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零章 第四部『加速と収束の戦場』

八十四話 「RD事変 其の八十三 『冷美なる糾弾⑨ ネルジーナ』」

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(間違いない。…彼女だ)

 伊達は、目の前に現れた赤い機体を見つめる。何度見ても、それは消えたりしない。間違いなく本物であり、現存しているものだ。

 ダマスカス陸軍、第十二型特別強襲用MG、呂貌りょぼう

 バードナーが使っていた呂魁の兄弟機であり、諸所に構造上の類似点が存在している。普通のMGより大きい特機型で、伊達のハイカランより一回り以上は大きい。

 ただ、その見た目に関しては、長年のカスタマイズによって呂魁とは趣が違う点もある。

 呂魁よりも全体的にスリムで、より機動性に特化している。圧手という攻撃方法を持っていた呂魁と比べて、手も若干小さいように思える。それ自体は普通のことで、そもそも呂魁の攻撃方法が特殊だったにすぎない。

 ただ、それらの特徴は、実に些細なことである。もっとも目につくものは、頭部に【つの】のようなものがついている点。天に伸びた猛々しい二本の角を見るだけで、周囲の者は威圧されてしまう。

 これはただの飾りではなく【象徴】だからである。

 これこそ彼女の本質を示す、もっとも単純なシンボルなのである。これを見た瞬間、よほどの新人か命知らずでない限り、即座に道を譲るであろう。

 そして、美しい真っ赤な機体色が目を引く。全身を赤く染め上げた鬼の姿。それこそ彼女の異名、激情鬼に相応しい姿である。呂貌は、彼女のためだけに造られ、彼女が私有することすら許されている、ダマスカスの【象徴機】なのである。

―――象徴機

 各国、各団体組織には、国家元首や代表者など、その存在を象徴すべき人間がいる。それは機体も同じで、それぞれを象徴するべきものがあるのだ。

 たとえば、ルシア帝国が誇る天帝専用機、エンペラーガイン〈天帝の権威〉。初代ルシア天帝が乗っていたその神機は、美しい青と白を基調とし、紛れもなくルシアの叡智と純粋さを象徴している。

 ガネリア新生帝国では、ハーレムのグラドジェネシスがそうであるし、旧ガーネリア帝国においては、皇帝専用機のガーネルジェネシスが、国家そのものであるとされていた。皇帝と象徴機があるところ、そこが国の主権のあるべき場所なのである。

 ラナーのシルバー・ザ・ホワイトナイトも、ロイゼンおよびカーリス教の象徴機として有名である。一目見れば、それがどこの所属であり、何を象徴しているかがわかるからだ。

 それは、いわば【旗】。

 フラッグファイトで自身の誇りをかける旗のように、自身そのものを象徴する存在。見るだけで心踊り、興奮してしまう作用を持っている特別な機体である。

 そして、ダマスカスにとっては、それがこの呂貌であった。

 それまでダマスカスには、象徴機というものがなかった。紅虎丸の弟子たちが作ったエルダー・パワーと国が分離してからは、象徴となる存在がいなかったのである。(昔、象徴とされていた機体は、エルダー・パワーの里に御神体として祭られている)

 ダマスカスは経済国家なので、皇帝や国王のように自ら率先して戦う存在もおらず、戦いは軍に一任している。そこで陸軍が全盛期の何十年も前、新たに象徴機を定めようという話になった。その当時に選ばれたのが、この機体である。

 象徴機を新たに決めるとなれば、当然揉めるはずである。歴史のあるものやら、どれだけ自国の色を反映しているかとか、それはもう大変な騒ぎになるはずであった。

 が、一瞬で決まった。

 なにせ圧倒的だったから。
 当時の彼女も機体の強さも、ともに圧倒的だったのである。

 その機体が目の前にあるとなれば、伊達も興奮を隠せない。

「だ、大隊長……だ、伊達です! ショウゴ・伊達であります!」
「伊達ちゃん? こんなところで会うなんて奇遇ね」
「お久しぶりです、少佐! 五年ぶりです!」
「ああ、もうそんなになるかしら。式典以来ね。それと、一応私は大佐よ」
「これは失礼しました! 大佐!」
「ふふ、冗談よ。辞めた時にもらった意味のない階級なんて、何の役にも立たないものね。少佐でいいわよ。そのほうがしっくりくる」

 ネルジーナは、十年前の五十歳の時に陸軍を退役している。後進の若者が育ってきたことと、軍縮の流れが本格化してきたので、陸軍の象徴であった彼女も踏ん切りがついたのだ。

 夫のバクナイアは軍縮に反対だったが、時代は軍縮まっしぐらであった。妻のネルジーナの存在も、政敵の口実にされてしまうため、彼女自ら退役を願い出たのである。

 その際、角が立たないようにとの政敵側の配慮で、二階級特進したというわけだ。ネルジーナ自身は階級に興味がないので、さして嬉しくもなかったわけだが。

 彼女が少佐でいたことさえも、これ以上軍拡が進まないようにと周囲からの横槍があったからである。バクナイアも必死に彼女に辞めないように説得したものだ。それはもう、本当に必死に。

 それを見て、軍縮に反対する武闘派の者たちも、「さすが国防長官だ」と信頼を厚くしたものである。ネルジーナの英断があったからこそ、武闘派は最低限の力を残すことに成功し、今の武力計画やハイカランが存在する。その功績は非常に大きい。

 が、実際のところ、妻が主婦となって家に常時いられると、バクナイアの自由な時間がなくなることを怖れての説得であった。日々の妻のご機嫌取りはもちろん、帰宅時間にも気を配らねばならないので、夫の精神衛生上のためにも退役は避けたかった。

 されど、その流れは止められず、ネルジーナは退役。その後の三年間、どんなに忙しくても定時に帰るバクナイアの姿が目撃された。政敵からその件について攻撃されても、「妻が待っているので」の一言で、相手も黙るしかなかったという。

