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零章 第四部『加速と収束の戦場』

八十二話 「RD事変 其の八十一 『冷美なる糾弾⑦ 氷女の魔鈴』」

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「じゃあ、遊びましょうか!」

 ナサリリスが、再びニードルガンを撃つ。今度は六発どころか、水飛沫のように数多くの針の群れが襲ってくる。壱式の動きを見て、威力を落としたマシンガンタイプに切り替えたのだ。

(これは駄目だ!)

 アミカは、それを捌くのは不可能だと判断し、ビルから飛び降りる。ギリギリのタイミングで回避が成功し、壱式がいた屋上の隅が針の襲撃をくらって、まさに蜂の巣といった無残な姿に変わる。

 壱式は、地面に着地すると同時に、飛び込み前転をするように避ける。直後、そこにも針が幾本も突き刺さる。一瞬でも判断が遅れていれば、壱式はハリネズミにちょっかいを出した、愚かな犬のような姿になっていただろう。

 リヴァイアード・リリスは、その巨体で屋上からジャンプ。追撃を仕掛けてくる。

(落ち際を叩く!)

 壱式は、身軽な動きで前転から復帰すると、跳ねるように駆ける。そして、そのままリンドウを横薙ぎ。

 落下のタイミングに合わせて放った一撃。この一撃も素早いもので、アミカにとっては、なかなか悪くない速度であった。体勢は万全ではないものの、当たればダメージを与えられたはずである。

 が、再びリヴァイアードが消える。

 途中でビルの壁を蹴って、壱式を飛び越えるように着地したのだ。その巨体が嘘のように、なんと軽やかな動きだろうか。ネズミがひと噛みしようと近づいたら、猫のあまりの身体能力を垣間見て、さらに絶望する気持ちがわかる。

 壱式は、さらに跳ねるように間合いを取って、刀を構える。じりじりとした肌を焼く圧力が、アミカを襲うようだ。

(この者たち、やはり強い!)

 アミカは、目の前のリヴァイアードから強烈な威圧感を感じていた。

 ナサリリスはもちろんのこと、クマーリアからも強いプレッシャーを感じる。機体の数では一対一であるが、相手は二人分の力を上乗せしている。強いのは当然なのだ。

 二人乗りなのだから当たり前だが、それ自体があまりに異常である。まず、二人乗りのMGというのが珍しい。少なくともアミカは見たことも聞いたこともないし、実際にとても珍しいのである。

 戦車や一部の戦闘車両は、複数人の搭乗員が各工程を担当し、一つの兵器として成立している。これはもともと、そういう設計だからである。

 しかし、魔人機というものは、その最初のコンセプトが違う。
 人間そのものを体現したもの、なのだ。

 偉大なる父に憧れ、人が強いものを目指した結果、生まれたもの。最初から一人の人間を体現することを想定している。

 補助としてAIは開発されたが、それを人体にたとえれば、普段意識しない臓器の管理などを担当しているにすぎない。AIとは、潜在意識の代理を想定して造られているのだ。

 だが、身体は自らが望み、自らが感じるように動かすものである。神機のオリジナルのダイレクトフィードバックシステムや、それを真似たカノン・システムのように、感覚で機体を動かすことができることが、他の兵器とMGとの唯一にして最大の差異といえるだろう。

 その感覚に、二人分の意識が混じること事態が、まず異端である。

 二人三脚とて大変なのだ。二人羽織ににんばおりがいかに大変か、やってみればすぐにわかるだろう。自分の一部分を他人に任せる。これは思った以上に不愉快で、なおかつ単純に難しいのである。

 いかに兄弟や恋人同士であろうと、息を合わせるのは非常に難しい。担当が分かれていても、相当な信頼感と連携がなければ不可能なのだ。

 それを、ナサリリスとクマーリアは、さも当然に行っている。

 カノン・システムによる精神の同調。ダイバーの技術を転用して生まれた技術ゆえに、それ自体は存在していても問題ない。現在の技術でも、かろうじて可能な領域にある。

 重要な要素は、この二人の【人間性】にある。

「ああ、クマーリア。あなたの鼓動を感じるわ。すごく、すごく感じるの!」
「お姉様、私も感じます!! ああ、今日のお姉様、すごく感度がいい!」
「それはあなたも同じよ! この感じ、はぁああ! 軽くこすられただけで、ゾクゾクしちゃう!」
「あぁあ! お姉様! そこは!」
「いい、いいわ! すごくいい! あはぁぁぁぁぁああ!」

(…やはり、あまり関わりたくない相手だな)

 戦闘中に興奮して嬌声を上げるなど、まさに言語道断である。ここは公共の場、公衆の面前であることを忘れている。アミカも、まさに変態を見る目つきで距離を取っている。

 だが、この集中力が桁外れ。

 一度自分たちの世界に入り込むと、なかなか戻ってこないという欠点はあるが、そうした没入感こそが彼女たちの強みである。同じ世界に没頭し、周囲すら見えなくなる一体感。まさに二人の世界を生み出し、とことん入り込める特異な能力を持っているのだ。

 ナット兄弟のように、長い間をともに暮らした二人であり、血の共鳴を起こしたような二人ならばわかるが、彼女たちのように出会ってから時間があまり経っていない人間が、こうして同じ精神構造を築けるほうが凄いのである。

