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「翠清山死闘演義」編
380話 「野心の女性 その1『見ーつけた』」
しおりを挟む「はぁはぁ、ここまで来れば大丈夫か…!」
火乃呼は後ろを振り返り、アラキタがいないことを確認して安堵。
現在彼は自慧伊と交戦中なのだが、逃げている当人は知る由もない。
また追ってくるのではないかという恐怖心を呑み込みながら、怪我をしている一人と一頭の様子をうかがう。
「親父、生きてるよな!?」
「ああ…これくらいで死にはしない。怪我には慣れているから心配するな」
「そうか。よかったぜ…」
杷地火の怪我は、命に別状はないようだ。
もともと頑丈な身体かつ、致命傷を負っていないことが幸いしており、怪我としては重傷だが死ぬほどではなかった。
軽く止血すれば、自力での歩行にも問題はないだろう。
がしかし、『彼』のほうは違う。
「猿! おい、生きているか!」
「ヒュー……ヒューー、ぎぎっ……ごぼっ…」
「くそっ! こっちはやばいぜ! なんとかしないと死んじまう!」
「喉から空気が漏れている。溶接して塞ぐぞ。これを使え」
「わかった、やってみる」
火乃呼が撃ち抜かれた首の傷口に金属を押し当て、焔紅を使って『溶接』。
かなり強引な塞ぎ方だが、ディムレガンではたまにやる傷の応急処置方法である。
ただし、それで若猿の呼吸は多少ましになったものの、脊椎を破壊されていることには変わりがない。
ほとんど動けない状態かつ、このまま放置していたら死ぬ可能性も高かった。
「灯子おばさんなら治せるか?」
「あいつの能力は治癒ではあるが…猿神に効くかまではわからんぞ」
「それでも試してみるしかないだろう。おれは自分を助けてくれたやつは見捨てない! それでいいんだよな、親父!」
「…うむ、できるだけのことはしてみよう。彼がいなければ逃げることもできなかったのだ。恩は返さねばならぬ」
灯子とは、滝の避難所にいるディムレガンの女性の一人だ。
一族で唯一、怪我や病気に関する知識と治療能力を持っているので、集落の中では医者的立場にある。
とはいえ彼女の力は『火隆養盛』というもので、ディムレガンの血流を活性化させて怪我や病気の『自然治癒力』を高めるものだ。
その時代時代に必ず一人は、この能力を持った女性が生まれることからも、種族全体を守るための血の顕現だと思われる。
よって、あくまでディムレガン用の力であり、猿に効くかは未知数といえる。
が、火乃呼は諦めない。
(このムカつく現状を受け入れてたまるもんかよ! どいつもこいつも好き勝手やりやがって! おれは全部にあらがってやるからな!)
火乃呼たちは琴礼泉の外側にまで出て、迂回して滝に向かおうとする。
まだアラキタが追っていることも踏まえての選択だが、かなり時間がかかってしまううえに、ここでも予想外のことが起きる。
急ぐ彼女たちの前に新たに立ち塞がったのは、海軍でもハンターでもなく、『猿』。
ここでは猿など珍しくもないが、現れた猿は特殊なものだった。
「なんだこいつ…でかいけど、左腕が…無い?」
どう見ても普通のグラヌマの二回りは大きいので、一目で上位種だとわかるが、なぜか左腕が存在しない【隻腕】だった。
否。
より正しく述べれば、彼は右手に『切り落とされた自身の左腕』を棍棒のように持っていたのだ。
これが他の猿の腕であっても猟奇的で怖いが、自分の腕を持っていても怖さは変わらない。むしろ自らの腕に対する強い執着心を感じさせる。
その大きな左腕を見た杷地火は、猿の正体をすぐに見破った。
「この個体は…【左腕猿将】か!!」
「さわんえんしょう? 誰だよ?」
「猿神のナンバー2だ。左腕が肥大化しているだろう? だから左腕猿将だ」
「大きいけど、切れてるぞ?」
「戦闘で負傷したのか? だが、あまりに切れ味が良すぎる。かなりの業物で斬られたようだな」
「あの切り口だと、直接刃が当たっていない感じがするぜ。衝撃波だけで切ったのかもしれねぇ」
「うむ、それだけでも相当な使い手だな」
ここはさすが鍛冶師たち。傷の具合よりも、斬った側の切れ味に着目してしまう。
事実、左腕猿将の腕を切り落としたのは破邪猿将であり、得物もかつての筆頭鍛冶師が作った業物であるから間違いではない。
「でも、どうしてこんな場所にいるんだ? 猿神のナンバー2なら三袁峰にいるんじゃ―――」
「キキッ! キイイッ!!」
「な、なんだよ。なんか興奮しているぞ!?」
「キキッ! キーーー! キイッ!!」
「何言ってんだかわからねぇって! もっと落ち着けよ!」
左腕猿将は、かなり興奮した様子で火乃呼に詰め寄る。
魔獣の言葉がわかる『フーパオウル〈言流梟〉』がいない今は、彼が何を言っているのか不明だ。
火乃呼も訳がわからずに、ただただ首を傾げることしかできない。
「キーーーキーーー!」
「顔が近いって! よくわからねぇけど、今は大変な時なんだ! あとにしてくれよ!」
「ギギギイッ! キッ!!」
「親父! なんとかしてくれ! 全然話が通じねぇぞ!」
