、その隙間を通り抜けることができるだろう。

 しかし、普通のニードル程度ならば、さきほどのように蒸発してしまうはずだ。ならばこれは、そもそもが違う物質なのだ。

「ふふふ、命気で作った水晶針よ。これなら、あなたも簡単には防げないでしょう?」

 水気の最上位属性、命気めいき

 臨気と同じ最上位属性であるが、火とはだいぶ違う性質を持っている。照らし、き、滅却する臨気と違い、命気は生命の力を体現する気質である。

 まず、自己を命気で覆えば、回復力が格段に上昇する。武人は練気によって気を練り、自己の体力を回復させることができるが、命気はそれ自体がすでに薬と同じである。

 ナサリリスの右腕の裂傷も、すでに大部分が修復され、かさぶたになっている。挽手によって、相当なダメージを負ったため、まだ万全とは言いがたいが、それでも通常では考えられない回復速度である。

 また、命気は【ねっとりとした粘着質】なので、身体に取り入れることで、接着剤および擬似細胞の役割を果たす。命気自体は放出をやめれば消えるが、それまでに細胞化すれば、ほぼ完璧に傷を癒すこともできるのだ。

 そして、特筆すべきは、この【結晶化】である。

 命気を圧縮して、固め、クリスタルの弾丸を生み出す。その硬度はダイヤモンドにも匹敵しつつ、原子が隙間なく結合しているので、へきかい(鉱物などが、特定方向に割れやすい現象)にも強いということ。

 命気で固められたものは、総じて強固である。生命の強さ。すべての根源となった水の力を、余すことなく体現する力だからだ。

 だが、これは異常。

 命気という、それだけで希少な気質を、さらに結晶化させる能力者など、ネルジーナは今まで見たことも聞いたこともない。あくまでそうした力があると、研究結果が書かれた論文で知っているだけだ。

 となれば、可能性は一つ。

「この力、あなただけのものじゃないわね」
「あーら、それはこちらの台詞でしょう。私とあなたは、その意味でも似ているわ。同じ【ジュエル・パーラー】としてもね」

 ジュエル・パーラー〈星の声を聴く者〉。

 ジュエルの中で、一般的に出回るAランクジュエルを超えた魔石であるテラ・ジュエル。Sランクジュエルとも呼ばれ、至高の力を持つ超希少な存在。

 ゼッカーが持つバルス・クォーツ〈星の記憶〉、アダ=シャーシカが持つレインボーダイヤ〈不可視の虹〉。それ以外にも、非公式のものを含めれば、それなりの数が存在するが、力を引き出せる者はそう多くない。

 なぜならば、テラ・ジュエルには強い意思があり、持ち主を選ぶ。神機の核にも使われている意思の結晶体であるテラ・ジュエルは、相応しい持ち主以外には心を開かない。

 よって、ジュエル・パーラーの数は、エル・ジュエラーよりも遥かに少ない。相性だけの問題ではなく、本当の意味でジュエルに選ばれなければならないからだ。

 そして、数が少ないことには、もう一つ大きな理由がある。ジュエル・パーラーとなった者は、ほぼ確実に【数奇な運命】を辿るからである。宿命に翻弄され、非業の死を遂げる。報われない人生を過ごす。

 ブライダル・ぺリドット〈太陽の花嫁〉を得た、アリエッサ・ガロッソのように。

 しかし、違う見方もできる。

 それだけの力を持つからこそ、人々の中心となり、世界の中軸となれる。だからこそ苛烈な人生に身を投げ、自己を犠牲にし、人類の進化を加速させる要素になりえる。

 どちらにせよ、ジュエル・パーラーになった人間は、普通の人生は送れない。どうあがいても、自分と他人が違うことを知ってしまうから。同じ存在ではないとわかるから。

 アリエッサは、それでも人々と生きることを選んだ。だから、死んだ。では、それ以外のジュエル・パーラーはどうするのか。どんな選択肢があるのか。

「私はねぇえ! この力を得て、わかったのよ!!! 私は、わたしが、ワタシがぁああ!! この力で世界を満たすってネェエエエエ! この命の力で、ワタシはすべてを救ってみせるからぁああ!!」