 それは、愛の力。

 愛が、愛だけが、彼女たちを結びつけるのである。

 もしかしたら、愛以外の力で結びついているのかもしれないが、何にせよ結果が出ている以上、それを認めるしかない。リヴァイアード・リリスは現に二人分の戦気を持ち、ナサリリスの攻撃力とクマーリアの機動力を併せ持っている。

 間違いなく、強敵である。

 だが、勝機はある。

(やつらは、まだ本気ではない。あの主砲も使っていない)

 ナサリリスは大地に降り立ってから、スキミカミ・カノンを使っていない。ダマスカス軍が距離を取っているせいもあるが、こちらを完全に見下しているのだ。

 彼女にとってみれば、この程度の囲みなど、一瞬で打破できる自信があるのだろう。この火力と機動力があれば、たしかに容易にさえ思えてくる。

 ならば、今こそが勝機。

(油断や侮り、余計な見栄は自分を殺す。先の戦いで学んだではないか。ならば、今度は生かす番だ)

 油断しているのならば、それこそ大歓迎である。相手が自分の世界に入っている間に、静かに呼吸を整え、戦気を練っていく。それを全身に満遍なく、バランスよく配分していく。

 身体から無駄な力が抜け、視野が広くなり、周囲がよく見える。ビルの形や瓦礫の場所、大地の窪み、人々の呼吸音、自分の心臓の音、筋肉と血流の音。額に感じる、大きく広がって、深く沈んでいく感覚。

 戦気術、【同心どうしん】。自分の呼吸を整え、周囲全体に視線を合わせ、あらゆる環境に適応する基本の呼吸法だ。探知術の波動円は、これを拡大強化することで発動できる。

 まさに基本の基本であり、戦気を練るための練気を覚えたら、次にこれを覚えるといっても過言ではない初歩の技だ。心を落ち着かせ、よく周りを観察し、どこに何があるかを覚え、常に把握する心構えでもある。

 この重要性を忘れていた。

 悪魔との戦いにおいて、周囲の状況を把握することが、いかに大切かを思い知ったのだ。自意識過剰によって興奮していたとはいえ、この程度の基礎を忘れるとは、なんとなさけないことか。

 悪魔の剣技は見事なれど、もっとも見事なのは、どんな状況でも冷静であり、自分のやれることを全部やっていた点だ。基礎を疎かにしない姿勢は、悪魔であっても見習わねばならない。

「はっ!!」

 アミカが、発気。練り込んだ気を発動させ、斜め走りをしながら向かっていく。

「あらぁ、せっかくいいところなのにぃ…」
「お姉様、あと少しだけぇ」
「ああ、駄目よ、駄目。はぁはぁ、そんなに誘惑しないでぇ。私だって、ずっとこうしていたいけれど、まだ彼女がいるわ」
「お姉様と一緒なら、見られていてもいい! むしろ、見られているほうが…」
「ああ! なんて可愛い子なのかしら! ああ、あああ!」

 ナサリリスが謎の嬌声を上げながら、ものすごく適当にニードルガンを発射する。それはまさに彼女の声のごとく、安定しない軌道で壱式に向かっていく。

(動じるな。表面ではなく、本質を見るのだ。これは問題なく対処できる)

 壱式は、それを刀で払う。いかにリヴァイアードが強かろうと、気持ちが乗っていない攻撃をもらうわけがない。それが普通の兵士には脅威であっても、アミカは剣の達人である。これくらいの攻撃は防げる。

 さらに払った直後にも、勢いを殺さずに走っている。この斜め走りは、一見すると奇妙な動きであるが、強敵を相手にするときに使う攻防一体の構えでもある。

 相手の攻撃力が高い場合、一撃でももらえば終わりである。特にアミカの肉体は、そのものが防御力に優れているわけではない。戦気を張っても、女性独特のしなやかさがあるので、ジン・アズマほどの防御力を生み出すことはできない。

 そのアズマの防御も、変質したユニサンの前では無力であった。アミカはその事実を知らないが、本能的にナサリリスの攻撃力が危険領域にあると察知し、最大の警戒をもってあたっているのだ。

 まったく油断していない。
 周囲も見えている。

 そして、剣の間合いに入る前に行動を起こす。放ったのは、水門華・二閃。ホースの蛇口を指で押さえると二つに分かれるように、水門華を二つに分けて放つ技である。

 二つに分けたぶんだけ、威力は半減する。されど、それは攻撃のためのものではない。水門華はリヴァイアードの両隣に向かってV字に放たれ、そのまま押し込むように壱式は正面から向かっていく。

 その姿は、子供がホースを持って突撃してくるような愛嬌があったが、けっしてふざけているわけではない。分かれた水門華自体の威力は弱くとも、当たればそれなりの衝撃はある。これはリヴァイアードの速度を抑え込むための策である。

 リヴァイアードの選択肢は、三つ。

 一つ目は、射撃をしながら後退する。これが一番確実で、もっとも安全かつ効果的な対応だろう。二つ目は、多少の被弾をするが、水門華をいなしながら回り込み、壱式を叩くこと。これも悪い案ではないが、ダメージを負ってしまうかもしれない。

 ナサリリスにとってリヴァイアード・リリスの純白は、自らの世界を象徴する色である。できれば純粋で清純であるべきだと思っている。当人が清純ではないことは置いておき、それは大事なものなのである。