 まあ、その結果として、「公僕による愛妻家の会」での発言力も増し、女性人権圧力団体との交渉も成功したわけだが。

 話は戻り、伊達と出会ったのは五年前。ネルジーナが退役軍人パーティーに出席した時、警備として伊達が来ていた以来である。

 もともと伊達は、彼女の部下であった。彼女が率いていた大隊に入ってきた「鼻たれ坊主」の新人だった伊達を、ネルジーナがボコボコにして更正させた、という経緯もあったので旧知の仲である。

 彼女の大隊、アルガンザ・レッドオーガ〈激情鬼大隊〉は、旧ダマスカス陸軍において最強の部隊であり、メイクピークも解散の数年前には入隊していたため、現在のゼルス・セイバーズの前身にもなった部隊である。

 メイクピークが傲慢にならなかったのは、そこで鍛えられた伊達や、文句なしでダマスカスのトップエースだった彼女がいたからであろう。文字通り、伊達に鼻っ面をへし折られ、ネルジーナには何度も叩きのめされ、それによって若い者たちは鍛えられていったのだ。

 その後の陸軍再編によって、彼女の名前は多少ながら錆び付いたものになってしまったが、陸軍出身者にとっては、いまだ伝説のものとなっている。

 事実、今も強い。

 伊達が手も足も出なかったクマーリアの肩を、いとも簡単に外してしまったのだ。それ以前に、分身していた機体を捉える段階で、彼女のレベルは桁違いに高い。

 その彼女が援軍に来た。それだけで周囲の士気は急上昇、うなぎのぼりである。周囲からは雄たけびが上がり、英雄の凱旋を祝福する。

「あら、こんなロートルでも歓迎してくれるのね。嬉しいものね」
「少佐ならば大歓迎です」
「それにしても伊達ちゃん、軍を辞めるって言ってたわよね。民間軍事会社に入るって話はどうなったの?」

 ダマスカスでは軍縮の影響で、民間軍事会社が増加傾向にある。職を失った退役軍人の受け皿でもあるので、大半は武闘派の財閥が経営を行っている。

 大々的に戦闘行為をするわけではないので比較的安全であり、民間人に護身術や銃の使い方を教えるインストラクターは、なかなかに高給取りである。

 伊達も軍隊を辞めて、軍事インストラクターになろうと思っていた。思っていたのだが…

「ええ、まあ。いろいろと考えましてね……案外、軍が気に入っているみたいです」
「そう。それもいいわ。あなたがいたから、私が間に合った。それも事実だものね。よくがんばったわ」

(そう。この人のために、俺は残ったんだ)

 伊達は、久々に見たネルジーナの顔に見惚れる。通信映像であれ、その顔は前とあまり変わっていない。美しく、凛々しく、誇らしい。まさに、あの時のままである。

 バクナイアの同期入隊なので、年齢は同じく六十でありながら、いまだ四十歳程度の若さを保っている。若干のしわは見受けられるが、それも彼女の奥深さをさらに強調し、より魅力的に見せている。

 黒と黄を混ぜたようなオリーブドラブの、やや胸にかかろうかというセミロングの髪の毛は艶やかで、赤いパイロットスーツの上からでもわかる大きな胸は、強く優しい彼女の包容力を象徴しているようである。

 全体から湧き出る活力も、伊達が初めて見た時と同じで、彼女がいるだけで周囲の雰囲気が明るくなるようだ。いや、明るいなどという軽い表現では、彼女が持つ力を存分に言い表したとはいえない。

 勇気が湧き出る。
 勝てると思える。

 陸軍からすれば勝利の女神であり、敵からすれば最悪の激情鬼である存在は、今の現状をすべてひっくり返せるだけの希望を与えてくれるのだ。

 伊達は、軍を辞めなくてよかったと心底思えた。辞めていれば、もっと安全で静かな暮らしができただろうが、彼女とこうして出会うこともなかっただろうから。褒められることもなかっただろうから。

「貴様ぁぁあ! 貴様ぁぁああ! よくも私の肩を!!」

 クマーリアが、ようやくショックから立ち返る。

 まさか、自分を傷つける相手がいるとは思わなかった。リヴィエイター乙女型に乗った自分の肩を外すとは、まったく想定していなかった。だから、これは油断である。油断であるはずだ。

 そんなクマーリアの前に、ネルジーナが立ち塞がる。

「女の子なのに、そんな口の利き方をしては駄目よ」
「―――っ! この感じ! お姉様なの!?」
「あらぁ~。私のことをお姉様って呼んでくれるなんて、なんていい子なのかしら!!」

 またもや、クマーリアの(無駄な)特殊技能が発動する。女性限定で、相手が年上かどうかがわかるのだ。しかしながら彼女の能力は、それにとどまらない。

 対象のオーラを見ることで【女性としての質】も見ることができる。肉体年齢はもちろん、どれだけ女性として優れているかがわかるのだ。

「すごい。成熟していながらも、こんなに張りがあるなんて…なんて綺麗なお姉様なの!!」
「あらぁあああああ! いい子じゃない! ねえ、伊達ちゃん、この子、いい子よ!!」
「いや、少佐…。そいつは悪魔です…」

 伊達はげんなりするも、ネルジーナは歓喜で打ち震えていた。

 なにせ彼女は、アンチエイジングにも気を遣っている。週に三日はエステにも通うし、普段使う化粧品にもこだわりがある。運動もしっかりして、プロポーションが衰えないようにもしている。その努力を褒められて、嬉しくない女性はいないだろう。