 もう一つの生き方。力を使い、反旗を翻すこと。
 世界を自分の思い通りに変えようとすること。

 彼女は、ゼッカーの側についたのだ。悪魔の一部となり、世界を燃やし、体制を破壊し、自らの求める世界を生み出すために。

 ナサリリスの心臓が、青く輝く。
 そこには、彼女が持つテラ・ジュエルが埋められている。

 フローズン・ラブファントム〈凍てついた女王の幻愛〉。

 このジュエルは、彼女が生まれた時から存在した。彼女そのものであり、力の源であり、凍てついた心の正体だ。

 彼女は、【強化人間】である。

 彼女に親はいない。元となった受精卵はあるが、遺伝子操作によって生み出され、フローズン・ラブファントムを扱うためだけに造られた存在である。

 この完璧な美貌も、だからこそ生まれたもの。人々を魅了し、かどわかし、支配することができるのも、人を遥かに超える精神力があるのも、呪具すら支配できることも、最初からそうなるように仕組まれたからだ。

 いや、当初は、ここまでのものになるとは思われていなかった。単純に、テラ・ジュエルに適合する人間を生み出そうとしただけである。それが、成長するにつれて、予想以上の力を自ら獲得し始めたのだ。

 彼女を造ったのは、賢人の遺産を研究するメラキの一人。偉大なる黒賢人から、遺伝子改造の技術を受け継いだ、十賢者の一人である【白賢人】の一派である。(ラーバーンの勢力とは関係ない人物)

 だが、研究施設は彼女によって破壊され、研究員も皆殺しになった。他を必要としない彼女にとって、それ以外は無意味な存在だったからだ。彼女は、彼女を支配する者を許さない。誰一人として、自分に関わることを認めなかった。だから殺した。単純な理由である。

 そんな彼女が、フローズン・ラブファントムの放つ命気の存在を知り、その愛こそが自分の存在意義だと考えたことは、なんとも奇妙な光景に見える。が、命気の性質を知れば、それは自然なことなのだ。

 命気とは、女性の気質だから。
 生命を育む、【羊水の力】だから。

「あなたもっぉおおお!! あなたもそうね!!! その力、普通じゃないもの!!! 感じるぅう! 感じるのよおおお! あつい、アツイ、あっつぃいいい波動をねえええ!!」

 ナサリリスには、わかる。テラ・ジュエルを扱うために造られた存在だからこそ、同じ波動がわかるのだ。

 フローズン・ラブファントムの波動に反応し、ネルジーナの右腕のブレスレットが赤く輝く。強く、気高く、そして激しい赤い光である。

 クレイジー・バズ・カーネリアン〈狂った激情の挽き手〉。

 ダマスカスが保有していたテラ・ジュエルの一つで、ネルジーナが陸軍時代に適合したジュエルである。

 公式ジュエル協会のあるダマスカスでは、ジュエルの価値を重要視し、常に適合者を探している。特に攻撃的なスキルを持つジュエルに関しては、軍関係者には全員適合テストを受けさせている。

 もちろん、適合者は少ない。ジュエリストという意味では、全体の数パーセントいればよいほうだろう。このクレイジー・バズ・カーネリアン〈狂った激情の挽き手〉も、誰にも適合せずに放置されていたものだ。

 が、何百年の時を経て、それは一人の女性軍人の手に渡った。

 その名の通り、激情の力を適合条件にする魔石は、ネルジーナの中に秘められた怒りに反応したのだ。そして、彼女が激情すると自動的に発動するようになり、戦闘力を格段に引き上げる。そして、いつしか彼女は激情鬼と呼ばれるまでになった。

 思えば、ネルジーナが怒りを制御できなくなったのも、このジュエルを手に入れてからである。それまでは、多少ヒステリックではあったものの、破壊活動を伴うことは珍しかった。ちょっとからかわれたからといって、同僚の兵士を八十人も半殺しにするなど、以前ならなかったことである。

 そう、せいぜい四十人で済んでいたに違いないのだ。

 激情しなければ使えないという、若干困った性質を持っているので、あまり使い勝手はよくない。それでも、もともと引手という力を持っていた彼女に、さらに凶悪な挽手を与えたのだから、その力は絶大ともいえる。