 ゆえに、三つ目の選択肢を取る。

「そんな可愛い姿で向かってこられたら、相手をしたくなるじゃないの」

 リヴァイアードは、正面に立ち塞がる。下がって射撃もしない。回り込むこともしない。正面から、堂々と迎え撃つ。

(接近戦でも負けないつもりか)

 さきほどの戦いで、アミカの一撃を見事かわしている。その太刀筋を見て、慌てて逃げなくても堂々と対処できると考えたのだろう。そう思われることは、剣士にとって屈辱である。

 しかも剣士第九席という席持ちのアミカからすれば、相当な侮辱に等しい行為。だが、相手はそんなことは知らない。ナサリリスにとってみれば、相手は格下の雑魚に等しい相手。女性だから特別視しているが、男性ならば、さして興味も湧かない存在。

(怒りは感じない。相手は強い。ならば、実力を出せばいい。私の実力を、そのまま!)

 アミカは、相手が逃げないことを確認すると、水門華を回転させる。二閃に分かれた水門華が、渦巻きのように回転しながら、濁流となって一本の閃となる。回転して収束していく水門華は、リヴァイアードの逃げ道をなくしていく。

「お姉様には触らせない!」

 クマーリアが、リフレクターシールドを展開。ルヴァナットほど強力な戦気ではないが、彼女の戦気によって強化されたリフレクターが、水門華を弾き飛ばす。

 リビアルの頑強さを持つリヴァイアードは、それ単体でも硬い装甲を持つ。さらにこうしてシールドを展開させれば、水門華であっても簡単に弾くことができる。

 ただそれは、アミカも予測していた。バイパーネッドでさえ防げた攻撃である。おそらく別格の扱いであろう、有人機のリヴァイアードが防げない道理はない。

「やあああああ!」

 アミカが体勢を低くして、突っ込む。刀を下段に払い、相手の足元を崩そうとする。

「斬り合いが好みなのね! いいわ、付き合ってあげる!」

 ナサリリスは、ニードルガンから針を出す。通常は撃ち出すために長さを適度に調節するのだが、それを出しっぱなしにすればどうなるか。長く伸びた針が伸び続け、集まり、固まり―――

 一本の【刺突剣】になる。

 それはニードルソードと呼ぶべきか。白い針がいくつも重なった集合体は、若干ドリルのような形状をしつつ、それでいて、やはり剣なのである。それを証明するように、ニードルガンの銃床には剣を握るための柄が用意されていた。

 ナサリリスは、銃のグリップから剣の柄に握り替え、ニードルソードを構えると、壱式の下段の攻撃を難なく払いのける。

 今までのアミカならば、それに驚いて、思わず剣筋が鈍るところだっただろう。だが、同心によって相手を観察していた彼女は、驚かなかった。

(この女、やはり【剣士】か)

 アミカも実力者の一人として、相手の気質を分析することができる。ナサリリスはたしかにスナイパーとして一流だが、彼女の本質は剣士。最初の交戦時に、アミカはすでに薄々気がついていたのだ。

 なぜならば、間合いが剣士だからだ。

 剣士は、剣士が好む間合いを自然と取る。自らの剣が届く距離を最小の防衛ラインとして設置し、それを基準に間合いを計算するのである。ナサリリスの射撃は、剣士の基準をもって行われていた。特に最初の反撃の射撃。あれが剣士そのものの間合いだったのだ。

 そう、ナサリリスは、剣士型スナイパーである。

 放出系を得意とする剣士で、中~遠距離の間合いで戦うことを好む。遠隔操作系の武人ではないが、相手をロックオンする能力に長けていたことから、スナイパーとしての資質も開眼させている。

 彼女は、生粋のガンマンではない。生身では銃器を使わないからだ。だからといって、彼女が銃の扱いに長けていないわけではない。要領は同じなのである。本来、武人が苦手とする遠距離戦に長けていた彼女は、剣気を発するより銃が楽であることに気がついた。

 ただこれは、なかなかの決断である。普通、剣士としての実力があるのならば、わざわざ銃を取ることはしない。銃自体が蔑みの対象である以上、自身の株を落とすことになりかねない。

 だが、ナサリリスにとって重要なのは、【力】である。

 その力に善悪もなく、貴賎もない。銃のほうが無駄な動きと戦気の消耗を抑えられるので、はっきり言って便利である。だから使っているにすぎない。

 そうして剣士の力と銃の腕前を持つ彼女は、銃と剣の中間のような、ニードルガンというものを使っている。彼女の性質をより正確に述べれば、スナイパー型剣士と呼ぶべきかもしれないが、呼び名は所詮呼び名にすぎない。銃を持ちながらも、彼女が優れた剣士であることに変わりないのだ。

 だから、アミカは動揺しない。
 細かい剣撃を次々と入れて、相手に息つく暇を与えない。

 リヴァイアードのリフレクターシールドは、ナサリリスが剣を払うときには止まる。こうして接近戦で攻撃していれば、相手の防御力を少しでも下げることができる。

「お姉様! これでは援護ができません!」
「クマーリア、問題ないわ。ちょっとしたお遊びよ」
「でも、でも!」
「あなたは周囲の蛆虫の監視よ。近づいたら迎撃しなさい。這い寄るだけでも、おぞましいものね」