 一方、夫のバクナイアは、彼女がエステに行くたびに早く帰宅して、(それがまったく変わっていなくても)褒めねばならず、異様に高い化粧品も買わねばならない。

 加えて、運動と称した激しい破壊活動を見て、あれが自分に振り下ろされる日が来るのではないかと、日々心労を重ねている。

 妻が老化に抵抗するたびに、夫はひどく老化していく。バクナイアの髪が白くなるたびに、そんな同情の声さえ聴こえてきたものだ。彼女の若さは、本来バクナイアが持っていたものだと思うと、無性に哀しくなってくるものだ。

(そんな……。こんなところにも、素敵なお姉様がいるなんて…)

 クマーリアの胸中は複雑であった。彼女を見れば、ナサリリスは間違いなく狂喜乱舞し、再びレフォーズ・ベルを使うだろう。彼女の能力は、明らかにアミカ以上。ナサリリスが求める女尊の国には、必須の人材であるから。

「苦しい。すごく苦しい! でも、でも、これ以上は…! どんなに素敵なお姉様でも、ここから先には行かせない!」

 リヴィエイター乙女型から戦気が迸る。若くて張りがあって、瑞々しい気質である。それを眩しそうに見つめながら、ネルジーナも覚悟を決める。

「そうね。私も心苦しいけど、あなたを止めないといけないわ。私は、私の国を守らねばならないの。夫が国防長官だものね。妻の私も責任がないとは言えないし」

 都市部にも被害が出ていることから、部外者であったネルジーナにも、今が危機的状況であることが理解できる。

 それは当然、国防を預かる夫の責任にもなる。ここまでの被害が出た以上、何の責任も取らずにいられるわけがない。それを思えば、妻が一肌脱ぐくらいのことはしてもよいだろう。

「現時刻をもって、この部隊はネルジーナ・バクナイア元陸軍少佐の指揮下に入ります。伊達大尉は、周辺の部隊の再編成を優先。負傷者は速やかに離脱し、残存兵力は新手の敵を警戒」
「了解しました」
「コマツバラ伍長は、現状まで得た敵機情報を転送してちょうだい。分析はしているわよね?」
「はい! もちろんです!」
「こちらへの援護は不要よ。相手が動いたら、無理をせず後退。市街地に出ない限り、応戦はしないこと」

 ネルジーナの指揮の下、ダマスカス軍が再生していく。その動きは、何の淀みも躊躇いもなく、実にスムーズに行われる。

 なぜ、伊達たちが簡単に崩れたのか、その理由は明白。現場の指揮官がいなかったからだ。いくらリュウやバクナイアが指示しても、現場でリーダーシップを出せる者がいなくては、部隊は簡単に瓦解してしまう。

 伊達は優秀な軍人であり、小隊長程度ならばできるが、大部隊の指揮官向けではない。今必要なのは、誰もが認めるだけの力をもった上官であり、敵に対抗できる強力な武人。レド・バードナーとメイクピークがいない今、彼女以外に任せられる人材はいなかった。

 ちなみにバイパーネッドの対応時に指揮を執っていたアシェットン少佐は、現在都市部外周に戦力を回して、防衛ラインを形成している。ルシア軍が塔周辺を制圧したことを受けて、民間人の避難を優先させた結果である。

 唯一の誤算は、出現したリヴァイアードが、ここまで強かったこと。アミカ独りに任せる作戦が、あっという間に瓦解したことである。こればかりは想定できなかったので、誰も責めることはできないだろう。

「さあ、あなたの相手は私よ。いくらでもかかってらっしゃいな」

 呂貌が乙女型と対峙。強力な武人には、強力な武人を当てる。これが対武人戦闘では最適解なのである。今、ダマスカス軍は、ようやくにして唯一無二の武器を得たことになる。

「うう、ごめんなさい、お姉様!!」

 リヴィエイター乙女型が、ビームキャノンを発射。足を狙った一撃だ。呂貌は、大きく跳ねて回避。続けて第二射。これもかろうじて回避。

 そして、第三射。
 今度は二門同時発射である。

 呂貌はかわしきれず、屈み込むように両腕でガード。そのまま光の奔流に押され、機体を激しく揺らしながら後退する。ビームの威力を殺した頃には、三十メートルほど下がることを余儀なくされていた。

 呂貌の腕から煙が上がる。

「これが噂のビームってやつね。なるほど、たいしたものね」

 ネルジーナは、少しひりついた腕をさすりながら、相手の武装を観察する。戦気で防御したが、それでも押された。軽く腕が痺れるほどの威力である。まともにくらったら、相当のダメージを覚悟するべきだろう。

 光学兵器は実弾を使わないメリットも多く、こうして威力も高いのならば、十分兵器として採用できる優秀な武器である。ダマスカス軍でも、すでに光学迷彩まで到達しているのだから、そのうち開発に成功するだろう。

 ただし問題は、相手がそれをすでに実用化している点。開発に成功しても、実戦で使えるかどうかは別問題である。数多くのテストが必要になるだろうし、大量のサンプルや実働データも得なければならない。

 そう考えれば、実用可能になるのは最低でも十年以上後。普通のペースならば、二十年から三十年は先となる。それを相手は、ほぼ完全な形で実用化している。

 その技術力は、やはり異様としか言いようがない。

「あなたたちの正体には興味があるわ。ぜひ、お話を伺いたいものね。でも、投降なんてしてくれそうもないから、力づくでお願いするしかないかしら。女の子をしばくなんて、気は進まないけどね」

 再び距離を詰めようとする呂貌に対し、リヴィエイター乙女型は距離を取った。

 クマーリアは、強引に左肩をはめて脱臼を治したが、まだ痛みと痺れが残っている。機体の修復状況も芳しくない。リヴィエイター乙女型には、一般的な修理機能はあれど、オブザバーンのような高い再生能力は付与されていないのだ。

 再生装甲に使われているドドテアリは、戦気を食料とするように改良されている。ということは、再生には高純度の戦気が必要となる。それはホウサンオーやガガーランドだからこそ供給できるのであって、クマーリア程度の戦気量では難しかった。