 能力は、腕力超強化、火属性のワンランクアップと属性持続時間延長といったもの。もともと炎気まで使えたネルジーナは、それによって臨気を得た。もし火気までしか使えない人間だったら、炎気を扱えるようになるという強化型のジュエルである。

 強化型なので、付与型のザンジ・オブ・マラカイト〈有限なる魔属の器〉とは違い、もともと火属性を持っていなければワンランクアップは適用されないが、最上位属性まで使えるのは相当に魅力的である。

「さあ、あなたがイクまで、一緒に楽しみましょう!!」

―――≪キンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキン≫

 レフォーズ・ベルの音波が、さらに強くなっていく。フローズン・ラブファントムの発動によって、能力が強化されたのだ。その効果は、女性だけにとどまらない。

「ぐううっおおおおおお!」
「うう、わあああああああああああ!」

 ようやく悪夢から解放された兵士たちが、再び泣き叫ぶ。しかも、恐慌状態に陥り、ハイカランが無差別に銃撃を開始する。

「お前ら、何をやっている! ぐうっ―――!!」

 伊達もその波動に気圧され、うずくまる。心の奥底から、恐怖という感情が湧き上がってくる。幼児が暗闇に怯えるように、何の理由もなく、怖くて怖くてたまらない。

「ふははははは!! 蛆虫ども、怯えなさい!! 怖れなさい!! 女王である私に、ひれ伏しなさいぃいいいいいなぁあああああああ!」

 レフォーズ・ベル、第二の能力、蛆魔そまの鈴音。女性支配を行いながら、周囲の男性に絶大な恐怖を与える能力である。一度侵入されたら、ひたすらに恐怖を植え付けられ続ける。

 これは悪夢以上に凶悪。
 精神が完全に死ぬまで、恐慌状態に陥るのだから。

 これはナサリリスが、レフォーズ・ベルに与えた新しい能力。もともと持っていた力を、男性用に転換した力である。男を奴隷にして、労働力として利用するために。

「想像以上に、凄いわね。でも、便利な能力かしら。私も旦那用に欲しいわ」

 ネルジーナも、その威力には感嘆する。これをバクナイアに使えば、相当なお仕置きになるに違いない。ちょっと欲しくなったりもする。

「でしょうーーー!? いいでしょう!! あなたも、こちら側にくればぁあああ! いいのよ!!」
「そうしたいところだけど、旦那がいるから無理よ」
「そんなもの!! 男なんて!! そんなものに縛られているから、私たちは解放されないのよおおおおおお!!」
「わかっていないわね。女は、男を支配するものよ。もともとそういう存在なの。たかが男一人に騒いで…それがわからないから、あんたはお子様なのよ!!」

 呂貌の右手に鋭角的な臨気が集まり、棘のついた鉄球のような形状になる。炎を超えた、光炎のトゲトゲボールとでもいうべきか。

 それを、投げつける。

 ビシュナットのような放出タイプでもないネルジーナが投げても、あまり速度は出ない。皇型の速度があれば、簡単に避けられるものだ。

(これは―――危ない!)

 しかし、ナサリリスは直感的に、それが危険なものであると感じた。前面に氷の壁、凍気壁を生み出し防御しつつ、後ろに下がる。


―――業爆


 トゲトゲボールが、皇型と呂貌の中央に達した時、臨気が爆発。周囲に棘状の臨気弾を撒き散らしながら、大爆発を起こし、赤い雨を掻き消すほどに世界は赤く染まった。

(なんて威力!! 強化した凍気壁が蒸発したわ!)

 もし直接当たっていれば、凍気壁ごと一撃で落とされた可能性すらある。それほどの威力を秘めている攻撃であった。

 ただし、効率が悪い。

 これだけの威力の臨気を放てば、消耗はかなりのものである。放出系を得意としない戦士が、遠距離攻撃をあまりしないのは、戦気の消耗が激しくなるからである。

 ビシュナットのような放出系戦士は、戦気を維持する能力に長ける傾向にある。弾丸にしても、そこに戦気をまとわせて維持させる力、【持続力】である。

 戦気を身体にまとうだけならば、生体磁気の性質上、半ば自動的に維持することができるが、違う物体を覆いながら遠距離まで維持させるのは難しい。より強い集中力と長時間の持続力が必要になるからだ。