 案の定、ナサリリスはアミカを下に見ている。こうした接近戦においても、クマーリアの支援なしで戦おうとしている。

 事実、強い。

 アミカは、間断なく攻めて隙を見つけようとしているが、相手はそれを難なく捌いていく。明らかに刀よりもかさばり、重いであろうニードルソードを軽々と振り回すのだ。それだけを見ても相当な腕力である。

 それも当然。ガガーランドの目にナイフを突き刺すほどなのだ。そのパワーは、そこらの男の武人を遥かに凌駕する。マルカイオが本気で対応せざるをえないほど、剣の腕前も確かである。

(私だけでは勝てない。認めよう。この女は、私より格上だ)

 会議場にいた騎士たちの中には、アミカでも勝てないような武人がごろごろしていた。今でも思い出すと悔しいし、本当は忘れたいほどショックであったが、それを認めねば先には進めない。

 実力差を認めることよりも、実際に負けることのほうが、もっともっと悔しいのだ。

(私は、もっと強くなりたい! ならねばならない!)

 ゼッカーに翻弄され、弄ばれたといっても過言ではない経験が、アミカを変えるきっかけになった。

 リュウの言葉を認めることも悔しいが、たしかに女性として意地を張っていた面もある。今まではそれでよかったが、これ以上のレベルに達するには、もっと強い信念が必要である。

 単なる気持ちだけではない。激情だけで挑んで勝てるほど、甘い相手ではない。勝つためには、どうすればよいのか。何を認め、どう工夫し、いかに現状を覆すのか。冷静に分析して、現実の力に還元することが重要だ。

(このプレッシャーだ。魔人機においても、相手のほうが熟練している)

 MGの操縦技術を見ても、相手はかなりの腕前である。おそらく、この機体にアジャストするために、相当な訓練を積んでいると思われる。今日乗ったばかりのアミカでは、足元にも及ばないだろう。

 絶望的である。
 普通にやれば、勝てる相手ではない。

 だが、唯一負けていない点がある。

(武力壱式。ダマスカスの技術の粋を集めた超特機型魔人機。マスター・パワー専用に造られた機体。私は今、神機に乗っているのと同じなのだ)

 アミカは魔人機が苦手であったが、神機に憧れないわけではなかった。数々の美麗で逞しい巨人の姿は、むしろアミカにとって理想像の一つであったからだ。

 シルバー・ザ・ホワイトナイトも、その一つ。美しく輝く白銀の騎士の姿は、多くの武人に憧憬と希望を与える。リュウは、壱式ならば、あの白騎士とさえ互角であると言うのだ。むろん壱式には聖剣も聖盾もないが、スペックとしては負けていないという。

 目の前のリヴァイアードが、かなり強力で異端な力を持つことはわかっているが、シルバー・ザ・ホワイトナイトと互角とは思えない。少なくとも接近戦で勝てるとは思わない。ならば、壱式であれば十分勝機はあるはずである。

(信じろ。機体を信じろ。この子の声を聴くのだ!)

 小さな動きを続けていた壱式が、すいっと踏み込み、上段からの一撃を見舞う。リヴァイアードは、剣の腹で受け流し体勢を入れ替え、突きを放つ。壱式は刀で弾きながら、一度後退。仕切り直す。

(足りない。まだ聴こえない! もっともっと!)

 再び、壱式が駆ける。今度は、上段から変化する突き。ゼッカー相手にも使った技である。ただ、今は速度が一段上。高速の変化突きである。

 ナサリリスは、ギリギリまで動かない。相手の動きを見極め、余裕をもって対処。ニードルソードで払い、しっかりと受け止める。

「せっかく斬り合っているのですもの。反撃しないと悪いわよね」

 刀を受け止めたまま、機体全体を前方に突き出す。それと同時にスキミカミ・カノンの砲身が伸びた。

 これは射撃のためではない。砲身を打撃武器とするためだ。ただの鈍器とはいえ、スキミカミ・カノンの質量と勢いを考えれば、MGの装甲くらいならば簡単に押し潰せる威力を有する。それが襲いかかるのだ。

「―――っ!」

 その一撃が壱式の頭部を掠め、アミカの頬にも鈍い痛みが走った。直撃していれば、顔が潰れていたかもしれない重い一撃だ。

「いい反応ね。なかなかの感度よ」

 体勢が崩れた壱式に、さらにリヴァイアードが前に出る。機体ごと覆い被さるような、ぶちかましである。これもリヴァイアードの質量と速度を考えれば、巨漢力士とぶつかる小兵力士と同じ。いや、強化外装がない今では、ガリガリの小学生のようなものである。

 壱式は、刀を持った腕に反対の腕を重ねてガードを固め、そのまま何も考えずに後ろに跳ぶ。


―――激突


「くっ!」

 両腕がビリビリと痺れる。壱式のハイリンク・システムが、極めて順調で忠実に働いている証拠である。そして、それを感じられるということは、壱式もアミカも無事であることを示している。ギリギリで回避が間に合ったのだ。

 壱式は距離を取りながら、近くにあったビルを盾にするように身を隠す。

「あはは! 今度は鬼ごっこね! まるで童心に帰ったみたいに新鮮よ。いいわ、楽しみましょう!」

 リヴァイアードは、左腕から戦弾を発射する。ただそれは、ビシュナットの放つような球体ではなく、放射状に拡散する粒状のものであった。

 ビシュナットは、その才能とジュエルの力によって、戦弾をメイン武装の域にまで高めていた。だが、それは稀有な能力である。戦弾をあそこまで使いこなせるのは、彼が天才で異端であるからにほかならない。ナサリリスには、到底真似できないことである。

