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「翠清山死闘演義」編
382話 「野心の女性 その3『これは愛の炎なのだ!』」
しおりを挟むユキネがあえて一本の剣で戦っていたのは、相手の身体に『嘘の斬撃』を染み込ませるためだった。
それがこちらの全力だと思わせることで、一撃必殺の間合いを自ら生み出すことに成功する。
自分は今すぐには変われないと知りながらも、『役を演じる』ことで可能性を広げた彼女なりの【生存戦略】といえるだろう。
その効果は絶大。
右腕に与えたダメージも大きいが、左腕を切られた時のトラウマが蘇って消極的になった左腕猿将は、たいした反撃もできずにずるずると下がっていく。
好機と見たユキネは、いつの間にか『二刀流』になっており、左手に残った一本の剣を持って盾代わりにしつつ、右手には新たな武器である『白影命月』を握って強烈な一撃を叩き込む。
刀の剣気だけが特性で大幅に強化されているため、左手とのアンバランスさが際立ち、相手にとって受けづらい状況が生まれていた。
それによって、あの左腕猿将を単騎で圧倒する展開が続く。
(すごい! これがユキネさんの応用力なのか!)
サリータの目の前で生き生きと躍動する姿は、ひたすら舞台で跳ね続ける踊り子そのものだ。
普通ならばやり方を大きく変えて一度は失敗するケースだが、彼女は自分の強みを冷静に分析してアプローチそのものは変えなかった。
そのうえで一歩も二歩も前進してみせたのだ。そこに彼女の高い知性を感じさせる。
(大きな勇気をもらった! ならば、次は自分の番だ!)
「代わります!」
「任せるわ! はぁ…はぁ!」
ここでユキネとサリータがスイッチ。
ユキネは一度下がり態勢を整える。
見れば彼女の身体は傷だらけで、その白い肌も擦り傷と泥で汚れてしまっていた。
忘れてはいけない。目の前にいる敵は猿神のナンバー2。
この翠清山において、万全の状態ならばトップ5に入るほどの強力な魔獣である。
その強敵相手に、いくら不慣れな右手での攻撃とはいえ、何度もギリギリで回避し続けることは心身共に相当な負担がかかるはずだ。
ユキネも興奮してテンションが上がっていたものの、下がった瞬間には荒い呼吸を繰り返していることから、いかに緊張していたかがわかる。
躍動感のある動きは読まれづらいが、反面無駄が多く、体力に難のある彼女は長時間戦い続けることができない。
それをサポートするのが、サリータの役割である。
「うおおおおおおおおおお!」
サリータが、大盾を持って全力で体当たり。
引き気味だった左腕猿将を、さらに何度か小突いたまではよかったが―――
「キギぃいいいいいいいッ!」
「っ―――!」
中途半端な攻撃のせいで、彼の怒りに火を付けてしまった。
力任せに振るわれた横薙ぎの腕棍棒の一撃を受け、サリータが吹っ飛ぶ。
(なん―――だ……この衝撃…は)
凄まじい圧力に脳が大きく揺れ、身体に力が入らなくなる。
意識が飛びそうになったところを、はっと我に返って強引に上半身を持ち上げてバランスを制御。
転ぶことだけは防げたものの、いまだ身体の奥底では衝撃の痺れが残っていた。
(これが名有りの魔獣の一撃! とんでもない威力だ! この鎧がなければ死んでいたかもしれない!)
サリータが着ている赤い重鎧と大盾は、ディムレガンの女性用のものである。
余っていたものを急遽人間用に調整したので、はっきり言えば完全にフィットしている状態ではない。
ディムレガンと人間とでは体型も若干違い、尻尾を無理なく格納するスペースも邪魔だし、何よりも戦い方そのものがまったく異なる。
だが、そうした違いを受け入れても余りある高い性能を誇っていた。
(鎧は大丈夫だ。盾にもヒビ一つ入っていない。今まで使っていたものとはレベルが違う! これは一級品の武具なのだ!)