 ネルジーナは、これが苦手である。志郎やデムサンダーもそうだし、彼らに限らず多くの戦士は、こうしたことが苦手であった。だから放出系の技はあまり使わない。

 せいぜい修殺や蹴殺のような、戦気の消耗があまりない軽い技にとどめる。ああいう技は、もともとの拳圧や蹴圧が技の主体となっているので、そこまで消耗はしない技なのである。

 それ以外の大技となれば消耗が激しく、威力も本職には及ばない。使わないのではなく、使えないのである。使う意味がないのだ。

 ただ、できないわけではない。こうしてロスを大きくしても、やる価値があるのならば、ネルジーナでもこれくらいのことはできる。

 そして、赤い光炎が収束する前に、呂貌は駆けていた。それが目眩ましになって、ナサリリスの動きを一瞬封じる。ネルジーナには、それだけあれば十分である。一気に間合いを詰めていく。

「近寄らせないぃいいのおおお!!!」

 皇型は、クリスタルガンを連射して、呂貌の足を止めようとする。呂貌は、それを避けない。肩を掠め、腰に当って装甲が抉られようとも、まっすぐに突っ込んでくる。

 射撃をしていて怖いのは、こうして突っ込まれること。普通に考えれば的でしかないのだが、それが難しいのは、攻撃がどの段階で効果を発揮するか、何発撃ち込めば倒せるかの判断である。

 経験の浅いガンマン、逸り気のあるガンマンだと、この判断ができないことが多く、身の危険が迫る距離まで粘ってしまう。銃者にとって、接近されることは思った以上に致命的なのである。それを見誤ると、一瞬で命が奪われてしまう。

 されど、ナサリリスは、そこも巧い。

 連射で倒せないと悟ると、即座に背後に下がる。アミカとの戦いで壊れたビルの残骸を盾に、回り込んで逃げようとする。常に周囲が見えている証拠だ。

 だが、彼女も【見えなかったもの】までは見えない。

―――爆発

 回りこんで身を隠した瞬間、ビルの残骸が爆発したのだ。その衝撃と、残骸の欠片が皇型を襲う。

「こんなものぉおお!」

 凍気壁を張って防御。所詮、残骸である。それらでダメージを負うことはない。

 問題は、なぜ爆発したか、である。

 答えは簡単。さきほどの目眩ましの間に、ネルジーナが仕掛けておいたからだ。大きな臨気弾が爆発した直後、同時に榴弾が散らばって爆発を引き起こす。その間に、小さな臨気弾を投げて、そこに置いておいた。

 それを時限爆弾のように、少しずつ膨張するようにしておき、爆発のタイミングに合わせてナサリリスをそこに追い込んだのだ。追い込む時間を調整し、そこに逃げるように仕向ける。それを戦いながら、このレベルの相手にやってのけた。

(なんという予測力! あれが熟練した武人の戦いなのか!)

 アミカは、驚きを隠せない。

 それはまるで、自分がやられた場面に似ていたからだ。ゼッカーを押していると勘違いしていた自分が、狭い路地に誘い込まれ、一気に打破された光景。周りが見えていなかったアミカと、常に周りを見て、その先を読みながら戦っていたゼッカーの、些細でありながら絶対的な差が見えた光景。

 そして、それこそ優れた武人の証明であり、MG戦闘の真髄でもある。

 ネルジーナの行動予測能力は、相当なレベルにある。戦いながら、常に先を読み、自分に有利な状況を生み出すのだ。それこそ、MG戦闘にとって一番大切な要素である。

 彼女は、MG戦闘に慣れている。

 いかにカノン・システムによって、現代の技術力を凌駕していても、相手が神機だと思えばさしたる違いもない。そしてネルジーナは、神機とも戦ったことがある。ならば、何を怖れる必要があるだろうか。