 よって、彼女が使う戦弾は、あくまで相手の動きを制限するためのもの。放射状に拡散して、周囲を威圧するためのもの。それでも、相手がただのコンクリートや鉄板程度ならば―――

―――破砕

 壱式が逃げ込んだビルを、戦弾がガリガリと削り、抉り取っていく。フルオートショットガンで、木々が破砕されていく光景に似ている。これが車や魔人機だったならば、あっという間にスクラップであろう。

 壱式は、ビルが完全に破壊される前に飛び出す。その姿を確認したリヴァイアードは、射撃をやめて追撃。その加速力は、さすがのもの。一瞬で壱式に追いつく。

 ただ、壱式も何もしていないわけではない。

「はぁあ!」

 アミカの水門華が、崩壊寸前だったビルの最後の支柱を破壊。崩れたビルがリヴァイアードに落ちてくる。

 リヴァイアードは、後退―――しない。

 逆に加速して、落ちてくる瓦礫を潜り抜けるように、壱式に飛びかかる。

 ナサリリスという女性には、恐怖心はないのだろうか。リヴァイアードとて、崩落に巻き込まれれば、絶対に安全とはいえない。戦気でガードするので潰死という可能性はなくとも、動きは制限されてしまうだろう。

 それにもかかわらず突っ込んでくるのは、さすがの胆力である。しかし、アミカもその行動は予測していた。こうして戦っていると、相手の気性というものが、ありありと伝わってくるからだ。

(本当ならば、こうありたいものだ)

 アミカも、ナサリリスの豪胆な戦い方に、若干ながら憧れるところはある。彼女の動きは、しなやかな女性的でありながらも、行動力は男性そのものなのである。実に見事な判断力と決断力であった。

 だが、それを真似することはできない。
 する意味もないと気がついた。

(男の真似事には、意味がない。ただただ、もっともっと、私は速く!)

 ナサリリスの突進に合わせて、アミカも突進していた。両者が交錯し、甲高い音が響く。それから両者は離れ、再び一定の距離で対峙する。

 笑みを浮かべたのは、ナサリリス。

「へぇ、速い踏み込みね。この子に傷を負わせたのは、あなたが初めてよ」

 リヴァイアード・リリスの白い装甲に、わずかに傷がついていた。交錯した時、壱式の刀が掠ったのだ。

 速度は、ほぼ同じ。されどリヴァイアードは、あくまで崩落を回避した動きの延長である。攻撃に移るには、多少のラグが発生する。一方の壱式は、相手が来るのを待ち構えての一撃。覚悟も重みも違う。

 ダマスカス強襲が処女戦なのだから、リヴァイアード・リリスに傷が付いたのは当然初めてであるが、ダマスカス軍の一斉砲火でさえ、傷の一つも付けることはできなかったのだ。すべて回避されるか、シールドによって防御されてしまうからだ。

 それを考えれば、アミカだったからこそできた芸当。
 彼女の剣速があればこそ、である。

(条件が整えば、通じる)

 この結果から、アミカは相手と自分の力量差を確かめる。相手が万全の状態ならば、まず勝機はない。正面から斬り合っても、勝てる可能性はゼロに近い。

 しかし、相手が不利な状態であれば、万全のアミカの攻撃は届く。その差は、アミカとジン・アズマとの差でもある。アミカがエルダー・パワー剣士第九席だとすれば、相手の力量は、おそらく第五席クラス。

 ナサリリスの剣技は、剣豪ジン・アズマと同格。

 それだけでも恐るべきことである。ナサリリスは、この状態でありながら、アズマと同格の基礎剣術能力があるのだ。

 そう、彼女が【手加減している状態】でも。

 そして、その一撃が、彼女を【やる気】にさせてしまった。

「クマーリア、彼女とはサシでやるわ」
「お姉様、まさか【アレ】をやるおつもりじゃ!?」
「さすが察しがいいわね。そうよ、そのつもりよ」
「そんな、駄目です! あれは特別なものです!」
「この傷は、まぐれじゃないわ。なら、ご褒美をあげなくちゃ不公平でしょう?」
「でも、アレは…アレは」

 クマーリアは、どうしても認めたくないという表情で、ナサリリスを見つめる。その目は涙で潤んでいる。だが、女には、やらねばならないときというものがあるのだ。今がその時である。

「クマーリア、そんな目で見つめないで。ねえ、わかって。すべての女性には、それを味わう資格があるはずよ。それが私たちの世界に属することの最大の褒美になるのじゃなくて? あなたも、あれをみんなに味わってほしいでしょう?」
「うう…」