 その代わり機体内には、極小の修理マシンが搭載されており、損傷箇所を地道に修復している。それもまた大きな修理はできないので、回復できたとしても、なんとか動く程度にするくらいであろう。

 この回復状態では、チョッキンブレードは満足に使えない。ハイカラン程度ならば対応できるが、不用意に近づくのは憚られた。さきほどのネルジーナの攻撃が脳裏に焼きついているからだ。

(データ照合。機体名は、呂貌。三十年以上前に造られたダマスカス産の特機。やはりあのお姉様が、ダマスカスの激情鬼。王竜級の戦士で要注意人物の一人)

 クマーリアは、自動で検出されたネルジーナと呂貌のデータを見る。そこには、赤字で要注意と表示されていた。

 ネルジーナは、ブリーフィングでも話題に出た人物である。すでに退役しているものの、注意度はレド・バードナーやメイクピークよりも数段上。エルダー・パワーの武人と同レベルの危険度であった。

 しかも危険度は、師範クラスと同じ。

 師範の情報は極秘のせいか外部には漏れておらず、クマーリアたちも詳細は教えられていないが、発見したら魔戯級以上の武人が相手だと思え、といわれているほどである。

 魔戯級といえば、武人のランクでは第四階級に属し、非公式ではあるものの、オロクカカもここにランクされている。彼の能力は、覚醒前のサンタナキアを圧倒するほど。一国の筆頭騎士団長レベルである。

 ただし、オロクカカの能力は、無人機や人形を扱うときにこそ最大限発揮されるので、通常時の戦いにおいては、エルダー・パワーの師範とは分が悪い戦いになるだろう。

 その師範と同じ程度と思えば、ネルジーナの戦闘力は、オロクカカより上。

(単体ならば私より上の武人。ナサリリスお姉様がいない以上、危険な相手だ)

 ずきり、と左肩に痛みが走り、それを戒めとする。生身のクマーリアの防御力は高いとはいえないが、乙女型がそれを補っている。仮にバードナーの呂魁であっても、簡単に脱臼などさせられないはずである。

 それを、いとも簡単にやってのけたのだ。実に恐ろしい相手である。

 しかも今の自分は一人だ。合体しているときならばいざ知らず、単独での戦いは極力避けるように言われている。残念ながら、クマーリアの実力は高いが、ナサリリスと一緒だからこそバーン扱いなのである。

 されど、今の自分は逃げるわけにはいかない。彼女を進ませるわけにはいかないのだ。ならば、確実に足止めしないといけない。

 ここで彼女は、勝つことを諦めた。
 極めて冷静で賢明な判断であろう。

 もし相手が男だったならば、これほど冷静ではいられなかっただろうが、ネルジーナのおかげで気持ちが落ち着いたのだ。

(接近戦は不利。なら、砲撃で対処すればいい!)

 呂貌は呂魁同様、接近戦主体の機体である。本領は相手に密着してから発揮される。それはさきほどの攻撃で一目瞭然であるから、選択肢は一つ。遠距離で戦えばよいのだ。

 クマーリアは、放出型の暗殺者である。タイプ的にはナサリリスと似た武人で、区分としては剣士に該当する。生身でも銃を使うので、中距離からの攻撃は得意である。

 あの対応からすると、呂貌の回避力は平均より上程度であると思われる。射撃をかわすことはできるが、連続で当てにいけば回避はできない。

 そして、戦気で防がれてもダメージは与えられる。何十発も与えれば、それなりに損傷させることはできるだろう。その間に対応される可能性もあるが、そうなればまた違う戦いに変えればよい。

 クマーリアは、合体時のリヴァイアードがそうであるように、リヴィエイターも高速砲撃戦用の機体として扱うことができる。彼女の動きがあれば、軽快に動きながらビームキャノンを連射することも可能だ。

「いきます!」

 乙女型が、高速で移動しながらビームキャノンを発射。いくつものビームが、呂貌に襲いかかった。

「あらあら、困ったわ」

 ネルジーナは、戦士タイプの武人である。機体を見ればわかるが、力を出せるのは接近戦だ。このように射撃を続けられるのは、あまり好きな状況ではない。

 それでも迫ってくるものは仕方がなく、回避を開始。クマーリアの予測通り、一発、二発目は回避したが、三発目は避けられない。

 三発目は、当たる。

 そう思った時、呂貌の手に球体が生まれた。覇王技、裂火掌である。火気を圧縮したもので、ガガーランドも好んで使う技だ。ネルジーナの性質も火なので、彼女も普段から愛用している技であった。

 ただし、その大きさはガガーランドと比較して、相当小さなものであった。まさに掌サイズで、呂貌の手にすっぽりと収まる程度のものだ。

 それを、迫ってきたビームに当てる。

 光は球体に触れると、突如角度を変え、火に包まれながら明後日の方向に飛んでいく。それからビームが迫るたびに裂火掌を生み出し、すべての攻撃をいなしていく。

「そんな!?」

 クマーリアは、何が起こったのかわからずに戸惑う。まさかビームキャノンが、ああも簡単に弾かれるとは思っていなかったからだ。

「あら、実弾と同じなのね。効いてよかったわ」
「何をしたの!?」
「さあ? こうすると弾けるのよね。細かいことはわからないわ」
「そんな大雑把な!」
「結果が同じなら、何でもいいじゃない。結果は大事よ」

 このあたり、実にダマスカス人らしい考え方である。

 ネルジーナ自身、原理はよくわかっていないが、裂火掌を圧縮すると盾代わりになることを経験で知っていた。現役時代も、よくこれで実弾を防いだものである。

 裂火掌は限界まで小さくしているので、それだけ圧力が高まっている。威力だけならば、ガガーランドのそれと変わらないだろう。

 もちろん、大きさが圧倒的に違うので、広範囲を一気に消し飛ばすことはできないが、単純なパワーだけならば同等の威力を誇っている。それならば、この程度の攻撃をいなすくらいはできるだろう。

 また、火気という性質上、対象を包み込むように受け止める。その間に戦気を制御して、方向をずらすこともできる。完全には防げずとも、これならば無害化できる。

「マシンガンとかは難しいのだけれどね。単発なら、どうとでもなるわよ」

 ネルジーナは、さも当然そうに言ってのける。
 だがクマーリアは、もっと重大な問題を指摘したかった。

(違う! そうじゃない! 本当に怖いのは――見切られたこと! あの速度で、どうして射線が読めるの!?)