 衝撃を防ぐために、動きが一瞬鈍ったリヴィエイター皇型に、呂貌が迫る。

 そして、挽手。

「なんのおおおおおおおおお!」

 皇型は、リフレクターシールドを展開。今まで使わずにおいたカードの一枚を、ここで切る。

 しかも、命気で結晶化し、さらに強固にコーティングしたものだ。探知能力は下がるが、その代わりに盾としても剣としても使えるようになる。

 リフレクターで防御しつつ、その内の二つを攻撃に回す。

 クリスタルリフレクターが、呂貌に突き刺さり、ネルジーナの身体に穴をあける。一本は肺を貫き、一本は足に刺さる。彼女の防御力をもってしても、この一撃は防げなかった。

 さすがの攻撃力である。
 がしかし、それでいい。

「痛みを教えてあげるわ!! さあ、飛びなさい!!!!」

 呂貌は、強引に挽手を振り下ろす。クリスタルシールドに阻まれながら、挽き裂き、貫き通す!!

 激情した暴力が、氷の女王を―――



―――抉り取った



 シールドを破壊し、そのままの勢いで皇型の胸を抉り取った!!


「ぐぎゃぁぁぁああああ―――!!」

 ナサリリスの胸から、鮮血が迸る。

 それはまさに胸。彼女の豊満な左乳房が、挽手によってボロボロに挽き裂かれたのだ。胸元にも大きな裂傷が走り、美しい身体に傷がつく。挽き肉のように、ぐちゃぐちゃになった部分もあるほどの重傷だ。

「お姉様ぁああ! いやぁあぁぁぁぁああーーーーーー!!」

 意識をリンクさせているクマーリアにも、何が起こったのか、ありありとわかった。愛しい人の身体が傷つけられたのだ。しかも、女性であることを示す、大事なパーツが破壊された。絶叫しないほうがおかしい。

 これはショックである。誰しも性のシンボルを破壊されれば、大きな苦痛を感じるに違いない。男ならば、ブツがなくなれば、もう立ち直れないほどのショックを受けるはずだ。女性ならば、乳房もその一つである。

 だが、それはあくまで他人から見た感想。
 当人の感想は違う。

「はーーーー、はーーーーー!! はぁぁあああああああああああああああああああああああああ! これはぁあああああああ!! すんごおおおおおおおおおおおおいいいいいいいいいわぁあああ―――!!」

 顔が紅潮し、白い肌が赤に染まっていく。それは痛みによるものではない。―――【快楽】によるものである。

「どう? あなたのとは違うけれど、効くでしょう! この挽手は!」
「おおお、ぁあぁぁ…!! いい、イイわねぇえええ! これはぁああああああああ!!」

 ナサリリスが感じているものは、激しい痛み。
 同時に、快感。

 身体全身を焼くような、激しい感情が駆け巡っている。身体がバラバラになりそうなほど、燃えるように熱い激情である。それが、今まで味わったことのないタイプの快感となって、ナサリリスを支配する。

「でも、まだまだよ!! 私の心はぁあああ!! こんなものではぁあああああ!! まだ足りないのよぉおおおおお―――!!! まだイケないいい! 全然イケないのぉおおおお!!」

 皇型からブリザードが発生。今までのものより激しいだけではなく、そのすべてが結晶化した命気で出来ている。それが臨気の障壁と激突し、爆発を引き起こしていく。力と力の激しい衝突が、さらに場を混沌とさせていった。

「あはぁああ!! もっと、もっとよおお!! もっと感じさせてぇええ!!」

 ニードルの代わりにクリスタルを使った、クリスタルソードで呂貌を攻撃。呂貌はガードするが、ブリザードの影響を受けて回避が遅れ―――

―――突き刺さる

 肩を抉り、貫通するクリスタル。だが、攻撃はそれで終わらない。損傷箇所から命気が侵入し、内部を汚染。そして、さらに結晶化。

「かはっ!!」

 ネルジーナに激痛が走る。身体の内部を侵食され、さらに固められる痛みは、激痛というのも生易しい痛みである。身体そのものが変質するような、冷たい痛みが襲いかかる。

 呂貌は一度、退避。ブリザードに追われながらも、必死に距離を取った。皮肉にも、さきほどとは逆になってしまった。

 そして、アミカと合流。

「おば様!! 無事ですか!?」
「これは…キツイわね! 今の一撃でも仕留められなかった。思った以上に…あの子は強いわ」

 ナサリリスの強さは、ネルジーナの予想を超えている。特に、あの命気が厄介である。

 今の挽手は、一撃必殺のパワーを秘めていた。ネルジーナも勝負を決めようとしたのだが、クリスタルシールドに威力を殺され、致命傷には及ばなかった。しかも怪我は凍気によって止血され、命気をまとえば回復力すら高まるのだ。簡単には殺せない相手である。