 クマーリアは、何度も何度も胸をぎゅっと抱きしめながら、涙をぼろぼろ零しながら、ようやくにして説得を受け入れる。

 だって、これはしょうがないことだから。自分たちが求める女尊世界にとって【最大のデメリットを解消】する、最大で最高の唯一無二の手段なのだから。

 リヴァイアードは、ナット兄弟がそうしたように分離。ナサリリスのリヴィエイター・リリス・こう型、クマーリアのリヴィエイター・リリス・乙女型に変わる。

 リヴァイアードとリヴァイアード・リリスは、ほぼ同タイプの機体であるが、戦い方の違い、理念の違いから多少の差異は存在する。

 皇型は、ガヴァルの性能を生かしている点は同じだが、よりナサリリスの剣士を強調したスタイルのため、スキミカミ・カノンは装備していない。その代わり、ナット兄弟では乙型が担当していたリフレクターを引き継いでいる。

 乙女型は、リビアルのパワーとスキミカミ・カノンを引き継いでいるが、クマーリアの機動性を重視するために、スキミカミ・カノンは武器としてではなく、格納されて動力として使用している。

 両機体とも、砲台という意味では弱体化するが、総合的にナット兄弟のリヴィエイターよりも近接戦闘に特化した機体になる。射撃を重視するか、より接近された事態を重視するかの違いである。

「お姉様、私は周りの蛆虫を排除してきます」

 そう言うと、クマーリアの乙女型は二人から離れていく。それを見届けたナサリリスは、ほぅっと溜息を吐く。

「ごめんなさいね。彼女、ヤキモチを焼いているの。私とあなたが戦うところを見たくないのね。ああ、ごめんなさい。気分を悪くしないでね。本当は優しい子なのよ」
「お、お構いなく」
「なんて罪作りな女なのかしら、私って…」

 なぜか相手側の事情に巻き込まれるアミカは、もはやそう言うしかない。戦闘中なのに、たいした自信である。だが、その自信は、実力に起因していることをアミカは知っている。

(あの形態になったのは、もう油断はしないということか? より近接戦闘に優れたタイプなのか?)

 アミカも、突然分離したリヴァイアードには、相当驚いた。あのようなものが存在するとは初耳だし、合体・分離変形するとなれば、さらに複雑な操作が必要になるからだ。いろいろなことを考えながら戦闘を行うのは、やはり難しいことである。

 わざわざ分離形態になったことには、何か意味があるに違いない。見た目もコンパクトで小さくなったし、明らかに敏捷性は向上しているだろう。油断はできない。

「さあ、始めましょうか。あなたに楽しいプレゼントがあるのよ」

 リヴィエイター皇型が、ニードルソードを持って駆ける。壱式も応戦し、互いに剣撃を繰り出す。周囲には、刀とニードルソードがぶつかり合う甲高い音が響き渡る。

(速い―――が、今までほどじゃない)

 たしかに小さくなって速くなった。確実に剣の振りの速度は上がり、細かい対応ができるようになっている。ただし、暗殺者タイプのクマーリアが補助していた頃の、あの凄まじい加速はなくなっている。爆発力という意味で、迫力は軽減されているのだ。

 これならば、アミカでも対応が可能である。剣技だけの応酬ならば十分やり合えるし、脅威であった体格差もなくなり、機体同士の接触があっても安心できる。これは期待が持てる展開である。

 しかし、疑問がある。

 なぜ、ナサリリスは皇型になったのだろう。合体していたほうが圧倒できたはずだ。彼女が言ったように「サシ」で戦うことにこだわったからだろうか。その真意はわからない。

 アミカが一つだけわかるのは、違う側面での自分の弱点が浮かび上がったことだけだ。

(この敏捷性では、隙が作れない!)

 敵がコンパクトになったせいで、今までのように体格差を利用する策は使えない。皇型は、ぴったりと壱式についてきており、何か道具を使って邪魔をすることができないのだ。

 そして、一瞬でも気を抜けば―――

「ふふ! 追いついちゃった」
「ぬう!!」

 壱式は、背後を取られる。それをカバーしようと振り向くと、皇型はステップを踏んで、一瞬で前から消える。やはり小回りという点では、今までの比ではない。これに彼女の剣技の冴えが加わるのだから、相手にするほうは最悪である。

 だが、なぜかナサリリスは、攻撃を仕掛けてこない。移動と軽い剣撃でアミカを追い詰めはするが、一定の距離を保ったまま、強い攻撃を仕掛けてこないのだ。

(余裕か? まだなめられている?)

 もちろん、ナサリリスはアミカを下に見ている。ただし、今までのように完全に格下とは思っていない。自分に傷をつけたくらいなのだから、アミカのことを認めているし、剣術の腕前も対峙したときから理解している

 アミカが、平常心を保っていることも。
 自分を戒めながら戦っていることも。

「あなた、いいわ。その剣の腕前も、少し怯えた顔で周囲を見回す姿も、すごくいいの。とてもキュートよ」
「そ、それは…どうも」

 そんなに怯えた顔をしていただろうか、などとアミカは思ったが、MGの上からでもそうした雰囲気が出ていたのかもしれない。まだ自分に余裕がない証拠なのだろう。

 格上との戦闘で、緊張感があるのは仕方がない。これは実戦なのだ。気を抜けば、一瞬で命を失う真剣勝負である。すべての行動に慎重になるのは自然なことだろう。そして、その慎重さがアミカを生かしめている。

「でも、硬いわ。まだ硬いの。そうね、その理由はいろいろとあるだろうけれど…、あなたは【固い】のよ。使い慣れてないのよ」
「…え?」
「そうよね。戦い続けていれば、固くなってしまうのは当然かもしれないわ。特に、あんな蛆虫の中にいては、隙を見せるわけにもいかないでしょうしね」
「何だ? 何のことを言っている?」
「いいの。私には全部わかるから。だからね、あなたには【女の悦び】を味わってほしいのよ」


―――≪キンキンキンキン≫


「―――?」

 アミカは、音を聴いた。

 今まで聴いたことのない音色である。錯覚かと思ったが、やはり聴こえる気がする。そして、遠かった音が少しずつ近づいてくる。ここまでくると、もう気のせいではない。

―――≪キンキンキンキン≫

(なんだ? 異常か? ここで壊れてもらっては困るぞ?)