 ビームキャノンの性質の一つに、速度がある。光学兵器は、実弾よりも速いのだ。防ぐのならばともかく、放たれたのを見てから避けるのは不可能に近い。一回や二回ならばともかく、何度も防ぐには、あらかじめ【予測】していなければ無理である。

 射線を見切られた。

 たいして攻撃も受けていないのに、こうも簡単に射線を見切ったことがすごいのだ。

 それからクマーリアは、ビームキャノンを連射しまくる。今までのことが、まぐれであると証明したいように、何度も撃つ。だが、そのすべてが裂火掌によって防がれていく。

(なんてスタミナ! あれだけ防いでも、全然疲れていない!)

 ビームキャノンは、ジュエルを消耗して放つので操者自身は疲れないが、呂貌は自分の戦気を使っているので疲れるはずだ。もう何十発も放っているのに、ネルジーナに疲れた様子はなかった。

(さすがにレベルが違う)

 外で見ている伊達にも、その差がはっきりとわかる。

 【耐久度】が違うのだ。

 これは単純に耐えるという意味でもあるが、その質が違うのだ。軍人は、常にギリギリの領域で自分を追い詰め、しごき抜いたことで強靭な肉体と精神を生み出す。

 その追い詰めかたが、半端ではない。

(あの地獄を体験していれば、誰だってそうなる。少佐は、あれくらいのプレッシャーには慣れている)

 常に最前線で戦っていたネルジーナにとって、クマーリアの圧力は、さして脅威となるものではない。

 たしかに裂火掌の連続使用は疲れるが、武人としての鍛錬も続けている彼女は、練気によって常時回復もしている。圧力が少なければ、練気も容易。よって、彼女はほとんど疲労していないのである。

 しかも、その原因はもう一つある。

「どうして! どうして射線がわかるの!?」
「だって、急所を外すんですもの。来る場所くらいわかるわよ」

 クマーリアの攻撃は、足や腕など、急所を外した場所を狙ってくる。そうとわかれば、予測するのは難しくない。事前に砲口を確認してからでも十分間に合うほどだ。

「あなた、優しいのね」
「違う、違う! そんなんじゃありません! 私は、傷を……お姉様に傷をつけたくなくて…!」
「あらま、本当に可愛い子ね。【お姉さん】、困っちゃうわ」

 今、ものすごくお姉さんを強調した気がするが、気のせいだと思いたい。さすがにそれを指摘する命知らずは、ダマスカス軍にはいないが。

(なんだよ、これは。全然男と対応が違うじゃねえか)

 伊達は、さきほどの白い悪魔とのギャップに「誰だ、こいつ」と思ってしまったほどである。

 クマーリアは、男にとっては悪魔でしかない。それが女のネルジーナ相手では、なんだかしおらしく見えるのだ。気のせいではない。確実に気力も萎えている。

 彼女の特殊能力の一つに、「対男性優位化、対女性劣位化」というものがある。

 簡単にいえば、男性に対しては恐ろしいほどの威圧感を与えるが、女性に対応すると逆の効果を発揮するものである。しかも、年上の「お姉様」に対しては、極端に弱くなる。

 彼女が【受け】だから。

 女性同士に関して、攻め受けの概念はあまり重視されないが、そういった行為の場合は、ナサリリスが攻める側になる。もっと言ってしまえば、双頭型のものを使うこともあるので、そうした意味で攻め受けができてしまっている。

 それが長く続いたためか、クマーリアは「お姉様に強く出られない」「お姉様の命令には反射的に服従」という能力を有することになった。それがネルジーナへの攻撃を、潜在的に抑え込んでいるのである。

 完全な思い込み。だが、人間の性格なんてものは、そんなものである。思い込みによる力は、あまりに絶大なのだ。

 初々しいアミカくらいならば、まだ余裕を保てるが、ネルジーナくらい成熟していると意識してしまい、力が発揮できない。

 それを見て「戦場に性別の概念を持ち込みやがって」と、リュウや伊達は呆れるわけだが、やはりクマーリアに女性を当てるのは、正しい方法であったことが証明された。

「来ないで、来ないでください!」
「あらあら、あらあら」

 飄々とクマーリアの射撃をいなすネルジーナ。実際、急所は外しているものの、この速度で飛んでくるビームを予測するのは至難である。それができるのも、彼女の戦闘経験値が段違いに高いからだ。

 それも当然。ダマスカスの戦果の大半を、彼女たちの部隊が挙げているのだ。ダマスカス自体、あまり戦争には関わらないが、戦地に派遣される部隊には、アルガンザ・レッドオーガ〈激情鬼大隊〉も含まれていた。

 そこで彼女たちは、常に戦いの中にあった。バードナー中将やナカガワ准将たちもまた、そうした中で暮らしていた。ダマスカス軍の中で、唯一実戦を数多く経験している世代である。

 もし、現在のダマスカス軍が、ネルジーナの世代で埋められていれば、もっとラーバーンは苦戦を強いられていたはずだ。ネイビーズ〈海兵陸戦隊〉のように練度が高い武人が、あらゆるところを固めていれば、アピュラトリス制圧すら難しかったかもしれない。

 むろんラーバーンは、そうした状況も考慮して戦力を決めているので、こうなったのはダマスカス自体が弱体化した結果である。

「離れないと!」

 クマーリアは、さらに距離を取るべく移動。暗殺者特有の素早さをもって、まるで猫のように、そこら中を駆け回る。本来ならば、素早さで劣るネルジーナは苦戦するが―――

「よっと!」
「ふひゃ!」

 呂貌の手が、あと一歩のところにまで迫る。乙女型は、それをギリギリで回避。

(駄目! 掻き回しても一直線に動いてくる!)