 このことから、命気が【防御系の気質】であることがわかる。

 水は、他人を害するものではない。本来は、慈悲深い海の性質を持つものなのだ。それを攻撃に転化しているナサリリスは異常だが、命気の防御機能も捨てているわけではない。

 もともと高い攻撃力を強化しつつ、弱点である防御も固める。こうなれば彼女に隙はない。バーンの本領発揮である。

「おば様でも駄目なのですか!?」
「そうね。駄目かも。このまま続ければ、先に私が倒れるわ。悔しいけど、彼女のほうが若くて体力もあるからね。あー、やだやだ。歳は誤魔化せないわね」
「そんな! ならば、どうすれば…」
「さっき言ったことを忘れたの? 立ちなさい。自分の足で。あなたも戦うのよ」
「私が…?」

 正直、このレベルの戦いに参加できるとは思えない。今ではもう、エルダー・パワーの第九席という地位ですら、何の役にも立たないことを知っている。

 この領域は、師範レベルのもの。
 普通の席持ち程度が、どうこうできる段階を超えている。

 それでも、ネルジーナはこう言うのだ。

「相手が誰かなんて、関係ないのよ。誰が相手だって、どんなに形勢が不利だって、私たちは大切なものを守らねばならないの。そうでしょう?」
「―――っ!!」

 その言葉は、アミカを貫いた。エルダー・パワーとして、常に戦い続けてきた彼女に残された最後の志。この国を守るという、たった一つの、とてもシンプルな想い。

「やるのよ。私たち二人で。わかったわね!!」
「はい、おば様!!」
「いい返事ね。じゃあ、行くわよ!」
「はい、行き―――え?」

 呂貌が、壱式の首根っこをがっしりと掴む。それはまるで、子猫を噛んで掴む母猫のように。彼女が唯一、母猫と違うのは―――


「いぎゃあ~ああああ~~~~~!」


―――投げること


 べつにこの状態でも、相手をボロボロにせず投げることができる。臨気を圧縮せず、普通に引手を使えばいいのだ。

 そして、投げつけた。
 ブリザードの海へ。

「やぁあーーーはーーー! いらっしゃい、子猫ちゃんんんん!!」
「いやああああああーーー!」

 そこには、クリスタルソードを持った皇型が待ち構える。ただし、ブリザードは、壱式を避けるように開かれ、アミカに攻撃が届くようなことはなかった。

「ならばこのまま!!」

 壱式は、投げられた勢いのままリンドウを振るう。それをソードで受け止める皇型。しかも凍気を使って、優しく壱式の反動を受け止めるという余裕まで見せる。

「あはぁあああーーーー!! 今ね、とてもいいところなの!! ぐっ、ぐっ、って突き上げてきてるところなの! だから、あなたも遊びましょうよぉおおおお!! あはーーーー!! そうよ、そうよ!! もっともっと昂ぶってねぇえ!!」

 恍惚な表情で、身悶えるナサリリス。ズタボロに傷ついた自身の胸を、自ら揉みしだき、抉り、流れる血を掻き混ぜる。痛みという快楽が、彼女の全身を侵しつつあるようだ。

 体勢を立て直した壱式は、周囲を警戒。だが、ブリザードは依然、壱式を避けるように吹き荒れている。皇型と壱式の場所だけ、ぽっかりと無風状態である。

(くっ、この女、また見下しているな! 私には、わざわざ使う必要もないということか!)

 もし、このクリスタルブリザードの雨に晒されたら、壱式は戦う前から相当なダメージを負っていたところである。それを知っているナサリリスが、手加減をしたのだ。

 アミカを手に入れるために。
 アミカの技量に合わせるために。

 子猫に本気を出す成猫はいない。それと同じである。

(まだ私をなめているのならば、勝機はある!! 私はもう、負けない! 自分に負けない!! こんな女に、負けてたまるものか!!)

 アミカ、反撃の時である。

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