 アミカは、慣れない操作で必死に音の原因を探す。これが壱式から出ているものだったら最悪である。さらに故障だったりすれば、もっと最悪である。

 ただでさえ負けているのだ。機体で劣ってしまったら、もう勝ち目はない。それだけは避けねばと原因を探るが、機器類もAIも異常を示していない。

「やはり空耳なのか?」
「ふふ、鈍感なのね。でも、いいわ。すぐに熱くなるから」
「さきほどから何を―――っ」

 その瞬間、突如として、突然、急に、いきなり、不意に、意図せず、それは起こった。

 アミカの身体が熱くなる。身体の中心が熱くなる。最初に感じたのは、頬の赤みだっただろうか。風邪を引いたときのように、頬に熱を感じたのだ。それは顔全体に広がるように熱せられ、次第にどこが熱いのかもわからなくなった。

 次に症状が出たのは、背中だっただろうか。背筋がゾクゾクとしたと思ったら、首筋にも違和感を感じ、思わず肩をよじって感覚に抵抗してしまう。急に力が入らなくなり、手ががくがくと震えるので、リンクしている壱式の手もがくがくと揺れている。明らかに異常事態である。

(何が起こった!? はぁはぁ、なんだ、おかしいぞ!!)

 突然、身体に変調が起こった。それは間違いない。ただ、その原因がわからない。アミカは今まで、風邪というものをあまり引いたことがないし、疲れることはあっても、ここまでいきなり力が抜けることなど経験がない。

 師範との鍛錬で力を使い果たし、突然倒れることはあれど、そこに至るまでには過程が存在する。もう倒れるだろう、という予感が存在する。それが今回はまったくない。完全に突然、いきなりこの状態になったのだ。

「ふふふ…」

 それをナサリリスは、黙って見つめている。完全にアミカを倒す好機であるが、何もせずに笑っている。それを見て、アミカは直感する。

(何かされた!? これは敵の攻撃か!)

 これが持病でないのは明らかだし、ウィルスのような潜伏期間があった病気の発病とも思えない。ならば、答えは一つ。ナサリリスによる攻撃である。

 戦いとは、ただ敵を殴る蹴るだけではない。さまざまな戦い方がある。アミカも、エルダー・パワーの忍者や術者との模擬戦で、それを思い知ることがある。

 忍者は術具を使って撹乱することもあるし、術者に至っては何をしてくるかわからない。彼らにとって、真っ向から戦うということ自体が愚かなことなのだ。基本的に、変則的な攻撃を仕掛けてくると思ったほうがいい。

 互いに手の内をある程度知っていても苦戦するのだ。ならば、相手が未知の敵であれば、何をしてくるかわからない。アミカは同心を使って、必死に気持ちを抑えようとするが、身体の異変のせいで集中できない。

(精神系の攻撃か!? それとも、毒か何かを撃ち込まれたのか?)

 アミカは必死に原因を考えるが、その段階で思考力が低下している。この段階に至っては原因が何かよりも、どう対処するかのほうが先である。なにせ敵が目の前にいる。いつでもこちらを攻撃できる間合いにいるのだ。

 アミカもエルダー・パワーの剣士である。ジュエルや護符などで、状態異常に対する防御を固めている。彼女の着物の裏側には、そうした対策がなされているのだ。

 だが、それを貫通している。
 相手の能力が、こちらの防御を上回っている証拠である。
 その段階で、これを防ぐ術はない。

「はぁはぁ、くそっ!」
「つらそうね。でも、まだ全然駄目ね。よほど我慢していたのね」
「何を…言っている!」

 苦しさを紛らわすように、壱式は剣を振るう。だが、力なく放たれた一撃は、リヴィエイターに簡単に避けられてしまう。払う必要もない。ただすっと下がればよいだけ。

「やっぱり刺激がないと駄目かしら。なら、これならどう?」

 リヴィエイターが間合いを詰め、軽くニードルソードを振るう。壱式は、避けるだけの動きができず、リンドウで受け止めるしかない。

 だが、受け止めた瞬間―――


「あひゃぁあ―――っ!?」


 アミカが、咆えた。

 全身の骨がなくなってしまったかのように、身体をぐねぐねしながら、奇妙な声を上げたのだ。リンクシステムによって、壱式もぐねぐねしたので間違いない。

「ふふ、ふふふ。ようやく効いてきたようね。安心したわ」
「ななな…ななにを!! 何をした!! 私に何を!」
「大丈夫。すぐにわかるわ。そして、楽しみなさい!」

 リヴィエイターが剣を振り、それを受け止め、受け流すたびに、アミカに電流が走り続ける。「ひぃっ」「あひぃっ」「はぁっぁあ!?」などの声を上げながら、ぐねぐねと逃げ惑う。

 その姿に、さすがのリュウも困惑する。

「アミカ! 何やってんだ!! 真面目にやれ」
「う、ううるひゃい!! 話しかけるにゃはっ!」
「お、おい、マジでおかしいぞ! 何かあったのか!」
「知るかぁ…っ! しるかっぁぁああ!」

 アミカの声は、明らかにおかしかった。いや、もうおかしいというレベルを超えている。話し方もおかしいし、行動も異様。すでに崩壊しているレベルである。

 そして、アミカ当人も、その【最低の事態】にようやく気がついた。

(嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! こんなことが、あるわけがない!)