「鍛冶師の我々に治療を頼むとは思えん。となれば、武器が欲しいのか?」
「キキッ!!」
杷地火が試しに、若猿が持っていた剣を叩いて意思を示してみる。
すると左腕猿将がにっこりと笑った。
どうやら本当に武器が欲しいらしい。
「しかし、左腕猿将はすでに術式武具を持っていたはずだが…。なるほど、左腕がそれでは今まで通りにはいかんか」
左腕猿将の武具『カーストリミッター〈序列強制の呪斧〉』は、巻き付けたツルで腰に固定されている。
武器自体を失ったわけではないものの、この斧は彼の左腕に合わせて調整されているし、隻腕ともなれば明らかに戦闘力は落ちるだろう。
「それを踏まえて武具を見繕ってほしいというわけだな。となると、切り落とされた左腕そのものを武器にしてもいいか。武器腕も悪くない」
「キキッー!」
左腕猿将は、さらににっこりと笑って肯定。
その様子を見た火乃呼が驚く。
「すげぇな親父、フクロウなしで会話が通じてないか?」
「お前よりも猿神との付き合いは長い。表情や仕草で、なんとなくはわかるものだ。それに、この様子だと猿神全体でやってきたわけではないようだ。おそらくは彼の群れだけだろう。ならば、それなりの理由があると思うのが自然だな」
「理由って何だよ?」
「彼らは実力による序列を重視する。腕が使えないとなると、ナンバー2の立場も追われるかもしれぬ。必死にもなるだろう」
「そっか。猿の世界も大変なんだな」
左腕猿将は破邪猿将に制裁されて左腕を失い、独断で動いたことからも種族全体における立場まで危うくなっていた。
なんとか状況を打破したいが、左腕がこのざまではどうしようもない。ここまで大きな怪我だと自然治癒も難しい。
そこで思い出したのが、ディムレガンの存在である。
この左腕でも使える武器を作ってもらい、結果を出して立場を維持したいと考えた。
その結果、三袁峰の戦いで負傷した群れを率いて琴礼泉にまでやってきた、というわけだ。
ここで『ソブカたちを襲ったのは左腕猿将の群れ』であることが判明する。
群れ全員が名誉挽回のために必死になっており、人間を見かけたら捨て身で倒すつもりでいるのだから、その覚悟はソブカたちにも劣らない。
本当にたまたま発生した災難ではあるものの、天運に恵まれずに消えた英雄など星の数ほどいるのだから、運もまた大事な要素といえる。
だが、どちらにしても今は状況が悪すぎた。
「今は忙しいんだ! あとにしろって言ってんだろう!」
「キキッ! キーーー!」
「ああっ!? てめぇの事情なんて知るか! こっちはお前らの仲間の命がかかってんだよ! それとも見捨てろってのか!」
「キキキキッ! キーーッ!」
早く武器が欲しい左腕猿将と、早く逃げたい火乃呼の呼吸がまったく合わず、互いに口論が始まる。
両者ともに言葉自体は理解できないので、まさに無為な時間が過ぎていく羽目になっていた。
その間にも若猿の容態は悪化。次第に息が細くなっていくのも心配だ。
「ちっ! 話している暇はねぇ! 行くぞ、親父!」
「キキッ!」
「いいかげんにしろよ、てめぇ! それでも群れの親分かよ!」
無視して立ち去ろうとする火乃呼を、左腕猿将が右手で押し止める。
さすがは『グラヌマーハ〈剣舞猿将〉』の特殊個体だ。自慢の左腕がなくとも、右腕だけで簡単に火乃呼を押さえつけることができる。(ちなみに自身の左腕を握ったままだ)
火乃呼も火乃呼で、海軍やアラキタに襲撃されて気が立っていたこともあり、その腕を掴み返して睨む。
こうなると、どうなるのだろうか?
当人たちがどうなるか、ではなく、『外からどう見えるか』という話だ。
彼女たちからすれば軽い口論だが、事情を知らない側からすれば、【火乃呼が大猿に襲われている】ように見えないだろうか?
そう、だからこそ、これは必然。
左腕猿将の真後ろに突如として殺気が生まれる。
「っ―――!」
左腕猿将は咄嗟に気配を感じ取り、火乃呼から手を放して、ほぼ無意識のうちに右腕でガード。
そこに鋭い剣の一撃が襲いかかる。
剣先は太い腕に遮られたものの、剣気で補強されているので、しっかりと皮膚を抉っていた。
後ろ首を狙われていたので、もし反応が少しでも遅れていたら脊椎にダメージを負っていたに違いない、最初から殺しに来た本気の一撃だった。
剣撃を放った人物は、そのまま間合いを詰めて超至近距離にまで接近すると、回転しながら位置を入れ替えて火乃呼との間に滑り込む。
そこでさらに追撃。
今度は股間に剣を突き立てようとしてきた。
左腕猿将は慌てて飛び退いて回避。
その様子は、まるで猫が緊急時に跳躍する姿にも似ており、この巨体が宙を舞ったことからも、魔獣であっても本能的に生殖器を守ることが判明する。
※人間ほど神経が集中しているわけではないので、痛みは少ないようだが。
「見ーつけた」
そして、その人物こと『ユキネ』は、火乃呼に振り返ることもなく、視線を左腕猿将にだけ向けていた。
彼女の瞳は強い興奮と狂気に彩られており、嬉々とした様子で獲物を見定めている。
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