ここで杷地火たちの鎧が、『たかだかアラキタごとき』の攻撃によって壊れたことに疑問を抱いた者がいるだろう。
あれに関して補足をするのならば、アラキタはクルルの異能によって能力が強化されていたことも大きな要因といえる。
操られたギンロが通常よりも高い腕力を発揮したように、あの魔獣に操作された者は限界まで強制的に能力を引き上げられる。だからこそ、アラキタも因子レベル4の技を使えたのだ。
そして、鎧自体に関して言及するのならば、あれはあくまで力の弱い男性が扱える程度の代物であることと、各人が独自に調整していることもあり、全員が鎧作りに精通していないことが挙げられる。
男性の中では才能がある杷地火でさえ、得意とするのは剣や盾であって鎧ではない。鎧には鎧専門の職人がしっかりと存在する。
たとえば海軍とも戦った熾織も、補助がメインとはいえ優れた鎧職人であるし、滝の避難所にいた『火梨香』という中年女性は、現一族内で最高の鎧職人である。
熾織の鎧の基礎部分も火梨香が打ったもので、今サリータが着ている予備も彼女の作品である。
ディムレガンの女性の出力が男性の倍以上ならば、鎧の力も軽く倍以上。
左腕猿将の左腕ならばともかく、右腕での攻撃くらいは十分耐えることが可能だ。
「真っ向勝負だあぁああああ!」
サリータは、武具の性能を信じて突っ込む。
そのたびに迎撃されて吹っ飛ばされるが、何度でも立ち上がって愚直に前に出続ける。
ユキネがそうであったように、彼女もまたやり方を変えるつもりはなかった。
もとより器用ではない彼女はマキ以上に、ただただ前に出続けることしかできない。
(ユキネさんは一番危険な役割を果たしてくれた! 本来は自分こそが成すべきだったのだ! 忘れるな、この屈辱を!!)
基本の戦術通りならば、体力と防御に優れるサリータこそが盾になって、ユキネの被弾のリスクを減らすべきであった。
がしかし、実力差がありすぎる。
サリータの実力は、おそらくユキネが攻撃力を削ってくれていなければ、左腕猿将の右腕での攻撃すら防げるか怪しいレベルのはずだ。
それを見越してユキネが先にリスクを負った。
左腕猿将が海軍でさえ超危険視する魔獣であることを考えれば、到底サリータが戦える相手ではない。極めて真っ当な判断である。
事実、ユキネは正しかった。
弱っているのに、この力の差。
ひしひしと伝わり感じる厳しい現実に、背筋が冷たくなる。まともに出会っていれば、まず間違いなく死んでいたと。
だからこそ、心に激しい炎を燃やす!
(よいのだ! それでいい! 自分は弱い! 誰よりも弱い! だから強くなるために努力するのだ! それのなにが悪い! ここでは見栄も恥も必要ない! 生き残るための『必死さ』だけが重要なのだ!)
一騎討ちでも小百合に負け、武器を使っても負け、サナにさえ相撲で負ける最底辺。(アイラは除く)
それも仕方がない。
規格外のアンシュラオンが作った『白の二十七番隊』は特別であり、少なくとも戦闘要員に関しては『常人お断り』なのである。
生ぬるい表側の世界で暮らしてきたサリータには未知の世界。足手まといにならないほうがおかしい。
「立ち向かえ!! 自分に負けるな!」
立ち向かっていき、吹っ飛ばされる。
自分を叱咤して、吹っ飛ばされる。
愚直に繰り返して、吹っ飛ばされる。
しかし、けっして諦めない!
「まだまだぁああああああああああ!」
「キキッ!?」
弾いても弾いても何度でも立ち上がってくる姿に、さすがの左腕猿将も気味悪がる。
なぜならば、今までの敵と違うから。
同じ魔獣が相手ならば、生存本能と縄張り争いが主な戦う動機となる。海軍ならば、互いの種の存続をかけた死闘となる。
だがしかし、目の前の人間が戦う理由は、そのどちらとも異なっていた。
(たしかにこの魔獣を倒せば、師匠に認められるかもしれない。ブラックハンターに認定されるかもしれない。しかし、それが目的ではない。強くなりたい理由を思い出せ!)
かつて幼かった自分を守って死んだ『赤い傭兵』。
サリータが傭兵になったのは、その気高い後姿を見ていたからだ。
自分もああなりたい。誰かを守りたい。でも、死にたくはない。
その両者の間で苦悩した結果、選んだのが【盾】。
「私はこの盾に命をかける!! 簡単に砕けると思うな!!」
サリータの身体から炎が噴き上がる。
それは白い揺らめきやモヤを超えて、はっきりとした【意思の力】として顕現し、守るための力を与えていく。
そう、いくら防具が強固とて衝撃が中にまで伝わるのならば、一般人ならば最初の一撃で死亡していたはずだ。
それを防いでいたのが―――【戦気】!