 あまりの事態を受け入れられない。
 こんなことは、あってはならない。

 信じたくない。誰にも信じてほしくない。
 こんなことが知られれば、自分は終わりだ。


 これはその、つまり―――




―――あっ、濡れてる




 それに気がついたとき、死にたくなった。
 アミカは、心の底から自分に失望した。



―――自分の下着が、濡れていると気がついたときに



 失禁したわけではない。
 戦闘中は、そういうこともあるが、今回はそうではない。

 だが、身体が【そう反応】したときにも、下着が濡れることがある。



―――発情



 したとき、とか。


「はぁはぁ、はぁはぁ!! はぁあ~~~ん!」

 アミカは、ようやくにして自分が【発情】していることに気がついた。しかも、相当なレベルの段階にまで至っている。自分の中の女の部分が目を覚まし、強烈に何かを求めている。もう言葉では言えないくらいに、熱いものを求めている。

 身体が敏感になる。触れる空気でさえ、今の彼女には刺激に感じる。コックピット内部の姿勢制御装置でさえ、触れているだけでくすぐったく、さらに下腹部が熱くなるのを感じた。

 アミカの顔が恥辱で真っ赤になり、震えている。

(嘘だ、嘘だ! こんなことはありえない!!)

 アミカは正直、あまりそっち系には興味がなかった。興味はあったのだが、里の男どもは身内のようなもの。家族であり、競い合うべき同胞であり、いるのが自然な仲間である。恋愛の対象にはならない。

 チェイミーが夜の忍者バーで働き出したときも、若干そういった話題になったこともあるが、あくまで剣一筋ということで深入りしなかった。

 そう、ずっと剣一筋で生きてきたのだ。
 それ以外のことに心奪われることはない。

 ただ、彼女も女性である。完全にそうしたこと、特に肉体的な変化や、それに伴う【健全的な欲求】を抱かないわけがない。性欲というものは生物学上、抱くのが当然なのであり、無理に封じ込めてはいけないのだ。

 誰しも、それがよほど遺伝子欠損的な事情でもない限り、肉体的な刺激を求めるのは当然である。独りであっても、夜な夜な発散をすること自体は、極めて健康的で普通のことである。

 アミカだって、自分を慰めることがある。そうするたびに女であることの悔しさを思い出すのだが、女性である悦びを感じることもある。たしかにある。それは否定できない事実である。

 だが、だがしかし。
 それが戦闘中に発生するのは、実にまずいことである。

 世の中には戦闘狂もおり、そのような異常者は性的興奮を感じるかもしれないが、アミカは普通の女性である。そんな性癖はない。

 ならば、答えは一つ。

「ふふふ、効いた! すごく効いてきた!! そうよ、それは私が与えたものよ!!」

―――≪キンキンキンキン≫

 さきほどから聴こえる、妙な音。金属がぶつかり合うような音。その発生源は、何を隠そうナサリリスから発せられているものである。

 彼女の両耳、その【鈴型のイヤリング】から。

 レフォーズ・ベル〈氷女の魔鈴〉。精神系の術具の一つで、ナサリリスが所有することで、最大の効果を発揮するアイテムである。

 レフォーズ・ベル、第一の能力、快魔の鈴音。

 効果は―――【女性支配】。

 女性に対してのみ効果がある強烈な音波を発し、興奮状態にさせる能力である。その興奮の仕方はさまざまだが、ほぼ大半の女性には【性的興奮】として効果が表れる。

 強力な精神攻撃の一つなので、これに逆らうことは、ほぼ不可能。ンダ・ペペの侘毘埜百足たびぬむかででもない限り、防ぐことはできない。

 ただし、強力な能力には代償がある。

 この効果は対象者だけではなく、使った当人にも同じ作用が発生する。この鈴の持ち主であるナサリリスも、アミカと同じく性的興奮状態になっているのだ。

 ではなぜ、ナサリリスは笑みのままなのか。
 これは演技なのか。我慢しているのか。

「あはぁあ! いい、すごくいい! あなたの感覚、いいわ! ずっと溜まっていたものが、ようやく噴き出す感じが―――カ・イ・カ・ン!」

 答えは否。

 そうである。いつもと変わらないのだ。クマーリアとのやり取りを見ていてもわかるように、彼女はいつだってこの状態である。常にハイであり、常にイカれている。彼女の世界では常時快感が伴い、何をするにも絶頂が存在する。

 だからこそ、彼女にとって最高で、敵にとっては最悪の術具になりえるのだ。

 もう、この戦いの行く末が見えてこない。
 はたして、この先には有益なものがあるのだろうか。

 女の味方でありながらも、女の天敵になり得る存在。

 アミカにとって、実に恐ろしい相手である。

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