 クマーリアは、暗殺者特有の動きで左右に振るのだが、ネルジーナはまったく釣られない。そして、乙女型が軌道修正する瞬間に、迷いなく突っ込んでくる。

 それはまるで、リングの周りを跳ね回る機敏な相手に対し、中央でどっしり構えて対応するベテランボクサーの姿。フェイントにも引っかからず、相手の動きをしっかりと見極める。

(射撃だけじゃ無理。こうなったら、やるしかない)

 射撃の際には、一瞬ではあるが溜めが生まれる。それもまた相手に余裕を与えているのだ。

 乙女型は、チョッキンブレードを分解。二つに戻し、両手で刃を構える。射撃だけで相手を抑えるのは無理と判断。やはり接近戦も交えなくては、クマーリアの力は発揮できない。

 乙女型は、ダッシュ。左手は防御用に構えるだけで、右手のブレードで細かく攻撃を仕掛ける。呂貌は、それを拳で迎え撃つ。

 数秒間、十数発打ち合い―――

―――拮抗

 スピードもパワーも互角。両者の攻撃は、文字通り拮抗した。
 が、クマーリアは驚愕。

(なんでついてこられるの!? 三十年以上も昔の機体なのに! こっちはカノン・システムなんだよ!)

 呂貌のリンクシステムは、おそらくナイトシリーズより劣悪である。カノン・システムと比べると、反応速度には0.5秒程度の差が生まれる。この差は、武人の世界では致命的な差である。

 暗殺者のスピードは、通常の武人よりも速い。速い武人が暗殺者と呼ばれるからだ。単純な速度では、クマーリアのほうに分があるはずである。

 この世界は、古いものを尊ぶ慣習がある。神機やナイトリシーズのように、失われた技術力に現代の技術が追いついていないことも、一つの要因である。

 だが、それは一握りである。リヴィエイターのような最新鋭機、それも賢人の遺産を使ってタオが設計した高性能魔人機は、過去のものよりも数段優れている。少なくとも呂貌より性能は上のはず。圧倒していてもいいはずである。

 それを埋めたのは、やはりネルジーナの【予測能力】。

 クマーリアの行動を先読みして動いているのだ。
 つまり―――

(読まれている! 0.5秒先の未来から!)

 まるでネルジーナが未来の映像を知っているかのように、先読みをしながら動いているのだ。この瞬間のクマーリアは、サンタナキアの聖眼と対峙したような恐怖を味わったことだろう。

 動きを読まれることが、いかに恐ろしいか。身を竦ませ、身体を硬くさせるか。それが続くことで受ける圧力が増し、徐々にクマーリアの動きが遅くなっていく。恐怖から判断力が低下していくのだ。

 そして、ついにその時が来た。

「掴まえた」
「あっ―――!」

 呂貌は、ついにリヴィエイターを掴まえた。右手でがっしりと装甲を掴んでいる。

「こんなに簡単に!?」
「これもそんなに難しいことじゃないのよ。原理は、とても簡単」

 実は、ネルジーナがやっていたことは、とても単純である。応酬をしながら幾多のフェイントをかけ、クマーリアの動きを封じただけだ。その間、呂貌は動く必要はない。

 【視線】があれば十分。

 暗殺者には、この手がよく効く。

 暗殺者タイプは、実に鋭敏な感覚をもっている。彼らは感覚を重視し、感覚によって動く。それこそが彼らの速さに【怖さ】を与え、厄介な敵に至らしめているわけである。よって彼らの生命線は、その実際の速度ではなく、動物のような鋭い感覚なのである。

 しかし、チェイミーが常に視線を気にしていたように、密偵や忍者は常に周囲を警戒しているので、悪くいえば必要以上に視線に敏感な状態にある。

 彼らは、見られることを嫌うのだ。

 自分の隠れている場所はもちろん、次に動く場所を敵に見られると、一瞬であるが止まってしまう癖がある。「動きを気取られた!」という危機感が先行してしまい、思考的にパニックになる。

 そして、それからまた感覚に頼る。これが成功すれば、パニックは収まる。が、次も、その次も視線で場所を見られると、まさに交通事故に遭う動物しかり、パニックになって立ち止まってしまうのだ。

 その性質を使って追い込むのが、ネルジーナの【狩り】。

「やっぱり若いのね」

 ネルジーナは、しみじみと若さを思い知る。これは熟練した暗殺者には通用しない技である。一級品の資質を持っているとはいえ、まだクマーリアは若かった。そこに付け込まれたのだ。

「放して!」
「ごめんなさい。一度掴んだら、離れないのよね」

 リヴィエイター乙女型が、必死に機体を揺らして振り払おうとするが、呂貌の手はがっしりとしがみついており、どんなに振ってもまったく体勢が崩れない。

 呂魁は、握る力に長けていた。兄弟機である呂貌もまた、同じく握る力が強い。だが、呂貌の本質は、そこではない。ただ握るだけではない。


―――引っ張った


 呂貌が腕に力を込め、【引っ張る】。

 大きめの特機である呂貌でも、リヴィエイター乙女型と比べると小型に見える。それだけの体格差があるにもかかわらず―――


―――乙女型が、飛んだ


「ひゃっ―――!」

 まるで、フリーフォールで感じるような浮遊感に包まれ、乙女型が吹っ飛んでいく。鉄塔に当たり、ひしゃげても、まだ勢いは止まらない。

 この巨体が、ごろごろと転がっていく姿は、なかなかに滑稽で理解しがたいものである。巨大ハリケーンに大型トラックが舞い上がり、それが軽そうに見えるのと同じ現象だ。

「ううっ、何が……あっ」
「これが呂貌の引きの強さよ」

 目が回ったクマーリアが正気を取り戻した時には、すでに呂貌が目の前にいた。そして乙女型を掴むと、再び簡単に投げる。必死に抵抗しているのだが、あまりの引きに抵抗できない。