彼女がアンシュラオン隊に加わってから、ずっと課されていた戦うための最低条件であり、武人の証明である戦気の修得。
それが今、初めて本格的な開花を迎える!
戦気術が未熟なので三倍効果とはいかないが、少なくとも今までの倍以上の出力で立ち向かう。
「ギギイイッ!!」
とはいえ、戦気を使う程度ならば当たり前。
第二海軍の猛者たちとゴリゴリ戦っていた彼にとっては、そんなものは見慣れたものだ。
むしろパワー勝負を挑んでくれるのならば、ユキネよりも遥かにやりやすい。
左腕猿将が、タイミングを合わせてフルスイング!
サリータは真正面から回避運動をしないで突っ込むので、当然―――ドゴーーーーンッ!
容赦のない直撃を受ける。
「サリータさん!!」
これにはユキネも冷や汗を掻く。
左腕猿将が痛む腕を無理して振ったことで、ユキネに繰り出した必殺の一撃と大差ない威力を誇っていたからだ。
いくらディムレガン製の鎧を着ていても、この衝撃はまずい。
周囲の霧さえ吹き散らす強烈な一撃。
あまりの威力で地面には大きな窪みが生まれ、直撃を受けたサリータの姿が見えないほど深く突き刺さっている。
が―――グググッ!!
腕棍棒が少しずつ持ち上がっていく。
その下からは、チラチラと赤い炎の煌めきが見え隠れしていた。
最初にはっきり視認できたのは、赤い大盾。
直後、その表面から爆炎が噴き出し、左腕猿将を呑み込んだ。
「ギッ―――!?」
「うううっ―――オオオオオオオオオオオオ!!」
敵が突然の炎に怯んだ隙に、サリータが勢いよく飛び出してきた。
相変わらず武具には亀裂一つ入っていないが、受けた衝撃によって骨がいくつも折れていた。
だが、それがなんだというのだ。
「どんどんこい! もっとこい! ばっち―――こぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい!!」
サリータの肉体が、内部から急速に作り変えられていく。
ただの人間から、戦うための肉体へ。
死闘を宿命づけられた【武人】の細胞が、激しい闘争本能に火を付ける!
「うおおおおおおおお!」
「キキイイイッ!」
サリータが突っ込み、それを左腕猿将が殴り返す。
時には蹴り飛ばされるが、すぐに前傾姿勢になって再び突っ込んでいく。
それだけならば今までと同じだが、ここで大きな変化が訪れる。
(なんだ…この感覚は? 殴られれば殴られるほど…気持ちよくなっていく? ふへ、うへへへ!! もっと、もっと―――)
「もっと私に痛みをくれえええええええええええええええ!」
殴られれば殴られるほど、強靭に。
蹴られれば蹴られるほど、迅速に。
まるで彼女の痛みが、そのまま力に転換されているかのように、パワーと速度が上がっていく。
もともと『熱血』スキルを持っているので、ダメージを受ければ受けるほど能力補正を受けるのだが、すでにそれ以上の効果が発揮されていた。
(不思議だ。これほどの魔獣を相手にしているのに怖くない。…そうだ。師匠のほうが遥かに圧倒的に強いのだ! それと比べれば、これくらいの魔獣などに怖れるものか!)