 これが呂貌の【引手ひきて

 呂魁の圧手は、掴んで破壊する技であった。しかし、呂貌のそれは、掴んで引っ張る力である。単純な格闘戦もこなせるが、呂貌の最大の特徴こそ引手である。

 なぜこのような設計にしたかといえば、ネルジーナがそういう武人だったからだ。彼女の戦闘スタイルは、ただ殴っても強かったが、もっとも危険な時が、相手を引っ張った瞬間である。

 打ち出すより、引くのが強い武人。

 抵抗すれば、骨が折れる。抵抗しなくても脱臼する。柔道で亀になった男でさえ、片手で軽々放り投げる力を持っている。ただの腕力ではなく、やはり引く力が強力なのである。

 それは戦いだけではなく、彼女そのものにも当てはまる。単純に運が良い、ギャンブルに強いはもちろん、周囲の人間を引っ張る力、巻き込む力、ぐいぐいと引っ張る力に長け、いつでも彼女を中心としたグループを生み出していく。

 あらゆることに引きが強い彼女は、生まれもってそういう人間なのである。その引きの強さは、クマーリア程度の小娘では、どうすることもできないレベル。

「さあ、どうするのかしら? まだやるなら、ちょっと痛い目に遭ってもらわないといけないけど。手足を折るのはかわいそうだから、コックピットごと引っこ抜いたほうが早いかしらね」

 ネルジーナとクマーリアの実力差が、はっきりと見えた瞬間であった。しかも、まだ実力を隠し持っていることは明白。間違いなくバーン級の実力者である。

「こんな…、ここまで強いなんて!」
「降参する?」
「男たちの餌になるくらいなら、ここで死にます!!」
「…伊達ちゃんたち、そろそろ抑えなさいな。ダマスカスの品位が疑われるでしょうに」

 クマーリアの視線は、確実に男たちの股間に意識を向けている。残念なことに、いまだ伊達たちの症状は改善しておらず、意図しないままに元気一杯であった。

 ネルジーナは、経験の豊かさから状況を理解したが、どうしてそうなっているのかまでは知らない。女の子を守る淑女よろしく、厳しい視線を男たちに向ける。

 敬愛する英雄からの非常に冷たい視線に晒され、伊達たちが動揺する。

「誤解です! これはその、原因がありまして…。そう、声が! あいつが原因なんですよ! アミカの声が!」
「ああ、あの声ね。面白い子がいるようだけど、そういう性癖じゃないのよね?」
「むしろ、逆の性格だと思いますが…」
「となると、敵の能力。異能持ちか。あっちは厄介そうね」

 ネルジーナは、騒動の中心部の方角を見つめる。そこからは、いまだアミカの喘ぎ声が響いているので、まだ激戦は続いているようであった。

 普通に強い相手ならば、ネルジーナにとってはあまり脅威ではない。だが、やはり異能持ちとなると話は違う。中には弱くても一発で形勢を逆転できる力を持つ者がいる。そうした相手こそ、一番危険なのである。

「向こうには行かせません!!」

 突如、乙女型から薄黒いもやが噴き出てきた。最初は機器のショートが原因かと思ったが、徐々に黒くなり、周囲を威圧するような波動を出している。

「これは…?」
「ごめんなさい、ナサリリスお姉様。私はこれから、昔の私に戻ります。どうか嫌わないで…!」

 クマーリアの全身が、【漆黒】に染まる。

 もともと髪の毛も肌も、目の色さえ黒かった彼女が、より黒く変わっていく。全身が黒に包まれ、炭化したかのように真っ黒になっていく。唯一残った白目以外、すべてが黒に染まる。

 その力の根源は、彼女の首にかけられたチョーカー、そこにはめられた【黒い石】。

「悪夢の力、破遁の逆光、ナイトメア・オブシディアン〈黒き乙女の邂逅譚かいこうたん〉!」

 クマーリアのジュエルの力が発動。その力は、彼女の肉体だけではなく、リヴィエイター・リリス・乙女型の色まで変化させていく。黒い波動が、じわじわと純潔を黒く染め上げていく。

 力が解放されていくごとに、強烈な拒絶の波動が周囲に拡散。その黒い波が兵士たちを襲う。

「な、なんだ、この靄は!」
「これは―――うぁっ!?」

 黒い靄に包まれたハイカランが、次々と倒れていく。ようやく盛り返してきた碁が、また一気にひっくり返されたようである。

「何なの、この霧―――うっ!」

 靄は一瞬で周囲を埋め尽くし、当然ながら間近にいた呂貌も呑み込んでいく。戦気で防御していたはずだが、靄の影響力はそれを無視する。そして、コックピットの内部にも侵入。

 黒い靄に包まれたネルジーナが呻く。

「うっ、うう…!!」
「少佐、これは!?」
「迂闊。この子も異能持ちとは…ね。抵抗できる……かしら。伊達ちゃんも、気をつけ…」
「少佐―――っうおお!? 今日は厄日だ!!」

 伊達に注意を促す暇もなく、その場にいたすべての機体が呑まれていった。



 その様子は、さきほどのチョッキンブレードとはまた違う、嫌な恐怖感をリュウに与える。

「なんだ、どうなった!?」
「パイロットと連絡が取れません! 皆、昏倒しているようです!」

 コマツバラ伍長が通信を開くも、視界は真っ黒。パイロットは全員、意識を失っていて応答がない。戦気も途絶え、MGが出力を停止するという異常事態である。

 戦気がなくては、魔人機はただの鉄の塊でしかない。

「まさか、死んだのか!? 毒ガスか!」
「いえ、バイタル波動を確認。生きています!」
「生きている…? ただの気絶? だが、こんな簡単にか」

 魔人機の気密性は、そこそこ高い。毒ガスならばAIが探知できるし、万一取り込んでも自動的に排出してくれる。即効性の毒ガスならば危険だが、こうも簡単に昏倒するというのもおかしい。

「あれは気化接触型の精神攻撃だね。たぶん、戦気を媒介にして侵入したのだろう」

 その正体を見破ったのは、カーシェルである。あまり戦闘指揮に口出しはしない彼であるが、紅虎と旅をしていたので、普通ではない異常事態の知識は豊富にある。

 大統領になってからも、こうした知識はとても役立った。思えば、紅虎との旅は、さまざまな見識を広めるためのものであったのだ。それもあって、今では不思議な事件が起こるたびに、秘書に調べさせる癖がついている。

 その中の一つに、これと似たものがあったのを思い出す。

「具体的な仕様はわからないが、機体ではなく操者の能力だろう。以前、どこかの国で、こういうものを使ったテロがあったと記憶している。あの時も毒ガスだと勘違いされて、原因究明に時間がかかったはずだ。結局、特殊なジュエルが原因だったんだがね」

 その時も数多くの人々が、こうして一瞬で気を失っていた。化学兵器でも同じことができるが、ジュエルというものは、比較的容易に持ち込むことができる。能力さえ解放できれば元手もかからないので、テロの道具としては非常に有用なのである。

 そして、最大の相違点が、人間の能力なので気密性を無視できる点。特に魔人機は、装甲に自身の戦気を使っている。それゆえに通常兵器以上の性能を発揮できるわけだが、自身の情報を晒しているというデメリットもある。

 戦気は、自身の一部である。武人同士が、戦気で互いの情報を知るように、それを仲介して相手側に接触を図ることも可能である。強固な意思を持つものならば抵抗できるが、それは一部の武人に限られる。

 クマーリアほどの武人が使うジュエルならば、普通の兵士程度に防げるものではないだろう。

「こんな奥の手を持っていやがったのか! とことんムカつくやつらだ! あっ、おばさんは!? おばさんでもヤバいのか!?」

 おばさんとはもちろん、ネルジーナのことである。

 リュウにとって、バクナイアは伯父のようなもの。だからネルジーナのことも、親しみを込めておばさんと呼んでいたのだ。当人はあまり、おばさんと呼ばれることを好んでいなかったが。

「おばさんの反応は!?」
「わかりません! 呂貌はまだ、こちらとバイタルリンクをしていないので…」
「伊達大尉は!」
「バイタルは確認。ですが、徐々に昏倒に近づいています」

 呂貌は、乙女型と密着していたはずである。もっとも影響を受けているはずだ。ただ、伊達の様子を見る限り、強い武人ならば症状を抑えられるようである。ならば、ネルジーナも防いでいる可能性があった。

 しかし、そんなリュウの期待を裏切るように、バクナイアが呟く。

「…嫌な予感がする。とても嫌な感じが……危険が迫っている」
「マジかよ、おじさん! なあ、おばさんなら大丈夫だよな!? だって、あのおばさんだぜ!? なあ、大丈夫って言ってくれよ!」
「ううむ……しかし…この感覚は…」
「おじさん!」

 バクナイアは、首を振って真っ青な顔をするだけである。

 リュウにとって、ネルジーナは家族に等しい。家族を大切にする彼にとって、大切な身内が危険に晒されることは、本当に心が痛むことなのである。

 ネルジーナは強い。リュウにとって彼女は、まさに憧れの存在なのだ。武人としては当たり前だし、人間としても、そして女性としても魅力的である。

 まるで実の息子のように可愛がってくれたし、こんなことを言うのは恥ずかしいが、幼少時の初恋の相手でもある。うっかりとそれを言ってから、会うたびにそのネタでからかわれるのだが、恥ずかしいものの不思議と嫌な気持ちはしない。ネルジーナとは、そういう女性である。

(頼むよ、おばさん。頼れるのは、おばさんだけなんだからさ…。いや、それよりも無事であってくれよ!)

 リュウもまた、そう願うしかない。

 しかし、である。リュウはまだ、若かった。そして、興奮していた。だからこそ、バクナイアが呟いた本当の意味を理解していなかったのだ。

「まずいぞ。本当にまずい。やっと眠ってくれたのに……また悪夢がやってくるぞ」

 バクナイアは、ガチガチと歯を打ち鳴らし、何かに怯え続けている。
 リュウは、必死になって初恋の女性の安否を気遣っている。
 他の者たちも、固唾を呑んで状況を見守っている。

 そんな盛り上がりを見せる彼らには悪いと思ったのだが、カーシェルにはぜひとも一つ、どうしても言わねばならないことがあった。

「彼らのことは非常に心配だ。ネルジーナも心配だし、すべての兵の命も心配だ。だがね、みんな。我々には、もっと先に心配しなければならないことがあるようなんだ」

「こんなときになんだよ! おばさんたちの無事以上に、心配なことなんて…」

「うんうん。気持ちはわかるよ、技術中尉。でもね、人生は奥深いものだよ。予想しないことが、いくらでも起きるんだ」



「ほら、たとえば―――あんなこととか、ね」



 そう言って、扉を指差した。


 いや、カーシェルが指したのは扉ではない。



―――その扉から


―――わらわらと這い出ている【マリオネット】



 を指したのだった。

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