アンシュラオンの身内になるということは、最上位の撃滅級すら超える『化け物』と一緒に生活することを意味する。
いつもは実力の一割も出していないものの、ふと滲み出る圧力は『人外』そのもの。しかも彼の寵愛を受けるのならば、もはや世界は一変する。
「熱い、熱い、熱いぃいいいいいいい!! 心が燃える! 焼け焦げる!! もっと…もっと焼いてぇええええええええええええ! 師匠ぉおおおおおおおお!」
「ッ―――!?!?!」
目の前で悶えながら突っ込み、殴られては喜び勇んで何度も立ち上がる人間の姿に、左腕猿将が恐れおののく。
魔獣は本能に忠実がゆえに無駄に痛いことはしない。破邪猿将などは痛くても喜ぶが、普通のグラヌマはそんなことは考えない。
ましてや、「ふへへ」とか「うへへ」とか【痛みを快楽】になどしないのだ。
(ああ、やばい性癖が出てきたさね。あいつ、あたしよりバトルジャンキーだからねぇ)
ベ・ヴェルは、半ばイカれてイッてしまっている相棒を、引き気味に見つめる。
前々から怪しいと思っていたが、サリータは『マゾ』である。
今まで彼女を完全に屈服させる男がいなかったがゆえに、普段は強気な態度を取っていたが、アンシュラオンとの出会いによって、少しずつ性癖が開発されていくことになった。
ユキネもユキネで、屈服させられることに快感を感じるマゾではあるのだが、彼女との相違点は『体育会系』であることだ。
体育会系とは、厳しく指導され、叩かれ殴られ、吐くことが日常になった時、そこに【愛】を感じる気が狂った連中のことである。
これがスキルになると、格下の敵には強くなる一方、格上になると萎縮してマイナス補正がかかる最大の副作用があった。
がしかし、その基準がアンシュラオンに移行したことで、世の中の大半の相手が格下認定され、さらにしごかれまくった日々によって、ついに新たなるスキルに進化を遂げようとしていた。
「知っているか! 殴られるのは期待されている証拠! しごかれるのは、そこに愛があるからだ!! そうだ! 師匠は私を愛している! 愛されているのならば―――何度でも戦えるぅうううう! 師匠!! 自分も愛していますううううううううう! うひいいいいい!」
まさかアンシュラオンも、こんなところで愛を叫ぶ弟子がいるとは夢にも思わなかっただろう。
されど、彼女が愛を叫び、その炎が自身さえ焦がすたびに、どんどん能力にプラス補正がかかっていく。
仮にそれが一割上昇であっても、何度も何度も乗算されれば、魔獣並みの強力なパワーを得ることになる。
徐々に強く速くなっていく突進に、ついに左腕猿将の迎撃が間に合わなくなり―――ドッスン!!
大猿のどてっ腹に、渾身の体当たりが炸裂!
猿の厚い筋肉を強引に突き破り、衝撃が内臓にまで到達したことで、左腕猿将の呼吸が止まる。
「愛の炎をくらえええええええええ!」
そこに再び盾から爆炎。
左腕猿将が火達磨になって怯んだところを、さらに押し込んでいく。
以前『ア・バンド〈非罪者〉』のシダラが盾から『炎気』を出す『縛炎鎖盾』を使ったが、残念ながらサリータのものは技ではなく【武具の特殊能力】だ。(当然、愛の炎でもない)
この大盾は『赤昂の竜盾』と呼ばれるもので、すでに見た通り、盾から炎を吐き出して迎撃する能力を持つ。
ディムレガンが使う場合は彼らが持つ炎を強化したり、血を吸収することでエネルギーにするが、今回は火のジュエルを使うことで炎を生み出すように調整されていた。(元は予備のシステム)
そのため本来想定されていた威力には届かず、左腕猿将に致命的なダメージは与えられないが、怯ますくらいのことはできる。
そして、それで十分。
本命は次だ。
「もういっちょうううううううう!」
赤い重鎧の背部が放射状に開くと、いくつもの噴出口から爆炎が噴き出す。
ただし、こちらは盾とは違って広がるのではなく、絞ることで『推進力』に転換。
爆熱―――加速!!
背部から渦状に排出された炎に圧され、サリータ自身が弾丸となって敵に突進!
この加速力は彼女の脚力も加わることで、サナの魔石使用時の速度に匹敵するが、一番の違いは『それ自体が攻撃』になっている点だ。
咄嗟に腕棍棒で薙ぎ払おうとした左腕猿将の肘に、大盾をねじ込んで攻撃を防ぎ、身体ごと跳ね上がって回転しながら激突!
「押し貫けぇえええええええええええ!」
そのまま左腕猿将の巨躯を宙に押し上げながら、最大加速!
踏みとどまることも許さず、二百メートルほど自身ごと突っ込むと、大きな岩に叩きつける!
「ゴブッ…!」
これには、さすがの左腕猿将も吐血。
肺の一つが完全に潰れてしまう。
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